月の輪通信 日々の想い
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今日、小学校今年度の参観日。 ゲンは学年全体で「飛べないホタル」のオペレッタの発表。 アユコは担任のT先生の音楽の授業。 どちらも見逃したくないので、校舎の三階の端っこにある音楽室と反対側の端っこにある体育館の間を駆け足で行ったりきたり。 明日はきっと筋肉痛だ。
アユコの手は、生まれつき指が長くてしなやかな手だ。 アユコが生まれたとき、「ああ、この子はきっと上手にピアノが弾ける」と嬉しかったのを思い出す。私自身は子どもの頃、手指が短かくいつまでもオクターブの和音が届きにくくて、なかなか上達しなくて悲しい思いをしたからだ。 4歳になったアユコはさっそく近所の音楽教室に通うようになった。綺麗なお姉さん先生のピアノに合わせて、同年代の友だちと歌を歌ったり合奏をしたり。小さい幼児の手が白い鍵盤の上でたどたどしく動き回るのがなんともかわいらしくて、親バカ全開で早々に本物のピアノの購入を算段していたものだった。 ところが2年目の冬、初めての発表会の課題曲に少し高度なアレンジの曲が選ばれた。当時からこつこつ生真面目だったアユコはその中でも一番難しくてよく目立つパートを割り当てられた。その日から親子で涙涙の猛特訓が始まったけれど、最終リハーサルの時になってもちっとも上手に弾きこなすことができなくて、親子ともども冷や汗の出る思いで本番を迎えた。 発表会の当日、なんとか目だったミスもなく演奏を終えたけれど、舞台から降りてきたアユコは、きっぱりと「音楽教室を辞める」と宣言した。 アユコの音楽デビューは失敗だった。
小学校に入っても、アユコには楽器を演奏する事に何となく苦手意識が残っていたように思う。クラスで合奏をするときにも、アユコはたいてい比較的演奏の簡単な打楽器や大勢で一緒に演奏するパートばかり。ピアノや電子オルガンのような鍵盤楽器をうけもったことがほとんどない。 アユコと同じ位の年頃からレッスンを続けていた子ども達が、高学年になってショパンやモーツァルトを上手に弾きこなすようになっていくのを見るにつけ、小さいときに音楽との上手な出会い方をさせてやれなかったことに心が痛む事も多かった。
そして今日、T先生の音楽の参観授業。 皆で練習してきた「TUNAMI」の合奏をするという。 T先生はいつも子ども達にも人気のあるアニメのテーマソングやテンポのいい曲を選んで合奏させてくださる。 アユコはその中で、初めて電子オルガンのパートを選んだ。 出だしの数フレーズ、ほとんどソロで主旋律を弾く部分があって、めちゃくちゃ難しいのだと、家でもアプコのおもちゃ代わりのキーボードでひそかに練習していたようだ。 教室の一番奥の電子オルガンの席に着いたアユコは確かに緊張で硬い表情。 たどたどしく、もつれるように出だしのソロを弾き始めたときには、見ている私までぐっと拳を固めてしまう。 なんどか演奏を繰り返すうち、他の子ども達がリズムに乗ってぐっと集中していくのが分かる気持ちのいい時間だった。T先生の元気のいい指揮が張り切りすぎる子ども達を抑えたり、遅れがちなパートを引っ張りあげたり・・・。 「自信持って、もっと歌って・・・」 途中、T先生が電子オルガンの方に向かって、言葉をかけた。 緊張したアユコの顔が柔らかにほころぶ。 唇をきゅっと噛んで、緊張して鍵盤に向かうアユコの事を、T先生はちゃんと見ていてくださったのだな。
生真面目で自分に課せられた事はきっちりとこなそうと肩肘張って頑張っているアユコに、歌うようにおおらかに楽しむ事を教えてくださったT先生の言葉が身に染みて嬉しかった。 演奏を終えて、ホッとした表情でたちあがるアユコの笑顔が愛しくて涙が出そうになった。
中学校参観と学年懇談。 授業参観は、授業。 入学当初から見ると二周りほども図体がでかくなった中学生達が、まるでスズメの学校のように野太い声をそろえて卒業式の合唱の練習をしている様はまだまだ可愛いらしくて、ホッとしたりする。 ホントなら中学生にもなると、音楽の授業ともなれば大きな声で歌うのを恥ずかしがったり、いきがって体をよじらせたりしていそうなものだけれど・・・。
参観後の懇談は、そろそろ今後の進路指導のこと。 来年度のテストの日程や進路相談、受験の大まかなスケジュールなどについて、お話を聞く。 オニイもいよいよ受験生。どうなるもんかなぁと思う。 「地元の公立校に何とか滑り込んでもらえれば・・・」とのんきに構えてはいたけれど、それも実際目の前のことになってくるといろいろ考える事も多い。 「かあさん、そろそろ勉強、頑張る事にするわ。」 と最近、何度も何度も気合をかけなおしては、空振りに終わっているオニイの一年先の戦いぶりを思い浮かべて、深いため息。 全くもう、どうなるもんだかなぁ。
「オニイ、君は将来何になりたい?」 幼い頃から何度もきかれた問いに、近頃オニイははっきりと「父さんの後を継ぎたい」というようになってきた。窯元の長男として周囲からは「跡継ぎさん」という言葉を何度もかけられて育ってきたオニイ。出来る事なら、いろんな職業をたくさん見て自分の能力を見定めたうえで進路を選ばせてやりたいという思いで、「跡を継ぐ」という事はあまり意識させないように育ててきたつもりだった。 それでもやはり、心優しいオニイは周囲の期待や父母の本音を敏感に感じているのだろう。 「小さい頃から、父さんたちの仕事を見て育ったからね。」 その答えはまさしく父や母が期待する嬉しい答えではあるのだけれど、 「他の職業は思いつかないんだ。」 というオニイの決然とした口調が、なんだか痛々しく感じたりもする。 同年代の少年達の多くが、将来の職業に荒唐無稽の夢を抱いたり、ぼんやりと漠然とした明日を夢見ているだろうになぁ。
まだまだ自分の行く末をたった一つの限定しないで、 自分の好きな事、やりがいのある仕事、実現しそうにもない壮大な夢をたくさん追いかけていて欲しいなぁと思う心。 父さんのあとについて、窯元としての将来に役立つ技術や経験を一日も早く積んでいってもらいたいと思う心。 あとに続くゲンの将来の事とも絡んで、我が家の進路選択の道は偏差値や内申書の点数では量れない悩みがいろいろ多い。 父と母の気持ちは千々に乱れる。
ゲンがオニイの新しい眼鏡を壊した。 兄弟げんかの最中、何かの弾みで壊したのだという。 ちょうど眼鏡が鼻に当たる部分の金具がぽきりと折れて取れてしまった。
オニイが体育の時間サッカーのボールが当たって壊れたという眼鏡を、急ごしらえで新調したのはつい十日ほど前。 どうせすぐに壊すか度が変わって買い換えなければならないのだからと、店員の勧める「形状記憶」フレームだの薄型レンズだののオプションを全て断って、とりあえず「安い、早い」を基準に選んだ眼鏡だった。 だからといって、何もたった十日で壊さなくてもいいじゃないの。 アユコ、アプコの入学準備や何やかやで特別な出費の続くこの時期に、これは少々痛い。 オニイもゲンに腹を立てながらも、父母に対しては申し訳なさそうにシュンとしている。 ゲンもケンカの勢いでつい手が出てしまった自分の短気をただただ反省。 プリプリ怒る母を尻目に、父さんが瞬間接着剤やら半田ごてやらを持ち出して壊れた眼鏡の応急処置を試みる。 折れたのは鼻宛を支える細い金具で、器用な父さんがいろいろ苦心して繋いでは見たが、多分それほど持たないだろう。 諦めてもう一度新調するか。 オニイもゲンも、男の子にしてはおとなしい方で、取っ組み合いのけんかも怪我をするほどの殴りあいもついぞ見たことはない。 たまには眼鏡を壊す程度の兄弟喧嘩も、仕方がない事なのか。
で、喧嘩の原因がなんだったのか、聞くのを忘れた。 もしかしたら本人達も、何が原因だったか忘れているのかもしれない。 兄弟げんかというのは大体そんなもんだ。 それにしてもたった十日で早世してしまったオニイの眼鏡。 嗚呼!<
先日来、風邪をこじらせていたひいばあちゃんが、ようやく食事などに起きてこられるようになって来た。少しずつ普通の食事を食べられるようになって、まずは一安心。 若い者なら突発的な高熱からの快復期には、本来の体力が戻ってくる昂揚感とか気持ちの良い食欲とか、妙に明るい爽快感があるのだけれど、高齢のひいばあちゃんにはそういう湧き上がるような回復力はない。 ほんの数日の病床から、ゆっくりとじわじわと元の生活を取り戻していく。 百歳に近い年齢を重ねるという事はそういうことだ。
発熱以来、ひいばあちゃんの言動が少しおかしかったりする。 時間の感覚がおかしかったり、昔の話を今の話と取り紛れていたり・・・。 よく、老人が病気や怪我で入院したり環境が変わったりすると、一時的にボケが始まったり急に体が衰えたりするというが、多分そんなものなのだろう。 今日、義父と義兄が熱の後遺症を心配して、ひいばあちゃんを大きな病院での検査に連れ出したが、特別治療を要するものではないらしい。 前頭葉のどこやらに衰えている部分が見られるものの、ひいばあちゃんの高齢を考えればそれも当然のこと。 人は年齢を重ねるに連れ、体や脳の機能を少しずつ少しずつ削り落として眠らせていくのだ。手足の力が衰え、眼や耳の機能が衰え、記憶や思考の能力が衰えていく。 ひいばあちゃんの脳の一部が、肉体よりさきに少しずつ眠りについていくのは当たり前の道筋なのだ。 ひいばあちゃんの体の穏やかな衰えは、悲しい事だが人間の静かな最後の生の営みとして、少しずつ受け入れていかなければならないものなのだろう。
ひいばあちゃんは私がこの家にお嫁に来たときから既に充分おばあちゃんだったので、一緒に住んでいる義父や義母たちと比べても格別に年齢による急激な衰えを感じる事も少なかった。 いつも気の向いた時間に仕事場に入り、自分の仕事をこつこつとこなし、くたびれたら居間で好きなお相撲の番組を見て、時にはうつらうつらと居眠っておられる。その穏やかな生活ぶりは、十年前も、もしかしたら十年先も変わらないのではないかというような錯覚に陥る事もある。 さすがにいつも一緒に生活している義父たちやともに仕事をする父さんたちに、聴力が衰えたり仕事の手わざが衰えたりという確実な老いの進行を日々実感することもあるようだ。 我が家の子ども達が日に日に大きく強く賢くなり少しずつ大人になっていくのと同じように、年老いた人たちもまた体の中の余分な灯りを一つずつ吹き消しながら坂を下っていかれるのだろう。 うろたえる事もなく、あらがう事もなく、淡々といつもの生活を続けながら、静かに老いていかれるひいばあちゃんの今日をまぶしく感じる。
私がこの人から今のうちに学んでおかなければならないもの、教えて置いていただかなければならないもの、そして私からこの人へ伝えておかなければいけないものがまだまだたくさんあるのだ。 まだまだたったか走れる力があるのに、なかなかひいばあちゃんの緩やかな歩みに心を沿わせて歩くことが出来ない。 もどかしさに心が騒ぐ。<
昨日の事。 昼間アプコとぼんやりワイドショーを見ていたら、「この人、知ってるよ。」とアプコが指差す。 まっ黄色の髪のあの方が、人生相談の番組に出ている。 「このおばさん、面白いから好きよ。」 アプコの趣味はちょっと変わっている。 氷川きよし、卓球の愛ちゃん、パパイヤ鈴木、ヨン様、そして三輪明宏。 ただ単に、外見がちょっと目立って他と判別しやすい人物を好きだといってるだけなのかなぁとは思うのだけれど、同じ毒舌系の人生相談と派手な衣装で有名な○木○子さんは好きじゃないというのでまんざらそうとばかりもいえないかもしれない。 でもねぇ、アプコ、その人、おばさんじゃありませんから。 ああ見えてもおじさんよ、あの人は・・・。 残念!
「○○界のご意見番」とか「カリスマ○○」とか、そういう人が嵩に懸かって誰かの悩み事を頭ごなしに叱り付けたり、近所のおせっかいばあさんのような説教をしたり、挙句に気まぐれな改名を命じたりしているTVの人生相談ってなんだか気持ち悪い。 歯に衣着せぬ毒舌と一見正論とも思えるアドバイスで相談者を追い詰め、霊感だか豊かな人生経験だかを盾にして、「アンタの事を思って言ってるのよ。」と手痛いアドアイスを吐く。 そういうスタイルの番組が結構視聴者受けがいいようで、年配の人たちですら「口は悪いが、なかなか正論を言ってる」と評価もあるようだ。 いくら深刻な悩み事を相談するとはいえ、初対面の事情を知らない第三者に、公共の電波に乗せてそこまで辛らつに叱られたくないわと私なんぞは思うのだけれど、はっきりと物の言える人にしっかり本音で叱られたいと思う人も多いのだろうか。
と、言うわけで、昨日のワイドショーもそれほど熱心に見るでもなくでもなく、何となく家事の傍ら小耳に挟んでいたのだけれど・・・。 引きこもりがちな娘との関係を何とかしたいという過干渉な母親。 「娘さんは娘さんの人生を生きているのだから、貴女のお人形じゃないのよ」と諭す口ぶりは穏やかで、「いいお母さんになりたかったのに・・・」という母親の本音を上手に引き出していく。 さすがにうまいなぁと感心していたら、最後に 「さ、それで貴女はこれからどうしていくんですか。」 と彼は相談者に宣った。
誰かが誰かに悩み事を相談するとき、その答えは本当はその悩んでいる本人の心の中に既にある。 そういうことが多い。 優れた人生相談という奴は、高い所からご託宣のように厳しい答えを投げ与えるものではなく、相談者の胸のうちにある自前の回答を上手に引き出してやる事だ。 後で思えば、最後に相談者の決意を引き出すスタイルは、彼の人生相談の定石パターンなのだろう。けれどもそこには、誰もが自分の内側に持ちあわせている問題解決の能力に対する彼の穏やかな信頼が感じられる。 「それで君はこれからどうしようと思うの?」 こういう問いかけ方が、誰かの決意を後押しする力になることもある。 よく覚えておきたい。
ここ数日の雨で、室内に生乾きのまま溜まった洗濯物。 今日は久しぶりの晴天でぽかぽか陽気だと天気予報が言うので、張り切って戸外に干すつもりで洗濯機を回してから、子ども達を送りに出た。 父さんは義兄と一緒に信州へ日帰り出張で、昼間は帰ってこないので「今日はしっかり家事をやっつけるぞ。」と思っていたら、父さんの携帯から電話。 「ひいばあちゃんの調子が悪いらしい。 何度呼んでも起きてこないというから、急いで様子を見に行って来て。 状況によっては救急車を呼ぶように。」 出先の車中から工房に電話して、義母から訴えを聞いたが、どうも様子がわからないらしい。あわてて、掃除機を投げ出して工房へ向かう。 いつも元気なひいばあちゃんも御年97歳。 普段達者なだけに、何かあって呼ばれると胸がドキドキする。 「いつかは必ず、その日が突然にやってくる。」 考えないようにしているその事が、いやでも頭に浮かんで苦しくなる。
結局ひいばあちゃんの不調は先日来の風邪で、義母が呼んでも熟睡していてなかなか目覚めなかったという事だったらしい。 義父がすすめた吸い口のお茶を一口二口飲み、ちゃんと受け答えもはっきりしていらしたので、まずは一安心。 「大丈夫そうよ。ちゃんとお話してはるし、お義父さんが何度も様子を見に行って下さるから。」と、折り返し父さんに電話して、へなへなと力が抜けた。 父さんや義兄のいない時には、従業員の人たちがいてくださるとは言うものの、実質義父、義母、ひいばあちゃんの老人世帯になる。三人とも日頃は元気に立ち働いておられるので、何と言う事はないのだけれど、ひとたび誰かが不調になると、心配の種は尽きない。 家事の合間にたびたび工房の様子を見にはいくものの、今日のようなことがあると、私だけでは判断のつかないことや、どう対処していいのかわからないことばかりで、うろたえてしまう。 高齢の人とともに暮らすということは、いつもそういう不安を心のどこかに潜ませて過ごすという事だ。 今は健在な義父と義母が、一手に抱えてくださっているけれど、徐々に、義兄が父さんがそして私が、その不安を引き受けていかなければならないときが来る。 着実にその日は近づいているのだという事を、改めて実に染みて感じる事件だった。
「さてさて、洗濯物を・・・」 と、洗濯機の蓋を開けたら、また工房から電話。 月参りのお寺さんが見えたという。 あわてて、我が家のお位牌をかかえて、工房へとんぼ返り。 お経を挙げてくださっているお坊さんの脇から、「遅刻しました!」とささやいて、次女の小さなお位牌をお仏壇の隅に加えさせていただく。 義母は、「お仏花をあげてなかった。」とあわてて、冬枯れで花のない庭へ花鋏を持って出て行ってしまう。 義父は、いつもお渡しする御回向料のお包み用のお札の算段をなさる。 黙々とお経を読まれるお寺さんの後ろで、バタバタとお茶の用意をしたり、お懐紙を探したり。 月に一度決まった日においでになる月参りなのに、いつでも「ありゃ、大変!」とお寺さんの姿を見てからあわてて支度をする事も多くて、笑ってしまう。いつもなら皆が右往左往している時にも、ひいばあちゃんがおっとりとお寺さんの後ろに座っていてくださって、お仏壇周りの支度も何かと指示して下さるので、こんなにバタバタすることはないのだなぁと思う。 いつもちんまりとテレビの近くの席に座り、仕事の合間にうつらうつら居眠っておられるひいばあちゃんの存在が、まだまだこのうちの中では大事な柱の一つになっているのだなぁと改めて思う。
お寺さんを見送って、ふたたびうちへ帰ってくるともうお昼前。 いつのまにか、朝のうちの濃い霧が引いて、天気予報の予言どおりぽかぽか陽気になっている。 ホントならこんな好天気に溜まった洗濯物を干し損ねたら、なんだかとっても大損をした気分になって、慌てて干し物を始めるのだけれど、朝から2連チャンの大騒ぎにホッとしてついつい作業の手が止まる。 雨上がりのキラキラ光る木々の梢を眺め、暖かな日差しに胸を張る。 再び戻ってきた穏やかな日常の一こま。 「いつかくるその日」の不安を晴らすように、パンパンと洗い立てのジーンズの膝を叩いた。
朝から雨。 赤い傘をさして、アプコがピョンピョンと水溜りを飛び越えていく。 まだ、片手で自分の傘を支える事は出来なくて、両方の手で優勝旗を掲げ持つように傘をさす。 足元の水溜りに気が散ると傘をさす手の方がお留守になって、いつの間にかフェルトの帽子が霧のような雨に濡れる。 「アプコ―、濡れてるよ。」 今日は珍しく、ゲンがついつい遅れがちになるアプコを促す。 この春、班長さんのアユコが卒業したら、今度は5年生のゲンが班長さんになって新入生のアプコの手を引いてこの坂道を登校していくことになる。 いつもは些細な事でアプコを怒らせたり、本気で口げんかをしたりするゲンだけれど、彼なりに幼い妹の危なっかしい歩みを気遣う兄らしい所もあるのだなぁと気付く。
「昨日ね、ここの水路に落ち葉がいっぱい溜まってね、うちの前の道路に大雨の時みたいにざーざー、水が流れて大変だったんだよ。」 アプコとゲンに昨日の昼間の大騒ぎの話をする。 うちの前を流れる小さな水路は、山から下の田畑に水を引き込む、大切な用水路。いつも綺麗な水がさわさわと途切れることなく流れているが、この季節になると山の落ち葉や風で折れた木々の枝が詰まって時々、流れが止まる。 昨日は、うちより少し上手のTさんのおうちの前で木の葉の堰が出来て、そこから道路にあふれ出た水の流れが我が家の前の谷側の排水溝に向かって滝の様に流れ出していたのだ。 「水利組合の人たちに来てもらわなくっちゃね。」 と文句を言いながら、近所の方たちと一緒に水路の落ち葉や木の枝を掬い上げ、なんとか流れを元にもどしたものの、一緒に流れ出た土砂や木の葉で道路は汚れたままだった。 Tさんは一人暮らしのお年寄り。 昨年秋から施設に入られて、ずっとお留守だ。いつもふらふらと近所を歩き回り、よそお庭をのぞいているだのどこかの飼い犬に石を投げただの、いろいろ問題があっての施設入所だった。 日がな一日、話し相手も無くぶらぶら時間つぶしをしていたTさんが、時には慰みに水路に留まった木の葉のよどみを突付いたり、流れのそばの木の枝を拾って傍らに寄せておいたりすることもあったのだろう。 もしかしたら、そんな老人のたわいない手慰みが、山の水路の穏やかな弛みない流れを支えている事もあったのかもしれないなぁと思ったりもする。 「水がいっぱい流れてきて、トッポちゃん大丈夫だった?」 アプコが思い出したように我が家の愛車トッポの心配をする。 「水がざーざーといっぱい流れてきて大変だったよ。」という私の言葉をきいて、アプコの頭の中に浮かんだのはもしかしたら、TVで最近よく目にする津波や洪水の映像だったのかもしれない。 小さな水路からあふれ出た水の流れと大災害の濁流を重ねてしまうのは、幼いアプコの豊かな想像力のなせる業だなぁと思う。
「おかあさん、怖い!」 バス停のすぐそばの通りに出て、急にアプコが立ち止まった。 雨が小降りになって傘を閉じると、鏡のように静かになった水溜りの表面に木々の梢や電線の影がくっきりと映る。 さっきまでピョンピョンと飛び越して遊んでいた水溜りに写る空に気が付いて、急に怖くなったのだという。 「だって、落ちそうなんだもん!」 水面にゆらゆらゆれるまやかしの空に、ぴょーんと飛び込んだら一体どこへ落ちていくのかな。 なんでもない水溜りが急に怖くなった自分が可笑しくて、アプコはケラケラ笑い出すけれど、そのくせその手はいつもよりぎゅっと強く私の手を握っていたりする。 小さいその手のぬくもりが、いつもよりひときわ愛しくて、なんだかとても嬉しかった。
節分。 アプコは幼稚園で福豆の小袋と鬼のお面、そしてなぜか例年さくらんぼの味のキャンデーをもらってくる。 「今年は誰が鬼になってくれるのかなぁ。お父さん、おうちにいる?今年はおにいちゃんがやってくれるのかなぁ?」 幼いアプコはまだまだ豆まきが楽しみなお年頃。 家でも福豆の包みと丸かぶり用の巻き寿司をしっかり買い揃えて、準備万端整えてある。 あらかじめそれぞれの家族の数え年分の豆を、新しい懐紙に一人分ずつ包んでお供えする。子ども達がはしゃいで投げる分の豆もたくさん要るけれど、最初にとっておく数え年分の豆の数も結構な量になる。ことに、おじいちゃんおばあちゃんひいばあちゃん、3人分だけでも小さな小袋一つ分だけでは足りなくなったりする。 福豆はおばあちゃんちの分も含めると、全部で5袋も買った。 「ひいばあちゃん、いっぱい豆が食べられていいねぇ。」 アプコは普段いり豆なんて見向きもしないくせに、小さな懐紙からこぼれんばかりのひいばあちゃんの福豆の数をうらやむ。 「すごいね、父さんの豆と母さんの豆、二つ合わせたよりひいばあちゃんの豆の方が多いよ。ひいばあちゃん、長生きだね。」 ほんとにほんとに嬉しい事。
節分だからというわけではないけれど、食品庫の奥で眠っていた一握りの大豆を圧力鍋で煮る。 以前「もらい物だけど、料理したことないから・・・」という友達から貰い受けて来たものの、私自身も普段は水煮の大豆を愛用していて乾豆を煮た経験はほとんどない。なんとなく億劫な気がしていたのだけれど、この間から玄米ご飯を炊くようになって圧力鍋が少し身近になったこともあって、思い立って大豆をたっぷりの水につけた。 にんじん椎茸こんにゃくを細かく刻み、細切りの昆布とともに甘めに煮る。 ぱらぱらと硬い大豆が、見る間にふっくらと水を含み、こっくりと甘い煮豆に仕上がっていく過程がなんともふしぎで楽しい。 この間の玄米といい、今日の大豆といい、硬くて小さな穀物の粒の中に豊かな滋養と自然の甘みがひっそり眠っている、昔ながらの常備食のもつひそかなパワーに感嘆する。
夕餉の頃、ここ数日体調を崩した義母の為に煮あがった豆を小鉢によそってアプコとゲンに届けさせる。 「ひいばあちゃんに渡したらかえっておいで。うちもすぐに晩御飯だからね。」といったのに、なんだかなかなか帰ってこない。しばらくして息を弾ませて走って帰ってきたアプコに聞くと、「お豆の数を数えていたの」という。 煮豆の受け取ったひいばあちゃんが、「今年の節分の数え年の豆は、やわらかい煮豆にするわ。」といって、煮豆の鉢から99個の煮豆を数えて小鉢に取り分けて下さったのだそうだ。 子ども達の目の前で、一粒一粒箸でつまんで煮豆の数を数えてくださったひいばあちゃんの心遣いが、ほこほことやわらかく暖かい。
「鬼は外!」「鬼は外!」 アプコとゲンが鬼の面をつけた父さんを追う。 きゃぁきゃあと騒ぐ弟妹達を、オニイとアユコが余裕の表情で見守っている。 「『鬼は外』ばっかり言わないで、ちゃんと『福は内』もやっといてね。」 用意した福豆はあっという間に空になった。 家族揃って暖かな食卓を囲む。 我が家の福は確かにここにある。 沈黙の掟を守って、皆でくすくす笑いながら巻き寿司をかじった。
夜中一人でPCに向かっていると、傍らで眠っている父さんが寝言を言う。 昨日に続いて。二日連続だ。 昨晩はやけにはっきりした声で、「おかあさん、おかあさん」と私を呼んだ。母親を呼んでいるのではない。確かに私のことを呼んでいるはっきりした口調だった。寝言に応えてはいけないと聞くので、黙って聞き流してはいたけれど、あんまりはっきりと大きな声で呼ぶので、ビックリした。 今夜はなんだかお経でも読むような、長い長い呟きが続いた。 意味のある言葉は聞き取れないが、何かとってもイライラと怒っているらしい。途中で起こそうかとも思ったけれど、そのうち大きな寝返りを一つして、呟きは急におしまいになった。 後から父さんにきいてみると、一日目はどんな夢を見ていたのか全く思い出さない。二日目は確かに、教室の仕事をしていて思わぬトラブルが発生して困っている夢を見ていたのだという。 夢の中でまでお仕事をしているなんて、本当に仕事熱心なことと呆れ半分で父さんと笑う。 仕事のこと、家族のこと、作品のこと。 毎日毎日、タイマー片手にあちこち奔走する父さんは51歳。 「働き盛りの中高年」という奴だなぁ。いろいろしんどい事や悩み事を抱えて頑張っている父さんの丸まった背中がやけにいとおしく感じたりする。
そういえば昔、父の寝言を聞いた事がある。 大学生の頃、父の単身赴任先の東京のマンションに遊びに行った夜のこと。ワンルームの部屋で隣に寝ていた父が、明け方突然「うぉーっ!うぉーっ!」となんどもなんども吠えたのだ。それもとても父の声とは思えない獣のような甲高い声で。 横にいた私が怖くなって父を揺り起こすまで、父の遠吠えは続いた。 後できくと、猿がいっぱいやって来るので、それを威嚇して追い払うために大きな声を出している夢を見ていたのだという。 どうやら父がその夢を見るのはそのときが初めてではなくて、母に訊くと「うん、それ、何度か聞いたことあるよ。そのときも猿が来たって言ってたわ。」という。 厳格でいつも自信満々に人生を歩んでいるふうに見えていた父の隠れた一面を垣間見たようで、ショックを受けたのを思い出す。 思えばあの頃、父はちょうど今の夫と同じ年頃ではなかったか。 家族を守り、忙しく仕事に奔走し、単身赴任先での不自由な生活にもささやかな楽しみを見つけ、健康を保つためにジョギングを欠かさなかった。勢力的な壮年期を過ごしているように見えた父にも、ひたひたと迫ってくる猿の群れのような、不安やイライラや逼迫感があったのだろうか。 「夜中に突然、お父さんが『うぉーっ!うおーっ!』って吠えるんだもん。ホント、怖かったよ」と若い私は父の寝言をいつまでも笑い話のように弟達に話したけれど、母はいつも「お父さんにもいろいろ想うことがあるのよ」とそのことはあまり話題にしたがらなかった。 働き盛りの坂道をスピードも緩めずに駆け上っていこうとする夫の姿を、なかば頼もしく、なかば心配しながら、母は見つめていたのだろう。 わが夫の寝言をすぐかたわらで聞くこの年になって、初めてあの日の母の心持の一端に触れた気がする。
近頃父さんは独り言も多い。 二人でたわいもない話をしている最中に、突然独り言モードになって何か考え込んでいたりする。仕事の段取り、明日の予定、作品のアイディア。父さんの頭の中には、いつもいつも、たくさんの懸案事項がぐるぐると巡っている。 「そこからは独り言?アタシは返事しなくてもいいんよね?」 と断って、父さんを独り言の世界へ解放する。「ああ、悪い悪い。」と言いながら、父さんの意識は自らの内へ向かう。さっきまで下らない談笑をしていた私の存在が、ぐっとかすんで父さんの視界の外に遠くなっているのがよくわかる。 いつもいつもそばにいて、空気のようになじんだ存在になっている父さんの中に、私の知らない「男」がいる。 父さんの寝言に黙って耳を澄ます私には、そのことが少しまぶしくもあり、少し怖かったりもする。わが身の半身のようでありながら、たくさんの謎を抱く夫の寝顔を、時々じっと眺めてみる。
久しぶりに七宝の教室へ出かける。 お昼前に京阪の駅を出て、地下鉄一駅分を歩く。ランチタイムのオフィス街にはあちこちに小さなワゴンやピクニックテーブルで安価なお弁当を売る出店が出ていて、OLさんやサラリーマンのおじさんたちが忙しくお手軽なランチの包みを買っていく。 都会のOL経験のない田舎の専業主婦も、月に一、二度、先生のお宅へ伺うたび、物珍しさでオフィスランチのお相伴をする。 から揚げやハンバーグなどのお弁当定番メニューのほかに、煮物や和え物など家庭のお惣菜っぽいおかずも目に付く。ふりかけや味噌汁などのおまけがつく店もあれば、暖かい缶のお茶をサービスしてくれる店もあったりする。 今日はいつも立ち寄るなじみの角のワゴンのおばさんの店が、顔色の悪い青年のワゴンに変わっていて、立ち寄ってみるとお店の名前も違うようだ。ランチタイムの数時間が勝負のお弁当屋さんたちも、これだけ店が多いと競争も激しいのだろう。 「ご飯は、かやくごはんか、玄米ご飯にも出来ますが・・・」 私の前に値段の安いほうのお弁当を選んだサラリーマンのおじさんは、迷わず「玄米!」とだけ答えて、小銭を払って去っていった。健康が気になるお年頃なんだろうなぁ。 冷たい風に背中を丸めて店番をする青年は、物憂げな動作で顔色が悪い。 ねぇねぇ、若いんだから、もうちょっと元気な声だしな。君こそ、玄米ご飯、食べた方が良いよ。
先生のお宅にはいつも4,5人の生徒が、思い思いの時間にやってくる。 いつも朝から昼過ぎまで精勤に通ってくるのがYさん。昼前にたどり着くのが私。午後から、ぱらぱらやってくる方が2,3人。 Yさんは、70代のおばあさん。 以前は足の悪いご主人の手を引いて、バスと電車を乗り継いで通ってきておられたが、最近ではご主人の老化が進み、歩行もどんどん困難になってきたので、地域のデイサービスにご主人を預けてこられるようになった。 「おとうちゃんの迎えがあるから、3時にはここを出にゃいかんのですわ。」 と、終始あたふたしながら怒涛のように作品を仕上げていかれる。 ちょうど幼稚園の迎えの時間を気にする私と急ぎ方が一緒なので、笑ってしまう。
Yさんは10歳違いのご主人と二人暮し。 昔は結構厳格な気難しい旦那さんだったのだという。 「いまじゃ、まだらボケって言うんですかねぇ。時々思いがけん変なことを言い出しおるんですよ。今朝なんかね、起き抜けに『じんりょく・・・』ですよ。何に尽力しとるんですかねぇ。何べん聞いても『じんりょく』って呟いて、『それ、なんね?』と聞いても応えよらんのです。そのくせ、『今の総理大臣の名前はなんじゃったっけね』なんて聞くと、『小泉・・・』って応えよるんです。判ってるんだか判ってないんだか・・・。」 Yさんは夫の衰え振りを愚痴るときにもケラケラとよく笑う。 そしてお稽古の数時間の間、何かしらひっきりなしにお喋りをなさる。 ご近所の放蕩息子の話、デイサービスで出会った老人の愚痴話、訪問販売に来て3時間も話し込んでいった若者の話・・・。 なんだか追い立てられるように次から次から新しい話題が飛び出す。 私も含め、他の生徒さん達は仕事の手を動かしながら、Yさんの機関銃のように繰り出す話題に耳を傾け、一緒に笑う。 「Yさんはね、おうちじゃ、お話し相手はだんな様だけですからね、ここへ来たときくらいたくさんおしゃべりがしたいのでしょう。」 Yさんのいないところで、先生は穏やかに笑って言われる。 長年患ったお姑さんを看取られ、十年ほど前にご主人を亡くされたご高齢の先生は、老い衰えていく夫を老老介護でお世話するYさんの姿をどんな風に感じておられるのだろう。 「みんなそうやって年取っていくんですから、手がかかるのもしょうがないですよ。あんなボケたおとうちゃんでもいなくなりゃ、アタシは一人ですから・・・。」とYさんは言う。 老いというのはさびしい。 わが身の老いも辛いけれど、長年連れ添った伴侶が少しづつ老い衰え、子どもに戻って行くのを黙ってお世話していくのも辛かろう。 それでも、互いの老いをからりと笑い話にして、たくましく今日を生きている老人達の静かな底力に心打たれる。
「尽力」 この言葉を、ボケとも達観ともつかぬ目覚めの一言に呟く老人の若き日の生き様に想いをめぐらすと、今の私の生活と老いの日の私を思って、しゃんと背筋を伸ばさねばならぬ気がする。
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