てらさき雄介の日記
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2013年08月21日(水) 時間的に狭くなった地球

帰ってきた。成田空港から県庁へ直行。会議がひとつ間に合わなかったが、午後4時からの政務調査会には参加。秋に知事あて提出予定の予算施策要望について、市町村・各種団体からのヒアリング結果を精査。

さて昨日の夜はタシケントでウォッカを飲んでいたのに、今は県議会の民主党控室で同僚と政策論議をしている。少なくとも時間的に地球はだいぶ狭くなったと言える。

かの国は何を考えているのだろう。そこに暮らす人は。また次に生れてくる人たちは。他の国や人をイメージすることこそ、世界平和につながる道程になる。想像力が大事なのだ。

●今日一日

【午前】
ウズベキスタンから日本へ

【午後】
民主党県議団政務調査会/県庁
次回代表質問検討/同

【夜】
事務作業/事務所


2013年08月20日(火) 日本センターと日本公園

帰国に備えてタシケントに戻る。jica日本センターを訪問。日本の言葉や文化に興味ある人が多く訪れていた。行程すべてに同行してくれたガイドも、日本語を現地で学び、かつ茨城県の大学に留学も経験している。

国際関係予算が削減される傾向にあるが、貿易立国である日本にとっては必要経費。長期の投資と考えればいい。一人の日本ファンをつくることが、今後の大きな財産になる。

近くの日本公園も訪問。つくりが日本的かは微妙だが、現地の人たちで賑やかだった。結婚時の写真を撮る場所として流行っているらしく、数十組のカップルがあちこちにいる。プロのカメラマンを従えている。

日本の歴史をどう学ぶべきか。領土内のみ見てはいけない。日本人がこれまで関わってきた国と、そこに暮らす人たちに思いを馳せねば。国境線の存在自体が、いずれ問われる時が来るのだから。

●今日一日

【午前】
サマルカンド滞在

【午後】
タシケント滞在
ウズベキスタンから日本へ

日本センターには原爆投下の説明書きと千羽鶴の織り方が

とっくりにチャミソルグラスしかし中身はウォッカ


2013年08月19日(月) レギスタン広場に立ってみて

小さい頃から思っていた。「大人になったら外国へ行きたい。」いくつかのイメージがあった。エジプトのピラミッド、アメリカのグランドキャニオン、インドのガンジス川、そしてサマルカンドだ。

‘地球の歩き方・ソビエト連邦’。現在も自宅に保管してある。巻頭のカラーページにレギスタン広場の写真がある。この遠く未知なる都市には、一体どうやって行けるのだろうか。色々頭をめぐらせたもの。

サマルカンドはユネスコの世界遺産に登録されている。まさにその名に相応しい。来週にはこの広場に設置された特設会場で、年に一度の音楽祭が開かれる。その準備も賑やかに進んでいた。

この地を再び訪れることはあるだろうか。いまだ未到達の場所を選ぶのだろうか。今はまだわからない。生涯忘れ得ぬ光景に出会えたこと、夢がひとつかなったことに感謝する。

●今日一日

終日 サマルカンド滞在

世界遺産サマルカンドのレギスタン広場


2013年08月18日(日) 豚は食べないが酒は飲む

タシケントからサマルカンドは車で約4時間。街を出るとひたすらに農地と荒野。しかし初めて見る景色に飽きることはない。

現地の食事は上手い。ムスリムゆえ豚は食べない。しかし酒は普通に飲んでいる。ビールを飲みながら羊と馬の肉。日本人好みかは不明だが、少なくとも私には良し。

サハリンを除いて旧ソ連は初めて。道路など都市基盤がある程度整っている。また想定外に雰囲気が明るい。人も大人しく優しい。多民族国家ゆえ顔つきは色々。朝鮮系の人も多い。

驚いたのはウスベキスタン車。韓国の企業と提携しているそうだが、自国銘柄の車に乗っている。ちなみに市内バスはベンツ製も使っている。日本車はほとんど見かけない。

通過はインフレ気味。1,000スム札を使うが、普通に「50,000スムです」と言われる。支払は札束になる。ある店のレジには札数え機があった。

中央アジアの国では最も日本と結びつきが深い。小泉総理が訪問した時の写真が、いくつかの場所にあった。今後も日本にとって大切な国であるはず。

●今日一日

【午前】
タシケント滞在

【午後】
サマルカンド滞在

ウズベキスタンのビールはアルコール10%のものも


2013年08月17日(土) 抑留された79名の日本人墓地

大日本帝国の戦闘は最西端がインドである。しかしもっと遠くにも、その傷跡は残されている。旧ソ連による抑留者だ。満州で捕虜となりシベリア鉄道に乗せられ、ウスベキスタンに連れてこられたのは、実に2万5千にも上る旧日本兵たち。

多くの人が現地で亡くなった。タシケントには79名のお墓がある。現地のムスリム墓地の一角、慰霊碑と墓石が静かに並んでいる。ウスベキスタン政府の配慮もあって、とても綺麗な状態が保たれている。お線香を手向けた。人影は他にない。しかし先客が来た形跡はある。お参りする日本人はいるのだ。

市内には抑留者たちが建てた劇場がある。残念ながら補修中で、中には入れなかった。「「1945年から1946年にかけて極東から強制移送された数百名の日本人がこのナヴォイ劇場の建設に参加し、その完成に貢献した」と記載したプレートがあるとのこと。

タシケントは1966年に大地震に見舞われる。約78000戸の建物が倒壊したが、この劇場はビクともせず、当時の人たちの語り草になったそう。

かの戦争が残した傷跡は深く大きい。ジェット機に乗って9時間以上もかかるところに運ばれ、祖国への帰還を果たせずに亡くなった人がいる。その無念を感じずにはいられない。改めてご冥福をお祈りする。

●今日一日

終日 タシケント滞在

日本人抑留者のお墓まいり

日本人抑留者が建てた劇場


2013年08月16日(金) ウズベキスタンに到着

約1ヶ月前、ウズベキスタン在日大使館でビザをとった。「プリンタが壊れているので、一部手書きになる。本国に許可をとったから大丈夫」とのこと。嫌な予感がした。しかしまた都内に来るのも面倒くさい。

ソウル乗り換えで計9時間30分の飛行。今日ついにタシケントに着いた。入国審査場でパスポートを出す。係員戸惑う。ああやはり。そんなことだろうと思った。何やら電話でやり取りしている。

約30分後に別の係員が到着。パスポートに一筆入れ「OK」とのこと。どうもこの人は外務省の職員らしく、ビザが間違いないことを証明したらしい。次は荷物受け取り。なかなか出てこない。30分後にようやくゲット。

そして最後の難関は税関である。ここだけは国によってシステムが全く違う。所持金などを記載した申告書を2枚提出する。さらに全ての手荷物をスキャンし、一部は中身も確認している。ここでまた1時間というところ。

うむむ。こういうのも久しぶりだ。最近はほとんどノービザ。入国もほぼノーチェック。しかし文句を言うのは筋違い。来訪者はあくまで異邦人。時間がかかる位はしょうがない。郷に従うだ。

●今日一日

相模原からタシケントへ

1万円を両替すると21万スムになります


2013年08月15日(木) 改めて不戦の決意を誓う

神奈川県慰霊堂で戦没者追悼式が挙行された。厚生常任委員会副委員長として公務で出席。ご遺族の高齢化が進んでいるが、会場一杯の皆様が参列されていた。知事や県議会議長からも追悼の言葉があった。

政府はついに集団的自衛権の行使に向けた動きを始めた。まずは憲法解釈を見直すそう。アメリカは確かに同盟国だが、その敵と戦争する必然性がない。終戦後68年しか経っていない。戦死者のことを忘れてはいけない。

平和をつくるのは政治家共通の責任。県議、市議、国会議員もない。党派も選挙区も関係ない。ともに活動できる同志と、一層力をあわせる必要がある。終戦記念日の今日、改めて不戦の決意を誓う。

●今日一日

【午前】
次回代表質問検討/県庁
神奈川県戦没者追悼式/横浜市港南区

【午後】
次回代表質問検討/県庁
支援者ご親族弔問/南区古淵

【夜】
打合せ(団体)/八王子市

県の慰霊堂で


2013年08月14日(水) 新盆のごあいさつ

新盆を迎えたご家庭を訪問。お線香を手向けご挨拶を申し上げた。アポなしにも関わらず温かく迎えて下さり、故人の懐かしいお話しを聞かせて頂いた。

若くして政治活動を始めた。支援者は父母より年上の方も多い。自然の摂理としてお別れの時もやってくる。悲しいが受け止めるしかない。

今目の前にいる人だけではない。過去に生きてきた人。これから生まれる人。会うことは出来ない人たちにも、しっかり思いを馳せていきたい。

●今日一日

【午前】
事務作業/事務所
新盆まわり/中央区内

【午後】
新盆まわり/中央区及び緑区内


2013年08月13日(火) 書類整理で事務所にカンヅメ

5日ぶりに事務所へ。ファックスや書類が山のようだ。メールでも連絡は来ているが些少。まだまだ紙社会であることを実感。

頂いたたくさんのご案内。こんな私にありがたいことだ。出来るだけ参加するのは無論、その後継続したお付き合いを望みたい。

手帳に予定を入れたり返事をしたり、その他も報告書や新聞を読み込んだり、数時間カンヅメになって何とか整理完了。

●今日一日

【午前】
事務作業/事務所

【午後】
地域まわり&ポスター張り替え/南区及び中央区内
県政報告ビラポスティング活動/田名塩田
街頭活動/田名塩田カインズホーム前

【夜】
支援者訪問/上溝
会合(地域)/相模原


2013年08月12日(月) 表で議論する政治を

議論する。主張をぶつけ合う。時としてケンカになる。政治家同士ならよくあること。同じ政党でも然りだ。有権者の目に見えるところで‘政治’をするのは大切。

一方で民主党政権は内部の諍いが絶えなかった。そのことが批判を受けていた。反省すべき点はある。しかし水面下の調整がいいことなのか。昼ではなく夜つくられる政治がいいのか。そうは思わない。

政治とは合意形成。最終的には妥協しなければならないが、その一線がどこにあるのか、誰がどこで妥協したのかが重要なのだ。有権者に見える所で勝負する。これが基本だ。しっかり守っていく。

●今日一日

お休み


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