てらさき雄介の日記
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2019年03月15日(金) 机とロッカーを片付けて

「また会おう。」そう言って別れた。控室から退出する議員を見送るたびに、その方との思い出が頭をよぎった。同じ部屋で仕事をしてきた。楽しいことや苦しいことを共にしてきた。ケンカもした。

卒業式などで挨拶する時、いつも言うことがある。後ろを振り返る必要はない。思いを残すこともない。ここでリセットだ。ひたすら前に進んで欲しい。今日も団長として、同じ気持ちだった。

そして私自身も、机とロッカーを片付けた。それがケジメである。激動の4年間を一緒に過ごした同志、そして県議会と県庁の協力者に感謝する。ありがとうございました。さようなら。

●今日一日

【午前】
事務作業/県庁

【午後】
立憲民主党・民権クラブ県議団全体会議/県庁
本会議(討論及び採決)/同

【夜】
事務作業/事務所


撮影時に、ウルッときました


2019年03月14日(木) なぜ審査場所が分かれるのか

過日も書いた通り、選挙の立候補届を初めて自分で書いている。すると極めて役所らしい、形式主義に陥った書類の束だ。またその中で選挙広報の提出だけが、県庁で受付となっている。先日その理由を問い合わせてみたが、納得のできる回答ではなかった。

私のような現職はいい。県庁に来ているから。しかし新人で、かつ県内でも遠方の方は大変だ。訂正箇所があったら、往復するのだから。地方議員の成り手が不足している。現役で働いている人が立候補しやすいように、小さくてもできる改革があるはずだ。

●今日一日

【午前】
団長会/県庁

【午後】
立憲民主党・民権クラブ県議団全体会議/県庁
行政相談対応(教育)/横浜市中区
選挙公報事前審査/県庁

【夜】
打合せ(議会)/県庁


2019年03月13日(水) 選挙公報が完成した

選挙公報の最終打ち合わせ。写真と所属政党以外は、前回とほぼ同じ内容になった。候補者が私という同じ人間なのだから当たり前か。また我が国の政治状況も、余り変わってはいないし。

市民は何を基準に投票する候補者を選ぶのか。永遠のテーマである。これがわかれば候補者はやりやすい。しかし謎であるところに選挙の醍醐味がある。

一方で、どのツールが重要なのかは、過去いくつかの調査で明らかになっている。最も大きい判断材料が、新聞折込で入るこの選挙広報だ。限られたスペースに思いを込めて。

●今日一日

【午前】
地域まわり/中央区内

【午後】
地域まわり/中央区内


2019年03月12日(火) 行政幹部よりも長く座っている

振り返れば4年間、厚生常任委員会に所属した。委員の任期は1年と決まっているので、これだけ長いのは珍しいほうだ。そのメリットはいくつもあったと実感している。

課長等の役職者は、大体2、3年で交代する。都度その紹介を、私は委員会で受けてきた。議員が1年で変わってしまえば、逆にこちらの自己紹介から始めなくてはならない。

向こうよりも先に、かつ長く席に座っている。そのことによって見える景色がある。委員会は会派の人数により割り振り、あとは会派内でリストをつくっていく。来期の会派運営に申し送っておく。

●今日一日

【午前】
立憲民主党・民権クラブ県議団全体会議/県庁
正副団長会/同
厚生常任委員会(質疑)/県庁

【午後】
厚生常任委員会(質疑及び意見発表及び採決)/県庁


2019年03月11日(月) 勤労統計不正の県に与える影響

予算委員会の2日目だ。立憲民主党・民権クラブ県議団からは、赤野たかし議員(横浜市青葉区)と青山圭一議員(川崎市多摩区)が発言した。国の勤労統計の不正について、県としての認識と対応を質した。職員費に関連すること以外は、県施策に影響はないとのこと。まずは安心だ。

基礎的な数字の把握や記録は、行政機構の基本的な役目だ。少なくとも過去において、霞が関はそれが出来ていたから、市民から一定の信頼を得ていたのだと思う。しかしそれがおかしくなっている。結果として影響が少なかったら、まあいいだろうとはならない。政府に猛省を求める。

●今日一日

【午前】
予算委員会/県庁

【午後】
予算委員会/県庁


2019年03月10日(日) 定数17に25人以上が出る激戦

相模原市議選が激戦になっている。中央区選挙区は定数17に、25人以上が立候補する様相だ。立憲民主党と、党派をこえた友好議員の当選に向けて、全力を尽くしていきたい。

いつも市議会本会議の質問項目をチェックしている。事前にホームページで公開される。これをじっと見てみると、地域で何が問題になっているのか、またそのことに個々の議員がどう向き合っているのか、概要がわかる。

政令市になったからこそ、市議会議員との連携は大切だ。その為には選挙を共に乗り越えて、信頼関係を構築することが肝要だ。県議選と同じ日程だからこそ、しっかりコラボしていきたい。

●今日一日

【午前】
森繁之市議事務所開き/上溝

【午後】
団体月例会/町田市
自衛隊入隊・入校者激励会/中央


2019年03月09日(土) 大規模開発は一旦立ち止まって

支援者に誘われて橋本の公民館まつりに参加した。さて公民館は駅ビルの上に入っている。ここに移転新設する際には、地域から反対意見が出たのを覚えている。駐車場やバリアフリーの観点から、使いにくいという声を今も聞くことがある。

今相模原市長選挙で、私が支援するもとむら賢太郎氏は、「大規模開発は一旦立ち止まる」と言っている。大賛成だ。工事が大きいほど、着手したら途中で変更がきかない。真に利便性の高い施設とは何か、その議論が第一だ。財源は後からついてくる。

●今日一日

【午前】
地域まわり/中央区内

【午後】
地域まわり/中央区内
橋本公民館まつり/緑区橋本
打合せ(党)/海老名市


2019年03月08日(金) 二十歳の誕生日

子供の二十歳の誕生日。私は特に何もしていない。しかし眼前にその大きな体を見ると、やはり親として感慨深い。

二十歳。自分で振り返った時に、よく覚えている。彼もまた、今のことを記憶し続けるのかもしれない。

今後も飾るつもりはない。寺崎雄介という人間の生態を、余す所なく見せていく。それが大切だと信じている。

●今日一日

【午前】
予算委員会/県庁

【午後】
予算委員会/県庁

【夜】
事務作業/事務所


2019年03月07日(木) 見て見ぬ振りは責任の放棄だ

行政は縦割りが酷い。何故こうなってしまうのか。「他部署との連携」がテーマになり、その担当者が設置されるくらい、とにかく権限の外に発想が及ばない。

児童虐待事件を聞くたびに残念になる。個々のケースに向かい合っている職員は、自分自身が過酷な状況に追い込まれている。一方で周りは、それをわかっていて見ぬ振りをしている。

仮に現場で解決できなければ、政治を突き上げて欲しい。それも税金から給与をもらっている、仕事の範疇ではないのか。

●今日一日

終日地域まわり


2019年03月06日(水) 秋田県議会議員大関衛先輩

訃報を聞いたのは、今日の午後である。今は夢の中か。いや、隣にいる同僚議員は選挙の話をしている。どうも現実のようだ。実感が湧かなくて、早めに自宅に戻った。過去の手帳を引っ張り出してみた。

手帳というものを持った、最初の一冊。1990年のものだ。明治大学に入学した年、そして雄弁部に入部した年だ。

4月14日、雄弁部新勧企画、1:00〜2番教室、と書いてある。恐らくここが、最初の出会いのはずだ。2学年上だった。秋田選出の国会議員の学生秘書をされていた。いつもスーツを着ていた。

いつだったか、私は言った。「国会議員に会ってみたい。」すると先輩は聞いた「寺崎はどこだっけ?」「相模原です。」と答えた。「では藤井裕久さんを紹介しよう。」すぐにそう言われたのを覚えている。

振り返ればそれが政治活動のスタートである。私は18歳だった。

その翌年、1991年の手帳を開いてみる。もう一つ、忘れるはずもないことがある。7月25日〜8月7日、NSA台湾、と記載がある。自民党の関連団体だった全国学生交流会(NSA)の主催による、学生数十人の台湾研修ツアーだ。実施の数か月前に、先輩から誘って頂いた。「おい寺崎、タダで台湾に行けるぞ。どうだ?」もちろん即答。「はい。お願いします!」

現在一緒に暮らしている息子、その母親とはこのツアーで出会った。

卒業後は、遠方だったこともあり、お付き合いはそれ程なかった。しかし秋田という単語を聞けば、先輩のことを思い出していた。何度か、超党派の議員研修会等で、ばったり顔を合わせたこともあった。

藤井裕久先生と、息子の母親。私の人生で大切な出会いが、先輩によってもたらされたことを、直接伝えたことはない。感謝している。どこかで、そう言っておけばよかった。

先輩が、死を迎える直前まで、前のめりであったことを信じて疑わない。

明治大学雄弁部OB、全関東学生雄弁連盟元委員長、秋田県議会議員大関衛先輩。享年50歳。ご冥福をお祈りする。

ありがとうございました。

●今日一日

【午前】
ともに生きる社会推進特別委員会/県庁

【午後】
行政相談対応(教育)/県庁
ともに生きる社会推進特別委員会/県庁

【夜】
事務作業/事務所
打合せ(選挙)/南区内


普段は見ない、過去を見てみた


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