月の輪通信 日々の想い
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| 2008年08月17日(日) |
全くもう、何を考えてんだか! |
久しく更新が停滞しておりましたが、 本日(8月18日)、続けざまに面白い日記ネタが降臨いたしましたので 2回に分けてお届けします。まずは<その1>
今日も外は暑かった。 買物から帰って冷蔵庫を開け、ドアポケットの牛乳をコップに注ごうとしたら少ししか残っていなかった。 あららと思って、棚のほうに横倒しに入れてあるもう一本の牛乳を取り出そうとしたらふわりと軽い。 見ると消費済みの空の紙パック。 「なに、これ! 誰よ、こんな馬鹿ないたずらをするヤツは!」 と大きな声で怒鳴ったら、横にいたゲンが微妙な顔で笑いを噛み潰している。 犯人確定。
数日前から、冷蔵室の真ん中の段に、横倒しに入れた牛乳パックの底面が鎮座しているのは知っていた。 夏の間、我が家の冷蔵庫はいつもギュウギュウ詰め。お茶のボトルや飲料の缶、残りおかずの入ったタッパーウェアやお昼ごはん用の生麺類などが脈絡もなく詰め込んである。 そんな中にぎゅうと詰め込まれた横倒し牛乳パックがえらく嵩を取って邪魔だなぁと何となく気にかかってはいた。 だからこそ、今日、スーパーの牛乳売り場で超特売の牛乳を見かけたときにも「ダメダメ、もう1本ストックがあったから、余分に買っても・・・」と、買わずに帰ってきたのである。 で、帰って出してみたら、それはダミーの空パック! カチ−ンと来た。
「いったい何が面白くて、こんなアホなことするのよ。 暑いから、冷たい牛乳やお茶はみんなが沢山飲むから、絶やさないようにと思って毎日チェックしてせっせと足しているのよ。 あんたたちは、なんも考えずにガブガブ飲んで、当たり前の顔してるけどね。 これでも日に何回もお茶を沸かしたり、空いた牛乳パックを切り開いて洗ったり、やってんのよ。 それを、何? なんで空の牛乳パックを冷蔵庫へ戻しておくの? それで、騙された母が慌てるのをみるのがそんなに面白いの? え? どうなのよ?」 と勢いに任せてまくし立てる。 ゲン、母の突然の剣幕に驚いて、大きな体を小さくすくめて、シュンと凹む。 「あ、ごめん・・・。ただ、なんとなく・・・」 「『何となく』で母を騙すのか、バカ息子! 今すぐ自転車で行って、牛乳買ってこい!」 あまりの馬鹿馬鹿しさに腹が立って、小銭とともにゲンを追いだした。 全くもう、何を考えてんだか!
「全くもう、何を考えてんだか!」で、思い出したのは、オニイが小学校低学年だった頃に起こった「食べるな、見本!」事件のこと。 どこからか頂いた上等のチョコレートの箱のなかに、ちょっと変わったデザインのチョコレートがあった。 ちょうど、数物のお皿のデザインを考え中だった父さんが、そのデザインを気に入って制作の見本用にと取り置いて、「たべるな、見本!」と張り紙をしておいた。 数日後、父さんが仕事場で見本の包みを開けてみると、なんと取っておいたチョコレートの隅っこが齧られている。それも微細なデザインのちょうど要の部分に、明らかに小さな子どもの歯型。 「こらぁ!だれだ、齧ったのは?!」 傍らできまり悪そうな顔でうつむいていたのは、オニイ。 「なんで、わざわざ『食べるな』と書いてあるチョコを齧ったのヨ? 書いてある字は読めるよね。それをなんでまた・・・。」 箱の中には、他にも沢山チョコレートは残っていたし、わざわざ張り紙付きで厳重に包まれたチョコをわざわざ齧らなくても・・・。 それもホンの数ミリ、歯形をつけるだけ・・・。 意味、ワカラン!
あの時、オニイは結局、なぜそんな馬鹿げた悪戯をしたのか最後まで理由は明かさなかった。 「ただ、何となく・・・」 と、言うばかり。 以後、我が家では意味不明の馬鹿げたいたずらのことを、「食べるな、見本的イタズラ」と呼ぶ。 「全くもう、何を考えてんだか!」 と久々に叫んだ今日のゲンのいたずら。 大した事じゃない些細ないたずらなのに、タイミングといい事後のゲンの反応といい、ワタシの怒りのツボをストレートに突いた。 「ねえ、聞いて聞いて!ゲンったらね・・・」 と父さんやアユコにまで言い散らかして、溜飲を下げた。
挙句の果てに、 「これは絶対、日記ネタ! 近頃全然書いてないけど、日記復活だぁ。 末代まで語ってやる」 とばかりに、久々の日記更新。
その2に続く。
昼下がりのスーパー。 外気の暑さを逃れ、地下の食料品売り場に下りる。 お盆明けとはいえ、炎天下の外出を嫌ってか、意外に買い物客は少ない。 けだるくゆるゆるとした空気が流れている。 盆休みで程よく空になった冷蔵庫を満たすため、山盛りの夏野菜や定番の肉魚、パンや紙パックの飲料をカートに次々に積み足していく。
幼い子どもの激しい泣き声が聞こえた。 売り場の床に寝そべり、盛大に足をバタバタさせて泣き叫ぶ2,3歳くらいの男の子。どうやら男の子は、お菓子を買ってほしいと駄々を捏ねているらしい。おまけ付きのお菓子の箱を握り締め、激しく地団太を踏みながらキイキイと金切り声で泣き喚いている。 傍らには、もう一人小さい女の子を連れた若いお母さん。すでに疲労困憊の様子。 「今度、じいちゃんに買ってもらいな」となだめてみたり、 「お父さんに怒ってもらうよ。」と脅してみたり、 「早く家へ帰って、アイス食べようよ」と懐柔しようとしてみたり。 そのうち、ベビーカーで眠っていた女の子のほうまで愚図りだして、お母さんの声もだんだんヒステリックに歪んできた。
小さい子の子育てって、ホントに大変だよなぁと思う。 ほんの十数年前、自分も確かに通ってきた道だけれど・・・。 一日中、本能のままに撒き散らされる幼児らの感情や欲望を、なだめ、諭し、ねじ伏せ、誤魔化し・・・。ふつふつと噴き上がる悪魔のような幼いエネルギーと闘う毎日。 一日の終わりにはすっかり疲労困憊しているくせに、ようやく寝付いた子らの寝顔には昼間とうって変わった天使の面影を見て癒されていた。 若かったから、やっていけたんだろうなぁ。
よく考えてみれば我が家では、売り場の床に寝そべり地団太踏んでまで子どもに何かをねだられたり、泣かれたりして困った記憶はない。 あえて言うなら、複数の欲しいおもちゃをなかなか一つに絞れなくて、長い時間、玩具売り場をさ迷ったことがあったくらいか。 特に上の3人が幼かった頃は、誰か一人の駄々っ子にいちいち取り合っている余裕もなかったし、「絶対、絶対、これが欲しい!」と激しい自己主張を発露する子もいなかった。 よく言えば、聞き分けのいい子どもたちだったのだろうけれど、見ようによっては、小さいながらに親の顔色や他の兄弟たちの状況を見量って、幼い欲望をコントロールしてくれていたのかもしれない。 まことによくできた子どもたちであったことよ。
泣き喚く男の子と、次第にぐずり始める赤ん坊。 子らとの駆け引きにくたびれ果て、周囲の目にもいたたまれなくなってきた母親は、「お母さんはもう知らない。置いてくよ」と最後通牒を出してさっさと歩き出した。 男の子の声がさらにヒートアップする。 回りの目など気にもせず、母の脅しに屈することもなく、ただ自分の欲しいものを手に入れるまでは一歩も引かぬ決死の根性。 たいしたエネルギーだ。 子どもながら、天晴れ。
あの日、幼い妹の手を引いて、ベビーカーを押す私の後ろを一生懸命ついてきていたオニイがいまや高校3年生。 とうに親の身長を超え、気難しくて無口な、心優しい青年に育った。 来春の卒業を前に、自らの進路についてあれこれ思い惑う今日この頃。 将来の仕事や自分の適性、引き継いでいかなければならない家業のことなど、若いオニイが背負っているものは重い。加えて、進学に要する経済的な負担。下にまだ、3人の弟妹たちが控えていることを考えると、その膨大な教育費の負担はあまりに重い。 オニイはこの夏、美術系の大学や工芸の専門学校などへの進学を目標に、美術部の活動と画塾の講習であけ暮れた。憧れの美術系大学と実技重視の専門学校と、その選択肢に親も子も悩みあぐねる毎日だ。
いっそオニイにあの子どものように、なりふりかまわず「ここへ行きたい!」と地団太踏んででも自分の希望を貫く奔放なエネルギーがあればよいものを・・・。 親の顔色を伺い、家族の経済状態を推し量り、弟妹たちの将来を慮りながら自らの行く末を見極めようと悪戦苦闘しているオニイの苦悩に、親として差し伸べてやれる援助の手はあまりに拙い。 与えてやれるものならあれもこれも盆に載せて、「さぁどうぞ。」と差し出してやりたくなる親心を愚かとは思いつつ、押し殺すこともできない。
結局、男の子は苦し紛れに母親が差し出したアイスだか飲料だかに誤魔化され、お菓子の箱を手放した。 あっけなく泣き止んで、ベビーカーとともにレジの列に消えていった。 結局当の本人も、激しく泣き喚き要求を通そうとすることにくたびれはて、すぐ手に入る手近のアイスで折り合いをつけたということだろう。 そういう選択も、子どもはいつか学んでいく。 せめてあの頃、数百円で買えるおまけ付きのお菓子くらいなら、思うまま買い与えてやる事だってできたのにと、わが子育て時代を振り返る。 苦い想いの今日の一こま。
じりじりと暑い昼下がりの茶の間。 だらだらと寝そべって、網戸から抜けていく僅かな風を求める。 見るとはなしに見下ろした畳のへりに、芥子粒のような小さなアリが三々五々、まばらな行列を作っている。 酷暑と言われる気候のせいか、今年の我が家はことさらにアリの侵入がひどい。例年ならシーズン初めに何度か駆除剤を置くだけで、小さな侵入者達の侵攻をそこそことどめることも出来たのだが、今年はそれも無為に終わったらしく、部屋のそこここに芥子粒の行列を見つける。殺虫剤を撒いてみたり、掃除機で吸い込んでみたり、果ては指先でプチンプチンと潰してみたり・・・。 山と緑に囲まれた我が家。ムカデに蜘蛛、アリもマムシも言わばこの地では先住民。「しゃあないなぁ」と、数に任せた敵さんの猛威にほとほとあきらめモードになりつつある。
「わ、アリがすごいもの運んでる!!」 隣で寝そべって文庫本を読んでいたアユコが、急に大きな声を上げた。 2,3匹のアリが、爪切りバサミからパチンと飛んだらしい誰かの爪を運んでいるのだと言う。 白く乾いた三日月を神輿のように掲げて、芥子粒の兵隊達がカーペットの毛足の難路を行きつ戻りつしながら進んでいく。 「いつもなら、アリを見つけたら、すぐに殺虫剤撒いちゃうんだけど、なんかこんな風に一生懸命食べ物を運んでるアリだと、殺せないんだよね。」 と弱った顔でアユコが言う。 自分達の身の何倍もある大きな獲物を、よろよろよろめきながら引きずっていく小さな芥子粒。確かに怯まず殺虫剤を吹きかけるには躊躇う健気さだ。
「餌を運んでる途中のアリはちょっと殺せない。」 確かこのあいだ、ゲンも同じような言葉でこぼしていた。 一心不乱に働く者への共感と畏敬が、この子らの中にもきちんと育ちつつあると言うことだろうか。
・ ・ ・
数ヶ月前から、長く伸びた髪をかんざしで結い上げることを覚えた。 まとめた髪をぐりぐりとねじって持ち上げ、根本に太目の金属のかんざしをさしこみ、ぐるりとひねって結い上げる。ゴムもピンも使わないのに、多目の髪がかっちり小さくまとまり、一日の途中で結いなおす必要もほとんどないので重宝している。
「さあ、仕事、行ってこ」 朝の片付け物を終え、バタバタと着替えて髪を梳く。 愛用のかんざしを口にくわえて、後ろ手に髪をねじ上げる。 横で見ていたゲンがククッと笑う。 「ナントカ仕事人みたいやなぁ」
そういえば昔、美形の殺し屋がかんざしを口に咥え凄みを利かせて見得を切る、そんな時代劇があったような無かったような。 あいにく、汗だくのTシャツ姿でうだうだと髪を結うおばさんには、艶めく色気も鬼気迫る緊迫感も望むべくもないけれど。 今日の私の工房仕事は素焼きの掃除、釉薬掛け、釉薬ポット洗い・・・。 窯と乾燥機の吐き出す熱風のこもる蒸し暑い仕事場で、今日も地味でちまちました仕事が山ほど私を待っている。 ねじった髪を痛いほどきつくギリギリと締め上げて、ぐさりとかんざしを挿して出来上がり。 修羅場に踏み込む殺し屋の決意で家を出る。 展示会を間近に控えた父さんも、もう何時間も寝る間も惜しんでの仕事詰め。 まさに必殺仕事人の形相だ。 食事と短い仮眠のためにだけ束の間帰宅する父の疲れた表情にも、働きアリの勤勉と誠実を、子ども達は感じ取ってくれているだろうか。
朝、アプコとともに坂道を下る。 今日も駆け足。 朝の支度が遅くなって、とうとうアプコの髪を結ってやる時間がなくなってしまった。寝癖のついたおかっぱヘアを通学帽にぎゅうと詰め込んでニッとアプコが笑う。 「ゴム、持ってるから、学校で自分でくくるね。」 それができるんなら、いつももうちょっと早めに起きて自分でやんなさい。 ピンコピンコと向きたい放題にはねたアプコの髪に、きらきら朝の光が絡む。 今日も暑くなりそうだ。
「好きな男の子?いるよ。クラスの子。名前はおしえてあげな〜い。」 何日か前、そっと耳打ちしてくれたアプコ。 4年生になって、幼い丸顔がちょっと面長になり少女らしいはにかんだ表情が時折見られるようになった。 まだまだちっちゃい子と思っていたら、いつの間にかこんなおませなことを言うようになったんだなぁとほほえましく聞いていたのだけれど・・・。
「あのね、席替えがあってね。」 早足でぴょんぴょん跳ねるように歩きながら、アプコが話し始めた。 「好きな男の子がいるって言ってたでしょ?あの子が私のお隣の席になったの」 「ほほう、それはラッキーだったね。」 「でもね、それがね。」 とアプコの表情が曇る。 「その子ね、前からとっても物知りなんだけどね。 授業のときとか、何かっていうと、『こんなことも知らんの?』とか、『あほやな、常識やん。』とかって、知ったかぶりするねん。 なんか、いやんなっちゃった。」 今まで「好き!」と思っていたのに、隣の席になったら途端に嫌気が差してしまったんだという。 「まあね、男って言うのは女の子の前ではええかっこしたがる動物だからね。」と、こみ上げて来る笑いを噛み潰してアプコの話を聞く。
「離れた席の時には『かっこいいなぁ』と思ってたのに、なんで隣の席になったら急に嫌いになっちゃったんだろ。」 とまじめな顔でいうので、 「テレビの中のイケメンの素敵な男の人だって、もしかしたら身近にいて毎日一緒に暮らしてみたら実はイヤーな奴だったりすることもあるのかもね。 ま、いい男を選ぶ目をしっかり養いなさいってことだね」 と茶化してみる。 「そっか、そだよね。」 と大真面目に頷いているのが可笑しい。
Nさんのトウモロコシ畑のそばまできたら母の送迎サービスはおしまい。 登校班の集合場所までさらに下っていくアプコを見送る。 「ま、いい勉強になったと思って、新しい恋を探しなよ」と駆けて行くアプコの背中に声をかけたら、アプコがくるりと振り返って笑う。 「もう、他にかっこいい子、見つけた!」
・・・この変わり身の早さがアプコのアプコたる所以。 だからぁ、 男は見た目で選んじゃダメなんだってば!
雨の朝。 寝坊助のオニイを起こす。 階段の下から何度も何度もオニイの名を呼ぶけれど、ああとかううんとか、歯切れの悪い声が戻ってくるばかり。 挙句の果てには、「わ、参った!」と慌しく駆け下りてきて、用意した朝食に見向きもせずに、靴を履く。
「携帯持った?財布は?昼ごはん代持ってる?」 母のお決まりの世話焼きをうるさそうに振り払って、 それでも朝ごはん代わりに手渡す板チョコだけはしっかりズボンの後ろポケットに突っ込んで、自転車を駆って出かけていく。 こりゃきっと、遅刻だな。 今日はオニイの引退試合。
小学校1年生から始めて11年と少しのオニイの剣道歴。 運動が得意なわけでもない。 体格的にも体力的にも、決して恵まれたものを持ち合わせたわけでもない。 格別大きな勝ち星をあげるでもなく、ただこつこつと地味な稽古に励んできた11年。 「男の子にはぜひとも剣道をやらせたい」 そんな勝手な母の願望から始まったオニイの剣道修行。 よくぞここまで続いたなぁ、よく頑張ってくれたよなぁと思う。
高3になって、オニイは剣道部のほかに新たに美術部に入部した。 剣道部の練習を減らして、その分美術部で油絵を描いてきているらしい。 来たるべき進路対策にそろそろ美術の勉強が必要になったのに加え、剣道部の部長の役責や、監督や後輩たちとのしがらみに散々悩んだ結果の路線変更なのだろう。 帰宅したオニイの制服のシャツは、男臭い稽古の汗ではなく、油絵具のカラフルな染みをたくさんつけて帰ってくるようになった。 さらさらの若い汗の汚れとは違って、こちらはもうしっかり生地に染み付いてしまって、洗っても洗っても薄まる気配すらない。
先日、懇談で訪れた学校でオニイが油絵を描いている姿をたまたま見かけた。たたみ半畳もある大きなキャンパスの前に立ち、首を斜めにかしげて絵筆を握るオニイの姿は、はじめて見る新鮮なものだった。秋の発表会に向けての制作だと言う。 とりどりの絵具をちりばめたオニイの作品が、技術的にどうなのか評するだけの眼は私にはない。けれども「ま、たのしくやってる」と語る控えめなオニイの言葉からは、絵を描くことを十分に楽しんでいる空気が感じられる。 本当ならオニイには、汗にまみれて竹刀を構えるよりも、絵具の匂いやカラフルな色彩の中にいるほうが彼本来の居心地のいい場所だったのかもしれないなぁとふっと思ったりする。 そこには、幼いオニイに初めて麻の葉模様の剣道着を着せた母として、ピリッと刺さる痛みが残る。
「遅くなって御免」 夜、試合から帰ったオニイはさばさばとした様子だった。 後輩たちが唯一の3年生であるオニイの引退をねぎらって会食の場を設けてくれたのだという。 「で、試合のほうは?」と訊くと、 「二回戦で負けた。」 1勝1敗。 まぁ、オニイらしい結果なんだろう。 最後の試合でとりあえず一つ勝ち星を上げることができてよかった。 よく頑張ってくれた。 母は嬉しい。
知らぬ間に近所の桜はすっかり散ってしまい、葉桜の季節になっていた。 4年生に進級して、少し下校時間が遅くなったアプコを迎えに、坂道を歩いて下る。
アユコの中学卒業、入試、高校入学。 子どもたちの進級。 相次ぐ父さんの地方個展。 その留守中に、義父の転倒、入院。 慌しく怒涛のごとく過ぎていく春。 工房仕事の合間に見上げる空は日に日に明るく、高くなっていく。
遠くから私の姿を見つけて、カタカタとランドセルを鳴らしながら駆けてくるアプコ。 短いスカートからにゅっと出た足はすんなりと伸びて、若い小鹿のように跳ねてくる。ぺたぺたと音のする幼児の足取りをすっかり卒業して、タッタッと軽い足音が近づいてくる。 いつまでもちびっ子と思っていたのに、知らぬ間に少女に成長していく末っ子姫。。 慌しく見逃してしまった桜のように、いつの間にか失われていくアプコの幼さを惜しむ。
「おじいちゃんが入院したら、おばあちゃんは一人でさびしいよね。」 しょっちゅうおじいちゃんおばあちゃんに甘えて育ったアプコは、ひいばあちゃん亡き後なんとなくさびしくなった祖父母宅の老いを気遣う。 いつのまにか、その口ぶりは世話好きなアユコの物言いに似てきた。 いつまでも祖父母に甘える甘えん坊姫の仮面の下に、老いを労わる優しい心根が育ちつつあるのだろう。 有難いことだなぁと改めて思う。
アユコ、受験生。 万一に備えて受験した私立高校は合格した。 そして今日、第一志望である公立後期の出願初日。 友達の多くは受験する学校ごとに集まって願書提出に出かけていったが、アユコは一緒には行かなかった。 最後まで志望校を絞りきれなかったアユコは、他の受験生達の出願状況を見てから最終的な受験校を決め、締めきりぎりぎりに願書を提出するのだという。
危なげなく入れそうなA高校と、アユコの実力ではかなり背伸びの必要なB高校。 「電車の定期券を持って通える、街の学校がいいの」と、B高校を目標に頑張ってきたアユコだが、最終決定の時期になって倍率の高いB高校受験には不安が残る。担任の先生との懇談ではこれまで視野に入れていなかった別のC高校D高校も考えてみてはどうかといわれた。 出願まであと数日という時期になって、どうにも最後の決断が下せない。 悶々と考えあぐねる日々が続く。 仲のいい友達や先生、オニイや父さん母さん、いろんな人に「どうしたらいいと思う?」と聞いてみても、結局のところ決断するのはアユコ自身。 誰もその選択の末にやってくる結果を変わりに引き受けてくれるわけではない。 「自分の道を自分で選ぶ」 そんな難しい、人生最初の岐路にアユコは今立たされているのだなあと思う。
「そんなに苦しい思いをするのなら、比較的安全圏といわれているA高校でいいじゃないの。通学も近いし、落ち着いたいい学校だし。」 ついついわが子にとって危険の少ない安全な道を勧めてしまいそうになる愚かな母。 「うん、そうなんだけど。A高校もいやじゃないんだけど。」 と、涙をいっぱい浮かべてアユコは首を振る。 いつも一所懸命で生真面目なアユコ。 当初の目標のをあきらめて、楽に越せそうなハードルを余裕でまたぎ越す選択をする自分自身をどうしても許せないらしい。
頑固なヤツだなぁと呆れつつ、ン十年前、同じように高すぎるハードルに果敢に挑戦して撃沈し一年の浪人生生活を余儀なくされたどこかの頑固娘のことに想いが至る。 あの時父母は、撃沈確実の無謀な受験に臨む娘をどんな想いで送り出したのだろう。 若い頑固娘の頭の中は自分のことだけでいっぱいで、父や母のことを考える余裕はなかった。 「自分の道は自分で選ぶしかない」という現実に直面して、初めて自分の足で歩むことの怖さにただただ震える思いだった。 その背中に、黙ってわがままを通させてくれた父や母の暖かい見守りがあったことに気づいたのは、ずっとずっと大人になってからのことだったように思う。
先日、ふらりと出かけたデパ地下の出店で、懐かしいあんパンを見かけた。 大学近くの小さなパン屋でよく買っていた小ぶりのあんパン。懐かしい想いで、思わず買って帰った。 予想通り撃沈した1年目の受験発表の折、私はそのパン屋の側の公衆電話から「やっぱりだめだったよ。」と、母に不合格を知らせた。 パン屋の店先からは、トレーに山積みされた焼きたてのあんパンの香りが香ばしく流れてきた。 「きっと来年こそは、晴れてこの学校に合格してあのあんパンを買ってやる」と、溢れる涙をゴシゴシとぬぐったことを覚えている。 買って帰ったあんパンを前に、そんな思い出をアユコに語った。
受験生を前に、不合格の思い出のパンとは縁起でもない。 けれどもそれは、 「自分の道は自分で選ぶしかない」 「選んだ末に訪れる結果は自分で引き受けるしかない」ということを私が学んだ日のほろ苦い思い出の味だ。 素朴なあんぱんのほのかな甘みは、苦渋の選択の期限が迫るアプコに何を教えてくれるのだろう。 「がんばれ、頑張れ」とただただ祈る気持ちでアユコの選択を見守る。 まだもうしばらく、悶々と悩みうろたえる日々が続きそうだ。
深夜、突然に目覚めた。 嫌な夢を見たような気もするけど、思い出せない。 息詰まるような不安な思いに駆られて、眠れなくなった。
傍らには、早朝の窯詰めに備えて仮眠をとる父さんの規則正しい寝息。 明日は和歌山の展示会の搬入。 工房では、ぎりぎり滑り込みで持ち込む作品をまだ焼いている。 窯は夜昼問わず、フル回転。 その合間を縫って、父さんは家で短時間の仮眠を取る。 分刻みのタイマーを仕掛けて、目覚めればすぐに工房へ戻っていく。 その繰り返し。
何が苦しいというわけでもない。 それなのに時々熱病のように湧いてくる漠然とした不安。 黒く圧し掛かる想いを一人では抱えかねて、眠っている父さんの側に添う。 静かな寝息を聴きながら、胸の上に置かれた父さんの手にそっと触れてみた。 眠っているはずの父さんの手がゆっくりと動いて、遠慮がちに触れた私の手を暖かく包んだ。 「しまった、起こしてしまったか」とも思ったけれど、規則正しい寝息のリズムはそのままで目覚めたような気配はない。
疲れ果てて熟睡しているときでさえ、私はこの人に守られているのだな。 眠っている父さんの暖かな手を通して、私の中に静かな力が満ちてくる。 怯むことはない。 この人がそばに居る限り、多分明日も大丈夫。 満たされた思いで父さんの寝息の数を数えながら、いつの間にか私も眠りに落ちた。
それだけのお話。
次の展示会に向けて急ピッチの仕事が続く。 作業台、乾燥室、窯場と慌しく行き来しながら最後の追い込み仕事に励む父さんの傍らで、数物のお皿の釉薬掛けを続ける。
私が仕事をするのは、相変わらずひいばあちゃんの作業場。ひいばあちゃんが使っていらした道具類や前掛けもまだそのまんま。うっすらと埃をかぶって作業台の一部のように溶け込んで鎮座している。 ほんの数年前までひいばあちゃんは、ここでキイキイと鳴る古い作業椅子に座り、来る日も来る日も土をひねり、黙々と釉薬掛けをしておられた。 その同じ椅子に腰掛け、見習い職人はたどたどしく刷毛を動かす。 刷毛にたっぷりと白い釉薬を含ませ、栗茶のかかった素焼きの生地を撫でる。見る間に染み透っていく釉薬を乾ききらぬうちに手早く円を描く。
この場所はもう、ひいばあちゃんの作業場ではなくなってしまったのだなぁと改めて思う。 生前は、ふいに思い出したように作業場へ降りてきて土をひねっていかれるひいばあちゃんを迎えるために、何となく借り物の落ち着かない気分で腰掛けていた作業椅子。 ひいばあちゃんがおられなくなった今、もうこの場所は紛れもなく私の仕事場。これから先何年も、この場所で私は釉薬をあわせ、父さんの背中を見ながら釉掛けの仕事をしていくのだろう。
「仕事は楽しい。 夜、寝るときに『明日はどんなものを作ろうか』『明日は何の仕事をしようか』と考えるのが、何より楽しい。」 97歳の春、ひいばあちゃんは入院中のベッドの上でこんなことを話してくれた。生涯職人としての気概を失わなかった偉大な先人であるひいばあちゃんを想う。 私には、この人の席に座る資格が本当にあるのだろうか。 私に与えられたこの椅子は、まだ今一つ、落ち着かない。
バレンタインデーが近い。 数日前からアプコが 「ねぇ、おかあさん、今年はチョコレート、作りたいんだけど」 とうるさい。 いつもは近くのスーパーやお菓子屋で可愛い包装済みのチョコを買って来て父さんやオニイたちに配る程度が定例なのだけれど。 今年は、お葬式やら父さんの個展やら何かと忙しかったし、いつも指揮を執ってくれるアユコも受験生ということでバレンタインは自粛するらしい。 何となく気乗りがしなくて、ズルズルとおざなりに聞き流していたのだけれど。
「あのね、チョコ、作って、あげよっかなって思ってる子がいるの」 え?え? 何ですと? 「クラスの女の子達、結構みんな男の子にチョコあげるみたい。Tちゃんなんか2,3人で集まって男の子の家まで直接持っていくんだってよ。」 はぁ。 近頃の3年生はおませですな。 で、アプコは誰にあげたいの? 「んー。名前は言わない。その子、あたしのこと好きやねんて。まわりの人がみんなそういうねん。」 ふむふむ、噂のカップルというわけですな。 それで?アプコもその子のこと好きなん? 「いっつもよくしゃべってるし、おもしろい子やねん。」 それって、ラブラブ? 「う〜ん、違う。友だち。」
「ねえねえ、ラブラブと友だちはどこが違うの?」 だんだん楽しくなってきた母が、アプコに食い下がる。 「いっつも一緒に居るのがラブラブ。時々お話しするのが友だち。」 「あら、そう。じゃ、遠く離れて住む遠距離恋愛はラブラブじゃないの?」 「あ、そっか。」 考え込むアプコ。 「わかった!おしゃべりしてて、ドキドキするのがラブラブ。普通に喋って楽しいのが友だち!」 「ほう、ずいぶん考えたね。ドキドキか。いいねぇ。」 と、感心していたら 「あ、でもね、ラブラブでも、結婚したら普通に喋ってもドキドキしなくなるんだよ。」 と慌てて付け足すアプコ。 「あらそう?そうなの? おかあさんは結婚してるけど、まだ時々お父さんにドキドキするんだけどな。」 といったら、アプコ、キャッキャと笑って止まらなくなった。
「ラブラブ」だとか「ドキドキ」だとか、そういう言葉を口にするだけで嬉しくなっちゃうお年頃。 バレンタインのチョコレートも、3年生の女の子達にとっては楽しい遊びの延長なのだろう。 ラブラブと友だちの境界も、彼女らなりのものさしでちゃんと振り分けているらしいところがなんとも可愛い。
「ねぇ、アプコ。 今年はやっぱり手作りチョコはやめておこうよ。 アプコが初めて作る手作りチョコは、やっぱり初めてラブラブのドキドキになった男の子にあげたいじゃん。 そう思わん?」
うふふ、手作りチョコ回避の決定打。 首尾よく成功。
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