てらさき雄介の日記
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| 2013年08月26日(月) |
一番の旧家で貴重な会合 |
下九沢御嶽神社の例大祭にあわせて、近隣のお宅で恒例の会合が開かれた。市議時代からお世話になっている方が参集し、一杯やりながら色々な情報交換をする。貴重な時間を過ごすことが出来た。
さてこのお宅。近隣では一番古い建屋。本当に立派である。外国からのお客さんが見学にも来るそう。長きにわたり丁寧に手入れをされているのだろう。古いものを壊して新しくすることが了の時代。頭が下がる。
●今日一日
【午前】 事務作業/事務所
【午後】 地域まわり/中央区内 下九沢御嶽神社例大祭/緑区下九沢 会合(地域)/同
【夜】 支援者ご親族お通夜/南区古淵
| 2013年08月25日(日) |
まさにコンクリートの増税 |
消費増税の使途は社会保障と財政再建だったはず。しかし社会保障国民会議の議論は「いかに減らして維持するか。」これでは話が違う。民主党が自公との協議から離脱したのは一定理解出来る。
しかし今や少数野党。無視されたまま話が進んでいくことも考えられる。基本的には時期を見て復帰すべきだろう。一方で国民にメッセージを発信し続ける努力は重要。現状では何に拘っているか伝わっていない。
国土強靭化なる言葉は新しいかもしれないが、要はこれまでの公共事業を復活させようというもの。生活に密着した基盤整備ではない。高速道路やダム建設。そして新幹線。まさにコンクリートだ。
●今日一日
【午前】 地域まわり/中央区内
【午後】 来客/事務所 地域まわり/中央区内
おとといから足首が痛い。少し腫れている。見た目ではそれ程でもないが、体で一番体重がかかる場所らしい。午前中に地域のイベントがあったのだが、辛そうに足をひいて歩くのもどうかと思い自粛。
しかし午後からは出かけねばならない。近所の接骨院に行った。「靭帯がはれてます」・・・・。靭帯ってどこかな。シップを貼ってきっちりテーピング。多少楽になった。仕事に差し支える。早く直さねば。
●今日一日
【午前】 お休み
【午後】 飲食店主催イベント/中央 WFWP講演会/南区相模大野 事務作業/事務所
【夜】 田名納涼花火大会/水郷田名 会合(地域)/田名 上溝地区豊原自治会盆踊り/同上 横山地区ふるさとまつり/横山台
こんな感じです
| 2013年08月23日(金) |
藤井裕久先生の叙勲受章祝 |
藤井裕久を囲む会(旧後援会)の幹事会。来月行われる叙勲受章祝賀会の段どりを打合せ。かなり盛大になること間違いなし。
生まれて初めて会った国会議員は藤井先生。大学一年生の時。もう24年も前のことだ。現在に至るまでお付き合いが続いていること、またその地元で政治活動が出来ていることに感謝。
お祝いの会は2回にわけて開催される。うち1回は私自身も発起人に名を連ねている。当日参加も大歓迎。是非多くの方にご参加頂きたい。
[藤井裕久先生の叙勲受章を祝う会] ・日時 平成25年9月28日(土) ・場所 ラポール千寿閣(相模原市南区上鶴間本町3-11-8) ・会費 5,000円
●今日一日
【午前】 打合せ(議会)/横浜市中区 ハイスクール議会見学/県庁
【午後】 行政相談(道路)/事務所 街頭活動/上溝ダイエー前
【夜】 藤井裕久を囲む会幹事会/富士見 事務作業/事務所
ライオンズクラブの例会で、盲導犬育成について講演を聴く。会では駅や街頭などで募金活動をしているが、それが具体的にどのように役に立っているのか、改めて学ぶことが出来た。
盲導犬を連れて歩いている方を、今や多くの人は自然に受け入れている。しかしかつては違ったそう。公共の場所に犬が入ることを敬遠したり、他様々な困難があったとのこと。
日々障がい者に関する理解が社会で進んでいるのは、政治行政よりも民間の努力が大きいと実感。どのような制度をつくろうとも、現場の理解なくしてことは進まない。
狭い県庁のなかで政策議論をする者として、しっかり肝に銘じておかねばならない。まらライオンズクラブ会員としても、引き続き盲導犬の育成支援に努力していく。
●今日一日
【午前】 次回代表質問検討/県庁
【午後】 次回代表質問検討/県庁 行政相談(教育)/横浜市西区
【夜】 ライオンズクラブ例会/相模原
盲導犬の育成について講演を聞きました
| 2013年08月21日(水) |
時間的に狭くなった地球 |
帰ってきた。成田空港から県庁へ直行。会議がひとつ間に合わなかったが、午後4時からの政務調査会には参加。秋に知事あて提出予定の予算施策要望について、市町村・各種団体からのヒアリング結果を精査。
さて昨日の夜はタシケントでウォッカを飲んでいたのに、今は県議会の民主党控室で同僚と政策論議をしている。少なくとも時間的に地球はだいぶ狭くなったと言える。
かの国は何を考えているのだろう。そこに暮らす人は。また次に生れてくる人たちは。他の国や人をイメージすることこそ、世界平和につながる道程になる。想像力が大事なのだ。
●今日一日
【午前】 ウズベキスタンから日本へ
【午後】 民主党県議団政務調査会/県庁 次回代表質問検討/同
【夜】 事務作業/事務所
| 2013年08月20日(火) |
日本センターと日本公園 |
帰国に備えてタシケントに戻る。jica日本センターを訪問。日本の言葉や文化に興味ある人が多く訪れていた。行程すべてに同行してくれたガイドも、日本語を現地で学び、かつ茨城県の大学に留学も経験している。
国際関係予算が削減される傾向にあるが、貿易立国である日本にとっては必要経費。長期の投資と考えればいい。一人の日本ファンをつくることが、今後の大きな財産になる。
近くの日本公園も訪問。つくりが日本的かは微妙だが、現地の人たちで賑やかだった。結婚時の写真を撮る場所として流行っているらしく、数十組のカップルがあちこちにいる。プロのカメラマンを従えている。
日本の歴史をどう学ぶべきか。領土内のみ見てはいけない。日本人がこれまで関わってきた国と、そこに暮らす人たちに思いを馳せねば。国境線の存在自体が、いずれ問われる時が来るのだから。
●今日一日
【午前】 サマルカンド滞在
【午後】 タシケント滞在 ウズベキスタンから日本へ
日本センターには原爆投下の説明書きと千羽鶴の織り方が
とっくりにチャミソルグラスしかし中身はウォッカ
| 2013年08月19日(月) |
レギスタン広場に立ってみて |
小さい頃から思っていた。「大人になったら外国へ行きたい。」いくつかのイメージがあった。エジプトのピラミッド、アメリカのグランドキャニオン、インドのガンジス川、そしてサマルカンドだ。
‘地球の歩き方・ソビエト連邦’。現在も自宅に保管してある。巻頭のカラーページにレギスタン広場の写真がある。この遠く未知なる都市には、一体どうやって行けるのだろうか。色々頭をめぐらせたもの。
サマルカンドはユネスコの世界遺産に登録されている。まさにその名に相応しい。来週にはこの広場に設置された特設会場で、年に一度の音楽祭が開かれる。その準備も賑やかに進んでいた。
この地を再び訪れることはあるだろうか。いまだ未到達の場所を選ぶのだろうか。今はまだわからない。生涯忘れ得ぬ光景に出会えたこと、夢がひとつかなったことに感謝する。
●今日一日
終日 サマルカンド滞在
世界遺産サマルカンドのレギスタン広場
| 2013年08月18日(日) |
豚は食べないが酒は飲む |
タシケントからサマルカンドは車で約4時間。街を出るとひたすらに農地と荒野。しかし初めて見る景色に飽きることはない。
現地の食事は上手い。ムスリムゆえ豚は食べない。しかし酒は普通に飲んでいる。ビールを飲みながら羊と馬の肉。日本人好みかは不明だが、少なくとも私には良し。
サハリンを除いて旧ソ連は初めて。道路など都市基盤がある程度整っている。また想定外に雰囲気が明るい。人も大人しく優しい。多民族国家ゆえ顔つきは色々。朝鮮系の人も多い。
驚いたのはウスベキスタン車。韓国の企業と提携しているそうだが、自国銘柄の車に乗っている。ちなみに市内バスはベンツ製も使っている。日本車はほとんど見かけない。
通過はインフレ気味。1,000スム札を使うが、普通に「50,000スムです」と言われる。支払は札束になる。ある店のレジには札数え機があった。
中央アジアの国では最も日本と結びつきが深い。小泉総理が訪問した時の写真が、いくつかの場所にあった。今後も日本にとって大切な国であるはず。
●今日一日
【午前】 タシケント滞在
【午後】 サマルカンド滞在
ウズベキスタンのビールはアルコール10%のものも
| 2013年08月17日(土) |
抑留された79名の日本人墓地 |
大日本帝国の戦闘は最西端がインドである。しかしもっと遠くにも、その傷跡は残されている。旧ソ連による抑留者だ。満州で捕虜となりシベリア鉄道に乗せられ、ウスベキスタンに連れてこられたのは、実に2万5千にも上る旧日本兵たち。
多くの人が現地で亡くなった。タシケントには79名のお墓がある。現地のムスリム墓地の一角、慰霊碑と墓石が静かに並んでいる。ウスベキスタン政府の配慮もあって、とても綺麗な状態が保たれている。お線香を手向けた。人影は他にない。しかし先客が来た形跡はある。お参りする日本人はいるのだ。
市内には抑留者たちが建てた劇場がある。残念ながら補修中で、中には入れなかった。「「1945年から1946年にかけて極東から強制移送された数百名の日本人がこのナヴォイ劇場の建設に参加し、その完成に貢献した」と記載したプレートがあるとのこと。
タシケントは1966年に大地震に見舞われる。約78000戸の建物が倒壊したが、この劇場はビクともせず、当時の人たちの語り草になったそう。
かの戦争が残した傷跡は深く大きい。ジェット機に乗って9時間以上もかかるところに運ばれ、祖国への帰還を果たせずに亡くなった人がいる。その無念を感じずにはいられない。改めてご冥福をお祈りする。
●今日一日
終日 タシケント滞在
日本人抑留者のお墓まいり
日本人抑留者が建てた劇場
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