月の輪通信 日々の想い
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数日前、義母、入院。 骨粗しょう症による骨折。 工房仕事も立て込んでいて、父さんも義兄も不眠不休の毎日。 老人宅の家事や介護に、義母の入院先への面会の仕事も増え、毎日ギリギリいっぱいの日々。
朝、オニイやゲンはそれぞれ剣道の稽古。 車でゲンを道場まで送って、とんぼ返りでデイサービスに出るひいばあちゃんの身支度の手伝い。 たまたま地域の公園清掃の時間が重なっていて、そちらのほうはアユコとアプコが母に代わって出動してくれた。 頼りになる娘たち。
公園清掃のときにアユコが大人たちの話を小耳に挟んで帰ってきた。 数日前、同じ校区の古い神社で火災があったようだ。そういえば珍しく遠くでサイレンがなり続けていた夜があった。
この神社は校区のはずれの山の中にある古い神社で、ゲンが獅子舞を務める若宮神社もこの神社の宮司さんの管轄内。宮司さんちの長男はアユコと同級生だ。 宮司の奥さんは、子どもたちの小中学校への登下校を毎日車で送り迎えしておられる。「山奥住まい」同士のよしみで、しょっちゅう「私たち主婦は、誰かの送り迎えばかりで人生の時間を費やしていくのね」と愚痴を言い合って笑う仲。 舅姑を抱え、跡継ぎとなる息子たちを育て、伝統を継承する夫の仕事を支えて、町から離れた不便な生活環境を笑って楽しむ。そんな自分とよく境遇に、お互いなんとなく親密な気持ちをもってお付き合いしてきた。
火事は社務所を全焼したが、住まいやご神体などはなんとか無事だったとか。うちの子どもたちがお宮参りした本殿は、焼け残ったのだろうか。 うわさでは、いつも焚いていたお灯明のろうそくの火が原因らしいという。古くから代々お守りしてきた伝統ある社殿を、自分たちの不注意で焼失させてしまった宮司さんたち御家族やご高齢のお母様の心中の痛みはどれほどのものだろう。
そういえば我が家だって、工房の2階は3人の老人たちの生活の場として大方「養老院」状態だけれど、もしも何かの不注意で火災でも起こったとしたら、命の心配はもとより、住まいや仕事場とともに、窯元としての歴史や信用も一瞬に失ってしまうことになる。 昔から「陶器屋は、火事を出したら終わり」といわれるそうだ。多分花火職人や鍛冶屋など、火を扱う仕事場はどこでもそんなふうに言われてきているのだろう。 他人事ではない。気を引き締めてあたらなければと思う。
アユコと同級生の長男君は、小学校の卒業文集で「将来宮司の勉強をして、父の後を継ぐ」と立派に宣言したしっかり者。これから、お父さんと一緒に社殿の復興という大きな重責を担っていくのだろうか。 「おかあさん、大丈夫やろうか」と同級生を気遣うアユコに、応えてやるすべがない。 一日も早い御復興をお祈りする。
朝、子どもたちをあわただしく送り出して、洗濯機をまわして、朝食を片付けて、ほっと一息ついたところで義父からの電話。 「ひいばあちゃんがデイサービスに出るので、着替えを手伝いに来てほしい。」 義母は相変わらず激しい痛みで起きられず、義兄もまだ出勤してきていない。ひいばあちゃんの着替えや髪結い、朝食の支度は毎朝の私の仕事となりつつある。 昼間は義兄も出勤してきて、老人宅の家事を手伝ってくれるがあくまでも忙しくお仕事に立ち回ってもらわなければならない人。 家事や介護の多くは私が駆けずり回ることになる。
2件分の家事の合間を縫って、中学校へ。 アユコたちの中学は学校公開期間。 ゲンの学活とアユコの国語の参観をしてきた。 アユコの国語は楽しいK先生の万葉集の授業。 なかなか上手な先生で、表情豊かに芝居っけたっぷりにしゃべられるので、子どもたちに混じってノートをとりながら、楽しく授業を受けてきた。 それにしても、どのクラスも落ち着いて静かに授業が進められている感じ。去年の今頃は学校全体が荒れてて、ざわざわうるさかったり始業時間になっても教室に入らない子がいたりして、とても心配したものだったけど。
いま、来月の合唱コンクールに向けてどのクラスも練習中。 学活の時間にはどのクラスも合唱の練習をしていた。校舎のあちこちから、子どもたちの熱心な歌声が聞こえてきて、ほのぼのといいなぁと思う。 帰りに運動場を見たら、一クラスだけ外で練習しているクラスがあった。 担任の先生らしい人がグラウンド端に立って、もう一方の端っこで生徒たちが横2列に並んで歌っている。先生が子どもたちの歌声を聞いて、頭の上で大きな丸を描いたり、手を振ってバツを描いたりして、合図を送っている。 きっと、遠くまで聞こえる大きな声を出すための特訓なのだろう。
暖かい日差しの中、遠くで宙に大きな丸を描く若い先生のジャージの白がまぶしくて、ウルウルと涙がこぼれそうになった。 このところ、ちょっとお疲れモードのせいだろう。 涙腺がもろくていけない。
夕方、おばあちゃんちへいってたアプコが慌てて帰ってきて、 「おばあちゃんがたいへん。助けに来て」という。
義母のリウマチ。ここの所冷えたせいか、再発しつつあるらしい。 居間で横になっていたが、痛くて起き上がれなくなったらしい。 義父が手を貸そうとしたが、痛い痛いと大きな声で言うばかりで埒が明かないので、アプコを使ってSOSを出したようだ。
慌てて飛んでいって義父と二人で起こそうとしたが、うまくいかない。 あれこれやってみたが、義父にちょっと退いててもらって、義母に私の肩に手をかけて抱きつくようにしてもらって、一人で体を持ち上げるようにしたら意外にあっけなく簡単に起こすことができた。 TVやなんかで見たことのある介護術を思い出して、真似してみたんだけど、さすがに理にかなっているらしい。 介助するほうにとっても少ない力で腰を痛めることなく、介助されるほうにとっても楽な方法がきっとあるのだろう。 おそらくは、たくさんの人たちのたくさんの経験の中から確立されたのであろう介護の技術。こんなことなら、こういう介護の理論をどこかでちゃんと習っておけばよかったと、いまさらながら思う。
いよいよ、我が家も家族で3人の年寄りを支える介護生活に突入の気配。 じわじわと覚悟を決めつつ、ため息をつく。
アプコと習字に行った帰り、近所のスーパーに立ち寄る。 アプコ、駄菓子屋で来週の遠足のおやつを買い込んで、ご機嫌。 鼻歌など歌いながら、車に乗り込む。 駐車場のゲートを抜けようとしたところで、助手席のアプコが「うわぁっ!」と大きな声を上げた。びっくりして急ブレーキを踏んだら、アプコ、窓のそとを指差して、 「ほら、見てみて!すっごい夕日!まん丸だよ!でっかいねぇ!」 見ると、民家の屋根の向こうに、まさに今沈もうとしている見事な夕日。 「すごいねぇ、おかあさん。オレンジのシール、貼ったみたい。」 判った、判った。 夕日に感動したのはわかったけれど、頼むから運転中に、横から大きな声で叫ばないで頂戴。 近頃とってもハイテンションなアプコ。
「おかあさん、あのね。」 夕日の興奮から醒めたアプコが、ポツリポツリとしゃべり始めた。 「このごろね、ちょっと嫌なことがあるの。」 アプコのクラスには、自閉症傾向のある女の子Hちゃんがいる。 一年生の頃からHちゃんと同じクラスのアプコは、ほかのお友達と一緒に何かとHちゃんの手助けをしたり遊んだりしてきた。幸い、担任のベテラン先生の上手な導きのおかげで、アプコたちクラスメートはHちゃんのことを「障害のある子だからお世話する」のではなく、「時々お手伝いの要るお友達」として、特別な隔てなく仲良くすごしていたようだった。
「あのね、このごろ、Hちゃんと一緒に遊んだりしてるとね、ほかのお友達と遊べなかったり、置いてきぼりにされたりすることがあるの。 前はそんなことなかったんだけど・・・。」 Hちゃんの事が大好きなアプコは、困った顔で訴える。 3年生になって担任の先生も変わって、クラスの子達とHちゃんの関わり方も変わってきたのだろう。一年のときから同じクラスで、Hちゃんが比較的心を許してくれているアプコが、なんとなく「Hちゃん担当」ということで固定されてきているようだ。 そういえば、先日の運動会の時も、どの競技もアプコはHちゃんと一緒。ダンスもかけっこもアプコが要所要所でHちゃんの手を引いて導いていた。
アプコたちの担任は、新米のお姉さん先生。 こどもたちにもとても好かれていていつも一生懸命な先生だけれど、まだ障害のあるHちゃんを上手にクラスに溶け込ませる指導をする余裕まではないらしい。成り行きとして、いつもHちゃんのそばにいてニコニコ手伝いをしているアプコに「Hちゃん係」を任せておく形になってしまうのだろう。
「前はみんなHちゃんのこと、とりあいっこするくらい、仲良しだったのにね。どうしてかなぁ。」と首をかしげるアプコ。 「で、アプコはどうなの?Hちゃんと一緒に遊ぶの嫌だなぁと思ったりしてる?」 「ううん。でも、ほかのお友達とも、もっといっぱい遊びたい。」 「そだね、いろんな友達と遊びたいよね。」 難しいなぁ。 すぐにはアプコの悩みにうまく応えてやることができなくて、夕日のまぶしいフロントガラスにサンバイザーを下ろした。
学年に一人障害を持った子がいると、その子の「お世話係」の役割を負う子どもが必ず存在する。 いつの間にかその役割は一人の子どもに固定化されていて、クラス替えがあってもなぜだかいつもずっと同じクラス。 遠足の班分けも、運動会のダンスの並び順も、修学旅行の部屋割りも、当然のように同じ組。 そんなふうに、普通校での障害児の学校生活をサポートするシステムが昔から暗黙の了解のうちに存在しているらしい。 私自身、幼稚園から中学卒業までの10年間、知的障害のあるTちゃんと言う女の子とずっと同じクラスだったし、アユコも同じような経験を続けている。 多分アプコも、いつの間にかそういう役割を担うことになりつつあるのだろう。 そのことがなんとなく推測できるだけに、「なんで、Hちゃんといっしょだと、ほかのお友達と遊べないんだろう」というアプコの素朴な疑問に明確な答えを与えてやることができない。
「あのね、Hちゃんね、このごろ一人で紙芝居を作ってるん。 Hちゃん、お話はできないけど、絵はすっごい上手やからね。 だから、文章は私が読むねん。」 ちょっと私が考え込んでいるうちに、アプコの話題はあっという間に別の方向へ飛ぶ。 小さな悩み事はちょっと脇に置いといて、楽しい話題にくるくるめまぐるしく転換していく気散じがアプコのすごいところ。 いちいち考え考えアプコの話に付いていく母は、時々こんな風に置いてけぼりを喰らって、うろたえる。
「わぁ、おかあさん、みてみて! 今度はおつきさん。まん丸ででっかいねぇ。」 信号を曲がると、目前の山並の稜線に、薄い輪切りにしそこなった大根のような少し端の欠けた白い月。 「さっきの夕日とあわせたら、ほんまに『コラボレーションや〜』やねぇ。」 と、アプコは言い馴れないカタカナ言葉を何度も繰り返し叫んで笑う。 こらこら、運転中の車の助手席では騒ぐなというに・・・。 やっぱり、すぐにハイテンションに戻るアプコ。 その幼さがありがたい。
父さん、取材のため比叡山へ。 この間、外国からのお客様に渡すお土産用の花器の注文があって、その宿泊先である比叡山の風景を作品に入れてほしいとのこと。 何でも実際に自分の目で見て、取材してからでないと制作に取り掛かれない父さん。工房仕事の合間を縫って写真を撮りに出かけるという。 夏からずっと工房仕事に追われていて、あまり夫婦で遊びに行くこともなかったので、ドライブをかねてわたしも便乗。 助手席でナビを務める。
ナビゲーターといっても、私はからきし地図が読めないので、ロードマップの所定ページをしっかり開いて持ってて、信号待ちのたびに父さんに渡して、信号が変わると「変わったよ!」とアクセルを促す。 あとは、お茶のペットボトルの蓋を開けたり、料金所で小銭を探したり。 まったく半人前のナビゲーターだ。
途中父さんは何度も車を止め、山の遠景を写真にとったり、さらさらとデッサンしたり。 私は後ろにくっついて、荷物を持ったり、カメラ渡したり、水彩用の水を確保してきたり。 取材モードに入ると父さんはカメラ片手に遠くの山のほうしか見ないもんだから、「危ないよ、自転車来るよ」とか、「カメラのキャップ、ちゃんとポケットに入れといてね」とか、くだらないことに世話を焼く。 あとはぼーっと、スケッチする父さんの背中を見てるだけ。 取材旅行のお供はいつもこんな感じ。
比叡山の山頂のミュージアムガーデンでたくさんの花を見て、お土産にローズティーとチョコレートを買って、展望台の下にあるカフェでランチ。テラスの日差しが気持ちよかったので、父さんはそこでもしばらくスケッチ。 私は、自分では絵は描けないのだけれど、人が絵を描いてるのを横で見てるのは大好き。 父さんは小さなスケッチブックに筆ペンで遠い山並や樹木の輪郭を写し取り、携帯用の固形絵具でさっと色付けをする。 多分父さんには、もう、その風景をどんな風に作品に取り込むか、具体的なアイデアが出来上がっているのだろう。 私はこれから、このスケッチが作品に仕上がっていく過程をずっとそばで見ていくことができる。 これもまた楽しい。。
帰りに、いつも立ち寄る材料屋で定番の釉薬を何種類か買い足す。 山並の青や木々の緑を描くための青や黄色。これを何種類もあわせて調合するのは、帰ってからの私の仕事。
もう一件寄り道。 道路沿いの小さなお肉屋さんで揚げたてのコロッケお買い上げ。 このお店は、父さんが高校生の頃、放課後よく立ち寄ってコロッケを買って食べたという思い出の店。 父さんの懐かしの味をハフハフ食べながら、うちへ帰った。
穏やかな、楽しい一日。
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早朝、北海道へ修学旅行に行くオニイを送って駅へ。 昼間はまだ小さい子達は半袖で駆け回っているのに、ここ数日で急に朝は初冬の冷ややかさ。 学校では、「あちらは、当地より10度気温がひくい」と教えられたそうな。家族より一足先に冬物の衣類を引っ張り出し、できる限りの防寒対策を旅行かばんに詰め込んで、オニイは出かけていった。 「ほい、行ってくる。母さんありがと」 集合は伊丹空港。 いつも単独行動の多いオニイにしては珍しく、友達と待ち合わせて空港に向かうという。 充実した高校生活を楽しんでいるのだな。 行ってらっしゃい。 存分に楽しんで帰っておいで。
日曜だけど父さんの工房仕事には休みがない。 襲名の記念品の仕事もまだまだ残っているし、年末の干支の仕事も本格始動。窯は毎日のようにフル稼働しているし、釉薬に溶くCMC(ふのり)のビンも次々にカラになる。 いつもいつも何かに追われるように、タイマー片手に駆け回る。 これが我が家の年末体制。 それにしても今年は年末体制に突入するのが、おっそろしく早かった。 襲名披露の準備を始めた夏からずっとこの忙しさ。 気がつけば、乾燥室や窯の熱気がほのぼのと暖かく心地よく感じる工房の冬。 私も今日は、仕事着を袖の付いた冬用の割烹着に変えた。
夜。 真っ白な大根をさくさくと剥いて、こんにゃくとともに圧力鍋で煮た。 ふろふき大根にするつもりが、お子様向けに冷蔵庫にあった練り物をすこしいれたらたちまちおでんもどきになってしまった。 冷めないように土鍋で煮なおしてそのまま食卓へ。 あつあつとろとろの大根は、もうすでに冬の大根の味。 また冬がやってくる。
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父さん、九世襲名披露の日。
直前まで、不眠不休の仕事が続いていた。 250名余りのお客様にお持ち帰りいただく記念品の陶額。 直前まで電気窯フル回転で焼成したまだほの温かい作品を、当日の朝、薄様で包んで包装する。 「松月」の名にちなんで、半月の夜に静かにたたずむ3本の松。 コバルトの吹き付けで描いた夜明けの空が、心なしかばら色に明けつつあるように見えて、最後の一枚を包む手がしばし止まった。 間に合った。 今日の良き日。
襲名を祝ってくださる大勢の方に囲まれて、和やかに宴が始まった。 紋付羽織袴で、緊張した面持ちの父さん。 宴席の仕様や進行の手順は、ほぼ結婚式と同じ。 だから、あとから遅れて宴席に入場してくる父さんのことを、思わず「新郎入場」と言い違えそうになって、何度も笑う。 けれどもそれはまさに、結婚式の晴れがましさ。 私も久々に着慣れぬ和服を着せていただいて、2度目の結婚式さながらの嬉しさをともに味わう。
「ゆくゆくは、松月の名を襲名して・・・」と言われながら、義父や義兄の名前の下で仕事をする年月が長かった。 父さん自身、果たして自分が襲名することが、窯にとって、自分自身の仕事にとって、本当にプラスになるのかどうか悩むことも多かったようだ。 その逡巡は今こうして襲名披露を終えたあとにさえ、ずっとずっと続く。「九世」という名前の重さは、これから父さんが年齢を重ね、仕事を積み重ねていくうちにますます重みを増していくことだろう。 ただ、一つ確かなことは、重い名前を背負って歩く父さんの後ろには、それをまぶしく見上げながらついていく、私や子どもたちがいると言うこと。
宴席の座興に、映像の専門家に作っていただいたVTRを流した。窯の歴史や父さんの仕事中の姿、義父や義兄との歓談の様子などを十数分にまとめた短い映像。 薪窯を焚く父さんの傍らに、頭に手ぬぐいを巻き、軍手姿で見守る子どもたちの姿も入れていただいていた。 会場で初めて映像をみた子どもたち。思いがけないところで自分たちの姿が映し出されて、思わずくすくす照れ笑いが漏れた。 そのすぐあとに流れた、義兄や父さんの子供時代からの古い写真。 大学生の父さんが一心に制作に取り組む横顔を写したセピアカラーの映像は、ちょうど今のオニイにそっくりで息を呑んだ。 いつかはこの子どもたちが、父さんや義兄のように助け合って窯の火を守ってくれる日が来るのだろうか。 そのとき父さんは、そして私は、どんな生き方をしているのだろう。
最後のお客様を見送って、大急ぎで更衣室に走り、帯を解く。 身軽な服装に着替えて、後片付けに加わる。 お呈茶席に使った大量のお茶碗や銘々皿。 会場に展示し十数点の作品。 予備に持参していた記念品や衣装の風呂敷包み。 それに当日会場に届けられたあふれんばかりの花籠の数々。 それらの荷物を積み込み、家族がそれぞれに乗り込むと、3台の車はぎゅうぎゅう詰めの大混雑になった。 いろいろ忙しかったけれど、きっと数々の不手際や不調法はあったのだろうけれど、とにかく今日の一日が無事終わった。
宴席のあとで、会場のスタッフの方々がお客様のテーブルに飾ってあったたくさんの花をいくつもの小さな花束にしてとっておいて下さった。 コスモスやガーベラを集めた可愛らしい花束。 あまりにたくさんありすぎて家には飾りきれないから、すこしだけいただいて残りは処分していただこうかと相談していたら、アユコが「全部持って帰りたい!」という。 これまで準備の間も、宴席の間も、文句一つ言わず黙々と手伝ってくれていたアユコ。最後にたった一つの少女らしいおねだりだ。後ろからアプコも、欲しい欲しいというので、全部持ち帰ることにする。 「それなら、自分で運んでね」というと、二人は嬉しそうに花束を抱えて車まで運ぶ。 「途中、誰か人に見られたらちょっと恥ずかしいね。」ときゃあきゃあ言いながら、ホントは腕いっぱいの花束を抱えてロビーを歩く、その行為そのものが嬉しくてたまらないのだ。
埋もれそうなほどたくさんの花を抱えて、花のように笑う娘たち。 これもまた、父さんの襲名の日を祝う、取って置きの贈り物。 父さん、受け取ってくれましたか。
ご参列いただいた皆様、 どうもありがとうございました。
夜剣道。 早めの夕食をあわただしく詰め込み、ゲンを車で道場まで送る。 6時半からの子ども稽古、8時からの大人稽古。9時まで2時間半、ぶっとしの稽古に休まず通いつめるゲン。 残暑厳しい今の季節、稽古を終えると分厚い剣道着は汗を吸ってじっとりと重く、それでもまだゲンの短い髪から顎にかけて、玉の汗がじわりじわりじわりと流れ落ちたりする。 頑張っている、ゲン。
ゲンが車の中で話してくれたこと。
ゲンの友達のO君は4人兄弟。 もうすぐ5人目の弟か妹が生まれるらしい。 小さな賃貸マンションに住んでいて、「7人家族になったら、あの家じゃきついだろうなぁ。」とゲンが要らぬ心配をしている。
O君は忙しい両親に代わって、弟妹たちの面倒もよく見ていて、放課後は保育所に幼い妹をむかえにいって連れて帰って来るんだそうだ。簡単な料理もできて、両親がいないときは自分で晩ご飯を作って、弟妹たちに食べさせることもあるらしい。 中学に入って入部したラグビー部も、練習時間が長くて家の用事をするのに差し障るからと1学期で退部したのだそうだ。 「あいつ、偉いなぁ。家のことは何でもやって、弟妹たちの面倒も見て・・・。」
ゲンはその話のときに、小学校での友達のA君のことを話してくれた。 Aくんの家は大きなお屋敷で、Aくんの部屋は「うちのリビングと台所をくっつけたくらい」広い。大きなベッドを置いても部屋の中でプロレスができそうなんだそうだ。 比べて、O君ちは、6畳くらいの小さな部屋にOくんと弟の大きな2段ベッドと二つの机がおいてあって、遊びに行ったらベッドの上に座ってゲームをするしかないのだという。 「でもな、何でも持ってるAくんより、O君のほうが僕にはなんだか幸せそうに見える。」 とゲンは言う。
ゲン。 あんただって、よそんちの子と比べたらずいぶんいろんなことを手伝ってくれるし、アプコの面倒もよく見てくれてると思うんだけどな。 焼そばだって、ちゃんと作ってくれるし。 近頃では、部活で留守がちなオニイにかわって、工房の手伝いやちょっとした力仕事やってくれるようになった。 ありがたいと思ってるよとゲンに告げる。
それでもゲンは 「僕な、なんかOくんのこと、尊敬してんねん。」 とまっすぐな目で言う。 中1の少年が、いつもつるんで遊んでいる同級生の友達のことを「尊敬している」と表現できる。 そのこと自体、ゲンも偉いなぁと私は思う。
ゲンにはゲンなりの、堅実な価値観が育ってきているのだろう。 急に背が伸び、声変りが進み、日に日に大人びてくるゲンの成長が頼もしく嬉しく感じられる。
夕方、工房での仕事を終えてエプロンをはずす。 釉薬で汚れた手をざぶざぶと肘まで洗う。 今日仕上げた仕事は5板分。 ずらりと並べた作品を乾燥庫にしまう。 「ああ、おなかすいた。もう5時やね」と熱心に絵付けをしている父さんの背中に声をかける。
今日は一日、父さんもずっと座り詰めで作業をしていた。 襲名に向けての作品作りが山積みで、毎日追われるように土に向かう。 昼間は電話や来客など制作以外の雑用が結構多くて、今日のように丸一日土を触っていられる日があると、父さんはそれだけでほっとしたように延々と続く制作の仕事にのめりこむ。 今日も夜遅くまで仕事を続けるつもりだろう。
夕方5時には作業を終えて、先にうちへ帰れる「パート職人」のあたしは幸せだ。 一休みして、子どもらと一緒に虫養いのおやつを食べて・・・。ちょっと気楽な一休みが待っている。 「悪いねぇ、父さん、先に帰るよ。まだまだ、仕事する?」 絵付け仕事に熱中する父さんは、左手に作品、右手に絵筆を持ったまま、肘だけでバイバイと手を振って、返事をする。
「父さんの仕事はエンドレスだねぇ。エライエライ。私にはとてもとても勤まらない」 とからかうと、 「いやぁ、それほどでも・・・」と父さんは笑う。 「それよりも、毎日毎日何年も、『今日は何を作ろうか』って、晩御飯の献立を考えて料理する主婦の仕事のほうが、エンドレスだと思うけど。 僕にはとてもとても勤まらない。」 「あら、そう?じゃあ。ほめて、ほめて。」 「ああ、エライエライ」
ありがとう、父さん。 毎日毎日、寝ずに仕事をしてくたびれて、それでも主婦の当たり前のルーティンを「エライエライ」と褒めてくれる。 ゆるゆると嬉しい気持ちのままうちへ帰り、いつもよりも力を込めて夕飯の米を研ぐ。
10月に父さんの襲名披露の催しが決まった。 その段取りや引き出物としてお渡しする記念品の制作で、大忙しの日々。 父さんも私も、昼夜なく工房と自宅を行き来して、あれやこれやと走り回る。働いても働いても山積みの仕事と逃げ出したくなるような難儀を前に、唸りながら這いずるように一日が暮れる。 そんな毎日。
2学期になって、アプコの下校の迎えにいけない日が増えた。 工房での仕事が立て込んで、アプコの下校時刻にあわせて手が離せなかったり、送迎にかかる2〜30分の時間が惜しいこともある。 また、3年生なって下校の時間が日によって予定表より遅くなったり、お友達の家に寄り道して帰ってくることも増え、1,2年生の頃のような「毎日お迎え」はそろそろ難しくなり始めたせいもある。 「一人でもだいじょぶだいじょぶ!もう3年生だもん」 とアプコなりの自尊心も芽生えてきたらしい。 一人で鼻歌など歌いながら、ひょこたんひょこたんと楽しげに帰ってくる日が多くなった。
今日もアプコの下校時間、私は家で小物の仕上げ仕事をしていた。 玄関のあく音がして、アプコが帰ってきたらしい。 「お帰り」と声を掛けたが、玄関から答えはない。 あれれと思って立っていくと、アプコが玄関の扉を半分開けたまま、俯いて立っている。 「どしたの?こけちゃった?」 ううんと首を振るアプコの目が見る間にウルウルと濡れてくる。 「ありゃりゃ、お母さんが迎えにくると思ってた? なんか怒ってる? 一人で帰ってくるのが、さびしかったの?」 と立て続けに訊く私にアプコはいちいちブンブンと首を振る。そして靴を脱いでうちへ上がると、ランドセルも下ろさぬまま、ゴツンと私の胸に顔を埋めた。 このごろぐんと背も伸びて、アユねぇの口真似をして生意気な物言いもするようになったアプコ。こんなふうな突然の泣きべそは久しぶりだ。 いくら聞き返しても首を振るばかりで、泣きべその理由はちっともわからないので、ご機嫌直しに車で夕飯の買い物に出ることにした。
出がけにざぶざぶと冷たい水で顔を洗って、泣きべその痕跡を洗い流した。 助手席のちょっと恥ずかしそうにアプコが笑う。 「今日ね、帰りの荷物がとっても重くて、途中で手とか足とか、痛くなっちゃった。」 アプコがポツリポツリと話し始めた。 「それからね、お隣のIさんちの近くの草むらでね、ガサガサって、大きな音がしたの。」 「それがこわかったの?」 「こわくないけど、ちょっとね・・・」 「なんの音だと思った?犬?それともへび?」 「う〜ん、へびかなと思った。」 「ニシキヘビみたいなでっかいへび?」 「まさかぁ!でも、そのくらいおおきな音、したよ」 そうかそうか。 たった一人で歩いて帰る山道。 ガサガサとなる草むらの音が、こわい大蛇ののたくる音に思えて、アプコは怖かったんだな。 大人の目から見れば、アプコの行き帰りの送迎は不審者や不測の事故を心配してのことだけれど、幼いアプコにはもっとほかにもこわいものがいっぱいあるんだな。 しっかりしてきたようでもまだちっちゃい女の子なんだ。
「でもさ、アプコはへび、見てないんでしょ? もしかしたら、ねことかウサギだったかもしれないよ? 野鳩かもしれないし、たぬきかもしれないよねぇ。」 「あ、そっか。ねこだったら、もっとちゃんと見てくればよかった。」 アプコは初めて気がついたように、ほっとして笑う。 「うん、ねこだったらお母さんも一緒に見たかったな。」
「だったら、明日はお迎えね。」 そうそう。 明日は早めに仕事を切り上げて、久しぶりにお迎えに行こう。 二人で取り留めのないおしゃべりをしながら、だらだらと長い坂道を一緒に歩こう。 まだまだ幼いアプコと一緒に見たいものがある。 忙しさにかまけて、忘れてかけていたことがあった。 反省反省。
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