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のりすけの日記 DiaryINDEX|past|will
午後から本社に赴き、派遣社員向けの教育研修を受けてきた。会議室にて長い話を聞く。社長や専務が話しているというのに、わたしの頭はかっくんかっくんしていた。あまりにも眠すぎる。向かいの先輩はかっくんかっくんしないように俯いていた。流石先輩である。
銀がとれたのである。先週インフルエンザで処方された薬が苦くてたまらないので、服薬後にキャラメルを噛んでいたら、カポッと取れてしまったのである。あれからもう1週間が経つ。歯医者に行く時間が取れないままだ。
筋肉痛がとれない。就寝時、横になりながら咳き込んでいるせいか。それでも熱がないだけまだましか。あー、だるいったらない。
職場の更衣室で着替えるのがめんどくさいわたしは家からスカートをあらかじめ履いていく。そのため平日は毎日黒やグレーのスカートしか履かない。もうこうなったら、バーゲンで購買意欲なんか沸かないのである。ふーんだ。
体調不良と睡眠不足でやつれているというのに、体重が2キロも増えていた。これは、、毎日残業をして食事が遅いせいだろう。また、毎日の家での夕食が何故かご飯とうどんの炭水化物セットだからなのだろう。加えて、食後すぐに寝てしまうからなのだろう。
これもインフルエンザの症状なのか、おなかの調子があまりよくない。出るものは出るのだが、残尿感が残りまくりでその上頻尿ぎみである。おまけに胸の下から下腹部にかけてパンパンに張っている。とても気分が悪い。スカートもキツイ。
眠れないのは、咳のせい。
とまらないのは、咳である。げほ。
昼休み、会社の健康管理室へ行って解熱剤を貰って飲んで寝た。噂には聞いていたが、ここの布団はめちゃくちゃふかふかしている。気持ちよすぎる。仕事にも家にも帰りたくなくなる。が、起こされて事務所に戻りちょっと仕事をこなし早退。帰路にある公立病院の内科の受診。「保険証を忘れたので明日持ってきます。」と申し出ると、「近いんですから、受診後取りに行けませんか?」との返事。いつもなら「はい、すみません。取りに行ってきます。」と言えたかも知れないが、これもやはり熱のせいか、融通の利かない受付に腹が立って仕方なかった。忘れる方が悪いのだけど、「保険証を取りに帰れ」と言われたのは生まれて初めてである。10年ぶりのインフルエンザはわたしを傲慢にさせた。病は人間を謙虚にもさせるが、傲慢にもさせるものだと感じ入った。
酷い咳でうまく睡眠がとれなかったせいか、仕事が手に付かない。頭がぼーっとして、身体が重い。どうにか定時まで我慢し、かかりつけの医院まで車をとばす。そんなにとばしてもいなかったが、雪、である。わたしの車はスリップしハンドルが取れなくなり、対向車線を突っ切った。幸い人身事故には至らなかったが、タイヤが路肩からはみ出してしまって、どうにもこうにも動けなくなってしまった。こんなにしんどいのに、何で病院に行けないんだろう。。救急車でも呼んでやろうかなぁ、とも一瞬思った。しかし、優しい人はいるもので、1人、また1人、もう1人、と車を止めて助けてくれる人が現れた。しかし、わたしには少しの注意力も残っていなくて、その人たちに対する感謝の気持ちよりも、きっとどうにかなっているに違いない身体とそれを持ちこたえられない脆弱な精神が気にかかって仕方がなかった。わたしの車は救出され、わたしは情けない思いで礼を述べ、泣きながら時速10キロで除雪車の後ろを走り、医院へ向かった。医院は当然しまっており、わたしは医院裏の自宅へ回りインターホンを押した。「しばらくおやすみ頂いているのよ。いつからやるかっていうのも目途が付いてないの。」と夫人は言った。わたしはどこからか情報を得ていたのだろうか、その先生は胃癌なのだ、と思った。そして、もうこの医院を受診することはないのだろうという気がした。そして、またわたしは嗚咽しながら車を運転した。「ああ、この道でわたしは事故を起こすなぁ」という考えが浮かび、また「こんなこと考えてたら本当に事故起こすなぁ」と打ち消す。身体の細胞がフツフツと化学反応でも起こしているに違いないという妄想を考えてみたりするうち、わたしは無事帰宅した。食事の際、炬燵の上のペン立てに懐かしい水銀の体温計を発見し、それを手に取り脇に差し込んでみると、水銀は40度近くを示した。わたしも壊れてるけど、この体温計も壊れてる。咳き込み過ぎて血痰が出る始末。就寝時、自分の電子体温計で測定してみると39度。やはり熱があったのである。濡れタオルを顔に乗せ横になっては測定する。39度。39度。うはー。こんなにある!39度。まだ下がらないなぁ。39度。もう朝、げぇ、会社だ。。結局寝れなかったのである。
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