月の輪通信 日々の想い
目次過去未来


2006年03月03日(金) 薄焼き卵

桃の節句。
義母に大きい半桶を借りて、散らし寿司を作る。
朝、NHKの料理番組でも薄焼き卵ですし飯を包んだ春らしい袱紗寿司の作り方を放送していた。アシスタントのアナウンサーが薄焼き卵をうまく作るコツをたずねたら、講師はにこやかに答えた。
「薄焼き卵っていうのはね、不思議なものでイライラしたりせかせかした気持ちで作るとその気持ちが伝わってしまうみたいなんですよ。だから、ゆっくり丁寧に、のんびりした気持ちで作るのが何よりです。」
なるほど、実感だなぁ。
としたら、今日の卵はうまく焼けそうにないなぁと思っていたら、果たしてそのとおり。厚くなったり薄くなったり、千切れたりしわくちゃになったり。
いいの、いいの。
刻んでしまえばそれでもいいの。

午後からまたみぞれ混じりの冷たい雨。
オニイは学校の帰りに残り二つの学校の下見に出かけているはずだ。
朝の好天にだまされてオニイはまたしても傘を持たずに出かけた。知らない町をまた一人で雨にぬれながら歩いているのかなと思うと、心が痛む。
こうしてもがいたりうめいたりしながら、子どもは母の手元から飛び立つ準備をしていくのだろう。
もどかしいけれど、親が代わりにもがいてやることは出来ない。
いつもどおりの顔をして、いつもどおりの夕食を用意して子どもらの帰りを待つ。
出来るのはそれだけ。


2006年03月02日(木) 頑張れ

朝からねじり鉢巻で部屋を片付け、雛人形を出す。
我が家では例年、3月3日から4月3日まで雛人形を飾る。いつもなら父さんが工房から緋毛氈を持って帰ってきて、お飾りスペースを作るのを手伝ってくれるのだけれど、今年はそれも私一人で。

昼過ぎ、公立前期の発表を見に行っていたオニイからの電話。
落ちた。
事前の進路指導では「まず大丈夫」と言われていた学校だけに、親子で絶句。
はぁ、こういうことってあるんだなぁ。
朝のうち、あんなにいいお天気だったのに、午後から急に降り始めたみぞれ交じりの雨。オニイは今日、傘を持って出かけなかった。
冷たい雨の降る駅への道のりを、どんな気持ちで帰ってくるのだろう。
すぐにも傘を持って抱きしめにいってやりたい気持ちと、「うそでしょ、なんで?」と言う気持ちでしばし呆然。
父さんにメールで伝え、それでも誰かに訴えずにはおられない気持ちのままに実家に電話をかける。

珍しく電話に出たのは母ではなく父だった。
父は私の声を聞くといつものように「ん、お母さんに代わろうか」と言う。
以前に父が「お前はほんとに参ってるときはすぐに『お母さんに代わって』と言う。父親はお呼びでないらしい」と冗談を言っていたのをふっと思い出して、「オニイがね、不合格だったらしいの」と父に告げる。
「そうか。で、どうする。」
「私立はとおってるけど、もう一つ公立を受けると思う」
「ま、いろいろあるわ。頑張れ」
父との電話は、あっけなく短かった。

そうだった。
私が大学受験に失敗したとき、採用試験に落ちたとき、そして弟たちが大学受験でおもうような結果が出せなかったとき、父はいつも「うん」と頷いて決して結果を責めなかった。
「で、どうする。」
責めない代わりに、父は凹んだり泣いたり恨み言を言ったりする暇をあたえず、次に起こすべき行動を問うた。そんな父の強引な導きについて行けない思いで反発したこともあったけれど、今思うとその強さがなければ私は次に踏み出すきっかけを見失っていたのではないかと思う。
失敗にうなだれているわが子を引きずり起こし、「立ち止まるな、次の道を探せ」と促す父の心のうちはどんなだったのだろう。
親になって初めて思いはかる父の心境。
そうだった。そうだった。

学校への報告を終えて、雨の中自転車で帰ってきたオニイ。
しゅんと凹んで無愛想で、痩せた肩がいつもより小さく見える。
あれこれ聞いてもむっとして答えない。
ほっといてよ。ちょっと黙っててよ。
そんな言葉ばかりが返ってくる。
さあ、今度はこの子をどうやって引っ張り挙げようか。
親としての力がまた試されている気がする。

学校で、担任の先生や進路指導の先生との懇談の結果、公立後期で受験可能な学校を3つ提示された。ここ数日の間に3つの学校を実際に見に行ってきて、いろいろな条件を考慮して受験する学校を最終決定するという。
懇談の帰り、「とりあえず、今から一番近いT高校を一人で見ておいで。」と電車賃を持たせてオニイを最寄り駅へ置いてきた。
頑張れ、頑張れ。
へたり込むのはもうちょっと先にしよう。


2006年02月28日(火) 身につまされる

暖かい春の気配に、いつもは肩までたらしている髪を高くまとめてくるくる巻いてお団子にしてバレッタで留めた。
ものめずらしそうにアプコが寄ってきて、「あ、そのくくり方、ひいばあちゃんと一緒や!」と指差す。
明治生まれのひいばあちゃんは、白髪ばかりになった髪をゴムできゅっと縛ってお団子にしてグサグサとヘアピンでさしてまとめている。
若い頃の丸髷の名残だろうか。ゴムを解いて髪を降ろしたところを見たことは無いのだけれど、ひいばあちゃんの髪は見かけによらず結構なロングヘアなのだ。
工房仕事の大先輩、いくつになっても仕事の手を休めようとしないひいばあちゃんに髪型だけでもちょっと真似っこ。
悪い気はしてない。

「パン、全品3割引」のチラシにつられて朝からスーパーへ出かけた。
男の子たちがおやつ代わりに食べる惣菜パン、アプコの好きな甘い菓子パン、昼食用のテーブルロール。パン屋さんが出来そうなほどレジ籠にパンを詰め込んでレジに並ぶ。
どのレジにも2,3人ずつ並んでいる人がいて、一番空いていそうな列に並んだら、すぐ前に老齢の婦人が並んでおられた。
ご婦人の籠には一人用のお刺身のパックや500mlの牛乳パック、にんじんが一本・・・・いかにも一人暮らしの夕食らしい食品が6,7点。我が家の毎日の膨大な買い物量に比べたら、なんとささやかなお買い物。高齢者の一人暮らしの食卓とはこんなものなのかなぁと思いはかる。
レジ係のお姉さんが手早く商品をレジを通し支払い金額を告げると,
おもむろにバッグの中の小銭入れを引っ張り出し、硬貨を一枚づつ台の上に並べ始める。
ご婦人の買い物額は900円足らず。始めに500円玉を出したもののそのあと続いて出てくるのは10円玉や5円玉など茶色い硬貨ばかり。どうやらお金が足りないらしい。
「ではどれか減らしましょうか?」
レジ係の女性はご夫人を気遣って、声をかける。ご婦人はしばらく考えて佃煮の小瓶を返すことにしたが、計算しなおした買い物額でもまだ数百円お金が足りない。こんどは小さなお醤油のビンを返して、財布にありったけの小銭を払ってようやく足りたようだった。

「お待たせいたしました。」
ご婦人のレジを終えて、私のレジ籠に手をかけたレジ係の女性が頭を下げた。3割引のパンだらけの籠ににっこり笑ってレジ打ちを始める。
ところが先ほどのご婦人は支払いを終えた籠を袋詰め用の台に運ばずに、同じレジ台の端っこでそのまま商品を袋に詰め始めた。そして、小さなふくろに数点の品物をつめると、空のレジ籠を手にキョロキョロ周りを見回してから、「この籠、ここに置いていっていいかしら」とレジ係に訊く。
レジ係はちょっと困った顔をしたけれど、「いいですよ、置いていってください」と答えた。ご婦人はレジ係の答えを聞くまでもなく、レジ台の端に空の籠を置いて立ち去ってしまった。
レジ係の人は会計を終えた次のレジ籠を送り出すスペースを奪われて、ちょっと戸惑ったようなので、私は「いいよ、一緒の片付けとくから、重ねておいて頂戴。」と申し出た。
「すみません、お願いします。」とレジ係さんは私のレジ籠を老人の空のレジ籠に重ねておいた。

「なんか身につまされちゃいますね。」
それまでお仕事仕様のスマイルで応対していたレジ係さんがふっと表情を緩めてささやいた。
「ほんとにね、歳をとるって辛いね。」
と私もうなづく。
混んだスーパーのレジで手際よく支払いを済ませる敏捷さも、自分の所持金と買い物総額をあらかじめ確認しておく気構えも、自分の後ろに並んでいる人への気兼ねも、年齢とともに衰える。そして自分が周囲の流れと微妙にずれていることにさえも気づくことができなくなる。
そういう老いの悲しさを彼女もきっと感じたのだろう。
きっとこの人も自分の身近に年老いていく人を抱えているのではないだろうか。
忙しい買い物の最中の些細な一こま。
名前も知れないレジ係の女性との間に、何かしら柔らかなぬくもりに似た繋がりを感じて、ほっと心が緩んだ一瞬だった。


2006年02月27日(月) お付き合い

朝、父さんと義兄はワゴン車いっぱいに作品を積み込んで東京へ向かった。
父さんの出て行った後、明かりの消えた工房に入る。
つい昨日まで汚れた刷毛や釉薬の容器が所狭しと転がり、ポットミルや乾燥庫の運転音がなり続けていた工房はきれいに片付けられ、しんと静まり返っている。最後の窯出しを待つ間にさっぱりと片付けておいたのだろう。ここ数日の怒涛のような苦闘の跡がうそのようになくなっている。
父さんの作業台に残された釉薬まみれのエプロンをくるくると丸めて持ち帰り、洗濯機を回す。
これから一週間、父さんは東京の個展会場に連日詰める。
子どもたちと父さんの留守を守る一週間。

アユコ、学年末試験初日。
居間のコタツで試験勉強を始めたけれど、すぐに困った顔をして教科書を閉じた。
「おかあさん、どうしよう。ノート、友達に貸したまま返してもらうの忘れてた。明日試験なのに・・・」
はぁ?のんきなことで。早く連絡して返してもらってきなさいよ。
「でもメールアドレスしか知らないし・・・」
近頃学校ではクラスの連絡網が廃止されたので、普段仲良しのクラスメートでも電話番号を知らないこともよくあること。
「メールアドレスならわかるんだけど・・・」
とおもむろにPCを開いてメールを送るが、相手もPCなので相手がすぐにチェックしてくれるという確証もない。
電話帳を調べてもそれらしい番号が見当たらない。
「どうしよう。」
とうなだれて考え込むアユコにしばしお説教。

ちょうど昨日の日曜日の朝、別の友達がアユコに借りていたノートを返しに来て、昼過ぎまでなにやら部屋でしゃべりこんで帰っていった。
試験ぎりぎり前だというのに、友達にノートを貸したり自宅でおしゃべりに付き合ったり・・・。そんなことをしていられるほど、余裕があるの?
朝はお寝坊しているみたいだし、TVを見たりPCを触ったり、ちっとも試験に集中していないようじゃない。
昨日もそんなお説教をしたばかり。
だいたい、試験前日になって手元にノートがないことに気づくってどういうこと?借りたまま返さない子も悪いけれど、そんなことくらいちゃんと自分でチェックしておかないでどうするの。
仲良しこよしはいいけれど、ちゃんとやっておかなければならないこと、守らなくてはいけないルールというものもあるんじゃないの?

「友達はちゃんと選びなさいよ」ともう一言、言ってしまいそうになるのをぐっと堪えたところで、メールの返事が返ってきた。
「あ、今日持って行ったのに渡すの忘れてた」
「ごめん」の一言もなければ、「すぐに返しに行くわ」の気配もない。
電話と違って「すぐに返して!」と返事をすぐに返すことの出来ないメールのもどかしさ。
アユコはその文面にがっかりして、私が飲み込んだ言葉の意味を自分で察して唇を噛んだ。
「もう、絶対あの子にはノート貸さない。」
アユコの頬に大粒の涙がこぼれた。

そうでなくてもこの年頃の女の子たちのおつきあいは、微妙にべたべたしたりピリピリしたりして難しい。
一番の仲良しと思っている子から些細な事で裏切られたような気がしたり、不用意に傷つける言葉を発して仲たがいをしたり。
何かというとなぐったとか怪我をしたとかそういうい事態に発展する男の子たちとも違って、女の子には女の子の彼女らなりの微妙なお付き合いの難しさがあるのだろう。

「で、どうするの?ノートなしで試験勉強するの?泣いてたって解決しないよ。さっさと考えて行動しなきゃ。」
心を鬼にしてアユコのお尻を叩く。
「その子の家にあなたが取りに行くことは出来ないの?
もう一度連絡をとってみたら?
それが駄目なら、誰か近くの友達に借りるとか、他に方法はないの?」
いろいろ考えた末、近所の仲良しのAちゃんに30分だけノートを借りてきてコピーをとらせてもらう交渉をしたようだった。

授業中ちゃんとノートをとっていたアユコが試験直前に友達のノートを借りに走り、人のノートを借りっぱなしの友達が「あ、忘れた」と平気な顔をしてる。
これってなんか悔しい。
たった30分とはいえ、ノートを貸してもらったAちゃんにも、迷惑かけたことになる。
女の子にとって仲良しの友達って大事だけれど、だからこそ気持ちのいい友達づきあいのルールってヤツをしっかり考えてみたほうがいい。
とりあえず明日、相手の女の子に「昨日はノートが無くてとっても困ったわ。」と文句をいってごらん。彼女はもしかしたらアンタがいま、とっても悔しい思いをしてることに全然気がついていないかもしれない。それは彼女自身にとっても不幸なことだよ。

・・・そんな風にアユコを諭したのだけれど、多分アユコは明日学校に行っても彼女にそのことは告げないだろうと思う。いつものように笑ってノートを返してもらって、たわいないおしゃべりをして、でも2度と彼女にノートは貸さなくなるのだろう。
「あの子は、多分いっても気がつかないと思うから・・・。」
友達のためにあえて文句を言ってお互いに気まずい思いをするよりも、何事も無かったような顔をして一本線引きをした表面だけの友達関係を続けることを選ぶようだ。それが面と向かってぶつかりあうことを極度に嫌う今どきの子どもたちの、仲良しごっこの実態なのかもしれない。

アンタがそれでいいと思うんならそれでいいんだけどね・・・。
母はなんか違うと思う。
うまく説明は出来ないんだけれど。


2006年02月26日(日) 父さんの青

いよいよ個展準備最終日。
明日の朝には、たくさんの作品をワゴン車に積み込んで、父さんと義兄が東京へ向かう。
工房では最終の窯出し。出てきた作品が冷めるのを待って、華入の内側にシリコン溶剤を塗って防水処理をする。
霞にけぶる春の野山を描いた華入の淡い色合い。
いいなぁと思う。
窯から出たばかりの新作に描かれた穏やかな春の景色を誰よりも早く目にすることの出来る妻の特権。

午後から出品作品のリストチェックと梱包の作業。
義兄の作ったリストに従い、80点あまりの作品に品番シールを貼り、薄様とミラマットで梱包して段ボール箱に詰める。
今回は窯展ではなく、父さん個人の個展なので少し前に作った作品も出品する。数年前に作ったモンゴルの陶額や富士山の華入など懐かしい作品の包みも再び開ける。
毎回毎回、展覧会のたびに新しい作品を次々に生み出していく父さん。こうして以前の作品と最近の新作を並べてみてみると、扱う風景やテーマだけでなく、削りの技術や釉薬掛けの工夫も時を経るごとに変化して洗練されてきていることがよくわかる。

何点目かに開いたのは、沖縄の紺碧の海を切り取ったような平型の華入。
コバルトやうす青、紫などの釉薬を微妙に塗り重ねた海の色が、使い古した梱包材の中から現れると、その鮮やかな青に思わず作業の手が止まった.
私は沖縄の海をみたことはないけれど、夫の作る作品の青で南国の海の晴れやかな海と空を味わう。
これだけの作品を作り出す手が、今、私のすぐそばにいるこの人の手だということの不思議。


   吉向孝造  陶彩展 

   2006年 2月28日(火)〜3月6日(月)10:00〜19:30
               (最終日17時閉場)

   東京 池袋三越  4階 アートギャラリー


2006年02月25日(土) グライダー

父さんの仕事場、いよいよ風雲急を告げる。
最後の最後まで粘って、吹き付けの釉薬がけ。
一番よく使う透明釉がとうとう底をついて作り置き用の大きなバケツの底をさらって漉し器で漉し、とりあえずの用を足す。
徹夜続きの父さんの顔や髪は、細かい埃や釉薬の塵で汚れ、うっすらと霧がかかったように煤けている。男前がだいなしだぁ。

家の前の道路に座り込んで、ゲンがなんだかぶつくさ独り言を言いながら作業をしている。ゴム動力のグライダーのゴムの部分に絡まった凧糸を苦心して解いているのだ。
「ありゃりゃ、派手に絡まったねぇ。凧糸、切ったほうがいいんじゃない?」
「うん、でもな、途中で切るのももったいないし・・・」
あ、そっか。ゲンも絡まった毛糸は最後まで切らずに根気よく解いていきたいタイプだったのね、アタシと一緒。で、親子で地べたに座り込んで絡まった糸を少しづつ根気よくとき始めた。
「・・・で、なんでグライダーに凧糸なんかが絡まったの?」
「あのな、ごっつうええこと思いついたと思ったんやけどナ・・・」
ああ、みなまで言うな。この間からしょっちゅう自慢の愛機を飛ばしては、近所の木の枝や屋根の上に引っかかって何度も苦心惨憺していたゲン。あれこれ考えて凧糸をつけて飛ばせば、引っかかっても糸を引っ張って落とすことが出来ると考えたのだろう。
ところが残念。木に引っかかるほど跳ぶ前にキリキリ巻いたプロペラのゴムに糸を巻き込んでしまい、この有様。

「あはは、ちょっと考えが浅はかやったなぁ。第一、糸つけたまま木に引っかかったら、下からひっぱっても突っついても落ちてこないじゃん。」
「あ、そっか。考えてみたらそうやなぁ。」
「よかったなぁ、木に引っかかる前に気がついて・・・。」
「それもそうや。」

いいこと、考えた!と思ったら、躊躇せずさっさと試してみる。
あとさき省みずにとりあえず飛びついてみる。
うまくいったら、大喜び。失敗して凹んでもくさらずに敗因を分析してあっさりと負けを認める。
天真爛漫のチャレンジャーぶりが我が家の次男坊の愉快なところ。

苦心の末、凧糸の金縛りから救出したグライダーを恐る恐る、でも嬉しげに宙に投げる。
ふわりと風に乗り、気持ちよく滑空する雄姿はやっぱり命綱を持たない自由さがいい。


2006年02月24日(金) できたよ

「ぼく、ぼく!」
受話器をとると、オニイの声。
「誰よ」
「僕、僕!ボクボク詐欺やで!」と笑っている。
「自分で『詐欺やで』と名乗るヤツはおらん。」
「それもそやな。あ、面接、今終わった。これから帰ります。」
やけに緊張して第一志望の高校の面接試験に出かけていったオニイ。
試験が終わってよほどほっとしたのだろう。いつも無愛想なオニイの電話の声が今日は妙に弾んでいて、くだらないジョークを飛ばして自分でへらへら笑っている。
中学の先生の話し振りではほぼ間違いなく安全圏という志望校だけれど、それにしてもオニイにとっては先の見えない「一世一代」の入学試験だったのだろう。
とりあえず、無事試験を終えられてよかった。
お疲れさん。
発表は来週木曜日。

実を言うと今回の受験で私が心配していたのは、偏差値や内申点でも試験の成績でもなく、オニイの試験当日の体調だけだった。
昨年春の不登校騒ぎの後も、すっかり元気になったとはいえ、定期テストや個人懇談の前日など、ちょっとしたストレスの前にはなんとなく調子がわるくなる事もあるオニイ。「ゆうべ、なんか変なもの、喰ったかな?」なんて紛らせてはいるものの、まだ時々「過敏性なんとか」の傾向は残っているようだ。もしかして大事な受験の日の朝に何かあったらという僅かな不安が、オニイにプレッシャーや期待をかけることを躊躇わせていたような気がする。
幸い、今回は私学と公立2回の試験の日にもこれといった体調の変化も無く、無事に試験を終えた。多分これからはオニイのことをもっと手放しで大らかに見守っていくことが出来るようになるだろう。
よかった。

「おかあさ〜ん、見てみて!」
アプコがピンクのキティちゃん自転車で私を追い越していき、道幅の広くなったところでクルリとUターンして見せた。
先週、ようやく補助輪なしの自転車の乗れるようになったアプコ。
つい昨日まではカーブを曲がることも出来なくて、直線コース限定で家の前の道路を往復するばかりだったのに、今日はもうオートバイのレーサーのように車体を傾けてザザッとかっこよくUターンが出来るようになっている。
一日一日新しいことが出来るようになる、自転車乗り始めの嬉しい気持ちがあふれんばかりの笑顔に見て取れる。
生まれて初めて寝返りが出来た日。
生まれて初めて歩いた日。
あのときにもきっと、こんな笑顔でいたのだろうなぁ。


2006年02月23日(木) 優しくない言葉

朝から工房の手伝い。
父さんの個展搬入まであと数日。
父さんの表情にも追い詰められた緊張感が混じる。日数を逆算するとどうしても焼き上げまでの時間が足りない。
新しい釉薬を調合しようと計量を始めたら、なんと一番ベースとなる材料のストックが足りない。残った原料の量にあわせて、再び計算しなおして新しいコバルト釉を作る。
小さいほうのポットミル(攪拌機)の回転する音は軽やかな三拍子。
「作りたい!作りたい!時間が足りない!」と嘆く父さんの目は血走っている。
個展前のいつもの風景。
うんうん、いい感じの追い詰められ加減だ。

遅ればせながら、ひいばあちゃんが介護認定を受けることになった。役所から訪問調査員が派遣されてきて、ひいばあちゃんと直接会って普段の生活の様子を聞き取り調査にこられた。
調査員の女性はにこやかな感じのいい女性で、耳の遠いひいばあちゃんのそばに顔を寄せてゆっくりと話すそぶりが高齢者相手のおしゃべりになれているなあという印象。
私は仕事場で洗い物をしながら、ひいばあちゃんとその女性が話す様子を聞くともなく聞いていた。

「胸のほうはまだ痛いですか。」
先日洗面所で転倒したひいばあちゃんは、救急車で運ばれた病院では骨は折れてないと診断されたのに、数日後別の病院で見てもらったらやはり肋骨の骨折が見つかった。
場所が場所だけにこれといって手当てをすることも出来ないそうで、普通の生活をしながら自然に治癒するのを待つしかないのだそうだ。
調査員の人はその怪我の経過をひいばあちゃんに尋ねているようだった。
「体、動かしたり咳をしたら、まだ痛いですねぇ。・・・歩くのは大丈夫ですか?そうですねぇ。痛くても動かないとねぇ・・・。」
ひいばあちゃんの訴えを一つ一つ繰り返しながら、根気よく相槌を打つ。ひいばあちゃんも丁寧に受け答えしてもらって、ご機嫌よくおしゃべりをしておられる様子だ。
「怪我のほうはね、『日にち薬』ですからね、しょうがないですねぇ。・・・『日にち薬』ってね、優しくない言葉ですけどね、ぼちぼちのよくなられますからね、辛抱なさってね・・・。」

「優しくない言葉」
相談員の女性の漏らした些細な言葉が胸に引っかかった。
そうか。「日にち薬」という言葉を「優しくない」と感じる人もあるのか。
確かに痛みや苦痛を今現在抱えている人に対して、「そのうち治るから・・・」と辛抱を強いてそれ以上の訴えを封じてしまうかもしれないその言葉は、もしかしたら本当にその人の立場に身を置いた親身の言葉とはいえないかもしれない。
普段、何気なく慰めの言葉のつもりで使っている「日にち薬」という言葉にそんな風に神経を使うのは、さすがに日々高齢者の福祉を職業としている人の感覚なのだろうなぁと感心する思いで聴いた。
・・・・のだけれど、やっぱりなんか違う。
「優しくない言葉」に引っかかりを感じたのは、相談員の言葉に対する細やかな心配りに感心したからではないような気がする。
この微妙な違和感は何なんだろう。

「環境に優しい洗剤」とか「地球に優しい企業」とか言う言葉がよく聞かれる。「優しい」という言葉が、「〜について配慮している」「〜に気配りをしている」という意味で多用されるようになったのは最近のことなのだろうか。もうすっかり耳慣れて、新鮮さは全くなくなってしまったけれど、私はあの言葉が嫌い。
もともと「優しい」かどうかは、その行為者が自分の行為に対して評価することではなくて、あくまでもその行為を受けた相手が感じること。だから行為者自身が自分の行為に対して「優しい」という言葉を使うときには、必ず「優しくしてあげる」という恩着せがましい自己アピールのにおいが混じる。
「私はこれだけ思いやりのある人間です」「当社はこれだけ環境問題に積極的に取り組む会社です。」と真正面から言い切る厚かましさがどうしても胸に引っかかってストンと落ちることがないのだ。

同じことを「優しくない言葉」に適用するとするならば、私は今日相談員の女性の言葉に「私はクライアントとの会話の中で使う言葉遣いに対して細心の注意を払っていますよ。」というかすかな自己アピールを感じてしまったのかもしれない。
それは多分、目の前で話しているひいばあちゃん自身に対してではなく、そばで聞いている介護者である家族に対する「高齢者に優しい相談員」としてのイメージのアピールなのだろう。
そのかすかな不快感が私をそこに立ち止まらせたのではないかと思ったりする。

耳も遠く、周りの会話の流れがのみ込めないひいばあちゃんの受け答えは時にとんちんかんで要領を得ない。近頃では時間の観念にも少し乱れが出てきて、自分の寝間で過ごされる時間も長くなった。手足も衰え、以前のように仕事場へ降りてこられることも少なくなった。
ひいばあちゃんの仕事台には、ひいばあちゃんの仕事用の前掛けが畳んだまんまで埃をかぶっている。
傍目にはひいばあちゃんは「介護してあげる」「面倒を見てあげる」「優しくしてあげる」に十分な高齢者なのだろうと思う。
けれども私自身はまだ、この偉大なる明治の女であるひいばあちゃんに対して「してあげる」という言葉を吐く気持ちになれない。
幼い頃から窯元の仕事に入り、早世した先代さんの未亡人として窯の火を守り、息子たち孫たちの下で淡々と職人仕事をこなし、一つも自分の名を刻んだ作品を残すことなく生涯を終えるだろうこの人は、いつまでたっても親しみを込めて見上げる人なのだろうと私は思う。

今日明日、オニイの公立高校入試。
明日の面接試験。
「尊敬する人物は?」と問われたら、オニイは「うちの曾祖母です」と答えるのだという。「ひいばあちゃん」ではなく「曾祖母」と言う言葉を使ったほうがいいよねぇと首をかしげている。
言い慣れない言葉を使うのがなんとなく億劫なのだろう。
オニイもまた、この人の偉大さをよく理解してくれているのだろうと嬉しく思う。


2006年02月18日(土) ハンドクリームの愛

朝ご飯の片づけをしていたら、父さんが通りかかったので「ねぇ、今晩何食べよう?」と聞いてみた。
「別に、何でもいいよ・・・ってのがいちばん困るんでしょ?」
といわれた。
別に当意即妙の答えは期待していないからいいけどね。
「しっかし、主婦ってのも大変だよなぁ。朝ごはんが終わったらと思ったら昼ごはん。次は晩御飯だもんなぁ。
三食、そのたびごとに考えて作っていかなければならないし、食べるほうはチンと座れば食事が用意されてて当たり前の世界だしね。
僕にはできん仕事やね。」
と父さんが珍しく殊勝な発言。
「あらまぁ、それはありがとう。
私なんかに言わせれば、父さんの仕事のほうが大変やと思うけどね。
自分の腕一本で作品を作って、たくさん売って女房子どもを食べさせていかなければならないし、徹夜続きでいつも締め切りに追われてるし、手は荒れるし腰は痛めるし・・・。
アタシには出来ん仕事やね。」
「お互いに自分に適した仕事が出来てよかったねぇ。」
と顔を見合わせて笑う。
こういういたわりの言葉をさらりと照れずに言えるところが父さんの優しいところ。
それとも、「同病相哀れむ」の心境か?

先週、お出かけが多くて工房の手伝いがなかなか出来なかったので、一日工房エプロンで過ごす。
池袋での個展を前に、いよいよ父さんの仕事も大詰め。
工房の中では、あちこちに製作途中の作品が並んでいる。
洗い物用バケツに投げ込まれたおびただしい数の使用済みの刷毛類をまとめてガシャガシャと洗う。
釉薬の調整に使うCMC(ふ糊)もあっという間に空になり、空いたビンが流し台に並んでいる。慌てて4本分まとめて拵えて、冷蔵庫にしまう。
洗い物が山積みで、CMCの空き瓶が次々できて、父さんの作業エプロンがどろどろに汚れていると言うことは、昨日今日の父さんの仕事が充実しているということの証。
何より何より。

新しい釉薬を作るというので、ポットミルのポットを洗い、釉薬の材料を計量する。ポットミルは釉薬を粉砕攪拌するための機械。重い陶製のポットに大小の陶製の玉と計量した材料と水を入れ、からからと回転させて釉薬を攪拌する。
重いポットから前に作った釉薬を掻き出して別の容器に移し、陶製の玉とポットをきれいに洗う。
決められた量の原料をはかりで量って、ポットに入れる。
セメント袋からばっさばっさとスコップで取り出すと、腕まくりした肘までまっしろに粉を吹いたようになる。
ポットのふたをねじで閉めて、ミルにかける。
カラカラとミルの回転する音がはじまると、工房にあたたかい空気が流れるようで、私は釉薬作りの仕事が好き。

ところで、台所仕事ではゴム手袋なしでも手荒れの経験のない私の手。
釉薬のポット洗いの仕事をすると必ずというほど、ガサガサと荒れた手になる。釉薬の細かい粒子や乾いた粉が手指の脂分を絡めとってしまうのだろう。
この冬我が家の茶の間にはいろんな種類のクリームのビンが並んだ。
仕事の手荒れ専用のハンドクリーム。冬にはガサガサ角質化するかかと専用のクリーム。アプコの乾燥肌用の「もものはな」。
今日、父さんと二人でお互いのガサガサの手の甲を仲良くすり合わせてハンドクリームをぬってみた。毎日徹夜仕事の続く父さんの手は私以上にガサガサと潤いを失っている。
お互いの手を労わる想いでそのぬくもりを分かち合う。


2006年02月16日(木) 運命の一校

オニイの私学入試、合格発表。
ちょうど公立前期の出願日と重なったので、代理で結果を見に出かける。
とりあえず合格でほっと一息。
学費や通学時間の問題もあってあくまでも第一志望は公立だけれど、今日の私立高校は美術の専門校。おっとりした穏やかな感じの校風が悪くないなぁという印象。もしもオニイが一人っ子で彼一人に十分な教育費をかけてやれる環境が整っていたなら、こんな学校で好きなことを十分にやらせてやってもいいかなぁと思ったりするのだけれど。
許せ、オニイよ。

今年一年、オニイの進路をめぐってあれこれ家族で考えることが多かった。
子どもたちの将来の進路のこと。
これからおそろしい勢いで増えていくであろう教育費の負担のこと。
窯元襲名が近づく父さんの仕事のこと。
そして、この仕事を誰にどんな風な形で継がせるということ。
近頃、父さんのあとを継いで陶芸の仕事をしたいと少しづつ決意表明しはじめたオニイは、進学する高校選びにもその進路を意識した選択をしたようだ。
早くから自分の進路を定めて、その方向に絞った学校選びをすことが彼にとって果たして最善の選択なのかどうか、今はまだわからない。

仮に希望する学校に入学することが出来なかったとしても、その学校でたった一人、一生の友情を暖めることの出来る友人や尊敬できる教師に出合うことができたら、その学校は誰かにとって「最善の学校」となるだろう。
どんなに評判のいい学校に入学しても、たった一人、いやな教師、よくない友人に出会ってしまったら、それだけで誰かにとっては「最悪な学校」になってしまうかもしれない。
どちらにしてもそれはその人その人の運命のようなものではないかと思うl
結局のところ、彼が自分の選んだ学校で何を学び、どう生きていくかというこれからの彼の努力しだい。
そう思うと、とりあえず試験の結果で入学することになった学校が彼にとっての最善の学校。そうなるように、大らかな気持ちで見守ってやりたいと思う。


月の輪 |MAILHomePage

My追加