月の輪通信 日々の想い
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2004年09月30日(木) 縦書き横書き

ちょっと気の張る手紙を書こうと思って便箋を捜したら、横書きばかりで縦書きが一つもない。
ああ、長い事縦書きとはご無沙汰だったんだなぁと気がつく。
きれいな一筆箋は縦書きだけど、私はついつい文章が長くなるのですぐに札束のようになってしまう。
よっこらしょっと久々に縦書き便箋を買いにいく。

高校生の頃、文学青年崩れといった風貌の国語教師のF先生がいた。
ちょうど今の田村正和のような黒のタートルなんかを常着にしていて、教室に来るなり何の説明もなく小川国男の短編をぼそぼそと朗読して帰って行くような「奇行」がちょっとかっこよかった。
普段アンニュイな空気に包まれていたF先生が珍しく雄弁に縦書き文化の復権について熱く語った事がある。
ちょうど生徒の一人が「国語のノートは縦書き」というルールを破って常に使っているルーズリーフに横書きに万葉の和歌を書き写していたときの事だった。
「古来日本の文字は縦書きを基盤として発展してきた文字である。ことに和歌や俳句は横書きでは語れない。」というお目玉から始まって、延々一時間、先生の独演会は続いた。

「縦書きの本を読むとき、活字を目で追うと人は必ず何度も何度も頷きながら内容を読み取る事になる。だからこそ書いてある内容が一つ一つ頷きながら心にすとんと落ちるのである。
横書きの文字を読むとき、人は首を横に振り、イヤイヤをしながら読み進む。否定の動作をしながら内容を納得して読むのには無駄な負荷がかかる。」

「日本人はおいしいものを食べるとき、本来は『う〜ん、うまい』とひざを打ち、首を縦に振って味わうのだ。
西洋人はおいしいものを前にして『ああ、おいしそう』というときには、半目をとじて首を横に振る。あれが西洋人の本能的な肯定のしぐさなのだ。」

「たとえば母親が我が子を危険から守ろうとするとき、日本人は子どもを抱きすくめて敵から隠そうとする。ところが西洋人の母は敵と我が子の間に立ちふさがり、両手を広げて相手にNOと叫ぶ。
たとえば和式トイレは、入り口をはいって正面の壁に向かってしゃがむ事が多い。対して洋式トイレは、ドアにむかってしっかり踏ん張って、ふいに扉を開けるかもしれない外敵に対して真正面から立ち向かう姿勢で用を足す。
危険に対する本能的な姿勢も日本人と西洋人ではこんなに違うのだ。」

「日本人は日本人であるがゆえに、長い歴史の中で培われた本能的な姿勢や動作の意味を見失ってはいけない。日本の言葉を縦書きに読み書きするということは、日本人の体に染み付いた動作に素直に従う自然の行為である。」

物凄い飛躍だらけの雑談だったのだろうけれど、あれから二十年以上もたったというのに、いまだに縦書きの文章を書くたび、F先生のぼそぼそと物憂げな物言いを思い出す。

書道の稽古をしていると、日本の文字(とくに筆文字)は縦書きを基準として作られた文字だなぁとつくづく思い知る。
かな文字の連綿(続け字)などは縦書きでないと成立しない。
「鮮やかな水茎の跡」というのは、確かに上から下へとさらさらと流れてこそ美しい。
ぜんぜん鮮やかでない我が悪筆も、縦書きにしてのびのびと流れに従うとなんとなく「手紙をしたためる」という古風な言い回しの気分も沸いてくる。
ところが、いつもの調子で書いていると、縦書きの手紙はどうしても横書きの手紙より枚数が多くなってしまう。
ペン書きですらこの調子なのだから、たとえば巻紙にさらさらと筆文字で書いたなら、あっという間にトイレットペーパーのような不細工な巻物が出来上がるに違いない。
「さらりと一筆」というにはあまりの長文になってしまって、ついついくしゃくしゃと丸めて反故にする羽目になる。
縦書きの文章のボリューム感に慣れていないということだろう。
縦書きの手紙の要件の一つには、選び抜いた最小限の言葉であふれる想いを伝えるという作文能力も数えられるのだろうと改めて思う。

先日、私が受け取った縦書きの手紙は、手馴れた達筆な文字と簡潔かつ丁寧な文面の、美しいお礼状だった。
主婦たるもの、いつかはこのような美しいお礼状を、苦にせずさらりとしたためる技を身に着けたいものだなぁと反省する事一頻り。
書き上げた悪筆乱文の我が返信を、恥じ入るようにパタパタたたんで封をする。
嘆かわしい。
首を横に振る。

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月の輪通信


2004年09月28日(火) 鬼ごっこ

子どもの頃、私は鬼ごっこが嫌いだった。
人並みはずれて走るのが遅かったから、あっという間に「タッチー!」と鬼に捕まったし、ひとたび鬼になるとなかなか次の鬼を捕まえられない。
ずーっと鬼のまんま、いつの間にか鬼ごっこが終わってしまっていたりして、つまらない思いをする事が多かった。
「かけっこの速い子にとってはさぞかし楽しい遊びなんだろうね」といじけた想いで友達の背中ばかり追っていた。
子どもには子どもの、ささやかな悩みというものはあるものだ。

朝、登園の道。
アプコは、一緒に歩く小学生のアユコやゲンと一緒に家を出る。
「早くしないとバスに遅れるよ!」
と折り重なるように玄関を飛び出すと、まもなくアプコが「お姉ちゃん、タッチー!」とお決まりの鬼ごっこを始める。
アユコとゲンが幼いアプコの後ろを追い、もつれ合ったり離れたりしながら、坂道をぐんぐん下っていく。
アプコだって、決して走るのが速いほうではない。父さん母さんの子どもだもの。
けれどもアプコは走るのが好きだ。
「お母さん、今日はかけっこ2番だったよ!」
嬉しい顔で報告してくれるので、よくよく話を聞いたら、二人で走って2番なんだそうだ。それでも嬉しいアプコは可愛い。
さすがにアユコやゲンは小さいアユコ相手に本気で鬼ごっこをするわけではない。
適当に追いかける振りをしたり、追われるスピードをちょっと落としてわざと捕まってやったり・・・。
運動不足の母には朝から元気盛りの子ども達と本気でお付き合いする気力もなくて、後ろからのたりのたりとついて行くのみ。
ゲンやアユコを捕まえ損ねたアプコが時々思い出したように母の所へ戻ってきて「タッチー」とやる。
私が気まぐれに子どもらの背を追うと、母の息切れを気遣ってアユコが「はい、鬼、ちょうだい」と手を出して鬼を替わってくれたりする。
キャアキャアと母のまわりを前になったり後になったりして駆けていく子ども達。
お兄ちゃんお姉ちゃん達に上手に手加減してもらいながら遊ぶアプコは、きっと鬼ごっこが大好きな子ども時代をすごすのだろう。
幸せなことだなぁと思う。

そして私も、自分のペースで胸をはって歩きながら、時々戻ってくる子ども達の「タッチー!」を受けとったり、気まぐれに幼い子どもの背中を追いかけたり、駆けていく子どもらの姿をニコニコと目で追ったりすることのできる今の鬼ごっこが好き。
母となって初めて鬼ごっこを楽しいと思えるようになったことの幸せ。
限られた母と子の時間を惜しむように楽しませてもらう。


2004年09月27日(月) 分け与える喜び

先日アプコ宛に小包が届いた。
加古川のおばあちゃんからのプレゼント。
敬老の日に幼稚園からアプコが出したお手紙のお礼だという。
包みの中から出てくるのは、わっさわっさと大量のチョコレート。
きれいな化粧箱に詰められた専門店の高級チョコレートではない。
スーパーで普通に積まれている小箱入りのチョコレート。
栗のはいったの、イチゴのはいったの、TVのキャラクターのかたちをしたの・・・・。 
普段、「しょうがないわねぇ、一つだけよ。」ともったいぶって買ってもらうチョコレートが次から次へとこぼれ出てくる。
アプコ、大喜び。
お店屋さんの店先のように、テーブルの上にずらりと並べてアプコしばしうっとり。
抱えきれないほどのたくさんのチョコレートを自分の名前宛の小包で受け取って、独り占めできる嬉しさ。
これってまるでお姫様気分。

「アプコちゃんからみんなにも分けてあげてね。」
お礼の電話をすると、おばあちゃんがそっと付け加えてくれた。
ニコニコしながらこっくり頷くアプコ。
電話なんだから、声だして返事しないと聞こえないってば。
とってもとっても嬉しいくせになかなか「ありがとう」の声が出ないアプコ。
このニコニコ顔をそのままTV電話でおばあちゃんに送ってあげたいなと思うのだけれど・・・。

「ねぇねぇアプコ、一つ頂戴。」
たちまち、オニイ、オネエが寄ってくる。
「ウンいいよ。」と、アプコが自分で選んだ一箱をあける。
父さん母さんにも配ると、ほんの一粒二粒が自分の口に入るだけ。
「じゃぁ、もう一箱」と、別の種類の箱をあける。
みんなに配るといろんな味が食べられるねとアプコが笑う。
そうだね、家族が多いと一箱からはほんの一つか二つしか食べられないけれど、次の箱を開けて新しい味を食べる事も出来るよ。
よかったね。

「おかあさん、これぜーんぶちゃんとしまっておいてね。」
アプコの思いを通すと、我が家の冷蔵庫はとりどりのチョコレートの箱で満員になる。
「アプコ、あれ食べようよ。」
お兄ちゃん、お姉ちゃん達もいちいちアプコにお伺いを立てる。
そのたびに嬉しそうにアプコは惜しげなくチョコレートを配る。
なんたって、冷蔵庫にはまだまだあんなにいっぱいチョコレートはある。
たくさん持ってるものを人に分け与えるのは楽しい事だ。
たくさんたくさん持っている時には・・・。

園バスから降りてきて、アプコはアンパンマンのチョコレートをお友達のKちゃんに分ける。
小さな個包装をチョコレートをきれいな模様付きの袋にアプコが自分で詰めかえてプレゼント。
「あと二つぐらい入れようね。」
ここでもアプコはとっても気前がいい。
ぎゅうっとつめて、ハイッと渡す。
「Kちゃん、うれしそうだったね。『あと二つ』って入れてあげてよかったね。」
帰りの車の中で、楽しそうに笑うアプコ。
さっそく封をあけたアンパンマンチョコレートの甘い匂いが車の中に拡がった。

末っ子姫のアプコは、いつだってお兄ちゃんお姉ちゃんから最優先でいいものをもらえるから、自分の物を人に分け与える事に躊躇をしない。
「○○をあげたら、とっても嬉しそうだったね。よかったね。」
と、分け与える事の嬉しさをちゃんと知ってる。
甘えた放題のわがまま姫だけれど、自分がたくさんたくさんいいものを持っていてこそ、「分け与える喜び」とか「喜んでもらえる楽しさ」をいつのまにか心の中に育てていたんだなぁ。

「人に与える喜び」というのは、自分自身がたっぷりと与えられて、満たされていてこそ学ぶ事の出来る、贅沢な資質なのかもしれない。
愛情とか、才能とか、そういうものも・・・。


2004年09月24日(金) 見せたくないもの

女の子達はごくごくたまに、男の子達抜きでショッピングに出るのが大好き。
雑貨屋や文具店で可愛いものを探し、大きな手芸店で当てもなくぶらぶらし、ささやかな外食を楽しんで、お土産を買って帰る。
けちんぼ母がお供だから、特別高いお買い物をするわけではない。
「わ、これ、可愛い!」「あ、今度こういうの欲しいな。」と見て歩くだけで結構堪能して楽しんでくるからかわいいものだ。
帰りに駄菓子屋で買った派手な色のキャンデーやチョコレートバーなんかを「男の子達には内緒ね。」なんていいながら、むしゃむしゃ食べながら帰ってくる、ほんの半日ほどの我が家の娘達のお楽しみなのだ。

この間、アユコとアプコを連れて、久しぶりに町へ買い物に出たときの事。
駐車場に車を置き、広場のそばの横断歩道で信号待ちをした。
休日のにぎやかな広場では、小さな子が母の手を離れてヨチヨチ歩き回ったり、飲み物のカップを片手に笑いさざめく高校生達がいたり。
あちらでは美容院の宣伝ティッシュを配るお兄さん。
子ども達に色とりどりの風船を配るお姉さん。
穏やかで平和な昼下がりだった。
ふと見ると、アプコがじーっと何かを凝視している。
その目線の先にあったのは、反戦活動の署名運動の人たちが展示した戦場の写真の看板だった。
傷ついて血だらけになり表情すら判別できない赤ん坊の写真。
手足を失って、汚い毛布の上に転がされた、少女の写真。
はだしで銃を担ぐ少年の写真。
「あ、しまった。」と思ってアプコの手を引いたけれど、アプコの目はその悲惨な映像に釘付けになったままだった。

信号がかわって、アプコ、アユコと歩き出す。
しばらくしてアプコが「ねぇ、あの赤ちゃんなんで怪我したの?」と訊く。
「あれは戦争で怪我をした子どもの写真よ。」と学校で平和学習をすすめているアユコが説明する。
「赤ちゃんも戦争するの?」とアプコ、重ねて訊く。
「赤ちゃんはしないけど、戦争になると子どもや赤ちゃんも死んだり怪我をしたりするのよ。」とアユコ。
「何で?」
「・・・・戦争だから・・・」
アユコの苦し紛れの説明は正しいけれど、無邪気なアプコの質問の方が的を突いている。
勝手な大人の戦争に、どうして子どもや赤ん坊が傷つかなければならないの?

看板はちょうど幼い子ども達の目の高さ。
楽しい休日の午後、いつもより少し甘やかされてふんわりとなっている子ども達の心に、いきなり突きつけられる衝撃の戦場写真。
確かにそのインパクトは大きいだろう。
署名活動をすすめる上では、平和ボケした大人たちの日常に目を覆いたくなるような戦場の子ども達の映像を突きつけて、「どうなんだい、世界のどこかでこんな悲惨な子ども達がいるのに、ぶらぶらショッピングなんかしててもいいのかい?」と訴える効果は確かにあるのだろうけれど・・・。
でも何の準備もなく、休日を楽しむ幼い子ども達の目にああいう映像をさらすのは、どこか暴力とはいえないだろうか。
「戦争の悲惨さから目をそむけてはいけない。」
「幼いうちから平和の意味を考えさせなければ・・・」
看板を置いた人々はそういうだろう。
でもそれはある意味、大人の論理。
ファンタジーと現実の狭間を生きる幼い子ども達にとっては、大人たちの理不尽な戦いの結果を鼻先におかれても、ただ恐怖や不快の感情しか残せない。
不特定多数の子ども達の簡単に目に付くところに、悲惨な戦場写真を置く。
そのこと自体、大人の暴力、大人の傲慢ではないだろうか。

それから、もう一つ。
仮に我が子が戦場で傷ついたり障害を負ったりなくなったりしたならば、その写真を見知らぬ国の見知らぬ人々が笑いさざめく休日の平和な広場に無神経にさらされて募金集めのネタにされたら、どんな気持ちがするだろう。
平和のための真摯な思いを持つ人や、これから戦争について学ぼうとする人たちの前に置かれてこそ、悲惨な戦場写真は意味を持つ。
何の準備も持たない人が通りすがりにちらと眺めてすぐに忘れてしまう。
そういう使われ方をしたとき、深刻な戦場の悲惨や大人たちの戦いで子ども達が傷つく理不尽は、ただの「グロテスクな写真」として興味本位にさらされるだけで、何の意味も持たない。
傷ついた子ども達や大切な家族を失った戦場の人たちに二重の鞭を打つ無礼ではないだろうか。

身の回りには豊かなモノがあふれ、子どもたちは空腹の苦痛を知らず、生命の危機を感じることなく、穏やかな日常を過ごす。
そのことを「平和ボケ」と感じる人たちの目から見ると、戦場の悲惨を突きつけて無関心な人々の心に鉄の杭を打ち込みたいと思う気持ちも理解できる。
けれども、その崇高な使命感に従った行為が、ごくごく幼い子どもの柔らかな心に恐怖や不快だけを無造作に投げ込み、傷つける結果になっていることを、あの人たちは多分気がつくことはないだろう。
その無神経が私には怖い。
勝手な戦争に子どもを巻き込む大人たちの理不尽が、そこにも確かに存在すると私は思う。

「ねぇねぇ、アイスクリームとマックシェイク、どっちがいい?」
アユコとアプコの戦争問答をかき消すように、ことさらに甘いお楽しみの話題を振る。
それを「平和ボケ」と言われてもいい。
「目をそむけている」と言われてもいい。
まだまだ私には子ども達に見せたくないものがある。
時が来るまで、見せたくない現実を用心深く避ける自由も私にはあると思いたい。


2004年09月21日(火) 教訓

昨日、大騒ぎしたゲンとオニイの失くし物。
ありました。
朝から父さんが「ダメでもともと」ともう一度電話をかけなおしてくれた試合会場の体育館。
昨日のうちに、子ども達が失くしたリュックはどなたかに届けていただいた様子。
父さんが早速車で、受け取りに行ってくれる。
どういう経緯で何処で見つけてくださったのかは不明だが、とりあえずゲンの剣道着もオニイの私服も、空っぽの弁当箱も無事納まったままリュックは帰ってきた。
心配していたオニイの全財産の入った財布ももちろんそのまま入っている。
一度はあきらめた荷物だが、無事戻ってきて、ホッと一息。
落し物のリュックをそっくりそのまま届けて置いてくださった親切などなたかに感謝感謝。
世の中まだまだ、捨てたもんじゃないねなんて、嬉しくなる。

汗をかいたまま丸めて突っ込まれたゲンの剣道着と空の弁当箱。
一晩置くとさすがに、臭う。
も、もしかして、この悪臭に魔よけ効果があったとか?
いやいや、とりあえずお洗濯、お洗濯。

「ところで、オニイ、今回の教訓は?」
戻ってきたリュックを見て、ようやく表情がほころんだオニイに問う。
「ゲンのことは当てにしない」
きっぱり断言。
「そうじゃないやろ、オニイ。あんたはもう中学生。4年生のゲンに荷物を預けてぼーっとしていたあんたは確かによくない。
でも、そのことの教訓は『ゲンはあてにならない』じゃなくて、『自分のことは自分でしっかり管理する』ではないのかな?
昨日の君は朝から袴の裾のほころびにも気付かないまま出かけたじゃないの。
そこんとこからすでに、君の失敗は始まっていたんじゃないの?」
ホッとしたついでに、日頃から気になっているオニイの自己管理の甘さを懇々とお説教。
オニイ、しゅんとしてうな垂れて聴く。
一度はあきらめた、なけなしの小遣いも帰ってきた事だ。
ここは、一つ我慢して聞け。

「ゲン、あんたの教訓は?」
「人の荷物は持たない」
・・・・ちょっと違う。

本当はもう一つ。
父と母が昨晩話し合ったもう一つの教訓。
とっても困った事や、大失敗が起こってしまったとき、オニイとゲンの対処の仕方には大きな違いがある。
荷物が先生の車にも駐車場にもなくて、もう諦めざるを得ない状況になったとき、子ども達はうろたえ、凹み、自己嫌悪に陥った。
オニイは拳で自分の頭を叩き、憂鬱な顔でうろうろと歩き回り、母や妹たちが声をかけると烈火のことく「うるさい!」と怒った。
ゲンは、きゅっと眉根をしかめて、唇を噛み締め、ただただ「ごめん」と繰り返した。
どよ〜んと沈み込んだ家の中の空気に、
「なくなったものは仕方がない。諦めて何か方法を考えよう。とりあえず新しいリュックとお弁当箱でも買おうかね。」
「さ、みんなくたびれたから、さっさとお風呂に入って寝ちゃおうよ」
と、父や母が提案する。
ホッとしたように、素直に表情を緩めたゲン。
ますます、イライラを募らせてプイとふくれたオニイ。
年齢や、失ったものの違いはあるとはいえ、オニイとゲンの気分の変え方には大きな違いがある。

困った事態に陥ったとき、
どんどん自己嫌悪の渦に沈んでいってしまいがちなオニイと、きっかけを見つけてふいと気分を変えようと試みる事の出来るゲン。
どちらかと言うとオニイの生真面目さは父親譲り、「おいしいものでも食べてとりあえず寝ちゃおう」と思うゲンのお気楽さは母親譲り。
どちらも親にそっくりの生まれもっての性格だから、どうする事も出来ないけれど、オニイのどんどん自分を追い詰めていく深刻さは彼自身だけではなく周囲のものにも重苦しくて辛い。
自己嫌悪と言いながら、もてあました感情を周りの誰かにぶつけたり、どんどん一人で沈んでいくわなをこれからオニイはどんな風に克服していくだろうか。
一方、外見上えいっと気分を切り替えて、失敗をなかったことのように振舞おうとするゲン。
それはそれで痛々しくもあるのだが、まだまだうっと惜しい気持ちを引きずっているオニイや周りの者にとって見れば、ゲンの変わり身の速さはそれはそれでカチンとくる。本人だって決してけろりと忘れられるわけでもないのだけれど、へらへら笑って平気を装うゲンにますますいらだつオニイの怒り。

難しいなぁ。
これからまだまだ何度も何度も訪れるであろう人生の大失敗に、どんな顔をして立ち向かっていけるのか。
いつまでも引きずるオニイに、イライラする私。
けろっと平気な顔をしてみせるゲンに、ぐっと拳を固めてしまう父さん。
お互いにわが身を振り返って、自分にそっくりな息子にイラついたり、自分にないものを持つ息子を疎ましく思ったり・・・。
それはすなわち、同じような場面に立ったときの自分自身の反応を振り返る事。

父や母にも、いろんな教訓を運んでくれたゲンとオニイの失くし物の顛末は以上の通り。
お騒がせした皆様、ごめんなさいでした。


2004年09月20日(月) 失くし物

オニイとゲン、朝から剣道の試合に出かける。
うちは親が応援にはいけなかったので、先生方やほかの保護者のかたがたの車に便乗させていただいた。
集合場所まで送っていって車を降りたら、オニイの袴のすそが大規模にほつれて、垂れ下がっている。
「うわ、大変!」と近所の剣道仲間のお母さんに針と糸を借りて大急ぎで補修。結局微妙に間に合わなくて、あとはそのお母さんに会場で縫ってもらう事にする。
「よしきた、あとは任せてね」と心強いお言葉。
いらんお手間を取らせまして、誠に申し訳ない。

昼間、留守番のアユコとアプコを連れて久々の買い物へ。
アユコと敬老の日の「敬老弁当」を作ろうと材料を買出し。
鮭の焼浸し、小松菜の胡麻和え、がんもどきと野菜の煮物、玉子焼き・・・。
おじいちゃん、おばあちゃん達の好みを考慮しての和風弁当は、献立からアユコが悪戦苦闘して考えてくれた。
夕方、3段の小さなお重に詰めてアプコと一緒に配達に行く。
「ああくたびれた。」と言いながら、アユコも上機嫌。
おじいちゃんおばあちゃんひいばあちゃんからも、お褒めの言葉を頂いたとか・・・。

夕方、外も暗くなった頃にようやく男の子達帰宅。
先生が車でうちまでわざわざ送ってくださった。
戦績は予想どおり思わしくなかったようで、深く聞かないことにする。
「・・・で、オニイ、リュックはどうしたの?」
「あ、ゲンが持ってる・・・・」
・・・はずだった。
ない。
オニイの私服と、ゲンの剣道着、空の弁当箱とオニイの財布の入った大型のリュック。帰りはゲンが抱えていたはずと言うのに、何処にもない。
先生の車の中に置き忘れたか?と電話で確かめる。
「今から、取りに来てもいいよ。」と言われるので、住所を聞いてくるまで緊急出動。
ところが、先生のお宅についたら、リュックは車には残っていなかったという。
先生も、試合会場の体育館に問い合わせてくださったが、忘れ物としては届いていないと言う。
駐車場として使わせてもらった学校にも電話して、警備員さんに駐車場を見てきていただいたが、見つからない。

「頼りないゲンなんかに持たせるんじゃなかった。」と落ち込む、オニイ。
「だいたい、あんた達、朝からたるんでたよ。ボーっとして、いろんな人に迷惑かけてるんだよ。」と叱る母。
「いったい、何処でリュックを置いたの?体育館を出るときには持ってたの?」となんども何度もゲンやオニイの行動を聞きただす父。
「・・・・と思うんだけど。」と眉根を寄せて、凹むゲン。
はぁ、あきらめるしかないか。

どうする、ゲンの剣道着。
どうする、オニイの比較的ましな私服。全財産(2000円ばかり。)の入った財布。
あ、リュックは父さんからの借り物だったそうな・・・。
そういえば長年使い込んだなじみの弁当箱もちょっと痛いなぁ・・・。
ついでに、先生宅に緊急出動している間に、ふすまが倒れて(?)食卓の上にあった取り皿が一枚割れたそうである。
これまた何年も食卓に欠かせない定番のお皿。う、これも痛い。

久しぶりに女の子達と買い物に出かけて、アユコと楽しく料理して、おばあちゃん達にも喜んでもらって、「はぁ、いい休みだったね。」と終わるはずだったのに、男の子達が帰ってくるなりどん底へと急降下。
なんだかなぁとみんなで凹む。
こんな日もある。
しょうがないよ。
明日はもしかしたら、いいことあるかも。
・・・となかなか切り替えがきかないのが辛いところ。

はよ、寝よ。


2004年09月17日(金) 力持ち

剣道の帰り道。
ガソリンのメーターがEを指している。
ちょっとピンチだよ〜といったら、ゲンがえらく気にして、
「走ってる途中にガス欠になったら、どうなるの?急に止まるの?それともじわじわ動かなくなるの?」
とうるさい。
「おかあさん、ガス欠になった事ある?その時、どうしたの?」
と、あれこれ、質問攻め。
昔、父さんが家の近所でうっかりガソリンを切らして立ち往生した事があるので、そのときのことを話して聞かせる。
「あわてて、うちに走って帰って、別の車でガソリンを買いに行ったのよ」
「へぇ、ガソリンって、ガソリンスタンドじゃなくても自分で入れられるの?」
「ま、危険だから、ほんとはよくないんだけど、緊急事態だからしょうがないね。」
ふぅんと納得したものの、ゲンの疑問はまだまだ尽きない。

「ねぇねぇ、よくドラマとかでガス欠の車を人が押して歩いて行くのがあるやろ。あれって、ほんとに普通の人の力で動くの?」
「動くと思うよ。」
「ケイン・コスギじゃなくても?」
「うん、うちのトッポだったら、ゲンの力でも動くんじゃない?」
「え、うそ!ほんまに?」
「・・・と思うよ。この間バッテリが上がったとき、ガレージから出すのに手で押したし・・・。」
「じゃ、僕にもできる?」

あんまりゲンが食い下がるので、帰宅して車庫の手前でいったんエンジンを切った。
ギアをニュートラルにしてハンドブレーキをはずす。
「ほれ、力持ち。押してみ」
ゲン、嬉しそうな顔でほいほい車を降り、トッポのお尻をうんこらしょっと押す。
路肩の斜面の傾きも手伝って、軽自動車はゲンの力でもじわじわとかるく動く。
「うわぁ、すげぇ・・・。」
ほんの50センチほど車体が動いただけなのに、ゲンの笑顔の嬉しそうなこと。

別にたいしたことないんだけどね。
日頃重たくてとても動かせそうにもないと思っていた自動車が、ホントは小学生の力でもなんとなく動いちゃう物体であったと言う事が、今日のゲンの大発見。
「そっか、タイヤがついているもんなぁ。」
しげしげと車のタイヤを眺めてしきりに関心するゲン。
テレビ番組で大型トラックを動かしちゃったりする力自慢のヒーローに自分を重ねてしばしうっとり。

別にたいした事じゃないんだけどね。
こういうことでうっとりしてしまうゲンの無邪気が、
たまらなく可愛い。


2004年09月16日(木) 群れで育つ

小学校参観日。
本来は先週行われるはずだったのが、台風で延期になって今日になった。
アユコの学年は3クラス一緒に体育館で合奏と合唱の発表会をするという。
参観の前半、ちらりとゲンの理科の授業を見てから、体育館へ滑り込む。

今年はアユコのクラス担任の先生が、3クラスの音楽を受け持ってくださっている。
テンポのよい元気なピアノとわぁっと子ども達の心をつかむ大きなお声の先生の音楽の時間は、ほんの数回参観で拝見しただけの保護者の中でも好評で、今日の発表会も楽しみにしてこられた人も多いと聞く。
合奏の曲目は、皆がよく知っているアニメのテーマミュージック。
アユコのクラスはルパン3世のテーマだった。
前回の参観では、子ども達が初めて譜面をもらって練習に入ったばかりのところを見せてもらっていたので、「この難しい曲を良くぞここまで」と感慨無量。
指揮をする先生も、それに忠実についてくる子ども達もいかにも楽しげで一生懸命。6年生らしい立派な演奏振りだった。

今のアユコのクラスは5年生からの持ち上がりクラス。
クラスの子どもの顔ぶれも比較的よくわかる。
低学年の頃やんちゃぶりに先生が手を焼いておられた子も、3月のメール事件で暗い目をしていた子どもたちも「ああ、この子がこんなに大きくなってる」と目をみはる成長振り。
入学式の頃、きょろきょろとよそ見をしながら記念撮影した同じこの体育館のひな壇で、立派に音楽を奏でる6年生の楽しげな顔。
なんだか卒業式の予行演習をさせていただいたようで、ついつい涙腺が緩んでしまったりする。
不覚・・・。

参観後の懇談の後で、先生が雑談の合間に面白い事を言われた。
子ども達に合奏の指導をするとき、普通はまず各パートごととか、生徒一人一人とかの単位で練習させてから、全体であわせてみるという方法をとるのだそうだ。
でも、先生はそういう方法をとらない。
とにかくみんなでわっと演奏してみるのだそうだ。
「このパートのここが駄目」とか、「○○さんのここが違う」と言うようなピックアップをしない。
できないところはできないでもいい。
苦手な子は苦手な子なりに楽しんで参加できればいい。
それでもみんなと一緒に演奏しているといい気持ちになってくる。
楽しい気持ちで演奏していると、だんだん個人のスキルも上がってくるのだという。
「だって、何遍も自分のパートだけ練習しててもつまらなくなってしまいますもんね」と、笑う先生。
ああ、子ども達が生き生きと合奏に取り組む姿勢の背後には、こういう暖かい先生の導きがあったのだなと思い至った。

そして、なぜか思い浮かんだ言葉。
「群れで育つ」ということ。
一人一人の子どもをピックアップして「ここが違う」「ここを頑張りなさい」と煩くかかわるのではなく、「群れ」ごとわぁっと引っ張り揚げていく。
一人ではなかなかレベルアップするのが難しい課題も、頑張って皆にくっついて行くうちになんとなくクリアできていたりする。
そういう育て方って、いいなぁと思う。
ことに我が家のように年齢の離れた4人兄弟。
一人一人の抱える発達課題や、その年齢のうちにしっかり教え込んでおきたい事はそれぞれに違う。
その一つ一つを数え上げて一人一人に教え諭す事も時には必要だけれど、ちょっと難しいめの譜面を与えて「さあ、やってみよう」ととりあえず演奏してみる子育ても、兄弟の多い我が家にとってはおもしろいなぁと思う。
能力や性格、発達段階の違う子ども達の「群れ」を、塊ごと持ち上げてそのひしめき合いの中で一人一人がそれぞれに成長していく。
そういう子育ての方法を家庭の中に応用する事が出来そうなのも、子沢山の効用の一つかもしれない。

そういえば、アユコの担任の先生も、ご家庭では「子沢山系の母」の大先輩と言う。
「群れ」を育てる大先輩から頂いた子育てのヒント。
勉強させていただきました。


2004年09月15日(水) 戯れる

子ども達を送り出して、久しぶりに家事に燃える。
昨日の可燃ゴミ収集に端を発し、来週の不燃ゴミ回収に向けてのお片付けモード、継続中。
珍しく油汚れのひどいレンジ周りを磨き、夏蒲団やタオルケットを洗濯する。まだまだ暑いといいながら、大判のタオルケットがからりと乾く日差しがありがたい。

台所仕事が一段落して工房へ行ったら、父さんが防塵マスクに帽子を目深にかぶり、埃だらけの土場で土作りをしている。
陶芸の土作りといえばふつう、大きな土塊を作業台の上で力を込めて捏ね上げている姿が思い浮かぶかもしれないが、うちではその一つ前の段階から、土作りがはじまる。
大きなセメント袋に入った細かい粉状の粘土に珪砂(石英質)とシャモット(素焼きの粉)を計量して混ぜ合わせ、どべ(泥状の粘土)を加えて大きな機械でこねあわす。
ごくごく細かい粉状のものをたくさん取り扱うので、土場はもうもうと土煙。帽子やマスクがないとやってられない。
本来、下職(したじょく)と言われる職人さんの仕事である土作り。
家族が中心の小規模の窯元ではそんな職人仕事も作家が自分で行うこともある。
ことにこの夏は、頼みの若い職人さんが事故で仕事にこられなくなり、時をあわせて数モノの注文が何件か続いた。作りためてある土が底をつく前に新しい土を作っておかなければならない。時にはオニイやゲンの「猫の手」も借りて、一番基本の作業を行う。

埃まみれの現場にふらりと顔を出した行きがかり上、ぶうぶう言いながら少々お手伝い。
機械が捏ね上げた粘土をへらで掬って作業台に移したり、さらさらの粉の粘土にひじまで突っ込んで混ぜ合わせたり・・・。
ぶうぶう言いながらも、実はこれが結構楽しい。
しっとりと手のひらに吸い付く冷たい粘土をがっしりと抱え揚げる楽しさ。
砂丘の砂よりもっと細かな粉状の粘土や珪砂の滑らかな感触。
幼い子が日がな一日砂場で遊び戯れるときのあの昂揚感が、再び脳の片隅に呼び起こされる感じがする。

「土と触れ合う事には、『癒し』の効果があるそうですね。」
父さんの仕事について語るとき、お世辞半分でそういう賛辞を下さる方がある。さぞかし心満たされて、ご家族も円満で・・・・とでもいいたげに。
意地悪な私は「でも、仕事ですからね。いつでも癒されているわけにもいかないようですよ」と笑って相手の期待を裏切ったりする。
趣味で楽しむ陶芸と日々のルーチンとして行う作陶の厳しさは全くの別物と父さんの厳しい仕事振りから強く感じている。
それでもなお、ひんやりした土の心地よい重量感やさらさらの粘土と触れ合うときの子どものような快感は、確かに私を満たし、父さんを満たす。
薄暗い土場の土埃の中で、父さんと二人で土と戯れるひと時は、幼い子どもの秘密のいたずらめいて、心地よく楽しかった。

ほんの一時間足らずの作業で、手足も髪も埃だらけ。
幸いコンタクトレンズははずしていってたけれど、代わりに眼鏡のレンズが砂埃で煙っている。
手早く洗って、お昼の支度をする。
向かい合って、食事をしている父さんが笑って私のひじを指差す。
あらま、きちんと洗い落としたはずなのに、そこには泥んこ遊びの名残の粘土のかたまり。
うふふと祓い落としてふと見ると、父さんの作業着の横腹にもべったりと乾いた粘土のあと。
「そっちこそ!」と笑って指差す。
まるで子ども。

夫婦で子どもにかえる時間を持てる今の幸せ。


2004年09月12日(日) 職業選択の自由

NEETという言葉を聞いた。
学校を卒業したあと家事も通学もせず働く意思もない十五−三十四歳の未婚者、「若年無業者」を指すのだそうだ。
自ら求職意思も持たないという点で、いわゆるフリーターというのとも異なるのだという。
2003年の調査で、日本のNEET数は52万人。前年比4万人増。
この人たちを「喰わせてやっている」人は誰なんだろう。
やっぱり親?
 
中3生の7割は「父親と同じ職業に就きたくない」
理由は「つまらなそう」「夜遅く帰ってくるから」などがトップ。「自分の道を行きたい」「ほかにやりたいことがある」などがこれに続いたそうだ。
そして、5%が「父親の仕事を知らない、わからない」
また、将来の自分の進路について、7%が「未定・何もしたくない」と答えたという。
日本の働くお父さんの背中は、現代の若者に何の夢も与えられないのだろうか。

「将来の夢は」というと幼い子ども達は「パイロット!」とか、「ケーキ屋さん!」とか、憧れの職業の名前を挙げる。
少し知恵がつくと、「サラリーマン!」とか「公務員!」とか「OL!」とか、身近で堅実な職業を上げて、大人をうならせる事もある。
これがもう少しスレてくると、「フリーター」とか「仕事なんかに就きたくない」になるのだろうか。
それでも何とかかんとか、気楽な「若年無業者」達を養ってやっていける日本は本当に豊かな国なんだねぇ。

幸か不幸か、我が家の子ども達は幼い頃から、父親の仕事を毎日身近に見て育つ。
泥だらけの徹夜仕事も、締め切り間近の突貫作業も、スランプのイライラも、多かれ少なかれ子ども達の日常に色濃く影を落とす。
そして、古くから代を重ねて伝えてきた窯元としての歴史も幼い頃から耳にして育っているから、「跡を継ぐ」とか「代を守る」というような古風な職業観もそれとなく吹きこまれている。
ことに男の子達は、ごくごく小さいうちから、「大きくなったら何になる?」の選択肢の一つには必ず父親と同じ、陶芸の仕事が自然と数え上げられてきた。
たとえば、歌舞伎の家に生まれた子どもが、生まれおちたときから必然的に「跡を継ぐ子」としてその世界に組み込まれていくように、窯元の子は内外から自然と父の仕事を受け継ぐ事を期待されていたりする。
「幼い頃から将来の職業選択の幅が決められていて大変ね」といわれる事もあるけれど、少なくとも今のところ、我が家の子ども達には「家業に縛られる」というような悲壮な感じは見受けられない。
「4人も子どもがいるんだから、誰か一人が継いでくれれば結構」と鷹揚に育ててきたせいもあるが、父の仕事が「職業」というよりも、生活の一部として常に其処にあったからだろう。
将来の自分の姿を思い浮かべるときの手がかりの一つとして、陶芸という父の仕事のイメージを、具体的に持っている我が家の子ども達は恵まれているのだなぁと最近思うようになった。

父親の仕事のイメージを、夜遅く帰宅して疲れた様子やふと洩らす愚痴話からしか思い描くことしかできない子どもにとって、「働く」という事に夢や理想を感じられなくなっていくのは仕方のないことなのだろうか。
「将来の仕事」として、何の制限も縛りもなく真っ白な画用紙を与えられた子どもと、「家業を継ぐ」というガイドラインをさらりと描いた画用紙を与えられた子ども。
大人にとってさえ一寸先の闇の見通しがたちにくい現代では、あらかじめ何らかのアウトラインを与えられて、それを手がかりに未来を考えていく事の出来る子どものほうが、ある意味ラッキーなのかもしれないと思う。

「自分のやりたい事を職業にする」という事が、本来はもっとも恵まれた職業選択だとは思うのだけれど、現代の子ども達には「自分のやりたい事」の具体的イメージを持たない子の割合が多すぎるように思う。
「13歳のハローワーク」という分厚いガイドブックを与えられても、「あ、これこれ!」と目指す職種のイメージを持たない子にとっては、星の数ほどもある職業の数々はただの意味のない羅列に過ぎないのだ。
何の手がかりもなしに、あの大冊のページを繰って、自分のなりたい職業を探すのは容易な事ではない。
そんな風な、与えられすぎた選択肢のわずらわしさが、子ども達の職業観に「うざったい」思いを抱かせているのかもしれない。

仮に、うちの中で自分の父や母が働く姿を見ることが出来なくとも、子ども達の身の周りには、「働く大人」のお手本はたくさん存在している。
パン屋のおじさん、デパートで床掃除をしているおばさん、ゴミ収集のおじさん、コンビニのおにいちゃん・・・・。
空気のようにそこここに存在する「働く人」の背中を見て、「あ、この仕事してる人、偉いなぁ」とか「なんか面白そうな仕事だね。」とか、幼い頃から「働く」ということに、より具体的な、できれば明るいイメージをたくさん刷り込んでおいてやる事も必要なのかもしれない。
職業選択の期限ぎりぎりにまで育ってしまった若者達に、「働くってどんなこと?」「やりたい事はなに?」と問いかけてみても、「べつに・・・」と首をすくめられるのが関の山だ。

「とりあえず、いい学校へ行って、いい会社に入って、出世をめざして・・・・」と言う、いささか偏ってはいるけれど確固とした職業観を一律に与えられた世代は、まだよかった。
リストラだのフリーターだの若年無業者だの、ぴゅーぴゅー隙間風の入る未来を見せられる現代の子ども達。
「職業選択の自由とか無限の可能性なんて、もういらない。
適当に楽しくて負担にならない仕事の選択肢を二つ三つ見繕ってくれたら、そこからやりたい事を適当に選ぶよ。」
そんな事を考えてる子どもの数って、結構たくさんいるんじゃないかと思うと、ちょっと憂鬱になる。


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