|
| 2011年03月31日(木) 『チャビ「イケルがそこにいてくれることはわかっていた」@El Pais PART2』『ラス・ロサスへ』 |
 #La Roja #Torres
| | トーレスは故郷へ 18:05:39, 木曜日 31, 3月 2011 | 
フォローアップが遅くてすみません。3月22日、トーレスは生まれ故郷フエンラブラダへ戻り、W杯後初めて故郷から祝福されました。
市長は彼に金メダルをかけてあげたそうです。 トーレス「これは、世界中で出会った、私に近づいてきて『なあ、おれもフエンラ出身なんだ』と言ってくれたすべての人々のためのものです。帰郷し、私の街と近所の人々と会えることは素晴らしいことです……私はいつも、フエンラブラダの名前を誇りと共に胸に秘めています。この街と、私を愛してくれる人々のサポートなしに、(W杯優勝を)成し遂げることはできませんでした」
彼は街のスポーツ施設や、地元チーム、フエンラブラダの本拠地であるスタジアム、その名もフェルナンド・トーレス・シティなども見学したそうです。
MARCAに語ったところによれば、彼は「W杯で優勝することなど夢にも思わなかった。ただアトレティの選手になりたいと思っていただけだったから」とのこと。また、チェコのGKチェフにグラナダがどこにあるのか尋ねられたので、トーレスは地図を指し示して教えてあげたそうです
| |
|
 #La Roja #Javi
| ハビ「せんぱ〜い、おれ、抜いちゃ脱いじゃいました〜」 13:49:32, 木曜日 31, 3月 2011 |  
ハビ丸がSOY Underwearの秋冬コレクションのモデルを務めました……orz ハビ、もう私、あんたにめろめろ(死語)よ……公立大学の学生みたいな顔して……脱いだらすごいなんてアリ!?!?






あんたがその肉体でジョレ先輩を攻めまくってヒーヒー言わせているところが見たあああいっ!
またさあ、自分の肉体がどんだけスゴイか、まだ気づいていないようなところがいいよねえ…… ハビジョレでスピンオフが書きたい……orz 実は昨日、チャビ&イケル、チャビ&ビジャ、ビジャ&レイナ情報にものすごく萌えていて、とてつもなくficを書きたくなりました。
どうして私は、一人くらいスーツケースに詰めて連れて帰って来なかったんでしょうか?
| |
|
 #La Roja #Xavi
| | チャビ「イケルがそこにいてくれることはわかっていた」@El Pais PART2 14:54:40, 水曜日 30, 3月 2011 |  
チャビのインタビューpart2です。イケルとの関係、改めて素敵だなあ…と思いました。思わずじ〜んときてしまったほど。↑W杯時のこの素敵な未見写真、Yさんに教えていただきました。どこ指差してんだ
* * * *
ポルトガルでの欧州選手権でも、あなたは先発ではなかった…… バラハとアルベルダ、彼らは注目株だったけど、センセーショナルなプレーをしていたよ。シャビ・アロンソとおれは交代要員だった。おれは素晴らしいシーズンを送ったところだった。ベルナベウでゴールを決め……イニャキはおれをもっとプレーさせたかったんだと思うが、タイミングを見つけられなかったんだ。イニャキとはとてもうまくいっていたよ。彼は素晴らしい人物だった。だが、あのレベルで勝てなければおれたちにとってはよろしくない……で、おれたちは次のラウンドに進めなかった。イニャキは「なるようになる」と言うような人物で、とても穏やかで、ごく普通の人だった。
ルイス・アラゴネスのように…… 同じだな! おれはドイツ大会では絶好調とはいかなかった。ルイスはおれを待ってくれたが、完全に復調した状態に持ってはいけなかった。彼はバルセロナまで会いに来てくれて、おれの膝を心配してくれた。ルイスには大きな影響を受けた。彼ほどおれに多くの信頼を寄せてくれた人はいなかった。たくさん話したよ、彼は偉大だった。フットボールって言葉は、辞書においてはルイスの写真の横に添えてあるべきだ。彼はとてもスマートでね、練習中にやってきてこう言うんだ。「真剣にやっているようには見えないぞ。おまえはここへ練習をしに来たんだ。だがわしにはそうは見えん。気に食わんな!」そして彼は立ち去る。ルイスは小細工しない。彼は面と向かって言う。彼はスペインのフットボール史において新しい時代を築いたと思う。というのも、彼は欧州選手権で、小さな選手たちを集めてプレーすることをあえて試みたんだからな。
ドイツ大会はどうだった? ややこしかったよ。何人かプレーしないベテランがいた。居心地悪さを感じちまうとても揺るぎないヒエラルキーが存在していたことが問題だった。悪いことは後でやってきた。ラウルに何が起こったのかおれにはわからない。おれは彼をとても尊敬していた。偉大な男なんだ。何が起きたにせよ、彼らは知っていた。ひどく居心地が悪かったよ。EURO08への道のりはとてもタフだった。
代表におけるルイスの貢献とは? 彼は快挙を成し遂げたと思う。 小さい連中(pequeños)に賭けたんだ。彼は過去に線引きし、すべて新しく始めた。つまり小さな選手たち――イニエスタ、カソルラ、セスク、シルバ、ビジャ――が一緒にプレーするようになった、ルイスと共に。おれたちは革命を起こした。世界に、良いプレーをすることでも優勝できることを示したんだ。もし欧州選手権で優勝できていなければ、W杯で優勝することはなかった。
そして、決定的な瞬間だったのは…… イケルがイタリア戦で歴史を変えた。ルイスに交代させられていたから、おれはベンチから見ていたよ。すごくむしゃくしゃしてたんだ! 蚊帳の外で経験するってのがどんなにひどい気分か、信じられないくらいだった。PK戦までだけどな。イケルがいてくれるとわかっていたから。おれは彼と共に育ったから、いつだって彼が現れるんだって、わかっていた。バルサでは、ヴァルデスがいるのと同じさ。おれは彼らがピンチを救ってくれるのを見ながら長年過ごしてきた……あのウィーンの夜に、イケルがそこにいてくれることはわかっていた。そして歴史が変わることも。la flor(=花、イケルのこと)が裏を掻かれたのは、韓国でのあの時だけだ。
彼の脇をすり抜けたあのPK戦だけ? ああ、彼の脇をすり抜けた瞬間、「クソ、負けた」と思った。アイルランド戦では、彼は試合中に一本止めていたが、韓国戦では……彼は触ったけど、ボールは擦り抜け、あの瞬間おれたちの負けだとわかった。
W杯中、イケルは辛い時を過ごしていたと思うか? ブシもまた辛い時を過ごしていたよ、初戦で彼は批判された。おれはイケルよりもサラの方が辛かったと思うね。というのも彼は注目の的になることには慣れているから。でも彼女は……可哀そうに。彼女は、自分のせいで皆がイケルを批判しているとわかっていたから、辛い思いをしなくちゃならなかったんだ。簡単なことじゃないよ。だがいかなる時も、試合で影響を受けることはない、ばかげたことだ。そうしたことはおれたちをチームとして結束させた。イケルとおれは何年もお互いのことを知っている、マルチェナも同じだ。おれたちはよく話す。マルチェナはな、どれほどプレーする時間が短かろうと、重要な選手の一人なんだ。彼はチームに多くをもたらすんだよ。
イケルはクリケットクラブのミーティングにいた? ああ、いた。イエロ、シャビ、マルチェナ、ラモス。おれたちは前線に何が足りないか話し合った。これが人生に一度の機会であり、もしこのチャンスをものにできなければ、残りの人生後悔し続けるだろうということも。
南アフリカ大会で、デル・ボスケが演じた役割は? 導く役目。デル・ボスケはすでに存在していたものにちょっとしたアレンジを加えたが、エゴは持ちこまずに。ここではおれが仕切る、と言うことなしに。彼はフットボールのスタイルを尊重し、リスペクトを欠くことなく改善を試みた。
ほぼ一年が経ち、W杯で優勝したことについてのあなたの意見は? 何かを成し遂げたという、務めを果たしたという幸せな気分だ。もう「何かを獲得できると証明しなくては」と考えて苦悩することはない。今は自分を楽しんでる。世界王者になって以来、幸せな時を過ごしてる……そのことについてあまり多くは考えないが、そんな感じだ。ドイツでは、イタリア人たちを見て、彼らのようにはなれない、と感じた。ブラジル人たちを、まるでエイリアンのように見つめた! おれは、自分たちがどのように成し遂げたかも好きなんだ。優勝したし、ボールを大切に扱い、良いプレーをした。世界に、おれたちがどんなふうにプレーするか知らしめた。
だが、アルゼンチンとポルトガルには押し潰された。競争意欲を失ってしまったのか? いや、それはそうじゃない。モチベーションは欠けていた。だが勝たなければならない時は、勝ち点を稼がなければならない時は、失敗しない。
W杯での功績のために、あなたはどのスタジアムへ行っても喝采を受ける…… ああ、そんな感じだ。幸せだよ。人々がおれに愛情を抱いてくれているのはありがたい。最高だ。
代表の99試合で、最も忘れられない試合は? うーん、わからない。南アでの決勝じゃないか? まあ、フットボールという意味合いでは、欧州選手権がベストだった。オーストリアでは素晴らしい試合をしたが、W杯ではとても難しかった……個人的には、おれの最高の試合はベルナベウでのイングランド戦だった。あの日はルーニーが退場になった。皆がマドリーでおれを讃えてくれた。想像してみてくれよ!
そして、あなたのラ・ロハでの最高のパスは? W杯での、ビジャへのバックヒールと、ウィーンでの決勝でのトーレスへのアシスト。または、ドイツ戦でのプジへのクロス……どれも試合を決定づけたから。だけどきみはもっといいパスを知っていると思うよ。
いつまで代表でプレーし続ける? わからない。100試合以上プレーして引退、じゃないか? おれがプレーしたいうちは、彼らはおれを数に入れることができる。ありがたいことだ。今は、欧州選手権のことしか考えていないが、ブラジルまで行くのも悪くないんじゃないか、そうだろ? 
| |
|
コメントもこちらから。私が旅の途中で撮っただいたいが欧米の風景写真が表示されます(地味に交換してます)

 #La Roja #Xavi
| | チャビ「ものすごくラ・ロハのファンだ」@El Pais PART1 14:54:40, 水曜日 30, 3月 2011 |  
遅くなってしまいましたが、一週間前にEl Pais紙に掲載された、チャビの代表100試合目を記念するインタビューです。このインタビューが掲載された時点では、彼はまだ100試合目となるチェコ戦をプレーしていませんでしたが、彼の代表における過去99試合を総括する、萌えあり感動ありの本当に素晴らしいインタビューです。チャビのインタビューにガッカリさせられることは決してありません。
* * * *
2000年11月15日、チャビエル・エルナンデス・クレウスは代表チームで最初の試合をプレーした。彼は現在、99キャップに達している。金曜日、グラナダにて、もし何も悪いことが起こらなければ、彼はスビサレータ(126)、カシージャス(117)、ラウル(102)らとともに100キャップのクラブの仲間入りを果たす。この100試合はスペインフットボールの近年の歴史を、そしてチャビのパスの軌跡に導かれ、ラ・ロハがヨハネスブルグで世界の頂点に立った道のりを振り返る機会を与えてくれる。
代表での初試合を覚えている? オランダ戦だった。彼らはおれたちを1−2で打ち負かしたよ、だけどそのA代表でのデビューの前に多くの試合をプレーした。自分の人生を通して代表チームでプレーし続けてきたことにはセンセーションを覚えているよ。
スペイン代表で100試合をプレーすることなんて想像できただろうか? W杯の期間中に、それまであと数試合しか残っていないことに気づいた。そしてもし監督が望むなら、到達するだろうことに。だけどその前は もちろんなかったよ。だってとんでもないことだろ? おれはいつかバルサでプレーしたいとだけ思っていたし、そんなことは不可能だという気もしてた。遠い先の話だ。つい最近まで100試合プレーするなんて予想もしていなかった。その件に関してはわくわくしてるよ。
ラ・ロハの大ファンかな? ああ、すごくね……ものすごくラ・ロハのファンだ。代表でプレーするのは好きさ、そそられることだよ。前にルイス・アラゴネスがおれにこう言った――「こいつは、感情やイデオロギーはともかく、フットボールなんだ。誰がフットボールをプレーするのが好きじゃないっていうんだ?」彼の言う通りだ。フットボールをプレーするのが好きじゃないなんてやつがいるかい? さあね、おれはバルセロナで育った。ここは家だ。だけど代表チームはおれに多くを与えてくれし、成長させてくれたんだ。初めて代表に参加した時、自分がどんなだったか覚えている。そして今のおれがどんなかもわかってるわけだけど、信じられないことだ。
初めての時のことを覚えている? 代表のって意味だよな? ←
もちろん…… 16歳の時、11月のトレーニングだった。マドリーで三日間過ごしたよ。監督だったビラが連盟のテオドロ・ニエトにこう言った――「こいつを連れていけ、すごくいいぞ」彼はサンティステバンと共にチームを作った。イニャキ・サエスもいたっけ。彼に対しては多大な敬意を求められたけど、知り合えばとても素晴らしい人だとわかったよ。あと、ラ・レアル(レアル・ソシエダ)の(ジョセバ・)ジョレンテやイケル・カシージャス、ソリアーノ、アランスビア、ベティスのヴァレーラや、オルバイス、ジェステもいた……当時のチームの多くの選手がプリメイラ・ディビジョンでプレーした。あの三日間が基礎だったって思っていた。まるで爛侫奪肇棔璽訌手になれるかなれないか瓩辰憧兇犬如△れにとっては効果があった。
その三日の間に、何度ボールを失った? いや、いいプレーができたよ、滑らかにね。うまくボールを回して、満ち足りた気分で帰った。だけど失敗ってのは忘れないもんだ……今でも覚えている。ポルトガルでのメリディアン杯に召集されたから、うまくやれたんだったに違いない。ナイジェリアが優勝した。それで、バルサはオクノオと契約したんだ。シマオが大会最優秀選手に選ばれ、おれは二番目だった……あのチームでは、グループが形成され基本が形作られた。代表の常連として呼ばれるようになり、クラブでもプラスになった [チャビ、またしても猜發フットボール事典瓩世箸いΔ海箸鮠斂世垢]

なぜ? 監督はきみを違う目で見るようになり、より高く評価してくれる。チームメイトも同様だ。代表でプレーするようになると、もっと自信もつく。ライバルはきみが、代表でプレーしていることを知っているし、それはフィールド上でも伝わって来て、より多くのことを求められるようになる。そして名声もついてくる。代表になるってのは別物なんだ。ヴァルデスにきいてくれ。プロフェッショナル・レベルでは、ステータスが与えられる……それによって、自分自身により多くのことを求めるようにもなる。というのも、もしハードワークしなければ、もう戻れないと考えるようになるから。
初召集後は、いつも呼ばれるように? ああ、97年の同じ年、カシージャスや、ソウサ、ウエスカのカマーチョやアルメリアのコロナらとエジプトで行われたU17世界選手権に行った……おれたちは3位に終わり、ロナウジーニョがいたブラジルが優勝したんだ。おれたちはガーナと準決勝を戦った。ブラジルにはマツサレム、ジオバニ……バルサでプレーした小さい選手、ロナウジーニョ、ローマのマンシーニがいた。本当に勝ちたかったよ! 皆すごく血気盛んだった。チームには素晴らしいハーモニーが存在していて、おれたちは有意義な時を過ごした。下部カテゴリについてたくさん話したし多くのことを共有した。なぜなら皆、同じような不安を抱えていたし、人生はそれだけだったから。それに、恐怖によって人はしゃべっちまうんだ。代表では素晴らしい時を過ごしたよ。
なぜイケルは、あなたはとても静かだっていつも言うのかな それはだって、おれがすごく礼儀正しいからだよ! 彼は危険な男なんだ。リエイダのブラスにきいてくれ。おれたちがカードをするとイケルはいつだって勝つんだ。スリーカードを持ってたってエースが出ちまえば、何だって打ち負かしちまう。で、エースはいつだってイケルのところ巡ってくるわけだ……テーブルの下からね、もちろんさ。代表では遊ぶのが楽しいんだ。おれは大事に接してもらえるしすごくいい友達にも恵まれてるから。
カタラン人であることで、問題を抱えたことは? まったく。まったく、連盟の中では。そのせいで問題を抱えたことはない。おれは人好きする人間だし、ここには素晴らしい人々がいる。いつだって居心地が良かったしリスペクトされてきた。代表はおれを買ってくれていると感じてる。それに、バルセロナはいつもおれが代表でプレーしに行くことに協力的だった。いつもだ。
バルサ育ちの選手たちが代表チームにもたらすものは? おれたちはロマンティックでね。基本的に、スタイル、ボールに触ることへの愛情。カタラン人選手やバルサで育った者はボールをとても大切に扱うんだ。マドリーから来た選手は、たとえばだが、とても競争意識が高い。とてもメンタルが強く、決して諦めない。
あなたの(代表への)コミットメントは疑われたことが。あなたがカタラン人であるがゆえに そうだ、おれに関するくだらないことがたくさん言われたが、でも連盟の中でじゃない。人々はおれがソックスの国旗を隠していることを非難した。この件に関しては首を突っ込むもりはなかったよ、くだらないことだからな。代表ですでに99試合プレーしてるって時に、おれにどんなコミットメントを示して欲しいんだい? おれは16の時からこのチームのためにプレーしてきた。怪我や捻挫を抱えながら……だけどジャーナリストにこうは言えないんだよ――「なあ、聞いてくれ。おれは自分に鞭打ってプレーするんだ」
代表チームから学んだことは? いかに競争するか。バルセロナですでに経験していたが、競争レベルにおいて、代表はもうひとつ付け加えてくれる。バルサでスウェーデンのチームと対戦することは、スウェーデンの11人の最高の選手と対戦することとは違う。若い選手なら、アフリカのチームと対戦すればフィールドに出て行った瞬間、「本当にこいつら17か?」って思う。で、もちろん彼らを負かしたいと思う。そういう意味で、スペインはいつもとても競争が激しい。そういや、アフリカはおれにとって素晴らしい存在だ。

なぜ? エジプトでは3位だった。ナイジェリアでのワールドユース選手権では優勝したし、昨年は南ア大会でも。だがいつも病気になっちまう。エジプトでは急性結膜炎になったし、ナイジェリアではもう最悪だった。39度の熱が出て、スウェットシャツとブランケットに包まって眠ったんだ、ひどく寒くてね。なのに犬のように汗を掻いて。彼らはガブリを部屋から追い出したから、彼には何も感染さずに済んだ。4kgも体重が落ちたよ。で、南アでは、コンフェデ杯の時にヘンな動物性アレルギーにかかっちまって。だけどアフリカはいつだっておれに幸運をもたらしてくれるし、大好きだよ。休暇でケニヤとエジプトに行ったこともある。人々はスーパーナイスでね、好きだよ。
ナイジェリアのワールドユース選手権では、なぜ最優秀選手賞に選ばれなかったんだろう? いろいろあったんだ。タベラスとプラティニがFIFAの代表としてやってきておれたちを祝福した。で、彼らはこう言った。おれが大会MVPに選ばれ、ガブリが二位だって……ところが授賞式になると彼らは他の選手に、ケイタに賞をやったんだ。オルバイスはおれたちのキャプテンだったわけだけど、こう言ったよ――「ま、ともかく、ディナーに行こうや」それで皆でピッツァを食いにいった。タフな大会だったよ。焼いたスパゲッティを食ったんだ。
ああ〜っなんて面白いインタビュー
なんだって?
つまり、鍋の底にくっついちまうと、真黒になって出てくるだろ? それを食うか何も食わないかだったんだ! おれたちが泊まったホテルでは、シェフがフライパンに卵を落としてそれを手でかき混ぜていたよ。おれはガブリに言った……マーキナ、おまえ食べろよ。おれたちは帰りたかったけど、ロレンサーナが報告するぞっておれたちを脅したんだ。ありゃひどく暴力的なシチュエーションだったな。
あなたは誰とも問題を抱えたことがない。監督とも誰とも? ああ、おれはそういうタイプじゃない。大勢の監督の下でやったけど、クソ野郎とは会ったことがない。これはおれに限っての話だ。他の人は違うことを考えたかもな。でもおれは問題なかったよ。
カマーチョがあなたをデビューさせた。彼好みの選手があなたと何もなかったと信じるのは容易いことだ おれを招集してくれた最初の人物はカマーチョだった。ペップが怪我をして、おれはセルジ、ルイス・エンリケ、プジョルとプレーするようになった……おれはセビージャ戦でデビューし、ハッセルバインクとフランク・デ・ブールのゴールで1−2だった。彼はおれに言ったよ、「チャバル、おまえのことは知ってるぞ、トランキロ」彼はおれを、初めてのW杯に呼んでくれた。おれは韓国戦の延長戦で出ていった。パラグアイ戦でもプレーしたし、それから南アとの対戦ではスタメンだった。カマーチョはモチベーターだ。彼は守備的だと考えられているけど、おれたちにはボールを大切に扱わせた。彼といるといつだって警戒していなくちゃならなかった。彼はいつも¡venga, vamos!と叫んでいたし、物事を一歩先んじていた。あの体験はすごく悲しかったな。韓国戦での敗退は本当に不当だった。おれたちはとてもいいプレーをしていたけどフィールドはとても乾いていて……ホアキンとバレロンはすべてをうまくやっていた……素晴らしい試合をしてたよ! だけど韓国の選手たちがいかに走ったか! 彼らはちっとも疲れなかった。おれは、彼らは延長で力尽きると思ってた。だけど彼らは走り続けてPK戦に突入していく中でもまだ走っていた。あの日はタフだったよ。イエロがロッカールームで泣いていた姿を決して忘れないだろう。打ちのめされたよ……あれは彼の代表での最後の試合だったんだ……おれたちはあんな結末には値しなかった。歴史を変えるチャンスだったんだ。 <続>
| |
|
コメントもこちらから。私が旅の途中で撮っただいたいが欧米の風景写真が表示されます(地味に交換してます)

| 2011年03月29日(火) 『Jewelry Chocron篇 Part2』 |
 #La Roja #Reina #Arbeloa #Ramos #Marchena #Capdevila #Alonso #Villa #Silva #Llorente #Javi #Mata
| | ラ・ロハ捕獲大作戦(1/5):Jewelry Chocron篇 PART2 21:09:51, 火曜日 29, 3月 2011 | おいサインペン、貴様、どこにいる!

セルヒオが入店した時点で店のドアは閉じられ、司会がステージで進行を開始。ここでほっと一息ついた私は、選手を待っていた間ずっと考えていた計画を実行。そう、近くでサインペンを買ってくる笑 イベントが終わるまでに戻って来れれば間に合うはず。幸い、日本からラ・ロハマフラーだけは持ってきておりました(darumaさんとmadamさんに頂いたものです^^)。
ところが! 行けども行けどもサインペンが売っていそうなスーパーや文具店がない(;'Д`) 現場周辺は高級ブティックやデパートが集まっている目抜き通りです。通行人に尋ねても「この辺にはないねえ」と言われました。タバコ・スタンドのお兄ちゃんに尋ねると、エル・コルテ・イングレスなら一ブロック先にあるよ、と教えてくれたので早速行きましたが、首都の目抜き通りのECIは巨大すぎて、アパレル、エレクトリック、その他がそれぞれ別々のビルに分かれている様子。あるビルの一階に文具店はありましたが、売られているのは高級万年筆などでサインペンがある様子はありません。
この時点で相当時間を無駄にしてしまった私は、結局諦めてジュエリーショップに引き返しました。
アルビーはどこまでもマイペース
結果は、よかった……間に合いました 到着時と違い、選手たちは全員で出てくるはず……という私の予想を裏切ってくれたのは、やっぱりアビエイターがどこまでも似合うこの男、アルベロアでした。
そうです、彼は「ハロー」と見物人に挨拶をしてから、現れた時同様元来た方角へ歩き出し、手ぶらでマドリーの街角に消えていきました。私が見ていた限り、一本向こうの人通りの多い十字路でも、通行人が彼の正体に気づいた様子はありませんでした アルビーの行方を追っていなくてすみません。他の選手が出てくるのを待ち構えていました。
最後は皆で登場
店の前で待っていると、時を置かず選手たちが揃って出てきました。なんたることだ、どんな魔法を使ったんだろう、アロンソがいるではないかっ! 私がサインペンを探している間に入ったのでしょうか? それとも、最初に到着したマタたちよりも先に入っていたのかもしれません。以前も紹介した際に書きましたが、シルバの名前を呼んでいるのはアジア人のファンの女の子。私はとりあえず全員を動画に収めたくて最後の一人まで出てくるのをこの場所で待っていましたが、他のファンは目当ての選手を追ってバスまで走っている最中 バスが店の眼の前についていることを想定していたのか、選手たちは「バスどこ?」と戸惑い気味ですね。
一通り動画を撮り終えた後、バスまで移動しました。この時捕まえられたのはジョレンテだけでしたが、彼は大きくてスーツケースには入りませんでした でも、彼は動画の通り、丁寧にファンサービスをしてくれました。今気づいたけど、ジョレンテの向こうにデル・ボスケもいたんですね。
この動画が突然終わってるのは、私もカメラモードに切り替えてツーショットをお願いしたからです。身を屈めて写ってくれていたんですね。ありがとうジョレ先輩 ところで、なんですかこのヤラシー魅惑的な腕筋と胸筋は。

こちらはカプデヴィラ。ジョレ先輩もおかんカプデヴィラも、遭遇時全体を通していわゆるスペイン語でいうmucho simpatico(とっても感じがいい)という表現がぴったり当てはまる男たちでした カプデヴィラは私と眼が合った時も「おまえはいーんか?」と眼で訴えてくれました。想像通りの人!

私の天敵情報、もう一つ。セルヒオは写真をお願いしようと近付いた私のことをスルー! 急いでいたから仕方がないのですが、一度バスに乗り込んだかと思うと、カッコ良く手摺を乗り越えてバス前方に停まっていた車に乗り込んで消えました。
Jewelry Chocronでの遭遇はこれにて終了。 同日、ビジャとイニエスタはロウ人形館で自分の人形のプレゼンにも出席していたようですね。だから言ったじゃん、期待するなって。

| |
|
コメントもこちらから。私が旅の途中で撮っただいたいが欧米の風景写真が表示されます(地味に交換してます)

RPSのきわどいのはマイピクに上げてます。気軽に申請してください。

変態の本性を晒しているアカ。slash ficレビューなども。Follow me now!
Not His Day (footballのID&PW制同人サイト)
|
RPS小説のページ。ID&パスがわからなくなったらこちらから再入室をどうぞ
|
|
|