月の輪通信 日々の想い
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アユコ、一泊二日の宿泊学習から帰ってきた。 琵琶湖でカヌーやカヤックなどウォータースポーツを体験して、夜は花火や肝試し。二日目のお昼ご飯にはパエリヤを自分たちで作って食べた。 すばらしく楽しかったらしい。 ちょっと日焼けして帰ったアユコ。 「洗濯物がいっぱいあるんだけど」と開いたカバン。 「うわぁ、琵琶湖の匂いがする!お母さん嗅いで見る?」 遠慮しとくよ。 その匂いが「琵琶湖の匂い」と思えるのは、琵琶湖の明るい日差しと水しぶきの楽しさを十分に味わってきたあなただけ。 お母さんには、ただの汗の匂い。
で、少し前のことだけれど、この宿泊学習の保護者向けの説明会でのこと。 お知らせのプリントをもらって体育館に集まってきたのは、学年の三分の一くらいの保護者だったろうか。広い体育館にパイプ椅子が並べてあって、ほぼ満席だった。
学年主任の先生が前に立って、話し始めた。 「ここに、マイクはあるんですが、あえて今日はこれを使わないでお話しようと思っています。 と言うのは、今年の2年生の生徒たちは、集会などのとき、この同じ場所で5クラス全員入ってもマイク無しでちゃんと最後まで話が聴ける子どもたちなのです。やんちゃなヤツやうるさいヤツも中にはいますが、全体として素直なまとまりのよい学年だと思います。」
近頃は、小学校でも中学校でも、参観や説明会など大勢が集まる場での保護者の私語や携帯電話の着信音などの基本的なマナーがひどいときがある。先生方も、生徒相手と違って保護者を大声で叱ることも出来ず、歯がゆい想いをしていらっしゃるだろうなぁと思うことも多い。 この学年主任の先生も、子どもたちのことを褒めるような形をとりながら、さりげなく説明会に来た保護者の私語を最初に制しておくつもりだっったのだろう。けれどもその話の展開には、さりげなく自分たちが教えている子どもたちへの信頼も感じられ、何となく好感の持てる話し振りに思われた。
後日、他の集まりである保護者がこの説明会での先生の態度を不快だったと評しておられるのを聞いた。 「保護者は生徒ではないのだから、大勢人が集まる場ではマイクぐらい使うのが常識だろう。先生の物言いにも、保護者まで『教育してやろう』という意識が見え隠れして、傲慢な感じを受けた。」という。実際後ろの方の席では付き添ってきた幼児がむずかったりして、先生の話はさっぱり聞こえなかったのだそうだ。 私自身は席が前から2列目だったから先生のお話は全てよく聞こえると思ったのだけれど、当日2,3列後ろにおられた別の保護者も話の内容が聞き取りにくかったのだと言う。
用意された席の真ん中あたりで聞き取りにくいというなら、やはりマイクは必要だったのだろうか。 生徒たちの集会でなら、最後尾の生徒にまでマイク無しの声が通るというのに、何故保護者だと聞こえないのだろう。 そもそも、本当に生徒たちは普段、マイク無しの先生の声をちゃんと聞き取れているんだろうか。 先生が保護者に対して「お静かに」と釘を刺すのは、ほんとに「傲慢」なんだろうか。
私自身は「マイク無しで話を聞ける生徒たち」のお話で、先生方と子どもたちの信頼関係を「嬉しい」と思って聞いていただけに、「傲慢」と受け取った保護者が結構いたということがちょっと意外だった。 ま、受け取り方は人それぞれ、いろいろあるということか。
夜中、一人でPCの前に座っていたら、すぐ後ろで寝ている父さんが奇声をあげた。 「おーぅ、おーぅ、おーぅ」 と獣が吼えるような長いうなり声。 ああ、ビックリした。 すぐに父さんの寝言だとわかったけれど、その声は普段聞いた事のない不気味な感じの叫び声で、ドキドキして聞いてるほうまで怖くなった。 急いで父さんを揺り起こしたら、「誰かが椅子を振り上げて・・・」とあいまいな夢の中身を説明しかけて、すぐまたストンと寝てしまった。 きっと怖い夢を見ていたんだな。 昼間の疲れやストレスが、短い仮眠の夢の中に怖い影を忍び込ませるのだろう。内面に秘めた焦燥や切迫感を、寝言という形で振り払おうとする父さんの頑張りを痛ましいと思ったり、いとおしいと思ったり。
また個展が近い。 昨日あたりから追い込みモードに入ったらしい。 外出する用事や外からの電話を避けたがり、食事と仮眠の時間以外はほぼ工房に行ったきり。 話しかけても答えが上の空だったり、そのくせくだらないお笑い番組に過剰なくらい馬鹿笑いしていたり。 肩こり、腰痛、眼精疲労。 お決まりのフルコース。 そして夜中の寝言は、数年に一度のオプションだ。
結婚して15年余。 ようやく個展前の父さんの心理状態と行動パターンが予測出来るようになってきた。 この時期にはあたらず触らず、仕事三昧をそっと放置しておくのが吉。 夜食用のスナック類とスタミナ補給のニンニク。 そしてもう2,3日もすれば、ここ一番のドリンク剤。 私が世話を焼くことが出来るのはせいぜいその程度。 あとは黙って見ているしかないのだ。 年齢を重ねて、若い頃ほどの徹夜仕事は出来なくなったとこぼす夫の後姿をただただ見守る。
誕生プレゼントとして、念願のカラフルな外国産クワガタムシをゲットしたばかりのゲンに、再びサプライズなプレゼントが届いた。 黒光りする大型のアンタエウスクワガタのペア。 昨日もらった小型のパプアキンイロクワガタも嬉しかったけれど、こちらはオークションなどでも高値の花と思っていた希少品種。ずっしりと持ち重りのするボディは良く出来た精密機械のようで、昆虫好きにはたまらないかっこよさ。 ・・・らしい。 (ゲンのおかげで母もずいぶん外国産の昆虫の長い名前を覚えた。・・・だからって、とくべつに毎日の生活が豊かになるってわけでもないけれど・・・。)
プレゼントの贈り主は父さんの大学時代の同級生Oさん。。 最近父さんは同窓会の幹事役をつとめていて、その名簿作成のために十数年ぶりに連絡を取ったのだという。 「やぁ、久しぶり、どうしてる」で始まって、仕事のことやら子どものことやら話しているうちに、ゲンの昆虫好きが話題に上った。 すると、何とOさんは陶芸の仕事の傍ら、趣味で外国産の昆虫を繁殖させてたくさん飼育しているという。 電話したのがたまたまゲンの誕生日だったというので、その人は奇縁を面白がって秘蔵のクワガタをゲンのために送ってくださることになった。 通販サイトなどを通じて、外国産の昆虫のビックリするような高値を知ったあとだけに、いただいてよいものかどうか父さんも困惑していたのだけれど、結局「誕生日なんだから」と気前よく譲ってくださるOさんのご好意に甘えることになった。
たまたまゲンの誕生日に父さんが十数年ぶりに電話した友人が昆虫好きで、これまた偶然息子の昆虫好きが話題に上って・・・。 いくつものラッキーな偶然が重なって送られてきたバースディプレゼント。 「好き」も高じるとこんなふうに、知らぬ間にラッキーな偶然を招き入れてしまうエネルギーが生まれてくるものなのかもしれない。 まさに「棚からぼた餅」でやってきた幸運にゲンは天にも上る心地のようだ。 お礼にかけた電話では、直接Oさんから頂いたクワガタの特徴や飼育方法を いろいろ伺ってまたまた大喜び。ゲンにとってOさんは、すっかり「気前のいい昆虫の神様」になってしまった。
こうしてゲンの学習机には、大きな飼育ケースがまた一つ増えた。 漢字ドリルや計算ドリルをやっつけながら、夢見る瞳でうっとりと飼育ケースを眺めるゲン。 「繁殖しやすい品種らしいから、いっぱい卵を産むといいな。」 「大型種は餌をかなり食うらしいから、また昆虫ゼリーを買っておかなくては・・・」 と頭の中はクワガタのことでいっぱい。 「コイツ、幸せそうやなぁ。ここんとこ、クワガタ三昧やなぁ」 オニイが呆れてため息をついた。 そうそう、昆虫シーズンはまだ始まったばかり。 至福の夏はこれからやってくるのだ。
・・・近頃、ゲンの机のそばによると森の匂いがする。 気のせいだろうか。
ゲン誕生日。12歳になった。 夕食は「でかいエビフライ」 ケーキは「フルーツのいっぱいのったホールケーキ」 誕生日プレゼントは通販の「パプアキンイロクワガタ」 学校からはクラスのみんなが書いてくれたバースディカードをもらってきた。ついでにアプコの友達のKちゃんからもかわいい絵の描いたお手紙をもらった。 12歳のゲンは幸せいっぱいだ。
4人の子どもたちの中で、自分の誕生日に対する期待度が一番高いのはゲンだなと思う。 「誕生日のプレゼント、何がいいと思う?」 「誕生日のご馳走、何をリクエストしようか。」 その日の数週間前から、熱心に自分の誕生日の計画を語るゲン。熱意のあまり、周囲がすっかりうんざりして「はいはい、そうね」といい加減な生返事になってもいっこうにお構いなし。 今年は外来種の昆虫をゲットしたいとずいぶん前から計画していたようで、ネットの通販サイトやオークションで熱心に情報収集をしていた。 「誕生日まであと何日?」 毎日毎日、指折り数えて自らの誕生日への期待を膨らませ、ニヤニヤ一人笑いをしているゲンの天真爛漫をいとおしいと思う。
思案の末、ゲンが選んだのはニューギニア産の小型のクワガタムシのペア。赤青緑と多彩なメタリックカラーが特徴というその虫は、思いがけなく軽い宅配便の段ボール箱で届いた。 さっそく飼育ケースに移して学習机の正面に据えた。 ゲンの夢見る夏が始まったようだ。
秋田の小1殺害事件の犯人が逮捕された。 事件の一月前に娘を亡くした近所の母親の犯行だったという。 「何故、そんな身近な人が・・・」と思う気持ちと「やっぱりその人だったか」という気持ちと。 本人はまだ殺害自体は自供していないという。 ニュースでは、犯人の生い立ちやら職歴やらあれこれ引っ張り出してきては、「犯行の動機」やら「事件の背景」やらを推理し始めている。家事もあまりしていなかったとか、人付き合いが良くなかったとか、わが娘にも虐待や育児放棄があったのではないかとか、近所の人の談話やコメンテーターと称する人たちからの情報でそれらしい母親像が作り上げられていく。 嫌だなと思う。 「わが子を失った悲しみのあまり、元気な隣家の男の子に妬んで、刃を向けた。」 そういう母性におぼれた愚かな母のままで、置いておいてくれないかなぁと思ったりする。
ある日、突然わが子を失った母がいるとする。 お悔やみの言葉も慰めの言葉も山ほど聴いて、たくさん泣いて、それでももう手元に生きたわが子を抱くことができなくて、ふと窓の外を見るとついこの間までわが子と一緒に仲良く遊んでいた隣家の男の子が元気に走っていく。 「なんで、死んだのは隣のあの子じゃなくて、うちの子なんだろう。 あの家にはまだ当たり前のように元気な子どもが帰ってくるのに、なんでうちの家には子どもが帰ってこないんだろう」 とねたましい思いや憎しみの心が沸いてきたとしても、不思議じゃない。
少なくとも私はその母の気持ちが理解できる。 生後3ヶ月の娘を病気で失ったとき、街で同じくらいの月齢の赤ん坊を見かけると「なんでこの子じゃなくてうちの子が・・・」と心潰される想いで苦しかったのを思い出す。 それは、はっきりと憎しみだった。 「殺してしまいたい」とは思わなかったけれど、「見たくない」「消えてしまえ」と呪いの言葉を吐きたくなる、そんな時期もあった。 そんな時、周りの人たちからの慰めの言葉やいたわりの気遣いはただただ耳障りな雑音としか受け入れられなかった。 「死児の齢を数える」というと、考えても取り返しの付かない詮無いことを言う言葉だが、娘を失って10年近くたった現在でさえも、ちょうどその年齢ぐらいの子どもに対して「なぜこの子じゃなくて、あの子だったんだろう」と黒い想いがふつふつと沸いてしまうときもある。 その事を私ははっきりと自覚している。
事件の前に、少年の家族は母親に、生前の少女が自分ちの子どもたちといっしょに水遊びをしているビデオを渡したのだという。 娘を失った母をそこまで気遣ってあげたのに・・・という裏切られた想いが多分被害者の家族にはあるだろう。 でも、あれって微妙だなぁ。 失ったわが子の生前の元気な姿を、せめてビデオででも見てみたいという気持ちと、一緒にビデオにうつっている隣家の子どもたちは生きていてわが子だけがいなくなったというギャップに苦しむ気持ち。 それがどんなバランスでその時期の母親の心の中に位置していたかは誰にも分からない。 隣家の人々にとっては嘆きの母をいたわる慰めのつもりでも、生傷に塩を刷り込む残酷な贈り物になることもある。 少なくとも私は、犯行発覚前の報道でビデオの話が流れたとき、「善意とはいえ、それはキッツイ慰め方やなぁ」と複雑な想いがした。そういう「優しさ」を真正面から受け止めて「ありがたい)と感じられるためには、それなりの時間と十分な癒しが必要だったはずだ。
だからといって、隣家の子どもに対する妬みや憎しみを直ちに「殺意」に変換してしまうことが普通とは思わない。「憎しみ」と「殺意」の間には、常人ならめったに超えることのない高い障壁があるはずだ。 だから、犯人の女性を擁護したり、共感したりすることは絶対に出来ない。 それでもなお、この陰惨な事件を「愚かな母親がわが子を失った悲しみのあまり、隣家の男の子に殺意を抱いた。」という単純な動機で終わらせて欲しいと心のどこかで願ってしまうのは、私自身の中にかつて生まれたことのある暗い思い、そして今で心の片隅でひそかに息を潜めているに違いない憎悪の気持ちを正当化したい、あるいは普遍化したいという愚かな願望のせいかもしれない。 その事をまだ私はどうしても整理しきれないでいる。
夜剣道。 ゲンを道場へ送り届け、指導の先生が来られたのを見届けてからいつものとおりスーパーへ。閉店前の特売品を物色しながら、土日の食材をあれこれ買い込む。 行きつけの肉屋のおばちゃんが自分のうちの夕食の買い物をしているのに遭遇。箱いっぱいの山椒の実を買うか買うまいか迷っていたようなので声をかけたら、おばちゃんは笑って山椒の実の調理方法を教えてくれた。 「あんたたち若い人らには、それほど美味しいもんじゃないかも知れんけどね。」 確かに、箱一杯分煮て食べたいほどではないけれど・・・。 ふとおばちゃんのかごの中を見ると、焼き魚や練り物など、半額シールのついた特売品が数点。あ、やっぱりお肉は買わないのねと納得。可笑しかった。
最後にパンを買って・・・とうろうろしていたら、正面からどこかで見覚えのある男の子がずんずん近づいてくる。ずいぶんくたびれた歩き方だなと思ったら、オニイだった。部活で帰りが遅くなったけど連絡できなかったのでもしかしたらここに母さんが来てるかと思って立ち寄ったとのこと。
嘘つけ! このスーパー、君の通学路からはずいぶん外れているじゃないか。 遅くなったと思ったら、回り道なんてせずにさっさと家へ直行すればいいのに・・・ さては、寄り道してジュースの一本でもせしめようという魂胆か・・・。
次々問い詰めたら、あっという間にオニイの返答はしどろもどろになった。 「や、違うっすよ。」 「そんなこと考えてないっす。」 「はい、わかってます。・・・でも、あの、今日、財布忘れてきちゃったンすよ。出来たらちょっと小銭を貸してもらえると嬉しいンすけど・・・。」 ははは、やっぱり目的はそこか。 馬鹿だな。 変な言い訳したから、ジュースは無し。 お金も貸さないからさっさと家まで走って帰りな。 残念でした。
片道9キロの起伏の多い通学路。 厳しい部活の練習を終え、腹ペコでこぐ自転車のペダルは重かろう。 毎日いっぱいいっぱいの体力で通学していくオニイを、心配しながらも「頑張っているなぁ」と見ていたけれど、意外と寄り道する余裕も出てきているんだなぁ。 自転車で遠出をする機会も増えて、彼なりの寄り道コースもブレイクポイントもいろいろ開発し始めているのだろう。 しゃぁないなぁ。 高校生だモンねぇ。
ところでスーパーの食品売り場で立ち話をしたオニイ。 最初から最後まで、変なニュアンスの敬語で喋っていたことに気がついた。 多分、部活で先輩たちに話しかけるときの体育会系の敬語なのだろう。 学校でもない、家でもない。中間地点のスーパーで母と話すとき、今さっきまで先輩たちに使っていた独特の敬語で喋ってしまうオニイの狼狽が楽しい。 今まで聞いた事のないオニイの体育会系敬語。 母の知らない世界、母の知らない人間関係がどんどん広がっているのだろうなぁ。
昨日、ようやく、毎年恒例のお茶会が終わった。 今年のお客様は、80人近く。 心配していたお天気も奇跡的な晴天。お客様の足元を濡らすことなく、工房の新緑をお見せすることが出来て何より。 子どもたちもそれぞれにお役目を果たして、よく働いてくれた。
仕事が終わって、ゆるゆるとけだるさを残したまま後片付けをはじめる。 お茶室のお道具類の乾燥やゴミの始末、点心席で使ったタオルや布巾類の洗濯など、まだまだ仕事は山積み。 「なんだか気合が入らないわねぇ。」と笑いながら、一つ一つ片付けて仕事場やお茶室を少しづつ通常モードに戻していく。 楽しいお祭りのあとのちょっと寂しい脱力感。 宴のあとのけだるい朝をだらだらと味わいながら、仕事を終えた。
夕方、長らく即席ご飯やお急ぎランチで切り抜けた台所で、久々にゆっくりと夕餉の支度。頂き物のグリーンピースで豆ご飯を炊く。家庭菜園で丹精して実ったというその豆は、サヤを割るとぷくぷくとした実がみっちりと手をつないで仲良くつまっていて、青い畑の匂いが春の実りの嬉しさを伝えてくれる。台所のテーブルにざるを持ち出して、次から次へと豆を剥く。 子どもらを呼んで「むいてちょうだい」と頼んだら、にぎやかに楽しい皮むき作業が出来るだろう。 でも、台所に隅に座って一人で、じっくりと豆をむく。そんなゆっくりした時間もおんなじくらい私は好き。 だから今日は、あえて子どもらを呼ばずに一人で豆の皮をむく。
笊いっぱいをおおかた剥き終えた頃、ぱちんと割ったサヤの中から青い豆粒がはじけるように指の間を転がり落ちて、テーブルの下へ見えなくなった。 ちょうど外遊びから帰ってきたばかりのアプコが「うわぁ、お豆さんが走っていった!」と言ってテーブルの下へもぐりこみ、こぼれた豆を拾ってくれた。 「元気なお豆さんだねぇ。豆ご飯にするの?」 アプコはグリーンピースの豆ご飯が大好き。 たくさんお替りして食べてくれるだろう。 ちょっと目を離すと、ぱちんと弾けて駆け出していくグリーンピースの元気さは、ちょうど今のアプコとおんなじ。
「子どもを育てるのと同じで、手抜きはしているが、野菜は自分の力で何とか成長してくれる楽しい存在です。」 菓子箱いっぱいのグリーンピースを送ってくれた人の骨太な手紙の文字が、暖かく嬉しい豆ご飯だった。
五月晴れの朝。 私の誕生日。 祝ってもらって嬉しい年ではなくなったけれど、誕生日の朝がからりと晴れた青空だととても嬉しい。 5月生まれで良かったと思う。 私を5月に生んでくださった父上様、母上様。 ありがとう。
「で、いくつになったんだったけ?」 今日のランチは父さんのおごりで外食。向かい合って座って、父さんが聞いた。 「さぁ?42?・・・43?・・・44だっけ?父さんは今いくつ?」 「えっと、いくつだったっけなぁ。53?・・・52?うそ、54じゃないよね。」 私と父さんはちょうど九つ半違い。お互いの年齢を比べるときには9をひいたり10を足したりして計算する。それも時々ごっちゃになって、どっちが何歳だか訳が分からなくなってしまう。 とうとう父さんがかばんの中から電卓を取り出して、西暦の引き算をして私の実年齢を計算してくれた。 はぁ、自分の年ぐらい電卓無しで覚えておこう。 でも出来ることなら永遠の30歳あたりで・・・。
今日から一週間、オニイ、高校での初中間テスト。 先週はテスト一週間前で、入学後ずっと続いていた部活が全面お休み。怒涛のように始まったオニイの体育会系高校生活もほっと一息という感じか。母にとっても、息子が外が明るい時間に帰宅するのは久しぶりで、むしろ「部活骨休み週間」って感じだった。 今週は朝の弁当つくりもまるまるおやすみ。こちらもちょっとほっとする。
「かあさん、やっぱり高校生の本分は勉強やな。 剣道も大事やけど、僕、もっともっと勉強するわ。」 初日の試験を終えて帰ってきたオニイがしみじみと語る。 ほう、さすがに高校生になると、しっかりしたことをいうようになったなぁ。 ・・・なんて感激していてはいけない。 勘の良い母は即座に切り返す。 「で、何の試験が悪かったの。」
「・・・・物理。」 そんなことだろうと思ったよ。 ま、明日も頑張れ。
秋田でまた小学一年生の男の子の受難。 連日の報道に胸が痛む。 なぜ、幼い命がこんなにあっけなく絶たれるのだろう。 聞けば、自宅のすぐそばの公園で友達の親子と別れてすぐに消息が分からなくなったのだという。 その距離、たったの80メートル。 バイバイと手を振れば見通せる距離。 そんなわずかな間隙にどんな悪魔が潜んでいたのだろう。
「ちょっとおばあちゃんちへいってくるね。」と斜め向かいの工房へいそいそとでかけていくアプコ。 下校途中「おしっこしたいから、先に走って帰るね!」と駆け出すアプコ。 公園で「先に帰るよ!」と呼んでいるのに「お願い!ブランコ、一回だけ!」と帰りを渋るアプコ。 そのとき、私とアプコの間の距離は何メートル? 我が子との距離を「不安」というメジャーで何度も何度も測ってしまう。 いやな習慣がここのところ染み付いてしまって抜け出すことが出来ない。
先日のアプコの遠足のときのこと。 朝、我が家の前のハイキングコースを皆と一緒に通過していったアプコ、しばらくして一人のお友達を連れて駆け戻ってきた。 すぐ先の集合場所で引率の先生から「トイレについて行ってあげて」と頼まれて、お友達を案内してきたのだという。たまたまその場所での引率の先生の手が足りず、仕方なく近所に住んでいて地理に明るいアプコが案内役に起用されたのだろう。 ちょうど私が外に居て、走って戻ってくる二人を見かけたので、「あそこのトイレは汚いし怖いから、うちのを使いなさい。」と自宅のトイレを使わせた。 この日の「トイレ拝借」は合計3回。3回とも先生の引率は無しで、アプコが同じく低学年の女の子と手をつないでやってきた。
先生が指示したトイレはひと気も無く、普段余り利用されていない薄暗い公衆トイレ。たまたま私がアプコの姿を見かけたから自宅のトイレを使わせたけれど、そうでなければアプコはお友達と二人であの公衆トイレに入っていたことだろう。普段から「あのトイレには近づいちゃ駄目よ」と言い聞かせている場所だけにぞっとする。
こんなことでいちいち口うるさく言うのはどうかなぁとためらいつつ、アプコの帰宅後学校に電話を入れた。電話口の教頭先生に状況を話し、トイレを貸したことに苦情ではなく、低学年の女の子だけでひと気の無い公衆トイレに行かせることへの不安を訴えたいのだと念を押した。その時点では教頭先生はこちらの意図する所をちゃんと汲み取ってくださったようだった。多分他の先生方にもちゃんと伝えて置いてくださったのだろう。 後日、学校に顔を出した折に何人かの先生方から「先日はどうも・・・」と声をかけていただいた。たいがいの先生にはこちらの意図は通じているようだったけれど、中にはやはり、自宅のトイレを貸したことへの苦情ととっている先生もあったようで、その辺の危機管理意識の溝はあるなぁと感じた。
ここ数年、幼い子どもが攫われたり、意味も無く突然殺されたり、わけの分からない事件が続く。親が安心して子どもの手を離して歩ける距離がどんどん短くなっていくような気がする。 同じ年齢のときのオニイやアユコには「一人で行ってごらん」と言えた距離が、「ちょっと待って、お母さんも一緒にいくから」と言わざるを得ない距離になる。 「一人で行けて偉かったね。」といえた場所が、「危ないから一人で行っちゃ駄目。」の場所になる。 今回の「トイレ拝借」の事だって、指示を出した先生にとっては「これくらいなら大丈夫」の距離、私にとっては「子どもだけでは行かせられない危険な場所」という微妙な危機意識のズレの問題だったということだろう。
集合場所から公衆トイレまではそれこそ80メートル余り。 この短い距離を「安全」と思えない私は、臆病な母なのかもしれない。
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