てらさき雄介の日記
DiaryINDEXpastwill


2012年04月03日(火) NLDの勝利を歓迎する

ミャンマーでは選挙をやっていた。ヤンゴンからバゴーに向かう途中、赤を身にまとったNLDの運動員が大勢いた。

旅行者には一定の節度が必要。‘郷に入っては郷に従え’も一つ。寺院に行って手を合わせないのは無礼。

またその国について深く詮索するのもダメ。「軍事政権けしからん。」をミャンマー国内で言うことは、一見人としてのノリを明らかに越えている。

ゆえに関心がなかった訳でもないが、現地では余り政治や選挙の話はしなかった。上記の運動員を見た時も、「へー」と言ったのみである。

しかしヤンゴンである人が言っていた。「ミャンマーは貧しい。でも金持ちもいる。軍事政権になってから、その親しい人がカネを稼いでいる。」

これは日本を含めてどこでもあること。しかし諦めてはいけない。人間社会の公正と公平を、あくまで追及していくべきだ。

ミャンマーの民主化が一層進み、文字通り国民の負託による政府が組織されるよう、また日本とミャンマーの友好促進を願っている。

●今日一日

【午前】
支援者お見舞い/病院・横浜市磯子区

【午後】
地域まわり/中央区内


2012年04月02日(月) 次期衆院選に向けて始動

次期衆議院選挙に向けて、具体的な作業を開始した。大規模な選挙になるほど、候補者本人の力は限られてくる。周り、すなわり私を含めた支援者の力量が、厳しい選挙ほど試されてくるのだ。

民主党政権に対し失望感は私自身ある。怒りすら感じている。しかしそのことと、地元で本村賢太郎を支援することは、政治家の行動として矛盾すると考えていない。

今後長きにわたり政治を共にしていく同志を、激流のような流れのなかで失いたくはないのだ。先行き不透明な社会情勢だからこそ、必要な人材は残さねばならない。

選挙にあたっては当然法を順守する。一方ですべて詳らかにすることも、相手がある勝負ゆえ難しい。その点はご理解願いたい。出来るだけ早くカタチをつくり、市民に見えてくるよう頑張る。

●今日一日

【午前】
地域まわり/中央区内

【午後】
打合せ(党)/南区古淵
打合せ(党)/東淵野辺
地域まわり/中央区内
資料作成/事務所
民主党14区支部役員会/市民会館・中央

【夜】
民主党14区支部常任幹事会/市民会館・中央
事務作業/事務所


2012年04月01日(日) 案内のない会合こそ

自治会の総会と親睦会に数件参加。日頃も多くの皆様と出会うが、自治会は幅広い声を伺う貴重な機会である。

もちろんほとんどは招待されている訳ではないので、地域住民として勝手に行っているだけ。挨拶は無論、紹介もないことが多い。

しかし誰かが言っていた。「案内のある会合はもちろん、ない会合こそ意欲を持って参加すべき。」なるほどである。

●今日一日

【午前】
上溝地区久保自治会総会/同会館・上溝

【午後】
横山地区加藤原自治会親睦会/同広場・下九沢
来客/事務所
地域まわり/中央区内
PCデータ整理及び県政レポート作成/事務所

【夜】
上溝地区日金沢自治会総会/同会館・上溝
消防団(1−1)後援会長巡視/同詰所・上溝

自治会総会に参加しました


2012年03月31日(土) 神奈川県庁の人事異動

本年度最後の日。県庁から人事異動の書類が送られてきた。定年退職された皆様には、改めて慰労と感謝を申し上げたい。かなり生意気な口をきいてきたが、それも役目、大切な仕事ゆえと理解願いたい。

また新しく採用された若者には、初心を忘れず頑張ってもらいたい。公務員の雇用が堅く守られているのは、後顧の憂いなく様々なチャレンジをする為。まさに非常時。奮起を期待する。

4月10日には来年度最初の議会運営委員会と、あわせて県議会民主党全体会議が開かれる。そして5月からは第二回定例会だ。地元をしっかりまわりつつも、県政課題について一層調査を深めていく。

●今日一日

【午前】
書類整理/事務所

【午後】
行政相談(産業)/富士見
地域まわり/中央区内
音楽団体歌謡大会/あじさい会館・富士見
打合せ(党)/緑区中沢

人事異動の概要と一覧表


2012年03月30日(金) また思うところの多い旅

たくさんの電話とメールを頂いている。上手く繋がらないことをお詫びしつつ、出来るだけやり取りをしている。

今、BTSという高架鉄道の中。空港へ向かっている。飛行機は午後9時40分発。羽田には翌早朝到着する。

明日は普通に事務所に出る予定。恐らくは書類が溜まっているはず。また第一回定例会の報告書も早急につくらねば。

今回も思うところの多い旅だった。手前味噌かもしれないが、今後の政治活動に資すること疑いない。

明日からまた全力投球だ。

●今日一日

終日 バンコク滞在


2012年03月29日(木) 日タイ友好の促進に向けて

昨晩バンコクに戻ってきた。やはりミャンマーは通信不可。滞在中はメモを書いていたので、帰国次第、改めて訪問地の内容と感想をアップしたい。

さてバンコクでは、東日本大震災と津波について、何度か聞かれた。タイ国政府のみならず、民間でも多くの皆さん、何とスラム地区からも義援金を頂いている。

またタイはかつての大戦時に、親日政府が樹立され、敗戦後に至って多大な迷惑をかけた。含めて感謝である。

今後一層の日タイ友好を築くべく、政治家として取り組んでいく。

●今日一日

終日 バンコク滞在

*中国の歴史 近・現代篇 第一巻(陳舜臣著・講談社刊)を読みました。


2012年03月28日(水) 寺院の子どもに弁当箱

‘ミャンマーは仏教がいたるところにある’と書いた。今日朝一番で訪れた寺院でもその風景を見た。小僧さんが多く行き来している。20歳以前の男性(女性は別施設)を‘教育’しているそう。

短期で入る子供もいるが、多くはずっとここで暮らしている。20歳前なら自由に辞められるとのこと。しかし入った理由の多くは「食えないから。」少なくともここにいれば飢えはしない。

しかし修業は厳しい。食事は朝5時と午前11時の2回のみ。また戒律を厳しく守り、基本的には托鉢で受けたものしか食べない。今日は偶然寄進があったらしく、給食のようなカタチで一品が付いていた。

さて案内してくれたミャンマー人。ここに来るにあたって、自宅から新品の弁当箱を持参。もちろん自分が食べるのではない。弁当箱を持てず昔ながらの鉢で、毎日托鉢にまわっている子供にあげる為だ。

曰く「最近は多くの子どもが弁当箱を持っている。だから持ってない子どもがかわいそう。」食事中のホールを見て回り、持っていない子供に渡す。

更に曰く「隣りの子どもも持っていなかった。かわいそう。また持ってこよう。」

確かにかわいそう。しかし私は何もしていない。「かわいそう。」と明確に口にし、かつ具体的に行動しているこの人は、本当に素晴らしい人間だと思った。

さて最後に蛇足。ミャンマーの僧は皆んな赤い僧衣を着ている。ビルマの立琴で見た黄色ではない。時代変遷かと質問すると「ミャンマーは昔から赤」とのこと・・。

映画2作目(中井貴一の方)の撮影時、ビルマは社会主義政権下で、入国と撮影が困難だった。ゆえにタイでオールロケをしたとは聞いていた。しかし僧衣はストーリーに大きく関わる。なぜ赤に変えなかったのだろう。

初めてのミャンマー。3日間という短い行動だが、期待通り見聞することが出来た。往復の乗り換えを含めて約1週間、海外に出たことによりご迷惑をかけた皆さん、現地でお世話になった皆さんに感謝したい。

●今日一日

終日 ヤンゴン(ミャンマー)滞在

【午前】
ヤンゴン市内パゴダ参拝

【午後】
ヤンゴンからバンコクへ

小僧さんが大勢いた寺院。赤く見えるのは皆ご飯を食べている小僧さん。

ミャンマーで一番大きい寝仏陀


2012年03月27日(火) 日本人墓地で手を合わせる

今回の旅も佳境。目的地である日本人墓地を訪れた。明治以降にミャンマー(ビルマ)で亡くなった多くの日本人と、特に第二次大戦における犠牲者が埋葬されている。

戦死者については、身元がわからなかったり、またご遺体そのものが無い場合もある。全てのお墓をまわってみたが、20歳の兵士が一番若かったと思う。もちろん合葬もあるので、すべては把握の仕様がない。

また日本政府が建立した慰霊碑もある。ヤンゴン日本人会の委託によって、あるミャンマー人家族が管理している。敷地全体がとても綺麗である。日頃の手入れをきちんとされているのだろう。感謝したい。

記帳簿もある。と言ってもただの大学ノート。「神奈川県議会議員 寺崎雄介」と記帳した。直近では一昨日に数名来ている。主に遺族等の関係者とのこと。まあ観光ツアーの行程には入るまいが。

ビルマ方面に派遣された日本軍は303,501名。うち戦死者は185,149名。(1952年厚生省援護局調べ。但し航空部隊除く)実に6割以上の兵士が現地で亡くなっている。

かつての戦争は末期になるに連れ、当初の目的を見失い、軍に対する政府のコントロールも効かなくなる。その象徴が悪名高いインド・インパール作戦と、ここビルマにおける約3年半の戦闘である。

さてそれほど遠くない場所に、日本軍と戦った連合軍の墓地もある。ここもお参りした。イギリス政府が管理している。ここもお墓の石を一人ひとり見ていると、実に様々な国の兵士が亡くなっている。

やはり20代の若者が多い。胸が痛くなる。戦争の不毛を改めて痛感。身元不明の兵士には‘神の子’とある。ああネパールのグルカ兵も戦闘に参加していたのか・・。‘グルカ’の表記が。

同じ過ちを繰り返すまい。地球上から戦争を根絶すべく全力を尽くす。政治家としての仕事を通じて、犠牲者の霊に報いていく決意だ。

改めて戦死者とご遺族に、心からの哀悼の意を表する。

●今日一日

終日 ヤンゴン及びバゴー(ミャンマー)滞在

【午前】
連合軍墓地参拝
バゴー市内パゴダ参拝

【午後】
日本人墓地参拝

日本人墓地の門

日本政府が建立した慰霊碑

連合軍墓地


2012年03月26日(月) 仏教徒であったと体で自覚

初めてのミャンマー。バンコクから飛行機で約1時間で着く。空港から市内は車で30分ほど。

市内には至るところに仏塔(パゴダ)がある。多くが光輝いている。また参拝者も多い。私も礼を尽くし現地式にお参り。

さてこのパゴダ。歴史的に価値あるものも多い。一方で驚いたことに、市内のあちこちで、現在も新しくつくられている。

最初に訪れたパゴダも、軍事政権になってから、政府肝いりで建立されたそう。仏像も大きく立派だった。

タイも敬虔な仏教徒が多い。バーの片隅にも仏壇?があり、バイトの店員も都度手を合わせている。

しかしミャンマーは凄い。回教国はイスラム教が法律であり、かつ生活習慣全般を左右するが、それと同じ感覚で仏教がいたるところにある。

違和感はない。むしろ落ち着く感じすらする。自分も仏教徒であったのだと、頭ではなく自然と体で自覚する。

さて明日はいよいよ目的地へ赴く。まあ辿り着けないことはないだろう。今日はミャンマービールを飲んで早めに就寝。

●今日一日

終日 ヤンゴン(ミャンマー)滞在

【午前】
バンコクからヤンゴンへ

【午後】
ヤンゴン市内パゴダ参拝

ヤンゴン市内のパゴダ

市内を走っているバスは、多くが日本の中古車。写真は神奈中です。


2012年03月25日(日) 旅人に親切な国

バンコクも一時期は観光客が少なかったが、段々と戻ってきているらしく賑やかである。特に白人を多く見かける。

日本人は短い行程で海外旅行に出かけるが、欧米人などは長い休暇をとることも多い。その点ではタイは滞在費用が安く済む。

今回私が泊まっているホテルも、建物は古いが場所は一等地。にも関わらず一泊3千円である・・・。しかも朝食付き。

またタイは旅行者に優しい。困っている風にしていると、何だかんだと世話をやいてくれる。日本人も見習いたいもの。

さて明日はミャンマー。事前情報によると、無線通信が通じないらしい。一応携帯電話とiPadは持っていくが、音信不通になる可能性がある。ご理解をお願いしたい。

28日には再びバンコクに戻ってくる予定。

●今日一日

終日 バンコク滞在


てらさき雄介 |MAILHomePage