てらさき雄介の日記
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| 2007年03月01日(木) |
相模原市長に関わること |
相模原市長が再び職務代理を任命した。数日前の話だ。2度目ということもあって、色々な噂が飛び交っている。
どれが真実かはわからないが、政令市に向けてスタートきった途端に市長が不在になるのは、相模原にとって良いことではない。
状況がはっきりとわかるのは、恐らく合併(3/11)前後だろう。個人の思惑をこえて、民主党として、一致結束して責任ある対応をしなくてはなるまい。
どちらにしろ、今しばらく時間が必要だろう。
県議選の顔ぶれが大方出そろった。前回以上の候補者数だ。その理由は民主党が大量の新人を擁立したこと。私もその一人だ。
一方他の政党は候補者を絞る傾向がある。共産党もそうだ。そしてこのことが“無投票”選挙区を生んでしまう。
今回はいくつかの選挙区で“無投票”になるらしい。中区・緑区・泉区・多摩区・中原区・小田原市・高座郡・足柄下郡などだ。県政にとって、民主政治にとって良いことではない。
その理由だが、定数2の選挙区では普通民主党・自民党が議席を得る。公明党は厳しいので擁立しない。すると負け覚悟で共産党が出すかにかかってしまう。
オール与党対共産党に慣れてしまった地方議会の構図が、このような問題点を創りだしてしまった。今後改善が必要だろう。
そもそも同じ県議会の定数が、選挙区によってまちまちなのも問題だ。選挙区の定数1(多くある)と9では、その地域における民意の集約度合いが違う。
二大政党化しつつあることを考えると、県内統一で定数4〜5くらいであわせるべきだろう。多くの都道府県議会で、何故こういう話しにならないのか不思議だ。
初めて兆候を感じたのは、市議時代に気仙沼に仕事で行ったときだ。一緒に行った同僚から「それは花粉症だ!」と言われた。
それから数年、今でもそれほど深刻な症状ではない。しかし時期が問題だ。また大切な“朝”と“夕”に発症することも困る。
これから1ヶ月、更にパワーアップして活動を行うために、ついに注射することを決意した。
どの種類でも強めの薬だから、何度も打つことはできない。一度の注射で効果を出さねば・・・。そう考えて友人などに相談した。
結果千葉県内の病院に行くことにした。かなり遠い。昨晩都内で用事があったので、1泊してそのまま千葉に向かった。
待ち時間20分、治療(問診と注射)5分、しかし往復時間5時間。これだけの労力を使った以上、効果が出ることを期待する。
今午後10時前、この時点でもかなりいい感じ。明日の朝が勝負だろう。期待しながら眠りにつこう。
226の日だ。文民統制を破壊することは許し難いが、時代背景も鑑みてか、決起した青年将校に悪い印象を持つ人は少ない。私もそうだ。
しかしその背後にいた、軍官僚と政治家の一部は、その後も日本を戦争に向けて指導した。そして内何人かは、敗戦の責任をとることもなかった。
更にひどいのは、戦後政財界で一定の地位を確保した人までいた。日本は日本である以上、昭和20年で根本がかわる訳ではないが、総括すべきは総括する必要があったことを感じる。
偶然にも今日、GHQの文書が新たに公開された。戦後に軍の一部が、吉田首相を暗殺し、クーデターを企てていたとのこと。
それを内部にいて制止した辻政信氏は、その後国会議員になり、ビルマで消息を絶った。上のGHQ文書によると、中国に入り結果処刑されたという未確認情報があるそうだ。
これからも時代が進むに連れ、歴史の真実が徐々に明らかになっていくのだろう。しかし人間には感情もあり、より深い思念もある。そのことは永遠の謎でしかない。
過去に思いを馳せることもあるが、それは未来への糧であると思う。歴史の持つ重みを忘れずに、政治家として修練を積んでいきたい。
| 2007年02月25日(日) |
真の問題発言、文科相 |
閣僚などの発言が多く話題になった。本当に問題だったものもあれば、そうでなく党利党略に利用されたものも。だからこの日記でも、特に論評はしてこなかった。
しかし今日の発言は違う。許し難い。文科相だ。この種の考え方に基づく人が、国内で教育を担当しかつ世界に出ていくことが、同じ日本人として恥ずかしい。
以下ネットニュースの記事から引用する。
伊吹文部科学相は25日、長崎県長与町で開かれた自民党長与支部大会で、「大和民族が日本の国を統治してきたことは歴史的に間違いない事実。極めて同質的な国」と発言した。「教育再生の現状と展望」と題して約600人を前に講演し、昨年12月に改正された教育基本法に触れて「悠久の歴史の中で、日本は日本人がずっと治めてきた」とも語った。
同法の前文に「公共の精神を尊び」という文言が加わったことについては、「日本がこれまで個人の立場を重視しすぎたため」と説明。人権をバターに例えて「栄養がある大切な食べ物だが、食べ過ぎれば日本社会は『人権メタボリック症候群』になる」と述べた。
前段の文章。まず事実認識が違う。大臣の言う“大和民族"とは何か。初期の大和朝廷を形成していたメンバーでも、部族や出身は様々だったしその中には朝鮮半島出身者もいた。
“大和民族"以外とは、アイヌのことを言っているのだろうか。そもそも民族という言葉の定義も違うと思うし、“大和民族"とは何であるかを明確にしないまま、安易にその言葉を使うべきではない。
後段の文章。言わんとしていることはわかる。最近流に言えば、「個」と「公」の関係についてだろう。今の日本が大臣の言うように、本当に「個」を大切にしているかは別にして、人権問題とは「個」よりも「公」の問題と認識すべきだ。
特に国家や政治においては、公共を維持する上でこそ人権意識が重要なのであって、それを「個」の問題に分類すること自体、社会全体の見方を大臣は間違っている。
先般の厚生労働大臣の発言も確かに問題だ。しかし日本は男性より女性が多いのだから、結果大きなしっぺ返しを受けることで罰になるだろう。
しかし今回の発言は、大臣の定義によると、多数から少数に向けられたもの。それで傷つく人がいても、アピールすることが困難だ。だからこそ問題なのだ。
日本の歴史を語るならば、“単一”であったことを誇るのではなく、様々な民族が共に国を創ったことを誇ってほしい。それが歴史の真実なのだから。
次期県知事選挙では松沢成文氏を応援する。今更だが改めて表明する。しかし知事“与党"になる気はない。知事もそんなことは期待してないだろう。
前回県議選で行った個人演説会に、当時同じく候補者あった松沢氏が応援に来てくれた。「寺崎さんと県議会で厳しい議論を展開したい。」と言ってくれた。
県議になったら・・・。4年間頭に描いていたイメージは、県議会本会議場で知事と議論している姿だ。
松沢氏ほどの能力をもってしても、困難な課題が多く残ってしまった。県という存在自体が求心力を失っているからだろう。
だからこそ知事にいい仕事をしてもらうためには、議会からの厳しい監視が必要だ。これは有権者の監視が厳しいほど、議員がいい仕事が出来ることに似ている。
真の同志として、真剣に県政改革に取り組んでいきたい。
| 2007年02月22日(木) |
費用弁償の変更について |
市議会議員のとき、公式な会議についてはバス代が至急された。上溝から市役所前まで往復で360円だった。
県議会の費用弁償が、異常に高かったことは知っていた。しかしそれが1万4千円という高額であることは最近知った。
議会特権に世の注目が集まっているなか、全国的に見直しの議論をしているが、神奈川県議会は先駆けて交通費のみの実費至急に切りかえた。評価できる。
さて議員が仕事をする経費は、内容によって新たに認めるべきものもある。既存の政務調査費という制度も、公設秘書制度を含めた新たな枠組みが必要だ。
政務調査費という制度も改革が必要かもしれない。領収書添付云々も大切だが、中身の議論もしていかねば。公設秘書制度の導入なども含め、今一度根本から考え直すべき課題はある。
県議会のなかに、それらの検討委員会がつくられている。党利党略でない議論を期待する。
県外をまわった。目的は相模原在住者を紹介してもらうこと。結果大きな成果があった。
数軒まわったが、これは元々母の縁だ。私が生まれる前につとめていた会社の関係だ。
母→母の知人→そのまた知人→今日まわった皆様
という順番だから、本当に多くの方にお世話になっている。ゆえに結果に結びつける責任がある。
小沢党首が事務所費を公開した。秘書の宿舎建設について疑惑を持たれていた件だ。客観的に見ても問題はなかった。慎重な性格ゆえか、個人の権利放棄書類まで作成していた。
もともと事務所費の詳細を記載しなくていいことは、事務所経費だから些少の金額だという仮定による。それを悪用して、支出を事務所費に多く繰り入れていることが議員・候補者の貧困な発送を示している。
これら政治資金に関する問題は、すべてを領収書つきで公開することで大方解決できる。極端な言い方をすれば、使い道などは自由でも構わないのだ。結果主権者が判断できるようにすればいい。
「政治倫理」という言葉が最近語られなくなった。倫理からもっとも遠いのが政治の世界だろうし、かくいう私もその言葉に相応しいという自信はない。
しかし政治と金の問題が、政治不信の根本にあることも事実。特に子どもたちからは、政治家は金まみれに見えるようだ。
一切のグレーゾーンをつくらず、1円から公開する制度をつくっていくべきだ。
TVタックルで‘地方政治’がテーマになっていた。珍しいことだ。
結果意見の対立が少なく、盛り上がりとしてはイマイチだったのだろうが、中身はいつもより濃かったと思う。
財政破綻について、北海道夕張市が取り上げられていた。地方にも当然経営責任があるが、それを結果的に誘導した政府にも大きな責任がある。
鳥取県知事も出演していた。彼は知事になったとき、政府の言っていることは怪しいと感じたそうだ。
結果政府の指導に基づく公共事業は、率先しては行わなかったとのこと。中央省庁出身であることがプラスに転じたのだ。
私たちの政府を疑うことは、何とも情けない話だ。しかし自立都市を目指すとは、そういうことかもしれない。
神奈川県も、前任の岡崎知事が就任した時期は、財政再建団体になるかどうかの瀬戸際だった。人ごとではない。ツケは次の世代の県民にまわってしまう。
行政をしっかりチェックをする議会、そしてその議会をチェックする県民、ともに頑張っていかねばなるまい。
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