てらさき雄介の日記
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| 2007年03月06日(火) |
ロマンスカー停車により |
夕刻の街頭終了後に都内へ行く用事が出来た。時間がなかったので相模大野からロマンスカーで新宿へ出た。
過去は町田しか停車しなかったのだが、数年前に市行政の要望もあって大野停車も出来た。
その際必要経費について、「市負担」分が発生した。電車内や駅ホームなどの掲示を変更することや、電算機のシステム変更などについてだ。
元々市の要望によるとはいえ、全額を税金で負担することはいかがなものかと思い、当時の担当者に意見を言った経緯がある。
しかしその後聞いた話では、この種の負担について鉄道会社に負担をさせるケースもあるそうだ。
確かにこのロマンスカーの件は、要望を受け止めた鉄道会社に分がある。しかし淵野辺駅の場合はどうだったか。青山学院が来たことにより、お客さんが増えるメリットもあるのに、駅南北自由通路の改修は全額市が負担した。
交渉力が問われるのだろう。少しニュアンスも違うが、官民の役割分担というのだろうか。企業としての社会的責任というのだろうか。少なくとも利益の伴う分は、負担をしてもらう必要があるだろう。
| 2007年03月05日(月) |
ローカルマニフェスト発表 |
相模原版ローカルマニフェストを発表した。夕方市役所で藤井先生と県会・市会の候補者一同で記者会見をした。
地方選挙に党公認で立候補するからには、その地域の政策を党としてまとめる必要がある。もちろん地方政治の性質上、個人としてのウェイトは重視すべきだが、最低限の意志統一は必要だろう。
限られた時間のなか、ここまで漕ぎ着けられたことに、改めて関係者のご尽力に敬意を表したい。
さて大切なのはここからだ。マニフェスト選挙が定着するかどうかは、それをしっかり守れるかにかかっている。今回の政策は主には市政に関わることだが、支部政策調査委員長として責任ある対応をしたい。
会見終了後には、党支部常任幹事会が開催された。選挙前の定例会議はこれで最後なので、参加者一同で勝利を誓いあった。
東京都知事選挙についてテレビでニュースが流れている。すると相模原市内でも、統一地方選挙に向けた関心が高くなった。街頭他の反応でわかる。
テレビとは凄いものだ。この情報が悪用される危険性もない訳ではないが、情報公開は民主政治の基本だから、むしろポジティブに捉えていくべきだ。
この関心の高まりを、一層確かなものにしていく、各種選挙の候補者による運動が求められる。
政令市を目指すに相応しい、高い投票率を出していきたい。
友人の結婚祝いがあり愛川中津に行った。相模川を渡ればすぐだ。基本的には厚木文化圏だが、住民同士の経済交流は相模原とも盛ん。
先日も選挙のお願いに愛川町内の会社に行くと、かなり多くの方が相模原から通勤していることがわかった。
愛川町が財政豊か(他に比べて)なのは、工業団地を中心に企業があることが大きい。どういう経緯かは承知していないが、産業振興がうまくいったのだろう。
小田急多摩線を相模原に延伸したあと、上溝から田名へつなげようという意見もある。更に愛川方面へという人も。
実現性は疑問だが、愛川から相模原への人・物の流れがあるのは事実。また政令市は大都市政策ゆえに、周辺自治体との連携も一方で大切になる。
県議になる夢は広がる。隣接自治体を含む県内多くの地域をまわって、それぞれの課題を解決していきたい。
朝はやく (駅頭活動)昨晩遅かったので少しきつかったが、話し始めたら元気になった。花粉症が出なくなったのも大きい。
午前中 (団体訪問)川崎で3件磯子で1件、支援のお願いに伺った。支援者にも同行して頂いた。人数の大小ではなく、面と向かって話をすることが大切だ。
午後 (戸別まわり)選挙の事前説明会や期間中の街宣活動などについて、市内の支援者を訪問してお願いをしてきた。 (事務作業)名簿整理や郵送物発送などを事務所で行う。
夕方 (駅頭)JR相模原駅だったが、偶然民主党参議院候補の牧山ひろえさんが来たので、互いのビラを一緒に配った。一人でするのもいいが、賑やかなのも違う意味で良い。
夜 (集会)地域連合が決起集会を催してくださった。推薦の県議・市議候補が揃い、それぞれ2分ほど訴えをした。
その後 (応援)事務所で作業していると、若手議員(候補)の仲間が手伝いに来てくれた。折ってもらったビラも助かったが、皆んなの顔を見れたことが嬉しかった。
そして今 (思案)決まった明日の予定に加え、何をどうすべきか考えている。
| 2007年03月01日(木) |
相模原市長に関わること |
相模原市長が再び職務代理を任命した。数日前の話だ。2度目ということもあって、色々な噂が飛び交っている。
どれが真実かはわからないが、政令市に向けてスタートきった途端に市長が不在になるのは、相模原にとって良いことではない。
状況がはっきりとわかるのは、恐らく合併(3/11)前後だろう。個人の思惑をこえて、民主党として、一致結束して責任ある対応をしなくてはなるまい。
どちらにしろ、今しばらく時間が必要だろう。
県議選の顔ぶれが大方出そろった。前回以上の候補者数だ。その理由は民主党が大量の新人を擁立したこと。私もその一人だ。
一方他の政党は候補者を絞る傾向がある。共産党もそうだ。そしてこのことが“無投票”選挙区を生んでしまう。
今回はいくつかの選挙区で“無投票”になるらしい。中区・緑区・泉区・多摩区・中原区・小田原市・高座郡・足柄下郡などだ。県政にとって、民主政治にとって良いことではない。
その理由だが、定数2の選挙区では普通民主党・自民党が議席を得る。公明党は厳しいので擁立しない。すると負け覚悟で共産党が出すかにかかってしまう。
オール与党対共産党に慣れてしまった地方議会の構図が、このような問題点を創りだしてしまった。今後改善が必要だろう。
そもそも同じ県議会の定数が、選挙区によってまちまちなのも問題だ。選挙区の定数1(多くある)と9では、その地域における民意の集約度合いが違う。
二大政党化しつつあることを考えると、県内統一で定数4〜5くらいであわせるべきだろう。多くの都道府県議会で、何故こういう話しにならないのか不思議だ。
初めて兆候を感じたのは、市議時代に気仙沼に仕事で行ったときだ。一緒に行った同僚から「それは花粉症だ!」と言われた。
それから数年、今でもそれほど深刻な症状ではない。しかし時期が問題だ。また大切な“朝”と“夕”に発症することも困る。
これから1ヶ月、更にパワーアップして活動を行うために、ついに注射することを決意した。
どの種類でも強めの薬だから、何度も打つことはできない。一度の注射で効果を出さねば・・・。そう考えて友人などに相談した。
結果千葉県内の病院に行くことにした。かなり遠い。昨晩都内で用事があったので、1泊してそのまま千葉に向かった。
待ち時間20分、治療(問診と注射)5分、しかし往復時間5時間。これだけの労力を使った以上、効果が出ることを期待する。
今午後10時前、この時点でもかなりいい感じ。明日の朝が勝負だろう。期待しながら眠りにつこう。
226の日だ。文民統制を破壊することは許し難いが、時代背景も鑑みてか、決起した青年将校に悪い印象を持つ人は少ない。私もそうだ。
しかしその背後にいた、軍官僚と政治家の一部は、その後も日本を戦争に向けて指導した。そして内何人かは、敗戦の責任をとることもなかった。
更にひどいのは、戦後政財界で一定の地位を確保した人までいた。日本は日本である以上、昭和20年で根本がかわる訳ではないが、総括すべきは総括する必要があったことを感じる。
偶然にも今日、GHQの文書が新たに公開された。戦後に軍の一部が、吉田首相を暗殺し、クーデターを企てていたとのこと。
それを内部にいて制止した辻政信氏は、その後国会議員になり、ビルマで消息を絶った。上のGHQ文書によると、中国に入り結果処刑されたという未確認情報があるそうだ。
これからも時代が進むに連れ、歴史の真実が徐々に明らかになっていくのだろう。しかし人間には感情もあり、より深い思念もある。そのことは永遠の謎でしかない。
過去に思いを馳せることもあるが、それは未来への糧であると思う。歴史の持つ重みを忘れずに、政治家として修練を積んでいきたい。
| 2007年02月25日(日) |
真の問題発言、文科相 |
閣僚などの発言が多く話題になった。本当に問題だったものもあれば、そうでなく党利党略に利用されたものも。だからこの日記でも、特に論評はしてこなかった。
しかし今日の発言は違う。許し難い。文科相だ。この種の考え方に基づく人が、国内で教育を担当しかつ世界に出ていくことが、同じ日本人として恥ずかしい。
以下ネットニュースの記事から引用する。
伊吹文部科学相は25日、長崎県長与町で開かれた自民党長与支部大会で、「大和民族が日本の国を統治してきたことは歴史的に間違いない事実。極めて同質的な国」と発言した。「教育再生の現状と展望」と題して約600人を前に講演し、昨年12月に改正された教育基本法に触れて「悠久の歴史の中で、日本は日本人がずっと治めてきた」とも語った。
同法の前文に「公共の精神を尊び」という文言が加わったことについては、「日本がこれまで個人の立場を重視しすぎたため」と説明。人権をバターに例えて「栄養がある大切な食べ物だが、食べ過ぎれば日本社会は『人権メタボリック症候群』になる」と述べた。
前段の文章。まず事実認識が違う。大臣の言う“大和民族"とは何か。初期の大和朝廷を形成していたメンバーでも、部族や出身は様々だったしその中には朝鮮半島出身者もいた。
“大和民族"以外とは、アイヌのことを言っているのだろうか。そもそも民族という言葉の定義も違うと思うし、“大和民族"とは何であるかを明確にしないまま、安易にその言葉を使うべきではない。
後段の文章。言わんとしていることはわかる。最近流に言えば、「個」と「公」の関係についてだろう。今の日本が大臣の言うように、本当に「個」を大切にしているかは別にして、人権問題とは「個」よりも「公」の問題と認識すべきだ。
特に国家や政治においては、公共を維持する上でこそ人権意識が重要なのであって、それを「個」の問題に分類すること自体、社会全体の見方を大臣は間違っている。
先般の厚生労働大臣の発言も確かに問題だ。しかし日本は男性より女性が多いのだから、結果大きなしっぺ返しを受けることで罰になるだろう。
しかし今回の発言は、大臣の定義によると、多数から少数に向けられたもの。それで傷つく人がいても、アピールすることが困難だ。だからこそ問題なのだ。
日本の歴史を語るならば、“単一”であったことを誇るのではなく、様々な民族が共に国を創ったことを誇ってほしい。それが歴史の真実なのだから。
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