てらさき雄介の日記
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2012年12月19日(水) 重粒子線治療の負担軽減

厚生常任委員会。多くの行政計画が改定になる。神奈川県がん対策推進計画もその一つ。平成25年度〜29年度が次の期間となる。

さて自民党の議員から、県立がんセンターへ重粒子線治療装置を整備することについて、その利用時に経済的な支援を検討出来ないかと指摘があった。全く同感である。

300万円を超えると言われる治療費は余りにも高額である。県立の病院に配置する意味を考えると、負担軽減の検討は必須であるはず。大胆な対策を求める。

●今日一日

【午前】
厚生常任委員会/県庁

【午後】
厚生常任委員会/県庁

【夜】
会合(議会)/川崎市内


2012年12月18日(火) 公用封筒に有料広告が

本会議で一般質問。民主党からは佐藤知一議員(厚木市)が登壇。県の収入確保策として、公用封筒への有料広告記載を主張。実施に向けて検討するとの前向きな答弁を得られた。

県は緊急財政対策の一環として、行政サービスを減らそうとしている。その中には政治本来の目的である、福祉・社会保障分野も含まれている。一方で自主的に‘カネ’を稼ぐ努力は少ない。

さて県が郵送する先は限られている。それほど広告効果は大きくないかもしれない。しかし他自治体の先進事例を確認すると、封筒の購入・印刷代くらいは広告料で賄えているようだ。

実現に至るようしっかりチェックしていく。

●今日一日

【午前】
地域まわり/中央区内
県議会民主党役員会/県庁

【午後】
県議会民主党全体会議/県庁
県議会民主党厚生部会/同
本会議(一般質問)/同
安全防災局よりレクチャー/同


2012年12月17日(月) 大敗から一夜明けて

主権者の審判は下った。見解を述べたいところだが、予想以上の大敗ゆえ、総括には一定の時間が必要。また‘本業’の県議会が今日から26日まで連日行われる。その後となることをご理解頂きたい。

唯一言えることは次に向けての決意。必ず復活する。公明が一定の抑止力を発揮するだろうが、それでも自民・維新が主張する方向は看過出来ない。対抗できる勢力が必要だ。

さて本村賢太郎氏。当然次期に向けてチャレンジすることになる。支える側にとっても正念場だ。悔しさをしっかり胸に刻み、かつ敗因を冷静に分析し、今後に向かっていきたい。

●今日一日

【午前】
朝の街頭活動/JR相模原駅
地域まわり/中央区内
県議会民主党役員会/県庁

【午後】
県議会民主党全体会議/県庁
本会議(一般質問)/同

【夜】
下九沢地域振興会例会/南橋本


2012年12月16日(日) 静寂のなかで結果を待つ

(この日記は投票が終了した午後8時以降に記入しています)

先ほど投票箱が閉まった。現在本村賢太郎の事務所にいる。現場に立会人も行っているが、今の時代はネットやテレビの方が情報は早い。

開票が始まっていない現在、既に多くの自民党候補に当確が打たれている。民主党の大敗は決した。あとは我が本村賢太郎の結果のみ。

事務所には百人近く集まっているが、静かで重苦しい雰囲気が漂っている。ともに戦った仲間同士。まさに祈る心境だ。

小選挙区の結果は遠からず出るだろう。一方比例代表の集計は深夜に及ぶ。今日はここまでとしたい。

●今日一日

【午前】
事務作業/事務所

【午後】
地域まわり/中央区内
シティライオンズクラブ例会/緑区橋本

【夜】
飲食店忘年会/千代田
開票作業の見守り/矢部

選挙期間中お世話になったデスク。力不足を痛感した12日間でした。


2012年12月15日(土) どんなカタチでも再び国政へ

(12月4日〜12月16日の‘日記’については、公職選挙法の規定により、12月17日以降に更新しています)

当初から14区の不利は明らかだった。これまで3年半とそれ以前からの活動を思えば、悔しく、かつ情けなくもあった。

しかし民主党政権を選んだ主権者こそが、悲しい思いをしていたと受け止め、その上で出来る主張を着実に展開してきた。

結果は明日出る。どんなカタチもいい。再び本村賢太郎氏を国政に送らねばならない。残された時間は少ない。

●今日一日

終日選挙活動

事務所内でマイク納めです。


2012年12月14日(金) まさに自分との闘いである

(12月4日〜12月16日の‘日記’については、公職選挙法の規定により、12月17日以降に更新しています)

選挙戦も残り2日。もはや‘完全なる勝利’は望めない。現実を踏まえ票を積み上げて、とにかくも本村賢太郎氏を衆議院議員にするしかない。言わずもがな陣営全体も、その一点で引き締まってきた。

演説会も最終日。星が丘公民館と産業会館で開催。星が丘では応援弁士をつとめ、私自身の支援者にも多くご参加頂いた。産業会館では‘初めての’本村賢太郎を見た。互いにゼロから始めた政治活動。共感である。

ふと他候補のことを考えた。特に自民党候補は今回の風をどのように受け止めているのか。その実感はあるのか。私たち本村賢太郎氏・民主党の弱点をどう見てるのか。また脅威は。

しかし聞く術はない。誰も教えてはくれない。選挙とはまさに自分との闘いである。皆体も気力も限界に近づきつつある。先に勝利があると信じて、最後まで頑張ろう。

●今日一日

終日選挙活動

街宣車です。


2012年12月13日(木) 逆風とはかくも強いものか

(12月4日〜12月16日の‘日記’については、公職選挙法の規定により、12月17日以降に更新しています)

野田佳彦総理が相模大野入り。異例の2度目である。それだけ14区・本村賢太郎氏に期待がある証拠。選挙中市内をまわっていると、やはり野田総理は余り人気がない。しかし党首や党名を隠す選挙などあり得ない。

各種の報道データを総合すると、全国では大きく敗れている。相模原だけ例外とはいかない。首都圏で都市化されている以上は、むしろ大きく風の影響を受ける。しかし逆風とはかくも強いものか。唖然とする。

●今日一日

終日選挙活動


2012年12月12日(水) 街宣車を運搬して門に立つ

(12月4日〜12月15日の‘日記’については、公職選挙法の規定により、12月17日以降に更新しています)

企業の門前で候補者が朝のあいさつ。マイク使用は禁止の時間帯だが、街宣車が停まってた方が目立つとなった。余りにも早朝ゆえ人にも頼めず、私自身が事務所から現地へ運搬。

開始は午前6時50分。寒い。本当に寒い。‘心頭滅却すれば火もまた涼し’とはいかない。しかし多くの支援者が一緒に立ってくれている。すべてがボランティアで支えられた選挙。本当にありがたい。

数百人、あるいはそれ以上の人たちが、本村賢太郎氏の勝利に向かって活動している。それに報いるのは勝つことしかない。その責任を候補者と共に負う一人として、最終版に向けて全力投球だ。

●今日一日

終日選挙活動


2012年12月11日(火) 堺、全国の友人たちの勝利を

(12月4日〜12月15日の‘日記’については、公職選挙法の規定により、12月17日以降に更新しています)

堺にいる。大阪16区・森山浩行氏の応援だ。もっと早く来たかったのだが、地元を抜け出せる時間がなかなかつくれず、ついに昨晩新幹線の終電に飛び乗った。

明治大学雄弁部の1学年後輩である同氏は、堺市議・大阪府議を経て前回衆議院選挙で初当選。当時公明党幹事長であった北側一雄氏に勝利。しかし今回は民主党への逆風と、大阪特有の‘維新旋風’で苦戦している。

僅か1時間半だったが、街宣車に乗りスポット演説。候補者が話している時はビラを配った。「応援している」「民主党はダメ」両方のご意見を頂く。午後4時には相模原で集会がある。急ぎ戻らねば。

全国には学生時代からの友人が他にも、民主党公認候補として選挙に挑んでいる。前回が追い風だったゆえ、その分厳しい状況と聞いている。残念ながら応援には行けないが、薄氷の勝利を祈っている。

●今日一日

終日選挙活動


2012年12月10日(月) 支援者に「やり直し」を誓う

(12月4日〜12月15日の‘日記’については、公職選挙法の規定により、12月17日以降に更新しています)

後援会の皆様により‘望年会2012’を開催して頂いた。非常時ゆえ郵送のご案内となったが、お蔭様で会場あふれる参加人数だった。

衆議院が解散され、中止にすることも検討した。しかし本村賢太郎氏に支援を求める絶好の機会と捉え、予定通り開催することになった。

自分の大切な支援者ばかり。県政の活動報告にあわせて、今衆議院選挙にあたっての気持ちを、正直にお話した。

「民主党の選挙結果は厳しいだろう。自公の300議席も確定しつつある。残念であり申し訳ない。しかしもう一度やり直したい。地元相模原から自民党に対抗できる党をつくっていきたい。

12月17日以降のことを考えている。全力を尽くす。その為には本村賢太郎は無くてはならない。衆議院議員としていることが党再生に必須。是非ご支援をお願いしたい。(要約)」

●今日一日

終日選挙勝活動

新幹線の終電に乗車。堺駅に到着。その理由は明日。


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