LOSTの第二話を見ました。1話はso-soって感じでしたが、2話で噂の構成が見えてきて面白いと実感。このドラマは間違いなくスラッシュの宝庫だ、と思って調べたら、やはり大人気。こんな魅力的なシチュエーションはそうはありませんぜ。そして2話で一番萌える、かっこいいと思ったソーヤー/サイードが一般的にも一番人気のようだと知ったのでした。サイードかっこいいよ〜。相変わらずイスラム教徒はサイードなのか、とも思いましたが、湾岸戦争に従軍したと告白し、「どこだ? 空軍か? 陸軍か?」ときかれてあっさりと「共和国防衛軍(イラク軍)だ」とこたえた時に、しびれました。ドムはもちろん、OZ出演のハロルド・ペリノーや、映画などでもおなじみのダニエル・デイ・キムなんかもいて、キャストも馴染みやすい。男のキャストはオイシイ面子揃いでまったくエロいなお前ら! 女は美人を揃えすぎだしリアリティがあるようでないのが、イマイチというところです。チャーリー(ドム)はいい役ですね。えろいえろい! まだ2話目なのでスラッシュを読むことはできません。反目しあうソーヤーとサイードが今後どうなっていくのか、楽しみです。 ところで、「キングダム・オブ・ヘブン」をDVDで見直しました。主人公に助けられ、戦場で助け返してやるサラセン人(サラディン王の腹心の部下)って、DS9のベシアーだって、スタトレファンのくせに気づいてませんでした。 あのひげでわからなかった。見返すとすごくカッコいい役です。 LOSTのスラッシュアーカイブ http://lost-slash.com/index.php 前回少し過激なことを書いてしまいましたが、意外や意外、共感するといったメールなどをいただき嬉しかったです。あまり政治的なことは書かないようにしているので、何度か一度書いた日記(下書き)を、UPせずにお蔵入りにしています。たいてい「しなくてよかった」と思うような内容です(笑)。多分こういうことは、物語の中で読んで貰う方がいいんだろうと思っています。 前に紹介した「知の再発見」シリーズは、普通のペースでも一冊3,4時間で読み終わることが判明しました。面白い本になると夢中で読み終わってしまいます。人類の起源に関する本を読みましたが、現生人類の最古の化石がガラリヤ地方のナザレ付近で見つかっている、というのを知って驚きました。イエスが育ったのがナザレです。やっぱり現在イスラエルになっている東地中海沿岸(シリア・パレスティナ地方)というのは、それだけ人間にとって居住しやすい環境だったのかな。この地域は古代において文明の交差点に位置し、紀元前3千年前にはビュブロス人が都市国家を作っていました。エジプト、クレタ、ギリシア、エトルリアと地中海沿岸では古くから文明が栄えましたが、ナイル川流域なども含めこのあたりは気候的にも明るく豊かな土地だったに違いない。海の民といわれ、後にカルタゴを築くフェニキア人の生活などを想像すると胸が躍ります。ローマに危険視されたためポエニ戦争を経てカルタゴは衰退しますが、前千二百年くらいに東地中海に都市を建設し、大国エジプトのお膝元で豊かさを増していったフェニキア人は、争いを好まない平和な民だったといいます。このあたりで信仰されていたのは豊穣の神、大地母神などで、これは後にギリシアに伝わり性的に奔放なデュオニソス信仰に繋がりますが、酒に酔っての乱交などが豊穣祭儀として盛んだったそうです。ダビンチ・コードで、ソフィのお祖父さんが似たような儀式を行ってるとこを孫娘に見つかって恥掻きますが、あれはこうした豊穣祭儀に由来してるってことだったと記憶してます。旧約聖書には、酒に酔って正体をなくしたノアと息子たちのやりとりがありますが、あのくだりは、カナンの地(つまり東地中海沿岸)にやってきた時にヘブライ人が直面した、土着民(カナン人)の酒とセックス大歓迎の放埓な文化を批判したキリスト的禁欲主義の表れだったとある本に書かれていて、なるほどと思いました。ダビンチ・コードにあるように、たしかにキリスト教は大地母神などを忌むべきものとして後に徹底的に攻撃し、異教のレッテルを貼ります。私としては、禁欲主義のキリスト教が暗黒時代と言われた中世に与えた悪影響の大きさを思うと、地母神崇拝の方がはるかに受け入れやすいです。あまり知られていないことに、実はアダムにはイブの前に、リリトという女の伴侶がいるのですが、彼女は聖書において悪女として扱われていて、これもユダヤ教及びキリスト教の地母神崇拝への批判のようです。今、この地母神崇拝とキリスト教を対比させて読んだりしていて、興味は尽きることがありません。 少し話はそれましたが、これこれな理由からも、古代のフェニキア人の生活をもっと知りたいと思うわけです。ギリシア神話はフェニキア人やヒッタイト、フルリ族の伝承に影響を受けて作られたといわれています。ギリシア人が海を介して彼らから受けた文化的影響はとても大きいと思います。そこで単純な私は、フェニキアでもホモがお盛んだったに違いないんだ、と勝手に飛躍した結論に飛びついています。でもこうした理由以上に私がフェニキア人に惹かれるのは、あのあたりの人間を純然と美しいと感じるからです。現代人の感覚で当時を想像するのは限界があると思うけど、地中海に降り注ぐ陽光を燦燦と浴びて、恵まれた環境の中で生きる海の民に健康美を感じます。 興味が尽きないといえば、今は古都アレクサンドリアに興味深々だったりします。近代になると、アレクサンドリアは地政学上の重要性を失ってしまいますが、アレクサンドロス大王が建設し、プトレマイオス朝を経てローマの領土に組み込まれ、なお交易と学問の都市として栄えていた時代、どれほど活気に溢れていたことか、と夢想しています。七世紀にイスラム教圏になってからも国際色豊かな人種混合の都市であり続けました。 アレクサンドリアを舞台にした漫画を描きたいとけっこう本気で思っています。それなら哲学者フィロンがいた時代、ローマのカリグラ帝とクラディウス帝の統治時代がいい。統治者としてのローマ人(兵士)、土着のエジプト人、都市建設当初から増え続け、当時は住民の半数を占めていたというギリシア人、イスラエル以外ではアレクサンドリアにもっとも大きな共同体があったというユダヤ人、後にアレクサンドリアで殉教する福音書記者マルコ(このため後にアレクサンドリアは五大教区のひとつになる)のもとで、細々と暮らしていたキリスト教徒、オリエントの各地からやってくる貿易商、そこには港があり、砂漠があり、世界七不思議に数えられる灯台、焼失した図書館、クレオパトラの宮殿、シナゴーグ(ユダヤ教徒の会堂)、マルコが開いたキリスト教の学校、後にキリスト教徒によって破壊されてしまうギリシアやエジプトの神々の神殿などが混在していたことを思うと、これほど物語に適した舞台はありません。ギリシア人やローマ人が持ち込んだホモ道楽に眉を潜めるユダヤ教徒やキリスト教徒。当時不穏な動きを見せ始めていたユダヤ教徒の過激派「シカリ(短剣党)」の潜伏、日に日に増していくキリスト教徒の迫害、皇帝に媚を売るエジプト総督の気まぐれ……衝突しながらも、人種、階級、思想の壁を超えて結びつく人間の物語、なんて面白いじゃあないですか。 登場人物はギリシア人共同体の代表者、ローマ駐屯軍の司令官、ユダヤ人律法学者、キリスト教の司祭、エジプトやペルシア商人など、教養高く指導的立場にある人々。彼らがアレクサンドリアで起こる事件や揉め事を、同胞や個人の利を守るために駆け引きをしながら、友情から生まれる宥和の精神を持って解決していくなんて、どうでしょう。形としては「修道士カドフェル」みたいな感じで。既得権益を巡って騙し合いをしながらも、ローマ人の司令官はギリシア人代表の男に惚れてたりするわけです(結局それか)! 司令官は公平な立場を保とうとしつつも、ローマ皇帝やエジプト総督の圧力に苦悩する。ギリシア人はギリシア人であることに誇りを持ちながらも、アイデンティティの喪失に苦悩する。ギリシアの神々をもう身近には感じられず、亡国の栄華に慰めを見出す孤独な男。ローマ人を憎みながら、ローマ人司令官を愛している。一方、これは紀元後40年くらいだから、マルコの一番弟子はイエスの死を見届けていたりする。一見冷静な青年だけど、実はゴルゴタの丘へ登っていくイエスを罵倒し転倒させていて、イエスの降臨とその尊い生き様に感銘を受け、改宗してからはずっとその過去を悔やんでいる。彼は密かに殉教者として苦痛の死を迎えることで罪を償いたいという願望を秘めている。ユダヤ人の律法学者は哲学者フィロンの友人で、アレクサンドリアで繁栄を謳歌する同胞に危機感を募らせている。過激派「シカリ」の存在にジレンマを抱え、ユダヤ人に向けられる敵意に苦悩する。 最後は聖マルコの処刑とその二年後のエルサレムの崩壊で終わる。想像を膨らましてると本当に描きたくなってきた。私にこんな壮大な話を描くだけの実力があるとは思えないけども、なんとか頑張って描きたい。漫画にしようと思うのは、ややこしくて誰も小説では読みたくないだろうし、書く身としても専門家のバックアップが必要そうだからです。今の時点では聖マルコやイエスやフィロンを少しとはいえ登場させるだけの勇気もないしな(笑)! ところで、「永い夜の終わり」の第二部の展開を日記に書いたところ、形になることがないとわかった残念、というメールなどをいただきました。どうもありがとうございます、そして根性がなくてすみません。やっぱり鉄は熱いうちに打て、ですね。冬コミに何を書くべきかアンケートで、コメントを寄せてくれた皆さん、ありがとうございました。「イエスが手にした勝利」や、「ヴァージンリスト」も待ってると言っていただいて嬉し申し訳なかったです〜。他の作品も頑張って書き終わりたいです。
冬コミのアンケートにご協力くださった皆さん、ありがとうございました。今回は投票数とコメント数の順番から、「役者島」と「コリン/ジャレッドの短編集」を作る予定です。「コリン/ジャレッド」でリクエストが一番多かったのは犬とうさぎシリーズで、次点は凍える湖とマドンナブルーでした。犬とうさぎは確定ですが、他はこれから検討していきます。「懲邪にアレキサンダーを入れて欲しい」というリクエストもあったので検討中です。書くとしたら主題は決まっています。バビロンでアレクサンドロスとへパイスティオンがギルガメシュ叙事詩に触れる、というもの。 「役者島」と「犬とうさぎ」シリーズはHPで発展させていこうと思っていたので、どうやって本を作るか考えています。番外編を書けるところまで本編が進んでいないんですよね。 狼の続編や番外編へのリクエストは懲邪と同じくらい多かったのですが、こちらはまたいつか。 今回の芸 人 萌。まずはスピワ。それほどファンではないですが、先週のラジオを聴いた腐女子は皆笑ったことでしょう。おざーさんが、身内だけの披露宴を画策する潤が相方の自分を招待してくれてないことを理由に、「俺は身内みたいなもんだろ?」と攻めるところから始まる。その後、日ごろから好き、かわいいと言っているマツジュン(あんま知らない)からメッセージが届き、ひどく狼狽するおざーさん。そこから、一気にカワイイと思う男話に。マツジュンとなら一緒に布団に入ったらさすがに勃起するだの、ジ ャ ニ ー ズ系のカワイイ男の子に実は萌えていることを告白するおざーさん。いつもの如く淡々とそれに付き合ってやる潤。おざーさんの「ヘラクレス的な男は好きじゃない」などは名言です。その後、ディレクターに「その話はもういい」と打ち切られるまで、二人は最高にカワイイ男の子5人のユニット、という仮想アイドルを妄想するのだった。「や、俺は本物のゲイじゃなく、うそのゲイだから。うそのゲイってなんだよ!」と数々の墓穴を掘るおざーさん。 もうひとつはUTB。これまた同じ日のラジオ。包茎を気にして本気で手術を考えている山。ウェブ版ラジオで続きを聞けるけど、包茎じゃなければ俺の人生は違った、というほどの気にしっぷり。それに対して相変わらず割り切った考えの柴。もうあまり覚えてないけど、その発言はどうだ、という絡みが始まる。 山「俺の見てどう思ってるの? 俺のに対してどう思ってるの?」 柴「え?」 山「俺のチンコどう感じてるの?」 エッチの時どう見られてるか気になる、という山に、「俺なんて眼鏡取ったら何も見えないんだから」とこたえる柴。柴がなんとも思わないって言ってるんだからいいじゃないか、山よ……。それにしても、自分たちの会話がおかしいことにいつ気づくのか、この二人。 もうひとつは内 Pの録画より。「ふ か わ の デ ー ト を プロデュース」はよかった〜。ふ か わが気に入ったアイドルと遊園地でデートをするという企画。垂直に上下するおっそろしげなアトラクションに座らせられて蒼白になるふ か わ。女の子も番組もそっちのけで本気で切羽詰ってるふ か わを見かねて、内 村が「しょうがない。俺が隣に乗ってやろうか?」ときくと、途端に安堵の表情を浮かべる。内 村はふかわの隣に座りながら「俺は(お前の)親父か」。ぎゃーぎゃー叫んだ挙句、地上に戻ってくると、「うっちゃん〜っ!」と叫んで内 村に抱きつくふ か わ。除け者になってる女の子を尻目に、「お前、俺とデートしてるんじゃないんだからな」と呟く内 村でした。 一昨日マイケル・チミノの「ディアハンター」を借りて見ました。最初から通してしっかり見たのはこれが初めてでした。この映画やっぱりすごい。1978年に作られた映画です。後にヴェトナム・シンドロームと呼ばれる現象を生みますが、戦争に打ちのめされた世代にしか作れないと感じました。デニーロとクリストファー・ウォーケンの演技がすごい。こんなタッチィな映画はなかなかない。二人の関係は素晴らしすぎて、萌えるとかいうことを考えることができん。 ところで、私は今ではオリバー・ストーンがアレキサンダーで(それ以前からですが)叩かれたことはアメリカ政府の息のかかったマスメディアによる陰謀だと信じて疑っていません。な、何をいきなり言い出すんだい、と思われそうですが、最近中東の歴史やアメリカ政府の横暴さをいろんな本で学んだ結果、「まさかそんな」という善意を信用する気持ちこそ、彼らの思う壺なんだということがわかりました。同じ人間なのだからそんなヒドイことをするわけがない……なんて思っていた自分とは決別し、今ではアメリカ政府に善意なんてものがあるわけがない、という見方をするようになりました。チェイニーやシュワルツコフ将軍にとって憲法や民主主義なんてものはどうでもいいに違いない。それもひじょうに冷静な意味で。人種主義とキリスト教には多少の敬意を払っているのかもしれない。でもそれもすべて、自分たちにとって都合のいいものとして利用しているのであり、それはペルシアの王たちが宗主権を握りながら征服地の宗教や文化の多様化を許し、アレクサンドロスがそれに倣い同じく多文化を尊重し、カエサルがユダヤ人を弾圧せず、コンスタンティヌス帝がキリスト教を国教としたのと同じように、善意ではなく、帝国主義における支配者の論理に過ぎないんだとの確信に至っています。きっと彼らには正義かどうかもたいして問題じゃないに違いない。歴史が繰り返されることは知っているだろうし、犠牲はつきものだということもわかっている。そんな彼らが自分たちの利権と引き換えにネイティブ・アメリカンやイラク人を虐殺したことに対し謝罪するわけがない。アメリカを動かす一部の人間にとって、アメリカが自由の国かどうかはどうでもいい。大事なことは、国民に「自由の国」「民主主義の国」と信じ込ませておくことであり、彼らが一番危険視するのは権力に挑戦するもの、こうしたことを声高に叫んで物事の仕組みをバラそうとする連中、アルジャジーラやラムゼー・クラークやマイケル・ムーアやグリーンピースであり、そしてサダム・フセインでありビン・ラディンなんです。そう考えるとオリバー・ストーンはずっと政府や権力というものに挑戦する映画ばかり作ってきたし、軍人にとっての理想であるアレクサンドロスをあんな風に描かせていいわけがない。今では私はフセインに対してすら少しは同情的です。そんなことを考えているとM&Cの、ああ、マチュリンよ、なんてすばらしいキャラなんだ。アイルランド人で、長老教会派で、理系の人間で、フランス革命に失望し……このキャラを生み出したパトリック・オブライアンは、すごい! 悪い言い方をすると権力の犬、ともいえるジャックにとってのマチュリンという存在。カドフェルとべリンガー(突然)とか、主義の違う者同士の緊迫した友情は萌えますよね〜。
冬コミ新刊のアンケートに協力してくださった皆さんどうもありがとうございました。役者島は決定っぽいですね。あとは懲邪でしょうか。今日は時間があったので、冬コミ新刊前の復習に自分の小説を読み直しました。犬とうさぎシリーズと、マドンナブルー、凍える湖、バージンリストを。バージンリストは、nextボタンを押して続きがなかったので、き、気になる! と思ってました(死)。HDクラッシュでプロットがなくなったのは勿体無かった。また考え直して書こうかな。一から練ればもっとよくなる可能性もあるし。 前回の日記に書きましたが、投票は公正を期すために票数よりもコメント数を重視したいと思います。 芸人本、とくにUTBとSMSはどうだい、というコメントをいただきました。実は30冊くらい限定で作ろうかと思っています。30冊くらいならなんとか売れるであろう。エロはなさそうですけどね。内PとUTB中心で、漫画が描けるといいな。 ところで、昨日から札幌は雪が降り始めています。今朝も道路は雪化粧できれいでした。夏タイヤだから交換しなければ。昨日の晩ごはん中、左手にお茶が入ったコップを持ちながら、右手で刺身をつまんだ時、TVに気をとられていて刺身醤油に漬けるかわりにお茶に入れそうになりました。その時私は、寸前に気づいて「ワァ!」と体全体でびっくりして叫んでいます。己れ自身が巻き起こしたハプニングに、何がワァだ。しかしそれにとどまらず、ワァ! と一声叫んで危機を脱した直後、「あぶね〜」と素で呟いてました。な に が あ ぶ ね ー だ よ 。こいつは存在自体ナシだな。
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