月の輪通信 日々の想い
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2005年03月12日(土) 講演会

父さん隣のH市の公民館で講演会。うちの窯の歴史や作品について、約一時間半の講演をするという。
「どうしよう、えらい事引き受けてしもたなぁ」
と、ここ一週間、父さんは資料をそろえたり、古い作品の写真を用意したり、まるで夏の終わりの小学生の様な形相で慣れない講演の準備に追われていた。
今年は、初代吉向が大阪の十三に窯を開いてちょうど200年。
うちの窯の歴史の大きな区切りの年でもある。
義父や義兄はこれまでにも展覧会やお話の会等で作品や窯の歴史についてお話しする機会は多かったか、日頃、主に制作担当で講演の経験は少ない父さんにとっては、今回がまさに講演会デビュー。
お話しする内容は、幼い頃から何度も何度も聞かされた先代さんの逸話や江戸時代に各地のお庭焼に関わった初代さんの活躍など、父さんにとってはなじみの深い昔話のような親しいお話ばかり。
陶芸教室などで人前で話すことには慣れているはずの父さんも、マイクを前に改まっていお話をするとなると、なかなか勝手が違うらしい。
うちの窯のことを知らない方にも楽しめるようにと、たくさんの資料写真を集めたり、裏づけを取ったりと、事前の準備だけでも、あれやこれやと忙しく横で見ているだけでも何となくハラハラと胃が痛くなる想いだった。

今日、講演会当日。
「奥さん同伴で講演にいくのは、かっこ悪くてイヤだなぁ」と渋る父さんに、荷物持ちにかこつけてついていく。
父さんの講演会デビューの晴れ姿を見届けておきたい気持ち半分。
心配な気持ち半分。
まるで参観日の母の心境。
会場の隅でレコーダーのスイッチを押し、演壇の上の父さんと眼が合うことのないように、一度も顔を上げないように務めて速記者のようにメモを取ることに集中する。
会場にお見えになった方の中には陶芸教室の生徒さんや、スタッフ講習でお世話した方などおなじみのお顔もたくさんならんでいて、父さんの緊張も次第にほぐれてきたようだった。

一時間半の講演を、ほぼ時間いっぱい使って話し終えた父さんの顔はにこやかだった。
父さんの話の内容をびっしりと書き起こしたレポート用紙は実に12枚。
窯の歴史の変遷に古い作品の解説もまじえて、そこそこまとまった形の講演内容になった。
あくまで実践派で、研究内容をまとめたり講演をしたりすることが決して得意ではない父さんにも、200年受け継がれた父祖代々の功績や何度も聞き覚えた義父の昔話など豊富な挿話や作品の歴史が大きな助けになっていたように思う。
「語るべきものをたくさん持ち合わせている」と言う事は、話術の巧拙に関わらず、面白い話を語る大きな力になるということがよくわかった。


2005年03月07日(月) 閉ざされた門

休み明け。
相変わらず寝起きの悪い子ども達は大慌てで朝食をとり、あわただしく出かけていく。ちょっとぐずぐずモードのアプコはいつもの朝のペースについていけなくて、べそをかく。
卒園式まであとわずか。
アプコは今年まだ一回もお休みしてなくて、「一年皆勤」のごほうびをずいぶん楽しみにしているものだから、「今日はやすみた〜い」とも言えないらしい。ちょっと風邪気味な事もあって、「たまには、いいか」と園バスを断ってお車登園で甘やかしてみる事にする。
ほんの十分あまり、コタツでうだうだしながら朝の子ども番組をながめていたら、あっという間に「幼稚園、行かなくっちゃ!」の元気も出て、「おかあさん、早く早く!」と車に乗り込む。
子どもっていうのは、ほんのちょっとの甘えん坊で「イヤだなぁ」の気分がきっぱり晴れることもある。
それは多分、大人もね・・・。

で、出かけようと思ったら、ゲンの忘れ物に気が付いた。
昨日アイロンをかけた給食のエプロン。
ありゃりゃ、やっぱり忘れてったよ。
しょうがないので、アプコを幼稚園に送るついでに届ける事にする。

ちょうど小学校に着いたのは1,2時間目の授業中。
体育館やら教室からかすかに声は聞こえるけれど、運動場や児童用の玄関には人影もない。
寝屋川の事件以来、市内の小中学校の校門は子ども達の登下校時間以外は厳しく施錠されることになった。
学校を訪れる保護者やその他の来校者は校門横のインターホンで職員を呼んでナンバー式の南京錠を開けてもらって中へ入る。四六時中インターホンの番をして、来訪者があるたびに職員室から鍵を開けに走らなければならない先生方は大変だ。
保護者の方でも、何となくいちいち鍵を開けるために人を呼ばなければならないのが気詰まりで、ちょっとした忘れ物を届けたり、急な雨に傘を届けたりという些細な用事で学校を訪れるのが億劫になったりする。私はたまたまPTAの役員の仕事でしょっちゅう学校に出入りするので、南京錠のナンバーを内緒で教えていただいたが、かといって重い門扉にじゃらじゃらと真新しい鎖につながれた南京錠を、黙って自分で開けるのにも何となくちょっとした戸惑いも感じたりもする。
それも子どもらの安全のため。
少々の不便は致し方ないことなのだろう。

車を降り、校門に近づくと人影がある
立ち木の向こうに見え隠れするのは大柄だけれど大人ではなくて、何かの事情で遅刻してきた高学年の男の子だった。ランドセルを背負ったまま所在なげな様子を見ると、生徒用の通用門が施錠されているので仕方なく正門の方へ回ってきたものらしい。
「おいで、鍵開けるから一緒に入ろう」
と手招きすると、ことばもなくのろのろと寄ってきて一緒に校内へ入る。
体調が悪くて遅刻してきたのかな。
月曜日、今朝のアプコのように「なんか学校行きたくな〜い」の気分で仕方なく登校してきたのかな。
去年の春、過敏性腸炎を伴う不登校で、何度も定刻に登校できないオニイを「遅刻でも気にしなくていいから・・・」となんとか送り出していた母としては、とぼとぼ項垂れて歩いてきて鍵の閉まった校門の前で途方にくれる男の子の姿になんとも心が痛む。
もちろん、インターホンを押しさえすれば職員室からすぐに先生がとんできてくれて「おはよう!」と迎えてくださる事は彼にもきっと判っているのだろう。
それでもやっぱり重い鉄扉にかけられた新しい南京錠の存在は、定刻を遅れて一人で何とか登校してきた彼にとっては、気の重い校門の敷居を高くしてしまう。もしかしたら、くるりときびすを返して登校せずに帰ってしまうこともあるのではないだろうか。

本当なら学校の門は、いつも入ってくる人に対して大きく開かれている方がいい。
今にも降り出しそうな空模様に、母親がそっと我が子の靴箱に傘を置いてくることができるように。
何となく凹んで誰かの励ましが欲しい卒業生がふらりと訪れて恩師の笑顔をうかがうことが出来るように。
遅れて登校した少年がそろりと目立たずに教室に滑り込む事が出来るように。
そういう当たり前の暖かさで訪れる人を迎えることの出来ない閉ざされた門は悲しい。
私たちのK市では市内の公立の小中学校全部の門にオートロック式の施錠とインターホンの導入がいち早く決まった。インターホンが鳴るたびに先生方が慌てて鍵を開けに走る不便はかなり軽減されるだろう。
施錠された門扉を中から開けてもらって入れていただく心理的な負担も慣れれば少しは軽くなるのだろうか。
オートロックや防犯ベル、警備員に守られなければ、安心して学校生活を送る事の出来ない現代の子ども達は、決して恵まれてはいない。


2005年03月04日(金) 号令をかける

近頃、夫がちょくちょく仕事場から自宅へ帰ってくる。
格別何か用事があるわけでもなく、何となくコーヒーを飲んだり、「15分だけ寝る」とタイマーをかけて居眠りをしたり・・・。
そうかと思うと、休日には突然子ども達と一緒に出かけようと言い出したり、やたらと外食したがったりする。
忙しくて忙しくて、猫の手も借りたいはずなのに「なんか、ぱーっと面白い事ないかなぁ。」なんて呟いたりする。
そして時には、いきなりツンツン苛立った表情で帰ってきたかと思うと、一人でやたらとため息をついていたりする。
「よおし!がんばろ!」と誰にともなく声をかけて、拳を固めて再び仕事場に帰っていったりする。

締め切りに迫られた気の張る大作の制作中なのだ。
三彩の大壷の焼き上がりが思うように行かなくて、何度か釉薬をかけなおして焼き直しを繰り返しているらしい。
陶芸の作品は、窯の炎に全てをゆだねた一回限りの芸術のようにも言われるが、こと三彩に関しては何度か焼き直す事によってより味のある釉薬の流れを生み出したりすることもある。
○○サスペンスなどのドラマの中ではよく、気難しい陶芸家が窯から出たばかりの作品に得心が行かないからとその場で地に叩きつけて壊してしまうシーンが描かれるけれど、実際には一旦焼きあがった作品を再び焼直して改良したり、作品を仔細に調べて原因を検討したり、気に入らない作品に結構長い事こだわって関わっていたりするものだ。
さすがに一発でスパーンとうまく仕上がった作品の爽快さはないけれど、出来不出来に関わらず自分が作り出した作品への強い愛着と思い入れがそこまでのこだわりを生むのだろう。
背中を丸め、窯から出たばかりの作品の瑕疵や不具合をいつまでも惜しそうに見つめる夫の後姿を、私は必ずしも女々しいとかかっこ悪いとは思えない。

釉薬掛けの途中で乾燥を待つ間とか、焼成中の窯がとまるまでの30分とか、わずかな空き時間に帰ってきては、所在なげに家の中をうろうろしてたわいないおしゃべりをして、再びふらりと仕事場へ戻っていく。
ワクワクと調子よく帰ってくることもあれば、ペションと凹んで言葉すくなく帰ってくることもある。
昼間、がしゃんと玄関が開くたびに、帰ってきた夫の表情や声の調子で工房での仕事のはかどり具合をそっと伺うのが癖になった。
先日、ネットで見つけた京都の陶芸作家の奥様のエッセイでも、同じように仕事の合間にしょっちゅう自宅へ帰ってきてはお茶を飲んだり、急に「出かけるぞ!」と言い出したりする作家の日常が描かれていて、「ああ、ここのうちでもそうなんだな」と妙に親近感を覚えた。
上機嫌も激しい落ち込みも全ては窯の出来次第。
仕事場と家庭が直結している窯元や作家の宿命と言うものだろうか。

「よし、気を取り直して、もう一回!」
夫が自分に気合を入れなおして立ち上がる事が多くなった。
「父さん、このごろなんだか号令ばっかりかけてるネェ。まるで、試験前のオニイとおんなじだぁ。」
と笑って夫を送り出す。とってももどかしい事だけれど、奥さんにできる事と言えば、帰ってきた夫に熱いお茶を入れたり、夕餉の膳に好物の惣菜を一皿添えたり、そんな些細なことばかり。
号令と言うものは、自分で自分にかけるしかないものなのだなぁ。
がんばれ、父さん!
すたすたと工房に戻ってい夫の背を、かちかちと火打石を打つ想いで今日も見送る。


2005年03月03日(木) ちらし寿司

「おひな祭りには、ちらし寿司ね。」とアプコは数日前からすいぶん張り切っていた。
錦糸卵にイクラや三つ葉を散らしたお祭り気分の一皿の嬉しさのほかに、大きな寿司桶の周りでパタパタと団扇を使い、甘い寿司飯をお味見しながらお料理をする楽しさに、ワクワクと心躍らせていたようだ。
昨日は園からの帰り道、アプコと二人でちらし寿司に入れる具材を一つ一つ指折り数え上げて買い物の相談をしながら歩いた。
「ほそ〜く切ったたまごでしょ、イクラでしょ、えびでしょ、カニかまぼこでしょ・・・・それから、スポンジみたいの、アレ、なんだったっけ?」
「あはは、高野豆腐!よく覚えてたねぇ。」
アプコが思い出すのはお子様用に彩りに加えた華やかな具材ばかり。にんじんや椎茸、ちりめん雑魚のようなオーソドックスな具材の名前はなかなか上ってこない所がかわいらしい。
「それからね、アレも買うんでしょ。アレ、アレ・・・。ス、シ、ズ!」
「寿司酢!難しい事、覚えてたねぇ!」
にんじん椎茸は忘れているのに、妙なものを妙にはっきり覚えているアプコ。前回ちらし寿司をこしらえたときに、普段は使わない頂き物の寿司酢を初めて使ったのを記憶していたらしい。
楽しい経験とともに覚えた記憶と言うのは、存外はっきりと長く消えないものなのだなぁと改めて感心する。

「いっぱい、買い物してこなくちゃね。覚えられるかなぁ」
と話していたら、夕方、夕食の支度をしに台所に立つと、流しの上にたどたどしいアプコの文字のメモ書きがハラリとおいてあった。
「たまご しいたけ きゅうり かにかまぼこ・・・」その最後には、忘れず「すしず」のひとこと。
ちらし寿司の買い物メモだ。
鏡文字満載のつたない文字だが、ちゃんと右から左へ、一言ずつ箇条書きにして、上手に並べて書いてある。それはいつも私が冷蔵庫に貼り付けている備忘の買い物メモとおんなじ書き方。こんな所まで、子どもって、真似をするんだなぁ。
「ねぇねぇアプコ、これなーに?」
メモの真ん中あたりにある『みつばのくろうばー』
「あのね、なが〜い棒のついた葉っぱみたいの・・・小さく切ってパラパラってかけるでしょ」
「あ〜あ、三つ葉のことね。」
シロツメグサの四葉を探すのが好きなアプコらしい命名。ほんとのところ、シロツメグサと薬味の三つ葉は同じだと思っているらしい。
春の日の摘み草の楽しさと、イベント気分のちらし寿司の嬉しさがどこかでイメージとしてつながっているのかもしれない。

「アユ姉ちゃんがいないからアプコにカニかまぼこ、切ってもらおうかな」
いつもお料理好きのアユコが独占する包丁係をアプコに任命してみる。いつもは「やりたい、やりたい!」というくせに、オネエのサポート無しではちょっと自信がないアプコに、パックのままのカニかまぼこと包丁まな板を与えて、その場を離れてみた
「手ェ、切ったらどうするのよ!」
とぶつぶつ言いながらも、自分でパックを開け始めるとアプコは急に無口になって、そのうち、コトンコトンとのんびりした包丁の音が聞こえてくる。
傍らからそっと覗いて見ると、左手をお行儀よく「猫の手」の形にして赤いカニかまぼこを一本ずつ丁寧に刻んでいる。その手つきも慎重さも幼い頃のアユコにそっくり。近頃しっかりアプコの「第二の母」となったアユコの料理指南の賜物だろう。
「綺麗に切れたよ!」
とできばえを家族みんなに触れ歩く嬉しそうな顔に、「この子もアユコのように料理好きな女の子に育ってくれそうだな」と嬉しい予感がした。

おばあちゃんちから借りてきた大きな寿司桶で作り上げたちらし寿司は8合分。
小さなお重に詰めてまずはおじいちゃんおばあちゃん達におすそ分け。
錦糸卵にイクラや三つ葉を飾る作業は、本日功労賞のアプコが大威張りで仕上げて、風呂敷に包んで配達に出かけていった。
「今年はあたしが作ったよ」と得意満面で説明している事だろう。
今年の雛の日はちょっと嬉しいアプコの包丁記念日。
きっと「得意料理はちらし寿司よ」と、あちこちで公言するようになるだろう


2005年03月02日(水) 冬枯れの庭に出る

久しぶりに、冬枯れの庭に出たらクリスマスローズの鉢に大きな赤紫の花が三つもついていた。夏の暑さにやられて大きな葉っぱを全部失って、今年はまず咲かないだろうと諦めていた一鉢なのに、まばらな葉の間からにゅっと延びた花茎にどっしりと立派な花を重そうにつけ、しかもまだ二つ三つ新しいつぼみも抱きかかえているようだ。
放っておいて悪かったねと家の中からよく見える一階のベランダの一等地に鉢を持ってあがる。
クリスマスローズは、シクラメンのように花茎をくいっとまげて下向きに花をつける。その昔、私はそういう下向きに花をつける植物が何となく苦手だった。ろくろ首のように捻じ曲げた花茎の曲がりようが、何となくいじけた
感じがして心が晴れない気がするからだ。

そういいながら、うちにはもう何鉢かのクリスマスローズが常駐している。室内には冬ごとにシクラメンの鉢が置かれる。
大概は夏の間、園芸店の片隅で花期を終え、さんざんにくたびれ果てて見切り処分になっているのを購入してきたものだ。
今、食卓のそばの窓辺で赤い花をつけているシクラメンは去年の春、近所の花屋で花も葉っぱもないカラカラの土だけになった植木鉢ごと100円で買ってきたもの。ごつごつした溶岩の塊のような球根(?)の痕跡がわずかに見えるだけの怪しい一株だった。
「一体何色の花が咲くのかしらん?ちゃんと夏越しできるのかなぁ。」
店の人に聞いて見てもさぁ?と首をかしげるばかり。
残り一鉢になったお買い得見切り品。そのままではただ、廃棄を待つばかりかと哀れになって、捨て猫を拾う思いで買って帰った。
夏の間中、シクラメンは庭の片隅にごろんと転がして置かれたが、秋になってぷつぷつと小さな葉っぱが顔を出し、やがて年が変わる頃になってようやく白いつぼみをつけた。花茎が延びるに従い、つぼみは薄紅をさしたように
色を帯び、薄桃色になったかとおもうとついに真っ赤な花を咲かせた。
結果として、それはありふれた真紅のシクラメンだったが、その再生の過程はまるで「みにくいあひるの子」の筋書きをたどるようで、ずいぶんワクワクと楽しませてもらった。
まさに「お買い得見切り品」の一鉢だった。

昨年一年間はバタバタと忙しくて、また一時期熱中したガーデニング熱も小康状態になって、のんびりと庭に下りて丸一日つぶすということがほとんどなかった。
庭と言うものは、気にかけて毎日目配りしてやる者がいなくなると見る間に荒れる。
勢いの強い宿根の山野草は切り戻される事なくぐいぐいと葉っぱばかりが伸び、花殻を摘んでもらえない草花はさっさと種子を作ること専念するので花期が短い。「こぼれ種でよく殖える」「はびこるように殖える」と言われる桜草やノースポールですら、時折掬い上げて植え替えたり日の当たる場所へ移してやったりしないとだんだんに減ってくる。「だれがやっても出来る」とおもっていた挿し芽や種まきの容易な植物も、それなりに気を入れて目配りしてやらないと成長半ばで水切れしたり、他の植物に負けて立ち枯れたりして成績は芳しくない。
何ほどの作業はしなくとも、とりあえず毎日庭に出て、ポツポツト枯れた花殻を摘んでやったり、延びてきた雑草を引っこ抜いてやったり、新しいつぼみの膨らみ具合を確認してやったり。
そういう一見たわいもない暇つぶしのような小さな目配りの積み重ねが、庭の植物を美しく開花させるのには必須なんだなぁと痛感する。

今日、アユコと一緒に買い物に出て、スーパーの前の出店で一株30円のパンジーの開花株を30株あまり買い込んだ。
いろんな色の花を取り混ぜて、買い物トレーに選び出す作業は楽しい。
たくさん買ったので、「冬場は庭に色がない」と始終こぼしておられる義母の庭にもおすそ分けする事にする。近頃、体調不良で沈みがちな義母に、少しは明るい笑みを差し上げられるだろうか。
山地の我が家ではこの季節に植えたパンジーの花は、6月の終わり頃まで咲き続け、うまくすると夏を越して再び来春の花を残す事もある。
それでもまだ、こぼれ種による来春の花をちょっと期待したりするのは、ものぐさガーデナーの強欲と言うものだろうか。
とりあえず、この春には、子ども達が新しい学校、新しい教室へと飛び立っていく春の玄関をにぎやかに飾ってくれるだろう。


2005年02月28日(月) 校則改定

オニイの中学で校則の改定があったそうだ。
オニイの学校は同じK市内の4校の中でも比較的落ち着いたマジメな学校。
制服や通学靴などの規定も他校よりは少し厳格なようだが、生徒もそこそこ大人しく校則に従って過ごしているように思う。
そんな中で生徒会が中心になって、服装の規定などについて何点か改定を要求し、学校の許可を勝ち取ったのだと言う。
先日保護者には、校則改定の内容の書かれたプリントが配布された。

1.夏場はシャツ出しOK・・・夏場の制服はチェックのズボン、スカートに白のポロシャツ。そのシャツのすそをズボンやスカートのベルトの中へ入れないで外に出して着ること。
2.靴は白を基調とした運動靴。色ライン可・・・これまではラインも白限定だった。
3.靴下は白、紺、黒を基調に派手でないもの。・・・これまでは白限定。
4、マフラー可。(11月から3月まで)・・・これまでは全面禁止。
5、髪の毛のゴムの色・・・何色でも可。

どれもささやかな、ほんとに大人しい要求なので、くすっと笑えてしまう。
校則というのは今も昔も、重箱の隅をつつくようなささやかでかわいらしい権利闘争なのだなぁと思う。
遠い昔、汗臭いセーラー服や学生服の学生時代、校則の細かい網の目を掻い潜って、「ちょっとおしゃれ」「ちょっと素敵」を気取った日々が懐かしい。
校則で三つ折ソックスが決められると、ソックタッチ(懐かし!)でソックスを伸ばしてはきたがり、長いスカートと決められるとウエストをくるくる巻いてスカート丈を短く見せたがる。
大人の目から見れば、さほど変わりがあるともいえないささやかなことが、自分達の唯一の権利や個性の主張であるかのように、思えたものだ。
「社会」とか「規則」とか「権力」とか、そういうものを初めて子ども達が意識して、自分達の「自由」との対立概念として捕らえるための練習問題のようなものだったのかもしれない。
ま、どちらにしても微笑ましい、青春の一こまに過ぎない訳だけれど・・・

ところで今回の改定で面白いなと思ったのは、運動靴の事。
この間の入学説明会の席で、先生方からは「『白一色、色ラインなし』の靴に限定されると、どうしても選択の幅が狭められ、経済的にも負担が大きくなると言う理由で保護者からも改定の要望が多かった」と聞いた。
確かに、店頭に並ぶ安売り靴の多くは色ラインの入ったものが多く、白一色の靴を探すとどうしても、少し値段が高いものを選ばざるを得ない事も多く、「色ライン可」になるとちょっと助かるなと言う観もある。
同じ理由で、これまで学校指定の業者から買っていた上靴も、同じような仕様のものであれば、量販店のものを使用してもよいとのお達しがあった。
子ども達の校則の改定に関して、親の立場から経済的理由による後押しがあるのだなということがちょっと意外な感じがした。
そういえば、近隣の中学では、制服に定められていた学校指定のセーターが高価で実用的でないという理由で廃止され、白、紺、黒、茶色などのセーターなら何でもよいという事になったと聞く。
みんなが決まった同じものを着るということに厳然たる権威があった制服に、家庭の経済事情が加味されて縛りが緩やかになっていく現実に、現代の日本を感じる。

確かに今のオニイ達の制服は高い。
制服、体操服、制かばん・・・。
先日、アユコのためにそろえた新入生グッズの数々は、全部買い揃えると一人当たり、7,8万円。
先輩たちのお古を活用したり、ちょんちょんに短くなったズボンの裾上げをぎりぎりまで延ばして着せてみたり、色々苦心はしてみるものの、やはり公立の義務教育の学校の入学必需品としては結構大きな出費である。
「せめて、上靴くらい、量販店の安価なものを・・・」
「どろどろになっても汚れの目立ちにくい、濃い色の靴下を・・・」
という保護者の本音も致し方ないのかもしれない。

改定が決まって以来、町では紺のソックスの女子中学生をたくさん見かけるようになった。オニイの言うには、女の子達の90%くらいが紺、黒のソックスに変えたのではないかと言う。
若干ほっそりと大人びて見える紺ソックスも、皆が揃って履けば効果は半減。傍目には何ほどの変化があったとも思えない。
そういう些細な事に生徒会が一致団結して教師に改定を求める。
そのエネルギーこそが、幼い中学生達が「社会」との戦い方を学ぶ第一歩なのだろうなぁと微笑ましい。
そういうときに、訳知り顔のおばさんたちの「そうよそうよ、こっちの方が経済的にも助かるわ」なんて、余計な後押しはないほうがいいんじゃないかな。私はそう思う。

実際には「色ライン靴が認められるようになった」からといって、安売り靴を買いに行く家庭もあれば、高価なブランド物の色ライン靴をせしめる口実にする家庭もある。
どちらもアリなんだからこそ、学校には校則があるのだ。
子ども達はまた、社会と言うものを学ぶだろう。


2005年02月26日(土) 飛行熱

ゲンは、小さいときから飛ぶものが好きだ。
紙飛行機、グライダー、凧、ヘリウム風船・・・。
それぞれ、爆発的に熱中する周期があって、ある日突然厚手のボール紙を欲しがったり、竹ひごの削りカスが机の周りに散らかり始めたりするとゲンの熱中期の始まりである。
ここ数週間は、ボール紙で作ったY字型のブーメラン。
少し前まで細長いボール紙を3枚継ぎ合わせた原始的なブーメランに熱中していたかと思うと、いつの間にかネットで滑らかな流線型のY字型のブーメランの型紙を見つけ出して来た。さっそく父さんに頼み込んで3倍コピーしてもらい、母秘蔵の特上の厚紙をねだり、写し取って最新型のブーメランを拵える。こういうときのゲンの企画力、交渉力、実践力には眼を見張るものがある。
舌なめずりでもするように、熱心にカッターを使い、滑らかな曲線を抜き出すためにぐっと息を飲むように集中する様は頑固な職人の顔。微妙なソリをつけるために切り抜いたブーメランを眼の高さに持って、真剣に見つめる瞳は研究者の眼差し。
男の子って言う奴は、こういう顔をしているときが一番面白いなぁと思ったりする。

男の子と言うのは、総じて「飛ぶもの」が好きである。
実家の父は、細い竹ひごをあぶって曲げ、翼に薄紙を張るグライダーを作るのが上手だった。
義父も、その昔ペーパークラフトのキットをたくさん隠し持っていて、まだ幼い孫達にはちょっと高度すぎるペーパープレーンをいくつも飛ばして見せてくださった事もある。
新婚時代の父さんは、なぜか結婚祝いにもらったと言う大型のラジコンヘリの操縦に夢中になったことがあって、何度も何度も着陸に失敗しては高価なプロペラ部品を破損して買い替えに走ったものだった。
苦心して出来上がった飛行機の初飛行を披露する前の得意げな笑顔は、ただただ血筋のせいばかりでなく、男と言う生き物に共通の遺伝子の存在を思わせるほどよく似ている。

「おかあさん、ちょっと広いところで飛ばしてくるわ。」
ゲンが出来上がったブーメランを手にいそいそと出かけていく。
家の周りの道路では、飛ばしたブーメランがすぐに雑木の茂みに紛れ込んだり、水路に落ちてオシャカになったりするからだ。
「はいはい、気ぃつけてね。遅くならないように帰っておいで。」
大丈夫、今日のゲンはきっとすぐに帰ってくる。

私は正直な所、男達の飛行熱がちょっと苦手である。
苦心して作り上げた飛行機が、ビュンと手を離れた瞬間、戻ってこないのではないかと不安になるからだ。
彼らの作った飛行機は美しい滑空を何度か見せた末には大概、高い木のこずえに引っかかったり、池に落ちたり、他人様の家の納屋の屋根に落ちたりして、2度と彼らの手に戻ってこなくなる。でなければ、苦心してバランスをとった翼は折れ曲がり機体が曲がって、修復不可能なまでに破壊されて彼らの前に横たわる。
シュンと凹んだ男達は、首をうな垂れ、もう自分の手の中にはない愛機の最後の滑空の雄姿を思い返し、ため息をつき、そしてたいてい不機嫌になる。

果たして、ゲンも予想通り、ほんの数十分で帰ってきた。
公園で飛ばしたブーメランは、ほんの数回飛ばしただけで大きな楠木の茂みに紛れ込んで見えなくなってしまったのだと言う。
「せっかくうまく出来ていたのに・・・。色もめちゃくちゃ綺麗に塗ってあったのに・・・」
と出かけていったときの意気揚々はペシャンコになって、いつまでもウジウジと見失った愛機の素晴らしさを語る。
「厚紙も型紙もまだあるんだから、もう一回作ればいいじゃん。」
と慰めたところで、ゲンの切ない喪失感を救うことは出来ない。
「これだから、飛ぶものは苦手なんだよ」と母は思う。
男って奴は、ほんとに懲りないおばかな生き物だ。


2005年02月25日(金) 子育ての目的

アプコの入学説明会。
さすがに4度目ともなると、親の方は「もう、いいじゃん」と言う気分にもなるが、なんといってもアプコにとっては初めての一年生だ。
いつもより早めに幼稚園まで迎えに出かけ、一緒に歩いて小学校へ向かう。毎朝園バスのバス停まで走って下るこの道が、そのまま4月からの通学路となる。
「だから、今日は車じゃなくて、歩いていくの。」と、手をつながずに一人でさっさと歩こうとするアプコ。まさしくぴかぴかの一年生の気負い充分。

体育館でアプコを新入生お守り係の5年生に引き渡して、なじみのOさんと一緒に説明会場へ向かう。初めての小学校で校内の地理に疎いぴかぴかのお母さんたちを追い抜いて、さっさと運営委員会で通いなれたランチルームへの階段を上る。途中、お会いした教頭先生に「初めての小学校で何にもわからないんですぅ。よろしくお願いしますぅ」とご挨拶してみたら、「何をおっしゃいますやら・・・。」と失笑された。
私は来年でこの小学校9年目。
「どうせなら、一番前の席に座ろうよ。」と挨拶される先生方の真正面の一番前の席を陣取り、Oさんと二人でくすくす笑う。古株母のあつかましさってホントにいやぁね。

今回は珍しく、外部から来た若いカウンセラーの先生の短い講演が用意されていた。なかなかお話しの上手な女性で、現代の子ども達に求められる社会性を引きこもりやニートの問題につなげて語られた。目新しい話ではないけれど、家庭から初めて学校生活へ子どもを送り出す保護者にとっての明解な指針として上手にまとめられた講演だった。
冒頭、講師の先生は「子育ての目的ってなんでしょう?」と問いかけられた。
「種の保存のため」「人に迷惑をかけない子を育てるため」「自分が親に育ててもらった恩を子どもに返すため」
「目的」と言う言葉の意図が曖昧だったため、講師の問いに帰ってきた答えは少しずつ方向がずれてはいたけれど、そのずれの方向自体が解答した人と子どもとの関係のあり方を直接あぶりだしているようで面白かった。
「『自分の老後のため』なんて人もいましたけどね。」と講師先生は笑い飛ばしていたけれど、実際はそれに近い希望を持って子ども達を育てている人もまだまだたくさんいるだろうなとも思う。「自分の果たせなかった夢を果たしてもらうため。」とか「家業を継いでもらうため」とか「老後の面倒を見てもらうため」とか、厳密に言えば親世代の思いや希望を果たしてもらわんがために子どもを育てている家庭が実際にはたくさん存在する。
それは少し前まで当たり前の子育て観だったし、そのことで社会全体が支えられてきた部分は大きい。
私は「自分の老後のために子育てをする」という人を笑わない。

「生まれてきた者には、食べさせにゃならん。
泣いている子どもは、抱いてやらにゃならん。」
「子育ての目的は・・・」と問われて私の頭に浮かんだのはそんな投げやりな言葉だった。
日々の子育てと言うのは本来そんなもの。
高い木になった果実を欲しいと言えば、もぎ取って与えてやり、
道を踏み誤りそうになったら、「そっちはあかんでぇ。」と教えてやり、
凹んで帰ってきたらよしよしと撫でて、「もう一回、行って来い」と送り出してやる。
「子育て」自体にはそれほど大仰な目的はないと私は思う。
結果として、育ちあがった我が子が優秀であったり、人柄がよかったり、社会に貢献する人物であればいいなぁと言う「希望」は果てしなくあるけれど・・・。

講師先生が用意していた「子育ての目的」の答えは、「学校生活を経て社会に巣立っていく子ども達の「社会化」を促す助けとなること」なのだそうだ。
当たり前すぎて反論の余地もないが、次代を担い明るい社会を築く人材を育てるために、子どもを生み、子育ての苦労をする親なんてどこにも居ない。
それでもあえて、「子育ての目的」を答えるならば、私は我が子の幸せのために子育てをする。私の思う「幸せ」が子ども達の思う「幸せ」と一致するかどうかは分からないけれど・・・。

説明会を終えて、アプコを迎えて帰途に着く。
「小学校、楽しかった? 何して遊んだの? 5年生のお姉さん達、優しかった?」
矢継ぎ早に質問する私に答えようともせず、アプコはタッタカ早足で家路を急ぐ。
「どしたの?なんか、怒ってるの?アプコ!アプコ!」
周りに人がいないところまで駆けてきて、アプコは追いかけてくる私にささやいた。
「おしっこ!」
どうやら、慣れない小学校のトイレ、知らないお守役のお姉さん達に、「トイレに行きたい」がいえなかったらしい。
下半身を捩じらせて、草むらに駆け込むアプコの後姿がおかしかった。

フムフム、確かに子どもが幸福に生きていくためには、自分の希望をはっきり相手に伝えることのできる「社会性」は重要である。
実に有意義な講演会だった。


2005年02月24日(木) ○田さんの怪

アプコの迎えから帰ったら、うちにいた父さんが
「PTAの○田さんから電話があったよ。あとで、かけ直してくれるらしいけど・・・」
という。
○田さん? はて、どこの○田さんだろ。
確かに○田さんは知ってるけど、PTAの連絡網にしても、そのほかの連絡にしても○田さんからかかって来ることはないはずなんだけど・・・。
PTA仲間のUさんにもメールで聞いてみたけれど、別段連絡網もまわっていないらしい。「急ぎの用ではない」といわれたそうなので、気にはなりつつ、引き続きアユコと出かけて夕方まで留守にした。
帰ってくると、案の定、○田さんからたびたび電話があったようだ
それも2度目は自宅ではなく工房の方に。都合○田さんは自宅に2回工房に2回電話してきた事になる。
急ぎの電話でないにしては、いやに熱心だ。
夕方まで出かけていると伝えておいたというのになぁ。
「帰ったらこちらから電話しましょうか」
というと、「出先からの電話だから」と言われたそうだ。

そもそも、私の知ってるPTAの○田さんだったら、「PTAの○田です」とは名乗らないような気もする。
「『PTAの・・・』って言われたの?」
と聞き返すと、父さんはちょっと自信なげ。「『いつもお世話になってます』と言われたので、PTA関係と思い込んじゃったのかも知れないけど・・・。」とあやふやになる。
「いつもお世話になってます」?
う〜ん。自宅だけでなく、工房の電話番号まで知っていると言う事はやっぱり知り合いの○田さんか。

時節柄、我が家には家庭教師の派遣や通信教育の教材の販売など、日に何本もの勧誘メールが入る。
大概は「○年生のお子さんのお母さんですか?」と確認してセールストークが始まる。父さんが出ても「お母さんに代わってください」と取次ぎを求められる。やはりお子様の教育環境の決定権は、父親ではなく母親と相場が決まっているのだな。
最近では、はじめから「こんにちは、××ですけれど、奥様いらっしゃいますか」と個人名を名乗って直接母親を呼び出してから、初めて販売目的を話し始める手合いも増えた。
相手がセールス目的と分かった段階で、黙ってプツリと切ることにはしているけれど、ありふれた名前を騙って世間話から話し始め、じわじわとセールストークを繰り出す人もいて、なかなか敵も作戦を考えているようだ。
果てさて、今日の○田さん、まさかその手の勧誘電話でもあるまいなぁ。
それにしても、工房も含めて3回もかけなおすだけの手間を、セールス目的のテレファンレディがかけるだろうか。

どちらににしても夜、遅くにかけ直してくるそうだから・・・と、待っていたけれど、結局、○田さんからの電話はなかった。
○田さんにこちらから電話して問い合わせてみる事も考えたが、間違いだったら失礼だし、ちょっと億劫だなぁ。
やっぱりなんかの勧誘だったのかもしれないなぁ・・・と思い込むことにして放置しておく事にした。
なんだか気持ちは悪いのだけれど・・・

私の知ってる○田さん、もしあなただったらごめんなさい。
もう一回だけ、お電話ください。


2005年02月19日(土) ちょっと怖い

寒い季節になると、ゲンが自分の仕事の風呂洗いを渋る。
夕食前に洗っておく約束なのに、ともすると夕食後、皆がコタツでTVを見る頃になっても風呂洗いが終わっていなかったりする。
それでも我が家では「しょうがないわねぇ」と母が代わりに洗ってやるということはしないので、兄弟達からのブーイングを受けて渋々洗いに行く。風呂場は寒いし水も冷たいので辛いのだろうと、百円均一の店で長い柄のついた風呂洗い用のスポンジを買ってやったらずいぶん嬉しそうにしていたけれど、それでもやっぱり風呂洗いを嫌がる。
時には、なんだかんだと交換条件を出したりおだてたりして、妹のアプコに風呂洗いを押し付けようとするようになってきた。。

「あのさ、風呂場ってさ、一人でいると、なんか怖いんだよね。
振り返ったら、誰かが立ってるんじゃないかとか、窓の外から誰かの手が入ってきたりしそうでさ・・・」
珍しくゲンと二人で車に乗っていたとき、ゲンがそっと打ち明けてくれた。
「うんうん、分かる分かる。水道の水がぽたぽた落ちてたりするのも、結構怖いよね。」
と相槌を打つ。
「それからさ、お風呂で頭洗うたときにもさ、ぱっと顔を上げるのが怖かったりするな。」
「そうそう、自分で自分が『貞子』みたいだもんねぇ。」
「うん、お母さんもそういうのが怖い事ってある?」
「うん、特に夜中に一人でお風呂に入ったりしてるときにね・・・」
「ふうん、大人になっても怖い事ってあるのか・・・」

そうだな、大人だって怖いときもあるんだもの。
4年生のゲンにはいっぱい怖いものがあるんだろうな。
そんな話をしながらうちへ帰り、昨日は大サービスでゲンがお風呂を洗う間、脱衣場で見ていてやることことにした。
ゲンが浴槽を洗う間、大きな声で冗談を言ったり、ふざけて恐怖映画のCMのうめき声を真似してみたり・・・。きゃあきゃあふざけながら、風呂洗いをすませる。
「おかあさん、今日は、助かったよ。あんまり怖くなかった。」

ちょっと怖いときには「怖い」と、嬉しかったときには「嬉しかった」と、素直に言葉にして、ささやきにくるゲンはまだまだ可愛い。あと、数年もすれば、ゲンも空意地で虚勢を張って、めったに母親に自分の弱みを見せようとしなくなる。
自分の弱さや臆病を、ストレートに訴えることの出来る今だからこそ、「ちょっと怖い」を笑い飛ばさずにおおらかに共感して「大丈夫だよ」と言ってやりたいと思ったりする。 


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