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のりすけの日記 DiaryINDEX|past|will
朝、病院へ。
海洋堂とは「チョコエッグ」というフルタのチョコ菓子の中に入っている動物のフィギュアを造形企画制作している会社である。していた、というのが正しいのか。多くのコレクターを魅了し続ける松村しのぶ(造形家。海洋堂所属。動物に関する専門知識と、造形家としての高度な技術やセンスを併せ持つ、生物造形の第一人者。アニマテイルズシリーズの動物選択、造形、と総監修、解説などを一手に担う。)の作品群は大したものだ。で、今月発売開始となったタカラの「チョコQ」(チョコエッグの類似品)のフィギュアがこれまた海洋堂。海洋堂はチョコエッグから離れ、チョコQについた。チョコエッグのフィギュアは依然と全然出来が違う。「こんなだったら、もういらない」と思っていた矢先に、タカラ&海洋堂のチョコQがバババーンと新発売なのだった。しかし、である。フルタのチョコはそれなりに美味しかった(中はホワイトチョコのコーティング)のに対して、タカラのそれは激まず。。チョコQ買ってもチョコの処分に困る、というくらいに美味しくない。海洋堂さえ、チョコエッグにとどまってくれていれば、あんな不味いチョコを食べずに済むのに。コレクターの人たちって大量に買うんだろうけど、そのチョコ、どうしてるんだろう?ってか、まじ不味いよ?
派遣会社の営業と派遣先へ「お顔会わせ」という名の面接をしてきた。今日実際に派遣先へ行くまでは会社名もその正確な住所も解らない。というか知らされない。1週間前から「お顔会わせ」の日を決めていたのに、面接は所長のみ。引き継ぎの後、おめでた退職する予定の事務員が欠勤。わたしが業務についての質問をしても所長は答えられない。企業紹介をされただけで、本当に文字の通りの「お顔会わせ」だった。
毎日月を眺めている。
亡くなった祖父の姉の名前は「つる」だった。今日の葬儀までわたしはそれさえ知らなかった。火葬される前にひと目、顔を見たかったのだけど、わたしが火葬場の場所をうまく把握できていなかったものだから、着いたときにはもう棺桶は炉の中だった。その火葬場へ最後に行ったのは、12年くらい前で、その頃は高い煙突が立っていた。そこからもくもくと煙が上っていたのだ。わたしはその煙突を目印に火葬場の周辺を車で走っていた。煙突は見つからなかった。たどり着いて母に「煙突ないから迷ったんだよ」と言うと「あんた、煙突なんかもう何年も前になくなっとるわ!」と怒られてしまった。顔を見れなかったのは残念に思ったが、とりあえずお骨だけでも拾わせて貰うことにした。お骨に一本の太いネジが混じっていた。病院で施された機器のものなのだろうと思った。後で「つる」にまつわる話を母から聞いた。祖父兄弟は4人だと認識していたのだが、実は先妻の子が上に2人いて、後妻の子は他に幼い頃に亡くなったのが3人もいるらしい、9人兄弟ということなのだった。また、つるの夫(故人)が生前笑い話として、「こいつは他の男からのラブレター持って嫁に来やがったんだ」と言っていたこと。婚前のつるには、思いを寄せている男性がいたらしい。その男性もまたつるを想って、ラブレターをこっそり届けに来ていたのだそうだ。つるはそのロマンスを胸に、彼からのラブレターの束を袂に嫁いだのだった。享年87歳。つるさん、長い人生、お疲れ様でした。
夕方から友人とバドミントンをして、金沢へラーメンを食べに出かけた。いつも友人に車を出して貰っているので恐縮なので、今日はわたしが運転することにした。わたしは車の運転自体は好きな方だが、誰かを隣に乗せて走るのは嫌いなのだった。というのも、わたしは左耳が先天性の難聴で、左から話しかけられるのが億劫なのだ。声が聞こえないので何度も聞き直さなければいけないし、そのことで相手にも気を遣ってしまう。聞こうと思って首を90度に回すと運転が危ない。車が左ハンドルなら問題はないのだが、当たり前に右ハンドルだ。普段も左側に相手を位置させないために、回り込んだり、席だって真っ先に確保して着席する等の配慮を欠かさない。一定の流れで進むはずの会話が何度も中断され、同じ発言を繰り返し求められるとイライラしてしまうものだ。今、実は、もしかしたら決まるかも知れない仕事がある。仕事内容自体や職場の人間関係に対してはさほど心配はしていないが、やはりこの難聴は気になる。以前、営業事務の仕事をしていた時、わたしが知らないところで、呼びかけに対して応答のないわたしは笑われたり、「無視している」と悪態と勘違いされたりしていたようなので。今回の派遣先は(どうなるかまだ解らないが)少人数の事務所と聞いているので、初めに難聴であるということを伝えて理解を得たいと思っている。食後に映画「命」のレイトショー。勿論わたしは友人の左に座った。左、左、わたしを左に位置させて下さい。左のりすけ。
今日はお祭り。といっても、近年我が家では親戚も知人も誰も呼ぶことはなくなったので、手伝いすることもない。以前だと、20人以上を招待して呑んで食ってとやっていたのだけど、いつの間にかそういうのはなくなってしまった。あの頃は祖父の兄弟やその家族が訪れていた。夜中まで宴会だった。実は今日の朝、祖父の姉が亡くなった。祖父の姉は高齢、病院での死だった。わたしは15年ほど会っていない。入院したらしいと聞いたのが2日前。亡くなる前に会いたいと思っていたのだが、かなわなかった。祖父の姉は、祖父と瓜二つだった。本当に愛嬌のある笑顔だった。祖父が亡くなってからも、祖父の姉の顔を見るとわたしは祖父を見ているような気持ちになった。来客のないお祭りに亡くなった祖父の姉を懐かしんだ一日だった。
美容院で縮毛矯正をした。普通のストレートパーマとは比較にならないくらいまっすぐになる。施術後、48時間は洗髪をしてはいけないし、サイドの耳かけも形がつくため注意しなくてはいけない。とにかく丸2日間は手を加えずにまっすぐな状態を保たなくてはいけないのだ。普通のパーマ液と比べて臭いがないので助かっているが、明日くらいになると、頭皮が痒くなりそう。しかし、カーリーでずっと来ているので、ストレートは違和感がある。多分似合っていないということなのだろうが、とても頭が軽いのでしばらくこのままでいるつもりだ。
【工作員】わたしは工作員が一体何者なのかずっと知らずに来た。今もよく解らない。日本海側の近くの海岸では工作員のもの(死体そのものであったりする)が流れ着く。わたしは小さい頃、工作員は北朝鮮で奴隷のように働いている人のことを指すのだと思っていた。漂着した工作員は病気かなにかで働くことが出来なくなったので海に流されたのだろう、と考えていた。工作員という言葉自体は「情報の収集など秘密の活動をする人」を指す。今問題になっている、他国の国民を拉致してしまう北朝鮮の工作員の狙いを知りたい。一体どれくらいの規模の集団なのだろう。いつか解るときが来るのだろうか。
【拉致】オウムの刈谷さん拉致事件で、この漢字が読めるようになった人は結構多いのかも知れない、と当時私は思っていた。「拉」は音が「ラツ、ロウ」、訓が「ひし・ぐ」である。常用漢字ではないという理由からか、一部の新聞では「ら致」と表記されていた。拉致の意味は「無理やりに連れて行くこと」ととても解りやすいものであるのに、漢字は難しい。意味だけ捉えると、別に事件性のないことにも使えそうな言葉なのだが、とてもじゃないけど不謹慎に感じて使えない。誘拐とか拉致とかいう言葉は、何だか同じ人が造語したのではないかと思ってみたりもする。
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