月の輪通信 日々の想い
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2007年03月07日(水)

毎朝食べる卵。
今日はぽっかり卵。甘辛く味付けしただし汁にぽっかりと卵を割って、そのまま半熟に煮て器に盛る。
幼い頃、実家の母や祖母がよく作ってくれた懐かしい味。

ところがなぜかゲンはぽっかり卵が苦手。
目玉焼きも炒り卵も好きなのに何故かぽっかり卵だけは嫌いらしい。
今朝もお鍋の中を覗き込んで、「わ、もしかしてぽっかり卵?」と顔をしかめた。

まぁまぁ、そんな嫌そうな顔しないで。
もしかしたら、きみが年をとって、お母さんもいなくなった頃に
「ああ、もう一回、母さんのぽっかり卵、食べたいなぁ・・・。」
なんてこと、思う日が来るかもしれないよ。

・・・って、いったら、
はぁ、そうですかとすごすごと引き下がった。

「あ、おかあさん・・・。玉子焼きじゃない。」
遅れて起きてきたアユコが、食卓のぽっかり卵を見てつぶやいた。
「なんで?」と訊くと、
「昨日の晩、『明日は玉子焼きが食べたい』って頼んでたのに」
あ、忘れてた。

・・・なんだか誰にも歓迎されなかった今朝のぽっかり卵。
美味しかったのに。




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2007年03月06日(火) 逆剥け

朝、起きてきたアプコが台所へやってきて、
「おかあさん、指んトコ、痛いの」
という。
見ると、人差し指の爪の付け根のところに小さな逆剥け。
「あ、こりゃイタイね。」と絆創膏を貼ってやる。

「あのね、アプコ、昔から、逆剥けができるのは『親不孝』のしるしっていうんだよ」
と、言ったら、
「おやふこうって何?」
と首をかしげるから、
「お父さんやお母さんに迷惑をかけたり、心配をかけてるっていうこと。アプコはどうかなぁ?」
と説明した。
ふうん・・・と、考え込んだアプコ、
「おかあさん、これ持ってく?」
と、お碗に注いだばかりのお味噌汁を指差す。

「あ、あったかあ〜い」
両手でお碗を包むように持って、嬉しそうにアプコがつぶやいた。
家族みんなで、朝の暖かい味噌汁を食べる幸せ。
そんな些細な嬉しさを思いがけず思い出させてくれるアプコのつぶやきの愛らしさ。
それだけでもう十分の親孝行。

「逆剥けは親不孝」はきっと嘘だね。




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2007年03月05日(月) はったり

一雨ごとに春になるというけれど、今日の雨は暖かくていい雨だった。
まだ裸木の梢にプツプツと顔を出し始めた新芽が、たっぷりと雨粒を溜めてキラキラ光っている。
傘をさそうかさすまいか。
迷うほどの小雨がまたいい。



ゲンが悔し涙をいっぱい溜めて帰ってきた。
また、I君とケンカをしたらしい。
I君は幼稚園からの付き合いで、調子のいいときには一緒に虫取りをしたり、焼き芋大会やロッジのキャンプにも遊びに来る仲良しだが、なにか気に入らないことがあると、決してやり返さないゲンや体の小さい他の友だちをターゲットにして暴力を振るう。
先週の金曜日にも、遊び半分からつかみ合いになって、上着のファスナーを壊されて帰ってきた。担任のT先生に連絡して、Iくんの家庭に電話をしてもらい、さて、今日はどうかと思っていたら、校門を出たところで激しい取っ組み合いになったようだ。

I君の家に電話をしたが、I君母の反応は薄い。
「遊び、ふざけの延長」「子どものケンカ」と軽く受け取って、「一方的暴力」という認識はないようだ。
時々口にする謝罪の言葉も、この場を納めるためにしょうことなしに口にしているというような薄っぺらさ。
自宅へ謝罪に来られて、I君母がI君にかけた第一声が、
「ほら、ちゃんと自分の言葉で言わな、いつまでたっても終わりにならへんで」だった。
「この人には通じない」
そんな気がした。

で、しょうがないから私がかました「はったり」
「ゲンはこれまでもできるだけやり返さないように我慢してきたけれども、私はゲンに『これからはやられたらガンガンやり返していい』という。
この子は本当に我慢しきれなくなると、思いがけない反撃に出るよ。そちらがどんな怪我をして帰る事になっても知りませんから。
最近、中学では今回のような暴力には警察の介入もあるようだから、今後何かあったら、そういうことも覚悟しておいてくださいよ。」

完全なる「はったり」だ。
ゲンには、そこまでやりかえす勇気も愚かさもないでしょう。
ただ、横で聞いているゲンのためにも、「闘う母」の姿は見せておかなければならないので。

一方的暴力を繰り返す子どもの親は、概して子どものちょっとした暴力に対する認識が甘い。
「ちょっとふざけが過ぎただけ」「遊びの延長だった」と暴力を正当化する。
ふざけも遊びの延長もやられた側が「嫌だ」と思った瞬間、「いじめ」になる。叩いた本人がどんなつもりで叩いたかなんて、いじめか否かを判断するときには、ただの言い訳にしかならない。
そんな当たり前のことが、共通認識としてもてない人とは、いくら言葉を重ねても分かり合えない気がして空しい。




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2007年03月03日(土) ひな祭り

午前中、寝坊の子どもたちを追い回して居間の片付け。
押入れの奥から雛人形の大きな箱を引っ張り出すl
我が家ではいつも3月3日に雛人形を出して、4月3日に片付ける。
そして、そのときに一緒に台所の大きなストーブを仕舞う。
3月3日が我が家の春の入り口。

アプコが今年も散らし寿司を作るとやかましい。
「きゅうり、こうやどうふ、しいたけ、にんじん、ちくわ・・・」
小さな文字で材料の名前を書き連ねたメモ用紙を渡されて、昨日から買い物に回った。野菜や高野豆腐を煮て、おばあちゃんちで大きな飯切りを借りてきて、準備完了。
台所のテーブルにまな板を置いて、アプコが延々と具材のみじん切りをはじめた。

近頃アプコはちょっと目を離すとおばあちゃんちへもぐりこんで、おばあちゃん相手にお料理ごっこに余念がない。
チャーハンだとか、みたらし団子だとか、ありあわせの食材でごちゃごちゃと思いつきのお料理を作っては小皿に入れて持ち帰ってくる。どうやらおばあちゃんもアプコのやりたいように勝手にやらせてくださっているらしい。
正直なところ、お味のほうはあまりほめられたものではないのだけれど、包丁の扱いやコンロの火の調整などは確実に上達したようで、去年の夏にはなかなかうまくできなかった薄焼き卵もずいぶん上手に焼けるようになった。
同じ年の頃のアユコに比べて、いくらか不器用かなと思っていたアプコだけれど、今日の薄焼き卵はまずまずの及第点。

出来上がったお寿司を小型の重箱に詰めて、錦糸玉子や青みのものをきれいに飾りつけて、得意満面でおばあちゃんちへおすそ分け。
風呂敷にきれいに包んで「もっていって来るわ!」と飛び出していくフットワークの軽さは、アプコの本領。
上手に甘え、上手に相手を喜ばせる、ストレートな人懐っこさがいいのだ。
得な性格である。




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2007年03月02日(金) 遅刻して見えたもの

朝、雨戸を開けたら、遠くで鳥の声がした。
ケッホ、ケッホ・・・。
ヘタッピィの新米ウグイス。
何度何度もおんなじところでつっかえていて、じれったい。
春だなぁ。

大きな声で子供らの名前を呼んで起こす。
ゲン、オニイ、遅れてアプコ。靴下を履きながら、髪をとかしながら、のろのろと起きてくる。
「アユコは?まだ寝てる?」と訊いたら、いつもは「知らん」とそっけないオニイが「なんか調子悪いんちゃう?」と珍しくまともに応えた。
皆が朝食を終える頃、フラフラと降りてきたアユコは半泣き顔で、いつもの朝の低血圧に貧血のクラクラが同時にやってきたらしい。
「ありゃりゃ、ほんとにしんどそうやわ。アユコ大丈夫?」
青ざめた顔で座り込むアユコ。おでこに触れると熱はないようだけれど、頭がいたい、喉がいたいと答える。
それでも、「今日は休む?」と訊くと元気なく頭を振って、休みたくないという。
今日は茶道部がある日だし、なんと言ってもアユコは中学校ではまだ皆勤賞。ちょっとやそっとじゃ休めない。
それじゃあせめて、少し休んでから登校しなさいと学校と友達に遅刻の連絡。
他の子達を送り出して、ホットミルクと小さいおにぎりの朝食を用意して、アユコの体調が落ち着くのを待つ。

ほんの少し休んだだけでずいぶん顔色もよくなって、まだ、今からなら一時間目に間に合うからと、車を出す。
登校の時間が過ぎて小中学生の姿の消えた通りを走りながら、助手席のアユコは「校門がもう閉まってたらどうしよう。インターフォン鳴らせばいいのかな?」と不安そう。そういえば皆勤賞のアユコは、当然のことながら始業のベルのなったあと、閉ざされた校門を外から見たことがない。
学校に近づくと、通学路の途中に一人、また一人、のろのろと歩いている中学生の姿が見えた。
「あ、他にも遅れてくる子が結構いるね。
なぁんだ、ちっとも急いでないなぁ。遅れて行っても平気なのかなぁ。」と半ば嬉しく、半ば呆れたようにアユコが笑う。

確かに、遅刻常習犯で少々遅れたくらいでは焦ったりもしなくなっている子もいるだろう。
けれども今朝のアユコのように、体調が悪くてどうにも定刻に学校へつけない子もいる。
何年か前のオニイのように、学校へは行きたいと思っているのに体が登校することを嫌がって、振り絞る思いで学校への道のりを歩いてきた子もいるかもしれない。
必ずしもサボって遅刻してきている子ばかりじゃないはずだよ。
いつも楽しく友達とおしゃべりしながら校門をくぐるアユコには、閉ざされた校門に向かってのろのろ歩いてくる友達の存在は、知ってはいるけれど見えてはいなかった事だ。
アユコにとっては楽しい学校も、辛くて辛くて這いずり回る気持ちで登校してくる子もいるんだね。
そんな話をした。

アユコの学校では、いま来年度の生徒会役員選挙の最中だ。
去年、まさかの落選で涙を呑んだ学年委員の選挙。もう一回挑戦するかどうか、アユコは今年一年、ずっと考えていたようだ。
生徒会の役はしなかったけれど、学級代表として茶道部の部長としてコツコツと頑張ってきたアユコ。担任の先生に「お前はみんなのために働きすぎ。もうちょっと手ぇ抜いてええから」といわれるほど生真面目に走り回った一年だった。
最近、仲良しの家庭科の先生に「家庭科部に入らない?」と誘われた。
茶道部、華道部の掛け持ち部員のアユコ、活動日は違うというものの3つ目の部活入部には少々悩んだようだ。
「3つも部活やったら、生徒会はできないし。どの部もやりたいけど中途半端は嫌だし」
生真面目なアユコ、先生方や友達から自分に期待されている役割にこだわっていっぱいいっぱい頑張ってしまう損な性格。そのことを自分でもよくわかっていて、ついつい無理をしてあれこれ引き受けてしまうアユコがいる。
この間初めて「生徒会はやめて、家庭科部に入ったら?」と具体的なアドバイスをした。
「みんなのため、クラスのためはもう十分やったから、自分の楽しみのためのクラブに入るのもいいんじゃない?」
翌日アユコはあっさりと家庭科部への入部届けを出した。

そんなあれやこれやが重なって、今朝の体調不良になったのかもしれない。
中学にはいってからずっと快調に飛ばしてきたけれど、そういえばアユコには以前精神的なストレスで偏頭痛や自家中毒を繰り返した前科がある。
ちょっと頑張りすぎていたのかもしれない。
始業時間をほんの10分過ぎただけの学校の門。
アユコが恐る恐る押したらまだ施錠はされていなくて、軽くすっと開いた。
バイバイと手を振って、校内へかけていくアユコ。
やっぱり学校が好きなんだなぁ。
多分、今日は早退なんかせずにしっかり部活までやって帰って来るだろう。
心配して損しちゃった。



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2007年02月27日(火) 友達

オニイ、試験初日。
アユコ、試験2日目。

午前中、工房で荷造り仕事をしていたら、試験を終えて帰ってきたアユコの姿がチラッと見えた。自転車を押して、誰かと一緒に歩いている。
あれ?オニイと一緒に帰ってきたのかな?と首をひねっていたら、友達と一緒に帰ってきたらしい。
「おかあさん、仕事場のコピー、借りていいかな?」
友達に試験にいるプリントをコピーしてあげるのだという。

一緒に帰ってきたHちゃん、去年同じクラスだったのだけれど、今年は不登校気味で、なかなか学校へ出て来れなかった。
アユコはHちゃんのことをとても気にしていて、休み中の授業のノートを家まで届けたり、「学校、おいでよ」と電話をかけたりしていたらしい。
幸い、今回の試験にはHちゃんもなんとか出席できたようで、まずは一安心。
「駅まで送ってくるよ」と再び自転車を押して出かけていくアユコの表情も明るかった。

夜、オニイが心配そうな顔でやってきた。
「今、友達から電話あったんだけど、なんか大変なことになってると言ってるんだ。」
何が大変なのかは言わないのだという。
中学のときの友達。別々の高校に進み、時々連絡を取り合っていたようだけれど。昨年末には、どうやら成績不振だか出席不足だかで留年の危機にあるときいて、オニイはえらく心配していた。
その友達から突然かかって来た不審な電話。ちょうど学年末試験の時期だけに、もしかしたらいよいよ留年決定かとオニイもいたたまれない想いでいたようだ。
結局、「大変なこと」の内容は不明で、どうやらオフザケの電話だったらしいのだけれど、「ハラハラして損したよ」と笑うオニイの顔には、まだ、心配の陰が残っている。
「どうすんだろうなぁ。あいつ・・・。」
自分自身は部活や勉強にと楽しんで高校生活を送っているだけに、どうしても気になる友達の窮状。心配な気持ちがなかなか相手に伝わらないもどかしさが、やりきれないようだ。

友達の心配ができるということは、自分自身の学校生活がそこそこ充実しているということか。
学年末試験をめぐって、たまたまオニイとアユコに重なった友達の問題。
その明暗をただただ見守るしかない母であった。


2007年02月26日(月) 青豆を煮る

2月だというのに春のような陽気。
昼下がり、上着も着ずに薄手のセーター一枚でアプコを迎えに出る。
少し歩くともう汗を掻くかと言う暖かさ。
学校のほうからかけてきたアプコは、朝着ていったトレーナーをうるさそうに腰に結んで、Tシャツの袖をひじまで捲り上げて笑っている。

「きょうはKちゃんと遊んでもいい?」
とアプコが言うので、とちゅうで一年生のKちゃんちへ寄り道。
「お母さんもよかったらお茶でもどう?」というお言葉に甘えて、母も久々にKちゃん母と井戸端会議。
ここのところ、工房での仕事やPTAのお役目に追われて、バタバタと走り回る日々が続いて、友達とのんびりおしゃべりを楽しむ時間もすっかり忘れていた。
大きなマグカップに入れてもらったコーヒーに、たっぷりのミルクとお砂糖を入れてくるくる混ぜる。子どもたちがTVの画面に向かってコントローラーを振り回す例の最新のゲームを楽しむ間、たわいないおしゃべりに花を咲かせる。
楽しい時間だった。

帰り際、Kちゃん母が「こんなの食べる?」と、ワシャワシャとナイロン袋に入れてくれたのは青いお豆。田舎からおくってもらったお豆だそうだ。水で戻してさっとゆでて浸し豆のようにして食べるといいという。青大豆というのかな。
冬の間、ストーブの上で長い時間コトコト煮ていた普通の大豆と違って、青豆は短時間煮ただけで青々した色を少し残してさらっと煮上がる。
生煮えのお鍋から一粒二粒つまんでみると、青臭い香りがしてさっくりした歯ざわりが楽しい。
乾燥豆のことだから、いつが旬というわけでもないのだろうけれど、まさに春のお豆だなぁと嬉しくなる。

昔読んだ小説で、長い冬を雪に閉ざされた山中の小屋で暮らし、春を目前に食糧不足と壊血病でピンチに陥る白人家族のお話があった。
いよいよ駄目かという時に、突然訪れてきたインディアンがなけなしの食料を分けてくれ、その中に一握りの豆が含まれている。そして豆はそのまま煮て食べるのではなくて、発芽させてその芽をたべて壊血病を防ぐのだと教えられる。
長く厳しい冬をやり過ごすインディアンの知恵。
そんなことを思いながら、Kちゃんちの青豆を煮た。


2007年02月17日(土) ケセラセラ

ネットのニュースを見ていたら、「ケセラセラ」という歌の原詞の作者がなくなったという。
ドリスデイが歌って映画の主題歌に使われ、日本ではペギー葉山などが訳詩で歌って流行した曲。
幼い頃、母がよく鼻歌で歌っていた。
ゆったりした曲調とのんびりした歌詞が、おっとりした専業主婦だった母にはよく似合っていたように思う。

「私がお嫁に行く人はどんな人?お金持ち?それとも、貧乏絵描き?」
と問う娘に
「ケセラセラ なるようになるわ 先のことなど わからない」
と母親が答える。
母と娘のたわいない夢物語の会話を、自分もまた子どもたちに語り継いでいるという繰り返しの不思議。
何度も何度も耳にした母の歌声を、気がつけば台所でトントンとお菜っ葉を刻みながら、口ずさんでいることの可笑しさを思う。
「貧乏絵描き」とまでは言わないものの、決して「お金持ち」とはいえない伴侶とともに、家庭を営む今の私。
「なるようになるわ」と、やや投げやりにも聞こえる言葉が、程よいエールとなって耳に残る。


先日、実家の父の手術に立ち会うために郷里へ帰った。
日々体を鍛え、趣味やボランティアにも奔走する元気な父の初めての手術だ。「大丈夫」とは言うものの、5時間もかかるという開頭手術。
心細い思いのまま、母とともに手術の進む時間を待った。
父は手術に際し、その立会いに離れて暮らす子どもたちがくることを母に怒ったという。子どもたちにはそれぞれの家庭があり、仕事があるのだから、わざわざ呼び寄せることはない。母がただ一人で待っていてくれればいいのだという。常に自分に厳しく、母にもその厳しさを求める父らしい言い分。

とは言うものの、長い手術の時間中、心配してやきもきしてただただ時計を見ながら待っているのは母。長時間の手術に耐える父自身の肉体もがんばっているには違いないが、なんと言っても麻酔で眠って夢の中なのだ。
父の手術に子どもたちが駆けつけるのは、もちろん父の病状を心配してでもあるけれど、不安な時間を一人で耐える母のそばに付き添うためなのだと私は思う。

長い長い待ち時間の間、母はせっせと編み針を動かし続けていた。手術の終了予定時間を睨みながら、「お父さんと競争よ。」と言いながら、残り少なくなった毛糸の玉を繰る。
そして日に日に気難しくなってきた父との日々を熱心に語リ続けた。
子どもたちが巣立ち、同居していた祖母を見送って、久しく続く夫婦二人の生活。積もる愚痴もあるのだろう。
親しい友に語るように夫婦の機微を語る母に、娘の私もまた親しい友のようにただ相槌を打つ。
私も母とこんな会話をもてる年齢になった。

予定時間をかなりオーバーして、父の手術は終わった。
母はとうとう最後まで編みきれなかった解けた毛糸をくるくると巻いて片付け、「お父さんに勝てんかったわ」といいながら、手術室から出てくる父の寝台を追った。
手術は成功、経過もよいだろうとの執刀医のお話。
麻酔から醒めた父とも一言二言言葉を交わして、無事を確認。
ホッとした。

帰りのバスの車中、「愚痴をいっぱい聞いてくれてありがとう」と母は笑った。
「いろいろあるけどね、自分で選んで結婚した人だしね。
もし生まれ変わっても、またこの人と結婚してもいいかなと思ってるのよ。」
はぁ、愚痴の締めくくりはおのろけですか。
「でもね、今度はもっとうまくやるわ。」
確かに人生には「あの時、こうしておけばよかった。」と振り返るポイントがいくつかある。別の選択をしていたら自分に訪れたかもしれない別の人生を夢想して、今の自分を笑って認める。
ケセラセラの母もなかなかシタタカなものだなぁと、感心しながら帰路に着いた。


2007年02月13日(火) 笑顔

小学校低学年参観懇談。
今年度、最後の参観。
アプコの学年は2クラス合同で「かさこじぞう」のオペレッタをするという。アプコの役は、「ゆきんこ」の役。一人で言うセリフがない替わりに、一見バレエのような可愛らしいダンスの場面が割り当てられていて、その中で数人の子どもたちが揃って側転を披露する。
「ゆきんこの役はね、きれいな側転ができる子しかなれないんよ。」とゆきんこ役を当てられたアプコは得意満面。
鉄棒も跳び箱も苦手で、何度もべそをかいて授業放棄していたアプコが、何故か側転だけは最初から上手にできた。それを見て担任のM先生は、アプコにこの役を割り振ってくださったのだろう。
ナイスキャスティング。
くるりと側転を決めて、思わず満面の笑み。
幼い子どもたちが声をそろえて歌い、楽しげに踊るオペレッタはなかなかの出来栄え。卒業式でもないのに、うっかりウルウルしてしまった。
不覚。

で、帰りの車中での会話。
「ねぇねぇ、ゲン兄ちゃん、どうしてこのごろ機嫌がいいの?」とアプコが言う。
「卒業まであと○日」と秒読みの始まった6年生。残り少ない小学校生活を堪能するまで味わい尽くそうとするかのように、近頃ゲンはすこぶる機嫌がいい。その、なんとなくそわそわするようなハイテンションの空気が、幼いアプコにも伝わっているのだろうか。
「なんで、そう思うの?」と聞き返したら、
「ゲン兄ちゃん、このごろいつもニコニコしているよ。学校にいるときも、いつも笑ってる顔ばっかりだし。」
と、アプコも笑う。

きっと毎日楽しいことがいっぱいあるんだね。
上機嫌のお兄ちゃんを見て、一緒に嬉しくなっちゃうアプコもかわいい。
いいこと教えてくれてありがとう。


2007年02月10日(土) キムチ鍋

午後から工房で仕事。
昨日やり残していた釉薬掛け、CMC作り、洗い物、黒無鉛釉の調合などなど。
新しい釉薬をあわせるたび、父さんは細長い端紙に計量する釉薬の量をメモして渡してくれる。私は作業が終わると、そのメモを仕事場用の大判の手帳にはさんで保管している。
もう、かなりの種類の釉薬の調合を経験したから、メモの数も増えた。
ちゃんとまとめれば、ちょっとした釉薬帖ができる数になったはずだ。
釉薬の調合比は一応門外不出の企業秘密。だから調合の仕事は窯元の主婦の仕事で、家族以外の者にはさせないことになっていたらしい。
ペラペラの端紙のメモは、いわば機密文書のようなものなのかもしれない。

「もし、父さんと別れて出て行くようなことがあったら、私はこれを持って息子を一人もらって連れて出て行こうかな」と笑う。
「釉薬だけ作れたって、うちのやきものを他で作る事なんかできないよ。」と父さんも笑う。
釉薬や窯が揃っていても、作る人の技術や経験がなければ作品は出来ない。
代を継いで仕事をしていくということは、家族がその技術や経験を受け継いでいくということ。一緒じゃなきゃ駄目なんだ。

夕飯はキムチ鍋。
今までうちではアプコが小さかったので、辛いお鍋は控えていたのだけれど、「私も辛いの、食べてみた〜い」と言うので、今日がアプコ、キムチ鍋デビュー。
辛い辛いと大騒ぎしながら、アプコが一番最後までお鍋を突付いていた。
ちびっ子アプコもちょっと「大きい人」の仲間入りか。

で、辛いお鍋のあとは甘いデザート。
生協で買ってあった「特盛アイス」という、カップ麺の丼のような入れ物に入った大盛りアイス。これにスプーンを一本だけ添えて、家族みんなが交代にグルグル隣へ送りながら一口ずつ食べる。
「あ、こぼした!」とか、「一口なのに、多すぎ!ずるい!」とか、大騒ぎ。たった一個のアイスでまぁ、賑やかなこと。

「これやってると、うちの家族ってやっぱり仲がいいんだなぁって、なんとなく思っちゃうよ」
とアユコ。
ホントにね、楽しいね。
アユコもそういう嬉しさ、わかるようになったんだね。
これもちょっと、大人の仲間入り。


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