月の輪通信 日々の想い
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2006年08月23日(水) 地蔵盆

夏休みも終盤。
この夏、男の子たちは早々に夏休みの宿題をほぼ終えたらしい。
意外なことに、この時期になって残った宿題の山にため息をついているのは、いつもなら生真面目に早めにコツコツ片付けているはずのアユコとアプコ。アプコは毎日熱心に遊びすぎて、アユコは貧血やら熱中症やら体調不良の日が多くて、ついつい集中して宿題を済ませる時間が取れなかったのだろう。
ま、そんな夏もある。

今日は工房の地蔵盆。
昨日のうちにお供えのお菓子の袋詰めも済んだ。
子どもたちの名前を刻んだ紅白の提灯も灯した。
古くなったお地蔵さんの前掛けも、大慌てで新調した。
大きなスイカとご近所から頂いたお供えのお菓子を供え、お寺さんのお勤めを頂くための椅子も並べた。
今年は部活に忙しいオニイに代わって、ゲンが買い物やら掃除やらずいぶんマメに動き回ってくれて、助かった。提灯吊りの助手を務めたり、木魚やりん(鈴)を手配したりする要領もよくなって、「使えるようになったな」という感じ。
世代交代の時期だなぁ。

世代交代といえば、今日はいつもお参りに来てくださるおっさん(おしょうさん)がお留守で、代わりのお坊さんがやって来られると聞いていた。
おっさんと同じ寺の旧式のバイクで来られたのは、時々月参りにも来てくださる若い修行中のお坊さん。そういえば、去年の地蔵盆もこの若いお坊さんがいらしてくださったんだった。
「本日、和尚は葬儀のお勤めがございまして、代参で参りました。」とまだ初々しいご挨拶。子どもたちにも、「地蔵盆は子どもさんたちのお祭ですからね、よくおつとめくださいね。」と声をかけていただいた。
いつもおっさんが持ってこられるのとよく似た黒い大きなカバンから出してこられたのは分厚いクリアファイル。中には様々な経文の書かれた書類がたくさん入っている様子。きっとお寺で予習してこられた地蔵盆用のおつとめの資料なのだろう。
お経の順番やお焼香の手順が書かれているらしい手書きのメモに一渡り目を通して、コホンコホンと咳払いをして席につかれた。新米の教育実習生のような緊張ぶりが伝わってきて微笑ましい。
お坊さんというお仕事も、最初はこんな風に自ら勉強しながらの実践から始まるのだろう。

若いすがすがしい読経の声はよどみなく続き、子どもたちも揃って手を合わせた。
お坊さんは今年初めて参加した幼いKちゃんに、丁寧にお焼香の作法を教えてくださり、「ようお参り下さいました。」と、おっさんと同じ口調で締めくくり手を合わせて頭を下げられた。
子どもたちのお祭、地蔵盆にふさわしい初々しいおつとめだった。

お参りのあと、小袋に分けたお供えのお下がりをご近所に配る。
本当なら地蔵盆のお下がりは近所の子どもに配るのだけれど、我が家のご近所には子どものいる家は少ない。20個用意したお下がりの半分は大人ばかりのおうちに配る。
いつもお届けするMさんもいわゆる独居老人。
「一人じゃお菓子も何ぼも食べへんようになったからなぁ。」
と、今年はゲンが持っていったお下がりをお断りになった。
その代わり、今年は春に同居の息子さん夫婦に待望のお孫さんが生まれたFさんのお宅にチョコボールやラムネ菓子の入ったお子様向きのお下がりの袋を届けた。お誕生前の赤ちゃんには、今年はまだまだ食べられないお菓子だけれど、来年の地蔵盆の頃にはいっしょにお地蔵さんに手を合わすことが出来るようになっているだろう。
これもまた、世代交代。


2006年08月17日(木) 都会の子、田舎の子

お盆休みが終わって、ようやくオニイの部活も通常モード。
工房の仕事も今日から本格始動。
子どもたち、そろそろ宿題のことも考えなさいよ。

午前中、東京の弟家族が、我が家へ立ち寄ってくれた。
今年は我が家は実家の両親と旅行をしたので帰省はなし。車で帰省してきた弟家族は帰宅途中にわざわざお土産を届けにうちへきてくれたのだ。
今回は愛犬のクロエちゃんも後部座席にケージを積み込んで同伴のドライブ帰省だったという。
ほほう、幼児連れの3人家族なら、普通車でも愛犬スペースを確保できるのかと毎回引越し荷物のようなギュウギュウ詰めワゴン車で帰省する6人家族の主は笑う。

姪っ子Aちゃんは都会の子。我が家へ来る途中の山道で、カーナビの画面から道路の表示がなくなったのを見て、「絶対間違ってるよ、戻ろうよ」と不安そうに訴えたという。
そう、我が家に通じる道路は途中から最新のナビでも道路の表示がなくなってしまうマイナーな道なのだよ。
そういえば、街のきれいに舗装された地面に慣れたクロエちゃんも、雑草石ころだらけの田舎の地道の感触に戸惑って、心なしかうろたえている様子。それとなく腰が引けてるようで愛らしい。

「ちょっと川でも行ってみようか。」とゲンやアプコがAちゃんをいつもの遊び場の水場へ誘った。いつもゲンが魚をすくったり、アプコが笹舟を作って流したりする場所。
川に着くと、すぐにゴム草履のままでジャブジャブ水に入って喜ぶうちの子たち。
でもAちゃんは尻込みしてなかなか水に足を入れられない。ほんの足首くらいの深さの小さな川なのに、ちょっと尻込みしているようだ。自然の川で遊ぶ経験はあまりないのだという。とってもおしゃれなゴム草履はいてるのにね。あ、ちがった、街の子が履いてるのはミュールって言うのかな。
ゲンは知らぬ間にどんどん川を下って行って、秘密の穴場で大きな川魚や沢蟹を捕まえてきては、Aちゃんたちに得意げに披露する。アプコは川底の砂を両手で掬って、お団子を作るのをAちゃんに教えた。
小さい頃にはザリガニ取りもたっぷり楽しんで育った弟が、ざぶざぶ水に入ってAちゃんを川の中に誘った。はじめはパパの腰にしがみついてこわごわ水に入ったAちゃんも少しずつ慣れ、ゲンが捕まえてきた川魚のお腹を指でつついたり、岩場渡りにちょっと挑戦してみたり、ようやく楽しくなってきたところで、残念、時間終了となった。

川から上がっても、ちょろちょろ走る尻尾の青いトカゲを見つけたり、大粒の黒アリを指差して目を丸くしたり、都会の子には珍しいものがたくさんあるらしい。
水路に浮かべた笹舟を追いかけていく子どもらの背を追いながら
「こんな短い時間じゃもったいないな。」と弟が言った。
うちの子供たちが、小さい頃から当たり前にながめている川の流れ、山の景色、小さな虫や植物が、都会の子にとっては珍しく楽しい驚きなのだなと言うことにいまさらながら改めて気がついた。

ところで、私たちの住む田舎町では、先日、本屋さんが閉店した。
子どもたちが立ち読みに寄ったり、新刊の文庫本を物色したりできる手ごろな規模の本屋が、私たちの町にはもう一軒もなくなってしまったのだ。
子どもたちが自力で行くことのできる本屋がない街って、文化のかけらもない感じがするよなぁと寂しい思いに駆られてしまう。
そういえば、こういう田舎に生まれ育ち、人ごみの雑踏が苦手な家族で成長する我が家の子どもたちは、いまだにディズニーランドやUSJの賑わいを知らない。
休日に大きなショッピングモールに遊びにでかけ、おしゃれなジェラートを食べながら歩く楽しみも知らない。
見知らぬ本の海に溺れそうになる都会の大型書店のワクワクする混雑も知らない。
いわゆる街遊びの楽しみをあまり経験することなく大きくなる子どもたちに、ちょっぴり申し訳ない気がすることもたびたびあった。

けれどもどうなんだろう。
気軽に街遊びを経験できる環境に育つことも、徒歩1分で沢蟹取りのできる山の中に住むことも、子どもたちにとってはおんなじくらい楽しいことなのかもしれないなぁ。
6年生にもなって川遊びに興じているうちに相変わらず半ズボンのお尻を濡らしてくるゲン。
太っちょどんぐりのなる木、触るとカイカイになるウルシの木を見分けることのできるアプコ。
少なくともこの子らは、街遊びにはない楽しい遊びのネタを身の回りに豊富に与えられて育っている。
それはそれでありがたいことなのだと改めて思う。


2006年08月15日(火) 訃報

朝、飛び込んできた訃報。
子どもたちの小学校の2代前の校長先生Y先生。
ちょうど父さんがPTAの会長を務めていたときの校長先生で、親子ともどもでお世話になった方。子どもたちをとても穏やかに見守ってくださる素晴らしい先生だった。
いろいろな行事や参観懇談などの折には、子どもたちばかりでなく私たち保護者にも、子育ての知恵や親としての心得をユーモアたっぷりに語ってくださる人格者だった。

在職中に癌が発見されて、定年まで数年を残して校長の職を辞された。その後数年、教育関係のお仕事をなさりながら闘病しておられた。
ご退職になられたあとも、父さんは会長OB会などで何度かY先生にお会いしていて、この5月にも自宅で療養生活をおられるY先生から、「一度おしゃべりにいらっしゃい。」とのお葉書を頂いたばかりだった。

すでに病気の悪化は伺っていただけに、なぜすぐに会いに伺わなかったかと父さんはとても悔やんでいる。
「その時」を逃せば、2度とお会いできなくなってしまう人もある。
そのことを今までなんどか経験して激しく悔やんだこともあったのに、また、心残りを残したままお別れしてしまった。

故人の生前の希望で、「葬儀は身内だけで」と誰にも葬儀の行われる教会の所在地を誰にもお知らせにならなかった。
数日後、そのY先生のお名前で今日、天国からのお手紙が届いた。
病状が窮ってきた頃、ご自身が書かれて、死後の投函をご家族依頼しておられたのだという。
ご自身の生い立ちから、お仕事、家族への想い、病を得てからの心境の変化など、A4紙4枚にぎっしり綴られていた。

お見事。
自分のいなくなった後のことをしっかりプロデュースして、残されたものに深い感銘を残して逝かれたY先生。
見事すぎ。
手紙を読んだ父さんも、しばらく言葉が出なかった。
「すごいなぁ」「見事だなぁ。」
父さんは何度も何度もつぶやいた。

自分の命の限界を知らされたとき、
あれもこれもやりたい仕事や生活を道半ばであきらめなければならないと知らされたとき、
そんなに整然と自分の人生の仕舞いをつけて、逝く事が出来るものなのだろうか。
Y先生の逝きかたは、穏やかで誠実な教育者であったY先生の生き方そのもの。見送る者に、たくさんの教えと静かな感動を遺して旅立っていかれた。

・・・・・・・・・・

だけど、だけど・・・。
こんなに潔く、美しく散ってくれなくてもいい。
最後の最後まで執着して、オロオロして、ジタバタして、しっちゃかめっちゃかで逝ってくれてもいいと私は思う。
大切な人を見送るとき、あまりに整然と潔く逝ってしまわれたら、それはそれで遺されたものには寂しいような・・・。


2006年08月07日(月) ドライバー

早朝から工房での一仕事終えて、4人のお寝坊さんたちを朝食に起こす。
サマースクールだのプールだの合宿だの、夏休み突入直後から怒涛のごとく続いていた用事がようやくひと段落。たまには夏休みらしいお寝坊をたのしませてやろうかと放置しておいたけれど、もう限界。早く朝ごはんを食べちゃってくれないといつまでも片付かないわ。
「もう、おはようの時間じゃないよー」
「んじゃー、おそよー」
なんて言ってたら、オニイがくしゃくしゃの寝癖頭のまんまで駆け下りてきた。
あ、やばっ。
今日はまだ部活、休みじゃなかったっけ。
オニイ、竜巻のようにふりかけご飯を頬張り、財布がない、制服のシャツがないと大騒ぎし、「自転車だからズボンは落ちないから」とベルトをカバンに突っ込んだまま、自転車でフラフラと出かけていった。

午後、オニイの帰宅は遅かった。
お弁当は持っていかなかったから、いつものようにちょっと遅めの昼ごはんには帰ってくるだろうと思っていたのに、2時を過ぎても帰ってこない。
またどこかで寄り道でもランチしてるのかなぁと気になりながら私は出かけたのだけれど、買い物を終えて帰ってきたら車の音を聞きつけて、オニイが荷物運びに出てきてくれた。

「あのな、帰りにまた自転車が壊れてな・・・。」
オニイがやけにさわやかな顔で、勢い込んでしゃべる。
「走ってたらチェーンが外れてしもて・・・。」
ありゃりゃ、オニイの自転車、つい先週もチェーンが外れたばかり。調子悪いのね。
オニイの自転車はチェーンカバーのついたママチャリだから、チェーンがはずれてもちょいちょいっと直すという訳にも行かないのだ。

で、自転車押して歩いていたら、通りがかりのおじさんが見かねて声をかけてくれたらしい。 自動車関係のお仕事中の人らしくて、自分の工具を出してきてチェーンカバーを開け、前後とも外れてしまったチェーンをかけなおしてくださったのだそうだ。
オニイは月光仮面のようにさわやかに立ち去ったその人のことをうれしそうに話してくれた。

ありがたいねぇ、オニイ。
この炎天下、しょぼくれた顔をしてこわれた自転車を引きずって歩く高校生の姿はきっと哀れみを誘ったのだろう。
10キロの自転車通学生活が始まって数ヶ月。すでに自転車のパンクもチェーン外れも雨の日の転倒も経験した。最寄の自転車屋さんに駆け込んで助けてもらう知恵もついたけれど、時にはこんな風に通りすがりの人から差し伸べられる暖かい手のうれしさにも気がついた。
いい勉強をさせてもらってるなぁとしみじみ思う。

「でもさ、万が一のことを考えたら、これからはドライバーの一本くらい持っておいてもいいよね。カバーさえ開けられればチェーンぐらい自分で直せるんだから。」
「うん、僕もそう思う。そのおじさんにもそういわれた。」
うれしい顔のままで、オニイは珍しく素直に赤い百均ドライバーを通学カバンのポケットに入れた。
「ちゃんとお礼をしなくちゃと思って、何度もその人の連絡先を聞こうとしたんだけど、教えてくれなくってさ。」と、オニイはいう。
ま、そうだろうね。
月光仮面なら、こんなことくらいで見知らぬ少年に素性を明かしたりはしないからかっこいいんだよ
でも、高校生になったオニイには、とっさのときに、親切にしていただいた人の連絡先を聞くという知恵がちゃんと身についてきているのだなぁと言うことが知れて、それが母にはちょっとうれしかった。

オニイ、
本当にそのおじさんの親切がうれしかったのなら、
そしてその親切にお礼がしたいと思うなら、
いつの日かその赤い百均ドライバーで、
今日の君と同じように困っている誰かのチェーンを直してあげられるような男になりなさい。
きっとなれると、母は思うよ。

・・・・で、もしかして、
その壊れた自転車の持ち主がちょっと可愛い女子高生だったりしたらいいね。
るん♪


2006年08月04日(金) 減塩

先月、心臓の急な発作で入院した義母が今日退院して来た。
まだまだ本調子ではないようだけれど、とりあえず一安心。
何より義父のほうが、連れ合いの帰宅にほっとしているよう。
夫婦ってもんは、年をとってもやっぱりそばにいないと寂しいものなのだろうなぁと微笑ましく思う。

義母には従来から高血圧のきらいがあって、病院での食事も減塩食バージョンだったらしい。入院中は「病院の食事は味がなくてまずい。」という愚痴をよく聞いた。義母の訴えを聞いてか、食事には小さな減塩しょうゆが添えられていたそうだが、義母はそのおしょうゆを何にでもつけて食べた。
たまたまうちの父さんが義母の食事に立ち会ったとき、「どれどれ、そんなに味がないの?」と病院食を試食してみたのだけれど、確かに薄味だけど食べられないほど無味ではなく、まあまあ美味しく感じられたのだという。

義母は元来京都の人で、薄味のおばんざいを上手に拵える料理上手な人だ。
胡麻和えやらお膾やら、ちょっと甘口の小鉢のお料理は絶品で、新婚の頃には義母の料理の味を盗もうと、よく義母の台所に出入りしたものだった。
その頃は、義兄やうちの家族も義父母宅で一緒に食事を取ることも多くて、大人数用のたっぷりしたお惣菜でも、薄味でちゃんとおだしの利いた京風の美味しい仕上がりだった。
最近、義父母宅は、ひいばあちゃんを含めて年寄り3人家族。
歳を取って3人とも食がほそくなり、一度に調理する量も減った。買い物もほとんどが生協で配達されるものに頼るようになって、冷凍食品やレトルト食品の利用も増えた。一度調理して食卓に上った煮物の残りを、何度か煮返して次の食事のときに食べることも増えた。
そんなこんなで、年寄り家族の日々の食事はだんだん濃い目の味付けに変化していったのかもしれない。
時々、多めに炊いたからとおすそ分けに頂いた煮物があれっと思うくらい辛かったり、薄味に仕上げたお料理にわざわざお醤油を添えておられる場面に遭遇したりすることも増えた。

何よりも問題なのは、高齢になると味覚そのものも鈍くなりがちなのか、当人たち3人ともが自分たちの日々の食事の味の変化に気がついていないようだ。
退院に当たっての説明でも、塩分制限の食事の指導がされたというが、義父などは「もともとうちの料理はどちらかといえば薄味ですから・・・」などと人に説明したりしておられる。「最近は結構濃い味なんだけどなぁ・・・」と思いつつ、実際義父の舌にとっては若い頃から何十年も変わらぬ薄味の家庭料理の味なのだろうなぁとあきらめ半分で聞いていたりする。

もともと義父母は、健康のために食べたいものを制限したり、嫌いなものを無理して食べたりすることを嫌う人たちだ。専門書のレシピどおりに拵えた減塩料理を差し入れたとしても、「ちょっと味が薄いね」とお醤油をさしてしまわれるだろう。
誰かが母に代わって毎食あの家の食事を調理することにしても、調子のいいときには元気に台所に立たれる義母から家族の食事を賄う楽しみを奪ってしまうことになるだろう。
とどのつまり、あのくらいの年齢になれば少々からだのためには悪くても、美味しいと思うもの、食べたいと思うものを十分楽しんで食べておられればそれはそれでいいのかなぁなんて思って見たりもする。
それもその人たちの人生の選択。
そう言い切ってしまうのは酷だろうか。

今日、取り合えず気休めに「退院祝に」といって減塩しょうゆの小瓶を一本、義父母宅の食卓の上に置いてきた。
減塩しょうゆは塩分が通常のしょうゆの2分の一。いくら減塩といっても倍量使えば元の木阿弥。それもよく分かってはいるのだけれど。


2006年07月30日(日) 水汲み

ようやく近畿の梅雨も明けたらしい。
例年なら「あぢーっ!」と顔をしかめる暑さも、お肌の敵の強い日差しもなんとなく今年はちょっと有難い。
降ったりやんだりがずっと続いて、部屋干しの洗濯物がいつまで経っても湿っていた長雨のあとだから、干したそばから乾いていくタオルやTシャツがパリンと気持ちよく仕上がってそれだけでもうれしくなる。
この夏、いつものように洗濯干し大臣を務めてくれてるアユコも、ついつい「これも洗っちゃおうか」と自分で洗濯物を増やして、日に何度もベランダで干し物をしている。
あらら、中2にしてもう、ささやかな主婦の家事の楽しみを会得してしまいましたか。

運動不足の解消のために、近頃また父さんが近所の山へ登るようになった。うえの広場まで上っていって、降りてきて約一時間。
登山用のズボンもシャツもパンツも頭に巻いた汗よけのバンダナもびしょびしょに汗にまみれて帰ってくる。はい、これで洗濯機、一回分。
「しょうがないなぁ、干す場所まだあるかなぁ」といいながら、ワシャワシャとお洗濯。脱水が終わったら、再びアユコの物干し隊が出動だ.
その後ろを助手のアプコがコバンザメのようについていく。

山からの帰り、父さんは近所の湧き水を汲んで帰ってくる。大きなペットボトル3本分。
で、仕事の合間や食事のときにその水をがぶがぶと飲んでいる。夏の仕事場は窯や乾燥機の熱でとてつもなく暑いから、そのくらい水分を取らないと脱水症状になりそうなんだとか。 父さんはそのペットボトルを仕事場と家の冷蔵庫に分けて入れておいて、何度も何度も水を飲む。
子どもらも冷蔵庫にでんと据えられたペットボトルの水には一目置いていて、普段飲むプーアル茶ならがぶがぶ馬鹿みたいに飲み干すくせに、「父さんの水、ちょっとだけもらってもいいかな。」と変に遠慮して、もったいぶって飲んだりする。
別段何の効能があるというわけでもない、普通の湧き水。
だけど、父さんが朝から大汗掻いて汲んで来た水ということで、その有難さに水の甘みも増すのだろう。

時々、父さんが山へいけなかったときには、「ちょっといってくるわ」とゲンがペットボトルを担いで山へ駆け上がる。リュックサックにペットボトルを詰め込み、裸足にサンダル履きでぴゅーっと飛び出していく。
ゲンにとっては山の水汲み場も我が家の庭のようなもの。彼の虫取り、川遊びの縄張りのうちだ。
「3本も入れたら帰りが重いよ。一本減らしておきな。」と呼び止めても「平気、平気」と後ろ手に手を振って駆け出していく。
なじみの山に登ってくるいい口実が出来てうれしいのだけれど、それ以上に父さんの水を汲んで来る任務を仰せつかることがうれしくてたまらないのだ。

「ぼくが汲んで来た水、冷蔵庫に入れておいてね。」
長い遍歴の旅の末に大事な人の命をつなぐ魔法のアイテムを手に入れて帰ってきたRPGの勇者のように、ゲンはずっしりと重いリュックを下ろす。
「重かったね、ありがとう。」
「ゲンの汲んできてくれた水は、格別おいしいよ。」
その水は確かに今日一日の父さんの労働を支える命の水。
ゲンが得意の鼻をピクピクさせて胸を張るのも無理はない。


2006年07月22日(土) 胃袋でつながる

夏休みに入ったけれど、オニイは夏期講習だの文化祭の練習だの部活だので毎日学校へ行く。
朝、普段とおんなじ時間にでかけていって、早ければ昼過ぎ、遅ければ夕方まで帰ってこない。
本来なら学校が閉まっている休みの日にも、部活だの友達との付き合いだの、自転車をすっとばして出かけていく。
「明日はお昼、どうするの?お弁当は?」
夏休み中の家族の昼ごはんつくりにぶうぶう文句を垂れてるくせに、いつまでもオニイの世話を焼きたい母は毎日毎日オニイに尋ねる。
「いらね。食べられる時間ないかもしんないから。」
お弁当より「昼ごはん代」って500円玉一個もらえるほうが有難いお年頃なんだろう。
「あ、そ。じゃ、らくちんでいいや」といいつつ、世話焼きの機会を失って母、ちょっとしょげる。

「あっじー!参った。はらへった!」
と、オニイがアブラギッシュな顔で帰ってくる。冷蔵庫を物色するオニイの背中からは湯気が揚がっているみたい。
起伏の多い坂道を40分かけて自転車で帰ってくるのだ。
オニイの汗の匂いは、最近大人の男の人の匂いになった。
「お昼のチャーハン残ってるよ!」とか「カレーパン、買っておいたよ!」とか、母はここぞとばかりに用意しておいた虫養いの軽食をすすめる。
「あ、チャーハンか。いいや、とりあえず水分補給。」とオニイはガブガブとお茶ばかり飲む。
「わ、うまそう!」とがつがつ食べてくれるのを期待していた母は、またちょっと拗ねる。

「なんかこう、一口で甘くて癒されるモノ、ないかなぁ」
とオニイが台所へやってくる。
待ってましたとばかり、冷蔵庫の一番上の棚に隠し持っていた上等のチョコレートの箱を出してくる。金色の宝石箱のような入れ物に入ったとりどりのチョコレートをむしゃむしゃ食べてオニイ、とろける顔になる。
「うんまいなぁ。天国やわぁ。」
普段無愛想な息子が至福の笑みを浮かべると、自分で買ってきたチョコレートってわけでもないのに、「どうだ、参ったか。」と母、自慢の鼻がピクピクと伸びてくる。

幸せな結婚生活を継続させるためには「男の胃袋を掴んだ者が勝ち」とかいうと聞く。
それは親子の間でも同じこと。
あほやなぁと思いつつ、スーパーでふと手が伸びるのはオニイの好きなスナック菓子。父さんの好きな焼肉の缶詰。ゲンの好きなスイカやメロン、女の子たちの好きな芋ケンピ。家族の関心を引き戻したいとき、ついついその人の好物を買い物籠に入れてしまう馬鹿な女。
最終的には、母は息子の食欲を満たすことで、わが子への愛を語るしかないのかしらん。

昨日(21日)のこと。
実家の母から新ショウガとしいたけを甘辛く煮詰めた佃煮が届いた。
母にしてはちょっと濃い目の味付けが暖かいご飯には絶妙の相性で、近頃お疲れ気味の我が家の食卓には欠かせない味となった。
遠く離れてすむ母には、娘の倦怠が通ずるのだろうか。
胃袋を通じる母との絆に、ちょっとうれしくなったりする。


2006年07月21日(金) 救急車

さぁ、夏休み初日。
といっても、またお天気悪そうだなぁと外の雨の音を聞きながらPCに向かっていた。連日の雨で裏の川の流れる音が高い。家の中は乾ききらない洗濯物でいっぱいだ。
今日は小学校の陶芸教室。父さんの助手として出勤予定。
あと、生協荷受、ゴミだし、夜剣道。
忙しくなりそうだなぁと雨戸を開けていたら、電話が鳴った。
義父の声。
義母がうめき声をあげて苦しがっているという。
飛び起きた父さんが、駆けつけて救急車を呼んだ。
私も急いで着替えて、出動。義母に付き添って救急車に乗った。
幸い、病院で応急措置をしてもらってまもなく小康を得た。
心不全だということでそのまま入院が決まった。

救急車に乗るのは、これでもう何度目だろう。
年寄りを3人も抱えていると、救急車のお世話になる機会も当然多くなる。
ここ数年でもう3回。義父のときもひいばあちゃんのときも私が救急車に同乗した。
付き添うといっても何が出来るというわけでもない。
既往症やかかりつけの医師、発症の状況などを救急隊員に告げて、あとは、ただただ、患者の手足をさすって「大丈夫?がんばって。」と声をかけるのみ。
救急車への同乗がいつのまにか私の役目となったのは、「こういうときには女手のほうががいるだろう」ということと、救急車のあとを追いかけて見知らぬ病院へ車で駆けつける運転能力と土地勘が私にはないという理由。

10年前、亡くなった次女の転院のとき、はじめて救急車の前の席に乗った。
一度も信号で止まることなく、バンバン車線変更して猛スピードで一般車の間をすり抜けていく救急車は本当に怖かった。それからしばらくトラウマになって、ピーポーピーポーという救急車のサイレンの音が聞こえると急に胸がドキドキして、落ち着かない気持ちになったものだった。
時が過ぎ、なんどかお役目を果たすうちに、次女のときの救急車のトラウマはいつの間にか消えているに気がついた。

度重なる救急車体験で、ずいぶん知恵がついた。
救急車に乗り込む前にしなければならないこと。
・搬送先の病院名を家に残る者に必ず告げておいてもらうこと。
・子どもたちに留守中の食事や予定の確認をしておくこと。
・自宅と義父母宅、両方に留守番、連絡係を手配しておくこと。
必ずバッグに入れなければならないもの。
・財布。携帯電話と10円玉。
・保険証。老人医療証。常用している薬の袋。
・本人の靴とめがね、寒いときなら余分の上着。
最後の項目などは何度か失敗したあと、ようやく学習した体験に基づく知恵。くだらないことだが、緊急の時にはなかなかそこまで頭が回らなくねるので、書き留めておく。

幸い、義父のときもひいばあちゃんのときも「大事に至らなくてよかったね。」で済んだ。今回の義母の症状も次第に落ち着き、緊急入院時のドタバタを一緒に笑えるくらいに快復しつつある。
年寄り3人の暮らしに添って過ごすということは、こういうことの繰り返しなのだろうなぁと思う。


2006年07月17日(月) 14才

アユコ、誕生日。
背が伸びた。

近頃、アユコは感情の起伏が激しい。
意味もなくケラケラ笑い、アプコと手をとりあって踊り狂っていたかと思うと、急に不機嫌になって部屋のドアに当り散らし、そのくせ一人で隠れて涙ぐんでいたりする。
心と体の変化のスピードが速すぎて、自分でももてあましている感じ。

近頃、アユコは本の虫。
いつも図書館で借りてきた分厚い本を読んでいて、大きな声でアユコを呼んでも返事ができないくらい熱中している。
アユコの頭の中では、竜や妖魔の物語と明日の水泳の授業の憂鬱がぐちゃぐちゃ混じっていつもぐるぐるめぐっている。

近頃、アユコは大人を見てる。
母が洗ったお皿の小さな洗い残しをアユコは見逃さない。
疲れて帰った父さんのわずかな不機嫌の影を見逃さない。
大人の小さなずるさや賢さを目ざとく見つけて評価する。
アユコの評価基準はきわめて厳しい。

ケーキ屋さんで家族の人数分のカットケーキを選んだ。
フルーツやチョコレートを飾った色とりどりのケーキの中で、アユコが選んだのは地味な色合いのチョコレートのシフォンケーキ。
「申し訳ないけど、お誕生日用のろうそくもつけてね。14歳なんだけど・・・」といったら、そばからアユコが
「えーっ、『ケーキふうっ』はもういいよ。」
と照れた。
「何言ってるの、そのためのケーキじゃないの」とろうそくをもらった。

大きなろうそくが一本、小さなろうそくが4本。
14才。
大人半分、子ども半分。
14才というのはそういう年齢。


2006年07月08日(土) G戦記

台所にGが出没する季節になった。

新婚のころ、「わ、Gがでた!」というと、父さんが急いでやってきて、殺虫剤で退治してくれた。
自分で退治することができないわけではなかったけれど、新妻というものは夫の背後に逃げ込んできゃあきゃあ言っていればいいものだと思っていた。
新妻をGから守り抜いた夫は勇者の顔で胸を張った。

子どもたちが生まれて、父さんの仕事が忙しくなると、今度は母になった新妻が殺虫剤も持ってGに立ち向かった。
殺戮の現場を見せないように、殺虫剤を含んだ空気を吸わさぬようにと、幼い子らを別室に避難させて、母は雄雄しくGと闘った。

近頃、「わ、Gがでた!」と母が騒ぐと、「どれどれ、どこにいる?」と息子たちが駆けつけてきてくれる。
オニイが殺虫剤のボトルを持ち、ゲンが丸めた新聞紙と回収用のティッシュペーパーの箱を持って・・・。
キャアキャア騒ぐ母を尻目に、オニイがGをすばやく狙撃し、ゲンが重ねたティッシュで回収する。
オニイは丸めたティッシュをゴミ箱に入れると「南無阿弥陀仏」と片手で拝む。

「ああ、頼もしい息子たちを産んでおいてホントによかったよ。」
母はことさら大仰に息子たちの勇敢な戦いぶりを褒めちぎる。
「これくらい、なんでもないさ」という顔をして、オニイが訊く。
「僕たちを産んでよかったことって、その程度?」
そうねぇ、台所の戸棚の土鍋を下ろしてもらうときとか、買い物荷物を持ってもらうときとか・・・。
ああ、やっぱりその程度?

あと何年かしたらオニイもゲンも、夫となり父となる。
多分、愛する妻や子どもたちのために、Gとの闘いを自ら買って出るだろう。
いつの日か、心優しき夫、強くたくましい父となる息子たちの勇姿を母は頼もしく見守っている。


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