月の輪通信 日々の想い
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朝、寝坊の子どもたちを放置して、朝食の支度をしていると、父さんが仕事場から慌てて飛んで帰ってきて、今すぐ駅まで車で送って欲しいという。今朝は早めに出かけると聞いてはいたけれど、早朝からぎりぎりまで工房で仕事をしていて遅くなってしまったのだ。バタバタと汚れた仕事着を着替え、身支度をする父さん。 「あ、朝ごはんは?」 「食べる時間ない!それよりトッポのエンジンかけてきて・・・。」 送迎用のおんぼろトッポはこのごろバッテリーが不調。こんな寒い朝に一発でエンジンがかかるかどうか、ドキドキものだ。 毎度毎度済まないねぇと猫なで声でご機嫌をとりながら、エンジンキーを回す。ブルンブルンと不機嫌そうに唸りを上げるトッポ。フロントガラスもリアウインドも凍りついた霜で真っ白だ。ぬるま湯をかけて溶かしても、解けたそばから、ピキピキと凍り付いていく。寒いなぁ。
ふと思いついて、お皿に炊きたてのご飯を盛り昨晩の夕食のドライカレーをかけてレンジでチン。スプーンとペットボトルのお茶を引っつかんで、トッポに持ち込んだ。 駅までの道のりは車で10分弱。あわただしい時間だけれど、その間に父さんは朝食が取れるだろう。 「車の中でカレーって、どうよ。」 といいながら、乗り込んできた父さんがカチャカチャとカレーを食べる。 車中に充満するカレーの香り。途中、ウォーキング中のご近所の人に見つからないように、背中をかがめてスプーンを動かす父さんの様子がおかしくて、運転しながらひとしきり笑わせてもらった。
昨日今日と、父さんは古い窯業の歴史や窯跡発掘に関するシンポジウムの講義を聴講するため、隣県の大学へ出かけていくのだ。 正月明け、年末からおしている工房の仕事の段取りをつけ、ぎりぎりいっぱいの忙しさの中、あえて学ぶために出かけていく父さん。プロとしてある程度自分自身の仕事を確立し日々充実していくさなか、それでもなお新しいことを学ぶ機会を取り逃がさず、あわただしく出かけていく父さんの心意気を偉いなぁと思う。 いくつになっても、どんなに普段の生活が当たり前に過ぎていっても、時にはうんと気合を入れて、新しいことをがっちり学んでくる機会を持つという事は大事な事だ。 車の中でカレーをほおばる父さんは、授業に遅刻して慌てる学生のようでなんともさえない姿だけれど、こういうなりふり構わない探究心がこの人の一番の魅力なのだと思ったりする。
駅のロータリーで父さんをおろす。 「大事な講義で居眠りしないでね。」 と、憎まれ口で送り出す。 ヒョイと手を上げ、改札へ向かう父さんを横目で見送る。 帰りの車中、ダッシュボードに乗せたカレー皿の中でスプーンがカチャカチャ鳴って可笑しかった。
新しいことを学ぶ努力。 それはきっと平凡な主婦の日常にも、きっといくらか必要なこと。 今年も何か、新しいことを始めよう。 遅ればせながら、今年の抱負。
一月早々の京都での展覧会の案内状の発送作業が始まった。 義兄が事務所のパソコンで封筒に宛名を印刷し、その封筒に2種類のパンフレットを組み入れて、封をし、切手を貼る。 封筒詰め以降の作業はいつも女達の内職作業。義母やひいばあちゃんは居間のテーブルを封筒だらけにして数百通のダイレクトメール作りをせっせと行う。 これといって考える事もない単純作業ではあるが、手際よく封入する手順とか、入れ間違いを失くすための確認の方法とかシート状の切手を綺麗に切り離す裏技とか、長年の作業で培った小さなコツや要領がいろいろあったりして作業自体は結構楽しい。
今回はちょうどアユコが冬休みでひまそうにタラタラしているので、「これはいい」と、臨時要員に動員してみる。 封筒やパンフレットの束をドンと我が家の居間に持ち込み、コタツの上を片付けて作業をはじめた。もともと手先も器用で、几帳面なアユコはちょいちょいと教えた手順をすぐに覚えて、けっこう手早く封筒詰めをこなしていく。 「わたし、こういう仕事って結構好き。こういう作業が出来る職業ないかなぁ。」というアユコ。 「そうだねぇ、アルバイトではありそうだね。内職仕事では、こういうの、いっぱいありそうだけど、そんなに儲からないかもね。」と笑う。 「おかあさんはこういう作業、好き?」 「う〜ん、実は好きなんだな。頭使わずにせっせと手だけ動かして、仕事が終わったら、仕上げた封筒の数でその日やった仕事の量がひと目で分かる、そういう仕事って結構好きかもしれない。」 「じゃ、将来はお母さんと一緒に内職仕事でもするかな。」 「はぁ?それでいいの?」 アユコのささやかな就職希望に笑ってしまう。
将来の職業を選ぶというとき、クリエイティブな仕事がしたいとか、自分の特技を生かせる仕事がしたいとか、普通はそういう夢を見るけれど、実際の世の中の仕事というもののなかには、必ずしも自分らしさを主張したりその作業自体に意味を感じたりする事のない単純作業の繰り返しの仕事がたくさんある。 自分らしさを生かせる仕事こそ、やりがいのある「上等の」職業であるかのような思い込みが確かに私にもあるのだけれど、そういう仕事というのは本当は一部分で、かなりの部分は金銭的な報酬という対価を得るために機械的に行う、一見価値のない誰かの単純作業に負うところも多い。
封筒にパンフレットを入れて封をする。 そういう単純作業ですら、「こういう仕事って好き。」と喜んでやれれば、それはそれでちゃんと「上等な」仕事には違いない。 例えば我が家の窯元の仕事。 外から見れば、高価な茶道具や美しい作品がいつも表に出ているけれど、その影には工房での地味な土場仕事や荷造り梱包の仕事、経理や会計などの事務的な仕事がたくさんある。その仕事に携わる人の名前や個性はけっして外に出ることは無いけれど、生み出された作品が表に出て行くためにはなくてはならない瑣末な仕事がやまほどある。 そういう裏方の仕事の意味を意識して、「結構楽しいのよね。」と苦にせず楽しんでしまえる心持ちというのは、地味ではあるが貴重な事だ。 アユコの中にそういう堅実で強い仕事観が育っているという事がちょっと嬉しかったりする。
冬休みに入って、我が家の子ども達は家の中の家事を分担したり工房の仕事を手伝ったりして、結構よく働いてくれた。忙しく立ち働く父母や工房の人たちの様子を目の当たりに見て、「働く」ということについてそれぞれ、何かしら思うことも多かったようだ。 仕上がったダイレクトメールの封筒をまとめてトントンとそろえるアユコの手つきは、すっかり手馴れたものになった。 「明日は切手張りね。」 翌日の仕事の段取りを考える口ぶりも、ちょっと一人前の自信溢れる口調だ。 頼もしい助っ人の成長をありがたく思う。
工房の初出。 既に数日前から、皆に先立って父さんは年明け早々の展覧会の準備や、数物の注文品の制作のために通常の仕事の態勢に入っている。 主婦も腕まくりをして、年末や帰省で久しく滞っていた家事に取り掛かる。 うだうだゴロゴロのお正月もおしまいだ。
お寝坊の子ども達をたたき起こし、ハッパをかける。 「いつまでもコタツでごろごろしない! ゲームもおしまい! さっさと片付ける!」 「朝のうちに、習字、行って来ていいかな。」 空気を察したオニイが、いち早く避難を決め込んだ。 「あ、アタシ、習字の宿題できてない・・・」 タイミング悪く逃亡のタイミングを逃したアユコが、母のお説教のいけにえとなる。 こそこそと二階に上がり息を潜めるゲン。 起き抜けにいきなり通常モードに入った母に子どもらがあたふたと活動開始。 相変わらずアプコだけが、マイペースでパジャマのままうろちょろしていたりする。これもいつもの正月明け風景。
子どもの頃、お正月とかお盆休みとか長い休みが終わりに近づくと、いつも父のご機嫌が悪くなった。 いつまでも休み気分が抜けなくて、ダラダラと気を抜いた受け答えをしたり、生活態度がだらしなかったりすると、厳しく見咎めた父の雷が落ちる。 ひとたびつかまると、こんこんと長いお説教が続く。 毎度毎度のことながら、家の中にどよんと重苦しいい空気が漂って、息が詰まるような思いをしたものだった。 「あれは、お父さんが自分の休み気分を取り払って、お仕事の態勢に切り替えるための儀式みたいなものなのよ。」 父が出勤していった後、母はいつも笑って教えてくれた。 「たまらんなぁ。」 長い休みのたびに通過する父の低気圧が子ども心にも毎回憂鬱で、いろいろ逃げ場を探していたのを思い出す。
といいながら、母となり、子ども達のお休み気分をちゃっちゃと切り上げて通常モードに戻そうとイライラカリカリしている私がいる。 「なんだか誰かに似ているぞ。」 癇を立ててバタバタ掃除機をかけながら、わが身を振り返る。 溜まった洗濯物や散らかった部屋。 正月気分の名残の残る家の中の空気を、すっきり入れ替えて気分を一新したいのは私自身かも知れない。
久しぶりになじみのスーパーへ買い物に出る。 買ってきたのは、卵、牛乳など定番の食品。 夕食も焼き魚や味噌汁などの「茶色いご飯」にした。 年末からイベント続きだった食卓に、おだやかな通常モードのおばんざいをならべる。とんとんと冷たい大根を刻みながら、静かな当たり前の日常が戻ってくるのを感じる。 明朝は七草。 本当にお正月明けだ。
ゲンはメロンが大好物だ。 メロンと名のつくものなら、網目があるのもないのも、完熟のもまだ熟れが浅いのも大好きだ。 スーパーで時々買う網目のないお安い亜流のメロンでも、回転寿司で回ってくる薄くカットされたメロンでもいい。メロンソーダだって、メロンパンだって、メロンシャーベットだって大好きだ。 10歳の誕生日に「これからの夢は?」と聞かれて、「メロン丸ごと一個喰い!」と即答するほど、大好きだ。 目の前にメロンが出されると、ゲンの顔は嬉しそうにふにゃふにゃに緩む。そして、ずるずるしゃぷしゃぷと実に美味しそうに食べはじめ、向こう側が透けて見えそうなくらい、丹念に食い尽くす。 その至福の表情がなんとも可愛い。
今年、新年の帰省で一番のサプライズは、メロンだった。昨年秋の絵手紙の時にはメロンのおねだりを「かぼちゃはどうですか?」と、はぐらかされてちょっとがっかりだったゲンに、父がなんとまるまると立派なメロン(網目つき!)を3個も買っておいてくれたのだ。おまけに、一緒に帰省してきた大阪の弟まで、お土産にマスクメロンを持参。都合、4個の「最高級」メロンがゲンの目の前にならべられたのだ。 「この4個を、どんな風にして食べるかは、ゲン、お前に一任する。4個全部一人で食べてもよし。皆に分けて一緒に食べるのもよし。いつ、どんな状況で食べるかも、お前次第やで。」 父は面白そうにゲンに嬉しい難題を吹っかける。 ワクワク、ウルウルと4個のメロンを抱きかかえるゲン。 まさに王様の気分。
とりあえず一番熟れた一個をスパッと半分に切る。 その半球をお皿に載せ、「みんなも食べていいよ。」と言い残して、自分はそそくさとメロンにむしゃぶりつく。 残りの半分と2個目の半分を切り分けて、皆でお相伴。周りが8分の1の標準サイズのメロンを食べはじめた頃には、ゲンのメロンは既にあらかた実を食べつくして、綺麗なボール状になっている。 「はいはい、こういうものが欲しいんでしょ。」 と、ストローを用意してやると、待ってましたとばかり、残った果汁をちゅうちゅうと吸う。 お行儀悪い事、極まりないが、ゲンの顔の嬉しそうなこと。
「ゲンにもなぁ、自分が王様だぁと思える機会を作ってやらな、なぁ。」 と父が言う。 4人兄弟の3人目。 どうしても最初にライトの当たるオニイオネエや、末っ子姫のアプコと違い、どこかふらふらと脚光を浴びない所で気散じに居場所を見つけている観のあるゲンの事を、父は面白がって見ていてくれる。 この間の絵手紙の時には、珍しいゲンのおねだりをユーモアでさらりとかわしたくせに、やっぱり、ゲンがひがみはしないか、へこんではいないかと気遣ってくれていたのだろう。 4人兄弟という環境の中で、一人一人の子が「僕は王様」「私がお姫様」と思えるような特別な扱いを受ける何かしらの嬉しさを、父は時々運んでくれる。ありがたい。
1個のメロンがあれば、みんなに均等に分け与える。 我が家の子ども達は、小さい頃から分け合うことの大切さや楽しさをよく学んでいる。 けれども時には、持ちきれないほどの美味しいものを独り占めして、王様気分でむしゃむしゃ食べるのも楽しいものだ。 みんな一緒の仲良し兄弟にも、「僕が一番!」「私だけ特別!」の嬉しさはある。 そのこともよく知っているから、いつもなら一人だけいい目をしたり、ズルをしたりする事を厳しく糾弾するオニイやオネエも、メロンを独占して悦に入るゲンのことを、今日は咎めない。 「こいつ、ホンマに幸せそうな顔して喰いよるなぁ。」 と余裕の発言でニコニコと見守っている。
結局、2日間の帰省中には全部のメロンは消費し切れなかった。 「のこりはもってかえって喰うつもりやな。」と言われて、そそくさと自分でメロンのお持ち帰りの支度をする。 「忘れ物ないね。」 と確認していると、母が「ゲンちゃん、もう一個メロン残っているよ!」という。最初にお仏壇のひいばあちゃんにお供えしていた分のメロンの存在をゲンはすっかり忘れていたらしい。 「ゲンよ、お前は引き算があんまり得意でないのとちがうか。」 と父が笑う。 「ありゃりゃ」と慌てながらも、怯まずもう一個のメロンを帰り支度に加えるゲン。おじいちゃんおばあちゃんのために半分残していこうかという気遣いもさらさら浮かばないらしい。 そういう欲張りぶりも、今回に限り、可愛い。
帰宅後も、ゲンは一人で2個のメロンの配分を取り仕切っている。 と、いうより独り占め状態だ。 私も父さんも、ちびっこのアプコですら「ゲンのメロン」のお相伴をねだったりしない。ゲン一人が何度か半球状のメロンをしゃぶしゃぶと楽しんでいる。 ゲンの王様気分はまだまだ続く。
| 2005年01月01日(土) |
あけましておめでとう |
あけましておめでとうございます。 いつもお立ち寄りくださってありがとう。 今年もよろしくお願いいたします。
ここ数日、バタバタと工房の間を行き来し、年末仕事をやっつけて過ごした。従業員の人たちが揃って年末休みに入ったあと、工房での梱包発送や大掃除は家族だけでの作業になる。 今年も年末ぎりぎりまでもつれ込んだ干支作品の制作はとうとう、大晦日の窯詰めにもつれ込み、最後の一窯は年を越して元旦の窯だしの羽目になった。義兄や義父は、今年も近隣のお世話になったおうちに干支の置物や香合などを手に、ご挨拶に出かけていく。 私と義母もまた、最後の包装作業にいそしむ。包む。結ぶ。包む。結ぶ。 例年通りの気ぜわしい年末の風景。
今年初めて、釉薬がけの作業の手伝いに入ったオニイ。 自宅の窓拭きや工房の庭の落ち葉かきに超人的な働きをしたアユコ。 洗濯干しや買い物の荷物持ちなど、オニイやアユコと張り合うように家事を手伝ってくれたゲン。 尻尾のようにアユコの後ろをついてまわり、お掃除の助手をけなげに務めたアプコ。 今年の年末、我が家の子ども達は実によく働いた。 ただの子どものお手伝いではなく、ちゃんと一人の働き手として、役に立つ場面が少しずつ増えていく。 子ども達の成長振りが嬉しい。
大晦日の今日は、最後までやり残した自宅の障子の張替えを頼もうか。 それとも総動員で、工房の玄関や教室の大掃除をしてもらおうか。 その日の作業を思い浮かべながら雨戸を開けたら、雨だった。 あちゃー、予定が狂ったなと思っていたら、雨は見る見るうちに雪になった。 あれよあれよという間に雪は本降り。 びしゃびしゃと水っぽい雪ながら、しっかり数センチ積もって、工房の周りは一面の雪景色になった。 雪やこんこんの犬のごとく、ぴゅーっと外へ駆け出していくアプコとゲン。 「窓拭きとか拭き掃除とかしてもらおうかと思ってたけど、ダメだなぁ。雪には勝てんわ。」 数年ぶりにちゃんと降り積もった雪に狂喜して、キャアキャアと駆け回る子ども達。荷造りの合間に窓の外を見ると、ゲンとアプコが二人してエッサホイサと大きな雪の玉を拵えている。年齢が近いだけに普段しょっちゅう小さな摩擦の多い二人が、本当に仲良くそそくさと土木作業に取り組んでいる様がかわいらしくて、笑ってしまう。 忙中閑あり・・・。
忙しい、忙しい。 今年は冬休みが長いのだから、前半の年末はしっかりおうちの仕事や工房の手伝いにこき使うからね。 母の勝手な命令にけなげに答えて、頑張ってくれた子ども達。 最終日に突然降って沸いた雪景色は、「よく頑張りました」の小休止。 「冷たいねぇ。」 真っ赤になった小さなアプコの手をそっと握って暖める。 いろいろあったけど、今年も何とか暮れていく。 明日の朝はまた新しい一年のまっさらな一日目。
朝からアユコと習字の出かける。 いつもくっついていくアプコに加え、冬休みの宿題の書初めを抱えたゲンが合流。いつもはお稽古に通っていないゲンも年に一度、書初めの宿題のときだけ先生のTさんがご好意で一日講習で面倒を見て下さるのだ。 学校の授業の数時間の書写の時間でしか書道の基本を学んだ事のないゲンに、いきなり短時間で筆の持ち方から美しい右はらいの書き方まで指導してくださるのは大変な事だ。 お休みで他の生徒さん達が来ていなかったお蔭で、Tさんとゲンのほぼマンツーマンでの熱烈指導。 お蔭さまで早々に、立派な宿題が仕上がってゲンも大満足。 Tさん、ありがとう。
同じ書道の勉強でも、中学に入ってから突然「習いたい!」と自分から稽古に通い始めたオニイとゲンでは取り組み方がずいぶん違う。 筆の運びや文字の変化を教えてもらった理屈を噛み砕いてちゃんと理解してから自分の筆の動きに置き換えるオニイと、見たまんまのお手本の字を絵を書くように素直にまねようとするゲン。 その違いをほんの数分で読み取って、上手に指導してくれるTさん。 さすがにしっかり勉強して来た人というのは、それを学ぼうとする初心者の気質や指導の方針をちゃんと理解したうえで、それぞれにあった教え方を見つけ出す事が出来るものだなぁと感心する。 傍らで見ていた母も、一つまた、よい勉強をさせていただきました。
ゲンの書初めの課題は「美しい心」 言葉の内容はともかく、画数も多く難しい右払いも含む「美」に、なんともバランスのとりにくい「心」という文字。 大の大人の私がお稽古のとき、いつも「あ、やだな」と思うその漢字を、ゲンは見慣れた漫画のキャラクターをさらりとまねて描くように、特に苦にするでもなくそこそこバランスの取れた文字に書いた。 一画一画の長さやつながり具合を図柄を写すような感覚でそのまま筆先に移す事が得意なのだろう。 そのくせいつも書きなれているはずの自分の名前の小筆の文字が、かな釘流で見劣りするのが情けない。 書きなじんで自分の文字が出来上がる前に、上手なお手本を見せて自分の名前を書かせる練習を怠った母の怠慢の故か・・・。 うう、面目ない。
一年生の時からこつこつと稽古に通ってきたアユコは、特待生まであと一歩。ひらめきや独創ではなく、地道な努力の積み重ねで上達してきたアユコの筆文字は流麗で生真面目だ。 来春の中学入学を機に、一緒に学んできた同級生の女の子達はほとんどが習字をやめてしまうという。 行書体やかな文字など、これからどんどん新しいことが学べる年齢に達したというのに、せっかく続けてきた書道から離れて入ってしまうのは惜しいとTさんは嘆く。 「あたしはやめないよ。」と宣言するアユコに、Tさんは少しづつかな文字の基本を教えはじめた。 生真面目だが曲のないアユコの文字に、流れるようなかな文字のしなやかさが加われば、遊びの余裕を含んだおおらかな作品に変わっていくだろう。 我が家の女の子達の名前をひらがな3文字の名前にしたのは、さらさらと筆文字にしたときに字面の美しい名前にしたかったから。 今はまだ、丸文字の名残の残るアユコの筆文字の署名も、今に艶っぽい、魅力溢れる文字になるだろうか。
朝、サンタさんのプレゼントを期待して一番に目覚めたのは、アプコだった。自分では屋根裏収納の階段を下ろす事の出来ないアプコ、お寝坊のオニイ、オネエを起こしてサンタの到着を確認しに行く。 オニイ、アユコには、図書券と本。 アプコには、リクエストどおりのおもちゃ。 そして、今年はてっきりサンタさんに見放されていると思っていたゲンには、紙飛行機やブーメランの実験キットとグライダーの詰め合わせ。 パジャマのままコタツにもぐりこんで、プレゼントの包みを開ける子ども達の笑顔はやはりまだまだ愛らしい。 さっそく工作に取り掛かるゲンを、オニイが妙に兄貴ぶって、笑ってみている。実はオニイはここ数日、ゲンのプレゼントのリクエストがどんどんもつれていくのをずっと心配していてくれたのだ。 「ああいう手があったか、考えたね。」 「うん、とっても苦労したよ、サンタがね。」 「そだね、サンタがね。」 事実上、今年がサンタ卒業の年となったオニイが、それでも「サンタがね」と付け加えて、いたずらっぽく笑う。 いいおにいちゃんになった。
ここ数日、オニイが年末仕事で忙しい父さんの仕事場に手伝いに入った。 いつも私が任命されていた干支の置物の釉薬がけの下仕事を、オニイに譲る。 夕方ある程度の仕事がたまった所でくるくるっと巻いた美術部用のマイエプロンを片手にオニイが出勤していく。父さんのすぐ後ろの小さなテーブルを臨時の仕事場にして、父さんが仕上げをした生の置物のとさかの部分に赤の化粧土を慎重に塗り分ける。 一日の仕事量は、置物4つか5つ分。時間にすればほんの2,3時間の作業だけれど、父さんの仕事の一端を任されているということが誇らしい。 こつこつと仕上げ仕事をしている父さんの背中を見ながら、慎重に筆を動かすオニイの顔は真剣だ。 それはこの仕事が「体験学習」や子どものお手伝いではなくて、ちゃんとした窯元の仕事の一端であることを知っているからだ。
代々家族で仕事を受けついで来た窯元に生まれて、我が家の子ども達は毎日のように土と向かい合う父の仕事の姿を見て育った。 長男、次男であるオニイやゲンは父の仕事をなんとなく未来の自分の仕事として、傍からの期待も感じて育ってきた事だろう。 迷いもなく美術部に入ったオニイも工作や模型つくりに熱中するゲンも二人ともどこかで「窯元を継ぐ」という事を意識して成長しているらしい。 生真面目に論理で考え、家族や仕事に関して厳しい責任感を感じて育つ長男気質のオニイ。 いつも気ままでふらふらしているくせに、一つの事に魅力を感じると一人でぐっとのめり込んでいく熱中型のゲン。 どちらが窯元仕事には向くのだろうと、父さんと話をする事が多くなった。
同じ男兄弟二人の父さんと義兄。 数年前に義兄が八世を襲名し、数年先には父さんの九世襲名が決まっている。作陶だけでなく営業や経営全般の仕事をこなすプロデューサー的な役目を果たす義兄と、終始工房での作陶に専念する父さん。 どちらも大事な両輪ともいえる大仕事で、どちらが欠けても窯元としての仕事は成り立っていかない。 全くタイプの違う我が家の二人の息子達も、いつかは一つの仕事を上手に振り分けあって、仕事を継いで行くのだろうか。
オニイが釉薬で汚れたエプロンを手に胸を張って工房から帰ってくると、それまでPCで遊んでいたゲンが妙に張り切ってお手伝いモードになったりする。風呂洗いやら夕食の配膳の準備やら、急にパタパタと働き出し、読書三昧のアユコやいつまでもお遊びモードのアプコにハッパをかける。明らかに一仕事終えてきた兄を意識しての行動のようだ。 「僕は大きくなったらね・・・」とさりげなく窯元への進路を宣言したりするゲンとしても、オニイと同じくらい自分も「使える男」としてのアピールをしておきたい所なのだろう。 二人が将来の職業をめぐって静かにお互いを牽制しあっている微妙な空気が、父や母には面白くもあり、未来への気がかりの種であったりもする。
本当の所を言えば、窯元の仕事は見得や体面や誰かへの牽制だけではとても勤まらない。 物を作るのが本当に好きで時には周りの事も忘れてしまうほど制作にのめりこんでしまう芸術家の熱中と、決められた量の仕事をこつこつと積み上げてきちんと時間内に仕上げていく職人の勤勉さが、どちらも同じくらいの重さで必要なのだ。 父さんの普段の仕事振りを見ていて、そう思う。 我が家の息子達に、そんな力がちゃんと育っていくのだろうか。 そこのところを育てるのは、まだまだ母である私の役割でもあるのだろう。 「ものを作る仕事をしたい」といい、代々受け継いだ窯元の伝統を誇りに感じてくれる素直な子どもらの感性を、変に捻じ曲げることなくのびのびと育んでやりたいという想いが、近頃とみに強くなった。
例年のことながら、今年も父さんは年末仕事に追われている。 年末から年明けにかけての干支の作品作り。 来春の干支をあしらった抹茶茶碗や置き物、香合など、たくさんの数物の作品を次から次へと拵えていく。 昼間は工房で窯の番をしながら、置物や茶碗の仕上げの仕事。 夜は夜で、うちに帰って、小さな香合の仕上げ仕事。 自分で自分にノルマを課して、ぎりぎりいっぱい仕事をする。 ドリンク剤や、眠気覚ましのコーヒーに頼りながら、どんどん自分を追い詰めていく仕事振りは、年も押し迫るにつれ、だんだん鬼気迫るものになってくる。 背中を丸め、眠気でまぶたが落ちそうになりながらも、こつこつと作品に取り組む恐るべき忍耐力。自分が頑張らなければ、工房の仕事が止まってしまうという意地が父さんの年末仕事へのエネルギーを支えているのだろう。 こういう差し迫った全力投球の徹夜仕事を、この人はこの先何年続けていくことができるのだろう。
年末態勢に入ると、日頃土に触れることがほとんど無い私も、香合や置物の小さな部品の型抜き仕事や簡単な釉薬がけの仕事の手伝いに入る。 今年は3つの部品に分かれた香合の型抜きと置物の釉薬がけの一端に手を出した。 何個も何個も同じものを抜く単純作業は、子どもが寝静まった後の夜なべ仕事。父さんと二人、放送の終わったTVの映像番組を流しながら、コタツでごそごそと内職仕事に励む。 一日にたった数時間の作業でも、肩がこり、土に脂分をとられて手指が荒れる。一日中、食事と短い仮眠時間のほかはほとんど全ての時間を仕事に費やす父さんのタフな仕事振りに感嘆する。
今日はクリスマスイブ。 例年どおりチキンを焼き、ゲンのご所望のシャンメリーも用意した。 何度も暖めなおしてすっかり整った食卓に、なかなか父さんが帰ってこない。「あと十分で帰るよ」といいながら、なかなか手元の仕事にキリがつかなくて、帰ってくることが出来ないのだ。 いつもは「おなかすいた〜ぁ」とうるさい子ども達も、今日は父さんの遅刻を辛抱強く待っている。 「お父さん、呼んでこようか?」と、いらだつ母に気遣ってアユコが訊く。 「あかん、あかん、父さんは仕事中や。」とオニイがアユコを止める。 暖かい食事をそろって食べさせたい母と、目の前の仕事を中途で止める事の出来ない父。 両方を気遣って、右往左往する子どもらがいる。 大きくなったなぁ、子ども達。 父の苦労も母の思いも両方ちゃんと汲み取ってくれる年齢になった。
学校帰りのアユコをひっさらって、神戸へ向かう。 加古川のおばあちゃんとのデート第二弾。 神戸、ルミナリエを見に出かける。
少し早めに三ノ宮駅でおばあちゃんと合流。懐かしいさんちかやセンター街から元町の商店街まで、ぶらぶらとウィンドウショッピングしながら三人で歩く。ちょうどアユコぐらいの年のころ、よく母と一緒に歩いた街を娘を交えて歩く楽しさ。 「この店で、よくブラウスを買ったねぇ。」「ここ、前は何のお店だったっけ。」と話題は尽きない。 私の頭の中にあるのは、高校、大学時代に遊びに出かけた震災前の神戸。 両親と買い物に出かけたり、祖母とお墓参りの後で立ち寄ってお昼ごはんを食べたり、友達と日がな一日遊びに出かけた楽しい街。 さすがに20年近くたって、震災を越えて、街の様子は大きく変わったけれどそれでも古くからある老舗の靴屋さんやパン屋さん、寄るのが楽しみだった服地屋さんなど、「ああ懐かしい」と若い頃のワクワクを思い出させてくれる店がたくさん生き残っている。
一方、普段、あまり街歩きの経験の無いアユコ。 もちろん、クリスマスの飾り付けで浮き立つ町を歩く事も、夜の街のにぎわいも初めての経験だ。ちょっと前まで人ごみは苦手と言っていたカントリーガールのアユコも、キラキラした都会のざわめきやさまざまなモノが溢れるショーウィンドウにうきうきと気持ちが弾む。 小さなアクセサリーや新しい靴を熱心に選ぶ楽しげな表情に、この子もこんな事を楽しむ若いお嬢さんになっていくのだなと思う。
南京町で夕食を食べて、いよいよルミナリエへ。 長い迂回順路に沿って、人ごみの中をのろのろと歩く。 片田舎の我が家の近隣に比べれば、その辺の商店のクリスマスイルミネーションだけでも十分ルミナリエだねぇと軽口を叩いていたけれど、最後の角を曲がって光溢れる最初の門を目前にするとわぁっとため息交じりの声が漏れる。綺麗ね、すごいねとアユコの表情もぱっと明るくなった。 出掛けに父さんが念のためにと持たせてくれたデジカメを渡すと、熱心にぱちぱちと写真を撮るアユコ。「写真撮影に熱心なのは、アンタじゃなくてお父さん譲りだねぇ。」と母が笑う。面倒臭がりの私は1,2枚撮ったら面倒がってカメラをしまってしまうのだけれど、しゃがんだり広場の一段高くなった縁石によじ登ったりしてベストアングルを探すアユコの様子は本当に父さんそっくりで笑ってしまう。 最後の広場の大きな円形のイルミネーションの中で、ただただ上を見上げて、「大きすぎて撮れない!」と笑うアユコは本当に嬉しそうで、なんだか胸が熱くなった。
興奮覚めやらぬまま、町の雑踏に戻り、大急ぎで家族へのお土産を選んで、駅へ向かう。ここから母とは分かれて反対方向の電車に乗る。 「快速電車が来たから、乗るね。」と名残を惜しむでもなくあっさりと反対のホームに上がっていく母に手を振る。。 「よかったねぇ、アユコ。おばあちゃんが呼んでくれて・・・。」 「うん、楽しかったねぇ。」 ウルウルとした目で吊り広告のルミナリエの写真を眺め、余韻に浸るアユコ。すっかり煌びやかな街の楽しさに魅了されてしまったようだ。 行きには参っていた満員電車の人ごみすら、都会の魅力のさえ感じているらしいアユコの初々しい興奮が可愛い。
電車を乗り換え最寄り駅に近づくと、街のネオンや民家の明かりもぐっと減る。 「暗いね。」 「うん、山だからね。」 大阪の片田舎、私たちの住む町には華やかなネオンも大掛かりなイルミネーションもない。そして我が家はその中でもひときわ暗い山のふもとにある。 ここで生まれ育ったアユコにとって、はじめてみた夜の神戸の街は華やかな光の都として強い印象を残してくれるだろう。 震災の記憶を持たない若いアユコの中で、明るい煌びやかな憧れの街としての神戸が育ち始める。 これも一つの復興というものだろうか。
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