月の輪通信 日々の想い
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小学校の七夕集会参観。 毎年小学校ではこの時期に大きな七夕飾りを作って、全校で音楽会を開く。 各学年が合奏やら合唱やら朗読劇やら日ごろの学習の成果を発表する。
今年から音楽は専科のT先生の授業を受けるようになったアプコ。 とてもとても楽しい授業なのだという。 今年の出し物は習い始めたばかりのリコーダーの演奏と合唱曲2曲。 リコーダーはまだたった3つの音しか習っていないのに、きれいな伴奏のついた聴き応えのある曲に仕上げられていて、子どもたち自身も気持ちよく演奏しているのがよくわかる。 合唱も低学年らしいかわいらしい曲で、すばらしかった。 さすがT先生。 去年までは担任のM先生も音楽劇や合唱の指導が上手な先生で発表の出来もかなり優秀だったのだけれど、演奏している子どもたちの生き生きとした楽しそうな表情が今年はダントツに違う。いかにもうれしくてたまらないというようなはじけるような笑顔がとてもいいのだ。 これもT先生の楽しい指導の賜物か。
生協の荷受があったので、3年生の演奏だけ聴いて帰ってくるつもりがついついあと一学年、あと一曲と居座ってしまい、ついに6年生まで全部聴いて帰ってきた。 どれもT先生の音楽の授業の成果。 さすがにすばらしいなぁ。
最近妙なところで涙腺が弱くなってしまって、子どもたちが生き生きと楽しげに歌っている姿を見ていると知らぬ間にウルウルきてしまう。 歳のせいかな。 オニイやアユコ、ゲンなど、もうその世代を通過してしまった子どもたちの何年か前の姿を思い返したりして、感傷にふけったりしているのかな。 周りに知った顔がいないのをいいことに、コンタクトレンズのせいにしてハンカチを探す。 よいものを聴かせて頂いた。 そのあと生協の荷受はドタバタの大急ぎになってしまったけれど、一日の最初に心表れるひと時を持てて、一日中うれしい気持ちが続いた。
最近TVを見ていて不快なCM。
主婦がリビングで洗濯物をたたんでいる。 そこへふいとやってきた息子が、「これも洗っといて」と主婦の顔に脱ぎっぱなしの汚れたシャツをばさっと投げる。 思わずキーッとなった主婦に、寝そべってTVを見ていた夫が 「静かにしろよ」と、と言い捨てる。 「ちょっとしたことでイライラする・・・。これって更年期?」と主婦がつぶやく
やだな、このCM。 自分の子どもにこんな無礼なことをされたら、誰だって怒る。 「アンタ、何様のつもり。自分で洗いな!」って、汚れたシャツを投げ返す。 それって、主婦として、母として、そんなにダメダメなことなんだろうか。 夫も夫だ。 母親の顔に汚れ物を投げつけるような馬鹿息子を何故叱らない?
こんなCM、どんな人が作っているんだろう。 汚れた服は、ポイッと投げ捨てておけば誰かが洗ってたたんでおいてくれるのが当然と思って暮らしている人だろうか。 女性がちょっと不機嫌なそぶりを見せると、「なんだい、何怒ってんの?あ、アレかぁ」と、女性特有の体調のせいにして薄ら笑いを浮かべているような、お馬鹿な男だろうか。 どちらにしても、なんだかとっても気分悪い。 このCMが流れるたび、「おいおい、それは違うやろ。」と、心の中で激しいツッコミを入れる。
それでもちょっと嬉しかったのは、 はじめてこのCMを見たとき、一緒に見ていた父さんとオニイが、私より先に 「おいおい、それはちがうやろー」 と同時にツッコミをいれてくれたこと。 少なくとも我が家の男達は、わかってくれてるんだろうなと思う。 あいも変わらず、靴下は丸まったまま、 ジーンズは片方だけ裏返しに脱ぎ捨てたまま、 洗濯機に投げ込んでおく、手のかかるしょうがない男たちだけれど。
BBS
父さんが仕事のお付き合いのお茶会に出るという。 九世を襲名したら、今後はこういう気の張る社交の務めも増えてくるのだろう。休日の朝、一人で出かけるのを億劫そうにしている父さんに「そろそろアユコを連れて行ってみたら?」と提案したら、父さんもアユコも意外と乗り気のようだったので、アユコ、初のお茶会デビューが決定。 ちょっとだけお嬢さん風におしゃれしたアユコと久々にスーツの父さんを駅へと送る。 「仕事もあるから、昼までには帰ってくるよ」と手を振りながら、娘と二人出の外出がまんざらでもないらしく、妙にうれしそうな父さん。 初めてのお茶会になんとなく緊張してハイテンションなアユコ。 「父娘でお出かけ」がまぶしいお年頃になったのだなぁ。 アユコも。そして父さんも。
アユコは今のアプコよりもっと小さいころ、「子どもお作法教室」なるもので茶道にはじめて触れて、その後何年かのブランクを経て中学で茶道部に入った。 その間、地域の文化祭でのお茶席に参加させてもらったり、工房でのお茶会でお相伴したりという経験はあるものの、今度のようによそでの正式なお茶会に出席するのは初めて。 どきどきわくわくのデビュー戦だ。
学校でのお稽古に使う袱紗ばさみに新しい懐紙を足して、忘れていけないのは新しい白ソックス。お茶室へあげていただく前に、道中の汚れのついた足袋をそっと履き換える心遣いだ。 母が始めてのお茶席に向かう娘に伝えることができるのはせいぜいそこまで。後は父さんのすることをよく見て、上手にまねをして楽しんでいらっしゃい。 我が父親に導かれて、初めてのお茶会に臨むアユコの緊張をちょっとうらやましく思う。
幼い頃、アユコはお稽古の小さなお茶会でお席に入ると、途中から決まってポロポロと涙をこぼして泣いた。 無理やりお茶会に連れて行かれて泣くわけではない。本人が「行きたい!」と強く望んで参加したお茶席なのに、きゅっとこぶしを握り締め、こわばった顔で座っていたかと思うと、やがてうつむいてポロポロ涙をこぼす。どうやらアユコはひどく緊張すると涙腺が緩む性質らしかった。 出されたお菓子にも手をつけず、ただただ涙ぐむばかりで退席してきたこともある。外目にはさぞかし、嫌がってる子どもを無理矢理にお茶席に連れてきた無作法者に見えたことだろう。お招きくださった方にもずいぶん申し訳ないことをした。
今日、帰ってきたアユコに真っ先に訊いたのは、「どうだった?アユコ、泣かなかった?」 「もーっ、泣かへんよ。帰りに父さんにもおんなじこと言われた。」 と照れ臭そうなアユコ。 アユコ自身、幼い頃、お茶席に入るたびポロポロ泣いていた事ははっきりと覚えているという。 「悲しいわけじゃないのに、なんであんなに泣いたんだろう?」 今のアユコには、お茶席であふれる涙をぬぐっていた記憶はあるけど、その頃の恥ずかしさや緊張の気持ちはちっとも思い出せない。 それだけアユコがたくましく大きくなったということなのだろう。
今日のお茶会で、席入りした父さんとアユコの前に運ばれてきたお薄のお茶碗が、たまたま昔おじいちゃんが作ったお茶碗だったのだという。 「まぁ、不思議なご縁もあるものですねぇ」と、初めてお茶会に出た若い娘の門出の吉兆を皆さんで喜んでくださったのだという。 多分それは単なる偶然の産物ではなくて、お水屋のどなたかが父さんとアユコが席入りするのを見ていらして、見計らってうちのお茶碗を選んで運ばせてくださったのだろう。 そういう誰かの心遣いを、みなが気づかない振りをして「まぁ、不思議なご縁」と一緒に喜べるところが、茶道の心得の美しいところだなぁとも思う。 そんなことも、これからアユコは学んでいくだろうか。
BBS
2,3日前、義父母宅の洗濯をしようと洗濯機をあけたら、脱水を終えた洗濯物が洗濯槽の壁に張り付いていた。 義母に「何か買ってくるものある?」と訊いたら、「漬物用のぬかとだし昆布」と、答えが返ってきた。 今朝、義父母宅のごみを出しに行ったら、義母がなにやら煮炊きしたらしい野菜のくずが出ていた。 お義母さん、少しづつ体調が戻ってきたらしい。 長い間、主婦の仕事が体に染み付いてきた義母にとっては、家族の下着を洗い、ぬかみそを混ぜ、小さなお鍋でコトコトと野菜を煮ることが、ある程度体調が回復したからこそできる、普通の生活なのだなぁ。
先月、急に体のあちこちが痛み出し、入院していた義母。 今月半ばに退院してからも、しばらくは寝たり起きたりの不安定な体調が続いた。骨折入院から間がない義父は、ぼちぼちリハビリに通いながら回復しつつあるが、まだまだ自分の身の回りのことをするだけで精一杯のようだ。 義父母宅の家事は、義兄や私が代わりばんこにつとめた。
自宅の家事と工房の仕事、義父母宅のおさんどんに、ひいばあちゃんのお世話、通院の送り迎え。それに子どもたちの学校行事やPTAの仕事が加わる。毎日毎日、砂漠の砂を救い上げるような、忙しい雑用の数々。 身近に高齢者を3人も抱えて、いつかはこんな日がくると覚悟はしていたものの、正直なところ3人が同時にお世話が必要になるとは思っていなかっただけに、精神的にも相当しんどい日々だった。
義母の体調はまだまだ不安定。 何日かびっくりするほど好調な日々が続いたかと思うと、急にガタガタと不調が現れることもあるだろう。 高齢者の体調というのは案外、幼い子どもたちのそれのようにコロコロと急変しやすく、あれよあれよという間に悪くなったり、もうだめかと思ったらたちまち奇跡の回復を遂げたりすることもあるということを、ここ数年の義父母らとの生活の経験から学んだ。 小康を得た義母の復調も、もしかしたら雲の合間から差すうたかたの陽光なのかも知れない。 それでもなお、洗濯機の中やお台所のメモや生ゴミ籠の片隅に、まだまだ家族のために家事をこなそうとする義母の意欲を見つけるのはうれしい。 まだまだ、私一人で義父母宅の家事のすべてを引き継ぐのは無理。 だからこそ、今はまだ。
これもゲンが剣道へ向かう車の中で話してくれたこと。
一年生の生徒会役員の選挙が行われたらしい。 ゲンはクラスの別の役職をもらっているので立候補はしなかったが、小学校からの友人のA君が立候補しそうな雰囲気だったのだという。 ところが、クラスのなかで発言権の大きいB君が、何故だか「Aには票を入れるな」とあちこちにふれまわったせいで、A君は立候補を断念したらしい。 替わりに押し上げられたのは、どちらかというと大人しくて人前に立つのも苦手そうなC君。しどろもどろの候補者演説の末、C君が役員に当選したのだという。
「それって、イジメとかそういうんじゃないの?」 と、訊いてみたら、 「そうかも知れんけど、実質はどうなんか僕にはわからん。」 という。 A君が立候補を断念したのも、C君が立候補したのも、最終的には本人の意思。B君がどんな発言をしていようと、2人が自分の意志を通す余地はあったわけで、必ずしもB君の発言が立候補の成否を動かしたわけではない。 「で、そういうことがあったってこと、担任の先生は知ってるの?」 「いや、多分知らないと思うよ。でも、生徒会は『自治』だからね、先生に訴えたところでどうにもならないと思うよ」 ほう、大人の発言だねぇ。
中学校の生徒会選挙は、まだまだ人気投票とかお祭騒ぎとかの空気があって、チョコチョコとこういう裏工作やら策謀やらが見え隠れすることもあって、オニイもアユコも一度は苦汁を飲まされた経験がある。 「生徒会やってると、入試のときの内申点に有利らしい」という噂も子ども達の中には流れていて、3年生になって急に意外な子が立候補の手を挙げたりすることもあるようだ。 こういう幼い「選挙ごっこ」の中から、良くも悪くも子ども達は民主主義のシステムを学んでいくのだろう。
今回私が意外に感じたのは、子ども達の選挙にそういう裏工作が存在しているということではなくて、普段のほほんと一人で自分の好きなことだけに没頭しているように見えるゲンが、クラスの裏側で行われている策謀や力関係をそこそこ把握していて、彼なりの政治観を持って見守っているのだという事実。 中学生になって、ゲンはいきなりクラスの代議員の役職に手を挙げた。 学活の話し合いを取り仕切ったり、学年で行う行事の企画や運営を行ったり結構積極的に働いているらしい。 小学校ではそういう人前にたつ役とは無縁で過ごしたゲンだけにそのこと自体も私には唐突な感じを受けたのだけれど、彼は彼なりに自分の身の回りの状況を把握して、微妙な人間関係のなかにしっかりと自分の立ち位置や姿勢を確立していっているということなのだろう。 あいも変わらずメダカの水槽を眺めたりクワガタ取りのシーズン到来に胸躍らせたりする野生児ゲンが、意外な政治家として育ちつつあることがちょっと面白くもあり、頼もしくも感じた。
「ところでさ」 選挙の話題に飽きたゲンが稽古後のおにぎりを頬張りながら、母に言う。 「稽古のあとのおにぎりには、やっぱり梅干しがいいね。」 政治家ゲンの笑顔はまだまだ幼い。
夜剣道。 早めの夕食を取ったゲンを道場に車で送る。 暑くなってきたので、持参の水筒はペットボトル2本分。 それに帰りの栄養補給にラップで包んだ大きな梅干おにぎり。 中学生になって大人稽古にも出ることが許されるようになったゲン。 結局同じ道場から大人稽古に残るようになった中学生はゲン一人で、そうそうたる大人の剣士達に混じって、こてんぱんに揉まれて帰って来る。 「今年はいまんとこ、まだ皆勤やで。絶対休まへんねん。」 と、重い防具袋をひょいと担ぐ。ここ何ヶ月かでずいぶん体格も良くなった。 偉い高段者の先生達にもそこそこ可愛がってもらっているようだ。 ゲンはゲンなりに、オニイとはまた違った感覚で道場通いを楽しんでいるらしい。
道場に着いて、車を止めたところで、「そういえばな」とゲンが話し始めた。 何の脈絡もなく「そういえば」で新しい話題を始めるのはゲンの口癖。どうでもいい話のような振りをして、結構誰かに聞いてもらいたい大事な話をするときに使う言葉だ。 「最近な、やたらと『平等』って言いたがるヤツって、多いよな。」 どうやら今日の「聞いてもらいたい話」は愚痴らしい。 「そうかな。たとえばどんな時?」 と聞き返して、即座に「シマッタ!」と思う。 ちょうど車のエンジンを切って、ゲンがシートベルトをはずした所。込み入った愚痴話を聴くには微妙に時間が足りない。私が無意識のうちにせかすような口ぶりで聞き返したせいで、ゲンは「ま、いろいろな。」と適当に話を切り上げて、車を降りて行ってしまった。
学校で何かトラブルでもあったかな? それとも兄弟げんか? ゲンの稽古が終わるのを待つ間、買い物をしながら、車を走らせながら、何となくゲンの言う「平等」という言葉の意味が気になって、ふっと考え込んでしまう。。 ゲンはいったい、どんな「平等」のことを憤っているのだろう。
日常生活の中で、人が強く「平等」を主張するとき。 それは、自分自身が不利益を蒙らないように身構えるときや、他人より自分がちょっとでも得をしたい、「ええめ」をしたいと思っているときが多いような気がする。 「平等に」といいながら、その実、自分だけが損をすることがないように、自分と他人の立場を天秤に載せ抜け目なくその傾きに目を光らせて、あわよくば自分の取り分を少しでもかさ増ししようとする、そんな小狡さが見え隠れしていたりする。
このところ、私自身、「割に合わない」とか「不公平」とかそんな言葉がしょっちゅう頭の中で浮き沈みしてしまうことがたびたびあった。 だから、不意にゲンからポンと投げ渡された「平等って言いたがるヤツ」という言葉が、小さくて痛いトゲのようにいつまでも心を刺した。
「私ばっかり、しんどい思いをしてるみたい」 「あの人だって、ここまで負担してくれなくちゃ、不公平」 「平等」という言葉を盾にして、自分のもっている荷物をほかの誰かに振り分けようと愚痴る私は醜い。 私は私の、あの人はあの人の、できる範囲の最大限のことをする。 たとえ、それが等分の負担ではなくても、公平だと考えればいいじゃないか。
結局、ゲンの「平等と言いたがるヤツ」というのは、友達との些細な口げんかから出た愚痴話だったらしい。 自転車通学のゲンが徒歩通学の友達A君のかばんを荷台に載せた。 後からB君がやってきて、自分のかばんも載せてくれと言う。 ゲンが断ると、B君が「Aのかばんは載せてやるのに、自分のかばんを載せてくれないのは不公平じゃないか。そんなの、平等じゃない」と絡んできたのだという。 口げんかの苦手なゲンは、とっさに理屈で切り返すことができなくて、口惜しい想いをしたようだけれど、その分、自分自身の中で「平等」とか「不公平」とか言う言葉を何度も頭の中で転がしてあれこれ考えていたのだろう。 「おかあさん、『平等』って必ずしも正しいこととは限らないよな。 仲のいいA君のかばんを載せてやるのは、気にならないけど、嫌なヤツと思ってるBのかばんは載せたくない。それって、悪いこと?」 帰りの車の中で、ゲンは珍しく雄弁に語った。
ゲンの通う剣道の道場では、段位や年齢、剣道歴の長短によって席次が決まる。 教える側も教えられる側も暗黙の席次によって、挨拶の順序や座る場所、防具や荷物を置く場所も定まっている。 特別格に偉い先生のためには、一番上座に場所があけられていて、稽古が終わると若い門弟が駆け寄っていき、防具袋や竹刀袋の荷物を下駄箱のところまで運び、最敬礼で送り出す。 新米ペーペーのゲンの席次はいつも間違いなく一番末席。稽古後の挨拶に行くのも寸評をいただくのも一番最後。完全な縦社会だ。 そこでは「平等」という概念はないけれど、技量や年齢、経歴に基づく厳然たる格差を重んずる長幼の序が存在する。
「平等じゃないけど公平ってこともあるよね。 誰かにとっての10の重さが、他の誰かにとっては5の重さだったり、20の重さだったりってこともあるもんね。」 ゲンの話にあいづちを打ちながら、その実私自身に言って聞かせるように「平等」と「公平」の意味を思う。
朝、週一回のデイサービスに出かけるひいばあちゃんの髪を結う。 いつもの定位置で熱心にTVを見ているひいばあちゃんに、「髪結いさんがきましたよ。」と声をかける。 長年きゅっと結い上げていたために、すっかり薄くなってしまったひいばあちゃんの白髪を、ブラシで掻き上げ、ゴムで結い、くるりとねじって小さなお団子にし、Uピンとヘアピンを何本も差して纏め上げる。 「はい、出来上がりました。べっぴんさん」と、わずかながら聞こえるほうの耳のそばで言うと、今まで眠っておられるのかと思っていたひいばあちゃんが「はい、おおきに」と笑って答えてくださる。
このところ、怒涛の日々だった。 義父の転倒、入院。 先月末のお茶会。 義父の退院と入れ替わりに、義母の体調不良、入院。 そして、父さんの襲名展。 工房の仕事と2件分の家事、子どもたちの学校行事。 せかせかと走り回り、あっちの仕事こっちの用事をやっつけ、ブイブイ愚痴をいい、泥のように眠る毎日だった。 ようやく父さんの襲名展をおえ、ゆるゆると普通の日常が戻りつつある。 今週末には義母の退院も決まった。 まだまだ完快というわけではないので、年寄り世帯の家事や介護の負担は減るんだか増えるんだか。 じわじわと背中に重いものを感じながら、今日も惑い歩く。
毎年、5月のお茶会の前には、1年間伸ばしっぱなしの髪をばっさりと短くしてくるのがここ何年かの習慣だった。ところが今年はお茶会の準備や工房仕事に追われ、とうとう美容院に行く機会を逃した。 苦し紛れに伸びきった髪を固く結び、くるくる巻いて高く留めた。父さんが誕生祝にとこっそり作って贈ってくれた月夜の風景を刻んだ陶のバレッタで結い上げたお団子を飾る。 きゅうきゅうと固く結った髪型はぼんやり主婦の穏やかな日常には不似合いだったけれど、工房仕事に家事にと忙しく飛び回るには、とりあえず機能的で都合がいい。ひいばあちゃんに倣って、昔懐かしいUピンを買ってきて、束ねたお団子にグサグサ挿した。 気がつけばそれは、ひいばあちゃんとおんなじ髪型。 黙々と、ひたすら工房の職人仕事をしながら窯の火を支えてきた、明治の人の気概をも倣わなければとしみじみ思う。
朝、アプコとともに、登校班の集合場所への道を下る。 新緑の道は晴れ晴れとして、気持ちのよい風が吹いているのだけれど、この間から大量発生中の青虫毛虫がそこここにぶら下がっているので、注意深くひょいひょいと避けながらの下り坂。
昨夜、おじいちゃんちの犬のコロの突然の死に、アプコはわんわんと声を上げて泣いた。おじいちゃんと一緒に散歩をさせたり、「お座り」や「待て」を教えたりして、アプコもとても可愛がっていた犬だった。 泣きながらコロの名を呼び続けるアプコに、私は「生きてるものはみんないつか死んじゃうものだから」とか「お星様になるんだよ」とか、お決まりの慰めを言うことが出来なかった。 ついさっきまで元気に餌を食べていた犬が、急にあっけなく動かなくなってしまうということの不条理が、私自身、すぐには消化し切れなかったためだろうか。 アプコは、たくさんたくさん泣いて、「あたし、生まれてはじめて。こんなに泣いたのは・・・」と、真っ赤に腫れたまぶたを冷やしながら眠った。
そうして今朝。 コロのことは忘れてしまったかのように、爽やかに目覚めたアプコ。 「ひゃぁ、こんなトコにも毛虫!」 と、いつもの笑顔でピョンピョン跳ねながら坂道を下っていく。
「あたしねぇ、考えたんだけどね、おかあさん。」 くるりと振り返ったアプコが言う。 「コロが死んでたくさん泣いたけど、ホントは一番悲しいのはおじいちゃんよね。おじいちゃん、とってもコロをかわいがってたし、おじいちゃんの犬だもん。」 「そだね、おじいちゃん、病院から帰ってきてもコロがいないから寂しいだろうね。」 「おじいちゃん、かわいそうね。」 と、今度はおじいちゃんのために顔を曇らせてうなずく。
「おかあさん、あたし、これからコロの分まで頑張らなあかんなぁ。」 と、急にアプコが大きな声で言ったので、 「『コロの分』って、何の事かな? アプコがコロの代りに『待て』とか『お座り』とか、練習するのぉ?」 と訊いて、アプコを笑わせる。 「違うよぉ!あたし、練習しなくてもできるもん!」 と、まともに切り返して笑うアプコ。 良かった。 アプコもコロのことを笑ってお話しすることができるようになった。
それにしても、アプコ、昨日わんわん泣いていたときには、まだまだ幼いチビちゃんに見えたのに、ずいぶん大人びたことが言えるようになったなぁ。 自分の悲しみばかりでなく、おじいちゃんの悲しみを思いやって、自分がどうすればおじいちゃんの傷心を慰められるか、一生懸命考える。 そんな優しいいたわりの気持ちが、ちゃんと育ってきているということだろう。 なんだかとってもいとおしくて、駆けていくアプコの背中を追っていってぎゅうっと抱きしめてしまいたい気持ちになる。 「わぁ、遅くなっちゃう!」 と走り出すアプコの足は思いがけず速くなって、重たい体でモタモタあとを追う母にはなかなか追いつくことのできないスピードになってはいるけれど。
工房は次の日曜日に迫ったお茶会の準備と来月始めの襲名展に向けての準備でおおわらわ。 お客様にお料理を載せてお出しする四方皿の制作が間に合わない。 お茶席の道具類の制作もギリギリまで食い込みそうだ。 ましてや、襲名展の作品つくりまでにはなかなか手を出せない。 食事と短い仮眠の時間以外は、一日のほとんどを工房ですごす父さん。 私もほぼフルタイムで仕事場に入る。 毎日毎日ひっきりなしに続く釉薬掛け、焼成、釉薬掛け。 ついこの間作ったばかりのポットの釉薬が、あっという間にカラになり、釉薬に合わせて使うCMC(ふのり)の瓶が何本も空く。
義父が骨折で入院して約1ヶ月。 手術後、何日か意識が混乱して、一時はどうなることかと心配された義父の意識もようやくはっきりして、足のほうのリハビリも順調に進んだらしい。 そろそろ退院のめども着き始めたようだ。 一方、ここのところ、義母の体調がとても悪い。 体のあちこちの痛みを訴え、起きられないほどの苦痛が続き、早朝、電話で父さんを呼ぶ。精神的なストレスや疲労による症状だと医者は言う。 義父が入院して、夜はひいばあちゃんと二人きり。自分自身の体調不良や不安も重なって、義母の気力は萎えていってしまうのだろう。 義父母が二人して衰えると、それまで一日のほとんどを自室で寝たり起きたりして過ごすようになっていたひいばあちゃんのテンションがにわかに上がり、横になってどんよりしている義母を力づけに行ったり、自分の食べた食器を自分で洗おうとなさったり。そうかと思うと、突飛な言動や思いがけない失敗で周囲を慌てさせたりする。 以前「この家の3人の年寄り達は、お互いによっかかりあい、補い合ってバランスをとって生活しているのだ。」と医者が言ったそうだ。 「若いモンたちにはまだまだ・・・」とひいばあちゃんが頑張る。「ひいばあちゃんの面倒をちゃんと見なくちゃ」と義母が頑張り、「お母さんをささえてやらねば」と義父が気遣う。その微妙なバランスの上に高齢者家族の日常は危なっかしく立っている。ひとたび、誰かが倒れるとたちまちそのバランスは崩れ、他の誰かの日常もバタバタと脆く崩れてしまう。 そんな恐ろしい予言が、少しづつ少しづつ現実のものとなりつつあるのだろう。
いよいよ、3人の高齢者を本格的に担がなくてはならない時期が来ているのだなぁと思う。 幸い、義父母の家は工房の2階で、昼間はいつもだれかしらにそこにいる。介護のほとんどのことは息子である二人が中心になって担ってくれているし、私も外に勤めに出ているわけではないので時間の融通はきく。 けれども一方、父さんも義兄も、そして私も、仕事と余暇の区別のないフルタイムワーカーだ。老人達の介護や通院に時間をとられれば、その分の仕事は先送りになり、余暇や休息の時間を削って取り戻さなければならなくなる。父さんも義兄も、なんとか時間をやりくりして仕事と介護を両立させようと頑張っているが、もうぎりぎりいっぱいといったところだろう。
今日、義父が可愛がっていたビーグル犬のコロが死んだ。 朝、いつものとおり元気に散歩にでて、ウンチをし、ガツガツとドックフードを食べて尻尾を振っていた。 その数時間後には、お地蔵さんの前のアスファルトに横たわって死んでいた。まだ体は温かかったけれど、何匹かのハエがすでに飛び始めていた。 義父の入院中、コロの散歩はゲンとアプコの仕事だった。 最初アプコはぐいぐいコロの綱に引っ張られて走っていくのが精一杯で、ウンチの処理までは一人では出来なかったのだけれど、最近ではちゃんと一人でナイロン袋で拾ってくることが出来るようになった。 「コロのウンチ、ほかほかでぬくかったよ」と、アプコは笑った。 おじいちゃんのいない間に、餌の前の「待て」と「よし」を覚えさせようと、父さんと何度も号令をかけた。ようやく最近、お座りして待つことが出来るようになって、「早くおじいちゃんに見せたいね」といっていたばかりだった。
学校から帰ったアプコは、急に冷たくなったコロを撫でながらわんわん大きな声で泣いた。 コロとのお別れに駆けつけてきた従姉妹のHちゃんとキャアキャア笑いながらボール遊びをし、コロの遺骸を裏山に埋める段になって、再びまた号泣した。アユねえちゃんに肩を抱いてもらい、ゲンに慰めてもらいながら、何度も何度もコロの名前を呼んで泣いた。 いつまでも泣き止まないアプコに、アユコは夕方のおやつ代わりにラーメンを作って、「食べる?」とアプコを誘った。涙で真っ赤になったまぶたで、「食べる」と頷くアプコ。 二人で一つのラーメンを分け合って、横から割り込んできたゲンにちょっとだけ食べさせたり、取り合ったりして、アプコはようやく泣くのをやめた。 「おかあさん、いっぱい泣くと目が痛くなるね。こんなにいっぱい泣いたの、はじめてや」と、アプコは言った。 ほんとにね。 どうしようもなく悲しくて、わんわん大きな声で泣いてしまうとき、ちゃんとそばにいて、あれこれ慰めてくれるお兄ちゃんお姉ちゃんがいてよかったね。
義父の怪我。 義母の体調不良。 さらに高齢のひいばあちゃんの介護。 お茶会。 父さんの襲名展 そのほかにも山積みの仕事。 そしてコロの突然死。 なんでいちどきにこんなにあれこれ重なるかなぁ。 重苦しく、暗澹たる空気が工房に流れる。 今、私達はまた大きな険しい山を乗り越えていかなければならない時を迎えているのだろうなぁ。
だけど。 この前、私達が乗り越えた大きな山は、生まれたばかりの次女の闘病と臨終を見守った重苦しく辛い数ヶ月だった。 まだ上の子供達も幼くて、「しっかり者のお兄ちゃん」だったはずのオニイもたった5歳のチビちゃんだった。 あの頃、なにかと手をかけてやらなければならないお荷物だった子供達が、今度の山越えには、あれこれ手伝ってくれ、支えてくれ、ともに泣いてくれる存在としてそばにいる。 幼いアプコですら、義父の愛犬の死を自分の責任のように悲しんで、おじいちゃんの落胆を気遣う優しさも見せられるようになった。 あの時、父さんと二人で歯を食いしばるようにして乗り越えた道のりを、今度は大きく成長した子供達とともに手をつないで歩んでいくのだろう。 この子達がいてくれてよかった。 きっとこの山も越えられる。 そんなことを思う。
BBS
中学生、中間試験中。 中3になって、一応受験生モードのアユコ。 夜遅くまで起きて机に向かい、なにやらごそごそやっているらしい。朝の寝起きが悪いこと、悪いこと。 「夜型なんて駄目だよ。要領よく切り上げて、ちゃんと寝なきゃ」とか、「ラジオ聴きながら、CD聴きながらのながら勉強はやめて。集中してやんなさい」とか、学生の頃自分が散々聞かされたお説教はとりあえずなしの方針。 自分の思うようにやって、自分で悟りなさい、夜鍋一夜漬けのムダ。
中学に入って、はじめての定期試験に何となく浮かれモードのゲン。 試験前に渡された一週間分の「試験前学習計画表」の冒頭には、「一日の学習時間目標1日最低2時間。」と華々しく自己目標を掲げた。 で、その次の行の「期間中の合計学習時間」の自己目標は「7時間」 ??? 一日最低2時間学習する人が、一週間で合計7時間? う〜ん、すでに掛け算、間違ってません?
定期試験一週間前になるとクラブ活動はいっせいにお休みになる。 久々に小学生並みの早い時間に帰って来て、たっぷり時間があるのがうれしてたまらない。いつも部活で遊べない近所の同級生たちも、結構ふらふら遊んでたりする。
山は緑。水遊びにもちょうどいい日より続き。半袖、ショートパンツの軽装はいつもの山遊びスタイルだ。 野生児ゲンの魂はうずく。 大発生の青虫毛虫を狙って、勢いづく野鳥たちの声。 小川はさらさらと歌うように流れ、蛙の声も聞こえてくる。 柔らかな腐葉土の中では、夏の友達である甲虫達の幼虫がごそごそうごめき始めている頃だろうか。 こんな素敵なお天気の日には、春に生まれた小魚の卵から透き通るような稚魚が川の浅瀬で泳ぎ始めるのが見えるかもしれない。 ああ、川がぼくを呼んでいる。
昼間、私が自宅に戻ったとき、玄関にはとっくのまえに帰ってきているはずのゲンの靴がなかった。 「あらら、試験前なのに帰りが遅くなっちゃったのかしら」と気にも留めず、アプコと習字に出かけた。 帰ってきた私にさっそくアユコが密告。 「おかあさん、ゲンさぁ、試験中なのに川へ魚取りに行ったみたいだよ。」 ぬぁにぃー! ゲンに問いただすと、「べつにー。いってないよー」とあいまいな返事。 「行ってないって言ってるよ」とアユコに言ったら、 「だって、ゲンのメダカの水槽に今までのと違う小さい魚が増えてるよ。」 と重ねて指摘。
「ねぇねぇ、魚、増えたんだって?どれ、どれ?」 再びゲンの部屋に戻って訊いてみたら、 「ほら、この底の方にいる小さいの。それからこっちにも・・・。」 と、得意げに水槽を指差すゲン。 「で、その魚、いつ増えたの?」 「・・・う〜ん、・・・今日」 あっけなく自白。 ゲンって単純。 「試験中に魚取りに行くような呑気な子は、はじめてお目にかかったよ。」 とかる〜くお説教。
まあいいか。 まだはじめての定期テストだもの。 まだまだ、川の流れの呼ぶ声に、そわそわ誘われていってしまう野生児のゲンのほうが面白い。 そのうち何度か痛い思いをすれば、「そうだ、試験勉強しなくっちゃ!」と目覚める時期も来るだろう。 ああ、いつの日になるのやら。
BBS
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