月の輪通信 日々の想い
目次過去未来


2004年06月10日(木) 愛情一本

父さんの個展の日程が迫ってきた。
不眠不休の制作の日々が続いている。
手指は荒れてがさがさ、作業着のジーンズやエプロンは土や釉薬で汚れ、髪も顔も埃っぽくてなんだか薄汚い。肩こり腰痛眼精疲労。睡眠不足で、目は半目。
男前が台無しだぁ。
いつ寝て、いつ休憩しているのか。
食事と短い仮眠のために自宅へ戻ってくるが、そのたびに「どぉ?元気?」と顔色をうかがう。仕事のはかどり具合や出来によって、答える声に力がああったり、ペションとへこんでいたり・・・。
その消耗ぶりを傍で見ていても、何の手助けにもなれない奥さんの不甲斐なさ。
せめて、短い休息の邪魔をせぬように・・・。
忙しく流し込んでいく3度の食事を少しでも手早く少しでも美味しく・・・。
それから、それから・・・

買い物のついでに、ドリンク剤を箱で買う。
高嶋礼子が、バリバリ自転車に乗ってCMやってる例のヤツ。
徹夜続きの仕事が続いたり、ここ一番の頑張りどころにさしかかると、父さんは普段は飲まないドリンク剤をグイとやる。
ドラッグストアの店頭には、効能も値段も様々な、本当にたくさんの種類のドリンク剤が並んでいる。
一つ一つ眺めていると、いつまでたってもどれにするのか決らないので、アユコと一緒に「愛情一本〜♪」と口ずさみながら、いつもよりワンランク上のドリンクを選ぶ。
ど〜んと山積みされた箱売りのドリンク剤。
「ここ一番!」とドリンク剤をグイとやって、頑張っている人がきっといっぱいいるんだねぇ。
日々、父さんのギリギリいっぱいの仕事振りを見ているアユコも、ふむふむと頷く。
頑張っている人の背中を見守る.
何の手伝いも出来ないけれど、「がんばれ、がんばれ」と心の中でエールを送る。
そんな暖かい感情を、ようやくアユコも母といっしょに共有する事が出来るようになった。
「今が人生、峠越え〜♪」のフレーズが何度も何度も頭をめぐり、耳につく。

もう一つ、最近好きなCM。
お茶づくりに打ち込む夫を穏やかに見守る妻。
「何もこんなむずかしいうちに嫁がなくてもよかったのに・・・」という姉達に、夫の作ったお茶を振舞い、「いかがですか」と胸をはる。
いいなぁと思う。
夫の仕事に何一つ手を貸すことは出来ないけれど、精魂込めて作り上げた夫の作品をわが事のように誇らしく思える事。
必要以上に感情移入して、CMに見入ってしまう最近の私。
泥んこくたくたの父さんの仕事振りは、CMの伊右衛門さんのようにすっきりと美しくはないけれど・・・。
見守る私の方もゼイゼイはぁはぁ。宮沢りえの凛とした涼やかさは微塵もないけれど・・・。
「これが主人の作品です。」
と微笑んで胸を張る。
その瞬間の喜びを私は何度も何度も知っている。

吉向孝造陶展
2004.6.14(月)〜6.19(土)
大阪梅田 茶屋町画廊

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2004年06月08日(火) 医者通い

あちこちの医者通いで忙しい。
プール前の健康診断で子供たちがそれぞれに「大切なお手紙」を持ちかえってくる。耳鼻科1件、眼科2件、皮膚科1件、それに歯の詰め物がとれた私の歯科が1件。
それにオニイの過敏性ナントカの後半戦は、ほとんど医者との見解の相違との闘いに多くのエネルギーを費やした。

元来、私は自然治癒力信仰派である。
おたふく風邪の予防接種も「幼いうちに罹って、自分で免疫をつければよし」と今に至っている。オニイやアプコのアトピーも「そのうち、皮膚も強くなるわ。」とほとんど市販の保湿クリームを時々擦り込むだけでやり過ごしてきた。
少々の風邪や腹痛くらいなら「寝て治せ。」と取りあえずおでこを触ってみて寝かせてしまう。
4人兄弟は、病気になってもなかなか医者には行かない。子どもらが幼いうちは通院そのものに恐ろしくエネルギーが要ったし、第一医療費の負担が馬鹿にならない。
「がんばれー、自分で治せー。」
たま〜に本当にしんどくなって、本人が「医者に行ったほうがいいかも」と言い出したりして、アタフタと近所の医院に連れて行ったりする。

一方、父さんは私よりもう少しまじめに医者に頼る。
体調の不良が続いて、仕事に支障が出そうなときには知らぬ間に保険証を持って,かかりつけの医院に出かけていく。
子ども達の調子が悪いときも、私より先に、見かねて医者へ連れていってくれたりする。
「病気のときには、父に泣きつく」が我が家の通院の鉄則になりつつある。
いいんだか,悪いんだか。

今回のゲンの耳鼻科通いは間が抜けている。
彼は耳掃除をしない男なのだ。だから数年に一度、「耳垢栓塞症」という大層な病名を貰ってくる。要するに「耳あかが溜まりすぎ」というやつだ。
「ほれ、見てみ」と耳鼻科へ引っ張っていき、数年分の耳垢を一度に取ってもらう。今回は、頑固な耳垢を取ろうとして粘膜のどこかに傷がついたらしく、ポリープだか外耳炎だかで通院が長引きそうだ。
くだらん。実にくだらん。不本意な病院通いだ。

アプコの皮膚科は、アトピーの掻き壊しだ。
アトピーの子は水いぼやとびひになりやすいらしく、園からは「プールを前にお医者様によく見てもらってくださいね。」とご丁寧な電話があった。
「水疱瘡のあとはあるけど、今のところ水いぼはなし。プールもOK」
との診断でかゆみ止めの塗り薬を貰って、¥2.030。
プール前検診って、園と医者との間になにか利害の一致があるのかしらん。
ぶうぶう。

我が町は小さな地方都市なので、専門医の数も限られている。
「あそこはヤブよ。」とか、「あそこは待ち時間が短くて済むわ。」とか、口コミ情報で数少ない医院の中から、自分のかかりつけ医を探す。
あちらで腕がいいと評判のいい医者が、こちらでは「偉そうで横柄」と言われていたり、こちらで「敏速,お手軽」と評判の医院があちらでは「誤診が多い」とダメ出しされていたり。
なかなか自分にあった医者、症状や状況にあった病院に出会う事は難しい。

オニイが最近お世話になっていたのは、近所の内科医である。
おじいちゃんおばあちゃんたちの主治医でもあり、父さんもしょっちゅうお世話になっている先生だ。
個人病院ながらも、たくさんの患者をパキンパキンと的確に診断し、高度な検査や他の専門医の診断が必要となればちゃっちゃと紹介状を出してくれ、風邪がひどくなっても仕事が休めないときには気前よく点滴を打って取りあえずその日1日限りの元気を処方してくださる事もある。
いわゆる「ホームドクター」というやつだ。

オニイの下痢が始まったとき、取りあえず父さんが自分の診察のついでにオニイを連れていってこの先生の診察を受けさせた。
「ストレスによる過敏性腸症候群」と即座に診断を下し、治療や検査のスケジュールを組み、気分的に沈みがちになる親の方にも叱咤の檄を飛ばしてくださった。
当初、その自信たっぷりな診療方針に、弱よわの父母はおろおろと「ついて行きます」状態だった。
けれども、オニイが体調不良が長引き、学校にいけない日が続いて、なんとなく父さんも私もこの先生の診療についていけなくなってきた。
「精神的なストレスが原因だろう」といいながら、まずはからだの器官に何らかの病気が出ていないかの検査を優先し、「心療内科」の受診の必要を尋ねると烈火の如く叱られた。
「信頼の置ける病院で内視鏡検査を・・・」と言われて、遠くの病院を紹介され、「大事なボンのことだ、忙しくても連れていきなさい」と念を押された。
前日の絶食や下剤など検査の準備の処置を済ませ、さて検査当日オニイは相変わらずの下痢で、我が家の玄関すら出ることができない状態だった。とても電車で1時間あまりの病院までたどり着けそうにない。
参った。

「そもそも今、そんなにまでして優先させなければならない検査なのか。」
オニイの内視鏡検査をめぐって、父さんと私は激論を交わした。
根本的には「気持ちの問題」に過ぎないオニイに辛い検査のストレスは本当に必要なのか。
先生の診療態度や言動は本当にオニイの症状改善に適しているのか。
そもそも小児科医でもなく、心療の専門医でもないこの先生に、ずっとついていってよいのか。
しまいには下痢ピーのオニイそっちのけで、「もう勝手にしろ!」状態の激論となって、とうとうその日の内視鏡検査をキャンセルしてしまった。

「オニイ、今日はもう検査には行かなくていいよ。
落ちついたら、取りあえずタッチするだけでもいいから学校へ行っておいで。」
はじめての内視鏡検査にびくびくしていたオニイは、検査をキャンセルして落ちついたのか、前日の絶食でおなかがすいていたのか、お茶漬けをさらさら食べて、自転車をすっ飛ばして学校へ出ていった。
絶食がきいたのか。
父母が夫婦喧嘩になりそうな雰囲気にこれはヤバイと思ったのか。
それとも、自信たっぷりで居丈高な先生との決別で弾みがついたのか。
何がどうよかったのかわからないが、オニイはこの日をさかいに再び学校へ行けるようになった。
たまたま、オニイの心も体もそろそろ快復する時期がきていたのかもしれない。
「1週間、フルに学校へ行けるようになったら1000円あげるけどな。」と冗談で言った交換条件が効いたのかもしれない。
「心配している友達がいるよ。給食食べるだけでも、校内にタッチするだけでも登校してきていいんだよ。」と言ってくださった学校の先生方の気遣いのお陰かもしれない。
なんだかよくわからないけれど、オニイは自分自身の力で長いトンネルを這い出してきた。

とにかく、オニイは再び元気に学校に通っている。
下痢は止まっているらしい。
苦闘の1ヶ月あまりの日々は、いったいなんだったのだろう。
「亭主元気で留守がいい」
と言うけれど、ほんとにまぁ、とにかく普通に元気に登校、登園してくれていると言う事はそれだけでありがたい。 

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2004年06月06日(日) 幸せだなぁ。

朝から、小学生組は子供会のイベントで小学校へ。
オニイは、剣道の稽古へ。
父さんはアプコの日曜参観へ。
私は、時計とにらめっこしながら、幼稚園と道場の送り迎えで、2往復ずつ。
結局、洗濯物も干せないまま車で出入りするうちに、午前中のほとんどはつぶれてしまった。
朝ご飯の洗い物が山積みのまま、昼ご飯に突入。
なんなんだ、この休日は・・・・。

6月6日は、ゲンの誕生日。
我が家では、誕生日の夕飯のメニューとケーキ、プレゼントは本人の希望申告制。
散々迷った末,
「夕飯はデリバリーのピザ。ケーキは100円ケーキ一個づつ。プレゼントはトレーディングカード。」
誠にリーズナブルな我が家らしいリクエスト。
よしよしと、午後からゲンと二人で買い物に出る。
100円ケーキではあんまりなので、少しだけグレードアップした店で人数分のカットケーキを選び、ついでにゲンの好みのアイスをたくさん選んで買ってきた。
「なんか、ちょっとしあわせだなぁって気分。」
帰りの車の中、ケーキの包みを大事に膝の上に抱えて、助手席のゲンがつぶやいた。
「お安い幸せで悪かったねぇ」とツッコミをいれながらも、彼が膝の上のケーキそのものよりも、「母さんと二人だけで自分の好きなものを買い物に出かける」という久しぶりの時間を愉しんでいるのがよくわかる。
ここんとこ、母さんの目はオニイばかりに向いていたし、いつも気散じでマイペースなゲンはどうしても置いてけぼりになる。
なんだかうっとおしい、つまらない日々が続いていたのだろう。
せめてお誕生日ぐらい、「ゲンが一番」の日であってもいいよね。
けなげなゲンのささやかな幸せに、母はちょっとほろりときたよ。

「ところでゲン、10歳になった君の抱負を訊かせてもらおうか。」
毎年のお約束で、今年もゲンに聞いてみた。
「ほうふってなに?」
「これからやろうと思っていることとか、将来の希望とか・・・・」
「う〜ん・・・。」
かっきり信号1回分、考え込んでからゲンが言った。
「西瓜、一個、一人でまるかぶり!」
「はぁ?!」
「あ、メロンでもいいけど。」
いいよいいよ、「幸せだなぁ」の一言に激しく感動してしまった母が馬鹿だった。
君って、基本的に「食欲の人」なのね。
それも良し。
しんどい時や辛いとき、
「よっしゃ、なんか美味いもの食べて、がんばろう。」
と気持ちを切りかえられるのは、大事な事。
私はゲンのこういうあっけらかんとした明るさが好き。

10才のゲン。
誕生日おめでとう。
明日も美味しいご飯を作るよ。
生まれてきてくれて、ありがとう。

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2004年06月03日(木) 見知らぬ種を蒔く

先日のこと、HSFのお種箱がまわってきた。
うちにある不用の種子を封筒に入れて会員の間を回覧し、自分に必要な種子を頂いて、次の会員に回す。
我が家の庭で取れた種子が、日本全国を旅してどこかの庭で花開く。
誰かの庭の見知らぬ種が、我が家の庭で発芽する。
数ヶ月に一度まわってくる種袋をわくわくしながら待つという楽しいこの企画は、ネットの世界にデビューしてまもない頃、はじめて見知らぬ誰かと繋がることの楽しみを私に教えてくれた。
誰かの善意で入れられた沢山の種子をテーブルの上に広げ、分けていただく種子を選ぶ。
実家の庭で咲いていたニチニチソウ、去年蒔き損ねた矢車草、そして英語で書かれた名前だけしかわからない見知らぬ草花。
自分ではこれまで育てたことのない花や、見たことのない野菜の種と出会える事もまた、「お種箱」が教えてくれた庭仕事の愉しみの一つである。

唐突だが、
子どもを育てると言うことは、見知らぬ種を蒔いて育てる作業に似ている。
どんな花が咲くのか、どんな果実が実るのか、見当もつかない一粒の種を蒔く。
はじめは、当たり前に種を蒔き、水や肥料を与えて、花開くときを待つ。
日向に置いてやるのががいいのか、木漏れ日の下に囲ってやるのがいいのか。
たくさん水を欲しがるのか、乾燥気味の土でいじめて育ててやるのがいいのか。
害虫がついたらおろおろと薬剤を撒き、元気がなければ鉢の置き場所を替えてみたり・・・。
その植物にあったマニュアルがあるわけではないので、すべては植物のご機嫌を見ながらの手探りの作業。
涙、涙で間引いてみたり、倒れた枝には杖で支えたり・・・。
「きっと美しい花が咲くはず。」
「きっと甘い果実が成るはず。」
人はその小さな一粒の種の中にどんな未来が眠っているのか、何の予想もできないはずなのに、いつか咲く花、いつか実る果実のために何度も何度も試行錯誤を繰り返す。

あの種の中には、本当にそんなに暗い「殺意」という毒が眠っていたのだろうか。
そして、この種の中には、本当にそんなに冷たい「孤独」やら「挫折感」という躓きが眠っていたのだろうか。
また別のあの種には、誰にも負けない「強さ」や人をいたわる優しい香りが眠っているのだろうか。
私の手元で育つ子ども達、公園で笑いさざめくあの子ども達、そして髪を赤く染めて繁華街で群れるあの子どもたちのどこに何が潜んでいるのだろう。

オニイが少し、変わって来た。
「今度こそホントに大丈夫」かもしれない。
子どもというのは、本当に見るも鮮やかに変身できるのがいい。
少し前の凹んだオニイと、昨日今日の元気になったオニイは声もしぐさも目つきも違う。
多分また一つ、何かを乗り越えてくれたのだろう。
肥料をやったのがよかったのか、水を控えたのがよかったのか、鉢の置き場を替えたのがよかったのか、それとも何もしなくてもそろそろ快復する時期だったのか。
とにかくあっけなく、ここ三日、オニイは普通に学校に通っている。
バクバクとご飯を食べ、長いトイレの回数も減った。。
何より明るい顔で自転車をすっ飛ばして登校していく。
「何なの、これはいったい??」と久しぶりに子ども達が誰もいない朝のリビングでぼんやりと新聞を開く。
取りあえず学校へ行けるようになってよかった。

どこか虚脱した思いで、佐世保のつらい事件の記事を読む。
普通に過ごしていた普通の少女達。
そのどこに、暗い死の運命や信じられないほどあっけない殺人の意志が隠されていたのだろう。
いつも元気に兄弟達を叱り、たわいない会話で笑いこけていたオニイの中に深い孤独が眠っていたことを私は知ってはいなかった。
おちゃらけて、食いしん坊の人懐っこいゲンの中に、雨傘をへし折ってしまうほどの怒りのパワーが眠っていることも私は知ってはいなかった。
子どもの心と言う深い深い迷宮にどんな想いが眠っているのか、私にはどんどんわからなくなる。
今の私にわかるのは、どの子も私が種を蒔いて育てた子。
どんな花が咲くのか、どんな果実が実るのか、判らぬままに育てていく。
右往左往、試行錯誤の子育ての日々は、見知らぬ種を蒔く愉しみに似ている。
思いがけない感動や喜びは、何時までも拙い初心者ガーデナーである母への天からのお駄賃かも知れない。


・・・私信・・・
「人間失格」を読みたいと話してくれたあなた。
私の日記を読んで、きっと心配しながら、
オニイの事を見ていてくださったのですね。
ありがとう。
あなたのような人の存在が、私にはとてもありがたかった。

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2004年06月01日(火) 4分の1の母 4倍の母

先日からのオニイの過敏性腸症候群がまだうだうだと続いていて、
PTAの委員会や茶会の後始末、溜まった家事やメールの整理、
振り込みや急ぎの買い物など、次から次へと用事が続く。
プール前の検診で、耳鼻科だの皮膚科だの眼科だの「治さないとプールへ入れてあげませんよ。」のお手紙を子供たちが次々に持ってかえってくる。
稽古事や遊びの約束の間を縫って、それぞれの子どもをそれぞれの病院へ受診させるスケジュールだけでも一苦労。
雑事の合間に頭を悩ませるのは、まだまだ一喜一憂の状態で学校を休んだり早退したりしているオニイのこと。
暇さえあれば父さんと額を突き合わせ、凹んだ表情のオニイを眺めてため息を吐く。
気もそぞろで行う気合の入らない家事では、夕食は一皿メニューになり、アプコが名札を忘れたり、給食ナプキンのアイロンがけが間に合わなかったり、学校からの通信のチェックを忘れたり。
だめだめ母だなぁと思いつつ、他の3人の子供たちに充分に心を配ることができなくて、それでも、不満気な顔を見せず、遠巻きに母のいらいらを見守っている子どもたちに却って腹を立てたりする。
昨日はついにアプコの園バスのお迎えを忘れた。
到着時間になっても私が迎えに来ないので、お友達のKちゃんのお母さんがアプコを一緒に引き取って連れてかえって来てくれた。

自分の分身がほしいなぁと思うことがある。
子ども達のこと、父さんのこと、私自身の役割のこと、たくさんたくさん処理しなければならないことが溜まっていて、その一つ一つに充分心を込めることができない。両の耳で二つの訴えを同時に聞き届けた聖徳太子や千の手で民を救った観音様の超能力が欲しいと切実に思う。
「4人の子育ては、外から見てるよりずっと楽よ。」とはいいつつも、
誰かが病気になったりトラブルがあったりしていると、どうしても母としての私の心はその子ばかりに集中して、他の子達がつまらない想いをする。
この子らが一人っ子だったら、二人っ子だったら、もっともっと余裕を持って一人一人に気持ちを配ってやれただろうにと歯がゆい想いがいつもよぎる。

今朝、アプコが「お腹がいたいからお休みしたい」とぐずった。
甘えんぼなのだとすぐに分かる。昨日お迎えをすっぽかされて、この間は忙しいからとKちゃんとの遊びの約束をキャンセルした。なんだかお母さんの心が全部オニイに取られている感じ。そんなアプコの不満気な表情が一目で見える。
ほんとはアユコだってゲンだって、オニイのことを心配しながらも父さん母さんの心が少ししか自分達に注がれていないことを感じているに違いない。
情けないなぁ、4児の母。
「じゃあね、今日は後からお母さんが来るまで園まで送っていくことにするよ。帰りも車でお迎えに行くから、一緒にお買い物へ行こう。」
幼いアプコはそれでもまだまだ、こんな取るに足らないことでご機嫌が取れる。
でも、アユコは?ゲンは?

昔、次女のなるみの病状がいよいよ悪くなって別れの覚悟をしなければならなくなったとき、混乱して取り乱しそうになる私に実家の父が言った。
「お前はなるちゃんだけの母ではない。4人の子供の母なんだぞ。
かわいそうだがなるちゃんはおまえにとって4分の1の子どもだ。
後の3人の子達のためにしっかりしなさい。」
「4分の1の子ども」
4人だからって、愛情は4分の1になる訳じゃないと思いつつ、どこかで心の配分を4人にまんべんなく配ってやらなければと焦る心。
「4倍の愛情」で、一人一人を大事にしたいと思いつつ、トラブルに落ち込むと私のキャパシティーは一つのことでぎりぎりで、他の誰かは余分の我慢を強いることになる。
「おかあさん、大丈夫?」といいつつも、おずおずと擦り寄ってきて、母の注目を引こうとする子ども達。
いつでもみんなどこかで「4倍の母」を求めているんだろうなぁ。
心も体も等しく備えた優秀な分身が欲しいと再び思う。

「おかあさん、こっちむいて」としきりにシグナルを送ってくる子ども達の一人一人をいとしいと思う。
「4倍の愛」で包んでやりたいと思う。
物や時間は4分の1ずつしか与えられないかも知れないけれど、私は確かに子ども達から4倍の喜びを与えられている。
4倍か4分の1か。
母の心の掛け算割り算は、なんだかいつも答えが合わない。
申し訳ない。

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2004年05月26日(水) 小さな胸に

買い物に出た。
この日曜日のお茶会用に、子どもたちの「ましな服」を買う。
アユコには以前に用意してあったコットンのワンピースがあるので、服を買わずに新しいブラを買った。
ショーツとセットになったブルーの水玉模様のブラのサイズはA65。
ジュニア用のスクールブラの中では一番小さいサイズ。それより小さいサイズになるとカップやホックのないスポーツタイプのブラが主流になる。
ほんとなら、やせっぽちのアユコにはまだまだそちらの方がいいのだけれど、デザインの選択の巾はぐんと狭くなる。ストラップとホックのついたおねえさんタイプの方が断然可愛いのだ。
「そのうち成長するんだし,大きすぎても、ま、いいか。」
母の好みでちょっと背伸びをしたお姉さんタイプのセットを買った。
「こんな小さなブラで、間に合っていた少女の頃が懐かしいわぁ。」
帰り道に出会った友人に買い物袋の口を開け、買ったばかりのアユコのブラを見せる。
「ホンマになぁ、はるか昔のことで忘れてしもたわ。」
と二人で笑う。

アユコがブラを付け始めたのは去年の秋。
まだふくらみはないけれど、白いTシャツなどを着ると可愛いさくらんぼのようなぽっちりがちょっと目立つ。
ホントはアユコの初ブラジャーはもっと以前に買ってあったのだけれど、「見てみて、こんな可愛いブラを買ったよ」と見せたとたん、なぜだかぽろぽろと泣かれてしまい、「いいよいいよ、無理してつけなくったって・・・」と引き出しの奥にしまいこんでいたのだった。
秋になり、トレーナーやセーターを着るようになって、下着の線が外からわからなくなると、アユコは自分でブラジャーを引っ張り出してつけてみるようになった。
少女の心は誠に繊細で複雑だ。
大人の入り口に立つ嬉しさと、「あの子,つけてるんだって。」とうわさの的にされたくない恥ずかしさで,少女の心は揺れ動く。

「Aちゃんは、私よりずっと胸も大きいのに、おうちの人はブラジャーをつけなさいって言わないんだって。」
まるで「いいなぁ、門限がゆるくって・・・」とでも言うような、うらやましそうな口調で言うアユコ。
確かに私の目から見ても、仲良しのAちゃんはアユコよりずっとナイスバディで、そろそろノーブラではハラハラと危なっかしく見える女の子。
はじめてのブラを着けるタイミングは難しくて、いつまでも子どものように見える娘に「異性の視線」を意識させるのにも抵抗はある.
でも、これからの薄着の季節、やっぱり女の子は自分の身を守ることもおしえておかなくっちゃなぁ。

「ねぇ、ブラジャーを着けるのって,そんなに抵抗があることなの?」
思春期のデリケートな心情など太古の昔のことになってしまった母は、改めてアユコに訊く。
「母さんは、はじめてのブラを着けた時、とても嬉しかった気がするんだけれど、アユコはそんなに嫌々着けてるの?」
「う〜ん、そうでもないんだけどね。」
やはり友達の目や、日々変わっていく自分の体が気になって仕方がない様子。
「そっか、確かに面倒臭いものね。
でもねぇ、お母さんにとっては娘のはじめてのブラジャーを選んでくることや娘のTシャツの背中にブラの線が見えるようになることって、なんだかとっても嬉しいことなのよ。」
素直にうなずくアユコの視線がたまらなく愛しくなる.
「お母さんは、アユコに可愛いブラジャーを買えて、わくわくしてとっても嬉しかった。
Aちゃんのお母さんだって、ホントはAちゃんと一緒にはじめてのブラを選ぶ日を楽しみにしているのかもしれないね。」

幼い娘が成長し、自分と同じ「女」としての門をくぐる。
その時の晴れやかで暖かい母の幸せを、少女の頃の私は理解していたのだろうか。
「おかあさん、新しいの、買ってくれてありがとう。」
お風呂の前に、微妙に大き目のブラを身につけて、こっそり見せてくれたアユコは確かに今のわたしの喜びを充分に汲んでくれている。
アユコは賢い娘になった。 


2004年05月25日(火) 41才の5月

晴れやかな初夏の1日,
私はまた一つ年齢を重ねた。
父さんがいつものように,こそこそっと仕事の合間にこしらえた手製の陶のバレッタを贈ってくれた。
子ども達は数日前に,駅前の出店で買ってきた鉢植えの草花を贈ってくれた。
この前、実家の母が「今年はピンクのマーガレットを植えてみたよ。」といっているのをきいて、「あ、いいな、うちにも一株欲しいな。」と洩らしたのを誰かが聞いていたのだろうか。たくさんつぼみをつけたマーガレットは、これから幾日も可憐な花を楽しませてくれるだろう。
「もう、みんなで祝ってもらうほどおめでたい年齢ではなくなったよ。」
といいながらも、今年も晴れやかな青空のまぶしい日に,新しい年齢を重ねられることが、なんとなく嬉しい。
私は自分の誕生日のある、緑あふれるさわやかな5月が大好きだ。

「誕生日、おめでとう。」
珍しく朝から、実家の母が電話をくれた。
「ありがとう、私を産んでくれて・・・。お父さんにも『つくってくれてありがとう』と言っておいてね。」
母からの「おめでとう」への答えは「ありがとう」と決っている。
毎日毎日、一人前に育った顔をして、母として妻として、そして女としての日常を過ごしているけれど、あの人達の暖かいはぐくみがあってこその今の私。
子どもたちの親となって、はじめて気付いた親の想い。
「誕生日、ありがとう。」
この言葉を照れずに口にすることができるようになったのは、ほんの数年前のことだ。

41歳になった。
去年の5月、「ついに私も40代か」となんだか憂鬱に思うことが多かった。
今年5月、私の身の回りの状況は去年の5月よりもずっと厳しい。
子どもたちのこと、父さんのこと、仕事のこと、そして、自分自身の生き方のこと。
あれやこれやと思い悩んで、うっと胸が詰まるようなことや、「やーめた」と投げ出してしまいたくなることをいくつもいくつも抱えている。
それでもなお、41歳は40歳よりも生き易いのではないかと言う気がしている。
40代の自分がようやく自分のものになり、悪あがきをせずにすんなりと今の自分を受け入れる。
そんな安心感が41歳の誕生日の晴天をこれほど愛しく感じさせてくれるのではないだろうか。
「大丈夫、それでもお日様は今日も私を照らしてくれる。」
新緑あふれる5月の陽光は、四十女のうじうじと続く憂鬱をカラリと照らして、パンパンと埃を払う。
うるわしき5月。
私を5月に産んでくれてありがとう。

「みんなで祝ってもらうようなおめでたい年齢じゃなくなったよ。」
でも、私は自分自身の41才の5月を祝う。
誕生日、ありがとう。


2004年05月24日(月) 外から見ると

オニイ、快復中。
先週いっぱい,中間テストをはさんで,「少し,遅刻」とか、「少し早退」しながらも何とかかんとか学校へ通える様になったオニイ。
相変わらず,腹痛は残っていて,日に何回かは長〜いトイレタイムがあるようだが,気持ちの方はずいぶん晴れやかになり、表情もよくなってきた。
過敏性腸症候群と言うやつは,結構長期間症状が続くことが多いという。原因となったストレスがある程度解消しても、体の症状は後に残るものなのだろうか。
どちらにしても、オニイはまた一山超えたようである。
今朝は定時に出かけていって、部活まで済ませて帰ってきた。
また休む日もあるだろうし,それはそれでよし。
長いトイレに入るときには「来た来た来た,誰かトイレ行くやつおらんか?入るぞ」と兄弟達に呼びかけ、急ぎの人を先に入れてやる知恵がついた。
おなかにガスがたまってっかいおならをするときも、「ごめんよ。」と笑っている。
何時までも残る症状との付き合い方を彼なりに学習してきたようだ。

今度のことで,オニイのストレスの原因についていろんな人の考えを聞いた。
誰かのいじめ?
新しいクラスの中での疎外感?
「赤信号を渡らない」生真面目さ?
自分にも他人にも「正しい」を要求する思春期の厳格さ?
4人兄弟の長兄としての、責任感?
窯元の後継ぎとしてのプレッシャー?
いろんな人が日頃のオニイが見せる言動や、家庭環境からいろんなストレスの原因を推測してくれた。
トイレから出てこない青い顔のオニイをおろおろと見守るだけのよわよわの母にとっては、他人から指摘されるオニイの弱点は「それぞれごもっとも」で、私達のこれまでの子育てのどこかが間違っていたのではないかと疑心暗鬼の穴に落ちた。
長男であるオニイに期待もしている。
心優しきオニイいは母の思惑を何時も推し量って,期待に応えてくれようとする。
少々のいじめにあっても、心の根っこはつぶされない。
そんなオニイへの信頼が、却って彼のプレッシャーになったのではないかといわれるとぐうの音も出ない。

スクールカウンセラーと言うおばさんにも会った。
初対面の私から、彼女はまず家庭環境を訊いた。
4人兄弟の第1子であること。生真面目で,これまでいじめの被害に遭ったことがあること。自分にも他人にも,正しいことを期待する正義感が強くなってきたこと。
ちょこちょことメモしながら私の話をうんぬんとうなづいて聴くカウンセラーの態度に「ああ、カウンセラーの定石にはまったな。」と感じた。
彼女は、後から連れて入った色白でひょろりと痩せためがねのオニイをみて、理屈っぽい物言いや、美術や読書、パソコンが好きと言う話を聴いて,担任の先生から「窯元の跡取息子」と言う情報を得ると,嬉しそうな顔をした。
「両親の過大な期待を受けて,まじめなよい子を続けてきたナイーブな少年。
将来の進路や長子として期待されているものへのストレスが、思春期の少年の心と体のバランスを崩させた。」
まさにこの年代の少年のカウンセリングでは、教科書どおりの素材とうつったにちがいない。
若い時に少しカウンセリングの勉強をかじった私には,「あ、この話題にはきっと食いつくぞ。」とカウンセラー先生の次の一手がよく見えてきた。
凹んだ気持ちの私には,彼女が指摘するオニイの葛藤には一つ一つ思い当たるフシもあるのだけれど、それでもなんだか彼女が教科書どおりの型にはめてオニイの事を診断しようとしているのが感じられる。
それと同時に,外見や日頃の言動,生育した家庭環境や周囲の状況から見ると,オニイと人物はそういう少年にみえていたのだなぁとよくわかった。

「お仕事のことで、彼と弟さんを競わせるようなことをしませんでしたか。」
と訊く人もあった。弟と将来、どちらが家業を継ぐかと言うことが、オニイのストレスの原因ではないかと疑っている様だった。
そんな馬鹿なこと,するわけがないじゃないの。
「『お兄ちゃんだから』と我慢させることが多かったんじゃないですか。」と言う人もあった。とんでもない。幼い頃から、どんなに気をつけて私がその言葉を使わない子育てをしようと気を配ってきたことか。
「まじめで几帳面ないい子を演じるのにくたびれたんじゃないですか。」
何が几帳面なもんかい。机もかばんの中もいまだにぐっしゃぐしゃ。だらだらと気を抜きまくっているオニイに,「いい子」を演じようと言う自覚なんてあるもんか。

少し元気が出てきた今だからこそ,こうして一つ一つ、ばさばさと斬り返すこともできるのだけれど,弱気の時にはそんな指摘にいちいち胸を突かれた。
「お母さんの育て方になにか問題があったのかしらん。」
何度も何度も、オニイ本人に訊いてみたい衝動にかられた。
「いったい君のストレスの原因って何なんだろう。」
実際,何度も何度もオニイに訊いてみた。
「カウンセラーの先生の言うことも,他の先生達が言ってることも,あんまりあたっている様には思えないよ。」
弱気の母を思い遣ってか,本当に見当がつかないのか、オニイ自身は他人が勝手に推測してくれた自分のストレスの原因をすんなり、「その通りです。」とはいわなかった。多分,自分自身の本当の気持ちは、担任の先生や友達や,ましてや初対面のカウンセラーのおばさんにあっさり、解釈がつけられるものではないということがよくわかっているのだろう。
かえって、よその誰かさんに指摘されたことでいちいち心を震わせている母の弱気を叱咤しているようなオニイの発言。
この頑固な強さがある限り,私はっともっとオニイ自身の力を信じてもいいのではないかと思えるようになった。

一人の人間をそのプロフィールや,外見からある種の型にはめて推し量ってしまうのは日々の生活の中でありがちなことではある。
「子沢山の母は、子ども好きに違いない」とか、「バリバリキャリアウーマンの母を持つ子は,夕飯にレトルトカレーを一人で食べていそう」とか、「父親不在の家庭に育った子はうんと年上の男性に惹かれやすい」とか、いかにもありそうで実際には「余計なお世話よ。」って思ってしまいそうな思いこみって確かにあるある。
でも人間と言うのは型(パターン)ではなくて,やっぱり一人一人なんだ。
母である私は,せめてオニイはオニイとして,「丸ごと一人」を見てやらなければならないのだなと言うことが、改めて心に浮かぶ。
誰かの憶測に右往左往することはない。
私が見ているのは、ずぼらだけど生真面目、心優しくおっとりのんびり屋のこの少年。大事な大事な我が息子。
そう思えたとき,私はオニイのストレスの原因探しをするのをやめた。
オニイがオニイ自身で心の整理をつけていくのを、カラッと笑って見ていてやっても大丈夫だと思えるようになった。
それだけの力はきっと彼の中に育っているはずだ。

「信じて待つ」と言うことの意味がようやく少し、わかってきたような気がする。


2004年05月23日(日) 至れり尽せり

男の子達の剣道の親睦会。
近くのレクリエーション施設でのバーベキュー大会。
レクリエーション係のSさんとYさんがこつこつと準備してくださって,30人あまりの親子と先生方が集う。
今年は準備の手伝いの都合などもあって,私が男の子二人と共に参加。
留守宅ではアユコがサンドイッチを作ってくれて,父さんとアプコのお昼ご飯にしてくれた。
何かの行事と言えば取りあえず,4人の子供は総動員、全員を引きつれて参加せざるを得なかった数年前が思い出される。
洗濯干しや,電話番などの些細な用事も含めて,安心して任せて外出できるようになってきたことが有難い。
バーベキューに参加したオニイも、時々友達との遊びの輪を離れて「何か手伝うこと、ない?」と声をかけてくれたり,私より重い荷物を「大丈夫大丈夫」と運んでくれたり,何かと母を手助けしてくれるようになった。
「いいよいいよ、今日は,みんなと充分遊んで来な。
それから時々小さい子達の様子を見てやって。」
ほんの少し前まで、ゲンと同じように全身ずぶぬれで川遊びを楽しんでいたオニイが、ずいぶん一人前の男ぶったことを言うようになったなぁとまぶしく見送る。
お天気も上々で,久し振りに1日戸外で過ごすには、最適だった。

今回のレクリエーションを企画、運営してくださったのはSさん。
ワゴン車いっぱいの食材や調理用具を準備し,あちこち下見を重ねて買い物をし、おまけに手作りの浅漬けやデザートまで,しっかり下ごしらえをして、誠に至れりつくせりの親睦会だった。
Sさんは普段から家族でバーベキューやキャンプを楽しむアウトドア派。
持ち込んでこられる装備も念が入っている。取りあえず100均とホームセンターのシーズンセールで数だけは買い揃えた我が家のアウトドア用品とは格が違う。
2口のハイカロリーのカセットコンロやら軽くてしっかりしたレジャーチェアやら,密封容器や折畳式の小奇麗なまな板包丁セットまで,「お、普段からやってるな」という感じが実にかっこいい。
我が家が供出した10年選手のバーベキューコンロや、固いものは切れない見掛け倒しの100均包丁が申し訳ない気がしてくる。
宴席が始まってもSさんはくるくると走り回り、子供達に取り皿や飲み物を配り,先生方にビールを勧めて、大忙し。
「Sさん、きっと昨日は寝ないで準備してたんだよね。」
「まだ一口も食べてないんじゃないの。」
と言いつつ,空腹の子どもたちのおなかがおさまるまでは,取りあえず忙しく肉を配り、おにぎりを配る。

我が家でも毎年、5月の大人数のバーベキュー大会をやるので,ホスト側のの準備のしんどさはよくわかる。道具の手配、出欠の確認、収支のやりくり、材料の買出し。あれもこれもとやたらと忙しくて,でもだからと言って,誰かに仕事の一部を分担してもらったり,手を抜いたりすることもやりにくくって、「全部自分でやっちゃった方が早いわ。」とついつい頑張りすぎてしまう。
後から,「ああしんど、そう言えばあたし,ウインナーの一本も食べられなかったわ。」なんて思うこともしょっちゅうである。それでも,結局「皆楽しそうだったし,ま、いいか。」と満足して終わるのだから,それはそれでいいのだけれど・・・。
いつもホスト側でアタフタと走り回っていた様が、ちょうどSさんの忙しい背中に見え隠れして,なんだかちょっと苦しかった。
「手伝えることがあったら言ってね。」
「あたし,何を手伝えばいいかしら?」
と、ゲスト側の人達が声をかけるのは、決してホスト側の不備を補ってやろうというつもりでもなくて,単純に「面白そうだからあたしにもやらせて。」だったりするときもある。
「さあ、私も食べるぞ!たくさん焼いてね。」とホスト役が仕事の手を止めてどっかりと腰を落ちつけて、食べる側に回ってくれた方が気持ちいいこともある。
ホストの「至れり尽くせり」のサービスは、どこか,ゲストの側に息苦しい思いを残すこともあるのだということも勉強になった。

実家では両親が人を呼んでよく庭でバーベキューをした。
子供の友人関係や,親類,ご近所の知り合いなど,ワンシーズンに何度も人を招いた。
メニューの選択、食器や器具の選択,食材の買出しに,父や母はとても熱心だった。
そのくせ,「『何のもてなしもしていません』という風に思わせるのが最大のもてなし」というのが父の口癖だった。
「充分もてなしになってるよ」と思いつつ,毎回,宴席の準備に付き合い,夜遅くまで後片付けに奔走した子供時代。
それでもやはり、人をもてなすということが「しんどいけど面白い」と思えるのは、あの時代にご機嫌よくホスト役を楽しむ父や母の姿を見ていたせいだろうか。

願わくば,孤軍奮闘の1日を終えたSさんが、「しんどかったけど,面白かった」と持ち帰った洗い物の山を片付けながら、うふふと笑ってくれています様に。
お疲れ様,Sさん。
お陰でとても楽しかった。


2004年05月21日(金) 妹になる

ここ数日、PCの調子が最悪で,全く起動しなくなってしまった。義兄が毎日うちに往診に来て,ああでもないこうでもないといろいろ復帰を試みてくれたが,ついに今朝,瀕死のPCくんは救急車で緊急入院してしまった。
代わりにつないでもらっていた骨董品のノートパソコンではさぞかし不便だろうと、義兄が別のPCをつなぎなおしてくれ,ようやく普通にメールやネットが出来るようになった。
来週のお茶会を前に超多忙なはずの義兄の貴重な時間を、我が家のPC如きのために何時間も裂いてもらうのは本当に心苦しい。
でも、メールチェックが出来ない,日記の更新ができない、なじみの日記書きさんにお会いできない日が3日も続くと、何とはなしにいらいらも募る。
「忙しいのに済みません。」何度も何度も頭を下げつつ,「いいよいいよ」と根気良くキーボードを叩きモニターを見つめる義兄の親切に甘える。

実家では私は第1子で、すぐ下の弟とは5つ、その下の弟とは7つ離れている。
当然、呼び名は「お姉ちゃん」
3人兄弟というよりは、どこか親寄りの中間管理職のような姉であった。
10歳年上の夫と結婚して,11歳年上の義兄と9歳年上の義妹が出来た。
「お兄さんがほしいなぁ」と淡い妄想の世界で逞しく頼りになる兄の存在を夢見ていた私にとって、義兄はまさしく「お兄さん」。
40過ぎのおばちゃんになった私を「Nちゃん」と名前で呼び,困ったときにはひょろりとやってきて気持ち良く助けてくれたりする。まさしく「長子気質」である兄にとっては年の離れた弟の嫁は、「しゃあないなぁ」と手を貸さなければならない手のかかる妹の一人なのだろう。
一方,結婚によってはじめて年長の兄弟をもつことになった私にとっては、「お兄さん」という呼称一つ取っても、どこかぎこちなくいつまでもくすぐったい。義兄同様「長子気質」のきわめて強い私にとって,「いいよいいよ」と気持ち良く助け舟を出してくれる義兄の寛大さが,とても有難いくせにしっくりと甘えてしまうことが今だに出来ない。
「申し訳ないなぁ,こんなに時間を取ってもらって・・・」
と居ても立っても居られない気持ちになる。自分一人で問題を処理できないことが情けなくなる。
中途半端な長子気質だなぁとつくづく思う。

「はい、これで当座はネットもメールも出来るようになったよ。また修理に出たPCが戻ってきたらつなぎ直してあげるから・・・」
いつもの如くさらりと言って,仕事場に戻っていく義兄の後姿はまさしく月光仮面だった。
義兄が修理に費やしてくれた長い長い時間を申し訳ないと思いつつ、「やれ,うれしや、メールもネットも出来る!」とそそくさとPCの前に座る。
結婚して15年。
ようやくだれかの妹として「お兄さん」に甘えることの嬉しさに気付きつつある私。
そのことを父さんに伝えようとしたけれど,生まれついたときから誰かの弟だった父さんには微妙なニュアンスが伝わりにくい。
そのくせ,10歳も年上でどこか兄のような気持ちで私を見ている夫にとっては、義兄に甘える嬉しさを語る妻は面白くないに違いない。
「そういうことじゃ、ないんだけどな・・・」と思いつつ,早々に話題を切り上げる私はやはり長子気質である。


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