月の輪通信 日々の想い
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オニイがお父さんと出かけて、アプコもおばあちゃんちへ遊びに行ってしまった。ぽっかりとあいた土曜日の午後。 朝から風が強くて、日差しが暖かかったり急に大粒の雪がふってきたりして、変なお天気。 テレビを見てグダグダするのにも飽きて、ゲンとアユコが「山へ行ってきてもいい?」と立ち上がった。 「う〜ん、でも変なお天気だよ。」 PCの画面をにらみつつ、頼りない返事をしていたら、「アスレティックのところまで言ったらすぐに帰ってくるからいいよね。」と二人はぴゅーっと出かけていってしまった。
我が家はハイキングコースの入り口にあり、子供達の好きなアスレティックまでは往復しても子供の足なら小一時間。 幼い時から何度も通ったことのある一本道。やんちゃなゲンにとっては我が家の庭のようななじみの道だ。 ま、すぐ帰ってくるだろうからいいかと思っていたら、しばらくして俄かに空が暗くなり、また大粒の雪が舞い始めた。 「わ!吹雪じゃん!」 見ると子供達は明るい日差しに誘われて上着も持たずに出かけていったらしい。 空の暗さに不安になってばたばたと迎えに出る。 大粒の雪の中、急な階段を上り人気のない雑木の間の道を急いで上った。 ほんの数百メートルの山道だというのに急いで上るとすぐに息が上がる。 これほどの天候だから子供達もすぐに引き返してきているはずと思いながら、なかなかその姿も見えないので、ついつい足取りも速くなる。
「遭難」とか「転落」とか「誘拐」とか 不吉な言葉がアタマに浮かんだとき、行く手に二人の子供の姿が見えた。 「あれれ?」という顔のアユとゲン。 ほっとするのと、自分の取り越し苦労が馬鹿らしいのとで、二人にそれぞれ上着をぽいと投げ渡し、くるりとUターンしてもと来た道を下りはじめた。 「ごめんなさい。」 心配を掛けたと気づいたアユコがぺこりとアタマを下げる。 「えらい山登りをする羽目になったわ。」と冗談めかして言ったら、 「いい運動になったでしょ。」とアユコ。 そういいながら、やっぱり「しまった、言い過ぎた」と気づいたアユコはもう一度「ごめんなさい。」
「暗くなってきて怖くなかったの?ほかにあまり人もいなかったでしょう。」 しばらく歩いてから子供達に聞く。 「あのな、途中で、天狗が出てきそうなところがあってな・・・」 ゲンが帰り道の不安な気持ちをそっと教えてくれた。 「神隠しみたいな感じでな、ホントいうとちょっと怖かった。」 そうだねぇ。 うちからほんの少し離れただけのなじみの山道。 そんなことある訳ないけど、なんだか怖かったよね。 二人分の上着を抱えて、必死で山道を登った数分間、お母さんもちょっと怖かった。
下りの道を数分歩くと、急に雪の雲が切れ、うそのように明るい日差しが戻ってきた。結局、私達親子を不安にさせた吹雪のような悪天候はほんの数十分の気まぐれな嵐だったようだ。 「な〜んだ、馬鹿みたい。うちの鍵も開けっ放しで出てきちゃたよ。」 と玄関のドアを開けたら、ぽつんと一人ぼっちのアプコがいた。 私が迎えに出ている間に一人でおばあちゃんちから帰ってきていたようだ。 ほんの数分のことだけれど、誰もいないうちに一人でぽつんと帰ってきて、 「おかしいなぁ」と心細くなっていたらしい。 「誰もいなくなっちゃったかと思ったよぉ」 「あらら、ごめんごめん。」 突っ立っているアプコの前にひざを突いたら、それまで泣いていなかったアプコがわぁーっと泣き出した。
「誰もいなくなっちゃったかと思ったよ。」 私達のうちの近くの3つの場所で、私やアプコやアユコとゲンがそれぞれ感じた不安はみんな一緒。 いつも当たり前にそばにいるはずの大事な人が、ふっといなくなっちゃったらどうしようという漠然とした不安。 「神隠し」とゲンがいったあの不思議な怖さを4人が同じ時間に別々の場所で感じていたということがなぜか嬉しく暖かい。 わぁわぁ泣いているアプコを抱き上げてなだめながら、 「大丈夫、どこへも行かないよ。」 と慰める言葉は私とアユコとゲン、そしてアプコがお互いに確認する安心の言葉。 大事な家族が暖かい家の中で、一緒に外の風の音を聞く。 悪くないなぁ。 今日は格別子供達がかわいい。
一年間つとめてきた子ども会の役員の引継ぎの集まりに出てきた。 4月のお楽しみ会に始まり、夏祭り、秋祭り、クリスマス会やら各種のスポーツ大会。 その企画や運営に奔走してきた15年度の役員もようやく大任を終えて次年度の役員さんたちにバトンを渡す。 去年「えらい役が回ってきたらどうしよう」と不安な面持ちで役職きめのくじを引いた16人が、一年の活動を終え仲のよい、スポーツチームのように互いの労をねぎらい、握手をして解散する。 とてもとても大変なお役目ではあったけれど、地域のこと、学校のこと、子供達のことなど本当にいろんな経験をさせてもらった。
わが地区では「ここの子ども会の役を経験したら、学校のPTAだろうが自治会の役だろうが、なんだって平気になる。」といわれるほど、子ども会役員の負担は大きい。 しかも子供の人数が減ってきている現在では、一家庭に一度は必ず子ども会の役が回ってくることになっている。 仕事を持つお母さんや幼児や年配者を抱えたおうちなど、役員を出すことがむずかしい家も多くて、役員選びにはどの地区も苦労する。 それでも「子ども会なんていらない」という声が上がらずに存続しているのは、学校や地域ぐるみで子供達に楽しい経験をさせてやろう助けてくださる空気があるからだろうと思う。
昔からの古いおうちの年配の方達が、子供達に伝統の祭囃子を教え、消防団のおっちゃんたちがお祭りの夜店で格安の焼きそばを子供達に振舞ってくださる。学校の授業でも地域の方々が教室を訪れ、農業の技や昔の遊び、専門の技術や地域の昔話を子供達に語る。 そんな風にして子供達は地域の大人達に見守られて大きくなっていく。 「社会全体で子育てをささえる。」 というような大仰なものではない。 ムラのこどもたちをたのしませてやりたいという長老達の素朴な手助けがあることを、私はこの一年の経験から改めて感じることができた。
「稽古事で忙しいから、子ども会には入りません。」 「ムラのしがらみに絡まっちゃうのがいやなのよ。」 と、子ども会入会を嫌がる人もたまにいる。 「お祭りには参加したいけど、役員はねぇ・・・。」 と、退会を申し出る人もいる。 子育てをめぐって周囲の人の協力が得られない、学校や家庭に次代を育てる責務が偏りすぎているといわれることも多いけれど、 社会からさしのべられる支援の手に対して、家庭の方からその戸口を閉ざして孤立した育児に追い込まれていくことも多いのではないかと思う。 「お祭りも、クリスマス会も、うちで別に経験させるからいいのよ。」 「仕事が忙しいし、よその子達のために役員をする余裕はないわ。」 子供が社会と関わっていく経験を、地域や学校と離れたところで「個人単位」でまかなってしまうほうが楽だという風潮。 これは子育て現役世代が少なからず抱えている悪しき「個人主義」の産物だなぁと思う。
「めちゃくちゃ、しんどかったけど楽しかったねぇ。」 一年間の活動を終えて、自分達の住む地域に15人の友達ができた。 うちの子のため、うちの家族のためではない奉仕の一年が与えてくれたもの。 おそらくはずっとこの町で生きていく私に、与えられた褒美は大きいと思う。
この間の日曜日のこと。 子供達を父さんのワゴンに詰め込んで、 本屋やらディスカウントスーパーやらを気まぐれにめぐる怠惰な休日をすごす。 スタートが中途半端な時間にずれ込んだので、久しぶりにチープなファミレスでお昼ご飯。それぞれに好みのメニューを選んで、満足げにモリモリ食べる子供達。 子供の数が多くなって、「外食でもするか」というとファミレスやファーストフード店での食事がメインとなった我が家だが、それでもそこそこ興奮して「おいしいね。」と充足して楽しめるのは「みんなで一緒」の効用だろうか。 ちゃんとしたお店での特別の一皿を味わう経験もそろそろ必要な年齢にさしかかる子もいるとは思うが、我が家の経済状態を考慮すると「一緒がご馳走」で満ち足りてくれる今の幸せ。
ご機嫌よく食事を終えた父さんのお皿のすみに一片の食べ残し。 いつもきれいに食べ残しを作らない父さんが珍しいなと思ったら、食べ残しではなくて、小さなビニルのかけらだった。 「きっとレトルトかなんかの切れ端ねぇ。いやぁね。」 どうする?とちょっと顔を見合わせてから、やっぱりねとお店の人を呼ぶ。 「こんなものが入ってたんだけど。」 と店長らしき人に言ったら、「あ、何かの包材の一部ですね、申し訳ありません。」とあっさり言って、お皿を下げた。 「あらま、あっさりしたものね。」 と、首を傾げていたら再び店長さん登場。 「大変失礼しました。この商品の分はお代は結構ですから・・・。」 と、伝票になにかささっと書き加えてくれた。 「そうですね。」 数百円のことながら、「悪いな」と言うような、「ちょっと得をした」というような、「当然よ」というような。 とりあえず皆おなかいっぱいでご機嫌よく食事を終えたので、よしよしということで店を出る。
その一部始終を一言も口を挟まず見ていた子供達。 車に戻ってオニイが訊いた。 「なんかわるいみたいだなぁ。せっかく作った料理をタダにしちゃっていいのかなぁ。料理していた人はきっと叱られるんだろうね。」 「そうだろうねぇ。」 「このことでクビになったりしない?」 心優しいオニイはそんなことを気にしていたのだなぁ。 「こんなことで、クビにはならないよ。 でもね、他人様にお金をもらって食べ物を提供するということは厳しい仕事だからね、ああいう失敗はちゃんと注意してあげないといけないんだよ。」 「ふうん。」 いまいち納得のいかないらしいオニイにプロの仕事の厳しさを説く。 「もしお客さんに渡った商品に不具合があったら、そのお客さんにとってはその店の印象は『いやな思いをした店』のままいつまでも残る。『あそこは駄目よ』と何かの折に誰かに語る。そういう評判というのは仕事をする上ではとっても大事な事なのよ。」
「たとえば父さんの仕事にしても、不満足な作品を外へ出したらそれは直ちに『プロの仕事』を恥じることになる。それを梱包して発送する人にとっても、いい加減な荷造りをして事故があれば評判を落とす。仕事をするということは本来そんな厳しいものなのよ。」 たとえ、パートやアルバイトの調理人であったとしても、そういう失敗はしっかり叱られて二度と繰り返さないようにしなければならない。そういう当たり前の大事なことを、今のオニイにもしっかり伝えておきたいと思う。
そういえば、オニイはいまだに旧雪印ブランドの牛乳を飲まない。 特売大好きな私もなんとなくあの会社の牛乳はかたくなに避ける。 新しくなったあのブランドに「信用が置けない」というわけではなく、 プロにあるまじき背徳行為を人はそう簡単にチャラにしてくれはしないということを、いつか何がしかの「プロ」に成長していく子供達の心に刻み付けておくために・・・。
「でも、スパゲッティーはうまかった。」 確かにそこそこおいしいお子様ご飯に、子供達への職業教育、そして、私の貴重なHPネタを提供していただいて、全体としては大変リーズナブルなお食事をさせていただいた。 ところで、この日、オニイが学んだ「プロの条件」を、どこぞの養鶏業者のおじさんにもぜひとも学んでいただきたい。 食を支える仕事にこそ、自分に厳しいプロ意識をしっかり持ってもらいたいと心から願う。
実家の母と一緒に先日初めての赤ちゃんを出産した義妹のTちゃんのお見舞いに出かけた。 その実、お見舞いにかこつけて、午前中は二人で繁華街に出て買い物を楽しみ、のんびりお昼ごはん。 調子よく私の衣類などをねだって、久しぶりに母の娘として甘えさせてもらって、うれしい。
デパートの地下で、ささやかなお見舞いのお菓子を買って、病院に向かう。 つい数日前に母は父と一緒にこの病院を訪れていたので、道案内は母のお任せとのこのこついていくのだが、なんとなく母の方向感覚は頼りない。 遠くに目印の看板を見つけ見当をつけて歩いていくのだが、「こんな道、とおったかしらん。」と時々首をかしげる。 あはは、何度通っても道を覚えない私の方向音痴は、この人譲りだ。 適当な見当で大雑把に最短距離の道を選ぶ父。 遠くに目的地が見えていても途中の些細な目印に惑わされて、つい遠回りをする母。 私の方向音痴は明らかに母譲り。
病室の仕切りのカーテンの向こうで懐かしい新生児の元気な泣き声。 「元気に泣いてるね、Tちゃん。」 初お目見えの姪っ子はママの母乳を飲んだばかり。 まだ、お乳の張らないTちゃんのおっぱいだけでは足りなくて、自分の指をちゅうちゅう吸っては大きな声で泣く。 「いくら飲んでも足りなくて、病院中で一番飲みっぷりが良いんです。」 初々しい手つきで小さな赤ちゃんを抱き上げ、追加のミルクをオーダーするTちゃんもとてもとても元気そうで母になった喜びにあふれている。 「この子は飲んでるときにとっても幸せそうな顔をするんです。」 ちょこちょこ声をかけながら哺乳瓶のミルクを飲ませる手つきもすっかりお母さんらしくなって、頼もしい。 いいお母さんになりそうだな。 今の赤ちゃんの幸せそうな顔、しっかり頭の中に刻んでおいてね。 これからの長く続く育児という道のりに、乳を吸う赤ちゃんの満ち足りた表情はきっと戦うお母さんの杖になってくれる。
「退院したら、とりあえずしょっちゅうおっぱいをあげていれば良いよ。たくさん吸ってくれたらおっぱいもいっぱい出るようになるし、おなかがいっぱいになったら寝てくれるよ。」 4児の母はさっそく大雑把育児を指南して、新米ママをぐうたら母の道へといざなう。 「そういえば、あんたは赤ん坊が小さいとき一日中おっぱいをくわえさせていたねぇ。」 私の上の子たちの産褥のとき、実家で面倒を見てくれた母が笑う。 「あんたは娘時代から寝付くとなかなか起きない娘だったから、夜の赤ちゃんの世話ができるのかと心配したけれど、よく、赤ちゃんに添い寝しておっぱいをくわえさせていたっけね。」 「そうそう、『赤ちゃんを踏み潰さんように』とよく言われたけど、4人育てて一人も踏み潰した子はいないよ。」 当たり前じゃ、眠くても母だ。潰しゃしない。
「ひいおばあちゃんの法事の時には何とか赤ちゃんを連れて、加古川へ行きたいんですけど。」 弟夫婦は2週間後の法事に参加したいとお産の前から言っていて、今日もかなり本気で検討しているらしい。 「まだまだ生後一ヶ月もたっていない赤ちゃんを連れて、無理しないほうが良いよ。病院では赤ちゃんの面倒だけ見ていれば良いけど、おうちに帰ったら、きっと大変だよ。大荷物こしらえて、加古川までの小旅行する余裕なんてきっとなくなっちゃうよ。」 母と二人で、こちらもかなり本気で説得する。 新米パパママには、赤ちゃんと一緒の生活の大変さの実感はまだない。
おっぱいあげて、げっぷをさせて、オムツを替えて寝かせたら、すぐにまた次の授乳の時間。 「最初の一月はとにかく赤ちゃん中心。この人はお風呂も自分で用意していれていたから、なかなか大変だったと思うよ。」 上の3人の子供達の最初の一ヶ月の育児を助けてくれた母は、赤ちゃんとの生活の大変さを自分の出産の時の記憶ではなく、10年近く前の私の育児の姿を通して語る。 結婚して、父母のもとから巣立って、すっかりひとり立ちしたつもりで子供達を育ててきた私だけれど、本当はこんなに暖かい父母の見守りの中で子育ての急坂を何とか越えさせていただいて来たのだなぁと改めて思う。 父母にとってはいつまでも私は目の離せない子供の一人で、今もまだ暖かい見守りの中に私はいるのだと感じて幸福になった。
帰り道、乗り換え駅のコインロッカーで母がうんとこ運んでくれたお土産の包みを受け取る。 父が近くの王将のセールでわざわざ買ってきてくれたという餃子とラーメン。大量の餃子はいったん冷凍にして、どっしり紙袋に詰めて持たせてくれた。 久しぶりの外出から帰って、おなかをすかせた子供達を待たせての夕餉のしたくは大変だろうと思い図って下さったか。 果たして、子供達の旺盛な食欲はホットプレートで一度に焼いた大量の餃子をあっという間に次々平らげていく。 「お母さん、この餃子、うまいなぁ。」 感激したオニイがさっそく加古川のおじいちゃんにお礼の電話をかける。 「うまいはずだよ。愛だモン。」 Tちゃんの 赤ちゃんが改めて気づかせてくれた両親の暖かい心。 感謝。 感謝。
弟夫婦の所に先日初めての赤ちゃんが生まれた。 予告どおり、元気な女の子。 実家の母より弾んだ声の報告があり、昨日は新米ママ本人からの電話があった。 普段、女学生のようなおっとりした話し振りの若いTちゃんの声が、急に張りある母親の口ぶりに変わっているのも微笑ましい。 後から、弟が「うちの子の写真です。」とさっそく第一号親ばかメールをくれた。 「うちの子」だってさ。 弟もようやくパパの口ぶり。 おめでとう。 天使の到来、よかったね。
赤ちゃんが身近にいる生活からしばらく遠ざかっているので、 メールで送られてきた赤ちゃんの写真は新鮮だった。 「まぁ、かわいい!」 一応言ってみるけれど、生まれたての赤ちゃんというのはどこか動物っぽい。 悟りを開いた高僧のような深い深い無表情。 まだ人間の世界に着地しきっていないような、半分神様の世界に住んでいるような不思議な存在。 これからたくさん乳を飲み、たくさん眠り、たくさんオムツを汚して、赤ちゃんはだんだんに人間らしくなってくる。 母親の呼びかけにわずかに反応する気配が芽生え始めるようになって、初めて「ああ、人間らしくなってきたなぁ。」と気づくようになる。
「母になる」 「父になる」 神様からお預かりした命をしっかりと受け取って、「人間らしく」大事に育てる。これから弟夫婦を待っているのは疾風怒涛の育児の日々。 眠い眠い夜中の授乳、限りないオムツ替え、夜泣き、突然の発熱・・・。 泣きたくなる日もいっぱいあるだろう。 でも不安なパパママを支えてくれるのは、赤ちゃん誕生の日のあの感激。
赤ちゃんの小さな手、小さな頬、小さな瞳。 みんなここから始まったんだな。 憎まれ口をたたき、男臭い汗をかき、些細な事にむくれ、馬鹿みたいに大食する我が家の子供達。 みんな小さくかわいかった。 この子達が十数年の間に与えてくれたたくさんの驚きと喜び。 改めて思い出し、しげしげと子供達の今を思う。 よくぞ大きく育ってくれた。
この間から続いていた水道工事が終わって、うちの前の道に新しいアスファルトが敷かれた。 春のような暖かい日。 工房と自宅との間をパタパタ行き来して忙しく走り回っていたら、お隣の奥さんがうちとの共有の側溝のお掃除をしてくださっていた。 雨水を落とすだけの短い側溝なので、晴れの日続きで普段はあまり用を成していないのだけれど、道路の砂や落ち葉などがたまりやすくて、時々どちらか気が向いたほうがグレーチングをあげてお掃除をする。
急ぎの仕事が残っていたし、この前は確かうちがお掃除したから、ま、いいかと思って、 「いつもすみません、今日はちょっとお手伝いできなくって・・・」 と会釈して通り過ぎる。 「いいのよ、いいのよ。気まぐれでやってるんだから。」 お隣さんも気持ちよくおっしゃってくださったので、ごめんなさいってお願いしておいた。
夕方、再び外へ出ると、お隣のガレージにたくさんのレジ袋。 側溝からあげた砂や落ち葉を詰めておいてあるらしい。 「あ、悪いけど、お宅のほうにも少し袋、置いてあるのよ。ごめんねぇ。」 「いえいえ、お手伝いしなくてすみません。」 と別れたものの、はて、このレジ袋、どうしたもんかなぁ。
うちでは落ち葉のごみや剪定した木の枝などはまとめて、庭の裏の谷に捨てる。 裏の斜面に積もった落ち葉の上に、集めた落ち葉をどっと乗せてもしばらくするとぺしゃんと嵩が減って自然の腐葉土の山になる。 「山のものは山へ返す。」 そういって、工房の庭の落ち葉もほとんど近くの谷の斜面に運ぶ。 いつも私や義母が庭の落ち葉を捨てる斜面には、何年にも渡って積み上げたふかふかの腐葉土が層になっているはずだ。 ひと冬に山から降り注ぐ木の葉の量はとてつもなく嵩高いものだが、時を経て土に戻ると意外なくらい嵩が減る。 自然の営みというのは、たいしたもんだなぁといつも思う。
レジ袋に詰め込まれた落ち葉や砂は、燃えないごみに出すのだろうか。 う〜ん、こんなにたくさん持って帰ってくれるだろうか。 砂もいっぱい混じっているし。 大体私は、砂や木の葉は「ごみ」という認識がない。 「山のものは山のもの。」 山にお返ししてもいいじゃないの。 しばらく考えて、うちのほうに置いてあった5個ほどの袋の中身を、裏の斜面にざざっとあけた。 その中身のほとんどは「山のもの」 もとの地面になじんで、すぐに見分けがつかなくなる。 空のレジ袋をくるくるまとめてポイと捨てる。 「ごみの少量化」完了。
問題はお隣にある10個ほどのレジ袋。 ついでにそれも引き取ってきて捨てておいたほうがいいのかなぁ。 燃えるごみに出しても、おいていかれるだろうしなぁ。 だからって、お隣の敷地に入って勝手にとってくるのもなぁ・・・。 いじいじと考えながら、出入りのたびにお隣のガレージのレジ袋を横目で確認する。 なんだか落ち着かない。 いつまでも気にかかる。 なんとなく気持ちが悪い。
今朝のごみ収集日。 お隣はあのレジ袋をひとつもごみには出さなかった。 今もまだ、白いレジ袋がお地蔵さんのようにガレージのふちに並んでいる。 う〜ん、どうしたもんかなぁ。 やっぱり片付けてきたほうがいいのかなぁ。 気持ちのいいお隣さんで、別に何の問題もないのだけれど、こういうちょっとした意識の違いってなかなか言い出せなくて、うっとおしい。 主婦の悩みって、ささやかで奥深い。 さあ、どうしましょう。
今朝未明、ちょっと陰気な日記を半分以上書き上げて、う〜んと唸って振り返ったら、父さんが背中を丸めて香合の仕上げ仕事をしていた。 以前から何度も何度もリクエストしていて、今年ようやく完成したお雛様の香合。 手の平に乗る小さな菱餅にちょこんと雄雛雌雛。 お姫様の玩具のような愛らしさ。 父さんの仕事は雄大な山河をうつした大作もいいけれど、こういう細かい細工の作品もうまいなぁといつも思う。 ものを作る手は迷いなくさくさくとよく動いて、われを忘れてぼーっと見入る。 陰気な作文を書き綴るより、こっちがいいや。書きあぐねていた日記の下書きをざーっと削除して、父さんの横に座る。
「ああ、眠い。持ってるものを落としそうになる。」 父さんがう〜んと腰を伸ばす。 夜なべ仕事の最中、襲ってくる睡魔に負けそうになると、 「持ってるものをおとしそうになる。」と表現する。 これは、ホントは同じく夜なべ仕事の多い義父の口癖。 面白がって真似しているうちに、その表現はすっかり夫婦の符丁になった。 「寝ちゃえば・・・?いそぐの、それ?」 「うん、今朝の窯詰めに間に合わせるつもりだったんだけど・・・。」 あくびをかみ殺しながら、それでも父さんの手は止まらない。 偉いなぁ。 ホントにこの仕事、好きなんだなぁ。
「ねぇ、陶芸家のほかに何かやりたい職業はなかったの?] 眠気覚ましに聞いてみる。 「う〜ん、ないこともないけど・・・。ほかにできることもなかったしなぁ。車のデザイナーなんていいかなと憧れてたけど・・・」 陶芸の窯元の次男に生まれて、絵を描いたりものを作ったりするたびに、「ああ。陶芸家の子。」と周りから茶々を入れられて育っただろう父さん。 小さい時から父や祖母の仕事場を身近に見て、あまり疑問を持つことなく陶芸家への道をたどった父さんにとって、「陶芸が好き」がそのまま職業になったということは本当に幸せなことなんだろうなぁと時々思う。
「好きなことをそのまま一生の仕事にできる人って、世の中にはそうたくさんはいないよね。自分の仕事になったことがだんだん好きになる人は多いけど・・・。」 「そうかなぁ。そんなもんかなぁ。」 土くれから器用に菱餅を掘り出す父さんの手。 その手の動きのしなやかさには「好き」だけでは支えきれない技術の積み重ねがあることはよく知っている。 悩んだり滞ったり、倦んだり離れたり・・・。 それでも「僕にはこの仕事しかなかったなぁ。」と子供のような素直さで再び土に向かう。 心優しい父さんの奥底に流れる強い強い職人魂に、私は深い安心を覚える。
「あ、お父さん、遊んでる。」 アユコが父さんの作業をちらと見て、笑った。 小さな雌雛の髪を仕上げる父さんの手。 この間、自分でも小さなお雛様をこしらえて焼いてもらったアユコには、父さんの作業が楽しい、わくわくする作業だということがよくわかるのだ。 「遊んでるわけじゃないよ。仕事仕事。」 確かに他人様が「趣味」としている陶芸を職業にしていると、「毎日陶芸三昧で楽しいでしょうね。」と声をかける人もある。 父さんは大概へらへら笑ってお茶を濁すけれど、仕事としての陶芸は趣味の陶芸とはぜんぜん厳しさが違う。 その厳しさを背負ってなお、土と遊ぶ幼児のように楽しげに作品に取り組むことのできる父さんの強さを、私はいつか子供たちに教えたいと思う。
私が書きかけて、削除してしまった日記は、 定年間近で自殺してしまわれた小学校の校長先生に関するものだった。 人が自分の一生の職業に対する想いは深く深く、傍からは想い図ることのできないものがあるに違いない。 「死を賭して訴えること」は美談かもしれないが、本当に訴えたいことは生きて、「作品」として表に出さないかぎり、人には伝わらないのではないかと私は思う。 私は父さんのそばにいて、その作品を一番に味わわせてもらえることがとてもとても幸せだと思う。
オニイとゲンを剣道の道場へ送り、迎えまで一時間あまり。 いつも閉店前のスーパーをうろつき、数日分の食材を買い込んでくる。 大根、キャベツ、白菜。 見切り処分のぶりのあら、半額シールの張られた菓子パン、3こ100円の特売プリンを2パック。 そして、最後にお肉屋さん。
「58円の合挽きミンチ、1キロ・・・と200グラム。」 「あらら、今日はちょっと増えたね。」 なじみのおばちゃんが、ミンチをいつもの紙製の経木ではなく、透明のビニール袋に押し込んではかりに載せた。 「そうなのよ、ハンバーグ一回1キロではものたりなくなってきて・・・。かっこ悪いわぁ。いっつも安いお肉しか買わなくて悪いねぇ。」 「なにをなにを。毎度ありがとね。家族の食べる量がバンバン増えてるうちが花よ。」 おばちゃんは金曜の晩に私が剣道の待ち時間にふらふら食料買出しにやってくるのを覚えていて、 「今日は焼肉味付けが安いよ。」 とかって声をかけてくれる。 値段は安いし、スチロールのトレーを使わずに紙の経木やナイロン袋で量り売りしてくれるのも嬉しくて、「特価品キロ買い」で利用させてもらう。 「男の子は阿呆みたいに食べる時期がくるもんなぁ。1キロもミンチこねてもなくなるのはあっという間やったなぁ。」 おばちゃんが懐かしそうに笑う。きっとこの人にも大食漢の息子たちがいたんだな。 「夫婦で向かい合って、ちょっとええ肉をちびちび焼いて食べるようになったら、さびしゅうなるで。」 ふふっと笑って、背後へあごをしゃくる。 店の奥で、黙々と精肉を処理しているおっちゃんの影。 そうだね。ホントにそうだね。 「特価品キロ買い」ができるうちが花。
お休みの夕食は、定番のきのこハンバーグ。 大なべとフライパンをフル稼働して、しょうゆ味の煮込み風のハンバーグをど〜んと作る。 ずっしり重いミンチの袋を見つけると、 「やったぞ、明日はハンバーグ」 とよってくる子供らがいる。 両手いっぱい、手指が千切れそうなほどのレジ袋を車に積み込んで、 汗臭い稽古着姿の息子たちを迎えにもどる。 これが今の私。
「今のうちが花」 子育て中、あちこちでいただく先輩たちのキーワード。 ホントにそうだなと素直に聞けるようになってから、 子供たちとの生活は金の時間になった。
昨日のお昼、アユコの先生から電話。 アユコが頭痛でしんどそうだから迎えに来てほしいとのこと。 ありゃりゃ、朝は元気に登校していったのに・・・と即行で迎えに行く。
「お昼前に、目が痛いと訴えていたのだけれど、途中から頭が痛いとしんどそうなので・・・」 吐き気もあるという。 自家中毒では何度か早退の経験のあるアユコだが、そんなに強い頭痛は初めてで、目や吐き気の異常が伴うというので気になる。 「風邪のせいかなぁ。」 ととりあえず寝かせるが、熱もない。 「よく眠って、それでも駄目だったら病院、行こうか。」 と、セデスを一錠。 「頭を振るとぐぁんぐぁんするの。」 「頭の片方だけがとってもいたいの。] 「頭痛の前に目が変になって、黒板を見てたら写真のフラッシュみたいにちかちかして目が痛くなったの。」 「いつもの自家中毒の『頭版』みたいなしんどさなんだけど・・・」 さすがに5年生ともなると、自分のしんどさを説明する語彙も豊かになった。 自分の体の有り様をちゃんと理解できるようになってきたということか、と妙に感心したり、驚いたり。
今朝になってもアユコの頭痛は消えていなかった。 「今日は二つもテストがあるし、理科も新しい単元に入る。ホントは学校、いきたいんだけれど・・・」 パジャマのまま起きてきたアユコは、なんとなくお休みモード。 「いいよいいよ、休んじゃえ。」 うう、主婦の優雅な平日が・・・と嘆きつつ欠席の電話を入れる。 「じっとしてたら、それほど痛くない」 というアユコは母に気遣って病欠中だというのに、アプコの世話を焼いたり、朝の片付けに立っていったり。 「おおい、そんな元気あるんだったら、なんかおいしい昼ごはんでも食べに行こうか。どこかへお買い物にいくとかさぁ・・・」 母は面白がって生真面目なアユコをそそのかす。 とんでもないと首を振るアユコ、これがゲンだったらほいほい飛びついてくるだろうにね。
困った時の「家庭の医学」 子供たちが赤ちゃんの時に買ってきた分厚い本を開く。 「へんずつう」という言葉で引いてみると、あったあった。 アユコと一緒にふむふむと覗き込む。 「周期性に発作的に起こる・・・頭の片側が痛むことが多く・・・・一般に男より女に多く、少女期から思春期に多発・・・」 あはは、これだ、これだ。 「前兆としてだるい感じや耳鳴り、ものが二重に見えたり、チカチカしたものが見えたりします。」 ぴったりじゃん! 「風邪じゃないのかなぁ、なんか怖い病気だったらどうしよう」 となんとなく落ち着かなかった母娘に、ニヤニヤと笑いが浮かぶ。 「これだこれだ。」 頭痛は続いているけれど、なんとなくほっとしてへらへら笑う。
「要するに自家中毒の頭バージョンなのよね。」 プレッシャーがかかったりストレスが重なると、決まってやってくる自家中毒の発作。吐いて吐いて、一晩中吐いて、ぱたっと回復するアユコの体質。 最近では、少し症状も軽くなって、アユコ自身が要領よく発作を乗り来ることができるようになってきたと思っていたら、今度は頭かぁ。 偉大なる「家庭の医学」には書いてある。 「原因はよくわかっていないが、精神的誘引から起こることもしばしばある。」 ストレスよ、ストレスよ。 アユコ、あんたも苦労が絶えないらしいねぇ。 君のガラスのハートは、毎日休まることがないらしい。 よっしゃー、今日はともかくお休みだ。 試験も給食当番も忘れて、ぼーっと遊んじゃおう。
私が内職仕事を片付ける傍らで、アユコは大好きなビーズ手芸をして一日を過ごす。(普段、アプコがまつわりついているとなかなか落ち着いてできないんだ。) 暖かい春のような一日。 アユコの頭痛はすこしずつ引いていく。 なんだかちょっと楽しい病欠でありました。
昨日のこと、園バスのお迎えのついでに久しぶりにKスーパーで お買い物。 アプコはスーパーの入り口にある小さな遊具スペースで 「一回だけ、滑り台していい?」 どちらかというと、就園前の小さい子供たちを対象にした簡単な遊具。 滑り台だって、ほんの2,3歩で駆け上がれそうな短いもの。 園の制服を着たアプコには、どうかな?と思うような小さい子向けの遊具に、嬉々として何度もよじ登っていく。
そっか。この子はまだこういうものが楽しくて仕方がない年齢だったんだ。 大きいお兄ちゃんやお姉ちゃんたちに合わせて、 たまに遊びに行くといっても、遊具のない公園でのピクニックやら、ショッピングセンターでのお買い物。 園ですごす時間が長いので、帰宅後、公園まで出かけていくこともない。 うちの周りの山やおばあちゃんちの庭で、草花を摘む、砂遊びをする、おじいちゃんとコロの散歩に行く。 アプコの遊びの中に、公園での遊具遊びの機会はあまり多くない。 でも、まだ5歳なんだよなぁ。 オニイもオネエもこのぐらいの年齢の時には、兄弟まとめてよく児童公園の滑り台やブランコで遊ばせたものだった。 いまさらながらに、末っ子育児の手抜きに気づいてしばし呆然。
「もう一回だけ、滑ってきていい?」 何度も何度も、私の元にやってきて、遊び時間の延長をねだるアプコ。 いいよ、いいよ。 飽きるまで滑ってきな。 いつもいつもアプコがそばにいると思っていたけど、 それはオトナの買い物や上の子達の生活にあわせて始終アプコをつれて歩いているだけで、 ホントはアプコのための時間をすごしていたわけではなかったんだなぁ。
周りには買い物帰りに小さい子を遊具で遊ばせている若いお母さんたち。 まだあんよがやっとの子供を抱き上げては滑り台を滑らせ、 自動車型の遊具に座らせてはそばからあやしたり、ほめたり。 どのお母さんもレジ袋を傍らにおいて、夕食の準備が気になる夕刻。 お母さんは忙しいんだよ。 早く帰ろうよ。 わかるわかる、その気持ち。
公園遊び現役時代には、いつも味わっていたあの感じ。 子供らが危ないことをしないか、よその子に迷惑をかけるような悪さをしないか。 しょっちゅう、目で追い、声をかけ、子供らの遊びを見守る。 傍目には公園でのんびり子供と遊ぶお母さんだけど、 「早く帰って洗濯物取り入れなくっちゃ」とか、「こんなところで、ぼーっとしてる私の人生って何?]とか、結構心の中ではいろんな葛藤があったりしたものだった。 「そろそろ帰ろうよ。」 子供たちの遊びを断ち切る決まり文句。 なかなか遊びをやめない子供らにイライラも募る。 子供たちに自分の時間のすべてを吸い取られて行くような、 軽い焦りがいつもいつも漂っていた。
あれはなんだったんだろうなぁ。 今にして思えば、幼い子供と過ごすのはほんのわずかな数年間のこと。 もっとゆっくり子供との時間を味わいつくしていてもよかったのに。 ジャングルジムの新しい一段に足をかける時の子供の緊張した顔。 滑り台の頂上で得意げに周りを見回すこどもの笑顔。 タカタカと歩み寄ってくるたどたどしい足取りの愛らしさ。 2度とは見られない子供たちの日常をもっとじっくり味わう余裕が、 あの日の私にもう少しあればよかったのに・・・。
「子育て支援」といういやな言葉がある。 たいがいは、働きたいお母さんのための保育の充実とか、育児ストレスの絶えない密室育児のお母さんへの一時保育サービスとか。 忙しいお母さんたちから、ちょっとだけ子供を預かって羽を伸ばさせてやろうという試み。 確かにそれも、くたびれたお母さんたちのリフレッシュのためには有効なんだけれどね。 子供たちと一緒にすごす一見無意味にも見える長い時間を、「今はゆっくり味わっていていいんだよ、ちっとも無駄じゃないんだよ。」と思わせてあげられるような手助けの方法って、ないんだろうか。 母親が四六時中幼児とともに過ごすというごく当たり前のことが、お母さんにとって負担に感じたり、後ろめたく感じたりする現代って、確かに子育てに厳しい時代なのかなぁと思ったりする。
上の子たちが大きくなって、我が家最後の幼児も5歳になった。 子供の時間のすべてを母の時間として共有することができるのも後わずか。 「オカアサン、見てて、見てて。」 アプコが手を引き、うれしそうに滑り台を滑って見せる。 後もう少し。 腰をすえてしっかり味わわせてもらうよ。 アプコの小さい靴。 泥んこのお尻。 得意げな笑顔。 アプコにとっては今が一回きりの今なんだね。
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