久しぶりの日記です。今後はもっとこまめに短く書くようにしたい。 米国での生活も5年半、そろそろ帰りたいです。今はビザの切り替え時期で帰れないので、もう少しLAに留まらなくてはなりません。 こちらでやったことのひとつに、ゲイの友人を多く作ったことがあります。 ゲイの友人たちと接しているうちに、私はある種の幻滅も味わいました。それはゲイの男友達と私の間には、やはり男女間の摩擦があるという現実のためです。よく一緒にご飯を食べに行くのは5,6人なので統計的にはまったく信用できません。この5,6人の中にもまったくこの「男女間の摩擦」を感じさせない人もいるので、ココは声を大にして言いたいのですが、「ゲイの男性は皆こうだ」というステレオタイプな見方ではありません。 ゲイの男性の中には、ストレートの男性と同じように強いミソジニー(女性蔑視)傾向がある人もたくさんいます。女性を「(男を取り合う)ライバル」とみなし「同じ空気を吸うのも嫌」なんて言う極端な女嫌いのゲイ、もうこれは放っておきましょう笑 ミソジニーはたいてい「妄想だけ膨らませて実際には女性をよく知らない」人にその傾向がよくみられます。 私が男女間の摩擦といったのはこれほど極端なものではなく、普段は女性的な価値観に対し肯定的な男友達との間でも、この摩擦が起こるということです。 たとえばある友人は私に「女なんだからもっと髪伸ばしなさいよ。女は髪が長い方が絶対いいわよ」と言いました。この時私は「女なんだから」「男なんだから」ってのは久しぶりに聞いたな、と思いました。また違うゲイの男性は、「あの子はそこらの女より女らしくしてると思う」と友人のゲイの男性を誉めました。これは、「冷たく接する彼氏に耐えて、めげずによく尽くしている」という話の後に出た言葉でした。これを誉め言葉として言われたので、当然ながら私は「待て待て、冷たくされても好きな男に耐えて尽くす女が、いい女ってことなのか?」とモニョりました。またもう一人は、普段からすぐにカチンときてギャーギャー騒いでしまうヒステリックな自分の性格を、「あたしってホント、こういうとこ女なのよね」と言ってました。でも一番衝撃的だった発言は、サンフランシスコ時代の日本人のゲイ友から食らった、「女性はなんでセックスを断るの? おれだったら、夜道を歩いてて男に襲われたら、カッコいい人だったらア〜ンって(体をくねらせて)レイプされちゃうけどね」でした。 こういう思考がおかしいということに、「あたしは中身は女性」「女性とは話が合う」と言っているこのゲイの男友達は気づいてません。女性的な価値観を見下したり否定はしてないんだけど、彼らの女性観はだいぶ歪んでる。レッテル張りはいけないんですが、彼らの共通点を上げるとすると、年齢が皆30台後半〜40代。そして日本人だということ。若い世代や外国人のゲイの友人たちからは、こういう発言は聞かない(違う国籍、違う年代だとより遠慮が出るのかもしれませんが)。 なぜ彼らの女性観は歪んでるのか。おそらく、彼らは日本で受けたひと昔前の教育というか、育った環境で植え付けられた価値観が20年米国で暮らした今でも抜け落ちてないんです。三つ子の魂百まで。ゲイという自覚を持って生きていても、その根っこにはいまだにストレートの男性としてのジェンダー観や恋愛観が息づいてる。 彼らの中には自虐的な人も多いです。「あたしなんて…」という意識そのものが、ヘテロ社会で植え付けられたゲイゆえの自己嫌悪。彼らの女性観も、時代遅れのストレートの男性主観で一方的に押し付けられた理想の女性像に基づいたもの。 私が幻滅を感じたのは、こっちも勝手にゲイの男性を理想化していたからだと思います。腐女子の妄想として、「ゲイの男性は女性を理解している」というのがあります。自分も偏見に苦しんできたから、「男だから」「女だから」って考えはやめよう、という人が多いはずだ……。 たとえば、社会を“男の絆”で占有する強固なロジック 「ホモソーシャル」の正体とは?という記事を書いた、自らゲイをカムアウトしてる前川直哉さんは、続編で「「社会を男で独占しよう」というホモソーシャルの中では、本来自分は排除される側なわけですが、僕は大学院生になるまでヘテロセクシュアル(異性愛者)のふりをしていたから、排除されることはなかった」(中略)「自分の踏まれている足より、自分が踏んでしまっている足のこと──と言うよりも踏んでることすら自覚していなかったわけですが、その「男性として得をしていること」自体について調べたいと思った」と書いてます。私も、同性愛者という自覚が芽生えることで、前川さんのようにストレートの男性主観から解き放される人が多いんじゃないか、と勝手に期待してしまっていたんですね。 前川さんは「ストレートの振りをすることで、男としての特権を手放したくなかった」と言ってますが、こういう発想から「ゲイだけど女性側にはつかない」人も大勢いるわけです。そもそもが女性より男性が好きだから、たとえ自分を見下すタイプのストレート男性でも許してしまう、という人もいるでしょう。こういう人はストレート女性にもたくさんいる。 同じストレートの女性でも私のように考える人もいれば、女性が置かれている環境や立場にまったく無関心な人たちも大勢いるわけで、ゲイであれストレートであれ女性であれ男性であれ、皆千差万別ということです。そういう意味じゃ、現実を知りこの種の幻滅を経験したのは貴重だったなと思います。 ゲイの知り合いには、絵に描いたようなビッチもいます。彼は笑っちゃうようなセクシーな恰好にきついメイクをして、セックスクラブに行ってストレートの男たちを喜ばせています。一度見に行ったら、跪く彼の前に男たちが行儀よく列を作ってました笑 彼のことを、共通の知り合いである米国人の女友達は「女をinsult(侮辱)してる」と言いました。長年女として生きてきたなら、そんな真似はしないだろう。なぜなら多くの女性はそういう対象として見られ、扱われることに、もういい加減ウンザリしてるからだーーこのウンザリという感覚が、彼にはわからない。それどころか彼の方はストレートの男性に混じって、傍から「うらやまーだわ」と眺めていた。 日本で育ったんであれなんであれ、私の目には歪んでいるように見えるジェンダー観や恋愛観を正だと受け止めて育った人が、そこに自分を落とし込みたいという気持ちでやっているわけだから、そりゃそうだって感じです。 アナルセックスにおける受けは女役で攻めは男役って発想はまるっと異性愛における関係のコピーです。それで殊更自分は「(普段セックスで受けだから)女なんだ」と主張する人もいる。でも普段は外見も振る舞いも、いわゆる「男らしい」けど受けだというゲイの友人もけっこういます。だからそこは結びつけなくてもいいんじゃないかと思う。私が知る限り彼らは「女らしい」んじゃなく、ただただドMです笑 ストレートの男性にも後ろを攻められたいMはいますが、別に普段から自分を女性的だとは思ってない人も多い。まあこのMというのも、自分は男なのに女のように扱われてる、ということが興奮の主要因なわけで、やっぱり女という立場に自分を落とし込んでいる行為という気がしないでもないですが。 ともかく、同性愛者だという自覚が芽生えたことで、従来のジェンダー観に基づく恋愛観や人間関係を脱却して生きている人もたくさんいるわけで、ゲイの男性を一括りにする気はまったくありませんが、ゲイの友人たちとの交流を経て、勝手に理想を押し付けて幻滅している自分に気づいた、という話でした。 最初に「こまめに短く書きたい」と言って、この長さ。次回こそ、短く、なるべく早めに更新します。
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