月の輪通信 日々の想い
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父さんの個展が近い。 搬入日まであと数日。 不眠不休の修羅場が続く。 毎度のことながら、今回も父さんの消耗振りは激しい。 「あと○日!」「あと、もう一つ!」と、自分自身を追い込みながら、イライラしたり、凹んだり。 作業場から乾燥室、窯場から吹付け場へと何百回も往復するので、狭い工房の中だけでも、万歩計の数字は簡単に5桁を刻む。 朝、私が工房に入ると、洗い桶には使い終わった筆や刷毛が何十本も浸かっていて、テーブルの上には無数の釉薬の容器がドリンク剤の空き瓶とともに散乱している。
今朝、素焼きの窯を開けたら、今回一番力を入れて制作していた大作が破損していた。焼成中に何らかの原因で破裂したのだろう。 「何故・・・?」 悪夢としか言いようがない。そばにいる私も、かける言葉がない。 行き詰る沈黙が流れた。
こんな事故はいままで見たこともない。 時間がなくて焦ったか。疲れが出てミスったか。 父さんは何度も何度も自分を責める言葉をつぶやく。 ドロドロと苦悶の海に沈んでしまいそうになる父さんを救出すべく、私も必死に言葉を捜す。
タイムリミットは近い。 乾燥室には、焼成を待つ作品がまだまだたくさん残っている。 救いようのない失敗作をぐずぐず惜しんでいる暇はない。 とりあえず事故作品を窯から出し、父さんの目に触れないところに片付ける。 父さんにペットボトルの冷たい水を渡して、 「30分でいいから、ここを離れよ?気持ちを切り替えて、ね?」と、仕事場から追い出す。 肩を落として工房を出て行く父さんの背中が切なくて、こちらまで胸がぎゅっと苦しくなる。
父さんのいない間に、作業台の下に積もった削り土をきれいに掃き集めて、使いかけの釉薬の容器をきれいにそろえた。 大丈夫。 父さんは、たった30分でも仕事を放棄できない。 すぐに這いずるようにして帰って来る。 失敗しても、凹んでも、作りかけの作品を放って置けないのが作家の業だ。 そして、その息詰まるような苦悶の背中をそっとささえつづけるのが、私の仕事だ。
駄目にした作品は、屋久島の杉の大木を刻んだ大作だった。 樹齢数千年とも言われる老木を、大地から来た土に刻み、窯の火で描く。 父さんがこの数年、大事に暖めて追求してきたテーマだ。 「なかなか、おいそれと造らせてはくれんなぁ。」 気を取り直し仕事場に戻ってきた父さんが、遠い目でつぶやく。 「そりゃそうよ。あちらはなんと言っても2000年だもの。」 父さんの疲れた笑顔を推し量りながら、おそるおそると軽口をこぼす。
さあ、仕事に戻ろう。 繰り返し、繰り返し。 何度でも。
朝、洗濯物を干しに出て、久々に山の木々の上を走る風の音を聞いた。 新緑の木の葉を揺らして、遠くの方からざわざわと緑の波が押し寄せてくる。 満艦飾に干しあげた洗濯物もそれに呼応するようにハタハタと揺れる。 真っ白なTシャツが風を含んで、揚々と走るヨットの帆のようだ。
今週末に行うお茶会のために、アプコに白いシャツを買った。 裾に幅広レースのついた、長めのカットソー。 襟ぐりが少し広めに開いたデザインは、普段アプコが着ているイラスト入りのTシャツよりちょっと大人っぽくて、近頃とみにおませになってきたアプコのお姉さん心を刺激したらしい。 「見て、見て!」 と早速試着して、くるりと回る。 「なかなか、いいじゃん。」 短めのスパッツとあわせればいい感じだ。サイズもちょうどいい。
ふと見ると、アプコの白い胸元に小さなぽっちりが二つ。 一見して布地の汚れかなと思ったのだけれど、そうじゃない。 ああそうか。 華奢でちびっこだから、まだまだと思っていたけれど、もうそういうお年頃になってきたんだな。 5年生。 アユコも初めてブラをつけたのは、5年生だった。 学校でも、宿泊学習を前にして「女の子だけのお話」があったようだし、クラスの子の中には少しずつ少女の体型になりつつある子もいる。 アプコの胸の小さなぽっちりも、健やかな少女の成長の証。 「アプコのおっぱい、見っけ!」と、ふざけて言ったら、キュッと胸を隠して恥ずかしがるしぐさも、ちゃんと少女の振る舞いだ。
「そろそろ、下に何か着けた方がよくなってきたんだねぇ。」 通販のカタログなどを持ちだして、ジュニア向けの下着を探してみる。まだまだ、本格的なブラジャーはいらないけれど、ジュニア向けのタンクトップくらいは必要だろう。 アユ姉は、初めてのブラをつけるとき、ストラップのついたブラはなかなか着けたがらなかった。Tシャツ越しに透けて見えるストラップが恥ずかしいというのだ。だから、長いことタンクトップタイプの「プレブラジャー」で通していた。 「もしかして、アプコも?」と思い訊いて見ると、アプコは今アユ姉が着けているみたいな普通のブラが欲しいのだという。 アユ姉がすることは何でもかっこいいと思えるアプコには、大人の女性の匂いのするブラジャーにも何の抵抗感もないのだろう。 憧れと羨望に押されて、大人へのハードルを易々と飛び越えて行ってしまえる末っ子姫の爛漫がまぶしい。
とはいえ、やせっぽちで脹らみのないアプコの幼い胸には、ブラジャーはまだ無理だ。 アプコの乙女心を満足させるために、とりあえずストラップのような肩紐のついたタンクトップを購入することにする。 ついでに、そろそろ「女の子の日」に備えた下着類もそろえておいたほうがいいのかもしれない。 家の中では、いつまでたっても「チビちゃん」のアプコも、いつの間にやらそんなお年頃。 髪型や洋服を気にする様子にも、大好きな父さんに甘えてしなだれかかるしぐさにも、だんだん、花開く前の少女の淡い香りが感じられるようになって来た。 早いもんだなぁと感慨しきり。
京都で寮生活に入ったオニイ。 連休には「こっちじゃ、休みにこれといってする事がないから」と、帰省してきた。 帰宅して来た日のオニイは妙にハイテンションで、いつも電話で聞くくぐもった声も数トーン高くて弾んでいた。 たった数週間の不在にも関わらず、喜んで兄を迎えた弟妹達が密かに顔を見合わせたりした。
「毎日、なんとか食べてる。料理もそこそこしてるし。 同室の先輩達が料理上手なんで、時々ご馳走してもらってる。 んで、『200円』とか『300円』とか、その場のノリで先輩がつけた値段を払うねん。 結構ごちそう、食べてるねんで。」 なんだか、楽しそうだなぁ。 男の子の寮生活って、なんだか長い長い合宿生活のようでいい。 親元を離れての新生活の不安も、ぐちゃぐちゃ、わさわさの日常に紛れて、感じる暇もないのかもしれない。
「なんだか、君の話は食事のことばっかりやなぁ。 なんか、陶芸の学校へやったのか、お料理学校へ行かせたんだか、判らなくなるわ。」 と揶揄ったら、 「だって、おかあさんに土練りのことなんか、話してもわからんやろ。 陶芸もちゃんとやってるよ。」 と切り捨てられた。 はぁ、そうですね。 何せ、母は陶芸、素人ですから。 あれこれ心配しながら自分を送り出した母に、「とりあえず、うまいもん喰ってる。」という言葉で安心をくれようとする息子。 おうおう、オトナになったねえ。 連休明け、私は毎朝オニイに定時に送っていた目覚まし代わりのメールをやめた。
少しのインターバルがあって、今日、オニイが送ってきたメール。 前日に私が送った銀行の口座の事務のメールの礼にそえて一言。
「すんませんなあ 画像は努力の賜物」
暗い画面にアンモナイトの化石。
・・・・ではなくて、土練りを終えた粘土の写真。
陶芸修行の第一歩は土練り。 大きな粘土の塊を全身の力を込めて捏ね上げ、リズミカルに練っていくと、手の中の粘土塊の表面に規則正しい練り跡が美しい螺旋を描く。 その螺旋が折り重なる菊の花弁に似ていることから、「菊練り」という雅な名で呼ぶ。 普段父さんが土練りをすると、その手の中で重い土塊は軽やかに弾んで、まるで魔法のようにあっという間に渦を巻く。 これまでにオニイも、何度か工房で父さんに習って土練りの稽古をしたことはあったが、なかなかきれいな菊文を見るには至っていなかった。
繰り返し繰り返しの訓練の賜物なのだろう。 陶芸修行の門をくぐったばかりのオニイの胸に、誇らしい菊花の開花。 「やったぁ!」という瞬間をそのままに画像に納めて父母に送る、オニイの気持ちが愛しい。 ちょっとだけ、胸が熱くなった。
Nさんがいなくなった荷造り場で、さっそく包装の仕事。 久々に包装紙やら薄様紙やら、紙の感触を味わう。 何事にも几帳面だったNさんは、裁断した紙のはぎれや使用済みの梱包材、他所から発送されてきた再利用可能なダンボールまで、きれいに仕分けしてそろえておいてくれた。当面の仕事は、彼女が整えておいてくれたシステムにそのまましがみついていれば、なんとか滑り出すことが出来るだろう。
昔、義母とともに荷造り作業をしていた頃と比べると、道具の置き場所や作業場の使い勝手が微妙に違う。Nさんが在職中、荷造り場の仕事はほとんどNさんにお任せ状態だったので、作業場自体、Nさん仕様に変化して行ったのだろう。 正直なところ、Nさんがいるときには、そのことがちょっと窮屈に感じたりしたこともあった。けれども、実際彼女がいなくなって見ると、窯場からも事務所からも毎日とめどなく「お仕事のタネ」がなだれ込んでくるバックヤードでもある荷造り場を、果たして私一人で切り回していけるのだろうかと不安になってくる。
ちょっとした備忘のメモを取ろうとして、手元にまともに書けるボールペンが一本もないことに気がついた。 いろんな人が出入りするバックヤードでは、手近においてある筆記具や小さな文房具類がしょっちゅう消える。「ちょっと拝借」がそのまま誰かの胸ポケットに収まったり、他の場所のペン立てに紛れ込んだりしてしまうからだ。 そういえばNさんも自分の仕事場のセロテープ台や鋏などが「ちょっと拝借」で移動して戻ってこないことを時々愚痴っていた。自分が定位置と定めた場所に置かれた手に合う道具が、使いたいと思ったときにそこに置かれていないということは、ごくごく小さなものにすぎないが確かに軽いストレスではある。 新しい鉛筆を数本削り、新品の事務用ボールペンを下ろして、その1本1本に小学生のように自分の名前を書いたシールを巻いた。 新しい住処の玄関に表札を上げたような気分だった。
ミレーの有名な絵に「落穂ひろい」というのがある。 セピア色の農場風景。数人の女性が収穫後の畑に落ちた麦の穂を拾っている。 初めてこの絵を見たとき、それは収穫を喜び、刈り残した小さな落穂を拾う農婦たちの勤勉を描いたものだと思っていた。 けれども実際には、この絵に描かれた女性たちは農婦ではなく、自分の労働だけでは食べていけない寡婦や貧農たちなのだという。 当時の慣例で、収穫後の畑に残された落穂を拾い集めて糧とすることは、彼らの権利として認められていて、畑の持ち主が落穂を残さず回収することは戒められていたのだという。 私はそのことを、時々自宅のポストに布教誌を入れていくある婦人の手書きのメモから教えられた。
畑の持ち主が、どの程度落穂を畑に刈り残しておくかは、各個の裁量に任されていたのだという。 施しのための落穂の量は、等しく定められたものでもなく、誰かに強制されたものでもない。言わば、自分で決めた量だ。 自分の持っているもののなかから、どれだけのものを畑に残すか。どれだけのものを施しにまわすか。それは、自ら選んで決めることである。 そんな緩やかで厳しい律法で、人としての生き方を縛った古い基督教の教義の柔軟さに驚く。
結局のところ、私が抱え込んでいく仕事や役割というのは、私が収穫後の畑に残しておく施しのための落穂の量なのだろうと思う。 誰から強制されたものでもない。 どこから割り当てられたものでもない。 私がやらなければならないと思っている仕事は全て、私の持っている力の範囲内で最大限克服していかなければならない課題でもある。 なぜならそれは多分、どこかで私自身が選び、私自身が決めた仕事だからだ。
いつも長いスカートを揺らしながらやってきて愛想よく布教誌を投函していくその婦人は、いったいどのような趣旨でもって私にこの短い落穂拾いの挿話を書き記してくれたのだろう。 急に自分に割り当てられた新しい役割の重さに戸惑ったり、愚痴ったり。 まだ手をつけてもいない仕事の山にいじけたり、挫けたり。 「なんで私ばかりが・・・」と思う気持ちと、「本当に私に出来るのだろうか」と惑う気持ちと。 そんな私の意気地のない逡巡を、見知らぬ彼女が知る由もない。 それでも慌しい荷造り場の作業の合間に、彼女の几帳面な文字で書かれた落穂拾いの挿話が思い浮かぶのは、私が新しい仕事を自分自身の役割として受け入れつつあるからなのだろう。
今度もまた、やっていける。 きっとなんとか、やっていける。 真っ白な薄用紙の束に包丁をいれ、裁断する。 紙を切る涼やかな音は、愚かしい右往左往を鮮やかに斬ってゆく。
10年来、工房に勤めてくれていた二人の従業員さんたちが、同時に退職することになった。 作品の包装や梱包、発送などの業務を一手に引き受けてくれていたNさんと、土づくりと型の仕事を黙々とこなしてくれていたHくん。 窯元としての仕事の重要な部分を担ってくれた二人の不在は痛い。 幸い、H君の仕事を受け継いでくれる新しい職人さんは、ひょんな偶然からすぐに見つかった。この春からオニイが通っている学校の卒業生だと言う。 今週初めから出勤していて、Hくんから土作りや型仕事の引継ぎをしてくれている。 一方、Nさんのやってくれていた包装や梱包の仕事は、当面のところ私が引き受ける事になった。以前には義母と一緒にやっていた仕事なので出来ない事ではないとは思うが、釉薬掛けや調合の仕事と並行して果たして務まるのだろうか。 来月末には窯元主催の大きな茶会を控え、これからはその準備に最もあわただしい時期に入る。 漠然とした不安がわらわらと沸いて来たりする。
いつもどおり、淡々と通常の業務を終えて、Nさん、Hくんは帰って行った。長い間置かれていた二人の私物や道具類が片付けられ、それぞれの仕事場が何となくそこだけガランと空いたような気がする。 従業員である彼らは、何か事情が出来たり、辞めたい気持ちになったりすれば、早々に自分の仕事場を片付けて新しい職場に渡っていくことも出来る。 それに比べて、窯元の嫁である私は、おそらくは生涯この職場を離れることはない。 夫である父さんがここで仕事をし、成長した子ども達がこの仕事を受け継いでいく限り、私もまたこの場所で、黙々と釉掛けをし、汚れ物を洗い、梱包や包装の仕事をちまちまと片付けながら老いていくのだろう。 家族で家業を継いでいくということは、そういうことなのだろうなと、しみじみと思う。
毎年、一番遅く咲く駅前の八重の桜もそろそろ終わりが近い。 「ほら、おみやげ」 帰宅したアプコが、帰り道に拾ってきた柔らかなピンクの花弁を差し出した。 5年生になっても、相変わらず道路に散り敷いた桜の花弁をそっと拾ってくる習慣はやめられないらしい。アプコがもっと幼い頃には、通学帽いっぱいに拾った花びらをふわふわと宙にばら撒いて、「セルフ花吹雪」を楽しみながら下校してきたこともあった。 格別きれいな一輪だけを選んで持ち帰るようになっただけ、少しお姉さんになったと言うことか。 ゼリーの入っていた丸っこいガラス瓶に水を満たして、はかなく薄い花びらを浮かす。 「わぁ、きれい。」と手をたたいて瞳を輝かせる様は、まだまだ幼い。
夕方、オニイからのメール。 珍しく、画像つきだ。 「こいつら、喰える?」 入寮直後に近所のスーパーで買ったジャガイモ、玉ねぎ。使い余して放っておいたら、春の暖かさにつられて一斉に発芽が始まったものらしい。 がははと笑って、「芽のところを取りのぞけば大丈夫。喰え!」と返信する。
オニイが家を出て、十日。 初めての自炊生活もなんとかうまくやっているようだ。 メールや電話でも相変わらず仏頂面のオニイは、向こうでの生活の有様をあまり多くは語らない。 それでも時折思い出したように帰ってくる短いメールからは、新しい土地、新しい生活にゆっくりと自分の場所を育み始めているオニイの奮闘振りがそれとなく知れる。
がんばれオニイ。 ジャガイモや玉ねぎだって、芽を出し、根を張り、ズンズン成長していくのだ。 君も、やれる。
「じゃ、行ってくる」 両手に紙袋をぶら下げて、オニイが旅立っていった。 いつもなら車で送る最寄駅までの道のりも、今日は徒歩で出かけたいから要らないという。 アプコの柔らかいほっぺたをフニフニと撫で繰り回して、「コイツのこの感触もしばしばしの別れじゃ」と笑う。 今日はオニイの旅立ちの日。
家財道具は数日前に父さんの運転する車ですでに運び込んである。 車で2時間の見知らぬ町。 格安で選んだ学生寮は4件共同のコンドミニアムタイプ。 がらんとした部屋にとりあえず段ボール箱を運び込み、近くのホームセンターでカーテンやスチール棚を買い込んでおいてきた。 バス、トイレ、キッチンの共同スペースには、先住の先輩達の生活用具が雑然と並んでいる。いかにも「男子寮」のむさくるしさ。 ともに一人暮らしの経験のない父と母は、「うひゃー、面白そう」と見慣れぬ生活空間に興味津々だったが、唇を堅く結んだオニイは引越しの旅の車中、何となく不機嫌な様子だった。 見知らぬ町、見知らぬ人々のあいだでたった一人で生活していく、その現実への不安に押しつぶされそうになっていたのだろう。 次第に無口になっていくオニイにむりに言葉を求めることもせず、これから彼の生活圏となる街を車で巡った。 古い田舎の家並みに、学生向けの単身用マンションやコンビニが入り混じる雑然とした町。医院や金融機関など生活に必須な施設はあちこちに見られるが、本屋やCDショップなど楽しみのための店舗は見られない。場違いに駐車スペースの大きいパチンコ屋があったくらいか。 寮の近くには、まだ新しい感じのショッピングセンター。自宅近くにあるスーパーよりも品数も多くて、学生単身者向けの惣菜や生活用品も充実している感じ。それほど本格的に「自炊」しなくても、日々の食生活は維持できるだろう。 とりあえず、食が確保できるだけで、何となく上手くやっていけそうだなと安堵してしまうのは母の愚かな能天気ゆえ。思わず主婦根性を出して、「朝掘り」と朱書された大ぶりの筍とセール品のうなぎの蒲焼を買い込んで帰った。 オニイの不機嫌は、帰宅してからもしばらく続いていたように思う。
「途中、京都あたりでちょっとブラブラしていきたいんだけどな。」というオニイの手には紙袋の大荷物。ちょっと困った顔でオニイが笑う。引越し荷物に入れ忘れた衣類や枕(!)が入っているのだという。 その恰好で京都の街を歩いたら、一昔前の田舎から上京してきたばかりの学生じゃんとツッコミそうになったけれど、実際、オニイ自身その通りの心境に違いない。 宅配便で送ってやろうかともちらと思ったけれど、母のおせっかいももうこれっきりだ。自分のうっかりの結果は自分で担いで歩けばよい。 スマートでなくていい。 ズルズルとかっこ悪く、不器用に迷えばいい。 君らしく歩けばよいのだ。
息子が巣立ってゆく。 18歳。 巣立ちの日が、晴れやかな青空の日で本当によかった。
朝、ベランダに出たら、ふわふわと花吹雪。 対岸の山桜が暖かい春の風に花びらを散らしている。 はらはらと舞っては流れてゆく春のひとひら。
オニイの入寮の日がきまった。 引越し準備のダンボールが少しづつ部屋を占領していく。 衣類や自炊道具、布団やTV。 最低限に揃えた家財道具で、送り出す。 相変わらずの朝寝坊、相変わらずの仏頂面で、残り少ない家族の時間を過ごすオニイ。 ほんとにちゃんと一人で生活していくんだろうか。 毎日三食、まともなご飯を食べられるんだろうか。 落ち着かない思いに駆られて、引越し荷物の隅にオニイの好きな即席めんやレトルト食品を少しずつ忍ばせる。どこのスーパーでも売っているようなありふれた食品をついつい買い足してしまう母の愚かさ。 「そんなの、あっちでも買えるし・・・」とふてくされながら、「いらない」とも言わないオニイにも、どこか不安はあるのだろう。 それが正しい巣立ち前の心境。
アユコ、アプコとともに10年近く通った書道教室が突然閉まることになった。 指導のTさんが、離れて暮らす母上の介護に通うことが必要になったため。 とても勉強熱心な先生で、私も娘たちも本当によく教えていただいた。 一年生から習い始めたアプコは、アユ姉のように小学生のあいだに特待生になるのを目標に頑張っていたので、とてもショック。 私もこのまま、おばあさんになるまでお習いできると思いこんでいたので、突然の決定に呆然としてしまう。 今日はその最後のお稽古日。 ずっと置かせてもらっていた書道用具を片付け、在庫の半紙や墨汁を沢山いただいて持ち帰った。 とりあえず、アプコのためには早々に新しい教室を見つけてやらねばとは思いつつ、なかなか気持ちの切り替えが出来ない。
焦ったり、足掻いたり、拳を固めたり、嘆いたり。 慌しく走り回るうちにあっという間に冬が通り過ぎていった。 見上げると、春。 たった1日、暦が変わっただけなのに、なにやら世間には新しい風。 まだ、グダグダの混沌の中に溺れる私を取り残して、巣立ちの季節は着々と進む。 待って!待って!と伸ばした手の指の隙間から、サラサラと春の時間がこぼれ落ちていく。
寒い朝。 新聞を取りに出たら、この夏ゲンが玄関に置いた睡蓮鉢の水が凍っていた。 この冬、はじめての薄氷。 すぐ上の枝から落ちた千両の赤い実が、何本もの放射の線に閉じ込められて凍っている。 寒いはずだ。
「うぉ!凍ってるやん。」 と自転車を出しながらオニイが言う。 「金魚がおったら、凍死やろか」 とゲンがニタニタ笑う。 「アユ姉、見て!凍ってる!」と騒ぐアプコ。 小テストの予習の問題集片手のアユコが、ふんふんと生返事をして飛び出していく。 いってらっしゃい、気ィつけてね。 慌しく出かけていく子ども達の背中を見送る。 いつもの朝の光景。
夜鍋明けの仕事を終えて、遅めの朝食を取りに父さんが帰って来る。 「着替えたら、すぐ出るから駅まで送ってくれる?」 ここのところ父さんは、展覧会に出す大きな作品の制作に悪戦苦闘中。 新しい釉薬の具合がよくなかったり、焼成の途中で瑕疵が見つかったりして、思うように仕事が進んでいないらしい。 そんな中でも、教室やら仕事の打ち合わせやら、どうしても止めに出来ない外出の仕事も多い。 少し休まないと壊れちゃうよ。 言いたい気持ちをぐっと抑えてお味噌汁をよそう。
「あ、凍ってるね!」 背広に着替え、玄関を出た父さんが、睡蓮鉢の氷を見つけた。 「うん、今朝は寒かったからね。」 と、私が答えるより先に、父さんはもう屈みこんで薄氷の表面を指で突っついている。 あらら、冷たいのにわざわざ触らなくても・・・。 手も濡れちゃうのに。 千両の実を捕らえた放射が破れて、小さな水しぶきがこぼれた。
我が家で一番幼いアプコでさえ、もう寒い朝の氷を触ってみようとはしないのに、まだこの人は睡蓮鉢に張った薄氷を見るとコツンと指で突付いてしまわずには居られない。 連日の徹夜仕事にくたびれて、電車の時間ギリギリに飛び出していく慌しい朝の一瞬に、それでも儚い薄氷に足を留め、ついとちょっかいを出さずにはいられない、この人の爛漫。 しゃあない人やなぁと呆れつつも、いとおしく思う。 あわただしくも幸せな、朝の一コマ。
来月、久しぶりに薪の窯を焼く。 工房の薪窯は、古来から伝わる桶型の特別な窯だ。 普段、工房での焼成は主に電気の窯で行っており、薪窯は格の高いお茶道具など窯変の作品を焼くためだけに使用している。
今回はオニイが、薪窯の焼成に作品をいれてもらえることになった。 基本の抹茶茶碗を制作するのだという。、 これまで我が家の子ども達は、遊びで粘土をいじらせてもらったり、窯番や土作りなどの下仕事の手伝いをしたりということはあっても、きちんとした作品の制作はさせてもらったことはない。 春から工芸の専門学校へ進むオニイに、他所で陶芸の基礎を習い始める前に、自分の家の窯の古来の技法の入り口だけでも学ばせておきたいと言う父さんの親心なのだろう。 オニイ自身もそんな父の想いが判るのか、「じゃ、仕事場、行ってくる」と少し緊張した面持ちで工房へむかう。 「おお、なんかかっこいいじゃん」と茶化してしまいそうな言葉をぐっと呑み込んで二人を見送る。そこには、母や妻の入る余地のない厳しい師弟の時間が流れているのだろうか。
年末年始、親類や知り合いの人に会うたび、オニイの進路が話題に上った。 「どこ、行くの?」 「春から京都の伝統工芸の専門学校へ・・・・」 「おお、いよいよ跡取り修行やな」 何度も繰り返された会話。 父や母にとっては、晴れがましくちょっとこそばゆい嬉しいやり取りだけれど、当の本人はどう聞いていたのだろう。 正月の帰省の折、バイトのため一足遅れて母の実家へ向かう車中で、父さんと将来について話をしたらしい。 陶芸を学ぶ道は選んだものの、陶芸を生涯の仕事としていけるのかどうか、それだけの実力が自分にあるのかどうかなど、自分の不安や思いを率直に語ったのだと言う。 普段なかなか親に本心を明かさないオニイにしては珍しいことだと、父さんが言う。
外から見れば、父母の望む希望を汲み取って進路を決めた従順な跡取り息子。 けれども、誇り高く、自分の世界を頑固に守る若いオニイの内心が、そういつまでも穏やかに流れていくとは思えない。 「伝統」やら「跡取り」やら、常に作り続ける「作家」としての苦悩やら、現代っ子のオニイがこれからぶつかって行くであろう壁は厚く高い。 迷いなくすんなり歩き続けられるほど、穏やかな道のりではないはずだ。
迷えばいい。 ぶつかればいい。 たくさん回り道をすればいい。 全く違う道へ方向転換してしまってもいい。 とりあえず君は、入り口に立ってくれた。 それだけでも父母は十分に嬉しい。
オニイが帰った後の工房で、製作途中の茶碗を見る。 一つ一つ、父さんに教えられたとおりに拵えた基本の茶碗。 生真面目で素朴でまっすぐなその茶碗の形が、期待と不安にどきどきしながら門前に立つ若いオニイの後姿にも見えて、なんだか胸が熱くなった。
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