月の輪通信 日々の想い
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父さんの陶芸教室の新年会。 いつもお年玉がわりに生徒さん達にお菓子などの小さな包みをお配りする。 今年は何にする?と二人で考えた末、趣向を変えて、うちの窯で焼いた陶製のストラップを差し上げようと言うことになった。 去年の春から細々と作り始めた陶器のアクセサリー。 私も少し型抜きや施釉の要領も覚えてきたし、欲しいと言って下さるお客様もぼちぼちあって、ようやくお仕事になりつつある感じ。 新製品開発の欲もあって、正月明けから50個のトップを焼き上げ、ストラップ用の金具をつけて、準備した。
お正月だからと面白がって、お年玉のポチ袋に一個ずつ入れて包装完了。 面白ついでに、アユコの千代紙を拝借して、にわかおみくじをこしらえ、一緒にポチ袋に入れる。 大吉、中吉、吉、末吉。 お祝い事だから、悪いくじは入れないのだけれど、なんだか見知らぬ人に今年の運気を配るようで、ちょっとドキドキ。 おみくじって勝手にこしらえても、バチなんかあたらないよねぇ? そんな冗談をいいながらの袋詰め作業はなんか楽しい。 横で手伝ってくれるアユコもうふふと笑って大吉の数を何度も数えている。 良いくじが一カ所に集まらないようにとぐるぐる混ぜる。 どうせ、外から見えないんだから、どう並べても公平にお配り出来る筈なんだけど、ついつい混ぜちゃうこの心境って、何? もしかして神様の気分?
世の中に降り注ぐ幸運、悪運。 「なんて幸せな私!」 「なんで俺ばっかり不幸なんだ!」 そんな気持ちの後にふっと湧いてくる「神様」という言葉。 私には深い信仰は無いけれど、どこかの誰かが時折配って下さる運、不運。 誰かの手から間違いなく私の上に配られた贈り物を、どれも大事に受け取ることの出来る私でありたい。 思わぬ不幸は、奮起の糧に。 思い掛けない幸運は、自省の為に。 良いことも悪いことも全て私自身のことと、まっすぐに受け止める豊かさが欲しい。
「今年一年、良いことがありますように」 想いを込めてお配りした、悪いくじを一つも入れないお年玉。 教室の皆さんにはそこそこ好評だったようで、ありがたい。 「あ、大吉!」 くじを開いて、ほっとこぼれる微笑み。 御利益と言ったらほんの一瞬のその笑みだけのインチキおみくじだけど、お配りする当方としては、たくさんの「うふふ」を頂いた。 神様の気分で、福を配る。 ちょっと楽しいいたずらかもしれない。
先日、お仕事で急に必要になったものがあって、久しぶりに車で町へ出た。 ついでだから、父さんの作業用の靴だとか、アユコのビーズのパーツとか、あれこれ買って超特急で帰ってきた。 買ってきたものをそれぞれ渡して、ふっと気がついた。 「アタシの物がなんにもない。」 年末、年始にかけて、あんなにあちこち走り回り、「誰かの為のもの」をいっぱいいっぱい買ったというのに、そういえば「わたしのためのもの」は靴下一枚買っていない。 なぁんだかな。 ちょっと悲しくなって、ためいきをついていたら、 「電子レンジ、買うんでしょ。」 とアユコが慰めてくれる。 たしかに結婚と同時に買った電子レンジ、そろそろ買い換えの予定。 それはそれで嬉しいんだけど、それってね、なんかわたしだけのものじゃない。 わたしが欲しいのはそんなものじゃないんだよ。
・・・・で、さて、わたしの欲しいものって何? 若い頃には欲しいもの、いっぱいあったよな。 きれいなヒールの靴、コートの色に合わせたスカーフ、お気に入りの作家の本。 かわいいイヤリング、ガラス細工のモビール。計り売りのオーデコロン。 今のわたしの欲しいもの。 普段履きの靴、エプロン兼用のトレーナー、 庭作業用のよく切れるカマ、PC用の足温器。 う〜ん、なんだか違う。 「わたしの欲しいもの」を数え上げるときのあの、ときめくような嬉しい気持ちが湧いてこない。 そもそも、絶対絶対欲しい!って気持ちがいまいち足りない。 だから、自分のものが買えないんだな。
アプコの好きそうなピンクのトレーナー、アユコの喜びそうなかわいい文房具。 ゲンの欲しがりそうな飛行機のおもちゃ、オニイの好きなパン、 「きっと喜ぶだろうな」ってお買い物をするのは楽しい。 別に「自分のものを我慢して・・・」って感覚もない。 これって、とっても幸せな事なんだけど、でも、それでいいのかな。
近頃気になるCM 彼が彼女に「ね、君の2番目に欲しいものはなに?」 彼女のツッコミ(一番だろ、普通) 結局、今の私の欲しいものって、所詮「2番目に欲しいもの」なんだな。 毎日の生活に必要に迫られてて、いつでも買えばいいんだけど、買ってもあんまりときめきそうにないもの。 それはそれで、買えばいいんだけど、なんだかつまらない。
「欲しいもの、買っちゃえば?」 父さんに背中を押されて、へそくり片手に買い物に出た。 田舎のスーパーをぐるぐる回って、結局買ったのはお買い得品のスニーカー一足。 あかん、小心者だなぁ。 しかも悲しいことに、普段履きのオンボロスニーカーを真新しい白いスニーカーに履き替えたら、それだけで結構、ときめいちゃうんだな。 「ちょっと山でも歩いてみるか」って気持ちになってしまうお買い得な私。 だめだめ。ちゃんとまじめに目を開けて、「一番欲しいもの」をさがさなくっちゃ。 まだまだ、「欲しいものはなぁんにも無い」なんて悟りの境地に入ってられない。
「あ、オカアサンの靴、ピッカピカ!」 アプコが新品の靴を見つけてピョンピョン跳ねる。 登園の道をいつもより軽い足取りで下っていく。 「オカアサン、新しい靴は速く歩けるの?」 ううん、気のせい、気のせい。 オカアサンはオトナだもん。 おニューの靴ぐらいで、ピョンピョン飛び跳ねたりしないもん。 ・・・今日、オカアサンが歩くの、そんなに速い?
2月に初めての赤ちゃんが生まれる弟夫婦が、我が家の子ども達が歴代使ったベビーカーを使ってくれると言う。 オニイが生まれたときに張り切って買ったA型ベビーカー。 かさが高いのですぐにB型に進級してしまったので、どの子もいくらも使用しないまま物置にしまってあった物。 初めての待望の赤ちゃんに、我が家のお古を快く引き取ってくれる弟夫婦の堅実なパパママ振りが嬉しい。 それではと、他にも使ってもらえそうなベビー用品やら赤ちゃん服やら、ごそごそと探す。
小さな肌着。おむつカバー。布おむつ。 久しく触れていなかった赤ちゃんのための小さな衣装。 その小ささに思わず笑ってしまう。 我が家で一番小さいアプコのトレーナーでさえ、比べてみると数倍の差。 あかちゃんってこんなに小さかったんだなぁと、改めて成長した我が家の子ども達の年月を想う。
はたと、こぼれ落ちる小さな靴下。 手のひらにすっぽり収まるその小ささ。 うっと息のつまる思いで握りしめる。 これはたった3ヶ月で逝ってしまった次女の唯一の衣装。 生まれてすぐに心臓の障害が見つかってずっと病院で育ったなるみは、生涯のほとんどをお仕着せの病院着で過ごし、私たちがこの子のためにと購入したのは小さな手足を包む靴下やミトンばかり。 点滴の管や計器のコードをたくさんつけたなるちゃんに、親としてしてやれることはそんなことしかなくて、せめて家庭の暖かさをと小さく名前を刺繍した靴下やミトンをせっせと運ぶ。 切ない切ない毎日だった。
主治医の先生方やICUの皆さんの奮闘も空しく、なるちゃんの容態はずるずると悪くなった。感染症が全身にまわり、ついには頼みの肝臓が悪くなった。 交換輸血も透析も効果はなく、小さいなるちゃんの身体はどんどん壊れていく。 もはや決められた面会時間の制限なしに、娘のそばに居ることを許された私は毎日毎日小さなクベースの横で小さなベビードレスを縫った。 純白のサテン地にたくさんのレースをあしらい、パールのボタンを縫いつける。 背中には天使の翼のような大きなリボン。 新生児用のドレスはとてもとても小さくて、ちくちく手縫いで仕上げても3日もあれば仕上がった。 ドレスの仕上がりを待っていたかのように、なるちゃんの鼓動はどんどん弱くなった。
なるちゃんの旅立ちを見送った朝、父さんと私は町に出た。 凛と冷えた爽やかな朝だった。 二人で朝食を取り、あちこちに連絡を取る。 子ども達の喪服がわりになる黒い服を買いにいく。 小さな娘を失ったばかりだというのに、当たり前に過ぎていく日常の時間。 不思議だね、悲しくならないね。 昨夜たくさん泣いたのに、何事もなかったようにご飯を食べている私たち。 生きていると言うことは、本当に残酷にも強い事だと初めて知った。
棺におさまったなるちゃんは、白いドレスを着せてもらって本当に天使のようだった。 たった数ヶ月、我が家の娘として神様が送って下さった小さな天使。 「短期留学」を終えて天にもどったなるちゃんは、「いつまでも赤ちゃんの小さい兄弟」として、今も我が家にいる。 なるちゃんの小さな靴下をお守りがわりに握りしめて産んだアプコは、5才になった。 「なるちゃんって、ちいちゃかった?」 小首を傾げて聞くアプコに小さな靴下を握らせてみる。 お人形の靴下のような小ささに、アプコがけらけらと笑う。 「赤ちゃんって、こんなに小さいんだねぇ、かわいいねぇ。」 身近に赤ちゃんを見ることのなかった末っ子アプコに、その小ささは驚き、不思議。 「Tちゃんの所に赤ちゃんが生まれたら、きっときっと会いに行こうね。小さい赤ちゃん、見せてもらおうね。」 新しく生まれてくる赤ちゃんの未来が、健やかで幸福なものとなりますように。
今日、1月11日 私の次女、なるみの天国での誕生日。
30才になると、女の人はおばさんになるんだそうだ。 昨年、40代の大台に乗った私などは10年前からおばさんだったのだ。 おまけに、今の私には「大阪の」というありがたい冠がついている。 スーパーで細かい小銭をじゃらじゃら出す。 いつも持ってるバッグの中には、小さく畳んだスーパーの袋、タオル地のハンカチ、口寂しい時のための飴袋。 立ち上がるときには、どっこいしょ。 体型を隠す総ゴムのパンツに長めのトップス。 そうです、私は立派なおばさんです。
人からおばさんと言われると、たしかに「なにくそ!」と思うこともあるけれど、 ホントの所、おばさんというのは、やってみると結構居心地がいい。 おばさんは自分が居心地のいいと言うことに正直だ。 外目にカッコイイとか体裁がいいと言うことよりも、「便利」「ラクチン」「気持ちいい」が優先する。 確かに、人目を気にせず傍若無人に振る舞う中年女性に対して、悔し紛れの捨てゼリフとして「オバサン」と言う言葉が使われる。 しかし、その中には「あんな風に自分の好きなように生きてるのって、なんか楽そうだよな。」という羨望のかけらが混じっているような気がすることも多い。
若かりし頃、「おばさん」になりたいと思っていた時期がある。 大学を出て、なんとか講師の仕事が決まって、それでもこれから自分がどんな風に人生を歩んでいくのか、一生の伴侶となる人は現れるのか、どんな仕事をしていくのか・・・、人生はまだまだ不確定事項でいっぱいだった。 1年先、3年先の自分が見える水晶玉が欲しいと、よく思った。 身の回りの、夫や子どものいる女性達には、そんな水晶玉があると信じていた。 「来年、長女が七五三。」 「退職したら、姑さんと同居よ。」 仕事を終えて家に帰ると、自分の家族がいる。 子ども達は否応なしに家族の時を刻む。 そんな確実な水晶玉が、「おばさん」達にはあるものだと思っていた。
早く、決まった鞘に収まりたい。 「独身を通し仕事に生きる女」でもいい。 「お休みの日には子ども達とケーキを焼く元気なママ」でもいい。 とりあえず、「ここが私の一生を過ごす場所」と言える場所が欲しかった。 若い私には、人生の選択肢がいっぱいあって、まだまだ自分の可能性を探し求めることの出来る贅沢が少しもわかっていなかった。
40才、主婦。 4児の母。 家事の合間に家業を手伝う。 今の私が収まっている「鞘」 確かに不確定事項は減り、1年先、3年先にも今と同じように、台所に立つ自分の姿が容易に目に浮かぶ。 その揺るぎない安定感は、若き日の私が欲しいと思っていた「水晶玉」と言えるかもしれない。 「おばさん」たちは水晶玉を持っている。 だから、自分の本能に正直に、「居心地のいい」状態を身の回りに置くことに少しも躊躇しないのだ。
おばさんも夢を見る。 思春期のように、「アイドルになって、スポットライトを浴びてる私」とか、「白馬に乗った王子さまと幸せな暮らしを・・・」というような突拍子もない幻想は湧かないけれど、それでもおばさんにも夢はある。 「娘が成長したら、一緒に街でショッピングを」とか、「趣味を生かしてささやかな副業を」とか、おばさんの夢は「今の私」に足場を置いた堅実な将来だ。 おばさんになっても、まだ自分の人生の残されているささやかな選択肢。 台所でお大根を刻み、洗濯物の山をやっつけ、井戸端会議に時間を費やす主婦の日常にも、いつもいつも小さな夢はある。 変わりない日常の雑事と、心に秘めた小さな夢を、いつでも合わせ持つことの出来る懐の広さ。 それが本当の「おばさん」の強さの秘密ではないかと、おばさんは思うのである。
お台所仕事をしていると、アプコがお気に入りのトランプを持ってきて、手品を披露してくれた。 「オカアサン、一枚取って。」 その一枚を、再びカードの束に戻して、カードを繰る。 アプコの小さな手に、大判のトランプは大きすぎて手に余る。 「こうやってね・・・こうやってね・・・シャックリするとね、」 え?シャックリ? ・・・・・それって「シャッフル」じゃない? 「あ、間違えちゃった」
新しく覚えた「シャッフル」って言葉が使ってみたくて、 一生懸命手品を考えて披露してくれたみたいなんだけど、 しまいには「シャックリ」だか「シャッフル」だか、自分でもわからなくなっちゃって、マジックショーはすぐにおしまい。
「・・・シャックリ?・・・シャッフル?」 小首を傾げてつぶやきながら戻っていくアプコの後ろ姿が何ともかわいくて、 うふふと笑ってしまった。 アプコ。 元気に育っていく君自身が、母にとっては偉大なマジック。 今日も笑わせてくれて、ありがとね。
結婚して十数年。 お正月に受け取る年賀状の数もだいたい決まってきた。 結婚とか、子供が産まれたとか、そういうイベントが落ち着いてくる年代になると、やはり通り一遍の友達関係の賀状は絞られてくる。 その替わり、年に一度送られてくる懐かしい友人の筆跡や、優しい一言を書き添えられた恩師からの便りが心から嬉しく、暖かい気持ちになる。
今年受け取った恩師からの年賀状。 その中に、二人の国語の先生からのものがある。
一人は中学1年の時のN先生。 緊張感のある、とても優れた授業の出来る女の先生で、大変な読書家だった。 生意気盛りの私は、この先生の「個人指導」で中学の三年間、近現代の文学作品を怒濤のごとく読み尽くした。本来中学生に読みこなせたかどうかすら危うい名作の数々をN先生は根気強く勧めて下さり、私も「負けるものか」とばかり、週に10冊近いのペースで文庫本をやっつけた。そして、中学を卒業する頃、私は「N先生のような国語の先生になりたい」と思うようになった。
もう一人は高校1年の時のM先生。 さっぱりした物言いの穏やかな先生で、当時幼い子どものお母さんだった。 入学の時に父が提出した家庭環境の調査書で、専業主婦だった母の職業欄に「家事」と記されていたことを、とても褒めて下さったのを覚えている。 「働く女性」がとてもとてもかっこよく思え、いつも家にいる母のことをどこか恥じるような所のあった当時の私に、先生の言葉は新鮮だった。職場で給料をもらって働く「職業」と同じ重さで、「家事」という仕事が存在していると言うことを私は初めて悟ったような気がする。 教室でのM先生は、厳しい職業人としての教師の顔とともに、妻であり母である女としての大らかな暖かさを持ちあわせていらした。 尼僧のようにストイックでまっすぐなN先生の厳しさに惹かれて国語教師を目指していた私にとって、M先生の柔和な「生活人」振りがどこかじれったく思われることもあった。
大学を卒業して、私は教員採用試験に失敗し、常勤講師として赴任したのは知的障害のある子達が学ぶ養護学校だった。 大学時代に学んだ教育理論や国語の授業研究は何の役にも立たない。 障害を持った生徒達とともに畑を耕す。ゲームをする。歌を歌う。 排泄や食事の世話をし、手足の障害を緩和するための訓練を行う。 体力だけが勝負の教師生活で、私はこども達とともに圧倒的な「生活の力」を学んでいった。 「どんな本を読んでますか。国語教師になるための勉強もわすれちゃだめよ。」 どんどん養護学校での仕事にのめり込んでいく私に、N先生は釘を差した。 しかし、そのときすでに、私はN先生の背中を追いかけたいという気持ちをなくしつつあった。
同じ頃、近くの県立高校で勤めておられたM先生が「養護学校に転任希望を出したいと思って」と私の職場を見学に来られた。 長年高校生に現国や古文を教えてこられたM先生が何故あの時、養護学校への転任を望まれたのだろうか。 詳しくはお聞きすることもないまま、次年度、M先生は本当に私の職場に転任してこられ、恩師は同時に同僚となった。
数年の講師生活の後、私は主人と出会い、遂に「国語の先生」にはならずに、専業主婦となった。 「結婚します、教師にはなりません」と告げたとき、N先生はさすがに「残念」とはおっしゃらなかった。 「あなたの夫になる人はどんな人?やっぱり本をたくさん読む方なんでしょう?芸術家との生活ってどんな風なの?」 まだ、独身を通しておられたN先生の女学生のようなはしゃぎ振りが異様な感じがした。 「私は、読んだ本の感想を語り合ったり、お互いに知的な刺激を交換できる人と結婚したいわ。」 当時すでに「適齢期」はとうに過ぎておられたN先生の語る夢はあまりにも清らかで、「この人は一生一人で生きて行かれる方だなぁ。」と感じたのだった。
陶芸家の妻となり、次々と子ども達を産み、育ててきたこの十数年。 本屋へ行っても、小難しい文芸作品は敬遠して、軽い読み物に走りがちになった。 私が選んだ伴侶も、文庫本と言えば、「睡眠薬がわり」 「知的な刺激を交換できる」関係とはほど遠い。 どっぷりと生活に浸りきった今の生活、二人の先生方の目にはどんな風に映るのだろう。 その後、M先生はご家族の介護のために養護学校を辞され、家庭人になられた。 N先生はいまだ独身で、有能な先生としての道を全うしておられる。
「中学生の頃のあなたの凄い読書力を思い出します。お子さんもやはり読書家ですか?」 今年のN先生の賀状に添えられた言葉はやはり、厳しくストイックなものだった。 「今年が平和な良いとしになりますように。こんな事を祈る年が来るなんて思いも寄りませんでした。」 M先生の賀状には、母であり、妻である生活の中にある祈りが込められている。 女としての行き方を決めるいろいろな場面で、お手本となり導いて下さった二人の女性。 年に一度のお年賀状で、再び青春の日の志や、今の私の生活のあり方を問い直す機会を下さる恩師の存在を心からありがたいと思う。 「あのお下げ髪の女学生が、今はこんなになりました。」 いつまでも胸を張って、先生方に報告出来る私でありたい。 心に誓う七草の朝であった。
工房の仕事始め。 父さんが「出勤」していき、休みの間、滞っていた家事をやっつける。 子ども達もそろそろ3学期の準備。 大根を煮たり、いつもの大鍋でスープを作ったり、 自分の台所で、当たり前の夕食を料理する。 ようやく、家事も通常モード。 穏やかで暖かいお正月明け。 ちょっと幸せ。
夜中ごそごそと起き出して、活動開始。 気配に起き出してきた父さんも、なんとなく動き始めた。 「ちょっと待って、机、私も使うんだから。」 ごそごそと道具を拡げ始めた父さんに先制攻撃。 狭いコタツのスペースを無理に半分空けてもらう。
な〜んだかな、似たもの夫婦と言うのかな。 このごろ妙に父さんと生活のペースが合ってしまって、 打ち合わせたわけでもないのに、「さて」と何かを始めようとするのが二人同時だったりする。 今日の場合、私は年末からさぼっていた書道の宿題。 そして父さんは、今週末の水墨画の宿題。 どちらもタイムリミットぎりぎりまでさぼっていたので、 二人とも8月31日の小学生状態。 互いの動きを横目で牽制しながら、真新しい紙に墨跡を残す。 子ども達も寝静まった静かな茶の間で、筆を走らせる夫婦。 はた目にはなんだか、とってもアーティスティックな素敵な夫婦像だけれど、 その実、二人とも締め切りに迫られて、かなり必死の状態。 お茶を入れて、お互いの作品を鑑賞して批評し合う余裕なんてあるもんですか。
よく、「家族で音楽を楽しんでいます。」とかって、 ママのピアノで子ども達が歌い、パパがバイオリンを演奏するなんていう家族が紹介される事があるけれど、アレが苦手。 家族が共通の趣味を楽しんでいるとか、家族みんなで一つのスポーツに打ち込んでいるとか、そういうのが何ともこそばゆくって、どうもいけない。 父さんも同じ考えのようで、我が家では「家族みんなで」はなかなか定着しない。 たまに、父さんが戸外にスケッチに出かけるときに、子ども達にそれぞれスケッチブックを持たせて同行したこともあったけれど、何回もやらないうちに立ち消えになってしまった。 一人一人はそれぞれ、絵を描くのも戸外で過ごすのも大好きだけど、みんなと一緒となると子供達ですら「こっぱずかしく」てやってられないらしいのだ。
夜中に夫婦が一つの机でそれぞれに墨をする。 正月明けの静かな夜に、夫婦で過ごす穏やかな時間。 「うらやましいわ」と誰かに言われることもあるけれど、 なのに、二人のこの必死の形相は何?
父さんが描いているのはお正月に取材に出かけた一休寺の石庭。 冬の寒気に、凛と掃き清められた白砂の庭園。 余分な物を排し、ここと定められた場所に置かれた庭木や庭石。 それを微妙な筆遣いと墨の濃淡だけで描く父さんの水墨画。 忙しい仕事の合間に画題となるものを取材し、月に一度の稽古日に会わせて夜中に描き始める。 自らに課した課題に時にはあっぷあっぷしながら、父さんの絵の修行は結婚前から続いている。
「偉いなぁ、父さんは・・・」 のろのろと絵の道具を開く父さんに、時々「よしよし」する。 「お、やるか、偉いね。」 う〜んとこさっと気合いを入れて習字道具を拡げる私に、父さんが「よしよし」してくれる。 「家族みんなで」は苦手だけれど、互いに適度なプレッシャーを掛けあいながら学びの時間を持てる現在。 これも、今の私の幸せの一つ。 ・・・明日の宿題もようやくできたしね。
お正月恒例、実家への里帰り。 いつもは離れて住んでいる弟たちの家族も集まり、にぎやかな数日間。 子供らは小さい従姉妹のあやちゃんとにぎやかに遊び、 出産間近の義妹の幸福そうな笑顔を皆で喜ぶ。 祖母の喪中とはいえ、穏やかで暖かいお正月。
実家の父は定年退職して数年目。 「第九」の練習に通ったり、地域に老人会を立ち上げたりと、 精力的にリタイア後の生活を楽しんでいるように見える。 「次はどんなことをはじめるかしらん?」 離れた場所から、父の新しい動向を耳にするたび、楽しい驚きをたくさんもらう。 長いサラリーマン生活の間、いつもスーツで出勤していた父が、会うたびに「日曜日の父」の姿で迎えてくれる。
「着なくなった背広がたくさんあるんだが、着られそうなら持って帰ってくれないか。」 父がうちの父さんに提案。 日頃は仕事着で過ごし、展示会の時くらいしか背広を着る機会がないうちの父さんは、数着のスーツを着回すだけで、それほどスーツという物を買ったことがない。 確かに在職中の父が着ていた上質の素材のスーツやコート、そのままお蔵入りには忍びない。 でも、それにしても、サイズがねぇ。
・・・と思っていたら、あら不思議。 試着してみた父のスーツは、中肉中背、首太、なで肩の父さんにぴったりフィット。 ズボンの丈まで、お直しなしでそのまま着られそう。 「ありゃりゃ、着られるじゃん!」 嬉しくなって、次々試着する父さん。 またまた嬉しくなって別のスーツを引っぱり出してくる父。 「本当に、いいんですか、まだ着られる事もあるんじゃないですか。」 ととまどいながら、父の勧めるコートに手を通し、それにまつわるうんちくに耳を傾ける。 見覚えのあるバーバリーのコート。 見慣れた父の背中を思い起こさせるベージュのコートを、我が夫の背中にかける。 なんだか不思議な違和感。 そして、懐かしいような親しい感じ。 少し混乱した思いで、男達のファッションショーから少し身を引く。
「あんなお下がりをあげて、気を悪くしないかしらん。」 母が父さんを気遣って私にささやく。 「ふん、でもうちの父さんも、喜んでるみたいよ。」 お台所でおせちの残りをつまみながら、母と笑う。 「それにしても悔しいくらい、ぴったりねぇ。」 厳しく、時には気詰まりなほど自信にあふれて見えていた父と、穏やかでひとあたりのいい私の夫。 父とは全く違ったタイプの男を伴侶として選んだ筈だったのに、50歳を過ぎて働き盛りの季節を迎えた父さんの背中は、企業戦士として走り回っていた父の背中にどこか似ている。 「ファザコンみたいで、なんか、複雑。」
そんな想いを知ってか知らずか、娘の伴侶が快く自分のお下がりを喜ぶのに気をよくして、父は上機嫌。 「男にとって、背広は鎧のような物だから・・・」 上質なコートや背広は、働き盛りの父の気概を保つ守りの糧であったのだろう。 今、工房で土まみれになって作品を作り上げる夫にとって、 守りの衣装とは何なのだろう。 歴戦の鎧を娘婿に譲る父の想い。 舅の背広に快く袖を通して、素直に喜ぶわが伴侶。 私を守り、愛してくれる二人の男達の友情に、複雑な想いを重ねつつ、 たくさんのお衣装荷物を車に積み込む事になった。
我が家のPCの環境が悪くなってきましたので、 とりあえず日記ページのお引っ越しを試みています。 2003年までの過去ログは本家HPの方に残っています。
| 2003年12月31日(水) |
PC不調・・・そして遺言(?) |
PCの調子が悪い。
かなり悪い。
年賀状作成のまっただ中というのに、しょっちゅう強制終了。
ピーッとか、カタカタカタだとか、ギギギギギだとか聞いたこともない音がしたり、見たこともない 警告画面がでたりして、まことに心臓に悪い。
いつも巡回している日記書きさんのHPも、最新記事が読めなくなっていたり、壁紙だけ表示し てフリーズしたり。
我が家のPC顧問の義兄にも出動してもらっているものの、なかなか重症のようで、改善されな い。
ある日突然、我が家のパソ君が忽然と立ち上がらなくなる日も近いのかもしれない。
せっせとバックアップを取り、その日にそなえるようにはしているが、とてもとても気が重い。
「このまま年を越すのかぁ。」
最近ネットデビューをしたオニイが傍らでため息をつく。
数年前、我が家にやってきたパソ君は思いの外、我が家の生活にしっかりと根っこを下ろして いるようだ。
ネットを通じて出会ったたくさんの人たち。
お顔も声も知らないけれど、HPやメールの中で親しく心の中の想いを交えることの出来た 方々とのつながりが、PCという四角いブラックボックスのおかげでいつも保つことが出来たの だというこの事実。
なんか、凄い事なのだなぁと改めて思う。
昔から文章を書くのが好きだった。
書いた文章を友達に呼んでもらうのも好きだった。
手紙もたくさん書いた。
返事をもらえなくても、手紙を書くのは好きだった。
そんな私にPCと言う道具は、新しい表現の手段を与えてくれた。
細々と書きつづった我が家の日常をいつも読みにきてくださる方がある。
「そうそう、そうなのよ」と相づちを打って下さる方がある。
そして、私のぐうたらな母親振りに「ほっとしたわ」と、笑って下さる方がある。
web日記を通して、本当に思いもかけない人との出会いの機会に恵まれた。
「とりあえずこれからの子どもにはPCぐらいは触らせておかなくちゃ・・・」と、購入したPCが、こ んなにも主婦の日常に無くてはならないものになるとは、正直の所考えたこともなかったの に・・・
何日か、PCの調子が悪くてネットにつなげない日が続いた。
ほんの数日のことなのに、海を隔てた遠い国を旅する人のように、自分だけが取り残されてい くような空虚な想いに駆られて落ち着かない。
いつか本当にこのPCが本格的に昇天してしまう日が降って沸いたら、どうしようどうしようと不 安がつのる。
もう一息、がんばってくれよ、PC君。
気を取り直して、またポツポツとこの日記を綴っている。
ある日、そういえば「日々の想い」しばらく更新されてないなぁと思われる事があれば、もしかし たら我が家のPCくんが本格的に昇天遊ばされた時かもしれない。
ネットというどこか掴み所のない媒体に支えられながらも、私が綴っているのは今日ここに生き ている私の現実。
PCというブラックボックスのご機嫌に一喜一憂しながら、それでもとりあえず今日の日の言葉 を綴る。
・・・遺言めいた愚痴を綴って、今年最後の日記をしめくくる。
明日は新年。
穏やかな実り多い年になりますように。
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