てらさき雄介の日記
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2021年01月28日(木) 深夜特急よりも前の沢木耕作太郎

小説は短編の方が面白い。沢木耕太郎の「人の砂漠」はその典型だ。8つの作品は、いずれも感じ入るものがある。すべてに共通するのは暗さ。明るい話はない。その中でも「視えない共和国」の印象は、長く記憶に残っていた。

私の人生に影響を与えた「深夜特急」より前の作品。与那国から台湾が見えることを聞いて、「初めての外国が見たい」と思い、現地に行ったと記載がある。沢木氏は現地で台湾を見ることが出来た。年に数日だ。運がいい。

●今日一日

終日所用


2021年01月27日(水) 宇崎竜童と同じくやれと

日本映画ベストワンは「駅〜STATION〜」である。今のところ、それを上回る作品はない。

何より倍賞千恵子の居酒屋シーンだが、宇崎竜童氏が出ているのもまた良し。演技はダメだがこちらはついで。音楽を担当している。そのことが映画を名作にした。

宇崎竜童氏は明大中野の卒業生だ。私のだいぶ先輩になる。もちろん知己はない。

成績が良く明治大学に悠々進学出来たのに、「音楽家になるから」と断り、自らの道を行った。そのことを校長が何かの機会で述べながら、「みんなも好きやれ」と言ったのを覚えている。

「好きにやれ」と言える教師。出会えてありがたかった。思えば、そういう人たちに巡り合ってきた。ありがたいことだ。

●今日一日

終日所用


2021年01月26日(火) 父と息子の共通点

父と息子の共通点。

1、鼻が良くない。ぐじゅぐじゅしている。父は少量のティッシュで鼻をかんでいた。だからはみだしていた。息子は豊かな時代。如何なくティッシュを使うから、何箱もすぐになくなる

2、ゴロゴロと寝ている。またブエー(造語)としている。怠けているという感じだけではない。板についている。まさにそういう生物のようだ。寝ころびながら、本と読んだり、他の何かをしている

並べて比べて見てみたかったけど、父は鬼籍に入っているので、それはもう適わない。

そう言えば上の2つは、いずれも私と同じだな。むべなるかな。

●今日一日

終日所用


2021年01月25日(月) のび太は今でもあやとりをやっているのか

妹の子どもは二人とも男の子。上は小学校一年生。私の母校、相模原市立上溝小学校に通っている。

その彼がこの前、「あやとり」をやっていた。学校で習ったとのこと。今の時代に、まだ「あやとり」なんて教えているのかと、不思議な感じだった。

しかしよく聞くと、普通の授業ではない。「昔遊び」というコーナーだ。「あやとり」は既に、昔の話なのだ。

まあ、それはそうか。ちなみに彼は、のび太の特技が「あやとり」であることを知らなかった。

今は昔である。

●今日一日

終日所用


2021年01月24日(日) カネをケチっている場合ではあるまい

昨年当初以来ずっと言ってきたので、そろそろ疲れてきた。しかし引き続き言っていく。「自粛」はインチキだ。市民に責任を押し付けている。

必要ならば「禁止」すればいい。その分はしっかり補償する条件で。収入が補償されれば、労働者も経営者も、ほとんどの人が受け入れるはず。

他国でやっていることが、何故できないのか。カネをケチっている場合ではあるまい。いつまでダッチロールするつもりか。

●今日一日

終日所用


2021年01月23日(土) 閃光のハサウェイも必ず見に行く

「閃光のハサウェイ」が映画化されるらしい。ガンダム正統派の続編だ。

ハサウェイは、ブライト・ノアの息子。アムロとシャアの没後、地球連邦政府の高官を狙うテロリストになっているという設定だ。

ガンダムは面白かった。青年期の記憶とは素晴らしい。頭が柔らかかった時だからか。登場人物の名前やストーリー、セリフまで覚えている。

連邦軍のレビル将軍は、戦闘能力の高いニュータイプを、戦線に投入するべきと言う補佐官に対して、「ニュータイプとは、戦争などせんで済む人類のことだ」と言った。

ジオン軍のデキン公王は、「勝てます」という息子の司令官に対して、「勝って、どうするつもりか」と聞いた。

その他、たまに思い出すことがある。色々な場面に遭遇すると。アニメであっても、立派な作品。人の経験の結集なのだな。

幸い今は時間がある。色々読んで、見て、先人たちの言葉を学んでみよう。

●今日一日

終日所用


2021年01月22日(金) 「自粛」という嘘を付かずに

日本国憲法は私有財産を認め、それを公共の利用に供するときは、「正当な補償」をしなければならないと明記している。

コロナ対策も最初の頃は、この補償が議論になった。しかし今は余り聞かない。政府が出さないことを当たり前にしてしまったのだ。

世の中のルールに従って、正当な手続きをして店をオープンした。お客さんも入り。店も客もウィンウィン。税金をしっかり納めてまた稼いでいる。資本主義の見本。

しかしある日突然。「店は20時で閉めて欲しい」と行政から言われる。自粛要請と聞こえはいいが、自粛とは自ら改めることであって、権力を持つ側が言ってしまっては、それは強制だ。

この店が悪いことをしたのなら別。しかし何もしていない。かつ行政の指導のまま、しっかりコロナ対策をやっている店までも、同じような目に合っている。しかも飲食店や一部の施設のみ狙い打ちだ。

納得できない。店をやっていない私もそう思う。それでも「閉めろ」と言うならば、自粛という嘘ではなく、法律を制定して強制すればいい。そして上記、私有財産に公共のための制限を加えるのだから、正当な補償をするのだ。

ちなみに正当な補償とはどれ位か。固定費全額は最低限だろう。プラスαのやり方は色々な議論がある。

昨年の第一波の段階の対策で補償から逃げたことが、今に至るコロナ対策を中途半端にしてしまった。

●今日一日

【午前】
所用

【午後】
党県連代議員・総支部長会議/WEB


2021年01月21日(木) 不可能なことを基礎に据えてはいけない

コロナウィルスを全滅させるは不可能。人の流れを止めるのも不可能。不可能なことに期待する安易な楽観論を、危機管理や重大な安全保障上の基礎に据えてはいけない。

その上でどうやって感染を最小限にしていくか。「密」を少なくすることだ。それを個人の責任に任せるのではなく、社会的に「密」になりそうな場所を減らしていくのだ。

その一例が自治体の主催するイベントの中止。これは既にやっている。今だ普段と変わらず止まっていないのが、民間の事業者による仕事上の「密」だ。ここを食い止めていく。

また交通機関。終電の繰り下げが既に行われているが、運行をより間引きする必要がある。

大勢が集まりやすいカタチでの買い物もそう。時間帯をわかて入場するか、一部導入されている導線を指定することで、他社との接触を避けられるようにする。

その他も色々ある。含めて重要なのは補償。マイナスを被る分、しっかり手当する。当たり前のことだ。それが出来るのは政府しかない。大胆に国債を発行して、この状況を打開するのだ。

●今日一日

終日所用


2021年01月20日(水) 市民に緊急事態を宣言するのは本末転倒

私は昨年春の第一波の時から、「緊急事態宣言」に疑問を持っている。発出したことにではない。元々政府や自治体が市民に対して、「緊急だ」と言うこと自体が本末転倒なのだ。

そうならないようにするのが政治行政の仕事。危機に陥っている現状こそが、自らが不甲斐ないということだ。もちろん私も含めて。

「外出するな」「会食するな」「マスクしろ」等々。子どもまで息が詰まる毎日。籠りきりで健康を害している高齢者。飲食店や中小企業の疲弊。これ以上いったい、市民に何をしろと言うのか。

緊急事態宣言は市民に対してではなく、為政者に対してこそ向けられるべきものだ。

以上、昨日に続き少し抽象的な話だった。文句を言う以上は、私にも策はある。明日以降書いていきたい。

●今日一日

【午前】
地域まわり/相模原市中央区内

【午後】
地域まわり/相模原市中央区内
行政相談対応(信号機)/相模原市中央区田名

【夜】
事務作業/事務所


2021年01月19日(火) これでは医療崩壊ならぬ行政崩壊だ

厚生常任委員会の閉会中審査。新型コロナ対策が議題。県当局からの報告は問題が多く、かつ驚きを禁じ得ない内容だった。行政の本来業務の放棄が始まった。これでは医療崩壊ならぬ行政崩壊だ。

行政の本来業務とは言うまでもない。市民の生命と財産を守ること。現状はそれが脅かされており、医療と感染症を所管する県は、事態の打開に大きな責任を負っている。

しかし今日示されたのは、農耕接触者の追跡調査の原則停止、自宅療養患者の自己責任の拡大など。その背景にあるのは、「もう手一杯だ」という誤った認識である。県知事も昨日の会見で、言い訳とも聞こえることを言っていた。

本来業務が出来ないならば、県庁は税金を返して解散した方がいい。コロナに直接関わる部署だけの問題ではない。全庁対応だ。先に送っていい事業を凍結し、その分の予算と人員を振り向ければ、まだ出来ることはあるはずだ。

●今日一日

【午前】
立憲民主党・民権クラブ県議団厚生部会/神奈川県庁
厚生常任委員会(報告及び質疑)

【午後】
厚生常任委員会(参考人意見陳述及び質疑)


厳しいやり取りが続いています


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