月の輪通信 日々の想い
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2004年04月06日(火) 堂々とはげる

いきなり不穏当な題名で申し訳ない。

朝、ゲンとオニイの会話で某男性用カツラの商品名が話題に出た。
「ま、僕も将来はお世話になるかも知れんなぁ。」
とオニイが冗談めかしくいった。
小耳に挟んだ私。
「でもなぁ、それって、将来君の頭髪が薄くなるかどうかということのほかに、君の髪が薄くなった時それを利用するかどうかという、もう一つの選択肢を含んでいるよなぁ。」
「あ、そうか。」
「はげても美しい人もいるし、ふさふさでも醜い人もいる。
『堂々とはげる』という選択肢も、あるよなぁ。」
オニイとゲン、私の「堂々とはげる」という一言に激しく反応。
「なんか、『堂々とはげる』ってかっこいいフレーズだよなぁ。」
「うんうん、なんかのコマーシャルに使えそう。『堂々とはげる』か・・・。悪くないなぁ。」

別に面白がってもらうために言った言葉でもないんだけれど、余程新鮮に響いたか、何度も何度も繰り返して声に出して笑う子供達。
頭髪の量、身長や体型、顔の美醜、傷や障害。
誰もがいつでも抱える可能性のある外見上のコンプレックス。
それを克服する手段として、「隠す」「補う」「偽る」ではない別の方向性もあるのだということを、子供達とともに自らにも諭す。
ありのままの自分をまず堂々とよしとする。
そこからスタートする戦い方もあるのだと、伝えておきたいと思うのだ。

先日、鏡を見たら、こめかみの辺りに短い白髪を見つけた。
よくある若白髪ではなくて、これは年齢相応の白髪の生え始めだなぁと思い至った。
幼い頃から自らの体型や美醜について、いろんなコンプレックスを友としてきた私にとって数少ない美点であった黒髪も、年齢とともに白髪が混じる。
年齢を重ねるということは、新たなコンプレックスの種をまた拾ってくるということでもある。
あっという間に、2本目3本目の白髪が見つかるようになるだろう。
「いやだなぁ」と思いつつ、多分私は生涯白髪を染めることはしないと思う。
黒髪のかわりに堂々と胸を張って誇れる「何か」を、今から少しづつ築きあげていけるだろうか。
若い子供達の成長を見守りながら、私の今日を振り返る。
四月は40歳になる母にとっても、何かが始まる旅立ちの季節だ。




2004年04月03日(土) 試練の姫君

春休みもあと数日になった。
兄弟が四六時中うちの中でごろごろしている日々が続くと、そろそろあちこちで小さな摩擦や衝突が起こる。
大概の場合、震源はゲンなのだけれど、最近はそれにアプコが加わってきた。

4人兄弟の末っ子姫。
上の3人とちょっと年の離れたアプコは、家の中ではいつまでたってもお姫様状態。じじばばはもちろん、父さん母さんも我が家の最後の幼児は手放しでかわいい。兄ちゃん、姉ちゃんも「アプコは小さいんだから・・・」と、何かと手加減して接することに慣れている。
小さいアプコの成長をペットのハムスターのように愛でる家族の中で、アプコは自他共に認める「姫子」ちゃん。
わぁーっと泣くと誰かが「どうしたの?」と覗き込んでくれる。
お皿に残った最後の一切れの美味しい物は必ず与えられる。
「あたし、見たいものがあるの」というと、ニュース番組をあきらめてアプコお気に入りのアニメにチャンネルを替える。
そしてTVを見るのは当然のように父さんのひざの上。
そんな小さなことがたくさんたくさん重なって、アプコの中では「いつでも、あたしが一番」の意識がなんとなく育っているような気がする。

上の子達はそれぞれ、アプコの年齢の時には自分の下に小さい赤ちゃんがいて、何かと「最優先じゃない僕(私)」を経験して大きくなった。
「お兄(姉)ちゃんでしょ」という言葉は極力使わないように育ててきたつもりだけれど、それでも「ちょっと待っててね。」「あとでね。」と赤ちゃんの世話をする母の姿をつまらない思いでながめたことはいっぱいあったはずだ。
一方アプコはというと、自分より手のかかる赤ん坊は現れなかったし、母の手がふさがっているときにも自分の面倒を見てくれる世話好きで有能なアユコがいた。オニイやゲンもめったにアプコの言うことに逆らわない。
両親のほかに3人の下僕を従えて、アプコのお姫様体質は順調にはぐくまれていく。

これではいけない。
近頃俄かに説教臭くなってきたオニイと、ちっちゃい母さんのアユコが思いたった。日ごろから唯一アプコの喧嘩相手であるゲンもその尻馬に乗った。
かくして「アプコお姫様気質改善作戦」が始まった。
「お茶ください」
とアプコが言うと必ず誰かが席を立っていたのに「自分でいれておいで。」と拒絶する。
「アプコがいても邪魔になるだけ」と上の3人でちゃかちゃか済ませていた片付けも「後はアプコが片付けて」と役割を振り分ける。
急激に繰り広げられる共同戦線に、アプコはためらい、抗い、かんしゃくを起こす。
上の子たちの方針転換を、面白がって見ていた父さん母さんもこれを機会にアプコの甘えん坊を一掃しようと後方支援に回ることにした。
アプコ、四面楚歌。

お皿に残った最後の一切れのミンチカツ。
「欲しい人!」
誰かの発声で希望者がさっと手を上げる。
にぎやかで、楽しいいつもの食事風景。
遅れて食卓に着いたアプコは悠然と箸をすすめ、最後の一切れ争奪じゃんけんにも加わらず、そのくせ何のためらいもなくその一切れに箸を伸ばす。
「わ、アプコ、ずる〜い!」
オニイ、オネエの総攻撃。
「だって、食べたいんだもん!!」
「おまえなぁ、まだ自分のお皿に残ってるやん、アプコには食べる権利なし!」
オニイの説教が始まる。
「アプコは何時だって、自分が一番だと思ってるんだから・・・」
アユコもアプコの貪欲を攻める。
「僕だって食べたいねん。」
ゲンもドサクサにまぎれて、しっかり主張する。
「何を言ってるの、この者たちは」
とでも言いたげにお姫様の唇がへの字に曲がる。

うわぁ、みんなしっかり主張するなぁ。
小さい頃から「こんな兄弟に育って欲しい」「こんな子供になって欲しい」「こんなわがままは直して欲しい」と親が一方的に教えてきた価値観を、しっかり幼い妹にも教えようとするお兄ちゃん、お姉ちゃん。
なるほどなぁ、こんな風にして、兄弟は互いを育てあうのだなぁ。
4人目の末っ子姫についつい甘くなって、しつけの手を抜きつつある父母にかわって、上の子たちがアプコを育ててくれる。
ありがたいなぁとつくづく思う。

「話がややこしくなっちゃったから、このミンチカツは父さんが食べてよ。」
どういう話の展開か、オニイが最後のミンチカツを父さんに差し出した。
「お、そうか。」
父さんも平然と最後の一切れをぱっくり食べる。
への字唇がわっとほどけて、アプコ大泣き。
あはは、たかが残り物のミンチカツ一切れで、小さい子供をこんなにわんわん泣かすなよ!
空っぽのお皿を見つめ、ひとしきり泣き喚くアプコ
でもここはぐっと我慢で、母もフォローには入らない。
上の子たちも互いに目配せして、ニヤニヤ笑うばかり。
他人様が見ると、さぞかし大人げないひどい家族だよなぁ。

「だってあたし、ミンチカツ好きなんだもん。」
ようやく泣き止んでも、決して自分の非を認めないアプコ。
頑固なお姫様気質もこの子の個性の一つかなぁと思いつつ、やはりまだまだ、戦いは続く。
はぁ、末っ子育児は難しいわい。


2004年04月02日(金) ゲンの大冒険

かねてからの計画で、ゲンを一人旅に出す。
JRを乗り継いで、100キロ先のおじいちゃん、おばあちゃんのうちへ。
所要時間約2時間。
オニイやアユコもゲンくらいの年齢で、同じコースの一人旅を経験している。
「今度は僕の番やねん」
これまで楽しみにしていたゲンが自分でおじいちゃんに電話。「よろしくお願いします」とおじいちゃんの了解を取り付けた。
「で、今回はどうする?」
ゲンが寝静まった頃に改めて父からの電話。
乗換駅の尼崎まで私が送っていこうか、父が出向いてきてゲンの乗換えを隠れて確認しようか。上の二人の時にも、もしもの場合に備えていろいろと内緒で安全策を講じたものだった。
「ふんふん。お前がHPで偉そうに『子離れ』云々と書いておるから、どこまで実践しておるか、お手並み拝見としよう。」
父が私の心配を面白がって笑う。結局父が、尼崎まで出向いて、ゲンを隠れて見守ってくれることで話がついた。

さっそく、ゲンにインターネットで当日の乗り換え時刻を調べさせる。
決定した時刻をおじいちゃんに報告。リュックに着替えや洗面道具を詰め込み、向こうで何をしようか、色々考えてどきどきワクワク。
気がつくとゲンは手の平大の小さな大学ノートに、何かをせっせとメモしている。
電車の乗り換え時間や駅の名前。
自宅やおじいちゃんちの電話番号。
「おじいちゃんちでやりたいこと」リスト。
あははと笑ってしまう。
実はこのミニ大学ノートの活用法、実家の父の受け売りなのだ。
庭の手入れの手順やら、法事の時のもてなしの方法、リフォームの作業の順序など何でも項目別のノートにこまごまとメモを取る。
おじいちゃんちへ行くたびに、格別見るでもなしに見慣れた習慣をゲンも真似てみたのだろうか。

朝、「一番前の車両に乗っていくんだよ。」
何度も念押しして、父さんが駅まで車で送っていく。
ちょっと早すぎたかな、と思っていたら駅から父さんの携帯電話。
予定していた9時6分は『普通』だったので、8時59分の『快速』に乗せるという。
一瞬、え?と思ったけれど、「いいよ」と返事して電話を切ったところで、はっと気づく。一本前の快速電車に乗ると、乗換駅で一本早い乗り換え便に間に合ってしまう。
あら大変!!
慌てて、実家に電話をするとお迎え役のおじいちゃんはすでに家を出ており、携帯電話も持って出ていないという。尼崎駅に着いたときにはゲンの乗換えを見届けることはできないだろう。
図らずも、ゲンの旅は正真正銘の「一人旅」になってしまったのだった!

そこから2時間あまり、父さんや実家の母と連絡を取ったり、そわそわと時刻表と時計を見比べたり、落ち着かない思いで過ごした。
「二通りの道があれば、必ず第三の道を選ぶ」というジンクスのあるゲン。
結果として、今回もゲンは父母や祖父母が用意したのとは違う第三の道を行くことになった。兄弟のなかでいつも一番予想外のびっくりを運んでくるゲンらしいやり方じゃないの。
「ゲンなら大丈夫、ちゃんと着くよ。」と繰り返すオニイもやっぱりちょっと心配そう。

「着いたよ。」
裏方のどたばたを知らないゲンから、ちょっと誇らしげで高ぶった声の電話。遅れて、Uターンしてきたおじいちゃんも帰ってきた。
「ちょっと外出してたんだけど、今帰ってきた。ま、人生にはいろいろ予想外のこともあるわな。」
電話口のそばにいるゲンを憚って、お芝居をする父。
尼崎まで往復2時間の無駄足を踏まされた父も、ゲンの予想外の一人旅の展開におかしそうに笑う。
ゲンの自立心を測るつもりの一人旅は、結果的には親やじじばばの「子離れ」「孫離れ」を試すことになってしまった。

「第3の道を選ぶ男」
本人は何も意識しないうちに、結果として未知の世界に踏み込んでいる。
冒険者の魂は案外こんなところから芽生えていくのかも知れない。
だからゲンという男は面白い。
ま、無事で何よりということで・・・。


2004年04月01日(木) 壊す仕事

オニイの陶芸修行第2弾

「今日の仕事はちょっとなぁ」
父さんが窯場の隅で、ぶつくさ言っている。
「オニイに手頃な仕事があるんだけど、どう思う?」
聞くと、古い作品を砕いて処理する仕事だという。
通常、素焼きの段階で利用できなくなったものは、土場で砕いて新しい土作りの原料として再利用する。
そして、本焼まで済んだ段階で、瑕や形のゆがみで表に出せない作品は、窯場の隅に置いてあってまとまった数になると砕いて廃棄処分にする。
こちらは再利用は出来ない。
いわゆる「焼き損じ」は、商品としてはもちろん、内使いとしても外には出ないように慎重に扱う。
結果、壊すには惜しいような作品も惜しげなく壊す。
惜しげなくといいながら、やはり作ったものを自ら壊すのは辛い。
いつもこつこつ型抜き仕事を担当している従業員のHくんに任せるのも気が引ける。
「ちょうどいいじゃん、それ、オニイ向きの仕事だよ。」
さっそく、オニイを呼んでくる。

「えーっ、ほんとに全部割っちゃうの?」
防塵メガネに軍手で装備したオニイ、父さんが引っ張り出してくるお皿や香合を目を丸くして眺めている。
窯元としての品質を守るために、あえて破砕しなければならない理由をオニイにも説明する。
「これは?」
オニイが拾い上げたのは、松ぼっくりの形の香合のふたの部分。
これ自体には瑕はないけど、身の部分が問題ありで使えない。あわせの部分は両方同時に制作しないときちんと合わないので、ふただけ再利用することは出来ない。
瑕やゆがみはないように見えても、やはり何らかの理由で使えないものばかり。
かなづちでひとつずつ細かく砕いて、セメント袋にザラザラと集める。
心痛む仕事は息子に任せて、父さんはみないふり。
しばらく、カツンカツンと陶器を砕く音が静かに工房に響いていた。

「今日はここまでにしとくわ。」
ほこりまみれの軍手を外しながら、オニイが仕事を中断。
仕事の半分を明日に残して、本日は店じまい。
「あっさり、帰っていきよったな。」
壊す仕事は、ストレス解消になりそうな気もするけれど、やはりどこかで心が疲れる。
長く続けて楽しい仕事とは思えない。
けれども、これも大事な窯元の仕事。
肝に銘じて、明日もがんばってもらいたい。


2004年03月30日(火) 知らなかったのも罪

国際派女優の島田楊子が無免許運転の疑いというニュース。
外国で取得した国際免許の手続き上の無知から、結果的に「無免許」状態だったのだろうとワイドショーで解説していた。
その番組の中で、ある弁護士さんが「法律を知らなかったからといってそれにより責任を免れる事はできない」とおっしゃっていた。
刑法の中にそういう条文があるのだそうだ。
当たり前といえば当たり前のことだが、そのことが法律に明記されていることなのだということを始めて知った。

ところで、江角マキ子。
自分が国民年金に加入していない状態であることを知らなかったのだそうだ。
ささやかな家計の中から確実に引き落とされ、何らかの理由で少しでも遅れると「督促状」が送られてくることを知っている者からすると、「何、のんきなこと、言ってるの」という無知だけれど、TVで見る限り、「知らなかったんなら仕方がないわねぇ。」と江角マキ子に同情的な意見を述べる人たちが意外に多かったのに驚いた。
「年金未加入」が罪になるのかどうかは知らないけれど、自分の年金の状態を確認もせずに偉そうに未加入者をたしなめるCMに出演した彼女を「かわいそう」とは思えない。
「知らなかった」のも罪である。

再び、先日のメール事件。
「子供達がパソコンを使ってそんな高度ないたずらが出来るとは知らなかった。」
「私はパソコンがよくわからないから、子供達が何をしているか把握できなかった。」
ネットの世界に踏み込むと、子供達は親の知らない知識や技術を良いことも悪いことも文字通り手当たり次第に身に付けてくる。
自分の得た知識を悪いことに使わない。
人を傷つけるようなことは絶対しない。
そんな基本的なことを身に付けないうちに、パソコンという道具を野放しの状態で子供に与えることは、やはり親としては罪である。
「知らなかった」では言い訳できない。そう思う。

回転ドアで死亡した男の子。
たかが建物への出入りに「命がけ」の危険を伴う大掛かりな装置を取り付けて、小さな命の重さをないがしろにしたビル会社やメーカーの責任は重い。
そして本当は、そんな危険の可能性もあるドアへの進入に幼い子の手を離してしまった母親にも責任の一端はある。
子供を不慮の事故で亡くし、悲嘆にくれている母親に面と向かって「あなたにも責任はある」と詰るつもりはない。
けれども、「回転ドアがそんなに危険なものであるとは知らなかった」とはいえ、人の往来の激しい出入り口で、はしゃぐ子供の手をふっと離したその油断が取り返しのつかない事故の発端になったことも確かだ。

確かに子供達はとっさに思いがけないことをする。
エスカレーターで転んだり、転がったボールを追って車道へ飛び出したり・・・。
わが子に思いがけなく降り注ぐ危険にヒヤッとする経験は誰にもあるはずだ。
「四六時中、子供の動きを見張っていることなんて出来ないわ。」
確かにそう。いつも手をつないで歩く道のりも、いつかは手を離して一人で
歩かせなければならないときがくる。
実際、「一人で行かせて大丈夫かな。」と思いつつ「気をつけて行っておいで」と子供を送り出す日もいつかは来るものだ。
それでもやっぱり「危険なところで走っては駄目。」「知らないところでは手をつなごう」と子供に言い聞かせることが出来なかったのは、結果として母親の責任とも言えるだろう。

「大丈夫かな」とわずかな不安を覚えつつ、少しづつ引き綱の距離を伸ばし、子供達が自由に行動する範囲を広げていく。
それは子育ての中でとても難しい「子離れ」の過程ではあるけれど、親から離れた子供達の行動や言動にはまだまだ親の責任が伴う。
「子供達が成長して、外で何をしているか把握するのが難しいわ。」
親の把握できないところで、子供が思いがけない非行に走ったり、人を傷つけるような言動を取ったりしたら、それはやっぱり親の責任。

何をしでかすか知れない子供達を「大丈夫かな」と思いつつ世に放つ。
それまでに子供達に与えたしつけや知識が、子供達を守ってくれると信じつつ。それは子供達の行動や言動にすべて親が責任を持つということ。
「そんな危険は予測できなかった」
「そんな悪事をしでかすとは思いもつかなかった」
ことが起こってしまったとき、そんな言い訳は通らない。
「知らなかったのも罪」
育児とは厳しく、重たい事業である。


2004年03月28日(日) 南京町へ行く

父さんが午後から神戸方面で、友達の個展を見に出かけるという。
お天気のいい日曜日。
おうちでうだうだもいいけれど、せっかくのお休みだし、「行こう行こう」とおにぎり弁当を作ってぞろぞろと車に乗り込む。
朝から剣道の稽古の男の子達を道場でひろって、びゅんびゅんと高速を目指す。
わぁい、久しぶりの遠出だ。
神戸へ行くのも久しぶり。

幼い頃、「街へ行く」というと、たいてい神戸だった。
震災前のバリバリ元気のよかった三宮。
母とよく行った老舗のサンドイッチパーラー。
いく度にワクワクした大きな手芸屋さん。
いつも豚まんをお土産に買った中華料理店。
英語がぺらぺらの矍鑠とした老婦人が切り盛りする服地やさん。
甘栗の大袋を買って、オーバーのポケットの中で殻を剥いて食べながら歩いた元町商店街。
父と、母と、弟達と楽しく歩いた神戸の町。
震災後はずいぶん雰囲気は変わったけれど、やはり何か楽しいことに出会えそうなワクワクがいっぱい残る街。

以前と大きく変わった場所といえば、南京町。
テイクアウトの屋台が所狭しと立ち並び、観光客がひしめきう現在のこの街は、子供達をつれてあちこち少しずつつまみ食いして歩くのには楽しい街になった。
即席おにぎり弁当で物足りない分をさっそく小さなカップのラーメンで補う。
お行儀が悪いのを承知で、広場の地べたに座り込み、子供達がそれぞれに厚いラーメンをすする。早く食べ終わった子を連れて、揚げシューマイだの胡麻ダンゴだの新たなおいしいものを買い出しにいく。
人ごみの苦手なおのぼりさんツアーには、ちょっと過酷な混雑ではあったけれど、それぞれに好きな物を食べ、珍しい食材や中国の雑貨に触れ、ちょっとだけ「異文化交流」を経験して、楽しく過ごした。

帰りに夕食用にと冷凍の水餃子や細麺の生ラーメン、父さんの好物の焼豚などを買う。
そして、子供達が興味深々だったピータンを二つ。
これまでにもどこかで食べさせたことがあるとは思っていたのだけれど、殻つきの土をかぶったままのピータンを見るのはどの子も初めて。
「何事も経験」とさっそく購入。
帰宅後、遅い夕食の準備をする傍らで、父さんが子供達と一緒にピータンの殻を剥いた。
土に中から現れる卵に唖然。
殻を剥くと現れる真っ黒な白身に呆然。
なかなか面白いお土産だった。
「まあまあ、食べられるな。」
普段好き嫌いの多いオニイが珍しく一口。
「何だか気持ち悪いけど・・・」
食材に対する探究心旺盛なアユコも一口。
はじめから食べ物と認知しないアプコは当然パス。
「大しておいしいものでもないんだけどね」
と、突っつく父母の影で、一人しり込みしているゲン。
珍しい食べ物はたいがい一番に食べたがるゲンなのに、ピータンに関しては食わず嫌いを貫くようだ。
「こういうの、苦手かも・・・」
珍しく弱気の発言。意外だった。

わが子には、知らない食材にも果敢に挑戦できる大胆さを育てたいと予ねてより考えている母としては、今後の課題が一つ増えた。


2004年03月26日(金) 土練り3年

春休みに入って、朝から晩まで子供達が家にいる。
朝ごはんが済んだばっかりというのに、「お母さん、お昼何食べるの?」
そんなことは昼になってから考えてくれ。
「それよりさっさと宿題済ませちゃいなさい!」
といえないのが辛い。

「お昼ご飯が済んだら、オニイにちょっと手伝ってもらおうかな」
仕事場でなにやら新しい仕事に取り掛かる気配の父さんが言った。
「暇そうにしているからちょうどいいわ。」
さっそくオニイにその旨を告げる。
なんだろうなぁ、写真のことかな、パソコンのことかな。
最近ではめったに仕事場に出入りすることがなくなったオニイが、いぶかりながらもいそいそと父さんの所へ行く。

しばらくして仕事場へ行くと、がらんとした教室で仕事をする父さんの傍らで、オニイが熱心に土練をしていた。
制作に取り掛かる前に、材料となる土をしっかりと練り直し、中に含まれる空気を抜いて準備をする。
その一番基礎となる作業を父さんはオニイに教えているようだった。

腰を落とし、リズミカルに力を込めて土を練る父さんの手つきは鮮やかで、何度みてもふっと吸い込まれるように見入ってしまう。
何度も練り上げるうちに、生地に規則正しい練りこみのあとが重なり、くっきりと菊の花弁の文様となって浮かび上がる。
この作業を「菊練り」というゆえんだ。
父さんの手元は、少しも留まることなく、土くれを滑らかな砲弾型にまとめ上げる。
この間数分。
プロの技だなぁと思う。

さて、初めて土練りに挑戦するオニイ。
リズムだけは父さんを真似て調子がよいが、まだまだ非力でずっしり重い土塊を十分に転がすことが出来ない。
力を込める場所が定まらないので、作業台の上で土塊があちこちに移動する。
そして何より、スタミナ不足で何度も続けて練り続けることが出来ない。
父さんの見せた鮮やかな菊の文様を出したくて、あれこれ練り方を変えてみるが、うまくいかない。
「しっかり空気を抜くのが目的だよ、菊の花じゃなくて・・・。」
ようやくオニイが練り上げた土塊を、父さんがスパッと切り糸で半分に切る。
その断面には小さな空気の層がいくつも残っていて、オニイの土練りがまだまだ使い物にならないのがよくわかる。
父さんが短時間にこねた土塊の断面は均一で、しっかり空気も抜けている。

「うまいこといかんわぁ」
首をかしげるオニイは、なんだかちょっと悔しそう。
「昔は『土練り3年』といって、職人さんたちはこの作業だけを習得するために長い修行をしたものなんだ。」
父さんが胸を張って答える。
父さんは高校時代から陶芸の基礎を学び、もう何年も当たり前の作業として土練りをする。
手が覚えた技は、毎日毎日使われることによって、軽快でリズミカルな美しい所作になる。

将来の進路に父の歩んだ道を意識しつつあるオニイの目に、父さんの手の凄さは強烈な印象を残したようだ。
「母さん、なんつーか、陶芸って・・・。陶芸って、あのな・・・」
夕餉の支度をする私のそばへきて、オニイが何か言いたそうにして、言葉を選ぶ。
「なんつーかな、あのな。陶芸ってな、・・・」
あとの言葉は聴かなくっても判るよ。
ちょっと興奮したオニイの笑顔がまぶしい。
「『しんどいから、やってられへん』でしょ?」
意地悪く聞き返す母に、オニイがぶんぶんと首を横に振った。

父さんって凄いな。
陶芸って、奥が深いな。
その言葉は自分で見つけなさい。



2004年03月25日(木) 優先順位

(昨日分より続き)
「○○ちゃんのお母さん」で一生を終えるのはいや。
一人の人間として評価される仕事がしたい。
主婦が仕事を始める理由の一つに、こんな言い草がある。
資格を身に付け、仕事のスキルをアップして、自分のやりたかった仕事を再開する。
エプロンをはずし、家事を手早くかたづけて、カツカツ踵の鳴る靴で、仕事場へ向かう。
ちょっとかっこいいじゃん。私もそう思う。

最近、最終回を迎えた人気のドラマ。
仕事一筋の夫に愛想をつかして、娘を置いて自分のやりたかったことを実現するために旅立っていく。夫は娘と二人っきりになってはじめて、子供と向き合う毎日の大変さと喜びを知る。
心温まるとてもよいドラマだったと思うけど、唯一つ不満に思うことがある。
自分のやりたいことを見つけて、子供とともに新しい土地で新生活を始める妻。新しい仕事に面白さを見つけ、新しい彼女さえ見つけて、穏やかな生活を取り戻そうとしている夫。
前向きに新しい人生を切り開いていこうとする親達の心は明るい。
それに比べて、母親に一度は放置され、ようやくこっちを向いてくれた父親とは引き離され、転校や改名のストレスを背負わされた娘はどこまでもけなげで痛々しい。
みんなが自分の生きる道を見つけてよかったね。
でもそこに、自分を犠牲にしても子供の気持ちを優先するという選択がほとんどなされていなかった気がする。

「自分が自分らしく生きられる生き方」
それが今ある家族や仕事で満たされないと思ったとき、どんな犠牲を払ってもそこに手を伸ばして求めていく姿はかっこいい。
「自分に正直に」「ありのままの気持ちで・・・」
自分の欲しいものを追い求めるとき、自分の気持ちをなりふりかまわず発信するのが素敵な女の条件のように言われる。
少し前なら「夫と別れたいけど、子供たちのことを考えると・・・」と躊躇した人も、「子供達のためにも別れた方がいい。」と決断する。
少し前なら「小さい子を置いて母親が働きに出るのはかわいそう」といわれた人たちも「いきいきと働く母親の姿を子供達にみせてやりたい」と働きに出る。
「子供達のことを考えると・・・」とウジウジ新生活への切り替えをためらうのは、愚かな女のお手本のように言われる。
だけどなぁ。
本当にわが子のために何かを犠牲にする生き方は愚かなんだろうか。
「自分らしく」を振りかざして生きる女だけが偉いのだろうか。

昨日の日記に書いた5人目の子の母親。
私と顔をあわせると二言目には「仕事が忙しくて」と口にする。
夜にも不在のことが多く、子供達は母親のいない家で勝手に生息している。
学校や子ども会の役も「仕事」を理由にたびたび穴を開け、迷惑をかける。
会うたびに言外に「専業主婦は暇でいいわね」のにおいがするので、アタマにくる。
それでもそれは「価値観の違いね。」と聞き流そうと思う。
ただ、彼女が自分の子の前でたびたび「子供のことより仕事が優先」という言動を繰り返すのはどうかと思う。

「俺は仕事が忙しいんだ。子供のことはお前に任せてある。しっかり子育てしなきゃ駄目じゃないか。」
よくドラマで出てくる企業戦士はこんな暴言を吐いたものだ。
「あたしだって、子育てなんかより仕事がしたい。」
そういって働きに出る母親も少なくない。
残った子供は誰に育てられるのだろう。
学校や塾で知識はたくさん得てきても、自分を最優先にはしてくれない親のもとで、子供は何を学ぶのだろう。

仕事をする母親が悪いというわけではない。
専業主婦が偉いというつもりもない。
ただ、親となった以上、「子供が最優先」「子供の気持ちを大事にする」というタイミングを見失ってはいけない。
子供達は自分たちの優先順位がどこにあるか、
大人以上に敏感に感じているに違いない。


2004年03月24日(水) 「ごめん!」のタイミング

誤って誰かの足を踏む。
「あ痛っ!」と言われる前に「ごめん!」といえること、大事だなぁと思う。

先日のアユコのメール事件。
問題発覚からすでに2週間。
校長教頭、担任の先生、5人の子供の親たちまで巻き込んで、すったもんだの末、一応の解決をみた。クラスでも話し合いが持たれ、修了式前の数日はクラスの気分を切り替えるためにたくさんの楽しい行事がもたれた。
「とりあえず、これでおしまいにしようね。」
アユコも心の整理をつけ、すっきりと言い放った。
そのほうがよいと私も思う。

ところが、なかなか終わりにしてくれない人たちがいる。
先週、話し合いが終わってから5人の子供達の両親がぱらぱらと謝罪にみえる。
最初に飛んでこられた数組はいい。
今日、最後の一組が親子3人でやってきた。
話し合いからすでに10日。
何をいまさらという思いしか残らない。

今日、謝罪に来た子供の母親は、私と顔を合わすと二言目には「仕事が忙しくて」という。
表向き専業主婦である私への優越からか、ことさらに「気の抜けない仕事だから・・・」と繰り返す。
今回子供達の非行に気づかなかったのも、謝罪がぐんと遅くなったのも、「私が仕事で不在だったから」「主人の仕事が大変な時期だから」と、いちいち同じ言い訳をする。
仕事を持つ主婦は忙しい。
子供とともに過ごせる時間の多くを仕事のために費やしている。
だからといって、自分の子供の非行を見抜けなかったことや、その後の対応が遅くなったことの言い訳にいちいち「仕事」を持ち出すのは、どこか勘違いしていないか。

日々だらだらと続く子育ての日々にも、ここははずせないというタイミングがある。
仕事の片手間の育児にも、ここだけは子供優先にしなくてはならないときもある。
子供が「しまった!」と思っているときにガツンと叱る。
「悪いことをした」と気づいたときに謝罪をさせる。
両親が本気で息子の非行を恥じる姿を見せる。
そんな基本的な作業が出来ないまま「仕事優先」に逃げる親の姿勢を、子供達はきっと見ている。きっと学んでいる。

足を踏まれた者は痛い。
相手が故意に踏んだとしても、押されてふらついてやむなく踏んだとしても。
「ごめん!」
のあとの言い訳はいらない。
それより即座に「ごめん!」と声に出して言ってくれ。
欠陥自動車と知りながら販売を止めなかった社長さんが、事故死した方の墓前で謝罪していた。
「2年も経ってからですよ。」
被害者の家族の方が悔し涙にくれていた。
「ごめん!」のタイミングは難しい。
でもその人の価値観や心の有り様をつぶさに表す試験紙でもある。


2004年03月22日(月) 春の便り

実家の母からの小包が届いた。
大きな菓子箱にいっぱいのいかなごの釘煮。
箱のまま、食卓の上に置いておくと、誰彼ともなく指でつまんで味見していく。
そばに白飯も一緒に置いてやろうかしらん。

この季節、実家のあたりではどの家も競うようにいかなごを煮る。
体長3センチばかりの小魚を近所の魚屋でキロ単位で買ってきて、大きななべで、生姜とともに甘辛く煮る。
各家庭で炊き方や使用する調味料が微妙に違っていて、どこのおかあちゃんも、密かに「うちのが一番」と思っているに違いない。
シーズン中何度も炊いて、あちこちへ配る。
あちらの郵便局では「いかなごパック」といって、密封容器と郵送料をセットにした発送サービスもあるそうだ。
ごたぶんにもれず、我が家にも毎年、母からのどっしりと重い釘煮の宅急便が届く。
我が家からまた、義父母のところへおすそ分けし、父さんの恩師やらお世話になった方やらへ定例どおりにお送りする。
「毎度同じ品で恐縮ですが、春の便りでございます。ご賞味ください。」
包みに添える手紙の文章も定例どおり。
「いま、届いた。さっそく一杯やっとるぞ、ありがとう。」
到着と同時にご機嫌よくお電話を下さるM先生。
毎年変わらぬ習慣が、今年もつつがなくおさめていける今日の幸せ。

近頃では我が家の近所の魚屋でも、生のいかなごが店頭に並ぶようになった。
水揚げされたその日のうちに、さっさと煮上げてしまわないと質が落ちる地域限定の郷土料理であったはずだが、ここ数年、流通の範囲が広がったのか、明石から100キロ離れたわが町にも昼網の時間に合わせて袋詰めされ、商われるようになった。
郷里のスーパーと同じように、いかなごのそばにはしょうゆやザラメ、密封容器まで同じコーナーに集めて、レシピを添えて売られている。
「そろそろ私も一人で炊いてみようかしらん」
ここ数年、出始めのいかなごを目にするたびに思い立つのだけれど、ぐずぐずと引き伸ばしているうちに、実家からどっしりと宅急便が届き、ついつい機を逸する羽目になる。
「いかなごをちゃんと炊けて一人前」という播州の花嫁の条件を今年も満たさぬまま、母の釘煮をまたつまむ。
母が今年もたくさんのいかなごを煮て、あちこちへ発送することが出来るのは、母の身の回りが穏やかで健やかに動いているという証。
だから、今年も母の釘煮に甘えて過ごす。
ありがたく甘い母の味。
感謝、感謝。

「いかなご、ついたよ。ありがとう。」
母に電話したら、珍しく父が受話器を替わった。
何かしらと思ったら、いつも聞きなれない改まった言葉で、父が私をほめてくれた。
実家の両親は、この日記も欠かさず読んでくれており、子供達の成長や父さんの仕事のことなどをしょっちゅう気に掛けてくれている。
父母の手元を離れ、4児の母、窯元の奥さんをばたばたつとめる娘の日常を「よしよし」とうなづいて見守ってくださったか。
一人で猛然と髪振り乱して走り回っているつもりでいたここ数日の私の後ろに、暖かい父母の見守りがあったということ。
春の便りとともに、気づいた父母のありがたさ。

「まだまだ、いかなごは一人では炊けない。」
「母」であると同時に、自分がまだ誰かさんの「娘」であることの嬉しさを十分に味わって春を迎える。


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