月の輪通信 日々の想い
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2005年11月22日(火) 落ち葉同盟

中学校の参観、懇談。
ウォーキングを兼ねて、テクテク歩いて出かける。
村の中の狭い路地を歩いていて、玄関先の落ち葉を熊手でそうじしているおばあさんとすれ違う。
風が吹くと、せっかくかき集めた落ち葉の山がざわざわと崩れて、頭上からはまた新しい柿の葉がはらりはらりと落ちてくる。
私もおばあさんもほとんど同じタイミングで柿の木を見上げ、そして顔を見合わせて笑う。
「まだまだ、落ちてきますね。」
「はぁ、まだまだですなぁ。」
柿の木には赤く熟した渋柿と大振りの赤い木の葉がまだまだたっぷりと残っている。かなわんなぁといいながら、まだまだ落ち葉掻きは続くのだろう。落葉の木を庭に持つと、この季節は毎日毎日落ち葉の掃除に追われる。
風が吹くたび梢を見上げて、「まだまだ残ってるなぁ。」と明日の落ち葉の数を量るのだ。

見しらぬ人と偶然一緒に感じた同じ風。
同じタイミングで木を見上げ、同じタイミングで「まだまだだなぁ。」と一緒に感じたそのうれしさ。
それは日々落ち葉掻きに追われる庭木を持つ主婦だけが共感するおんなじ気持ち。
いわば、落ち葉同盟。


2005年11月20日(日) 復活する人

朝から市内で行われる「クリーングリーン作戦」と呼ばれるゴミ拾いハイキングに家族で参加。朝から、地域の人たちとぞろぞろと山に登り、熱々のおでんの振る舞いをいただいて帰ってくる。我が家はもう10年来、毎年この行事に参加している。
ここ1,2年、仕事でいけなかった父さんも今年は一緒に参加。受験生のオニイも今年は脱落かと思われたが、意外にも「参加したい」という。久々に家族6人一緒に参加する事ができた。
一時期は小さい子どもを背中に背負ったり、ベビーカーを押したりしながら参加する事の続いたこの行事にも、やっと末っ子のアプコまでが一人前にゴミ拾いのお役に立てる年令になり、先頭集団から遅れずにガンガン歩く事が出来るようになって来た。
ようやくここまで・・・と、感慨無量。

先日、立ち話をしていたSさんが、「これだけ自然に恵まれた環境の中で子育てをさせていただいているのだから、年に一回くらいはその自然に恩返しのつもりで『クリーングリーン』には出来るだけ参加しようと思っているの。お宅は家族全員でいつも参加されて偉いわ。」
といわれた。
「恩返し」とは大仰な。生真面目なSさんらしい言い方だなぁと苦笑する。我が家の場合はただただ、運動不足解消とおでんが目当て。動機が不純で申し訳ない。

帰ってきて何気なくTVをつけたら、高橋尚子のマラソンの後半を放映していた。2年間の不遇の時期を克服し、再起を期しての優勝だという。
以前、この人がオリンピックの選考に落ちたり、二人三脚でやってきた監督と何となくべたべたした感じでメディアに露出したり、ある時期、嫌な感じの女性に見えた時期があった。
才能溢れるランナーがこんなふうに少しずつ崩れるように消えていくのを見るのは嫌だなぁと思っていたら、今日の快挙。怪我を押しての気迫の走りだったという。観衆の歓声に応える晴れ晴れとした笑顔がさわやかで、気持ちのいい勝者の顔だった。

そういえば、昨年自宅マンションのベランダからの転落事故で九死に一生を得た男優が、大怪我を克服して新作の映画に主演しているのだそうだ。私はこの人の作品をちゃんと見たことはないけれど、あちこちで新作のレビューを見る限りではなかなか好評なのだという。
以前この人に関しては、そのエキセントリックな発言や大麻疑惑など何となく後ろ暗いイメージが付きまとっていて、余り好きな俳優ではなかった。
けれども最近、映画の宣伝でラジオに出演している彼の発言を聞く機会があって、その素直で前向きな発言に以前とは随分違った印象を受けた。
人というのはこんな風に変わることが出来る生き物なのだなという事が、改めて感じられた。

一度、勢いをなくしてくすぶってしまった人がこんなふうに晴れやかに蘇ってくる場面に遭遇できるのは有難い事だ。


2005年11月19日(土) 自転車修理

アユコの通学用の自転車の調子が悪くなった。前のタイヤに空気を入れなおしても、帰りには空気が抜けているのだという。完全にぺちゃんこになるわけではないので、多分虫ゴムが傷んでいるのだろう。
オニイもアユコも自転車がパンクしたりタイヤが凹んだりすると、いつも近所の小さな自転車屋さんに持ち込んで直してもらう。パンク修理一回400円。新品の自転車をバンバン売りさばく訳でもなく、それでも快く小さな修理も引き受けてくださる頼りになる自転車やさんなので、年に数回数百円の出費は惜しくないが、わざわざ店舗まで出向いていって修理をしてもらう手間と時間が少々面倒。毎日使う通学用の自転車は、下校時間が遅くなる最近では必需品で、開店時間内に運び込む事ができなくて何日か不自由な思いをするのも困り者だ。
簡単な修理くらいなら家庭で出来るといいのになぁとかねがね思っていたので、以前にホームセンターの自転車用品売り場で簡単なパンク修理のセットを見かけて買い求めてあった。

私が高校生の頃、自転車通学の生徒の多かった母校では、生徒会室に年季物の自転車修理セットが常備されていたものだった。
歴代の生徒会役員の男の子は、役員就任と同時に先輩から簡単な自転車修理のレクチャーを受けて、放課後やってくる自転車通学生の自転車のパンクを直したり、虫ゴムを入れ替えたりするのが仕事の一つだった。
どちらかというと文化系のひょろりとしたタイプの男の子が多かった生徒会役員だったが、手指を機械油で真っ黒にしながら手際よくパンクを修理する姿はどことなく頼もしく、かっこいいなぁと思ったものだった。
私は当時電車通学をしていたのだけれど、憧れの銀縁メガネの先輩をお目当てに、友だちの自転車通学生のパンク修理に用もないのに付き添っていったという甘酸っぱい思い出もある。

「自転車修理の出来る男の子って、ちょっと素敵だと思うんだけどなぁ。」
という誘いにオニイは馬鹿馬鹿しいとへらへら笑って釣られなかった。
これまでに何度か、オニイに自転車修理に挑戦してみないかと誘っては見たのだけれど、どうも彼は面倒がってあまり手をつけようとしない。さっさと自転車やさんへ持ち込んでは、「ハイ、修理代400円」と当然のように事後請求する。アユコも空気入れぐらいのメンテナンスはするけれど本格的な修理となると億劫そうだ。
それでは・・・と白羽の矢が立ったのは、工作や機械いじりの大好きなゲン。以前に壊れて瀕死の自転車を自転車さんに見事に修理してもらって感激したゲンは、自転車の整備そのものにもちょっと興味があるようだ。
「ねぇねぇ、ゲン。こんなアルバイト、どうかなぁ。
ここに、新しいパンク修理セットと説明書がある。
オネエの自転車は多分パンクじゃなくて虫ゴムの交換だけでいいと思うんだけど、これを自転車屋さんに持っていくと400円かかる。もしこれを君がこの道具でやってくれたら一回200円っていうのはどうかしらん?
そうするとお母さんの出費は200円で済むし、君のお小遣いは200円増える。悪い話じゃないと思うんだけどなぁ。」

二つ返事で話に乗ったゲンはさっそく表にでて、アユコの自転車のタイヤを調べる。説明書にあるとおり空気栓の周りに石鹸水を塗るとぶくぶくと泡が立ち、故障の原因が虫ゴムの老朽化と分かる。
ナットを外し古い虫ゴムを取り去って、新しい虫ゴムに交換する。
初め、虫ゴムをナットのどのへんまで差し込んでいいのかが分からず、何度か失敗したが、すかさずゲンがまだてをつけていない後ろタイヤのナットを引き抜いて正しい差し込み方を調べて完成させる。
その間、約3,40分。
ちょっと手間取りはしたが、バルブの構造や修理の手順はよく分かったので、この次やるときにはもっと短時間に出来るだろう。
家族の誰もが手をつけることのなかった新しい技能を身につけて、ゲン大威張りで胸を張る。
「この次はパンク修理にも挑戦してみるわ。」
と新しい職域の開拓に余念がない。
なかなか頼もしい限り。

ゲンが修理をする間、肝心のアユコはサビ取り剤や歯ブラシ古タオルを持ち出して、ゲンと自分とアプコ、3人分の自転車のボディ磨きに精を出した。メカニック部分のメンテナンスはゲンの専門領域として確保しておいてやろうという母の意図をいち早く呑み込んでくれたらしい。
「これからは、自転車屋さんへ行く手間が省けてホントに助かるね。」と一緒にヨイショして、ますますゲンの鼻を高くしてくれる。
「ヨッ!ゲンちゃん、カッコイイ!」
それとなくおだてて、その気にさせるアユコのテクニック。
これはこれで、アユコの優れた技能ではある。


2005年11月17日(木) 銀杏

夜なべ仕事をおえて、寝酒にちょっと一杯と台所に立った父さん、酒の肴を探して、冷蔵庫やら食品庫をごそごそ開ける。結局めぼしいものが見つからなくて、「ああ、そうそう。」と、どこからか小さなジップバックにいっぱい入った銀杏の実を持ち出してきた。
ご近所の方からいただいたのだという。
アプコがいつも帰り道に、「もみじは赤、イチョウは黄色。ちょうちょみたいできれいねぇ。」と花束のようにして落ち葉を集めてくるあのイチョウの木の実だ。

「これって、どうやって食べたらいいのかな」と父さんが聞くので、去年七宝の先生から教えていただいた取って置きの銀杏の調理法を教える。
ハトロン紙のいらない封筒に食べたいだけの銀杏をコロコロと入れて軽く折って封をし、電子レンジで様子を見ながら暖める。
まもなくぽん、ぽん、と音がして、銀杏の硬い殻が割れて熱々の実が飛び出してくる。
「封筒の中の様子が見えないから、最初に銀杏の数を数えておいて、『ぽん』ていう音を数えると良いよ」と受け売りの知識を付け加えると、父さんは本当に封筒の中の銀杏の数を数えてからレンジのスイッチを押し、子どものように「ひとつ、ふたつ・・・」と銀杏のはじける音を声に出して数えている。
私は父さんのこういうところが好き。

このところ朝晩が急に寒くなった。
「冬中半そでで頑張る」と言い張っていたアプコも、家族ぐるみの説得誘惑工作に負けて、数日前から長袖Tシャツを着る様になった。
父さんの夜なべ仕事もとうに年末態勢。
お夜食や寝酒の出番も増える事だろう。
熱々の銀杏はつやつやと光って、口にするとほんのりほろ苦い。


2005年11月16日(水) 収穫

朝から父さんと郊外にできた大型ホームセンターへ出かけた。ホームセンターとはいいながら、食品スーパーから建築用の資材、ガーデニング用品、フードコートまで、広大な店舗にいろんな商品が満載で、父さんと二人、思わずワクワクとしてしまった。ことに、2階にはかなり専門的なクラフト関係の店舗があり、小型の東急ハンズの観。
ずらりと並んだカラフルなぺーパー類や、使い方も分からない金工やガラス工芸の資材などを飽きずに眺める。
父さんは陶芸の道具類や粘土をあれこれチェックして、「専門店よりやや割高だけれど、近くで来店の便がいいので便利かも」との結論。
子ども達を連れてきたら、一日中楽しく遊べそうだ。
帰りに何故か冬用の掛け布団を衝動買い。
ちょっと嬉しい。

膨大な商品の氾濫に酔っ払ったようになって、帰宅の途に着く。
久々に出かける大型店舗は確かに楽しいし、ご近所にこんな店があったら、休日の暇つぶしには事欠かないなぁとうらやましくなるけれど、きっとそれなりにアレもコレも欲しくなって、きりがないだろうなぁと思ったりもする。
ちょうどアプコの下校時間ぎりぎりだ。
家の近くまで来ると、ちょうどアプコと同じくらいの女の子達が手に手に大きなナイロン袋を持って、ワイワイがやがやと下校中。袋の中身はふさふさと青い葉っぱつきの大きな大根だった。
「ずいぶん大荷物で帰ってるねぇ、引きずりそうだよ」と笑っていたら、ちょうどうちのアプコが同じように大きな大根を重そうに抱えて歩いているのに追いついた。
既に帰路の半分くらいを大きな大根を抱えて一人で歩いていたアプコは父さんの車を見ると心底ホッとした様子で、乗り込んでくる。
「うわー、大きな大根だねぇ。重かったでしょう」
「うん。学級園の大根、好きなのもって帰っていいっていわれたから、一番大きいの、抜いてきたの。」
と息を弾ませて答えるアプコ。
なんだかとっても嬉しそうだ。

子どもらが通う小学校は、生徒数の割に敷地面積がやたらと広い学校で、校内に広い学級園や水田、山の斜面を利用したアスレティック、常設の屋外炊飯施設など、自然と親しむ事の出来る施設が充実している。
学級園での野菜の栽培も、家庭菜園の域はとうに超えてちょっとした農作業の本格バージョン。たまにもって帰ってくる収穫物も近所のスーパーで見かける野菜顔負けの立派な出来栄えのものが多い。
春には校内でいちご狩り、夏にはキュウリやトマトの大収穫、秋にはお芋掘りをして木の葉で焼き芋と、色々な体験をさせてもらって帰ってくる。多分先生方の裏方のお手伝いの賜物だろうとは思うけれど、収穫した野菜をさも一人で拵えたかのような得意げな顔で持ち帰る子どもらの嬉しさはまた格別。
良い経験をたくさんさせていただいているなぁと思う。

確かにアプコが選んできたお大根はとてつもなく大きかった。
ふさふさとした青葉を切り取ってばさばさと洗い、芯の部分を少しむしらずにとっておいて、浅い皿に水を張って芯を浮かべる。ピカピカ大根に敬意を表しての新芽の水栽培だ。
まだ土の残る実のほうはアプコが自分で洗いたいというので、流しの前に踏み台を置いて洗い桶に水をためて、洗ってもらう。
大きな葉っぱの部分を取り払っても、まだその実の重さはアプコの手に余るようで、ごろんごろんと大根を転がすたび、ピシャピシャと派手に水しぶきがあがった。
とりあえず、青葉の部分は細かく刻んで醤油味の油いために、実の頭のほうを細かく刻んで青葉のみじん切りとあわせて浅漬けにする。
調理の途中で、薄い半円形に刻んだ生の大根をアプコに渡したら、ぱりっと齧ってみて、「おかあさん、大根って甘いね。」と目を丸くして言う。
普段お刺身に添えてある大根の「けん」が大好きなアプコは、自分の収穫してきた大根を齧ってみてはじめて、「けん」と大根が頭の中でつながったらしい。
「そうか、お刺身についてる白いヤツはだいこんだったのか。」
といつまでも感心しているアプコが可愛い。
自分の知らないものの本質をはじめて身をもって理解するという事は、こういうことなんだろうなぁと思ったりする。


2005年11月10日(木)

数日前から家の周りで子猫の声がしていた。
手のひらに乗るほどの小さい斑の迷い猫で、我が家のクーラーの室外機の下で寒い夜をやり過ごす事に決めたらしい。勝手口の扉の下や和室の履き出し窓の下のブロックに座り込んで、いつまでもいつまでもふみ―ふみーと哀れっぽい声で鳴いている。
近頃うちの周りでは野良の猫の姿も余り見かけなかったから、誰かがわざわざ近所に捨てにきたか、駅前辺りの野良さんの子をハイキング客か誰かが気まぐれに抱いてあがってきて放置して行ったものだろう。

当然のことながら動物好きのアプコが一番にその愛らしい鳴き声にめろめろになった。みゃーみゃーと取って置きの猫なで声で子猫を呼ぶ。小さなパンのかけらや鰹節を手に、子猫との距離を警戒する子猫との距離をすこしづつ縮めていく。
「飼う気はないんだから、あんまり構っちゃダメよ」と言いながら、他の兄弟たちも子猫の愛らしさとアプコのあまりの喜び様に、むげに叱る事もできず遠巻きにしながら一緒に子猫の様子を見守っている。
「ありゃー、おかあさん、ダメだよ。アプコ、もう、猫、抱いちゃってる。」
アユコが呆れたような、でも嬉しそうな声で報告してくるまでに30分もかからなかった。

我が家には、既に雑種の犬が居るし、家の中にはアプコのペットの金魚も居る。私も父さんも、ペットに犬を飼ったことはあるけれど、猫を飼った経験はない。おまけに私は家の中で動物を飼うのが好きではない。
このまま、子猫が我が家に居ついて、ずっと我が家で飼う羽目になるのは困るなぁと思う。
かといってこれからの寒くなる季節。
小さい子猫をこのまま放置しておけば、凍えて死んだり、カラスや野犬の餌食になってしまう可能性もある。
通学や庭遊びのアプコの目に付く場所で、この子猫が無残な有様になったりしたらきっとアプコはいたく傷つくだろう。
飼って飼えない事もないけれど、エサだけ与えて気まぐれに可愛がって、そういう中途半端な飼い方になりそうで、それも無責任な感じがする。
「野良の子はなかなか人に懐かないから、きっと家猫にはならないよ」と言う人もあるし、名前をつけて「うちの猫」にしたとたんにふらっと居なくなってしまってもアプコの落胆を思うと忍びない。
困った事になったなぁ。

そんな母の迷いを察してか、それまで眺めるだけで子猫には触れようとしなかったアユコやオニイまで何となく気持ちを緩めてアプコの抱く子猫を撫でたりパンのかけらをあたえたりするようになって来た。
子猫のほうも次第に子ども達に懐いて、小さなツメで網戸をかりかり引っかいて窓の下でみゃあみゃあと人を呼ぶように鳴くようになって来た。そればかりか、隙あらば履き出し窓に小さな前足を掛けて暖かい室内に入ろうとするようになって来た。
「アプコ、外で猫と遊ぶのはいいけど、家の中に入れたらアカンよ。まだ、その猫はアプコの猫じゃないんだから・・・」
母の叱責を諮ってアユコがアプコに注意する。
「その『まだ』ってなによ。うちじゃぁ、猫は飼わないよ。」
と言いながら、アユコも私も父さんもオニイも何となくこの子猫がうちに居ついてしまう事を仕方なく容認して行く雰囲気になってきたようだった。

朝、雨戸を開けたら、子猫の姿がなかった。
昨日までなら、人の気配を感じるとすぐにふみーふみーと鳴き声をあげて姿を見せたはずなのに、今日はその声すら聞こえない。
夜のうちに、もっと寝心地のいいねぐらをみつけたのか。
それとも誰かに拾われていったのか。
何となく物足りない思いで一日を過ごす。
鳴き声が聞こえた気がして窓を開けたり、近所の草むらをそれとなく探してみたり。
「昨日の夕方、子猫の鼻先で雨戸を閉めて追い出しちゃったから、もう他へ行っちゃったのかなぁ」と昨日最後に子猫を見送ったアユコがしきりに気にしている。
「近くに居ると『困ったなぁ』って感じなのに、やっぱり居なくなると寂しいね。」と父さん。
「お友だち見つけて、どっか行っちゃったんじゃない?」
とアプコの反応が意外とあっさりしていたのが、せめてもだった。

今回の猫騒動。
ちょっと面白かったのは、ゲンの反応。
たしかに子猫は可愛いというし、撫でたりエサをやったりするのだけれど、兄弟の中では一番クールな対応。カブトムシやクワガタの飼育ケースをいくつも抱え込み、おじいちゃんちの犬の散歩係もつとめる動物好きのゲンが子猫をうちで飼う事については一番消極的だった。
自分ひとりで何匹もの虫を管理し、たびたび犬の散歩を頼まれて呼ばれていくゲンには、ペットを飼うという事の楽しい場面ばかりではなく、めんどくさかったり辛かったり、嫌になっちゃうことだったりが身に染みてよく分かっているのかもしれない。
「野良は野良。自由に生きている動物に気まぐれに手を貸したり、その場限りの愛撫を与えない。」
人懐っこいゲンの中にある、意外に冷静で割り切った動物観。
こういった部分は、多分に情に流されやすい父や母よりも、よほどしっかりと鍛えられている気がした。


2005年11月09日(水) 歌姫

ここ数日、TVのワイドショーでは白血病で急逝した女性の追悼の番組が続く。
アイドルから実力派のミュージカルスターへ。努力の人であったというエピソードと共に、遺影の若く美しい笑顔が何度も繰り返し映し出される。私はこの人の歌う歌をちゃんと改まって聴いた事はないけれど、葬送の日のレポートのバックに流れる「アメイジンググレイス」は透き通った張りのある美しい声で、まさに天使の歌声。随分訓練を積み重ねてこられた方なのだろうなぁと思い量る。
そしてここまで鍛え上げた歌声が、肉体の死によって永遠に封じ込められ、2度と聴く事ができなくなると言う当たり前の事実のはかなさが、なんともやり切れない現実として心に迫る。

この秋、父さんが長い間師事してきた南画家の直原玉青先生が101歳の長寿を全うされた。晩年まで精力的に絵筆を取られた巨星の逝去だった。
ただただ筆が動くのを楽しむ子どものように、年老いてもなお純粋に描くことを楽しんでおられたと言う仙人のような画業の偉大さが、父さんの語るなんでもないエピソードの中からでさえ、ひしひしと伝わってくる、そういう方だった。
私には水墨の絵の良し悪しはちっとも分からないのだけれど、小柄で飄々とした老画家の手から生まれた作品の筆の運びは、それと分からぬほど活き活きとした力に溢れ、勢いに満ちている。高齢の画家の肉体の中に秘められた静かなエネルギーの豊かさに圧倒されるような思いで拝見していた。
その方が亡くなられて、101年間の間に培われた絵の技術や豊富な知識や感情や記憶や、そして溢れるような創作のエネルギーが、丸ごと全部、命絶えた画家の肉体の中に封じ込められ、埋葬されてしまう。
かけがえのないものを失ってしまう、そんな現実の酷さに茫然とする。

仕事場で、97歳になるひいばあちゃんの仕事振りを眺める。
最近では、仕事場に入られる時間もめっきり減って、同じ土塊を何日も何日も触っておられる事が増えたが、それでもしわくちゃに大きくゆがんだその手指には、熟練の職人の地道な手つきが頑固に染み付いている。五感が鈍ってその技術があやふやになっても、人が呼吸の仕方を忘れる事がないように、土をこねロクロをまわす長年の作業の手順はしっかりとその肉体に刻みこまれて褪せることがない。
そういうひいばあちゃんの手に残る技術や、もはや改めて語られる事も少なくなった先代さんの時代の思い出の記憶、作品に対する美意識、感情・・・。そういったものは全て、ひいばあちゃんと言う小さな枯れた肉体の中にあって、いつの日かそこに封印されたまま永遠に開かれる事のない場所へ行ってしまわれるのだという事実。
そのことを心から「惜しい」と思う。
人の死を『惜しむ』と言う事は、その人に肉体にこめられた感情やら記憶やら技術やら愛情やら、そういうもの全てが永遠に封印されてしまう事のもったいなさに通じている。

それでも歌姫には、天使のような歌声のCDやテープが残り、人の記憶に歌が残る。
老画家の死後には、膨大な数の力溢れる遺作の数々が残る。
生涯裏方の職人に徹したひいばあちゃんには、自分の名前を記した作品は何一つ残らないかもしれないけれど、毎日無言で土に向かい淡々と立ち働く姿の記憶は私や子ども達の頭の中にしっかりと刻まれて消えることはないだろう。
それでは、なんでもない市井の人の特別な事もない生涯の終わりには一体何が残るのだろう。
42歳の今の私。
一体何ほどのものが培われているのだろう。


2005年11月08日(火) 落ち葉かき

今日は工房のお茶室で炉開き。
男性限定のお稽古なので、いつもは義兄や父さんが準備から後片付けまですべてを取り仕切ってやっているのだが、今日はたまたま二人とも朝から不在。
朝、「先生が来られる時間までには、必ず帰ってくるから・・・」と出かけていく父さんを送り出して、さぁ!と腕まくり。
圧力鍋でお接待用のおぜんざいの小豆を煮ておいてから、工房の庭掃除に出動する。
落葉の季節になって、工房の玄関や茶室周りは木の葉でいっぱい。熊手や竹箒を駆使し、ブロワーを導入して木の葉を集める。庭木の株元やつくばいの石組みの間に入り組んだ落ち葉は膝をついてつまみ出し、箕に集めて道向こうの谷に捨てる。
風が吹くたび、頭上の梢からははらりはらりと舞い落ちる落ち葉。
きれいに掃き清めたあとの地面には、すぐにまた木の葉が散っている。

この間、夕方の子供向けの番組で、お寺のお坊さんが小学生くらいの男の子を相手に、庭掃除の極意を教えていらした。
「お寺では、庭の掃除も大切な修行の一つです。一番大事な事は、箒を使うときには自分が箒になりきる。道具になりきって掃除をするということです。」
確かに、誰とも口を利かず、一心に舞い落ちてくる落ち葉をかき集め、集めては運ぶ作業を続けていると、心はいつか修行僧の境地になってくる。
時折巻き上がる風が、風向きによっては竹箒の後押しをしてくれたり、せっかく集めた落ち葉の山をいたずら小僧のように引っ掻き回していったり・・・。
そんな気まぐれに惑わされる事なく、ひたすらに竹箒を運ぶ。
竹箒になりきる。
なるほどなぁ。

「コンを詰めて掃除をしても、すぐにまた落ちてくるよ」
義母が笑いながらやってきて、そのくせ自分も私が掃いたばかりの地面の落ち葉を癇症に一枚一枚拾って歩く。
なんだかなぁ・・・。
掃除が済んだら、父さんたちが帰ってくるまでに、お茶花を調達し、おぜんざいのお椀やお膳を準備して、それからそれから・・・
ああ、まだまだ悟りの境地は遠い。


2005年10月28日(金) 喧嘩

アプコの習字からの帰りが遅くなって大慌てで帰ったら、玄関にまだオニイの自転車が帰っていなかった。あららと家に入ると、先に帰っていたアユコとゲンが駆け寄ってきて、お兄ちゃんが怪我をしたと言う電話があって、父さんが学校へ行ったと告げる。
なになに、それ、どう言うこと?とパニクっていたら、父さんから電話が入った。

下校時間、帰ろうとしていたオニイに同級生の二人がしつこいちょっかいをかけた。それを発端に2対1の取っ組み合いになり、オニイも必死に反撃したが何度か顔面を殴られて、めがねが壊れた。そこで知らせを受けて駆けつけてきた先生方が止めてくださったのだと言う。
目の下を殴られたオニイは、念のため病院へいったが、幸い大事には至らなかったとのこと。
アユコに留守番を頼んであわてて学校へ飛んでいったら、校長室のソファーに父さんと項垂れたオニイが待っていた。先生たちも大勢残って下さっていて、相手の二人の保護者も別室に呼ばれているという。
先生から改めて経緯を聞き、オニイからも詳細を聞き出したりして、二人の生徒と保護者からの謝罪を受ける。

オニイに関しては、小学校の頃からこういう場面は何回もあった。
相手の子が「もうしません、これからは改めます。」と言い、その親たちは「子どもには厳しく言って聞かせます」と言葉を重ねて謝罪する。
何度も繰り返される似たような言葉。
最近では正直な所、私自身は加害者の子どもがこれからどう改心していくのかと言う事のほうにはちっとも関心が行かなくなってきた。
親や先生がどれほど目を光らせ、優しさを説いたところで、度を越えたふざけや特定の子に対するしつこいちょっかいは遊びの感覚で昔から子ども達の世界に散乱している。
ターゲットになりやすい子は用心深く友だちを選び、やられたら訴える事のできる信頼できる教師や大人の存在を確保し、護身術でも習う他ないのだろう。

オニイは話の間中、殴られた頬を冷やしながらうつむいてあまり言葉を発しなかった。
二人の加害生徒の方が、だらりとだらしない制服の着方でふらふらと腰の定まらぬ姿勢であごを上げて立っていて、偉そうにみえる。なんだか、それが私にはあまりにも歯がゆくて「オニイ、あんたが下を向くことはない。胸を張りなさい。」と言いたくなった。

小さい頃から、やられても決してやり返そうとはしないオニイ。
暴力は嫌いなのだと言う。
決して、強い奴にかかっていけない臆病なのではない。
自分より力の弱い弟や妹達にも決して手は上げない。
「やられたら、たまには一発やり返しておいで!母が許す!」と挑発しても決して乗らない。
私にはそのことが、歯がゆくてたまらなくいなるときがある。
今回、オニイが凹んでいたのは、殴られて自分が怪我をしたからではなく、自分が相手を殴り返してしまった事に対する自責の念からだったという。殴り返した相手の子には怪我はなかったことを知らされて、心底ホッとした様子のオニイ。
なんと徹底した非暴力主義。

人との争い事を嫌う「平和主義」は父さん譲り。ひとたび事があれば、理詰めで相手を問い詰めまくし立てずにはいられない私と違って、殴り返した自分を責めて自らを縛る厳しい「非暴力」を貫く頑固さは、父さんそっくりだ。
「決して人と争わない」
その穏やかで静かな態度は、傍目には臆病に見えたり、歯がゆく思えたりすることもある。他人から受けるしつこいからかいも、おそらくはそういう争いごとを嫌ってじっと耐える姿が、決して反撃してこない軟弱な弱虫に見えるからだろう。
しかし、自分にも他人にも「争わない」を貫き通すためには、強い忍耐と意思の力が必要なはずだ。そのことに気付く人は少ない。
あえて、そんな風に自分を縛る生き方は、多分世間では気楽に生きていき難い、あまり得にはならないやり方なのだろう。
私はそう思う。

「かあさん、心配かけて悪かったね。」
そんなことをさらりと言える様になったオニイは、思いがけなく大人だった。
多分、もう、「やられたらやり返しておいで!」とけしかけても、「母が怒鳴り込んでやる!」と怒り狂っても、オニイはへらへらと曖昧な笑顔を浮かべて、「かあさん、もうええよ。」と首を振るのだろう。
これはこれでオニイの強さの証なのだと、ようやく母も理解出来るようになった。


2005年10月27日(木) 鎖を放たれる

朝、台所の雨戸を開けていつものように犬のロッキーを呼んだが反応がなかった。いつもなら、のろのろと小屋から顔を出した所へ、好物のジャーキーを投げてやるので、可笑しいなと思って外へ出たら、小屋の中には犬用の鎖と首輪だけしかなくて、ロッキーがいない。みると、長年つけっぱなしの首輪の金具が壊れて外れてしまったようだ。

門の外に出て、ロッキーの名を呼ぶと遠くの茂みの方から物凄い勢いでロッキーが駆けて来て、私の足元を掠めるようにして反対側に逃げた。
普段はいつも鎖か散歩用の紐でつながれているロッキーは、ある朝突然にふって沸いた自由に興奮して、それこそ見たことのないような速さで駆け回リ、跳躍し、転げまわる。ご近所で飼われている犬全部に挨拶をしに行っては吠え付かれ、草むらに飛び込んでは体中に草の実をくっつけ、何度も何度も私のすぐそばまでやってきては、すり抜けていく。
慌てて捕まえようとするのだけれど、肝心の首輪がないと犬というヤツはなんとも掴まえ所がない。ジャーキーやエサで釣ろうとしても、器用にエサだけ掠め取って、首輪を掛けようとすると素早く後ずさって逃げてしまう。

それにしても動物が疾走する姿ってきれいだなぁと思う。
ロッキーは芝犬を一回りか二回りほど大きくしたくらいの雑種だが、その走る姿は精悍な野生動物が狩りをするときのように俊敏でしなやかだ。普段、1,5メートル半径の行動範囲の中で一日中、うな垂れたり、しっぽを振ったり、吠え立てたりしているだけの家庭犬が、ひとたび鎖を放たれて自由を得たらこれほどにも早く走れるのかと愕然としてしまう。いつも私の夜のウォーキングにつき合って、坂道をフーフーいいながらあがって来るダメダメぶりは、世を偲ぶ仮の姿であったと言う訳か。
たまにはこのくらい、思いっきり走らせてやらなくっちゃねぇ・・・。

見ているとロッキーは、何度も何度も私の足元へ戻ってきては、様子を伺うようにして今度はもう少し遠い所へ駆け去っていく。決して矢の様に遠くへ逃げ去って行ったきりになるわけではない。自分の自由の範囲を少しずつ確認しているようだ。
それでも、その行動半径は一回ごとに少しづつ遠くなっていて、そのうちに、近くの山の斜面を登っていってしまって見えなくなってしまいそうな気がする。
いつでも繋いだ鎖の範囲内にいて、顔を見せれば尻尾を振り、与えられたエサを文句も言わずに食べ、日に一度の散歩で満足して眠る。そんな従順な動物がひとたび自由を与えられると、一直線にかけていって二度と戻ってこなくなるのではないかと言う不安。
これって、なんだか子育てに似ているなぁ。

なんてのんびりしている場合ではない。
ハイキング客や犬連れの散歩の人たちがどんどん上がってくる時間までにさっさとロッキーをつないでしまわないときっと厄介なことになる。
山盛りいっぱいのドッグフードを用意して犬の名を呼び、玄関の土間に誘い込んで閉じ込めていそいで首輪をはめる。
ほんの数十分の自由を満喫して、興奮していたロッキーは首輪が掛かると急に憑き物が落ちたようにペションといつも従順なペットに戻り、とぼけた顔でドッグフードをむさぼっている。

「かあさん、朝ごはん・・・」
ひと騒動終えて家に入るとこれまたのんびりした子ども達の顔。
母の作ったご飯を食べ、母の用意した衣類を身につけて、母の見守る範囲の中で育っていく子ども達。
この子等もいつか、鎖を放たれて、少しずつ自分の自由の範囲を確認しながら飛び去っていくのだなぁ。オニイなんかは、もうそろそろ助走の準備を始めている頃か。
そう思うと何となく子ども達の顔がひときわ愛しくなって、今朝はお茶わんのご飯を心もち山盛りに盛ってみた。


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