今日の一枚。前回のページのラストに入れた台詞をこっちに移動だ(´-`) ![]() 天井の燈籠みたいのは省きました。コブが腕時計を見るシーンとアーサーが天井を見上げてるシーンは勝手に入れました。撮影台本では�爛灰屬蕨啝�計を見る�瓩箸いΔ�だりがありますが、映像には登場しません。 一コマ20分で描くというルールを忠実に守れるようになってきました。どうすれば簡潔な線と陰影でリアリスティックな絵を描けるのか。どうすれば現実の男(女も)が持つ生々しさやヤラシさ笑 人間臭さのようなものを残したまま、絵そのものに束縛されない・邪魔されない漫画が描けるのか、模索は続きます。 ノーラン監督のクールな絵作りは、彼独特のモンタージュ(カットの組み合わせ)にあることがわかってきました。たとえばこの次のシーンは爆発のシーンになります。その次のシーンは、室内でコブが眠っているシーンです。とても大胆です。これは音(ここでは爆発音)を入れることができない漫画でやるのはなかなか難しいです。 今日もweb拍手レスを入れられなかった。明日こそ。 twitterに流したトム・ハーデのインタビューです。意訳、割愛あり。これでもまだ前半です。あまりにも長かったので若干投げやりに訳したところもあり、誤訳もあるかもしれません。 ![]() Esquire五月号、トム・ハーディインタビューの要約です。とても長いカバーストーリーなので、とりあえず前半。 ■[..]彼はクリストファー・ノーラン監督の、世界的名声を博した二本の映画、『インセプション』と『ダークナイト・ライジズ』にも出演している。インセプションにおいて、彼はL.ディカプリオを支えるキャストの一人であり、チームの一員だったが、ジョゼフ・ゴードン-レヴィットより報酬が低かったために、(ギャランティーに関する)決定プロセスに、エイモラルな(:善悪とは無関係の)尊厳を与えてくれるよう求めた。 過去、『エスクワイア』はL.ディカプリオ、ブラッド・ピット、マット・デイモン、ジョージ・クルーニーといったムービースターを表紙に採用してきた。彼らは皆賢くて、面白くて、魅力的で、そして好感が持てた。だがある意味で、彼等は皆、賢くて、面白くて、魅力的で、好感が持てるという以外は何者でもなかった。 なぜなら彼らは皆、同じようなアイデアを体現していたからだ。なぜなら彼らは皆、同じようなアイデアを体現していたからだ。あるいは、私たちがロンドンをドライブしている時にハーディが言ったように、「彼らは皆人格者で、同時に大使でもあるんだ。おれは明らかに大使じゃない」 この言葉には多くの意味がこめられている。彼らはハーディのように、グラフィック・ノベルを人体で保有していたりしない。彼のタトゥは首以外のどこにでも彫られている。というのも「おれの首にタトゥがあるってことは、すなわちおれが死に逝く者だって意味だからさ」 彼らには、自分のような薬物/アルコール中毒のような歴史がない、という意味なのかもしれない。彼らは、自分のように向こう見ずな側面を見せないと言いたいのかもしれない。それに、彼らは皆、パブリシスト(広報担当)を雇っている。 あるいはただ単に、彼らはごくごく日常的に誰かを��cunts�畍討个錣蠅垢襪海箸呂覆ぁ△噺世い燭�ったのかもしれない。ハーディは違う。車体に渦巻き状のひっかき傷のある、運転席側のサイドミラーが砕けている大きなアウディのセダンで私を迎えに来てすぐに、彼はその言葉を使い始めた。 彼はベインか? ブロンソンか、でかくて恐ろしいか? 彼は違う。彼は背が低い。5フィート10インチ足らず。代表的キャラである映画上のキャラと比較してしまうために、彼が縮んだように思えてしまう。彼は曲がった歯と傷痕を誇りにしており、赤みがかったひげ(gingery beard)を生やし、スクリーンでお馴染の印象的で表現に富む額と、サングラスのレンズのように黒くて不透明な眼を有している。 トム・ハーディに関して耳にしたことがいくつかある――彼は世界で最も優れた俳優、彼は狂人、彼はとてつもなく義理堅い、そしてとてつもなく難しい。もし彼に信頼されれば、彼はきみの一生の友達になる。だがもし彼を裏切ったりすれば、きみの一生の敵になる。そして、彼は裏切りというものを身近に感じている。 彼は銃と犬を愛しており、英国コマンド部隊で定期的に訓練を受けている。過去に監督や共演者と喧嘩したことあり。シャイア・ラブーフとの殴り合いの喧嘩は有名な逸話だ。 ![]() ここに、私がトム・ハーディから聞いたトム・ハーディの話がある。彼はオナニー野郎で、アナル好きで、卑劣なやつで、人でなしで、破壊工作員で、トリックスターで、いやなやつで、プチブルジョアな厄介者で、嘘つきで、盗人で、デタラメ野郎で、贋者で、詐欺師だという。 彼はきみのために何でもする。それがトミー――彼の友人たちの呼び方だ――について言えることだ。彼のことがわかれば、彼を好きになり、彼もきみにさらけ出してくれる――何ひとつ隠そうとしないか、もしくは何も隠していない風を装ってすべて隠すという、より込み入ったトリックを使ってくるだろう。 自分を理解してもらいたいという彼の要求はとても強力で、怖い男という評判とは裏腹に、それは彼の純粋で傷つきやすい(vulnerable)側面を表している。まったくもってその欲求は強力で、初めて会った晩、彼は2ページに渡る手書きのメモを作成し、それを両手で持ちながら私にその文面を読み聞かせた。書き出しはこうだった――�爐�れは誰だ? さっぱりわからん�� 彼の自宅へ行く途中、私は「最後に喧嘩したのはいつか」とたずねた。 「最後の喧嘩?」彼は言った。「もう喧嘩はしない。行儀の悪い坊やだった頃、チンピラだった頃はよくやった。でも今は危険すぎる」(今はおっかないやつがたくさんいて、喧嘩を始めたら、どこに着地するかわからない、というような話をする) ハーディ「おれはファイターじゃない。ロンドン出身のプチブルの坊やなんだよ。戦いはしない、真似するだけなんだ」 ここには彼が生きる二つの極がある。一方では、彼は俳優として自分が行っていることはごまかしだ、と主張する。また一方で、彼は戦いとごまかしといった事――あるいはとどのつまり、その他のものすべて――が同じ基準で評価される、ほとんど象徴的な世界で生きている。 この後、駐車代を支払うことを嫌ったハーディが墓地へ向かい、生垣近くの二本の木の間に車を停めるも、どこか座って話せる場所を探し始めたらどこも閉まっており、帰ろうとすると今度は来る時は開いていた門が閉まっていて車が出せないので、ハーディが外に出て門を開け、門番の花売りのジジイに皮肉を言われたりしている。 「嫌味なジジイだよな?」ハーディはそう言って車を出したが、不意にバックで戻り、ラッピングされた花束を買った。「なんで花を買ったんだい?」私はたずねた。「嫌味なジジイだと思ったんだが」 「嫌味なジジイだよ」ハーディは言った。「だがいつか水が溢れて来た時に、彼は小舟に乗ってオールを漕いで現れるかも。で、おれは嫌味なジジイから花を買ったことを喜ぶんだな」 ハーディの自宅へ行く。妻シャーロットが出迎える。花を見て、「まあ、素敵」 �爛蓮璽妊�はまるで花のことなどすっかり忘れていたかのようだった。「チューリップ」彼はそう言い、曲がった歯で笑った。まるで、嫌味なジジイがオールを漕いで現れた小舟の最後の一席を買うことができたとでもいうように。�� ![]() 半分。家中の(少ない)家具を全部なぎ倒して「ハーディすぎる!」と叫びたくなりました。 オリー・ウィリアムスはトム・ハーディと出会った。ウィリアムスが26歳の時、ハーディは17歳だった。ウィリアムスはロンドン銃協会のインストラクターで、ハーディの父親と懇意にしていた。彼の父、チップスはウィリアムズにこうたずねた。「なあ、うちの息子に会ってくれないか?」 ハーディの父親は作家で大手広告代理店のクリエイティブ・ディレクターだった。トムは一人息子で、ウィリアムズいわく「このすごくハンサムな、すごく才能のある子どもは父親と折り合いが悪くなっていた」 問題は、とハーディ。「おれは自分があまり好きじゃなかった。一度も好きになったことはない」言い換えれば、「おれは繊細だった。で、繊細なやつでいたくなかったんだ」 彼がなりたかったのは強い男だった(hard man:災難が降りかかってきても、辛抱強く対処できる男)にもかかわらず、彼は�犢垉靴琉�い坊�瓩如↓爛船鵐團薛瓩如↓爛妊織薀疚醢梱瓩猫爛廛船屮襯献腑△量餡霄圻瓩世辰拭� 彼は酒を飲み、薬をやり、学校をおっぽり出された。「おれは郊外の恥だった」とハーディ。チップス・ハーディがウィリアムズとその兄、グレッグに見たものは、二人の強い男(hard men)にして、彼ら自身の言葉を借りるなら、�爛◆璽謄�ストで、作家で、クリエイター�瓩世辰拭� 二人は実戦経験のある写真家だったりアーティストだったりした。 グレッグが見たものは「きれいな若者、ゴージャスな眼、口唇、肌、心の底からおれと戦場へ行きたがっている人物。おれは駄目だと言った。彼は若すぎた。だが彼は本当に(戦場へ)行きたがっていた。自分を試したいという彼の欲求はすでにそにあり、完全に消え去ることはなかった」 オリーが彼に見たものは、�犒察閉錙砲鮹気靴討い覘畩�年だった。そして、オリーとグレッグ兄弟は彼の兄になった。「そこには愛があった――女々しい/ホモっぽい坊や(nancy boy)になることなしに、トム相手にならこの単語を使える。もし彼がきみを愛するなら、彼は兄弟だ。それだけさ。彼はいい兄貴を探していた男だったんだ」 これは彼の基本的な心理状態であり、秘密でもなんでもない。多かれ少なかれ、真面目にしろふざけているにしろ、彼の発言、彼がeメールに書くことほとんどすべてに表出している。彼の映画にも表れている。というのもこれこそが(彼が好きなことから嫌いなことに至るまですべてにおいて)監督たちとの関係における核心部分だからだ。 「たった10分話しただけで、彼をとても身近に感じた」と、『チャイルド44』(ハーディがスターリン政権下のロシアで、連続殺人事件を追う刑事を演じる)の監督ダニエル・エスピノーサは言う。「私たちはすぐに打ち解け合った、というのも二人とも家族の対立や、男になるとはどういうことか、について興味があったから。彼は多くの監督たちの中に父親像を見て、だから反抗できる。時にはそれがうまくいかない。私はむしろ兄のような存在だった」 一方で、フィリップ・M・ホフマンはむしろ父親のようだった。だが同時に彼はフィリップ・M・ホフマンでもあり、中毒の過去を共有しており、ハーディの、彼が尊敬する監督たちに対する表現を借りるなら、�狄燭離蝓璽澄次�a leader of men)�瓩世辰拭�2010年にホフマンがハーディ主演で撮ったB.C.レオナルド・プロダクション製作のThe Long Red Roadは、彼にとって、�爐瓦泙�し�瓩涼罎任匹里茲Δ平深造鮓�出せるかを理解するうえで、基礎となる経験となった。 「トムがやりたかったことは、他の何でもなくフィルを喜ばせることだった」レオナルドは言った。「そしてフィルは簡単には喜ばない。彼の要求はキャラと物語を自分のものにすること。そしてトムは彼を満足させたかった。ついに、トムはこう言った。「この役を演じるのは難しすぎるし、あなたの方が上手く演じられます」するとフィルは言った。「私この役をオファーされてない。レオナルドはこの役を私のために書いたわけじゃないし、私も引き受けた覚えはない。きみがどんな俳優よりこの役を上手く演じられるということはわかってる。だから一緒にやろう、演じ切るんだ」それがターニング・ポイントになった」 ハーディ、前からわかっちゃいたが、この鼻が曲がりそうなホモ臭はいかがなものか。彼がその後の人生でゲイや男同士についてきわどい発言をしていた根底には、こういうことがあったんですね。
|