月の輪通信 日々の想い
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小学校、校区懇談会。 PTAの主催で地域の集会所に保護者が集まり、先生方も交えて子ども達の日常や学校生活について話し合う恒例行事。 課題は昨年に引き続いて、「子どもの安全について」 子どもを持つ人たちが今一番心に留めている事は、子ども達が犯罪や事故にあうことなく、元気に学校に通える事。 こんな田舎の小さな町にも子どもを脅かす小さな心配の種はそこここに落ちている。「水と安全はタダ」といわれたのは、もう過去の話。 「地域で子ども達を守ろう」がスローガン。 ホントに喜んでもいいのやら。
と言うわけで、今年は地域の交番のおまわりさんが出張講師としてやってきて、地域の犯罪発生状況や防犯の心得をいろいろ講義してくださった。 講師は、ごく最近まで警察学校の教官のお仕事をなさっていたと言う元気なおまわりさん。 「えー、私の名前は、タカミツといいまして・・・」 と元気よく自己紹介をなさる。ホワイトボードに「高光」と大きな文字で書いて、その隣にマッチ棒のような人型を添える。そしてその頭の部分にご丁寧に赤いチョークでピカピカと後光のように光り輝くしるしを書き込む。 このあたりになって、お話を聞いているお母さんたちのなかからクスクスと笑いが起こった。 「高く光る。高い所が光ってる。ホンマに見たマンマの覚えやすい名前でしょう?」とお巡りさんは笑って頭をかいた。 そう、講師役のおまわりさん、まだまだお若い口ぶりなのにてっぺんの方の御髪がかなり寂しい。ゆで卵の様なつややかなヘアスタイルで笑っておられたのだ。そのあっけらかんとしたアピール振りが楽しくて、その場のお母さんたちの雰囲気もぐっと柔らかくなった。 「ツカミはOK」と言うヤツだなぁ。
自分のことにしろ他人のことにしろ、その容姿や外見のことをあからさまに口に出して言うことは何となくはしたない気がして好きではない。自分の容貌や体型についてのコンプレックスを人からとやかく言われたくないという気持ちでもあるが、たとえそれが人から褒められるべきよいほうの事柄であっても、そのことをおおっぴらな話題にするのが何となくはばかられる。 「最近ふとったんじゃない?」とか、「やあ、お互いすっかり白髪になっちゃったね」とか挨拶代わりの軽い言葉にも、小さな棘を感じてウッと嫌なものを呑み込むことがある。 そういうことが話題に上ること、その外見が普段人から見られ評価されている事を思い出さされること自体が、イヤなのだ。
よくTVに出てくるタレントで、太っている事とか頭髪が薄いこととか容貌が著しく劣っている事とか、そういう自分の外見上の「欠点」を売り物にして笑いを取ったり、人気を博したりする人たちがいる。 ああいう世界の人たちだから、自分のコンプレックスや外見のウィークポイントを他人から「イジッて」もらって知名度を上げることも、仕事のうちなのだろう。 そのあっけらかんとした開き直りはまぶしくもあり、周りも盛り上がって他人の欠点を嘲笑する事で笑いが作られる。他人の容貌や外見を笑うとき、人は実に楽しそうな嫌な笑い方をする。その人に対する自分の優越を腹の中でひそかに暖めながら。 人から「デブ」と弄ばれ自分も高らかに笑っているタレントの中に、時々コンプレックスを衝かれた人の淡雪のようなかすかな痛みの表情がすっと通り過ぎるのを発見することがある。 私はその種の悲しみが嫌いだ。
今日の講演のお巡りさん。 壇上に立ったとき、瞬時に会場の人の目が自分の頭髪に注がれ、軽い笑いの空気が流れた事を感じられたのだろう。これまでの人生の中で何度もそういう空気を経験してこられたに違いない。お話を聞けば子どもさんもまだ小さく、ヘアスタイルから察せられる年齢よりはずっとお若い。いわゆる「若**」というヤツなのだろう。 頭髪の悩みを人知れず抱えてコンプレックスに感じる男性は多い。 このお巡りさんも、日焼けして汗の光る額に年齢相応の前髪が垂れていたなら、もっと若々しい男前に見えたに違いない。ご本人も日に日に薄くなっていく自分の頭髪のことを憂鬱な思いで惜しむ事もあっただろうと思う。
「名は体を表すといいましてね・・・」 と、マッチ棒人形の後光を2,3本描き足して、ささっと名前ごと消してしまったお巡りさんの笑顔には、微塵の卑屈さもコンプレックスも感じなかった。こういう自己紹介をもう何十回もいろんな場面でなさってきたのだろう。 けれどもそのあっけらかんとした明るさは、慣れや諦め、開き直りによるものではない。 「286、この数字が何の数字かわかりますか。 明治以来この大阪での警察官の殉職者の数です。 警察は日々、命懸けで地域の安全や安心のための仕事をしています。」 冗談やユーモアの間に、「命懸け」などという強い言葉をおざなりなスローガンとしてではなく、真摯な言葉としてさりげなく織り込む事の出来る強さ。 それは、この人の仕事に対する強い使命感や誇りという、その心棒の確かさによるものなのだろう。
巷では警察官や教師、政治家など、人から信頼されるべき立場の人たちの不祥事や事件が溢れる中、淡々と職務を守る人のさわやかな強さを見つけた。 私はこの人の普段のお仕事振りを知っているわけではないけれど、どこか少しホッとできる気がした。
従業員のNさんが急病で入院して、十日あまり。 いつもはNさんが一手に引き受けてくれていた荷造り仕事に追われる一日。 梱包用の包装紙や宛て紙を裁断したり、桐箱用の織紐を切りそろえたり。 義母と一緒に荷造り場にフルで入っていた頃にはイヤと言うほどやりなれた作業ではあるが、Nさんが荷造りの仕事を取り仕切ってくれるようになってからここの仕事は少々ご無沙汰気味。 仕事場の道具の配置やら、荷物の発送の手順やら、梱包のやり方が微妙にNさん方式に変わっていて、どうしても「ヨソの職場」で作業をしているような違和感が抜けない。
作品梱包用の黄色い布地を裁断する。 大きな作業台の上に布地の束を広げ、作品の大きさに合わせてピンキング鋏でジャキジャキと布を切り分ける。折りたたんだ線の通りに鋏を当て、滑らせるように軽快に切り進んでいきたい所だが、どうも調子が悪い。ピンキング鋏の刃先三分の一程度のところで必ず引っかかって、くっきりしたジグザグの裁断面がガチャガチャと乱れる。 しばらくこの仕事から遠ざかっていたので、手勝手が鈍ったかとも思ったが、どうもピンキング鋏そのものが切れにくくなっているらしい。 新しい作品を送り出すたびに、同じ布地だけをジャキジャキ切るためのピンキング鋏。その使用頻度は結構高い。見た目は汚れも壊れもしていないのだけれど、そろそろ研ぎが必要な時期なのだろう。 以前この作業をしたときにはそれほど「切れが悪い」と感じた記憶もないので、それだけ私がこの作業から遠ざかっていて、Nさんがたくさんたくさんこの鋏でお仕事をしてくれていたと言う事だろう。 気になって、Nさんが前もって切りそろえて準備しておいてくれた布の裁断面を確認してみたら、私がやったようなガチャガチャに乱れた裁断面は見つからなくて、きれいなジグザグの線が続いている。Nさんは日々の作業の中でこの鋏のくせをちゃんと頭に入れて、それなりの使い方で布地を切り進めていたのだろう。 ピンキング鋏の切れ味で、自分の荷造り作業のブランクの長さを感じる。 やはりここはNさん主導の仕事場になっているのだなぁと思う。
義母の台所でごくたまに料理をする事がある。 最近では、義父母やひいばあちゃんと3人で食卓をかこむことが増え、食事の量自体が減った事もあり、義母自身の体調の不良などもあって、義母の台所仕事は少し減ってきている。 代わりに義父が買い物ついでに出来合いのお惣菜を一つ二つ見繕ってきたり、義兄がレトルトや冷凍食品の簡単な調理をしていったり、私が自分の台所で作った夕飯メニューの一品をおすそ分けしたりして、義父母宅の食卓を満たす。そんな事が多くなった。 元来義母はこまめにお料理をする人だ。 昔風のお惣菜、ことに白和えやなますなどちょっとした小鉢のお料理が上手で、新婚の頃、義母が作る少し甘めの胡瓜もみやたっぷりの黒ゴマを擂って青菜を和えるおひたしの味を真似ようと何度も研究したものだった。 何事にも大雑把、見た目より実質第一の私とは違って、義母は「ゴマは脂分が染み出てくるまでしっかりと擂る」「胡瓜の輪切りはつながることなくスパッと美しく刻む」「盛り付けは一人分ずつ小奇麗に、必ず天盛も添えて」とかっちりと生真面目な料理の基本を身につけた人だ。 あの頃、義母の包丁はいつもこまめに研ぎが入っていて、柔らかいトマトでも青々とした浅葱の束も怖いくらいの切れ味ですっぱりとよく切れたものだ。そのころ、包丁研ぎの役目は義父と決まっていて、義母に頼まれて義父がせっせと研いでいたものだろう。 「お義母さんちの包丁はよく切れる。」 あの頃の私にはそういう思いがしっかり頭に染み付いていて、義母の包丁を拝借するときには軽い緊張感を毎度毎度感じたものだった。
最近、義母の台所でお料理をする機会があって、その台所の変化に戸惑った事がある。 ガスコンロの着火が悪くなっていたり、サラダ油や薄口醤油など頻繁に使っている調味料の買い置きが切れたままになっていたり・・・。 主婦が台所から少し遠ざかったり、主婦以外の人が台所仕事の一部を分担したり、そういうことが増えてくると台所と言うのはたちまちにその主婦のカラーを失っていくものなのだなぁと思う。 何よりショックだったのは、あれほどいつもギンギンとよく切れた義母の包丁が情けないほど切れなくなっていたことである。研ぎ手である義父も高齢になり、義母の台所周りの用事にまで手を出さなくなってきたせいもあるだろう。母自身もすこしづつ自らの台所道具に常に張り詰めた切れ味と使い勝手を求めるだけの気概を失いつつあるのかもしれない。 米びつの米の消費量が日に日に増えていく台所、大皿盛の惣菜があっという間に空っぽでご馳走さまとなる食卓こそが、勢いのある上り調子の家族の証ともいう。 子ども達が巣立ち、年齢を重ねて老夫婦の食もだんだんに細くなり、扱う食材の量も減っていく義母の台所は、少しづつ緩やかな坂を下っている所なのだろう。主婦が毎日手にする包丁の切れ味に、家族の勢いが如実に映しだされる、そんな気がして胸が痛む。
ところで我が家の包丁は近頃とてもよく切れる。 長い間、我が家の包丁研ぎは義父母の例に倣って、父さんの仕事だった。 何ヶ月かに一度、私が頼むと父さんが大きな砥石を持ち出して家中の包丁を研いでくれる。男の人は何故だか刃物を扱うのが好きなようだ。何度も何度も試し切りをしながら、研ぎをかける。全部の包丁を研ぎあげると、下手をすると半日仕事になった。 最近では父さんの仕事も多忙になって、「そのうちね」と包丁研ぎの依頼がなかなか引き受けてもらえなくなって、とうとう私は簡単に包丁が研げるという簡易包丁研ぎを購入した。砥石の間に開けられた溝に、手持ちの包丁をはさんで何度か往復させるだけで包丁が研げるという便利グッズ。使った後の包丁を、何日かに一度、こまめにこの装置にかけるだけで、そこそこ満足のいく切れ味が維持できるようになった。 「トマトはね、とりあえず、よく切れる包丁で切ることよ」 完熟のトマトをすっきり輪切りにしながら、アユコにいう。子ども達が使うには、切れ味の鈍った包丁よりは怖いぐらいにすっぱり切れる研ぎたての包丁の方が仕上がりもよく、怪我も少ないようだ。 気持ちよくすっぱりと切れる包丁の切れ味をひとたび知ると、鈍った刃物に感じるもどかしさは耐え難い。 刃物の切れ味を保つ心遣いは、どこかその仕事に対する思いや勢いに通ずるものがある。そんな気がして、今日、また包丁を研いだ。
昨日書いたアプコの個人懇談の席でちょっと気に掛かった事など。
アプコのクラスに一人軽い自閉症の女の子がいる。 入学当初から、アプコはHちゃんの近くの席になることが多くて、一緒に遊んだり、あれこれお手伝いをしたりする機会も多かったようだ。 「Hちゃんはね、時々ひまわり学級へ行ってみんなと違うお勉強をするの。」 「今日はHちゃん、ジャングルジムの一番上まで登っちゃって降りられなくなって困ったよ。」 「Hちゃんは自分からはちっともお話しないけど、絵がとっても上手なの。ビックリするくらい上手、ほんとに上手なの。」 「Hちゃんに『名札のお名前、読んで』っていったら、名前呼んでくれるンよ。」 アプコにとっては障害を持つお友だちとのはじめての出会い。「他の子とちょっと違うらしい」と気づいただけで、意外と抵抗なくすんなりと寄り沿うようにお友だちになっていく様子が微笑ましかった。
Hちゃんのお母さんはHちゃんが普通学級にいることで、他の子どもの邪魔をしたり迷惑を掛けたりしないかとかなり気にしておられたようだ。だからアプコが始終、Hちゃんのそばにいて一緒に外で遊んだり、配布物を配るのを手伝ったりしていることをとても喜んでくださっていると聞いた。 私自身もまた、家では末っ子姫の甘えん坊のアプコが、お姉さんぶってHちゃんの世話を焼いたり、そのくせHちゃんの絵の才能に素直に感嘆して「すごいねんで!」と我がことのように得意になったりしていることを嬉しく思っている。アプコが「障害のある友だち」との出会いを、きわめて自然な微笑ましい形で経験することができたことをありがたいと感じているからだ。
先日の個人懇談の席で、M先生の開口一番の一言は、「アプコちゃんにはほんとにいろいろ手伝ってもらって、助かってますよ。」だった。 Hちゃんもアプコのことをいくらか気に入ってくれているようで、先生や他の子が促しても聞かないことをアプコが「一緒にやろう」と手を差し伸べると、意外とすんなり受け入れてくれたりすることがあるのだそうだ。 だから、障害学級の先生までも、「ちょっとアプコちゃん、おねがい!」とアプコを呼ぶことがあるのだそうだ。 まぁまぁ、あの甘えんぼのアプコが・・・・と、半信半疑ながら、アプコの事を頼りに思ってくださる事は母として誇らしい。 「せいぜい、何でも言いつけてください、家でのアプコはまるっきりお姫様ですから・・・」と、笑顔でお答えしておく。 とりあえず。
・・・取り合えずと言いつつ、少し気になったM先生の言葉。 「アプコちゃんはHちゃんの『扱い方』がとてもうまいんですよ。」 「Hちゃんの『面倒』をよく見てくれます。」 「Hちゃんの『お世話係』ですね。」 障害のある子どもに、適当な子どもを「お世話係」として割り振って、身の回りの世話や遊びのサポートを任せるのは、昔からよくあることだ。私も小中学校の間はそういう「お世話係要員」だったし、アユコもそうだ。そのこと自体、私は悪い事だとは思わないのだけれど。 ただアプコ自身はまだ、Hちゃんとブランコで遊んだり、Hちゃんに歯磨きカードに丸をつけさせたり、Hちゃんの席に配られたプリントを代わりに後ろへまわしてあげたりする事を、「面倒を見る」とか「お世話をする」とは感じていない。 「ちょっとだけ変わったお友達」と一緒に遊んで、時々お手伝いもしてあげるくらいに感じているようだ。 障害のあるお友だちに、せっかくそういう自然で素直な出会い方をする事のできたアプコに、あんまり「お世話する」とか「面倒を見る」とか、ましてや「扱い方がうまい」なんて言い方を聞かせないで置いて欲しいなぁと思う。 M先生自身は、アプコとHちゃんの関係を純粋に褒めてくださっていて、その労をねぎらう意味での言葉なのだと言うことはよくわかる。けれども、今のアプコにHちゃんのことを「面倒を見てあげなければならないお友だち」「お世話してあげる子」と思う認識はまだまだ持たせたくないと思う。
そうでなくてもいつか、アプコはHちゃんの抱える「障害」と言うものの意味に気づいていく時が来る。 自分にはできてHちゃんにはできない事、自分にはわかるけれどHちゃんには理解してもらえない事があるということ。 そういう障害があると言うことで、Hちゃんのことを邪魔に思ったり意地悪をしたりする人もいるということ。 それでもなお、自分とHちゃんの中に共通する同じものが流れていると言ういうこと。 そういう大事なことをアプコは、これからの長いHちゃんとのお付き合いの中で少しづつ学び取っていくだろう。 それは出来ることなら、誰かから言葉で教えられるのではなく、アプコが自分自身の経験や自分自身の感情のなかから学んでいって欲しい。 私はそう思う。
「お世話係」 「面倒を見る」 「扱いがうまい」 何度も出てくるM先生のその言葉には、誰に対する悪意もない。 Hちゃんのことも上手にクラスに受け入れていらっしゃる先生だし、アプコのことも充分配慮して見ていて下さっているのがよくわかる。 だからこそM先生の言葉に感じるかすかな違和感の意味を、はっきりと形にすることもできないまま、表向きはニコニコと笑顔で頷きながら懇談を終えた。 なんだかとても苦いものを、繰り返し繰り返し、呑み込んだ気がする。
数日前のこと。
小学校の個人懇談。 赤いランドセル姿もすっかり板について、毎日楽しげに登校していくアプコ。 体も気持ちも充実して、学校生活にも家での過ごし方にも「旬」の勢いのあるゲン。 二人とも、大きな心配事もなく、これといって先生に叱られてくるネタも思い浮かばない。ましてや、偏差値とか志望校とかいう言葉も出てくることのない小学校の個人懇談というのは、まことに心安らかに迎えられるものだ。
今年、ゲンの担任は、オニイが5,6年の時に担任していただいたT先生。 そして、アプコの担任は、アユコが2年生の時に担任していただいたM先生。 当然、どちらのお話の中でも、「オニイ君の時にはね・・・」とか「アユコちゃんだったらね」とか、兄弟で比較する話題がどちらからともなくでてくることが増える。ちょうど年齢的にもよく似たあたりで担任していただいているので共通する事柄も多く、どうしても引き合いに出して話す事が多いのだ。なんだか、途中からどの子の懇談をやってるんだか、わからなくなってしまうようなこともよくある。
理屈屋のオニイよりずっと人懐こく、気持ちがストレートに表に出るゲン。 生真面目でストイックなアユコと、甘えん坊でちょっとえー加減なアプコ。 親の目から見ると性格的にもかなり違って見える兄弟だけれど、ふとしたときにゲンの声は声変わり前のオニイの声にそっくりだし、おかっぱにしたアプコは低学年の頃のアユコに見た目はそっくり。おまけに着ている服まで、お下がりだから同じものだったりする。 先生たちにとっては、やっぱり入り口は「似てる」なんだろうなぁと思う
ゲンの担任のT先生は、さんざんオニイのときの思い出話やら、ゲンとオニイを比較しての話で大笑いしたあとで、 「でもね、ゲンちゃんにはお兄ちゃんと絡めての話題はあまり持ち出さないようにしているんですよ。」と教えてくださった。 4人兄弟の3番目。家族の中にいれば、どうしても誰かの弟、誰かの兄という立場に置かれてしまうゲンに、せめて教室の中ではゲン自身がゲンとして呼吸できる場所を確保していただいているのだなぁと有難かった。 ことに最近のゲンにとって、兄は面白い遊び相手であると同時に、いろいろな意味での「ライバル」でもある。隙あらば、オニイより高い所へ揚がってやろうと虎視眈々と狙っているような節も見える。 そんなゲンにとって、オニイの影を投影することなく、純粋にゲン自身を見つめて面白がってくださるT先生の存在は、ゲンにはとても居心地のよいものなのだろう。 近頃のゲンの絶好調ぶりは、そういうよき理解者の存在の賜物なのだなぁと思う。
一方、アプコの担任のM先生は開口一番、「アプコちゃんにはほんとにいろいろ手伝ってもらって、助かってますよ」と言われた。アプコが同じクラスの自閉症のHちゃんの面倒をよく見てくれるのだという。 「おねえちゃんもS君の面倒をよく見てくれてましたねぇ。アユコちゃんの小さい頃とよく似てますよ。」 ちょうど、アユコの時にも、クラスに軽い学習障害の男の子がいて、アユコが何かと手伝ったり、かばったりしていた。アユコと違って末っ子姫の甘えん坊のアプコに、Hちゃんのお世話係がホントにちゃんと務まっているのかどうか私には半信半疑なのだけれど、アプコは他のどの子よりもHちゃんの「扱い方がうまい」のだそうだ。 「口ぶりまでアユコちゃんそっくりで、しっかりしたもんです。」 といわれてようやく合点が行った。アプコは多分、自分がオネエに何かと面倒を見てもらっている、そのやり方をそっくり真似てHちゃんに接しているのだろう。だからその口ぶりまでアユ姉にそっくりなのだ。 M先生は入学当初から、アプコの上に幼い頃のアユコの印象を重ねて見ていらっしゃるように感じられるところがあって、「大丈夫かな、アプコにとって、アユコの影が重荷にならないかな。」と少し心配したりもしたのだけれど、結果としてアプコにはそれも杞憂に過ぎなかったらしい。 幼いアプコにとって、6つ違いのアユ姉は、絵を描くのもお料理するのも上手、いつも上手に遊んでくれて、母さんよりもずっときめ細かく面倒を見てくれる、いつでも頼りになる憧れの存在。 そのアユ姉に似ているといわれたら、それだけで舞い上がって嬉しくなって、お手伝いの一つでもしてやろうかという気になってしまう。 「一年生!」とひときわ胸を張って登校していくアプコには、「アユコちゃんそっくり」というM先生の言葉が、重荷ではなく心地よい励ましに思われるのかもしれない。 結果として、姉と同じような生真面目な優等生振りを期待するM先生の視線は、アプコにその実力以上に背伸びしたお姉さん振りを発揮させるエネルギーとなっているのだろう。
4人兄弟。 「あ、似てる、似てる」とすぐにいわれてしまう「そっくり兄弟」だけれど、母の目から見ればそれぞれ違う個性的な子ども達。 人から「似てる」と言われる,そのこと自体取ってみても、すぐに反発してしまう子もいれば、嬉しくて舞い上がってしまう子もいる。 今年はたまたま、その特性に合った先生がそれぞれの担任にあたってくださったということか。 これもまたラッキーというより他ない。
昨日、一日中、私は原因不明の高熱で壊れていた。 正確には、原因不明ではない。 父さんの個展前後のお疲れやら、工房での穴埋め仕事やら、子ども達の学校や稽古事の行事の多忙やら、オーバーヒートの原因として思い当たる事は山ほどある。それが全部、私の最大のウィークポイントである歯と目に押し寄せたに違いない。 「母のことは捨て置け。そなたらは、自分の身の振り方を自分で考えて、強く生きていけ。」 と言い残して、38度の熱の海を一日ふらふらと浮き、彷徨っていた。
熱の合間に、子どもらと父さんの声が聞こえた。 ああでもない、こうでもないと、レトルトスパゲッティーを調理している気配。 「お湯には、塩を入れてからスパゲッティーを入れるんよ。」 偉そうに父さんの指示を出すアユコの声。アイツ、言葉で指示はするくせに、自分ではあんまり動いてないみたいだな。 「かあさん、電話。」と3度もご丁寧に家庭教師勧誘の電話を取り次いでくれるオニイ。もうちょっと、電話の応対の仕方をちゃんと教えとかなアカンな。 「おかあさん、アイス食べる?プリン、たべる?」と、やたらやさしいアプコ。食べたいのはお母さんじゃなくてアンタでしょ。頼むから放っといて。 夕食後、遅くまでゲンが寝ずにうろちょろしていたのは、どうやら家の中でカブトムシが一匹脱走したらしい。だから、ちゃんと蓋をしておくようにいっといたのに。
子ども達が小さいときには、どんなにくたびれても熱を出して寝込むというような事はめったになかった。 「私が倒れたら、この子らの晩御飯はどうなる?」 そんな意地のような気力が、「母は強し」を習慣付けてしまったか。 最近、子どもらが大きくなって、一日くらい私がいなくても、何とか食べて寝るくらいの事は出来るかなという安心感ができたのだろうか。 時折忘れた頃にやってくる時限爆弾のような突然の発熱。 「年をとって、無理の利かない体に変わってきたのよ」といわれてしまえばそれまでの事。 子ども達が自分で生活できるように成長するということは、すなわち親も年をとるという事なのだ。
熱を出して一日家事を放り出しても、何とか家族が晩御飯を食べ、職場や学校へ出かけていけるようになったということ。 それは主婦にとっては、ありがたく心強い事。 けれども、毎日、お洗濯を干し、ご飯を作り、快適な寝床を用意するそれだけが仕事の専業主婦の私にとって、家族が放っておいても家事をちゃんとこなしていけるようになるということは、なんだか少し寂しくもある。 私自身の主婦としての存在意義って、一体なんなのだろう。 熱でもつれた頭には、重すぎる疑問がぐるぐる巡って、今朝の寝覚めも最悪だった。
今朝、目覚めたら、熱は37度台。 アプコから「七夕集会。見にきてね。」といわれていたけれど、「無理せんと、もうちょっと休んどり」と父さんに言われて断念。日の当たる所へ出ると目が回りそうになるので、やっぱり無理よねぇとうだうだしていたら、今度は父さんが 「急ぎの荷造り仕事があるんだけど、無理だよねぇ。」と困った顔で帰ってきた。 義兄は仙台、荷造り担当のNさんはこの間から急病で入院して病欠中だ。 お義母さんも体調がよくないらしくて、頼りにならない。 「やっぱり無理しちゃいかんよな。いいよ、やめとき、やめとき」 といいつつ、困っている様子はありあり。 「しょうがないなぁ」と勿体をつけてのろのろと荷造り場に入る。 先日の父さんの個展で売れた作品用の桐箱が仕上がってきて、その発送準備。 作品を包む布地を裁断し、紐を通したり、宛て紙をあてたり・・・。 微熱でぼんやりした頭では、今ひとつピリッと気合の入った荷造りができず、イライラしながら急ぎ分の仕事を何とか仕上げる。
うちに帰ってきたら、突然の夕立。 だんだん近づいてくる雷鳴に、アプコが「窓閉めようよ」と半泣きになる。 どうやらアプコはまだ、かみなりが鳴ると怖い鬼か何かが開いている窓から侵入してくると思っているらしい。 「大丈夫、なんにも来ないよ。」と呼び寄せて、傘を持たずに出かけた上の3人の心配をする。案の定、ぬれねずみが三匹。ワイワイと大騒ぎで帰ってくる。
夜、駅前で七夕のお祭り。 友だちと一緒に遊びにいく約束をしてきたアユコを送って駅まで。 とんぼ返りでアプコとゲンを連れて行く父さんを送って駅まで オニイと二人、静かな夕食の後、父さんたちを迎えに駅まで。 その後アユコを迎えに駅まで。 都合、4往復の送迎の運転。 短距離といいながら、呼ばれては飛び出す運転手役はしんどい。 ぶつぶつ文句を言いながら、出入りを繰り返す。
つい半日前には、「アタシがいなくても、家の中の家事が何とかなっていく寂しさ・・・」なんて拗ねていたのに、たちまちに「もうアタシを呼んでくれるな」 とお手上げ状態。 なぁんだかなぁ。 「アタシがいないとダメ」ということと、「アタシなしで勝手にやってくれぇ」という事の矛盾に右往左往しているうちに、朝からの微熱の曇りは気がつくとすっかり晴れてしまった。
夕立でびしょぬれになったシャツや父さんの作業エプロンを洗濯機に投げ込んでまわしていたら、カラカラと乾いた金属音がする。 慌てて洗濯機を止めて確認してみたら、濡れた洗濯物の下から、キラキラ光る500円玉と50円玉。 誰のポケットに入っていたものだろう? 「洗濯機の中から出てきた小銭は、洗濯担当者へのチップとみなす。」 それが我が家の鉄の掟。 丸一日の発熱と、微熱を押しての大忙しの一日へのお駄賃としてありがたく頂いておく事にする。
あちらで、「空梅雨で水不足」「ついに取水制限」と報じられているかと思えば、北のほうでは大雨、洪水のニュース。 いったいどうなっているんだろう。 当地はといえば、好天気続きの暑い日々。 「庭の水遣りが欠かせない季節になったなぁ」と言う程度だけれど、近隣の田畑ではそろそろ水不足の影響が出始めたか。
中学生組、期末試験初日。 夜更かしの睡眠不足で寝起きが悪く、むすっと脹れたまま登校していったアユコが、お昼前一番に帰ってきた。今度は「暑い暑い」とにぎやかなことだ。 「でも、なんだか、雲行きが怪しいよ。お布団干したけど、あんまり乾かなさそうだから取り込んじゃった。お洗濯物はどうしようかな。」 と話していて、 「でも、そうたくさんは降らないんじゃない?」とアユコが言ったとたん、ポツリポツリと大粒の雨粒が落ちてきて、あっという間にバケツをひっくり返したような豪雨になった。 「な、な、なに・・・・?」 まるでTVのバラエティ番組のコントのような突然の豪雨。 干し物を二人で大慌てで取り込んで、顔を見合わせて笑う。 乾ききった道路はあっという間に川になり、暑さでぐったりしていた植物が強い雨にたたきつけられて、ペションとうつむいてしまった。
「オニイ大丈夫かな。」 一息ついて、二人が同時に思いついたのはオニイのこと。アユコより1コマ分遅れて学校を出たはずのオニイ。ちょうど家への道のりの途中ではないだろうか。通学路にはほとんど雨宿りのできそうな場所もない。自転車だから仮にかさを持っていてもこの強い雨ではびしょぬれになってしまうだろう。 「玄関に雑巾とタオル用意しといたほうがいいかもね。」 用意周到なアユコは、甲斐甲斐しい若妻のように上がり口に雑巾タオルを敷き、バスタオルを用意する。母よりよほど、段取りがいい。 数十分後、案の定、オニイは「水も滴るいい男」となって帰ってきた。
「おかあさん、僕、今日はちょっと機嫌がいいねん。」 濡れた服を着替え、濡れた頭をゴシゴシ拭きながらオニイが言った。 「へへぇ、さては、テストが凄くうまくいったとか・・・?」 「ううん、違う違う。」 とへらへら笑って理由をなかなか教えてくれない。そのくせ、しつこく聞いて欲しそうな気配満々なので、重ねて聞くと、「しょうもないことやねんけどな」とこっそり教えてくれた。 自転車で学校を出た途端、ばあっとバケツをひっくり返したような雨になったので、鉄道の高架の下の歩道で雨宿りをしていたのだそうだ。 他にも中学生が何人かと、近所のおばちゃんらしい人が一人、一緒に雨が小降りになるのを待っていた。 他の子たちが一人二人と先に雨の中へ飛び出していった後、オニイとそのおばちゃんだけが高架下に残り、なんだか少しだけお喋りをしたのだと言う。 「べつにな、ただの世間話やねんけどな。最後に別れ際にな『気ィつけて帰りや』と声をかけてもろてん。」 「それで、きげんが良いの?」 「うん、それだけ。」 照れくさそうにオニイはその話題を打ち切ってしまった。
無愛想な男子中学生と雨宿りのおばさん。 どんな世間話の話題があった事やら・・。 若者が店員と一言も交わさずに買い物が出来るコンビニを好んだり、顔見知りの近所の人と挨拶を交わすことすら嫌ったりする事の多い昨今、雨宿りの短い時間のご縁のおばさんとのちょっとしたなんでもない会話で何となく楽しい気持ちになって帰ってきてしまうオニイ。 近頃いつも不機嫌そうな顔をしている屁理屈屋のオニイにも、ちゃんとそういう人懐っこいほのぼのした気持ちが根付いているのだなという事がわかって嬉しくなった。
そういえば、先日スーパーの駐車場を出るときのこと。 「暑いね」「参っちゃうよ」と顔見知りの警備員のおばさんと一言二言私が言葉を交わしているのを見て、後部座席のゲンが「なんかああいうのっていいよね。」といった。 知らない人と知らない人が行きかう一瞬に一言二言交わす会話。 それを「いいよね」といえる我が家の子どもたちの視線が嬉しい。 それは多分「人間が好き」という事。 そして多分、「生きてる事」が好きということ。
父さんの個展、5日目。 土、日の山場を越え、さすがに毎日の百貨店出勤のお疲れが出てきた様子。あと数日。 ガンバレ、ガンバレ。
先週の金曜日、いつものように「遊びに行ってくるよ!」と自転車で飛び出していったゲンが、夕方帰宅したときにはなんだかプリプリ怒っていて、顔を見ると一触即発で泣き出してしまいそうな情けない顔をしている。 オニイと違って単純明快なゲンは、ご機嫌が悪いとき、とっても凹んだとき、凄く悲しい思いをしたとき、すぐに目の縁がウルウルと赤くなって唇がへの字に曲がる。 「どしたの?なんだか機嫌悪いね。なんかあったの?」と何度も訊ねたら、その日遊びに行った友だちとのケンカの顛末をポツリポツリと話してくれた。
「むっちゃ、腹たつネン!もう絶対あいつンちへは遊びに行かない。顔も見たくないわ!」 話していくうちに悔しさがますます増してきたようで、だんだんに声が大きくなってくる。 大人から見れば「なんだ、そんなこと・・・」と思うような些細な言葉。 「何もそこまで怒らなくても・・・と思うようなゲンの激昂。 それをストレートに吐き出す事で、悔しい気持ちのバランスを取り戻そうとしているんだな。 「言い返してやろうと思ったんだけど、悔しくなるといえなくなってしまうんや。それでますます悔しくなる。ぼくって滑舌が悪いからさ。」 ゲンは5年生になるが、どうも言葉の発音の不明瞭なところがある。ザ行ダ行がうまく言い分けられなかったり、気持ちが高ぶると言葉がつっかえたり・・・。普段は気にせずどんどんお喋りしているが、口げんかのときなどは人よりちょっと悔しい思いをする事も多いのだろう。 これまでゲンは、自分の発音のことを自分から話題にした事がなかったので、彼なりにコンプレックスを持っているのだということがわかって胸を衝かれる。 「いいたいことをポンポンと言い返せたらいいんやけど。むっちゃ腹立つわ!」と苛立つゲンに、「じゃぁ、ここで言いたかったこと全部言ってみ。まず『アホ!バカ!マヌケ!』からはじめよか。」 と、けしかける。 よっしゃーとニカッと笑ってゲンが悪口合戦を始める。 「サル!ゴリラ!チンパンジー!」 ・・・なんかサル系ばっかりやな。O君は猿顔か? 「ダンゴ虫!毛虫!便所虫・・・」 ・・・今度は虫シリーズか! 「わけのわからんこと言いやがって!あほー!糞ガキ!ぼけー!」 ・・・もう終わりか?もっと強烈なのはないのンか? 「お前なんかなぁドブに落ちろ。一生あがって来ンな!ボウフラ!イトミミズ!屁こき虫!」 ・・・・お、虫に戻ったか。 ゲンの悪口連呼は夕食後、剣道の稽古に向かう車中まで延々と続いた。
なぁ、ゲン、ここでいっぱいいっぱい悪口を言って気が晴れたらそれでいいよ。 でも、なんで○くんは今日、そんなにアンタを怒らせるようなことをしたんだろう。 「一緒に遊ぼう。」と君の事呼んだんでしょ?君だって「一緒に遊びたい!」って思って自転車で駆けつけて行ったじゃない。 何でいきなりそんなケンカになっちゃったのかなぁ。○くんにも、なにかイライラする事とか、腹が立つこととかあったのかなぁ。お母さんにはその事がちょっと腑に落ちないよ。 あとで気持ちが落ち着いたら、ちょっとだけかんがえてみ。明日もあさってもお休みだからさ。 そういって、道場に向かうゲンの背中を見送った。
今日、月曜日。 下校してきたゲンは、さっさと別の友だちの家に遊びに行った。 「それで、○君とはどうなったの?仲直りした?それとも、絶交のまま?」 夕食前、ゲンに再び聞いてみる。 「ぼくな、一応○君に謝ってみたんや。ボクは自分が悪かったとは思ってないけど、仲直りしたほうがいいかなと思って・・・。そしたら○くん、『もうええよ』と答えたんや。あいつの方が絶対悪かったのに、なんか立場が逆転したみたいでよけい腹が立った。」
自分が悪かったとは思っていないのに、「一応謝ってみる」というゲンの行動は意外だった。 ゲンの話を聞く限り、ケンカの発端は○くんの気まぐれか、何かほかの事の鬱憤晴らしだ。少なくともゲンの言った言葉や行動だけが原因ではないようだ。それなのに、「一応謝ってみる」というゲンの選択。 頑固で融通が利かないと思っていたゲンの思いがけない懐柔策にちょっとおどろいた。いつの間にかゲンも、ストレートに恨みをぶつけるのではない、ワンクッションおいた怒りの収め方を見つけることが出来るようになってきたのかもしれない。「余計腹が立った」といいながら、ゲンはそれを再び○くんに問い詰めるつもりもなさそうだ。 賢い人付き合いの要領をすこしづつ学んでいるのだなぁ。 5年生になってクラスの友達や先生にも恵まれ、大好きな虫取りや川遊びなど家で過ごす時間も充実している今のゲンだからこそ、「一応、謝ってみてやるか」と関係修復を図る余裕も生まれるのかもしれない。
「それよりさ、それよりさ・・・」 「余計、腹が立った」といいながら、ゲンはあっさりと○君の話題を切り上げて、今日の昆虫採集の段取りを始める。 夏の短い驟雨のように、あっさりと激しい怒りをやり過ごして次の楽しみに飛びついていく。 さっぱりしてなんだかいいなぁ。 ゲンってほんとにいい奴だ。
父さんの個展、3日目。 午後から子どもらと共に電車で会場へ向かう。 4人全員を連れて電車に乗るのは久しぶり。皆が幼いときには車内でお行儀よくさせるために、しり取りをしたり小さいお菓子を用意したりと何かと気を使ったが、その種の心配をする事もなく、長い座席に「うちの子」たちがずらりと座っているのはなんだか楽しい。 前の座席に、小学生くらいの二人の子ども連れの親子が座っていて、 「前の家族、面白いくらいそっくりやな。血はつながってないはずのお父さんとお母さんまで似てるね」 とオニイに耳打ちしたら、 「母さん、向こうもきっと、うちのことそう思って見てるよ。」 といわれてしまった。 はい、その通りです。 失礼しました。
個展会場では子ども達がぱっと散って父さんの新作をあれこれ見て回る。 徹夜仕事でくたびれてヘロヘロの父の姿は毎日のように見てきた子ども達だが、「父さんの邪魔はしないように」と仕事場へ出入りするのを控えていたので、新しくできた作品を見るのは今日がはじめて。 一人前の評論家の顔をして一つ一つの作品を眺めている。毎回個展の折には一番お気に入りの作品を一点ずつ父さんにそっと耳打ちしてくることになっているのだが、それぞれの子どもが選ぶ作品の傾向と言うのが何となく決まっていて、その好みや美意識がちゃんと育っているのだなぁということに気がつく。 茶陶のクラシックな作品を選ぶオニイ、絵画的な美しさを好むゲン。 決まった色彩の美しさにこだわるアユコ、形の面白さやかわいらしさに惹かれるアプコ。 それぞれに何となく一貫したものがあって、なるほどなぁと思う。 「こんなにいっぱい、一人でつくったんやなぁ。」とオニイがそっと感嘆のため息を洩らす。15歳のオニイにとって父の背中はまだまだ大きい。父の日々の営みの成果である作品の力が、将来の進路を決める岐路に立つオニイの胸に迫る。
帰りの電車の車中、電動車椅子のおばさんと乗り合わせた。 駅員さんに手伝ってもらって、介助の人もなく一人で乗り込んでこられて、ドアの近くで窓の外を見ておられる。 降りるときにも、くるりと自分で車椅子の方向を変えて、「ちょっと後ろから引っ張ってくださいな。」と駅員さんの手を少しだけ借りてさっさと降りていかれる。とても馴れた様子でもたつく事もなく、颯爽とした様子だった。 「母さん。 人間ってさ、体に不自由がある人でも幸せそうな顔をしている人もいれば、五体満足でもつまらなそうな顔をしている人もいるんだなぁ。」 オニイがアプコの頭越しに母に呟く。 「そだね、今の人を見て思ったの?」 「うん。たまに電車に乗るだけでも、学ぶ事はいっぱいあるよなぁ。」 どこかの誰かさんがいいそうな台詞。 近頃、期末試験のプレッシャーやら友だちとの些細なトラブルやら、何かと不機嫌な顔をしている事の多かったオニイ。 彼なりにいろいろ思うことはあるのだなぁ。 少年特有の無愛想も不機嫌も、オニイ本来の前向きの誠実さを失わせていない。くさることなく、前向きの発見を母に伝える事の出来るオニイの成長を嬉しく思う。
父さん、個展二日目。 近頃は百貨店も閉店時間が遅くなって、朝、開店と同時に会場に入った父さんは7時過ぎまで会場で過ごす。見に来てくださるお客様の流れによっては昼食をとる事もままならず、一日立ち詰めのこともあって、連日の夜なべ仕事の後のこの一週間は体力的にもきついものだろうと思う。 それでも、「思いがけない人が来てくださった。」「通りすがりのお客さんとこんな出会いがあった。」と嬉しそうに語ってくれる口調は明るい。 多分、一日中いろんな人とお会いして、たくさんお話をして、少々ハイになった気分をそのまま持ち帰ってくるのだろう。 からだの疲れも睡眠不足も、そうした高揚した気分が紛らせてくれているのかもしれない。
「おかあさん、ほんとにおとうさんってデパートで売ってたの?」 とアプコが訊く。 私と父さんはお見合い結婚。 はじめて二人が対面したのは、5月に閉店した大阪三越の美術画廊。ちょうど義父の茶陶展の会場で、父さんはそこでお客様の応対をしていたのだった。 だから子ども達が「お父さんとお母さんはどこで知り合ったの?」と訊くたび、「お父さんは、三越の美術画廊に並んでたのをお母さんが買ってきたのよ。」と何度か冗談で言った事がある。 連日百貨店へ出かけていく父さんを見ていて、アプコはその事を思い出したのだろう。 「ねぇねぇ、他の人も売ってた?なんでお父さんに決めたの?」 母のほら話とは知りつつ、父さんが売りに出されているという情景が面白くてたまらないアプコは何度も何度も同じ質問をする。 「どこで売ってたの?」「三越の美術画廊。」 「値段の紙、付いてた?」「うん、背中ンとこに値札が付いてた。」 「おとうさん、高かった?」「うん、めちゃくちゃ高かったよ。」 「なんでお父さんに決めたの?」「いちばんかっこよかったから。」 時々「そうだったよねぇ?お父さん。」と、父さんまで巻き込んでするほら話がアプコには楽しくてたまらない。 山から下りてくる大男や若宮のプールに出るという人食いワニの話と同様、父母が語るたのしいほら話の一つなのだろう。 アプコはそういう我が家限定のファンタジーをいつまでも暖めてくれる最後の子。その幼さがいとおしい。
個展を見に来てくれた実家の父母から電話があった。 「なかなか落ち着いたいい作品を作るようなってきたなぁ。あの年齢で自分のやりたい事にあれだけ打ち込んでやれるという事は本当に幸せなことだなぁ。」とお褒めの言葉を頂いた。 好きなことを一生の仕事として打ち込んでいける父さんの幸せ。 そして好きな人がよい仕事を残していくのを後ろで見守っている幸せというのも確かにあるのだ。 お父さん、お母さん。 あなたの娘はあの日、本当にいい買い物をしましたよ。 一生賭けた大きな大きな買い物でしたが・・・。
父さんの個展初日。 個展会場に向かう父さんを駅まで送る。 制作の睡眠不足で既にグロッキー気味の体に久々のネクタイで気合を入れて、これから一週間、父さんは個展会場である百貨店のアートサロンにカンヅメの日々だ。
駅への途中、ウォーキング中のSさん、Yさんとすれ違う。 父さんを駅におろしてとんぼ返りしてきたら、再び折り返してきた二人に会った。 「だんなさんの個展、今日からだねぇ。」 と、以前に案内状を渡していたSさんが声をかけてくれた。 「そうなのよ、ようやくね。」 と話していると一緒にいたYさんが、父さんの作品を見に行きたいという。SさんYさんは同じ水彩画教室に通っており、以前から陶芸にも興味があったらしい。急いでYさんにも何枚か案内状の葉書を渡す。 「わ、嬉しい。絶対いく!」 「いつ、行く?」 「う〜ん・・・、今日!」 「これから、うちに帰って、着替えて・・・。」 「行こ!」 Yさん、Sさんの速攻の決断が嬉しい。 それにしてもフットワーク軽いなぁ。 おうち大好き、出不精の私にはまぶしいような決断力。 ありがたいと思う。
先日、父さんに届いた2通の葉書。 一通はペン書きの、もう一通は筆文字のものだが、その筆跡は同じ。 アラビア文字を縦に並べたような、達筆を通り越して呪文のような乱れた続け文字で、判読しがたい。 表を返すと、どちらも父さんの水墨画の師匠のJ先生からの葉書だった。 南画の大家であるJ先生は御年100歳。ついこの間までお元気に外出もなさり、精力的に制作もなさっていらしたが、さすがに最近では少しからだを悪くなさったりしているという。 葉書の文字も、行が斜めに倒れ、震えも見て取れて、一瞬誰かのいたずら書きかと見紛うばかり。 それでも父さんが出した個展の案内状に、丁寧なお祝いの言葉を下さり、体調不良のため外出も適わぬ旨を詫びていらっしゃる。一日遅れで2通も同じ文面の葉書が届いたのは、多分前の日に自分が出した葉書の事をすっかり忘れて、再び出しなおされたものだろう。 あれだけの素晴らしい書画をたくさん生み出してこられたJ先生が、老いで震える自分の手をもどかしく思われながら、それでもいち早く返事をしたためてくださったそのお心遣いが痛く胸を打つ。 老いて乱れた文字しか書けなくなっても、溢れる想いはすぐに形にして相手に届ける。 これもまた、ある意味ではJ先生が若い頃から身につけていらっしゃったフットワークの軽さのなせる技だなぁと思う。 ありがたい2通の葉書は、父さんにとってはそれこそ永久保存版となるだろう。文面の全てを判読する事はいまだに適わないのだけれど・・・。
言葉どおり、さっそく個展会場にいらしてくださったSさんからのメールが届いた。 二人の速攻の決断力とフットワークの軽さに感服する私に 「昨日はたまたまYさんと私のタイミングが合ったことで、決してあのような展開になるとは思わず、この偶然も何だか私にとっては必然的要素があったと感じています。 それこそ、あの作品達に込められた作者の魂が誘って下さったのではないでしょうか。」 といってくださった。 偶然の機会を、逃さず受け止める準備姿勢をとっている事。それがいわゆるフットワークの軽さにつながる人生の知恵なのだなぁと改めて教えられた。
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