月の輪通信 日々の想い
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2006年02月15日(水) 旧姓

旧姓で呼ばれる夢を見た。
夢の中で私の名を呼んだのは、子どもたちの友達のお母さんで、私の旧姓を知っているはずのない人なのに、夢の中の私は当たり前のように返事をしていたりして、なんだか不思議な夢だった。
思えば結婚して今の姓になって15年余り。
旧姓で呼ばれることも、旧姓の下に自分の名を書き記すこともなくなって久しい。
たわいない夢の一こまに長く慣れ親しんでいた実家の姓を呼ばれて、たったそれだけのことなのに、何故だかちょっと嬉しくて、今朝はとてもいい朝だった。
この間、実家からあれこれ食料品の詰まった嬉しい小包が届いたせいだろうか。
電話で久しぶりに実家の父母の声を聞いたせいだろうか。

習字の稽古に出かけた。
9月に習字を始めたばかりのアプコは、作品の端に小筆で書く自分の名前がずいぶん上手に書けるようになったと褒めてもらった。
中学生になって「かな」を学び始めたアユコは、自分の名を少し崩した行書で書く。近頃急に大人びた文字を書くようになった。
あっさりした漢字二文字の姓の下に、映りよく収まるようにと娘たちに命名したひらがな3文字の名前。
考えてみたらこの子らにとっても、いつの日か今の姓は「旧姓」になるのだ。せめて今だけ、やがて旧姓となる今の姓を大事に丁寧に書いて欲しいなぁと思ったりする。


2006年02月12日(日) 姫の食卓

アプコのお食事はいつもマイペース。
朝のあわただしい時間、「あと5分で出かけるよ。」という時間になっても、慌てない、騒がない。悠然と箸を運ぶ。
自分の好きなおかずは一番に箸をつける。
目分量で「エビフライは一人3個ずつ」という暗黙の了解は、通用しない。
自分のお皿にたくさん取り分けた食べ物があるのに、大皿の別のおかずに手を伸ばす。
大皿にたった一個残った「遠慮のかたまり」は当然自分に与えられる物と信じている。
そのくせ、自分のお皿に取りすぎたおかずが食べきれなくて、「おなかいっぱい」とお残しをする。
近頃、こうしたアプコの傍若無人の食事態度が、他の兄弟たちの癇に障る。

「遊び食べはしない」
「おいしいものはみんなで分ける。」
「お皿に取り分けられたものは残さず食べる。」
「欲張らない、がっつかない」
上の3人の子どもたちが幼い頃には、それなりに厳しくしつけた食事のマナー。
少し年齢をあけて生まれてきた末っ子姫のアプコには、どうしても「まだ小さいから・・・」「まだ難しいから・・・」と特別扱いされることが多くて他の兄弟たちには面白くないのだろう。
一方、生まれた時から好きなもの、欲しいものを比較的最優先に与えられたアプコにとっては、オニイからの小言もアユ姉からの教育的指導もゲンからのブーイングも「何、言ってんの、この人たち・・・。」と無表情に聞き流す。
これもまた、オニイオネエの癪の種だ。

「私のときはもっと厳しく叱られたのに・・・」
「僕が小さい頃には、食べ残したお皿と一緒にベランダに出されたのに・・・。」
オニイオネエは訴える。
「そんなこともあったけねぇ」
母はとぼけてお茶を濁す。
確かに上の3人が幼い時には、私もずいぶん躍起になって子どもたちの生活をあれこれ縛ったものだ。時にはヒステリックなほど些細なことにこだわったり、子どもとの意地比べのように厳しく叱っていたこともある。
けれどもそんな怒涛の子育て期が一段落して、幼いアプコが生まれたときにはそれほどのエネルギーは失せてしまった気がする。

「あせって無理に食べさせなくても、そのうちあっさり食べられる時期が来る。」
「こまごまうるさく叱らなくても、少し大きくなれば自分で周りを見て自然と気がつく時がくる。」
そんなことを悟らせて貰ったのは、まさにオニイオネエたちの子育ての結果。上の子たちには申し訳ないけれど、「今はまだ、黙ってみていても大丈夫かな」と腕組みしてアプコの成長を眺めていられる余裕は、試行錯誤の子育てのすえに得られた知恵だ。

好きなものを好きな分だけ、満たされた表情を浮かべて自分のペースで食べるアプコはかわいい。
嫌いなものは嫌い。欲しいものは欲しい。
そのマイペースな振る舞いは気まぐれな猫の愛らしさ。
どこかでこのまま大人にならずに手元にそっと置いておきたい気持ちも残る。
「お母さんが叱らなくても、アプコをうるさく叱ってくれる人はいっぱいいるでしょ。」
へらへらと笑ってごまかす母をオニイやアユコはどんな想いで見ているのだろう。
「末っ子だからって、甘やかして・・・」
と、面白くない思いを募らせているのだろうか。


2006年02月10日(金) 試される

オニイ、私学入試。
英語、国語にデッサンの実技。
朝早くから弁当を作って送り出す。
実技に使う大きなカルトン(画板)を抱えて、緊張した面持ちで駅へと歩き出すオニイ。
彼にとっては今回の入試が、誰かから「試される」初めての経験。
こうやってまた一つ階段を上っていくんだな。
頑張って行ってこい。
今日はとりあえず前哨戦だ。

午後から、アユコの学校の百人一首大会参観。
PTAから生徒たちに豚汁の炊き出しを行うというのでエプロン、カセットコンロ持参で手伝いに出かけた。
調理室で大小15個のお鍋にたっぷりの豚汁を煮る。材料をダンダンと刻んでワッシャワッシャと鍋に投げ込み、ぐつぐつと煮こむ。
一度にたくさんの調理をしたり、台車でバケツのようなお鍋を運んだりするのは、なんとなく給食のおばさんになったようでワクワクと楽しい。
若い中学生たちの食欲は旺盛で、大きなお鍋がたちまち空になっていくのも気持ちがいい。

豚汁つくりの合間に久しぶりにNさんとおしゃべり。
Nさんは地元の神社の宮司さんの奥さんで、アユコとそこの長男は幼稚園の頃からの同級生。
Nさんのお宅は人里はなれた山の谷あいの古い神社で子どもたちの小中学校への登下校は今でもNさんが毎日車で送り迎えしているという。
「いつまでたっても、私たちは子どもの送り迎えばかりに時間を費やす人生ねぇ。」と同じ僻地に住む者同士、相憐れむ。
代々続く家業を受け継ぐ跡継ぎを育てなければならない境遇もよく似ていて、たまにおしゃべりする機会があるとついつい話が盛り上がる。
今日はオニイの入試の話から始まって、子どもたちの進路の話題になった。
Nさんの長男は、小学校の卒業文集で「将来はお父さんの後をついで神主になる」としっかり跡継ぎ宣言をしておられた。それはそれでとても頼もしいことだけれど、Nさんは「いつかは子どもたちの誰かが継いでくれないと困ることは確かだけれど、ほんとは子どもたちには自分の好きなことをさせてやりたいとも思う」という。
「家業を継ぐ」というと、「将来、就職の心配がなくていいわね」とか「跡継ぎがいて安心ね。」とか、周りからはいいように言われるけれども、これはこれで親も子も悩みは多い。
学校での進路指導でも、上の学校に行って普通に就職する方法は教えてくれるけれど、特殊な進路を選ぶためには親があれこれ情報を集めて決断していかなければならないことも多くなる。
「こういう家業の家の子育てって、結構むずかしいわよねぇ。」
うんうん、わかるわかるとしきりに頷く。

「ま、とりあえず、家の中になんだかんだ仕事はあるから、外で就職できなくてもニートになる心配だけはないのよね。」といいつつ、
「でも、『引き篭もり』はまだ可能性としては無くはないけどね」
と、大らかに笑う。
大丈夫。
子どもたちは毎日の送り迎えの苦労や親たちの働く姿をしっかり見ながら成長している。きっと親の想いを汲み取って、しっかり大人になってくれるよ。

で、肝心の百人一首大会。
会場では、アユコは壇上に上がって、合図の太鼓を叩く係や読み札の「読み手」を務めていた。幼い頃「人前で話すのは苦手」とはにかんでいたアユコが堂々と役目を果たす。
キンと冷えた体育館の静かさの中に、アユコの札を読む声が朗々と響く。家では百人一首などほとんどやったことが無いのに、あの独特の節回しをいったいいつどこで学んだのだろう。
「お宅のアユちゃんは、しっかりしてるわねぇ。」と名前も知らないよそのお母さんから声をかけられた。
「いえいえ、外面がいいだけですよ」
とはぐらかしながらもちょっと嬉しかったりする。
親ばか、親ばか・・・。


2006年02月06日(月) 不運な洗濯物

寒くて、どよんとした曇りの朝。
昨日の汚れ物の片付けに工房へ出動。古新聞や段ボール箱の類を焼却炉で燃やす。久しぶりに焼却炉を使ったら、火に近づきすぎて自分のまつげの先を焦がしてしまった。なんとなくお間抜け。

朝から、ひいばあちゃんを近くの医院に連れて行くというので、慌てて今日の洗濯物を干しに帰る。
天候が怪しいのでどうかと思ったけれど、昨日の部屋干し分も溜まっていたので「ええい、ままよ!」と屋外に干して出かけたら、果たして雪混じりの雨。結構しっかり降ったようで、かえって見たらフリースの肩にはうっすらと雪が積もって、バスタオルは凍って板のように固まっている。
「駄目だ、こりゃ。」と再び部屋干し。
うっとおしい。

昨日、転倒したひいばあちゃんは、「腰が痛い」とは言われるものの食欲旺盛で顔色もよく、心配なさそうだ。普段定期的に通っている近所のなじみの医師も「よく食べられるんなら大丈夫。あとは日にち薬で治るでしょう」との見立て。
明治の女は強いなぁ。
歳をとってからの転倒は、骨折などの危険があるというけれど、ひいばあちゃんの骨格は人並みはずれてお丈夫なのだろう。
「昨日は、アンタにもえらいお世話をかけて・・・」
と何度も何度もおっしゃる。
なんのこれしき・・・。とりあえずひどい怪我でなくてよかった。

昼前、ぱぁっと雲が切れて晴れ間が覗く。それっとばかりに部屋干しの洗濯物を屋外に出す。せめてアプコのおねしょパジャマだけは乾いてほしいのだけれど。
昼食後、買い物を兼ねてアプコのお迎え。小学校へ届け物をして、アプコと一緒にいつもと違うスーパーへ足を伸ばす。
途中また雨。
駄目だ、今日の満艦飾の洗濯物。

帰宅後、取り込んだ洗濯物を再び脱水機に投入。
一日中、散々表に干したり取りこんだりバタバタしたのに、結局朝よりじっとりびしょぬれになった不運な洗濯物。
なんだかなぁ。
主婦の仕事なんて、時にはこんなくだらないことの繰り返し。時折どっとくたびれて空しくなる。
「おかあさ〜ん、あたしのパジャマはまだぁ〜?」
責める口調のアプコには、主婦の一日の奮闘が見えない。


2006年02月05日(日) 救急車

朝から工房で白絵塗りの仕事。途中で、新しい釉薬の調合の手伝いをしたり、釉薬鉢や筆、刷毛などの洗い物。
最近、工房で私に任される仕事は主婦の台所仕事にちょっと似てる。混ぜたり洗ったり漉したり捏ねたり。
その昔、うちの窯元では代々釉薬の仕事はその家の主婦の仕事だったという。作家である夫のそばにいて、家事の合間に仕事場のちょっとした片づけ物をしたり、作業に手を貸したり・・・。そういうきっかけで夫の手助けをするには、釉薬の仕事は一番に手を染めやすい作業のひとつだったのかもしれないなぁと思ったりする。

午後になって手が空いたので、父さんのとなりの作業台の大掃除。
少し前までは義父が使っていた作業台だが、義父が2階の小部屋に仕事場を移してから、すっかり物置状態のまま手付かずになっている。大きなゴミ袋と古雑巾を持ち出して、長年の間に溜まりにたまった要らないものを処分してすっきりと片付けた。これでいつもどこかの作業場に間借りして行っていた私専用の作業スペースが確保できた。そのうち、子どもたちの誰かが工房での仕事を始めたときにも利用できるだろう。まずは懸案の大仕事を終えて充実感。

さて、夕飯の支度を・・・とうちに帰って台所に立ったとたんに工房からの電話。義母が慌てた声で、ひいばあちゃんが2階で転倒したという。
慌てて工房に取って返すと、ひいばあちゃんは自分でポータブルトイレの中身を処分しようとしていて洗面所で躓いて転んだのだという。父さんと義父母がひいばあちゃんを部屋へ運んで、右往左往。ひいばあちゃんは「胸が痛い」と訴えられるので、救急車を呼ぶ。

救急車を待つ間に、悪臭ぷんぷんの洗面所の掃除。
古新聞を大量投入して散乱した排泄物をぬぐい、消臭剤を撒く。狭い洗面所に所狭しとおいてあったダンボール包みも全部外へ出して汚れた外箱を処分する。
我が家には高齢者が3人もいるので、遅かれ早かれ私にも介護の負担がかかってくるものと覚悟はしているものの、こうして実際に排泄物の後始末という難行に直面してみるとこれから大変になるだろうなぁとため息が出る。
こういう汚れ物の仕事は養護学校勤務時代には日常茶飯事だったので、それほど抵抗はないほうだけれど、これが毎日のこととなるときっと別の覚悟もいるのだろうなぁと思う。
義父母たちは、まだまだひいばあちゃんの介護は自分たちの手でと思っているようだけれど、実際のところは介護の主体は義兄や父さんや私たちが負っていかなければならなくなるだろう。
それも、そう遠くない将来にやってくることなのだということを切実に感じる。

救急車には父さんが同乗して、私がその後ろから車で病院に直行。近所の救急病院へ搬送。
ひいばあちゃんは耳が遠くて、医師や看護士さんとの会話がなかなか進まないので、ひいばあちゃんの自覚症状すら正確には伝わりにくい。おまけに最近では時間の感覚がやや混濁しているので、「腰が痛い」といわれてもそれが転倒によるものなのか以前からの慢性的な腰痛なのかもはっきりしない。
とりあえず、レントゲンなどの検査で異常がないので、内臓の損傷や骨折などの心配はないだろうということで、うちへ帰って一晩様子を見ることにする。
やれやれと一安心。
慌ててでてきたので、ひいばあちゃんの靴や上着を持ってくるのを忘れた。
車椅子を借り、父さんと私の上着を貸してひいばあちゃんを車に乗せたけれど、次回からは忘れないようにしよう。
前回の義父、数年前の母と、何回か救急車のお世話になり、だんだん救急車慣れしてくるなぁと父さんと苦笑する。

ひいばあちゃんをつれて工房へ帰ると、汚れた洗面所は手付かずのまま。
車中から電話で伝えておいたひいばあちゃんの靴も用意されていなくて、救急車をおくりだしたあと義父母がしばし放心していたのだろうことが知れる。
今回の救急車事件では、転倒したひいばあちゃんよりも緊急事態に慌てふためく義父母の老いを改めて思う結果になった。
ただ、唯一の救いは留守番役の子どもたちの成長振り。
電話での簡単な指示だけで、なんとかご飯を炊き夕食の支度をして、洗濯物の片付けや風呂掃除を済ませておいてくれた。
これから、工房の仕事や年寄りの介護にもっと私の手がとられるようになっても、子どもたちだけでそこそこ家事を割り振ってこなしてくれるようになっていくのではないかと思う。
なにより、なにより。
これからはこの子らが助けの杖だ。


2006年02月02日(木) 秘密基地

雨も上がって、暖かい日。
朝から、ここ数日室内に干していた洗濯物をガンガン外に出し、キッチンマットやコタツ敷きカバーもお洗濯。
泥んこ運動靴と6人分の傘もベランダに並べて日に当てる。
久々の陽光が嬉しい、主婦の朝。

夕方、ゲンが嬉しそうに帰ってきた。
「おかあさん!上がってきたで!」
「なになに?なんのこと?」
「ほらほら、Nさんのおうちの・・・」
ゲンがニヤニヤ笑いながら、もったいぶってご報告。

下校途中のNさんのおうちは急勾配の山の斜面に張り付くように建てられている。その斜面にはNさんの先住者が作った手作りの櫓(?)があり、はしごや階段を組み合わせた足場もそびえている。そのつぎはぎの足場や展望台のような小屋の姿は、ゲンたちの学校のグラウンドからもよく見えていて、まるで宮崎アニメの楼閣を思わせるような異様な建造物が以前からなんとも気になる存在だった。
お休みの日などには、Nさんがそのそそり立つような斜面に上り、手動式のリフトでブロックや土嚢を運び上げたり、見上げるほどの高さのところから切り払った枝や古い枯れ木を降ろしたりして作業しておられる姿をお見かけする。下から見上げている分には、何を作ろうとしておられるのか、どんな作業をしておられるのかとか細かい所はよくわからないのだけれど、なんだかとても楽しげに立ち働いておられるのだ。
「あの上には何があるんだろう。」
「あそこまで上がったら、どんな景色が見えるんだろう」
と、子どもたちは興味津々。
登下校の途中などにはわざわざ立ち止まって斜面を振り仰いだりしていた。
先日、ちょうど通りかかったときにNさんにお会いして
「ずいぶんご精が出ますね。なんだかとっても楽しそう。うちの子達も興味津々で見せてもらってますよ。」とお話したら、思いがけず、
「いつでも遊びにいらっしゃい、上がらせてあげますよ。」と快くおっしゃってくださった。
それで、ちょうど今日、下校途中に通りかかったゲンを呼び止めて上がらせてくださったのだろう。

「すっごいねんで、いっぱい階段とか道とかがあってな、ぜ〜んぶおじさんたちが自分らで作ったんやって。
階段も途中で分かれ道になってたりしてな、すっごいねん。ぼく、途中で道にまよいそうになったわ。
それでな、荷物を運ぶためのリフトが上までつながっててな、それもおじさんらが作ったんやって。
上まで上がったら、学校のグラウンドも見えたわ。」
ちょっと興奮した口ぶりで語るゲン。
長年気にかかっていたNさんの空中庭園にあがらせていただいて、ワクワクする気持ちが抑えられないようだ。
「クヌギの木とかあるみたいやから、夏になったらクワガタムシとか、おるかもしれんなぁ。また行きたいなぁ。」
山歩きや昆虫、大工仕事や土いじりが大好きなゲン。きっと夢中になるだろうと思ったら案の定。気前よく秘密基地の扉を開けて、手招きしてくださったNさんのお人柄にも惹かれるところがあるのだろう。
ゲンの興奮したおしゃべりは夜まで続いた。

「ところで、おかあさん。実はぼくも今度、Mくんと秘密基地作る約束してるねん。」
あらあら、君もですか。
男の子っていくつになっても「秘密基地」とか「隠れ家」とかって言葉に弱いですねぇ。
「そんなの、どこに作るの?」
「え?学校の近くの川んとこ」
「ふ〜ん、そんなもの作れそうな場所、あるの?」
「うん、あのな、竹やぶのそばのな・・・」
と話しかけてふと気がついたゲン。
「・・・て、全部しゃべったら、全然秘密とちゃうやん。」
と笑う。
「あら、ほんと。でも、秘密基地ってホントは誰かに見せたかったり、しゃべりたかったりするもんよね。」
「うん。ホントはね。・・・きっとな、今日のNさんもな、自分の秘密基地、ちょっと自慢したかったんちゃうかなと思う。」
Nさんの本格的な土木作業と小学生の秘密基地作りを一緒にするのもどうかと思うけど、確かにその楽しげなワクワク感には共通するものがある。


2006年02月01日(水) 如月

2月になった。
昨日からの雨。
アユコが作ってくれた家族全員のスケジュール表には、オニイの受験の日程と父さんの個展までの日程が続く。
オニイは学年末試験最終日。
「帰ったらちょっと出かけるけどいいかな。」
中学最後の定期テストを終えて、仲間とちょっと羽を伸ばしてくるのだろう。「受験生が今頃気を抜いてていいの?」と要らぬ説教の一つも垂れたいところをぐっと我慢。
オニイの中学生活もあとわずか。
いま一緒に遊んでいる仲間たちはそれぞれ違う高校への進学を希望しているという。試験休みに自転車を駆って遠出したり、誰かの家に入り浸ってくだらないおしゃべりをしたり、ゲームショップを覗いたりするささやかな楽しみも、今のメンバーではあと数ヶ月だ。高校受験の緊張感と同じくらいの重さで、残された中学校生活をもう少し楽しんでおきたい気持ちもあるのだろう。
何かにいつも背中を押されながら、惜しむような気持ちで味わう青春の時間。
そんな時代もあったよなぁと自らの学生時代を思い返してため息をつく。
「早めに帰ってきなよ」
そういってオニイの自転車の後姿を送り出す。

そういえば、中学入学当初、私のお古のママチャリでふらふらしながら登校していたオニイ。今では自転車の運転もそこそこ上達し、傘をさしてもふらつくこともなく軽快にペダルを踏んで坂道を下っていく。
ずいぶん大きくなったもんだなぁ。


2006年01月29日(日) 春を養う

アユコが学校の華道部でお花を習い始めて10ヶ月。
月に2,3度、お稽古に使った花材を持ち帰り、工房の展示室にいけなおすことが習慣になった。帰宅後、まだ制服姿のまま花をいけに行くと、そのたびにおじいちゃんおばあちゃんたちがたいそう喜んでくださって、アユコもまたご機嫌よく帰ってくる。
花屋さんの見繕いでいただいてくるらしいお稽古用のお花には、普段花屋の店先で見なれた洋花ばかりでなく、葉物や枝物など名前も知らない植物があれこれ組み合わされている。華道のたしなみのない母にとっても、珍しい植物と出会うことが出来るという楽しいおまけつき。

秋から冬にかけて、庭先でも彩りのある花材が少なくなる季節になって、アユコが頂いてくる花束はチューリップやスイトピーなど温室育ちの洋花に観葉植物の緑、そして硬い新芽をつけた枝物の組合せが多くなった。
冬中、灯油ヒーターを焚く工房の展示室はいつも暖かくて、硬いつぼみでやってきたチューリップやユリも数日のうちにおおらかに花開き、しなだれるような妖艶さで春を謳う。そこだけ一足早く春が来たような、ほのぼのと嬉しい気分が漂っている。
ただし、部屋が暖かくて確実につぼみの花まで開花する分、花の傷みも早い。はらはらと散り落ちんばかりに開ききったチューリップや酔うような香りを放つユリの花弁など、盛りを過ぎた花たちをアユコはくるりと新聞紙に包んで持ち帰ってくる。

「おかあさん、これも捨てる?」
アユコが決まって差し出すのは、引き取ってきた花材に混じった大振りの枝物。つややかな枝には小さな葉芽だか花芽だかがびっしりと付いている。葉っぱも花もまだ一つもみえないので、何の枝なのかもよくわからない。かろうじて、名前がわかるのは猫柳くらいならだろうか。
咲き終わると直ちに見苦しく崩れてしまう花とは違って、硬い葉芽の枝物は一週間暖かい部屋に飾っておいてもほとんど元のしなやかな容姿を保ったままで、汚れた花弁と一緒に丸めて捨ててしまうのには忍びない。
「かわいそうだから一枝だけ。」と捨て猫でも拾う気分で取り上げてガラス瓶に挿し、台所の片隅に飾っておくのが習慣になった。

秋口から、そうして救い上げた小枝がもう十本あまり。
今朝見ると硬くつぐんでいたはずの葉芽に緑の若葉の気配がみえる。黄緑の若葉の先端がのぞき始めているらしい。水からあげてみると、切り口のほうにも見慣れぬ白い突起物がぷつぷつと並んでいて、今にも発根しそうな勢いだ。
まるっきり枯れた裸木にしか見えなかった小枝の中に、こんなささやかな生命のかけらが隠されていたことの不思議。いとおしいような想いで枝の一本一本を取り上げてみる。裸木の時にはどれも同じに見えた小枝の肌もそれぞれの若葉の色で違った種類の違った植物であることがわずかながらも知れるようになる。

今日は台所の出窓に注ぐ日差しが明るい。
ガラス瓶に挿した小枝の束は、それぞれに内に秘めた春の若葉をはぐくんでいる。
花の色も緑もない一瓶で春を養う楽しみを知る。


2006年01月23日(月) はかなさとかけがえのなさ

地元の小学校での5年生陶芸教室。今日、素焼き。
年末に学校で作った作品をすぐ近くのレクリエーション施設の陶芸窯に運んで電気窯で焼く。朝、9時からクラスごとに窯詰めして10時に点火。有志のお母さんたちに窯番を手伝ってもらいながら800度まで温度を上げ、3時ごろ火を落とした。今朝は雪交じりの極寒で、窯詰めも窯番も半端な寒さではなかった。お手伝いの皆様には本当にお気の毒。ご協力に感謝。
ちなみに、本日ゲンは風邪が治りきらず、無念の欠席。一人でお留守番。これまたお気の毒。



・・・24日付け、5年1組班ノートへの書き込み 転載・・・

昨日は素焼き、お疲れ様でした。窯は予定よりかなり早く3時ごろに800度に達して、火を落としました。そのまま自然に温度が下がるのを待って、明日「窯出し」をします。灰色だったお茶わんが、素焼きを終えるとどんな色になっているでしょう?楽しみですね。

昨日、図工室からスポレク(窯のあるレクリエーション施設)へ作品を運ぶとき、残念なことに途中で割れてしまったお友達がいます。(2組さんに1人、1組さんに1人)
「壊れやすいから気をつけて運んでね」と再三注意していたにもかかわらず誤って落としてしまったようですね。残念ながら陶器は割れ物ですから壊れてしまったものは作品には出来ません。1組さんの分は大きく3つに割れていましたのでとりあえず素焼きの窯には入れましたが、2組さんの分は粉々にこわれていてどうにもなりませんでした。自分の作品をみんなと一緒に焼くことが出来なかった人は本当に悲しい気持ちになっただろうと思います。

作品を途中で壊してしまった人も必ずしも扱いが乱暴だったとか、ふざけていて不注意に落としたというわけではないだろうと思います。大事に大事に気をつけてそろそろ運んでいても、何かの拍子に手がすべったり、誤って取り落としたりという事故は必ず起こります。
気の毒ですが、壊れたものを元に戻してあげたり、同じものをもう一度作って渡してあげることは出来ません。
誰かが作った作品は、世界でたった一つの、作り直し(リセット)のきかない、一回限りの作品なのですね。
割れてしまったら、もう元に戻せないという「はかなさ」は陶器の宿命ですが、やり直しが効かないからこそ作品に対する愛着とか思い入れが生まれるのかもしれません。
このことを「かけがえのなさ」といいますね。
作品が割れてしまったことは残念ですが、大事に扱っている物でも何かの拍子にこわれてしまうと言う「はかなさ」、だからこそ自分の手の中にある物を大切に思うという「かけがえのなさ」、その二つのことをみんなも感じてくれたのではないでしょうか。

割れたお茶わんは、くっつけて元に戻すことは出来ませんが、幸いなことに新しい粘土を使えばもう一度、最初から作り直すことは出来ます。今回こわしてしまった人たちにももう一度一から作り直してもらおうかと考えています。前とおんなじお茶わんにはならないかも知れませんが、失敗の経験を経て前よりぐっと素敵な作品が出来上がるかもしれません。
こわれたものはもう元には戻らないけれど、失敗してももう一度最初からやり直すことは出来ます。何度失敗しても頑張ればちゃんと「やり直し」や「再挑戦」が出来るということも、今回の陶芸の授業の教訓としてみんなの心に残ってくれるといいなぁと思っています。




小学校から陶芸窯までの数百メートル。
割れやすい生の作品を運搬する事の不安は最初からあった。
子どもたちに一点ずつ手持ちで運ばせても、途中で取り落としたり欠けさせたりする危険がある。かといって、車でいっぺんに運んでも途中の揺れで作品を傷つける可能性もある。
いろいろ検討した結果、子どもたちに自分自身の作品をそれぞれ責任を持って運んでもらうことに決定した。
結果、80個あまりのお茶わんのうちの2個の割れ。
5年生の子どもたちにとって、「数百メートルの距離を注意して作品を運ぶ」という課題は難しすぎたのだろうか。それとも、2個程度の割れは許容範囲内と思っていいのだろうか。悩むところだ。

今回素焼きした作品は、水曜日に窯出しして釉薬をかけ、木曜に本焼きして来週月曜日に窯出しの予定。


2006年01月21日(土) 風邪引きと兄弟げんか

昨日、下校のときに「お母さん、息をしたら喉と胸が痛い」と半べそをかいていたアプコは思ったとおり、夕方から発熱した。
「アプコ、大丈夫?」と心配しながら剣道の夜稽古にでたゲンも、帰りにアプコのお見舞いに買ったアイスを「なんか気持ち悪いから、明日食べるわ」と早々に寝てしまった。
今朝、半日遅れでゲンも発熱。
そういえば、ゲンのクラスでもぼちぼちインフルエンザが出始めたと話していたばかり。ついに来たか。
「自力でウイルスと戦え!」と予防接種を誰も受けていない我が家。
せめて受験生のオニイにだけはうつってくれるな。
難儀やなぁ。

幸いアプコの熱は夕方にはほぼ下がって、「ああ、おなかすいた」とご機嫌よく晩御飯。好物の餃子とレトルトふかひれスープをおかわりしてようやく食欲も戻ってきたらしい。
「ところで、今日はお風呂、誰が洗う?」
夕食が終わって、オニイが口を開いた。
我が家のお風呂洗いはゲンの役目。いつもなら、遅いとか汚いとか皆に散々文句を言われながらも、必ずゲンが浴槽を洗ってお湯張りをしてくれる。
今日はさすがに熱のある弟に風呂洗いを命じるわけには行かない。仕方がないのでジャンケンで決めようということになったらしい。
「アプコも、もう熱も下がったし、できるよな。」ということで、当然のようにアプコも引っ張り込まれて、オニイ、アユコ、アプコでジャンケンポン。
案の定、アプコが負けて風呂洗い決定。

ジャンケンには加わったくせに、やっぱりアプコは冷たい風呂洗いなどしたくない。ついさっき熱が下がったばかりのアプコをジャンケンに加えるのがそもそも無茶だなぁと思いながらみていたけれど、やっぱりアプコはこんこん空咳を繰り返してぐずぐず言っている。
「アプコは、ジャンケンで負けたんだから、ぐずぐずしないでちゃんとやってこい。」とオニイが大きな声で叱る。
「そんな頭ごなしに怒鳴ることないでしょ!お兄ちゃんはいっつも急に怒る!」
泣きべそをかいているアプコをかばって、アユコが怒る。
「アプコもぐずぐずしないで立ちあがりなさい。」
ああ、そう。やっぱり洗うのはアプコなのね。
思いがけなく始まったオニイとアユコの口争いに、成り行きを見計らいかねて、ますますかたくなにうなだれるアプコ。
はて、3すくみの兄弟げんか。
誰がどんな風に折り合いをつけるか。
母は黙って寝たふりをして、成り行きを見守った。

「アプコ。風呂、洗う気はないんやね。」
アユコが号を煮やして立ち上がり、そこら辺のドアをバタンバタン乱暴に開け閉めして、風呂場へ向かう。あわててアプコが立ち上がり、アユコのあとを追って行ったけれど、「来なくていい!」と叱られて、すごすごと戻ってくる。
「アユコだって、いきなり怒ってるやん!」とふくれるオニイ。
「お兄ちゃんは、アプコがやるかどうかわからないときから、いきなり怒る。私はアプコにやる気がないとわかってから怒ってるの!」
言い返すアユコの屁理屈は鉄壁。
「あー、そうですか。僕が悪かった。」
と開き直るオニイに、「お兄ちゃんはいっつもそんな風に謝るけど、ちっとも自分が悪いとは思ってないくせに・・・」と痛撃の切り返し。

「かなわんなぁ。アユコの屁理屈。」
そうそう、そのとおり。女の屁理屈は怖いのだよ。
大体、病み上がりのアプコを強引にジャンケンに引きずり込んだところからが失敗だ。
それにしても、いつもおちゃらけ担当のゲンがたった一日ダウンしたら、この始末。ぶうたれながらも黙々とお風呂洗いをやり続けてくれているゲンの偉大さをみんなで再確認。


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