月の輪通信 日々の想い
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2004年07月05日(月) 発熱

土曜日の夕刻、気合いを入れて、大鍋いっぱいの煮込みハンバーグをこしらえていたら、ひざやふくらはぎが急にだるくなってきた。
「筋肉痛かしらん」とばたばた配膳していたら、ちらと頭痛の気配がした
「いただきます」と席についたら、あんなに空腹だったのになぜか食欲が湧かなかった。
「あかん、おかあさん、しんどいわ。」と横になったら、すでにその時体温計は37、7度。
「わ、熱あるやん!」
そこから、今日(月曜)の明け方まで、体温は38度、39度のラインを維持。
何年かぶりの鬼の撹乱。
死ぬかと思った。

多分、夏風邪か何かなのだと思う。
「自然治癒信仰派」(別名医者嫌い)の私としては、休日診療へ駆け込む根性もなかったので、ひたすら悶々と熱と戦う。
子どもらと父さんが台所でごそごそとおさんどんをしたり、洗濯物を片づけたりする気配をとぎれとぎれに感じつつ、高熱と腰痛に朦朧と漂うばかり。
熱の合間に気になるのは、翌日のPTAの広報紙の印刷所への原稿持ち込みの予定。
展示会の搬入前で目が回るほど忙しいはずの父さんの仕事のこと。
「丸一日も熱、出してる場合じゃないんだよ!」と自分に喝をいれるエネルギーすらなく、頼りなく布団の上を転々とする母に、子ども達は優しかった。

冷たい飲み物を用意してくれ、氷嚢代わりのチューペットを取り替えてくれ、
体温を測るたびすぐに誰かが確認に来る。
考えてみれば、子ども達にとっては、母が前後不覚になるほどの熱で倒れるなんてほとんど初体験。
発熱した私自身も驚いたけれど、子ども達にとっても一大事だったに違いない。
「おかーさん、だいじょうぶ?」
不安げに尋ねるアプコに「大丈夫、大丈夫」と答えることすらできず、
「母、死にそう」
と弱音を吐く頼りない母。

「ここんとこ、結構頑張っていたもんなぁ。」
PTAのこと、学校での子ども達のこと、仕事のこと。
何かというとめらめらと怒りを燃やして、こぶしを固めて、立ち向かっていくことばかり。
本来、のほほんと鼻歌でも歌いながら、お洗濯を干したりしているのが、一番心地よいおばさんにとって、いつになく過剰に燃やした闘志の残滓が、突然の発熱となって降りかかってきたものか。
丸々一日半かかって心の中におろおろと滞っていた未消化のストレスを燃やし尽くし、身も心も、それこそからからのミイラのようになって、朝を迎えた。

休日には熱を出しても、月曜の朝にはさっさと回復して、子ども達を起こし、幼稚園のお弁当も拵えて、定刻にみなを送り出す。
「さすが主婦の鏡!」といいたいところだけれど、まだまだ手足の関節はがくがくするし、足元もふわふわしておぼつかない。
いつもの距離感、いつもの感覚をすこしづつ取り戻しながら、「快復」の実感をゆっくり味わう。
「お母さん、もう大丈夫なん?」
かわるがわるに子どもらが、やってくる。
「お、今日から『大丈夫』にする。」
とりあえずホッとしたという子どもらの正直な笑顔。
かわいいなぁと、新鮮な思いで受け止める。

「一日にお茶っていっぱい要るモンやな。」
昨日一日で2回も冷茶用のお湯を沸かしてくれたという父さん。
いつも当たり前に冷蔵庫に収まっているお茶が、主婦の地味な作業の結果であるということに気づいてくれたらしい。
そういえば、起き抜けに牛乳を飲みにきたオニイも、
いつもなら流しのところへ置いていくだけのコップをささっと濯いでコップ掛けに伏せていった。
昨日お茶を飲むたびに、自分のコップが汚れたままで不便な思いをしたのだろう。
日ごろの主婦の何でもない作業の存在が、みとめられたようでちょっと可笑しい。

ふと気づいたら、台所の流しの前の出窓に、
朝日に輝く見事なクモの巣ができあがっていた。
主婦が病床についてる間に、目敏くやってきた小ぐもが立派な罠を編む。
父さんも子どもらもせっせと家事や炊事を頑張ってくれたけれど、
やはり台所には、毎日主婦がいてこそ、家庭なのだ。
そのことが少し嬉しくて、
クモの巣はらいは、夜まで執行猶予ということにした。


2004年07月01日(木) 天真爛漫(その2)

暑い暑い炎天下、開け放した窓から入ってくるのは湿った熱風。
子どもらは帰宅するなり、ばたばたと冷蔵庫ヘ直行。
冷やしたお茶をがぶがぶと飲み干す。
1日のお茶の消費量がぐんと伸びた。
1日に大きなやかんで2杯半。
ひっきりなしに拵えても、あっという間に底をつく。
夏になるなぁ。

ザリガニ、カブトムシ、クワガタムシ、アリジゴク。
相変わらずゲンの日常は、昆虫たちを中心に回っている。
ランドセルを置くなり姿が見えないと思ったら、やはり,ベランダ下のザリガニの水槽のところか、近くの山のヒミツの昆虫採集ポイントの見回りにでかけたらしい。
今日は、学校で誰かがカブトムシを見つけたと言う。
「今年は、この近所の昆虫はあっちの方へ移動しているのかもしれない」とちょっと口惜しそう。うちで繁殖させるには、オスのカブトムシかメスのノコギリクワガタがどうしても欲しいのだそうだ。
う〜ん、今シーズン中にもう一つか二つ、飼育ケースが必要になりそうだ。

昨日は、お向かいのMさんにもらったザリガニの住まいが小さすぎるとかで、知らぬ間におじいちゃんに直接交渉して大き目の水槽を拝借してきた。
こういう「思い立ったら即行動」の行動力が、ゲンの頼もしいところだなぁと感心する。
借りてきた水槽をきれいに洗い、砂利や石を敷き詰め、川から水を汲んでくる。
途中一度も「おか〜さ〜ん」と言いに来るでもなく、自分で次々判断して段取りしていく。この集中力こそが野生児ゲンの逞しさなのだろう。
「また、ゲンが『世界』に入ってるよ。」
と、へらへら笑って放っておく。

夕方、洗濯物を取りこんでいたら表でガーゴー、音がする。
ご近所のどこかで、工事でも入っているのかなと聴くでもなく聴いていたが、不規則なガーゴーはいつまでもだらだらと続いている。
「何かしらん」
と様子見がてら夕刊を取りに出たら、玄関先でゲンがノコギリを持ち出して、何やらギコギコ切っている。道理で不規則な音がしていたわけだ。
「なにしてんの?」
「いやぁ、借りてきた水槽にはふたがないねん。
そのままやとボウフラがわくから蓋を作ろうかと思って。」
ゲンが切っているのは、どこで拾ってきたのか古いそうめんの木箱の蓋。
ノコギリなんて夏休みの工作のときくらいしか使った事が無いと言うのに、どこから探してきたものか。
見ると、エンピツでひいたラインに沿って、もう半分以上切り進んでいるのだが、けっこうしっかりラインどおりにきれいに切っている。
「へぇ、結構きれいに切れてるやン。」
お世辞抜きにゲンの大工の腕前を誉める。

「切れたかぁ?」
お向かいのMさんが、水撒きの手を止めて垣根越しに声をかけてくださった。
「ワシがそっち行って、ちょっと切ったろか」
どうやら、先ほどから庭仕事の合間に、ゲンのたどたどしいノコギリの音を聞きとめて、それとなく様子を見てくださっていたらしい。
「ううん、もうちょっとで切れそうやから、いいです。」
ゲン、顔も上げずに即答。
「そうかぁ、ま、まだ日も暮れんようやから、ぼちぼち切りや。」
Mさん、にやりと笑って水撒きの仕事に戻る。

一人暮しで、近所の庭仕事やちょっとした大工仕事を請け負っておられるMさんはご近所ではちょっと変わり者で通っている。
人懐っこいゲンは妙にこのMさんと気があうらしい。
昆虫の出そうなポイントとか、工作に使う松ぼっくりの在り処を、真っ先にMさんに訊きに行く。
Mさんの方も「にいちゃんいるかぁ。」とふらっとやってきては、庭で捕まえたカブトムシやら仕事先で見つけたカメやザリガニなど、ゲンの喜びそうなお土産をぼそっと下さったりする。
今日もMさんは、前の日に自分がやったザリガニのために、ゲンがそそくさとと水槽を洗っているのを、見るとはなしに見守って下さっていたものだろう。
ギーコギーコと覚束ないノコギリの音を耳にして、もどかしく思いながらも「貸してみ,切ってやろう。」とは言わずに、長いことゲンの苦心する様を笑って見ていてくださったのだろう。

ありがたいなぁと思う。
子どもが親や先生だけでなく、まわりの大人のこういう見守りの中で成長して行けると言う事は本当にありがたい。
「社会全体で子どもを育てよう。」というと、「公共の場で騒ぐ他人の子どもをひるまず叱ろう」とか、「昔はどこにでも子どもの悪戯を叱るがんこジジイがいたものだ」とかいう話題になるけれど、そればっかりじゃないんだな。
ゲンとMさんの間には、大人と子どもという年齢に隔たりはあるけれど、どこか共通の物が好きな仲間同士のような親しさがある。
山に入って、くんくんと湿った腐葉土も匂いがすると、黒光りするカブトムシやクワガタムシの気配を感じてわくわくしてしまう。ザリガニがガシガシと鋏でえさを食いちぎっているのを見ると、スッゲーっと舌なめずりしてしまう。
そういう少年同士のような奇妙な友情がなんとも微笑ましく、ありがたい。

「おかあさん、ザリガニはするめを良く食べるんだけど、するめを入れておくと水槽の水がすぐ臭くなるんや。どうしたらええかなぁ。」
夕食の時にも、お風呂の後でも、ゲンの話題はどこまでも昆虫やザリガニを中心に回っている。
「はいはい、明日、自分でかんがえな。」
母はええ加減に答えるけれど、ゲン自身の頭の中では明日の綿密な作戦を練られているに違いない。
楽しい季節を過ごしているんだな。
少年の夏がいつまでも豊かにながれていきますように・・・。







2004年06月28日(月) 天真爛漫

近頃、ふと気がつくとゲンの姿が見えない。
「アイス食べるー?」とか、「でかけるよー!」とか、大きな声で呼ぶと、
いつも真っ先になになに?と飛んでくるゲンが、なかなか現われない。
「また、山へでも行ってるんじゃないの?」半ば呆れ顔で、オニイやアユコが笑う。
虫取り、沢蟹取り、川遊び。
野生児ゲンの本領発揮の季節がやってきた。
帰ってきてランドセルを投げ出すと、たちまちゲンは忙しい。

おじいちゃんちのお茶室の縁の下から連れてきたアリジゴクは、ベランダ下の物置の乾いた砂地にいる。
勉強机の大きな引出しの中には、私が道で拾ってきたこの夏はじめてのノコギリクワガタ(♀)の飼育ケースが、でんとおさまっている。
昨日は、お向かいのMさんが庭仕事の仕事先で捕まえたニホンザリガニを持ってきてくださった。水槽に水を張り、割れた植木鉢をいれて、アリジゴクの近くに飼育コーナーを拵えて住まわせる。
ひと夏限りのにわかペットたちの顔を見て回るだけでも忙しい。
その他にも、近所の山のめぼしいクヌギの木のうろに、昆虫を集める蜜を塗りつけ、日に何度も獲物がいないか巡回してまわる。
「おかーさぁん!ザリガニにするめをやったらね、ナイフとフォークみたいに両方のはさみを使ってバリバリ食べるんやでぇ!」
その嬉々とした表情はまさに「野生児」
いいやつだなぁとおもう。

先日からのゲンのクラスのいじめ疑惑。
先週末から、他の"いじめられっこ"達のお母さん達から、TくんOくんの最近の行状や担任の先生の対応の仕方などについて情報収集をすすめてみた。
どうやらTくんOくん達によるいじめは前の学年のときから今も続いていて、「学校へいきたくない」とか「イヤな事された」という訴えは時々出ているようだ。
それに対する家族の対応も様々。
「我慢できなくても、絶対暴力でやり返しちゃダメだよ。」と諭し、子どもが悔し紛れにモノを壊したりするのをやむなく許しているというおかあさん。
「本当に我慢ができなくなったら、学校へは行けなくてもいいよ。『不登校』という選択肢もあっていいから・・・」というお父さん。
「今日はいじめられなかった?」と毎日の様に聞くのだけれど、学校での事をあまり話したがらなくなってきたと言うお母さん。
「お宅が先生に訴えるのなら、うちも一緒に行かせて欲しい」とおっしゃるうちもある。
「やられたときにおこってやり返そうとするから、余計やられるんだよ。ボクはやられてもすぐに泣くから、それ以上はやられないんだ。」と悟りきった"いじめられっこ"の達人もいるのだそうだ。
先生なり、いじめっ子なりに直接、正面対決する以外の対処方法というのもいろいろあるのだなぁ。
「それって、ただの逃げじゃないの?」と思われることもあるけれど、
これ以上傷つけられたくない、今以上に子どもを戦わせたくないという親心も痛いほどわかる。
「腹たつわー!母が行って闘ってきてやるー!」
と、近頃とみに闘争心をめらめら燃やす私自身を、心を冷まして省みてみる。

学校での友達関係の悩みは、できることなら子ども自身の力で、学校の中で解決していくのが望ましいと思う。
私達が子どもの頃にもいじめっ子もいれば、のけ者にされてしょちゅうべそを掻いてるいじめられっ子もいた。
今よりもっともっとシビアな形で、障害を持った子や勉強の遅れがちな子、家庭環境に躓きのある子は、はじかれたり、悪口を言われたりした。
「ああ、今日もあいつの顔は見たくない」と憂鬱な想いをねじ伏せて、何とかかんとか登校していた日々のある。
だからと言って、いちいち訴え出ていく親というのは子どもの目から見るとあんまりありがたくなかったよなぁ。
「子どものけんかに親が出る」
というのはおろかな親の振るまいとして、軽い軽蔑の対象ともなった。

今はあの頃と違って、ちょっとした言葉の行き違いや諍いでカッターナイフを持ち出したり、高い建物から突き落としたりという思いがけない事件が耳に入る。
「不登校」ということが珍しい事ではなく、クラスに何人も「学校へ行けなくなる」ほどの心の葛藤を経験していたりする。
「自分ちの子どもは、親が守ってやらなくては・・・」という事を、学校の教師までが口にする現代。
大きな声で訴える親でないと、「毎朝、元気に登校していく」という子どもの最低限の日常が保証してやれないのはしんどい事だ。
子どもが自分自身の力で解決していく力を黙って見守る余地は本当になくなってしまったのだろうか。

「おか〜さ〜ん!!見て見て!」
ゲンの弾んだ声が飛びこんでくる。
"巡回"の最中に、大きなカブトムシのメスを見つけたという。
仮性近視で視力検査のたびに赤紙をもらってくるくせに、高い木の幹の昆虫や道端に落ちてもがいている昆虫を見つける視力だけは、野人なみ。
面白い奴だなぁ。
友達に悪口の手紙を送ったり、いじめられた腹いせにモノを壊したり。
なんとなく陰気なゲンの行状を聞かされて、ゲンのうちに秘めた怒りや悲しみのエネルギーの大きさに少なからぬ衝撃を受けた。
でも、それも確かにゲンだけれど、それをカラリと振りきっていそいそと虫取りに興じるキコンカイな明るさもまたゲン。
私は親として、ゲンのスコーンと突き抜けた明るさを信じて見守ってやってもいいかとも思う。
「ボクよりもな、しょっちゅうイヤな事を言われたり、いじめられたりするUくんやTさんの方が心配なんや。」
と仲間を心配する事のできるゲンは、まだまだ一人で闘える。
母の出番は、取りあえず新しい飼育ケースと底の破れた運動靴の買い替えくらいか。
野生児ゲンの明日は明るい。

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2004年06月25日(金) 叱られにいって得をする

先日、ゲンの「問題行動」で呼び出しを食ったときの事。
約束より少し早い時間に職員室についた私。
最近顔なじみになった職員のYさんが、
「お待ちになるんなら、こちらでどうぞ。」とソファーのところに案内してくださった。
「暑かったでしょ。役員さんは大変ですね。」
普段委員会の用事で大荷物を引きずって、「PTA室の鍵、くださーい」と職員室を出入りしている姿を見ておられるのだろう。
「う〜ん、今日は委員会の仕事じゃなくて、叱られに来たんですけどね。」
と恐縮している私に、わざわざ冷たいアイスコーヒーまでいれてくださる。

蒸し暑いながらも、時折涼しい風がはらりと舞い込む窓辺には、たくさんの鉢植え。
同じ種類のシャコバサボテンの鉢がずらりと並んでいたりするところを見ると、どなたかが切り戻した枝を挿し芽したり、株分けしたりしながら、こつこつと殖やして育ててこられたものだろう。
「ここのお花はどなたが育てておられるの?」
「お好きな先生方がおられるんですよ、前の校長先生が買ってきてくださったものもありますよ。」
いつもは素通りして気にもしなかった職員室の窓辺の鉢植えに、何人もの先生方のの何気ない手入れやら心遣いが育っているのだなぁと、なんだか嬉しい。

「あ、ストレプトカーパスがありますね。」
ちょうど咲き始めたばかりの青紫の花がゆらゆらとゆれている。
以前我が家にもたくさんあって、挿し芽で殖やしては誰かにお分けしていたこともあるのだけれど、いつのまにか絶えてしまって、入手できなくなっていた花だ。
「あのう、お茶までご馳走して頂いて、あつかましいんですけど、もし差し支えなかったら、挿し芽用に小さい枝を少し分けてもらえないかしら。
前から探してたんだけど、なかなか見つからなくって・・・」
思いきってお願いしてみると、
「ああ、その花はストレプトカーパスって言うんですか。
いいですよ、どうぞどうぞ。」
Yさん自身は挿し芽で殖やす方法はご存知じゃないようだったので、簡単にレクチャーして小さな枝を分けていただく。
小さな枝からでも、今の時期ならほぼ確実に株を育てる事ができる筈なので、嬉しいうれしい。
「わぁ、叱られに来て、得しちゃった!」
持ちかえり用のナイロン袋まで頂いて、ほくほくとかばんに収める。

その後のK先生との面談は、どちらかと言うと不愉快な不本意なものだったけれど、その前にちょっと得しちゃったので良しとする。
翌日、別の用事で職員室に行ったら、
「あ、来はった、来はった」
と私の名を呼んでくださる先生がいる。
「この花、お好きなんでしょ!
挿し芽もいいけど、うちで殖やした小さい株があるからよかったら持って帰って!」
と小さな素焼きの鉢植えを見せてくださる。
わざわざ、私のために持ってきてくださったのかしらん。
「え?!いいんですか?
わぁ、嬉しいわ。ありがとうございます!」
なんだかとってもとっても嬉しくなってきた。

PTA役員になって、思いがけなく得をした副産物。
excelの基礎知識。若いお母さん友達。
子どもたちの学校での様々な情報。
そしてストレプトカーパスの鉢植え。
まだまだ、増えるはず。
ありがたい。

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2004年06月24日(木) 新たなる闘い

「やっぱりなぁ、今度はゲンかい!」
アユコのメール事件,オニイの過敏性腸炎に続いて、今度はこれまでキコンカイに過ごして来たゲンに問題発生。
担任のK先生からゲンの最近の振る舞いについて、呼び出しを食った。

ゲンが教室で二人の友達の名を書いて、「死」という手紙を書いて本人に見せたと言う。
「日頃その二人からちょっかいを出されたり,悪口を言われたりしていたから仕返しのつもりで書いた」と本人も書いたことを認めているという。
相方を呼んで事情を聞き,クラス全体にはかって「人のいやがる事をいったりしたりしてはいけない」と厳しく指導したのだそうだ。

実はゲンの「悪口お手紙事件」はこれがはじめてではない。
以前にも同じ相手に対して,小さく悪口を書いた紙飛行機を飛ばしていて見つかり,叱られた事がある。
自分の思いをストレートに言葉で訴える事が下手なゲンは、悔しい想いや「このやろう!」という気持ちをそういう屈折したやり方で吐き出す事がある。
この間の「雨傘バラバラ事件」の時には、相手に仕返しできない辛さを「物に当たる」ということで何とか解消しようとしたらしい。
相手に言っても聞きいれられない悔しい思いを、なんとか暴力の応酬や悪口を言い返すこと以外の方法で解消し、誰かに聞き届けてもらいたいというゲンなりの不器用な抗議の仕方だと私自身は理解していた。

一方、手紙の相手のTくん、Oくんは普段からまわりの子にちょっとした嫌がらせや悪口を言ったりするいわゆるやんちゃなタイプ。
ゲンやおとなしいUくん、Tさんという女の子など特定のターゲットに対してしつこく「いじめ」に近い悪戯を繰り返している。これまでにもたびたび、ゲンは悔し涙で歯を食いしばりながら、「またTくんにイヤな事をされた。」と訴えてきた事もある。
その「イヤなこと」というのが、大人の目から見ると「遊びの延長」なのか「いじめ」なのか微妙なラインでもあり、ゲンの説明にもあやふやな判りにくい部分もあったりして、「要観察」となんとなく心にとめてはいたのだった。

取りあえず事情の説明を・・・と駆けつけた私に、K先生は意外なゲンの最近の「非行」を次々にあげた。
音楽の時間にふざけが過ぎてひどく叱られた事、
農作業の時間に近くのTさんの苗の上に他から持ってきた雑草の山を積み上げた事、
そして、Tくん、Oくんに「T、O、死ね、スイッチ」と書いた手紙を渡したと言う事。
先日話しておいた「雨傘事件」も含めて、どうもゲンの言動が近頃おかしい。屈折した行動が見られる。要注意だと言う事らしい。

私はゲンから聞いたそれまでのTくんOくんの嫌がらせの事を説明し、「手紙」の事は誉められた事ではないが、ゲンなりの抗議の手段だった事をK先生に伝えた。
K先生も、TくんOくんの「ふざけが過ぎる」振る舞いについては認知しており、双方に指導はしているという。今回もお互いが非を認め、両方がごめんなさいという形で収めたと言う。

ここまで聞いて、なんとなく私はK先生の物言いに違和感を感じた。
確かにゲンのやったことは悪いには違いないが、もとはTくんやOくんの日頃の意地悪に端を発した事だ。それなのに、彼らの振る舞いについては深く触れようとしない。
「子どもの軽いトラブルの範疇」であるとか、
「最近は以前ほど(Tくん、Oくん)の意地悪の訴えはでていない」とか、
「(ゲンが)ちょっとしたふざけに過敏に反応しているだけ」とか、挙句には
「表現力の乏しい子どもの訴えは、ころころ変わるし、どうしても自己弁護が混じる」とまでといわれた。

確かにゲンの言葉での表現能力は拙い。
そして「T O 死 スイッチ」とゲンの文字で書かれた小さなメモ書きという動かぬ証拠もある。
音楽の時間のことや、Tさんへの意地悪など、それまでゲンからは聞いていなかった事実も聞かされた。
その場で、K先生に食い下がって反論し、ゲンの主張を代弁する事もできそうにないので、取りあえずうちに帰って再びゲンと話をするということで帰ってきた。

帰宅後、事件をさっさと「なかったこと」にしたがるゲンを捕まえ、こんこんと一問一答。
同じ事を何度か聞き方を替えてきいてみたり、
ぽつぽつと単語で語るゲンの話に、主語述語を補って聞きただしたり、
できるだけ正確な「ゲンから見た事実」を組み立ててみる。
何度も何度も話すうち、問題の在り所が明確になりつつある。

新たなる闘いの予感がする。
再び戦闘モードの母となるか。
全く次から次へ、難問は尽きない。

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2004年06月23日(水) とかく長と名のつくものは・・・・

昨日のリベンジで、広報委員会。
突然の予定変更のため、出席者を集めるだけで大変。
委員のほとんどは勤めに出ている人や自営業の奥さん。
小さい子が熱をだしたとか、予定していた用事があるとか、仕事のない人にもそれぞれ止むに止まれぬ事情がある。
それでも今日、各グループに任せてあった広報紙の記事の原稿を集めて、読み合わせの作業に入らないと、締め切りに間に合わない。
「来られないところは何とか原稿だけでも提出できる様にしてください。」
あちこちに無理を頼み、とにかく原稿を集めて、最悪の場合一人二人の突貫作業になっても・・・と決死の覚悟。
それでも、なんとか都合をつけて出てきてくれた5、6人が頑張ってくれて何とか読み合わせ完了。

広報は仕事の性質上、皆で集まって一緒に作業を進めると言うよりは、うちで個人的に記事を書いたり編集作業をしたりという事が比較的やりやすいということになっている。
実際、いまどきのPTA役員はほとんどが仕事持ち。
委員会の参加もなかなかままにならないので、出来るだけ学校へ出て来なければならない回数は減らして、メールやFAXを多用し、都合のつく人が走り回って仕事を進める。ほとんど学校へは顔を出さずに、家での作業だけで委員会の活動をこなす委員も少なくない。
それでも仕事をしながら、たまたま引き当てた委員の役目を最大限頑張ってこなしてくれている。
あれほど心配したけれど、取りあえず全員の原稿が集まり、発行のめどもついた。
それはそれでよかったのだけれどね。

記事の一部に委員会のメンバーから不満が出た。
確かに私も原稿を受け取ったときにあれれとは思ったけれど、最初の会議のときに皆がイメージしてたものとはちょっと違う。
中間チェックのために何度か時間を取ってはいたが、そのときに途中経過を見ることは出来ず、読み合わせのときにも結局一人も出席できなかった。
事前の意志の疎通や情報不足を考えると、仕方のない出来ではあるが、う〜ん。
「全面的に作りなおしてもらわなくては・・・」
と強く主張するメンバーもいて、
「でも締め切りも近いしねぇ、今からやりなおしがきくかしらん?折角作ってくれたものにダメだしするのもねぇ・・・」
と弱腰の私。

結局、副委員長のOさんと押しの強いYさんがグループの一人にやり直しを打診してくれるということで落ちついたけれど、案の定、差し戻しを食ったメンバーからも猛烈な抗議が出た。
気持ちはわかる。
忙しい仕事の合間を縫ってあれこれ試行錯誤して作った原稿を、あと数日の期限で大きく変更せよと言われて、「なんでよ!」と怒りたくなる気持ちもよくわかる。
でもなぁ・・・、行き違いのもとはなんといってもメンバー間コミニュケーション不足。一つのものを複数の人間がこしらえるのに、メールや電話だけでイメージを伝え合うにはおのずと限界がある。
リーダーたる私の采配の不手際の責は大きいなぁと思いつつ、忙しいメンバーの負担が少なくなる様にと最大限配慮してきたつもりだったので、なんとも気持ちは複雑。
「やンなっちゃうなぁ」とぶうぶう家族に愚痴を垂れる。

とかく長と名のつくものは・・・・。
つくづく私にはリーダーの才がない。
いやいや愚痴はいうまい。
あちこちにフォローのメールや電話を送り、修復を図る。
「かあさん、晩御飯先にたべていい?」
電話中の私にオニイが遠慮がちにメモ書きを見せる。
「OK!OK!」と身振りで示して、ややこしい電話を続ける。
ごめんよ、ごめんよ。
今日の母は、委員長モードでいっぱいいっぱいだ。

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2004年06月21日(月) 台風、そして掃除魔の襲来

台風だ。
暴風警報が出て、幼、小、中学校そろって休校。
次々に子どもたちの連絡網の電話が入る。
喜ぶ子供達を尻目に母、げんなり。
本日、召集予定であったPTAの広報委員会も必然的に流れる。
広報紙の現行の締切日で、取りあえずメンバーが出てきてくれないと予定が大きく狂うと言うのに、全くついていない。
代替の活動日を決め、段取りを考え、あちこちに電話とメールで連絡を取る。
父さんは、今日近くの公共施設の陶芸教室の素焼きの予定が流れる。
こちらもまた、窯の利用可能日や生徒さんの参加状態など予定変更の影響は大きい。午前中いっぱい、手配に奔走。
つけっぱなしのTVの台風情報をたびたび眺めてはぶうぶう文句を言う。
・・・・そういえば、予定変更の段取りの心配はするものの、台風そのものの被害の心配はすっかり忘れている我が家。
だって台風なんていうけれど、この辺りではちょっと強めの雨模様状態。
ああ、台風なんて嫌いだ。
子供達よ、ひとっ走り学校へ行って、給食だけでも食べてさせてもらってきなさい。

試験前のオニイは、終日連立方程式と格闘(のはず)。
アユコには、突然「掃除の神様」が舞い降りたらしく、ブタ小屋状態だった4人共有の子ども部屋の片付けにのめり込む。
大体アユコは私に似て、本格的にお片付けモードに入るとすこぶるご機嫌が悪くなる。その指揮下でいやいやおもちゃや本を片付けている兄弟達は、遠慮のないアユコのダメ出しと癇癪に恐れをなして、一人二人と脱落して逃げ出してくる。
おしまいにはアユコ一人がぷっとふくれっ面しながら、一人で黙々と作業に没頭する羽目になる。
「ちゃんとアユコの手伝いをしてきなさいよ。」と、一応弟妹達には声をかけるものの、ひとたび掃除の化身と化したアユコがどれほど辛辣で、ピンピンとんがっているかはよく知っているので、無理に大掃除に押し戻す事もせず。
「まぁまぁ、うまい事やってぇな」と優柔不断な母。

掃除魔となったアユコの言動はよく聞いていると、出かける前や特別家事がたまっているときのいらいらした私の言動によく似ている。
「何でアタシがこんなにやってるのに,みんな協力しないの。」とか、
「せめて自分の分くらい責任持ってやってよ。」とか。
日頃の我が身のサボり症は棚に上げて、自分の「掃除熱」「家事熱」について来れない家族をなじる。
あはは、口調までそっくりだ。
他の子達の反応を見ていると、これまた日頃、私の癇癪をさりげな〜く避けてどこかに逃げ込んだり、他の用事が出来るとこれ幸いと仕事場に逃げ込む父さんの反応にそっくりだ。
「くわばらくわばら」と知らぬ間に私の視界から消えて行く鮮やかさは、父譲りでしっかり伝承されているらしい。

数時間後、ブタ小屋の大掃除を終えてすっきりした顔のアユコが下りて来る。
「みてみて、きれいになったでぇ。」
どれどれと見違えるようになった部屋を視察に行く。
「お、さすがにアユコ。きれいになってるジャン」
すかさず、誉めておだててアユコのプライドをくすぐるオニイの技も絶妙だ。
これも父譲りの「主婦操縦術」か。

夕暮れ。
「虹が出てるよ。早く早く!」
と、父さんが帰ってきた。
山の向こうにふわりと頼りなげな七色の橋。
少しの雲の動きにも移ろって見え隠れする虹を指差して、歓声を上げる子ら。
みなで同じ空を見上げて、笑う事の出来る今日の幸せ。
さあ、明日も頑張ろう。
クサらすに行こう。

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2004年06月17日(木) 子育て世代を甘やかすな。

オニイが宿泊学習に出かけた。
他の子ども達も、元気に登校,登園していった。
個展会場へ行く父さんを車で駅まで送って、久しぶりに平和な主婦の時間。
朝の片付けを済ませ、久しぶりに家中掃除機をかけ、まぶしい陽光の中で洗濯物を干す。ここ数日たまっていた家事をざざっとやっつけて、TVのワイドショーを見る。
私は基本的におうちが好き。
こういう朝の時間の穏やかな流れが、私には一番身に合っている。

ワイドショーではまた子どもたちの暗い話題。
ネット、カッターナイフ、加害女児に続いて、いじめ、罰ゲーム、自殺。
ここのところ、自分ちのどたばたで気持ちの余裕がなかったので、外の暗い話題にはあまり触れたくない思いでいたのだけれど、次から次へと胸を突かれる事件が続く。
子ども達にいま何が起こっているのだろう。
なぜこんなにも悲痛な事件が続くのだろう。

いまどきの子育てを論ずるとき、世間の風は意外と子育て世代の親達に甘いのではないかと最近思う。
「核家族化が進み、子育てが密室の母子の間で孤独に行われている。」とか、
「少子化社会の中で次の世代を生み育てている親世代を社会全体でサポートしなければ」とか、
「携帯電話やパソコンなど昔にはなかったアイテムが子どもの中に浸透し、親が子どもを理解し、その行動を把握するのが難しい時代になった。」
とか・・・。
働くお母さんが増え、週5日制になって平日子どもが学校にいる時間が長くなった。パソコンや携帯など学校や親の目の届かないところで子供達が友人関係を築いていくようになり、子供達のまわりにはその良し悪しにかかわらず手に余るほどの情報があふれている。子供が標的となる事故や犯罪など安全を脅かす種もそこここに落ちている。
そして、子育ては必ずしも親にとっての「人生の第一課題」とは言えなくなった。

「社会全体で子育てをサポートしよう。」と世間が子育ての苦労に眼を向けてくれるのは誠に結構。
有難いことではある。
けれども,そのありがたさにあぐらをかいて、現代の子育て世代は甘やかされすぎていないか。
「小さい赤ちゃんとべったり一緒の生活に疲れた。」
・・・どこか公的な機関で一時的にでも子どもを預かって気分転換させてくれないか。
「子どもが家庭のパソコンで何やら怪しげな事をしているみたい。」
・・・アタシはパソコンはさっぱりわかんない。学校でちゃんとパソコンの使い方やネチケットをおしえてくれなくっちゃ。
「週5日制になって、週に二日も子どもが家でごろごろしている。」
・・・放っておいても子どもが安全に遊べる場所や、有意義に遊ばせてくれる大人はいないの?
「近頃の子は挨拶もしないし、ちゃんと目を見て話さない。」
・・・学校ではそんな基本的なしつけも教えてくれないのかしらん。
自分ちの子どもの成長に必要なしつけや心配りの多くを、社会や学校、近所の人や先生に肩代わりしてもらって当然というような発言をよく耳にする。
少子化時代の中、次代を担う子供達はもっと大事にされなければ・・、もっと助けてもらわなければ・・というような親の妙な権利意識が、私にはとても不快に響くことがある。

子育てが困難な時代はこれまでにもたくさんあった。
育ち盛りの子どもに、3度の食事を充分に与えられない時代もあった。
それまでの価値観が一夜にして代わり、昨日まで大事にしていた教科書を墨で塗りつぶし、新しい思想や価値観を教え込まなければならない時代もあった。
そんな中でも、「親」となった人達はわが子を、他人様に迷惑をかけないで一人前の人間に育てるべく、試行錯誤を繰り返してきたのではなかったか。
人としての最低限の常識や礼儀、価値観は、家庭での「しつけ」。
「私がおなかを傷めて生んだ子ども」の素行や言動の責任は、否応無しにその父母が負ってきたのではなかったか。

子どもの数が減った。
「社会全体で子育てのサポートを」というとき、必ず破綻寸前の年金制度や先の見えない超高齢化社会、日に日に悪化し希望の持てない環境問題など、未来の子供たちが背負っていかなければならない難問をちらちらと横目で見ている大人達がいる。確かに成長途上の子供達はいつの時代にも未来を担う希望の星には違いない。
けれども、だからと言って親は子育ての責任や労苦を社会全体で支えてくれる事を期待して、親としての責務を丸投げしてしまってよいのだろうか。

「公園の遊具で子どもが怪我をした。」
子どもの生活圏の安全を確認せず、危険な遊びをしないという分別を教え込まなかった親の責任を問わないのはなぜか。
「子どもがいじめを苦に自殺した。」
人のいやがる事をしない、命を大事にするという人として最低限のモラルをしっかり育て上げる事の出来なかった親の怠慢を責める声があがらないのはなぜか。
「目上の人にもタメぐちを吐く。挨拶が出来ない。ちょっと注意するとキレる若者」
長幼の序を教え、基本的な礼儀やマナーを身に着けさせるのは、学校教育以前の幼い子どもたちへの家庭でのしつけの問題ではなかったか。
何かというと、学校や社会の責任を問う「子育てサポート」は、どこかで親としての責任や負担を軽んじ、子育て世代の決意を甘やかしている。
「自分の子どもは親が責任を持って管理し、責任を持って育てなさい。
ちゃんと育てなきゃ、ダメじゃないの!」
と叱る大人はいないのか。
少子化社会の本当に怖いところは、甘やかされた子育て世代の家庭での教育力の低下ではないかとこの頃とみに思う。

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2004年06月16日(水) ズル休み

父さんの個展やら、七宝やら、オニイの宿泊学習の準備やら、ばたばたと東奔西走。幼稚園の送り迎えの合間を縫って、出たり入ったり。
この先もまだまだ、剣道の試合やら,PTAの会議やらでうちでまったり専業主婦を楽しむ暇がない。
オニイが復活してくれていて、本当に助かった。
とりあえず、息を切らして走りまわれば用事はひとつずつ片付いていく。

・・・と思っていたら、今朝はアユコがぐずぐずしている。
皆が朝の支度で大忙しの中、なんとなくうだうだとご機嫌が悪く、いっこうに急ごうとしない。
なんなの、なんなのと聴くと、「学校へ行きたくない」という。
あらら、今度はまたアユコかい。
次から次へと降って沸く難題に、母、へらへらと笑ってしまう。
6年生になって、今年新しく出来たばかりの放送委員会の副委員長になったと張りきっていたアユコ。毎日毎日が楽しそうで、妙にテンションが高かった。
オニイの不登校騒ぎを心配そうに見守り、ともすれば暗くなりがちな母と兄に陽気に軽口を叩いて、エールを送ってくれていた。
「この頃のアユコは、絶好調だね。」と笑っていたが、彼女には彼女のしんどい事がまだまだ残っているのだろう。

とにかく他の子ども達を送り出し、ゆっくりとアユコの話を聴く。
クラスで何人かの男の子達から、いやなことを言われたり、小さな悪戯をいくつか仕掛けられているという。
首謀者は5年の時のメール事件の中の一人I君。
「ごめんなさい、もうしません」と何度も謝りながら、「結局あいつは変わらない」とアユコは唇を噛む。
先生がきつく叱っても、アユコが毅然と無視しても、「あいつは口先で謝るばかりで、また翌日には同じ事をする。」
あの事件以降にもあちこちからI君の素行について、よくない話もいくつか聞いている。「どうしようもないなぁ」と思う。
近所の小うるさいおばさんやら、生真面目な小学生の女の子が、意見したり訴えたりして変わる子じゃない。変わる家庭じゃない。

よっしゃ、今日はズル休みだ。
担任の先生に事情を話して、すっぱり気分転換して作戦を考えよう。
外は素晴らしい好天気。
軽乗用車をぶんぶん走らせて、街にショッピングに出かける。
「アユコと二人で買い物に行けるのは久しぶり!うれしいなぁ。」
親公認とはいえ,「ズル休み」にびくびくしている生真面目なアユコ。
それでもここ何日か、父さんの仕事の事やら、オニイの事やらでちょっと居心地の悪い思いをしていただろうアユコが、少しづつ「母独占」を楽しみはじめているのがわかる。
手芸店で小物をいくつか買い、バーゲンのTシャツを選び、好きなお菓子を買う。
パン屋さんのスタンドでサンドイッチとジュースのささやかな外食を楽しむ。
一人っ子ならごくごく当たり前のささやかなショッピングの1日が、アユコにとっては滅多にない楽しい休息の時間なのだなぁ。

甘い甘い菓子パンを齧って笑うアユコに、
「また明日から闘うエネルギーを補給できた?」と聞いてみる。
「うん、大丈夫。」
強くなったなぁ、アユコ。
近頃では、もう自家中毒の発作も偏頭痛も起こらなくなった。
ちょびっと泣いて、美味しいものを食べて、「仕方ないジャン。」と再び立ちあがる。そういう戦い方が出来るようになった。

楽しいズル休みだったよ、アユコ。
お陰であなただけではなく、お母さんもたっぷり充電できたよ。
さあ、一緒に明日の戦い方を考えよう。

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2004年06月13日(日) 若き日の読書

晴れやかな好天気。
男の子達を剣道の朝稽古に送っていく車のラジオから、聞こえてきたのは「波乗りジョニー」
少しボリュームをあげ、車の窓を開ける。
さわさわと風が気持ちいい。
「やっぱりこういうお天気の日に聴きたいよね。」
わが息子も、サザンの曲を同じ気分で聴く事が出来る年頃になったのだなぁ。
ちょっと嬉しい。

午後、皆でビデオ屋と本屋に出かける。
子ども達はそれぞれに好みのビデオを借りたり、本を買ったり。
帰りに本屋の店先に出ていたおもちゃの水鉄砲をアプコに買う。
「僕はもう要らないよ。」というゲンにも、同じ物を無理やりもう一個買って帰る。
果たして、うちへ帰るとゲンとアプコ、二人が戸外で今年最初の水遊びに興じている。
「アプコの相手をしてやる」と言いながら、まだまだ全身びしょぬれになって水遊びを楽しむゲンの笑顔は幼い。
愛しいなぁと思う。

オニイが今日買ったのは、新潮文庫の「人間失格」(太宰治)
ずいぶん前から、読んでみようかなと言っていたが、ちょうど一番落ちこんでいた時期だったので、「太宰を読み始めるのは、もうちょっと心が元気な時の方がいいよ。」となんとなく遅らせていた。
学校の授業でちょうど「走れメロス」を習っているようだし、誰だかクラスの友達に勧められたのかもしれない。
これまで、赤川次郎や星進一など、どちらかと言うとお子様向けの延長のような本を次々にむさぼる様に読んできたオニイも、そろそろ「大人の本」の入り口に立ち、太宰のような暗い小説にはしかのようにかぶれてしまう年頃にさしかかったと言う事だろうか。
きゅうに背が伸びて、声もだんだん低くなり、気難しい言動が多くなったと思っていたら、しっかり興味の行き先も選ぶ本の傾向もがらりと変わっていくのだなぁ。
嵐のような辛い時期を乗り越えて、たしかにオニイの中で何かが変わって来たのが判る。

私自身の中学校次第を思い返す。
ちょうど、オニイと同じように学校の国語の授業で「走れメロス」を習う頃、本格的に「大人の本」の世界に足を踏み入れた。
当時、私がいたく傾倒していた国語の先生の導きで、私は近現代の日本文学の名作の数々をそれこそむさぼる様に次々に読み飛ばした。
帰りに先生が次に読むべき本を教えてくださり、私はその本を図書館で借りたり文庫で買ったりして夜を徹して読み通す。短い感想を書いた手紙を先生の机に置いておくと、帰りにはまた次の本の指令を出してくださる。
まるで、スポーツ選手とそのトレーナーの様に、私はひたすら読み、先生はそれに応えて次々に新しい本を選んでくださった。
ご自身も大変な読書家でいらしたN先生と過ごした中学生時代に、私は一生で一番たくさん本を読んだと思う。
今から思えば、同時に何冊もの小説を次々に読み飛ばすトライアスロンのような読書経験のなかで、一つ一つの作品の味わいや意味をどれほど汲み取る事ができたか
は甚だ心もとないのだけれど、それでも体力も知力も一番無理が利くというあの時期にあれだけの多くの書物と出会うことができた事は本当に幸福なことだったと思う。

今はもう、あの日のように幾日も睡眠時間を削って長編小説を読みふけったり、本屋でドンと山積みの文庫本を一度に買いこんで来たりという体力も知力もなくなってきた。けれどもその代わりに、好きな作家の好きなエッセイを少しづつ味わいながら、惜しむ様に読み進めていく楽しみが判るようになってきた。
少女には少女の、おばさんにはおばさんの本との付き合い方がある。
そしてオニイにはオニイの彼なりの読書生活が始まっていく。
その「はじめの一歩」が、「人間失格」なのだろうか。
文庫のカバーのプロフィールを見て、「自殺未遂とか、入水事件とか、何だかひどい人生だなぁ。」と呆れながら、太宰の世界に足を踏み入れようとしているオニイ。
太宰の破滅的な人生の何が13歳のオニイの心の琴線に触れるのだろう。

新潮文庫では太宰治の作品の背表紙の色は、30年前と少しも変わらぬ黒だった。
ああ、懐かしいと手に取ったものの、当然の事ながら表紙の図案は見なれたあの白黒の意匠とは違っていた。
オニイはオニイの「太宰」と出会う。
あの日の私とも違う、勿論今の私とも違う、オニイにはオニイの本の世界が開けていく。
頼もしいような、少し寂しいような、そんな気持ちで「人間失格」を買った。

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