のりすけの日記
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その日の体調や気分に合わせた生活を送ること。 誰にどう思われるかなんて考えないこと。 一度に物事の解決を図らないこと。 大切なものに敏感でいること。 くだらなさを愛すること。 そして、祈ること。
毎日一食なのだけど、今日は三食食べた。早朝から嘔吐感。しかし頑張って起きていた。晴れていたので布団を干した。夕食後、眩暈がして流石に横になった。2時間後、PCの前に座ったが胃痛でチャットもすぐ落ちてしまった。おまけに、今日は眠れなかった。。(どうしよう、気分が悪いのに眠れない)
独占欲が過ぎたか。 それともお互いの依存が我侭と出たか。 わたしの説明はあなたを理解させうるものではなかったか。 まだ足りないのか。 もう、嫌なら棄て置いてください。
朝から住民検診に行ってきた。疲れて寝た。
朝ご飯を食べようと 納豆をこねていたら ジャーにご飯がなかった。 仕方がないので、 納豆だけ食べた。 「メロンパンがあるじゃないのよ」 そう母は言ったが、 朝からメロンパンなんか喰えるか! わたしは、納豆をもう1パック食べた。
もともとアトピー性皮膚炎ではあった。しかし、関西へ出てからはまったく気にならないくらいに改善された。一人暮らしで自炊をするようになって、6年間、スーパーでパックされた肉は2回きりしか購入したことがない。もしかしたら、その食生活がよかったのかも。
スギ花粉症と診断されたのは、わたしがまだ関西に暮らしていた時分。5月中旬に田舎に帰省したら、くしゃみとはなが止まらない。おまけに目がめっちゃ痒い。あんまりひどいので、耳鼻科に行って血液検査をしたら、その結果花粉症ということだった。医師には「石川県はイネ花粉がひどいからね。関西戻ったら治るよ」と言われたが、本当にその通りだった。それが花粉症初体験。この時、「もう2度と田舎へなんか帰るものか!」と覚悟を決めたのを覚えている。(今年も泣いたなぁ。。)
気管支喘息。風邪だと思っていたら実は喘息だった。聴診器を当てる前から「喘息じゃないの?」と言われたが、その通りだった。服薬すると、痰も収まり発作も楽になった。しかし、4日以降はそれ以上の改善が感じられない。相変わらず睡眠は細切れ。特に夜と早朝に咳き込む。レントゲンを見せられたが医師曰く「肺の中に空気がいっぱい入って、風船状態でパンパン」ということだった。今日は1週間分薬を貰ってきた。
結膜炎はよくなる。特に右目がひどい。左右どちらも痒いのだけど、眼球のゴロゴロ感だけでなく、何故か下まぶたが痛い。しかし、5日もすれば治る。
HPでこれらに検索をかけて予防法を調べた。 1.ハウスダスト(ダニやカビなど)を減らすこと 2.通気に気をつけること 3.掃除のしかたを工夫すること 4.寝具の手入れをまめにすること 自分がこれだけアレルギー体質だとは今まで気づかないで来たけれど、これだけ身体に異常が出てくると気になってたまらない。今まで以上に気をつけていかなければいけない。自己管理。しっかりしなくては。。
| 2002年06月23日(日) |
Who Moved My Cheese? |
人生は、自由に何のじゃまものもなく歩めるような、 まっすぐで楽な廊下ではなく、 通る者にとっては迷路で、 自分で道をみつけねばならず、 道に迷い、わけがわからなくなり、ときには 袋小路につきあたることもある。
しかし、信念があれば、 かならずや道は開ける。 思っていたような道ではないかもしれないが、 やがてはよかったとわかる道が。
(A・J・クローニン)
| 2002年06月22日(土) |
I can speak |
くるしさは、忍従の夜。あきらめの朝。この世とは、あきらめの努めか。わびしさの堪えか。
被害者のようで 実は加害者でした 林被告。
2時に。 そう約束していたのに わたしは寝てました。 ごめんね。 わたしが遅れてやって来たときは きみはトラブルの最中。 わたしがもっと早く策を伝えていればよかった。 でも、きみが癇癪を起こして それをたたき割るようなことがなくてよかった。 とにかく、 きみが戻ってきてよかったよ。
弟が喘息なので、大して驚きもしなかったが、今日、わたしは自分が喘息であることを知った。医師の説明によると、喘息は6月がひどいらしい。そしてしばらく収まるが、9月あたりになるとまたひどくなるのだそうだ。まったく、姉弟して同じような咳き込みをする。体質までそっくりだ。
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