てらさき雄介の日記
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2016年04月21日(木) イチローの活躍に背筋が寒くなる

メジャーリーグを見た。地元マイアミマーリンズにはイチローがいる。電光掲示板で紹介されたとき、バッターボックスに立ったとき、外野フライをキャッチしたとき、両チームの選手のなかで一番声援が大きい。背筋が寒くなる感じだ。彼は異国の地で偉業を達成した。

有望な選手がメジャーへ行ってしまうことについて、将来の日本球界を心配する声も聞く。しかしこれは野球に限ったことではない。他の競技も今や国境は低い。これはスポーツ本来の目的を考えれば素晴らしいこと。嘆くことではない。世界中に行けばいい。世界中から迎えればいい。

●今日一日

終日マイアミ滞在


テレビで見慣れたバッティングフォームです


2016年04月20日(水) 人生に影響を与えたくれた先輩に別れを

マナウスの最終日。マイアミへの便は深夜。朝から市内をまわってみた。夕刻からはショッピングセンターで夕食。そして最後に先輩のかき氷屋を再訪した。何か本当のお別れのような気がした。

距離が遠いというのは会えないということ。危篤になっても駆けつけられないし、死んでしまっても葬式にも行けない。まだそんな年齢ではない。しかし人間何が起こるかわからない。二度と会えないかもしれない。

明治大学雄弁部の一年上。この先輩はのんきな人だった。夏や春の休みに1、2カ月平気でタイやインドに行ってしまう。しばらく姿を見ないと、「また東南アジアだろう」と。私の人生にも大きな影響を与えた人と思う。

「ブラジル初のかき氷屋を始める」と聞いた時も、どこかその延長戦上で明るく面白い感じがした。しかし実際は違っていた。「最近客が少ない」と深刻な顔で言う。他ここでは書けない悩みを多く聞いた。そうだ。生活に楽などあるわけがない。

この世界に生きる全ての人が苦労している。それでも日々を必死に生きているのだ。先輩に何も出来ない。しかし心の底から応援している。ご自身が故郷を捨てて選んだブラジルのマナウスで、その納得できる成果が上がることを。

そうだ。出来ることがあった。私が日本を出発する前に、先輩から携帯にメッセージが入った。「マヨネーズを何本か買ってきて欲しい」とある。ブラジルではとても高額らしい。大きなサイズを3本持っていった。

しばらくしたら無くなるだろう。日本からマナウスへマヨネーズを送りたい。

●今日一日

終日マナウス滞在
深夜便でマナウスからマイアミへ


ブラジル人向けの味付けです


2016年04月19日(火) マナウスは大きく3つに分かれている

昨日と一昨日。先輩にかき氷屋を店を休んで頂いた。申し訳ないことをした。今日は一人で市内を散策。ここ数日間で把握したところ、マナウスの街は大きく3つに分かれているらしい。街全体の位置関係を把握することは、一人旅ではとても重要なことだ。

一つは旧市街。ポルトガルの植民統治が行われた場所だ。二つは新市街。官庁がある。宿泊したホテルと先輩のかき氷屋もここに。今後もショッピングセンター等が出来るらしい。三つは工業地域。ホンダを始め世界の工場が進出している。車とアマゾン川の船で製品を搬出している。

夜は先輩の友人と食事。川魚のフライと食べた。この方もマナウスに定住した日本人。日系企業に現地採用でつとめている。余り日本には帰らないという。前はサンパウロで暮らしていたとのこと。ビールを飲みながらじっくりと、その人生の一端を聞かせて頂いた。

●今日一日

終日マナウス滞在


皿盛り料理が多いです


2016年04月18日(月) ポルトガルらしい広場の雰囲気だ

今日はマナウス市内の観光である。メインはアマゾネス劇場。前に大きな広場がある。どこかで見たことがある。マカオの街並みだ。ブラジルは南米で唯一ポルトガルの統治を受けた。それで似ているのだろう。

さて言語。ポルトガル語だ。不思議である。自国伝統の共通語がない。植民地を経験した国でも通常は、旧宗主国のものと並列に自国の言語を使っている。しかしここはない。完全ポルトガル語だ。

独立のカタチも珍しい。ブラジルを現地で統治していたポルトガル王家の分派が、本国からの独立を宣言している。ポルトガルの社会制度が引き続き維持されたのだ。その基盤の上に現在の社会経済が成り立っている。

またサンパウロの地下鉄を除くと、ブラジルには鉄道がない。大きな国土は飛行機かバス、そして昨日も書いた水上交通で結ばれている。イギリスや日本は植民地経営で鉄道を好んだが、ポルトガルは違うらしい。

元々私の旅は一箇所に数日しかいない。それでその国を理解できるはずはない。しかし一度でも自分で見た国と街は、その後長きにわたって関心を持ち続けられる。ふとしたニュースが気になるのだ。

●今日一日

終日マナウス滞在


どこかで見た街並み


2016年04月17日(日) アマゾン河の水上集落

マナウスはアマゾン河に向かう拠点の街である。朝ホテルに先輩が迎えに来てくれた。そのまま河の近くへ。大きな船が並んでいる。観光用ではない。水上交通だ。アマゾン河沿いの街を行き来する人が、生活で使っている船である。その行程は3日間から1週間と長い。

その合間をぬって歩くと、小さなボートがある。ヤマハの発動機付きだ。先輩の知人らしく貸し切り予約をしてくれていた。早速乗り込み河の流れに沿って進む。二つの河が合流している。双方の流れと水質が違うため、水が混じり合わない。二つの色のまま数キロ流れていく。

大河からジャングル、小さな支流。すいすいと進んでいく。ピラニア釣り、水上バンガローの昼食、大きな蓮の葉、等々見たことのないものがある。一番興味深かったのは水上集落だ。河の上に高床で建物が立っている。家、食堂、学校や教会。水上建築の専門家もいるらしい。

思えば遠くに来たものだ。自分の目でアマゾン河を見る日が来るとは思わなかった。出発から到着まで約7時間。仕事や生活から完全に解き放たれていた。日常とは全く違う時間と空間だ。一日付き合ってくれた先輩に感謝。

●今日一日

終日マナウス滞在


河の色が手前と向こうで違います


2016年04月16日(土) マナウスに移住している先輩を訪ねる

思えば2週間の旅は社会人になってから初。‘マナウスに移住している先輩のかき氷屋を訪ねる’という主目的を達成するためには、遠い分一定の期間が必要だった。そしていよいよ時が来た。

マナウスへの国際線は唯一マイアミからのみ。夕方の便に備えて早めに空港へ行く。搭乗便は空港の一番端から出発。飛行は5時間程。興奮もあり早く過ぎだ。席には狭かったがすいていたので快適だ。

初めてのブラジルに到着だ。外交方針として相互主義を採っているため、日本人の入国にはビザが必要。事前に取得していたので難なく入国。バッグもすぐに出てきた。途上国特有の雰囲気が空港に漂う。

空港には先輩が自家用車で迎えに来てくれた。ボディには経営するかき氷屋の図柄が大きく入っている。走ること30分。その店に到着した。思えば日本からの行程は長かった。地球の裏側はやはり遠い。

その後ホテルにチェックイン。そして先輩に連れられ街場のバーへ。ビールをごちそうになった。既に深夜である。市内をめぐるのは明日以降だ。異国での過労は危険。幸い部屋は広かった。じっくり休むことにする。

●今日一日

マイアミ滞在
マイアミからマナウスへ
マナウス滞在


マナウスではかなり目立ちます


2016年04月15日(金) ロスからマイアミへ4時間の国内線

ロスからマイアミへ。飛行は国内線で4時間と少し。アメリカは広い。高度1万メートルからでも下がよく見える。ひたすらに長い真っすぐな道路が通っている。草原、高原、その合間に集落がぽつぽつと。

マイアミは雨だった。その暖かさと勢いはスコールのよう。ここは亜熱帯なのだ。ホテル到着が夜遅くなった。今日は中のレストランで済ませることにする。ビール美味し。出てきた肉サンドはやはり巨大である。

●今日一日

ロスアンゼルス滞在
ロスアンゼルスからマイアミへ
マイアミ滞在


写真で見るよりも実物は大きいです


2016年04月14日(木) 全米日系人博物館で感じた「民族」

ロスアンゼルス3日目。全米日系人博物館を訪問。リトルトーキョーの一番端にある。リニューアルした新しい建物。参観者もたくさん。やはり日系らしき人が多い。展示物も豊富だった。

初期にアメリカへ渡った方、その2世・3世、あるいは現在の4世以降。それぞれに苦労がある。日本は移民が少ないが、それでも神奈川は多くの外国人が暮らしている。その気持ちと対処は大いに参考になる。

戦時中の強制収容所については資料が豊富である。住まいのバラックも保存されていた。二度とあってはならないことだ。厳しい状況の中でこそ、国の文化度とレベルは明らかになる。日本はどうだろうか。

さて移住した日本人たちはは、決して日本を捨てた訳ではない。ここにあるノートや教科書、子どもの遊び道具、等々。結果として帰れなかったに過ぎない。日本は長く祖国であり続けたのだ。

今やアメリカ社会の指導的地位には、多くの日系人がいる。移民とその子孫たちは、日本にとっても大きな財産である。博物館の随所から感じる「民族」というものに、改めて気付かされた。

●今日一日

終日ロスアンゼルス滞在


日系人収容所の絵


2016年04月13日(水) アメリカ大陸初はロスアンゼルス

ロスアンゼルスにいる。昨日は夕刻の到着だった。若干暗かったので慎重に行動。しかし限られた日数。積極的に行動しなければならない。いくつも書けないので、一番印象に残ったことを今日以降は書いていきたい。

街がはっきりと分かれている。「白人が多いエリートの場所」「現地の人もいかない危ない地域」「足を踏み入れられない高級住宅街」等々。収入による生活環境の差が歴然としている。

またゴミの収集車・ガードマン・道路工事の人たち、じっくり観察すると白人は非常に少ない。ほとんどが黒人かヒスパニックである。一方でスーツでネクタイをしめているのは白人が多い。

さてリュック一つで歩いていると、誰も私を旅行者だとは気付かない。10人いれば肌の色も10色。黄色人種もたくさんいる。言葉が詰まっても相手は大らかだ。慣れているのだろう。含めてこれも社会の大きさか。

●今日一日

終日ロスアンゼルス滞在


ロス市庁舎の会見場


2016年04月12日(火) 民主党と私〜その8〜

前日、その7から続く

一番大切な今後である。私に出来ることを積み重ねるしかない。これを達成できるかどうか。ここに民進党の将来がかかっていると信じている。

かながわ民進党県議団筆頭副団長として、党所属県議が一致結束して県行政に対峙していく、その体制をぬかりなく構築しなければならない。民主党政権がガバナンス不足を反面教師にしよう。

民進党神奈川地方議員フォーラム代表として、党全体の運営に地方議員の声が反映されるよう、大きく声をあげていく。また県内各地方の議会と連携を深める。国会は浮き沈みが激しい議会。地方議員の責任は大きい。

相模原市選出の民進党所属議員として、地域のなかで「民進党」の旗を大きく掲げていく。地元から理解を得られずに、その先はない。私自身の政治家としての将来もまた。時間がかかるだろう。

最後に民主党に感謝したい。私のような3バンのない人間が、県議会議員として仕事をしている。そのチャンスを民主党はくれた。「何もないのがいい」と言ってくれた。その精神は民進党に受け継いでいきたい。



●今日一日

【午前】
地域まわり/横浜市内

【午後】
事務作業/事務所
羽田からロスアンゼルスへ(日付け戻り本日夕に着)


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