月の輪通信 日々の想い
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2005年05月03日(火) 無名の人

ひいばあちゃん。
昨晩景気付けの輸血をしてもらい、念願かなって外泊許可が出た。肺に溜まっていた水もきれいにとれ、ほとんど以前通りの元気なひいばあちゃんに戻られた。
97歳。驚異的な回復力。

「世間を騒がせたかった」という理由で線路に置石をする男がいた。
「自分の存在を世間に知らしめたい」という理由で、子どもを殺める男がいた。
たとえそれが忌まわしい犯罪であっても、自分自身の「個」を不特定多数の人々に知らしめたいという欲求は、昔からこんなに蔓延していたものなんだろうか。
よくある漫才のネタに「○○さんはエライもんやなぁ、新聞に載ったそうやなぁ。」「ああ、詐欺で捕まってな」というのがあるけれど、内容がどうであれ、TVや新聞に自分の顔写真が上げられ人の口に上るということが、変わりばえのしない凡人の退屈な人生を華々しく変えてくれるような幻想がそこにはあるのだろうか。

「誰かに認められたい」
「多くの人に自分自身の存在や考えを知ってもらいたい」
webを通じて、普通の人が自分の作品や趣味の成果を広く世間に対して発信する事が容易になった。
掲示板やブログ等で、社会情勢や事件事故などに関して私見を述べたり、議論を戦わせたりする場も拡大した。
犇めき合う人の流れの中で、「私はここにいる!」と拳を振り上げて存在を主張するための画期的なアイテムがここにある。

「自分探し」という言葉はもはや手垢にまみれた死語となりつつある。
フリーターと呼ばれる若者達の多くは「自分の本当にやりたい事が見つかるまで・・・」と、自らのモラトリアムを正当化するのだそうだ。
個人の労働の成果が目に見える形で認めてもらえる仕事、自分の名前を何らかの形で残せる仕事、自分の思いや才能を表現できるクリエイティブな仕事。そんな格好のいい、華のある職業は、実際にはほんの一握りの選ばれた人だけのために存在している。
だから、闇雲に「自分らしさ」を求めるだけの若者たちには、一生続けられる魅力的な職業がいつまでも見つからない。

実際には、世界は普通の人の目立たない普通の日常の積み重ねの上に成り立っているのだ。
どこかのだれかが作った作物をどこかの誰かが作った食器で食べ、出たゴミはどこかの誰かが収集していく。
「自分らしい」とか「クリエイティブ」とは無縁の、日々のルーティンとしての仕事の成果が、普通の人の普通の生活の大部分を支えている。

ひいばあちゃんが病院で語ってくれた「仕事は楽しい」という言葉が、まだ頭を巡っている。
少女の頃から窯元の職人としての仕事を続けてきて、その手から数百数千の作品を生み出しておきながら、一つとしてその作品に自分の名を刻むことなく淡々と日々の仕事を「楽しい」といえるその偉大さ。
いきがいや他人からの評価を気にするでもなく、ただ土をひねり、自分の作ったものが、作家の手を経て作家の作品として生まれ変わって羽ばたいていくのを、単純に「面白い」と言い切ることのできる職人気質を美しいと思う。
そういう無名の人の淡々とした日々の営みを、本当に大事なものとして評価できることが現代にはもっと必要なのではないのだろうか。

誰かに褒められるわけでもない。
格段に自分らしさを主張するわけでもない。
毎日毎日が格別楽しくて仕方がないというわけでもない。
けれども改めて振り返ってみれば、そこには自分の歩んできた曲がりくねった長い道のりがある。
そういうささやかな豊かさをじっくりと見つめる事の出来る目を、私は持ちたいと思う。


2005年04月30日(土) 些細なイライラ

ひいばあちゃん、入院10日目。出張中だった義兄が帰ってきて、ひいばあちゃん「帰りたい」モード復活。主治医と外泊の相談をする。ベッドが窓際の明るい場所に移動し、ひいばあちゃんは「いい風が入る」とご機嫌。

朝一番に、急に役所関係のお客様を引き受けて欲しいという連絡が入って、急遽工房の玄関やお茶室の掃除に大忙し。アユコが手際よく手伝ってくれて、助かった。
季節柄、工房の前の通りは朝からハイキングの家族連れや遠足等の団体がひっきりなしに通り過ぎていく。
忙しく玄関を掃いていたら、
「すんません、生物部で、これから山へ登るんやけど・・・」とハイキング姿の中年の男性が話しかけてきた。
「自転車乗ってきたらアカンというてあったのに、乗ってきた生徒がおって・・・。ちょっと自転車置かせてもらえへんやろか?」
知らない顔だとは思ったけれど、へんに親しげな砕けた口調だったし、学校名も名乗らずにいきなり「生物部で・・・」というので、子ども達の学校の先生かも知れないと思いこんでしまった。
横から義父が「今日はこれからお客さんがみえるので・・・」と断り口調で答えているのに「2台だけなんで、その辺の隅にでも・・・」と庭の一角を指差して食い下がってこられる。
「では邪魔にならない所に・・・」という事になって、教師が先に行っていた自転車の女の子たちを呼び戻して自転車を止めさせる。
「それじゃあ、すみません。2時間ばかりで帰ってきますから」
と、その教師はピョコリと頭を下げていった。
なんだかなぁと思う。
後で自転車を見ると、泥除けに私の知らない高校の校章のシールが張ってある。どうも全く顔見知りでもなんでもなく、ただの通りすがりの一団だったらしい。

普通初対面の人に物を頼むときには、せめて「生物部で・・・」ではなく「○○高校の生物部の者ですが・・・」と、校名まで名乗るのが礼儀だろう。
ルール違反の生徒がいて対処に困った事情は分かるけれど、見ず知らずの他人に物を頼むのに、いきなり同僚にでも話しかけるような砕けた口調も非常識だ。
こちらが断り口調になっているのに「そのへんに2台くらい置けるだろう。」とばかり、自分から庭の一角を指差すのも感じが悪い。
自転車を置きにきた二人の女生徒たちもこちらに会釈一つをするでもなく、教師もそんな二人の態度を叱りもしない。
ダメダメな教師の下では、ダメダメな生徒が育つのだなぁと朝から気分が悪かった。

教師という人種の中には一般社会の常識をちゃんと身につけていない人が多いと言われる。
私が子ども達を通して出会った先生方のなかには、幸いにしてそんな非常識な教師はそれほど多くはない。たいがいは子ども達への深い愛情と強い責任感をもった立派な先生方ばかりではある。
それでもなお、今日のような感じの悪い教師に出会うと「やっぱりな、教師ってヤツは・・・」と思ってしまう感覚が、私の中には確かにある。
休日にも関わらず、朝早くからクラブ員を率いて野外観察に出かけてくる。おそらくは日々の職務に真面目に取り組んでおられる先生なのだろう。
「自転車置かせてもらえんかなぁ。」という親しげな口調は、生徒達や保護者達に対して使われるなら、気さくで話しやすい先生と評価されているのかもしれない。
学校の中でなら、多分そこそこ有能で生徒達にも人気があるかもしれないその先生が、何故子ども達を率いて学校の外に出るとああいう「なんだかなぁ」という態度が見えてしまうのだろう。
「青少年の育成のためには、周囲の人も一般社会も協力、支援してくれて当然」というような教師特有の驕りの匂いも感じられてイヤになってしまった。

自転車のシールで分かった学校名は来春、オニイも受験可能な学区内のかなり評判のいい公立高校。
たった数時間、数台の自転車の置き場を提供したというだけのささやかな出会い。格別口角泡を飛ばして怒るほどの腹立たしい事柄でもない。
けれどもなんだか気分が悪い。
こういうささやかな苛立ちというのは、結構尾をひくものである。

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2005年04月29日(金) 秘められた哲学

ひいばあちゃん入院9日目。
ベッドの上で相変わらず、「退屈やなぁ」と寝たり起きたり。見た目は普段どおりに元気なだけに、病室のカーテンの中で過ごす単調な一日は本当に長く感じる。「家に帰ったらなんなと仕事が溜まっているはずやのに。」と家を恋しがっておられる。
「ひいばあちゃんがやり残してきたお皿の裏の釉薬掛け、かわりにあたしもやってみたけどなかなかひいばあちゃんのように手際よくは行かんわ。」と仕事の話をし始めたら、興に乗って仕事場の話を長い事喋ってくださった。

「ここへ来る前にな、にいちゃん(義兄)かおとうちゃん(義父)かのために水指やら何やらこしらえて、かこて(囲って)きてあるんや。あれがどないなってるんか、気になってなぁ。」という。
ひいばあちゃんは、釉薬掛けの仕事のほかに、義父や義兄の作品のために水指やお茶碗の原型ともいえる大まかな形を手びねりで拵えておく仕事をもう何年も続けてこられた。
ひいばあちゃんがひねっておいた荒型を義兄や義父が削りをかけたり、装飾をつけたりして作品として仕上げていく。こういう分業は窯元では古くからよく行われている。作品には窯元としての義父や義兄の印が押され、原型を作ったひいばあちゃんの名前は表にはどこにも出ない。
そんな裏方の職人仕事をひいばあちゃんは何年も何十年も黙々と続けてこられたのだ。
「自分の作ったモンがなぁ、にいちゃんやおとうちゃんが仕上げしてくれて、思いもかけん作品になって仕上がってくるのンがホンマに面白いんや。
仕事というのは面白いモンやなぁ。」
としみじみおっしゃる。
少女の頃から、窯元の仕事場に入り、延々と職人仕事をこつこつと努めてこられたひいばあちゃん。窯元の作品として世に出ている作品の中には、ひいばあちゃんが釉薬掛けの合間にこつこつと手びねりで拵えた原型から仕上られた作品が数え切れないほど多い。
この皺だらけの小さな手から、一体何百個の作品が生まれたのだろうと考えるとなんだか気が遠くなりそうになる。

「97歳になっても仕事は楽しいですか。」と訊ねると
「ああ、楽しいなぁ。夜、寝るときに『今度はどんなモンを作ったろうか』『明日は何の仕事をしようか』と考えるのが何より楽しい。」と、夢見るような笑顔で答えてくださる。
ひいばあちゃんのご機嫌に乗じて、もうひとつ、日頃訊ねた事のない質問をしてみた。
「ひいばあちゃんはたくさん作品を作るけど、一個もひいばあちゃんの印を押した作品はないでしょ?それでも楽しい?」
「ああ、楽しい。作ったモンには『吉向』の印が押してあったら吉向の作品やからそれでええんや」
と即答してくださった。
何年も何年も縁の下の仕事をしていていたら、いつかは作品に自分の印を押してみたいとか、自分の名前で作品を世に問うてみたいとか、そういう欲目というか作家志向のようなものは現代の人たちの思うことなのだなぁ。一生こつこつと職人仕事に徹して、その作業そのものを心から「楽しい」と思い続けることの出来る明治の人の静かな職業観の確かさ、豊かさに感嘆してしまう。

「家に帰ったら、さぞかし釉塗りの仕事が溜まっているやろうな。」
父さんはいつも、数物のお皿の釉薬掛けの仕事がたまると、「おばあちゃん、やっといてや。」とひいばあちゃんに声をかける。ひいばあちゃんも歳を取ってその仕事のできばえに時々不都合が出ることもあるけれど、それでもひいばあちゃんの熟練の手が空いた時間にこつこつ仕上る下仕事はまだまだ仕事場の大事な戦力でもある。
また、高齢を慮ってひいばあちゃんからいつもの仕事を取り上げたりしたら見る見るうちに気力も衰えてしまわれるかも知れないという心配から、わざわざひいばあちゃん向けの仕事を残しておいたりする事もある。
「ひいばあちゃんの釉塗りのお仕事、代わりに私も手伝ってみたよ。」と
仕事の停滞の心配を解いて差し上げようとしながらも、「やっぱりひいばあちゃんのようにはうまくは行かんね。さすが97歳の年季やね。」とうんと持ち上げておく。

「いろいろあるわなぁ。」
ひいばあちゃんは口癖のように何度も繰り返して呟いておられる。
「仕事は楽しい。土を触っていると時間がたつのも忘れてしまう。ここ(病院)は何にもすることがないから、時間がなかなか過ぎひんなぁ。」
間仕切りのカーテンで仕切られたひいばあちゃんのベッドには外の日差しや風が直接入ることはなくて、なんとなく時間の概念が狂ってしまいがちだ。時々夕方の4時を明け方の4時と勘違いしておられる事もあって、
「なかなか夜が明けへんなぁ。」と何度も何度も目覚まし時計を撫で回しておられる。
「夜が明けるまで仕事をせんならんときもあるんよ。そんなときもあるんやけど、まぁ、楽しみやな。うん、うん。」
たくさんお喋りして、笑って、ひいばあちゃんはまたうとうとと眠ってしまう。耳の悪いひいばあちゃんはご自分も大きな声で話すので、たくさん喋ると心地よく疲れるのだろう。
ほんの5分か10分、うとうととまどろんでいたかと思ったら、ふわっと目が覚めて、先ほどの話の続きをポツポツ語り始めたりなさる。
そのきまぐれなインターバルをはさんだひいばあちゃんとの会話が、私にはひいばあちゃんの言葉をうんと咀嚼する時間を与えられているようで、心に染みる。

日頃、家ではひいばあちゃんとは「お茶いれようか。」とか「TV変えてもいい?」とか日常の短い会話をかわすことが多かった。耳が遠くて複雑な会話には時間がかかるし、間に義父や義母の通訳や子ども達の茶々が入ったりする。
今回、入院の付き添いという事でひいばあちゃんと一対一で長い時間を一緒に過ごすという機会を与えられた。ひいばあちゃんの頭の中にある人生の知恵とか仕事への哲学とか、豊かに刻み込まれた金の言葉の数々を真新しい奉書紙に包んで押し頂いて持ち帰る。
97歳の皺だらけのひいばあちゃんのたくさんの豊かな記憶や想いが、高齢による衰えや難聴による会話の不便のためにその小さな体の中に封印されて、おそらくはその多くが語られることなく閉じていくのだという事実が誠に惜しい、もったいないことだなぁと深く感じる。

もっとも、ひいばあちゃん自身にとっては、そんな貴重な記憶も想いも「語るに足らない自明のこと」に過ぎないのだということが、本当はひいばあちゃんの偉大さの由縁なのでもあるけれど・・・。


2005年04月28日(木) アプコ、転ぶ

ひいばあちゃん、入院8日目。
午後から付き添い。食事もたくさん取っておられるようなので、看護婦さんに許可を貰って、ひいばあちゃんの好きな大福餅をおやつに差し上げた。
家ではいつも三時のお茶の時間には何かしら甘い物を口になさるひいばあちゃんが、入院してからは食事以外のものは食べておられなかったので、「まあ美味しそう」とニコニコしながら召し上がった。
こうして病院のベッドにおられても、食べる事に意欲的で、なんでも美味しそうに召し上がる様子は、生きる事への強い意志が感じられるようで何となく気持ちがよい。

朝、ゲンと一緒に慌てて登校していったアプコが、しばらくして顔見知りのウォーキングのおばさんに連れられて戻ってきた。途中の道で転んでワァワァ泣いていたのだという。鼻の頭にほんのちょびっと擦り傷があるところを見ると顔から転んだのか。どちらにしてもたいして怪我をしている訳ではない。あたしだったら、服の汚れをパンパン払って「さあ元気出して、行って来い」と再び送り出してしまうところだけれど、あんまり泣いているのでかわいそうに思って連れて帰ってきてくださったのだろう。
一緒にいたゲンには、先にいっていいよとわざわざ言葉をかけてくださったのだそうだ。
誠に親切な方が通りかかってくださって、ありがたいことだとは思うけれど、本当は登校途中で小さい妹が転んで大泣きしているとき、どう対処すればいいかあれこれ苦悶するのも新米班長のゲンにはいい勉強の機会だったのになとちょっぴり残念だったりもする。

下校後、担任のM先生からの電話。
「他の子ども達から聴いたんですが、アプコちゃんが今朝、登校の途中で転んで、蜂蜜屋さんの看板で頭を打ったそうなんです。お母さんご存知でしたか?」という。
確かにそのことは知っているけれど、アプコが転んだのは蜂蜜屋さんよりずっと手前だし、看板もないところですよと答える。
小学一年生の子ども達の情報伝達能力って、まだまだそういうレベルなんだな。なんだかお間抜けな伝言ゲームのように話に尾ひれがついているのが可笑しくてM先生とひとしきり笑った。


2005年04月27日(水) 「ピザピザピザ」その後

午後からひいばあちゃんの病院へ。
顔を合わすなり、午前中付き添っていた義父母がうとうと眠り込んでいる間に黙って帰ってしまったのが寂しかったと幼児のようなかわいらしい訴え。「じゃあ、私はひいばあちゃんが起きてるときに、ちゃんと『帰るよ』といってから帰るからね。」と約束する。
足のむくみがすっかり取れて、もう今すぐにでも退院できそうな気になっていらっしゃるらしい。全快祝いには、家でみんなでお好み焼きを食べたいとリクエスト。
う〜ん、ひいばあちゃんが考えているよりはもうちょっと退院は遅くなりそうなんだけどなぁ。あんまり期待が大きすぎると、入院が延びた時のがっかりが心配。

夕方、ゲンの担任のT先生から電話を頂いたとのこと。
昨日のTくんとのトラブルのことだろう。
ゲンに訊くと、「うん、T先生が話をしてくれて決着着いたと思う」と明るい顔で報告してくれた。朝の会の前にT先生に昨日の悔しかった事を話したら、次の中休みには相手の子達を呼んで、ちゃんと叱って謝らせてくれたのだと言う。
「さすがT先生。仕事が早いね。」
といったら、「うんうん」と嬉しそうにゲンが頷いた。

去年の担任のK先生にも、ゲンは何度かTくんたちのことを訴えたのだけれど、どうもその場限りの対応であまり真剣に対処してもらえないように感じて、「先生に言っても無駄」というような不信感や無力感が何となくゲンの中には残っていたように思う。
昨日Tくんたちの嫌がらせにあったときにも、果たして新しく担任になったT先生に訴え出るかどうかゲンは微妙に悩んでいるようだった。
私自身もよそのクラスの子のことでもあるし、嫌がらせ自体が遊びともいじめともつかない微妙なレベルだった事もあって、あえて積極的に「T先生に相談しなさい」とは言わずにおいたつもりだった。
それでもゲンが朝一番にT先生に話をしに行ったということは、彼がT先生を信頼に足る味方であると判断したということなのだろう。
私にとってはT君問題の解決よりも、ゲンが再び信頼できる先生の存在を認めたという事のほうが嬉しかったりする。

夜、再びT先生からの電話。
ことの顛末を説明していただき、これからも何か問題があれば遠慮なく教えて欲しいといっていただいた。
私が「ゲンがT先生に話をしに行けたのは、先生を信頼できる人だと判断したからだと思う」とお伝えしたら、「それでは、今日のことは私にとってもとてもうれしいことだったんですね」とこたえていただいた。私自身の想いもまた、T先生には汲み取っていただけているのだなと感じて嬉しかった。
放課後、ゲンはT先生に「T君たちに話をしてくれて、ありがとうな。」と感謝の気持ちを伝えたのだという。こういうストレートな表現を無意識に出来る事が、人懐っこいゲンの最大の長所であると私は思う。
Tくんたちの嫌がらせが、これを気に全くなくなるとは思えない。けれども今年のゲンにはT先生という強い味方もいる。「ピザピザピザ」の呪文も覚えた。今年のゲンはますます面白くなりそうだ。


2005年04月26日(火) 「ピザピザピザ」

ひいばあちゃん入院6日目。午前中付き添いにいく。
医師の回診があり、「おばあちゃんはここへ来て、3キロ体重が減りましたよ」と告げられる。それは、衰えてやせたのではなく、利尿剤の効果で余分の水分が出たためでよい兆候なのだそうだ。実際、入院当初はパンパンにむくんでいた足がほっそりとして、楽そうになった。ひいばあちゃん自身目に見える形で回復が分かるので嬉しそう。午後からは点滴もラインだけ残してはずしてもらった。

夕方、友達の家に遊びに行っていたゲンがプリプリ怒って帰ってきた。
友達との約束の時間が迫っていて、大急ぎで自転車を走らせている時にT君たち数人につかまってしまったという。
Tくんは、去年のクラスで何かとゲンに嫌がらせをしたり、からかったりしてきたゲンの宿敵。いわゆる「いじめっ子」というやつだ。今年はクラスも別になりホッとしていたのだが、今日はたまたまTくんと仲間達がつるんでいる所にゲンが行き当たってしまったのだろう。
ゲンが乗っている自転車を「貸せや」と取り上げたり、ゲンが持っていたカードを勝手に持っていったりして、なかなか返さない。挙句には、なんとか取り返して友達の家へ向かおうとするゲンに「先生には言うなよ。」と捨てゼリフを投げたのだという。
「むっちゃくちゃ腹が立つねん!」
鼻息荒く語るゲン。
以前のいじめの時には、その怒りのやり場に困って自分の傘をばらばらへし折ってしまったゲンだが、5年になって少しその辺の気持ちの収め方を学んだらしく、とりあえず母にありのままの怒りを訴える事にしたようだ。

昨年は同じクラスだったので、直接担任の先生に訴えてなんとかTくんの嫌がらせを止めさせてもらうように試みたが、残念ながらあまり効果は見られなかった。かえってゲンの中には担任のK先生に対する「訴えても仕方がない」という不信感を残しただけに終わったように思う。
今年、Tくんとは別のクラスになり、おおらかで頼りになるT先生に担任をして下さる事になった。
「T先生に言ってみようかな。Tくんは他のクラスの子だからT先生に訴えても仕方がないのかな。」と呟くゲンの口調には、去年のK先生に感じた不信感の名残と、新しい担任のT先生への期待が微妙に入り混じって感じられる。
「う〜ん、そうだねぇ。」
母も微妙に考え込む。

嫌がらせの程度は、見ようによっては遊びやふざけの行き過ぎといえないこともない。こういうレベルのちょっかいというのが、一番厄介だ。
親も子も「ちょっとふざけすぎただけなのに」という逃げゼリフで言いぬけるのが常套だ。
けれどもそういう軽微なからかいやふざけも、特定の個人をターゲットにくりかえすと、やられるほうにとっては結構なストレスとなる。
やっている本人も「先生には言うなよ。」と口止めをするからには、「いじめ」の自覚があるからだろう。
けれども一方、子どものけんかに親が出て行くことの野暮やゲンが自分で解決する力を考えると、親としてどう対処してやればいいのか、ふと考え込んでしまう。

ま、とりあえず、美味しいパンが買ってあるからそれでもお食べよ。
夕食前の一番空腹な時間。
ゲンは袋の中から、一番ボリュームのあるピロシキを選んで食べ始めた。
「あはは、怒り狂っている時でも、ゲンは美味しそうに食べるねぇ。」
ふっくらした頬に揚げパンの脂をテカテカさせて、むしゃむしゃ頬張るゲンの笑顔。
「あ、そうだ!いいこと考えたよ。
これからね、ゲンがまたTくんに嫌な事をされたら、いつでもお母さんがそのピロシキ買ってきてあげるっていうのはどう?」
突然思いついた奇抜な提案に、ゲンが「はぁ?!」と聞き返す。
「美味しいもの食べて、イライラが収まるんなら、それもいいじゃん。Tくんに何か嫌な事をされたらね、『あ、ピロシキ、食べられるぞ、ラッキー!』って思えばちょっと腹が立たないんじゃない?」
なにいってんだろうね、この人は・・・と呆れ顔のゲンも、母の提案の馬鹿馬鹿しさに笑ってしまう。
そして「ピロシキじゃなくて、ピザじゃ駄目?」とふざけて母のおバカの提案に乗ってくる。
「そうだね、それいいね。Tくんの顔見たら『あ、ピザが来た!』って思えばいいんだよね。」
「でもね、Tくんに向かって『ピザピザピザ』なんて言っちゃ駄目だよ。ばれちゃうからね。」
と母も笑う。

とりあえず今回はそんなことでことを収めておいてやろうと思う。
食いしん坊で、時には突如食欲魔人と化すゲン。
激しい怒りや納めきれないイライラを、美味しいものを食べる事でいくらかでも解消できるゲンのおおらかさは、アユコやオニイにはない特別な才能だ。
「ピザピザピザ」で笑うことで、当座の悩みを笑い飛ばしてしまう知恵も彼には必要な力となるだろう。
「食べる事に意欲的な子は、生きる意欲もエネルギーも旺盛だ」
母親暦十数年のうちに勝ち取った子育ての実感。
我が家の大食漢には、確かにそんな豊かなエネルギーが秘められている。
ゲンならきっと大丈夫。
そう思う。


2005年04月25日(月) 金のお言葉

PTAの役員総会。今年度の新しい役員さんが決まり、ようやく昨年度の広報委員長の引継ぎを終えた。
新しい広報委員長はフルタイムで働くお母さん。副委員長に比較的時間に余裕があるという方が立候補してくださったので、ホッとする。

午後、ひいばあちゃんの病院へ行く。
朝の回診で、あと一週間は少なくとも退院は無理と聞いたひいばあちゃんは、かえって諦めがついたのだろうか、あまり「帰りたい」とはいわれなかった。看護婦さんたちもひいばあちゃんの扱いにちょっと手馴れてきたのだろう。
先日ひいばあちゃんがショックを受けたという清拭は、今日は看護婦さんにお湯を入れてもらって、私が代わりにタオルで手足を拭いて差し上げるだけで済ます。暖かいタオルでお顔をぬぐって「ああ、スーッとした」と嬉しそうな顔。体もざーっと拭いて最後にむくみのひどかった足を拭く。腫れはかなり納まっていて、もう痛々しい感じはない。

TVでは尼崎の脱線事故のニュース。
つい一昨日まで、「TVはよう聞こえんから見ない」といっていたひいばあちゃんが、イヤホンのボリュームをいっぱいに上げて熱心にニュースの映像を眺めている。不謹慎な話だけれども、ひいばあちゃんにとっては単調な入院生活の中に飛び込んでくる刺激的な現場映像に心がゆすぶられたのだろう。体を起こし、しっかりTVの方をむいて、「いやぁ、また死んだはる人の数、増えたわ。」と感嘆の声を上げる。若い人や学生さんの被害も多いとの報をきいて、「かわいそうになぁ」と呟く。
ようやく、いつものひいばあちゃんのペースが戻ってきた感じ。

「100歳まで生きて欲しいと皆が言うけど、なかなか100年というと、いろんなことがあるわなぁ。あと三年やなぁ」
ひいばあちゃんがしみじみと呟いた。
「97歳でも、初めて入院すると、知らないこといっぱい経験したもんねぇ。」
と私が茶化す。
「はぁ、ほんまに、まだまだ知らんことや分からん事がいっぱいあるんやなぁ。」
そうですか。
97歳にして、まだまだ「知らないこと」や「分からないこと」がたくさんありますか。
その半分もまだ生きていない41歳の私には、分からない事や知らないことがたくさんあって当然ですね。
「ああ、ホンマにいろんなことがあるわいな」
入院中何度もひいばぁちゃんの口から漏れる金の言葉。
それは不本意な入院生活の事ですか。
それとも平和で穏やかな朝に突然起きた脱線事故の悲劇のことですか。
それとも迷いの最中にある41才の若造への戒めをこめた未来の予言でしょうか。

長年の仕事で小さく干からびたひいばあちゃんの手。
白髪をくるりとまとめて髷を結ったひいばあちゃんの小さな頭。
この中にはまだまだ教え伝えておいていただきたい金の言葉がたくさん詰まっているのだろうなぁ。
いとおしい思いで、点滴針の刺さる細い腕を長い事さすらせて貰った。


2005年04月24日(日) 恥らう老人

金曜日に入院したひいばあちゃん、予想通りもう「帰りたい帰りたい」モード全開。
97歳とはいえ、普段は食事もお風呂もトイレも自立していて、誰かの手を借りる事はない。頭もまだまだかなりはっきりしていて、入院の数日前まで釉薬掛けの仕事場に入っておられた。「今日は頼まれていた仕事を片付けてしまうつもりだったのに・・・」と甚だ不満そうな顔で入院なさっただけに、ただただ安静の病院生活には初日から愚痴をこぼしておられた。
耳がとても遠いので、看護婦さんや医師とコミュニケーションが取れるかどうか心配はしていたけれど、看護婦さんたちも年寄りの扱いには慣れている様子。見た目は比較的元気そうでトイレも食事も介助を必要としないひいばあちゃんなら大丈夫だろうと、昨日は義兄夫婦や義父母が代わりばんこに様子を見にでかけた。

夕方、様子を見に行った義姉が看護婦さんから「ひいばあちゃんが暴れた」と聞いてくる。又聞きなのでどういういきさつかはよくわからないが、24時間繋ぎっぱなしの点滴の管を嫌がられたのではないかという。
また義父はひいばあちゃん自身から、「看護婦さんたちがいきなり私を丸裸にして体をふいた。恥ずかしくて耐えられなかった」との愚痴を聞く。
ひいばあちゃんは若い頃からお産も入院も経験したことがなく、点滴も看護婦さんによる介護も初体験。看護婦さんも家族も一応丁寧に説明するのだが、耳が遠いのでそのうちのどのくらいが理解されているかは分からない。
それだけに、ぽつんと見知らぬ病院においていかれて、知らない看護婦さんたちにあれこれ体を触られること自体が、受け入れがたいのだろう。
トイレもお風呂も全部介助無しに行ってこられたひいばあちゃんの自負心が介護者に体を預けて安静にすることをどうしても良しとさせない。

今朝、私が病室に入ると看護婦さんたちから、ひいばあちゃんがゴミ箱の中に排泄をしたといわれた。
蓄尿(一日分の尿をためて量を量る事)のために使っているポータブルトイレの脇のペーパー用のゴミ箱になみなみとおしっこが入っているという。「まぁ、器用なことをするね。」と笑っておられたが、後でひいばあちゃんによく聞いてみると、一旦ポータブルトイレでしたおしっこを後からゴミ箱に捨てたのだという。普段家ではひいばあちゃんは夜の間ポータブルトイレでした自分の排泄物を朝、自分でトイレに捨てて処理なさっている。今朝もそのつもりで、捨て場に困ってゴミ箱に捨てられたのだろう。
決して寝ぼけてゴミ箱でおしっこをしたのではなく、いつものように自分の排泄物を自分で処理なさっただけなのだという事を、しっかり看護婦さんにも伝えておいたが、だからといって処理の手間がさほど変わるわけではないのだろう。「はいはい」と笑って、聞き流しておられた。

同室の患者さんたちは皆食事や排泄に介助の必要なおばあさん達なので看護婦さんたちも年寄りの扱いには慣れておられて手際もよく、愛想よく声かけもしてくださる。
けれどもよく聞いていると年齢を重ねた老人達に対して子どもに話すような必要以上に噛みくだいた物言いで話しかける。
認識のはっきりしない(ように見える)患者さんの頭上で、家族の人と患者さんの存在を無視した形で容態の説明をしたりする。
着替えや排泄の最中に必要以上の人員が目隠しカーテンの中に出入りしたり、日常生活でははばかるような排泄物の話などをおおっぴらに口にして、笑う。
それは介護や看護に熟練した人たちにとっては、患者さんや家族の単調な入院生活を明るくする親しみの表現には違いないのだろうが、そういう場に慣れないひいばあちゃんのような自負心の強い老人にとっては、「子ども扱いされている」ように感じられ、精神的なダメージも大きいのではないかと思われる。「病気の時は、仕方がない」という気持ちの切り替えも老人には難しい。
齢97歳。耳が聞こえないために一見「認知症?」と見まごうひいばあちゃんではあるが、意識は甚だしっかりしていて聞こえさえすればかなりのことをはっきりと認識なさる事が出来る。
この年齢までこつこつと自分の仕事をこなし、強固な意志と自立心をもってここまで生活してこられた偉大なる老女も、看護者、介護者の目から見れば、聞き分けのない幼い子どもや恍惚と化した老人達となんら変わりなく映るのだろう
日々の看護としては当たり前の「清拭(体をきれいに拭く事)」が死ぬほど恥ずかしいと思うデリケートな恥じらいの気持ちがこの皺だらけの老いた婦人の中にいまだに残っている事を理解してもらう事は難しいのかもしれない。

「こんな所はかなわん。早く帰りたい」と何度も訴えられるひいばあちゃんに出来るだけついていてあげたいと思う。
少なくともひいばあちゃんが「死ぬほど恥ずかしい」とおっしゃる清拭だけは、時間を聞いて家族のものが付き添って、ひいばあちゃんが自分でなされるようにして差し上げようと思う。


2005年04月22日(金) ひいばあちゃん入院

>先日来体調がよくなかったひいばあちゃんが今日近所の病院に入院の運びとなった。心臓の機能が低下して肺に水が溜まり、足のむくみがひどいのだという。少し動くと胸が苦し苦なったりふらふらしたりなさる。

97歳という高齢にも関わらず、自分で階下のトイレまでさっさと歩いていき、自分のペースで仕事をこなし、若い者と同じものを美味しく召し上がるひいばあちゃん。このまま当たり前のように100歳になり、バリバリ仕事をしながら120歳まで長生きなさるように思い込んでしまっていたけれど、やはり長年こつこつとよく働いた体も年をとると少しづつその機能の幅を狭めていくのだろう。
入院だ、点滴だといいながら医者にも付き添う家族にも「何と言ってもこの年でもあるしねぇ。」のニュアンスが残る。97歳という年齢は、もう、これから何があっても「大往生」と穏やかに受け入れられる年齢なのだろう。
けれども、当のご本人には、全くそんな弱気は見られない。
今日も「頼まれてた仕事を今日するつもりだったのに・・・」と甚だ不満そうに病院への車に乗りこんだ。医者の診断ではもうかなり息苦しくてしんどい筈というのに、本人は2,3日したらさっさと帰って残った仕事をするつもりでいる。実際の容態にも関わらず、本人はニコニコといたって上機嫌で、大きな声で話し、ご飯もたくさん召し上がる。

入院に付き添う義兄に義母も一緒に行くという。
女手が義母だけではおぼつかないというので、急遽私も一緒に車に乗っていくことになった。ひいばあちゃんを車椅子に乗せると、「私が押す。」と頑固に言い張るお義母さん。これまで嫁として厳しい姑に仕えてきたプライドがそうさせるのだろうか。義母自身の年齢や体調を考えると、まさに「老老」介護なのだけれど、嫁の意地のようなものが感じられて、ハッとする。

頭はとてもはっきりしているひいばあちゃんも、耳はとても遠くなっていて補聴器の調子もよくないので、医者や看護婦とのコミュニケーションがうまく取れなかったりするので心配だ。
相手の口調や声の調子によって、聞き取りやすい言葉やそうでない言葉があるらしい。お義父さんは「近頃ひいばあちゃんは耳がほとんど聞こえていなくて、トンチンカンな受け答えをする」とぼやいておられたが、私自身はひいばあちゃんのそばで一対一でお話していると、それほど大きな声を出さなくても私の話をよく理解して受け答えをしてくださっているように感じる。
決して聞こえていないわけではない。
だから、「ひいばあちゃんには聞こえていないはず」と油断しての会話や不用意な言葉は禁物と私は思う。

夜、剣道の送迎の間の時間に、入院生活に必要なものの買い物を済ませて再びひいばあちゃんの病室へ。
絶対安静が必要なのに本人はいたって機嫌よくベッドに腰掛けてお喋りをしておられる。いつもの茶の間でのひいばあちゃんとあまり様子は変わらない。鼻につけられた酸素のチューブが邪魔らしく、油断するとすぐにヒョイと鼻の上へ持ち上げてしまわれるのがいたずらっ子のようでなんともかわいらしい。病院は静かで退屈だとおっしゃるので二人でたくさんおしゃべりをした。
この人の孫嫁となってから15年。ずいぶん可愛がって頂いた。
いつも私のつたない手料理の味を褒めてくださり、子ども達の誕生をいつも涙を流さんばかりに喜んでくださった。
いつもは茶の間にちょこんと座ってTVを見ていらっしゃるか、仕事場の定位置で黙々と釉薬掛けの仕事をこなしておられるか。格別お世話したりお話をしたりというわけでもないのに、いつもそこに座っておられるという安心感が意外にも大きなものであったのだと改めて思う。
まだまだこの人を失いたくない。
お元気に退院されて、「この仕事が気になってたんや」といつものように仕事場のいすに戻っていただきたいと心から思う。

ひいばあちゃん入院の報をきいて、一番堪えたのは意外にもオニイだった。
道場への車中で、ひいばあちゃんの話をした。
「僕にとってはひいばあちゃんの存在というのは、何と言うかとても大事なんや。」としみじみと話す。
窯元の仕事を継ぎたいと本気で考え始めているオニイにとって、少女の頃から先々代に仕えてもくもくと職人仕事に励んでこられた偉大なる曾祖母の存在は意外にも大きいのだろう。
ひいばあちゃんは初めての男の内孫であるオニイの誕生を、本当においおい泣かんばかりの感激で祝ってくださった。先代さん(先々代)のお墓参りのたびに「『ボクが窯元を継ぎます』といいなさい」と幼いオニイに何度も教えられた。
自分の将来にストレートな期待を込めて見守ってくださるひいばあちゃんの思いをオニイは深く感じ取っているに違いない。
せめてオニイが正式に陶芸の世界に入る道筋が立つまで、ひいばあちゃんには元気に仕事場で頑張っていただきたい。
まだまだこの人を失いたくないのだ。


2005年04月20日(水) 親知らず

小学校、家庭訪問。
今年は、ゲンもアプコもそれぞれオニイとアユコが担任していただいた事のあるおなじみの先生方に受け持っていただいたので、家庭訪問も和やかな世間話の雰囲気で始まって、「よろしくおねがいしますね!」と笑顔で手を振ってお見送り。
どちらの先生からも、「お兄ちゃん(お姉ちゃん)とほんとによく似ていますね。」という言葉がこぼれて、兄弟姉妹の「比較検討」話が盛り上がったのは可笑しかった。
親の目から見れば、子ども達の一人一人がこんなに違うものかと驚く事の方が多いのだけれど、外から見るとそのしぐさや声や立ち居振る舞いのくせなど、時々ビックリするほど兄弟というのは似るものらしい。
「背後からゲンちゃんに『先生!』なんて呼ばれたら、一瞬おにいちゃんの声と錯覚しちゃう事がありますよ。電話だったら判らないんじゃないかしら。」とおっしゃるので、
「ああ、オニイならもうしっかり声変わりしてオッサン声になってますから、その心配はないですよ。」と笑う。
そういえば、もうすっかり聞きなれてしまった声変わり後のオニイの声。
小学生の頃はどんな声で喋っていたのだろう。
毎日毎日聞いていたはずなのに、耳からの記憶って意外と曖昧なものなのだなぁ。

午前中はPTAの引継ぎの役員会の打ち合わせで、久しぶりに小学校のランチルームを訪れる。
新しい役員さんたちも出揃って、来週初めには担当役員を決めて正式に引継ぎの運びとなる。昨年度までの広報委員会の引継ぎ資料をどーんと段ボール箱に詰め込んで、PTA室の戸棚においてきた。
ようやくお役御免の日が近い。一年間一緒に活動してきた委員さんたちと久しぶりに会って、新学期の子ども達のことやクラス配分、移動された先生方のことなどひとしきりお喋りが盛り上がった。

その中で面白かった話。
子ども達が大きくなって、近頃ではパソコンの些細なテクニックやら知識やら子どもから教えてもらうことが多くなった。子ども達のパソコン習熟能力は驚くほど早くて、「おかあさん、こんな事も知らないの?」と言わんばかりに偉そうに教えてくれるのだという。
「子どもがいろんなことをどんどん覚えていくのって嬉しい事なんだけど、なんか癪にさわるのよね。」と皆で相槌を打つ。
「『アンタにパンツの上げ下ろしからおしっこの仕方まで教えてあげたのはこの母よ』って言ってやればいいのよ。」と私が言ったら、
「ホントよ、ホント!」と妙に盛り上がってしまった。
寝返りすら一人では出来ぬ赤ん坊に数時間ごとにおっぱいを与え、基本的な生活習慣を教え、歌うことを教え、言葉を教え、そうやって大きくなった子ども達がまるで何もかも自分の力で習得したかのように新しい知識を得意げに母に語る。
それは当たり前の子どもの成長で、親にとっては嬉しい事には違いないのだけれど、なんだかちょっと寂しいような、癪に障るような複雑な思いが胸をよぎる。
「そうはいってもまだまだ子どもは子どもよ」と言いながら、子どもの成長のスピードにちょっとブレーキをかけて、もう少しちいさな子どものままでいて欲しいというような気持ちになるときもある。

夕方、アユコが大きな通学かばんとともに、新聞紙でくるんだ花束を持ち帰ってきた。
中学生になってアユコが選んだクラブ活動は、茶道部と華道部の掛け持ち入部。今日は始めての華道部の活動があったのだという。
稽古で使った花材をそのまま頂いて帰ってきたのだ。
家族の目にしか触れない我が家におくよりは、たくさんのお客様を迎える工房の玄関に飾らせて頂こうとさっそく出向く。
工房のあちこちにしまいこんである水盤や剣山を探してもらい、花材を広げる。お稽古で先生に教えていただいたとおりにと、おさらいを兼ねて大振りな枝や薫り高いカサブランカを活け始めたアユコ、時折母のほうを振り返って小首をかしげる。
「だめだよ、アユコ。お母さんはお茶は少しは習ったけれど、お花は一度も正式に習った事がないんだもの。訊かれたって何にもわからないよ。」
自分では一度も習う機会がなかった華道の知識を、娘が新しく母の知らないところで習ってくる。そのくすぐったい嬉しさもまた、「ちょっと癪に障る」気持ちの裏返しだ。
「お母さんが知らない事を習ってくるのって、ちょっとワクワクするんでしょ?」
興に乗って、先生から今日お習いしたばかりのことを得意げに話し始めたアユコがうふふと笑ってこくりと頷く。

「おかあさん、今頃になって奥歯が一本生えてくるみたいなんだけど・・・」
この間、オニイがいぶかしげに尋ねた。
「ああ、それは親知らずだわねぇ。もっとずっと大人になってから生えてくることもあるから『親知らず』っていうんだよ。」
親の知らないところで、にょきにょきと力を蓄え、芽吹きを待つ子ども達の成長のパワー。
ちょっと嬉しく、ちょっとねたましい。
この複雑な母の心情。


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