てらさき雄介の日記
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2007年02月03日(土) 厚木市長選、逮捕は残念

先日行われた厚木市長選挙に関連して逮捕者が出た。当選した陣営の「選対総本部長」が供応したというのだ。

(*供応・・・飲食物などを提供することによって選挙の依頼をすること。会費制の会合は問題ないが、会費以上の飲食物を提供することは禁止されている。)

現職に大差をつけての当選。一般的には首長選挙は現職が強いが、市民の各層に多くの不満が鬱積していたのだろう。日頃付き合いのある厚木市内の方々からも、「これで何かが変わる」という期待の声を聞いた。

それだけに残念だ。犯罪の内容はこうだ。昨年12月に市内の温泉旅館で行った宴会で、集めた会費以上の飲食物を提供し、かつ選挙の投票以来を行ったというもの。まさに供応である。各種選挙違反のなかでも重罪の方だ。

無料で飲食を提供すれば当然に違反だが、“ある程度の会費をとればいい”という認識が甘かったのだろう。千円会費なら千円分、三千円会費なら三千円分と、かなり厳しい精査が今後は求められる。

この件に、候補者がどれだけ関与していたかは知らない。しかし同席している以上、一定の責任は免れない。連座制を待つまでもなく、責任の所在を明らかにすべきだ。

そうすると再選挙になる。大差で敗れた現職が、再び立候補するもの変な話だし、一方短期のなかで新たな人材を発掘するのも難しかろう。どちらにしろ不幸は市民だ。

これから選挙を行うものとして、一層気を引き締めていこう。今回の件は、統一地方選にむけた警告の意味合いもあるのだろうから。


2007年02月02日(金) 藤野台団地

藤野台団地に行った。国道20号を走り藤野駅を過ぎ、一度山梨に入らないと行くことができない。飛び地ではないが、隔離されている感じだ。

世帯数は約130。それでも消防団の詰め所があった。ここから他の地域に行くのは遠いので、選挙の投票所なども近くに設置されているはず。

街宣とビラの投げ込みを行った。途中通りすがりの方数人と話をしたが、候補者がこの地域にやって来ることは珍しいそうだ。

街づくりをする際、中心部は人と物が集まりやすい。一方周辺部は、どうしても対策が後手にまわる。旧相模原地域のみを見ても、その傾向は多分にあった。

津久井地域のなかで、合併に慎重だった方々は、大きな相模原市の“周辺”になってしまうことに不安を感じていた。もっともなことだろう。

それを杞憂に終わらせるために、新相模原市は隅々まで配慮した行政を行う必要がある。


2007年02月01日(木) 審議拒否は好きでない

審議拒否が許される場合がある。それは再び議場に来ない覚悟で、議会の外から有権者に訴えなければならない場合だ。まさに最後の手段。

しかし今回を含む通常の審議拒否は違う。条件を付けて、それが満たされれば戻る。軽い・・・と思う。審議拒否とは、議会以外に活路を求めることなのだから、もっと重いものであるはずだ。

議員とは議会が仕事場だ。プロの議員であるならば、議会の審議を通じて明らかにすべきだ。その場は多くあるはずだ。

柳沢大臣の許されざる発言についても、委員会で大臣に質問して答弁を要求することも出来る。なぜあの種の発言になったのか、安倍総理の考えも含めて、議会で明らかにして欲しいと思う。

少数野党であるから、数で押し切られればひとたまりもない。審議拒否は苦肉の策だったのだろう、しかしそれでも限界まで堪えるべきだ。

さて審議拒否で空転。それでも週末の土日は国会は休みだ。不思議なものだ。テレビで国会を見ていて腹立たしい。

「他にすることがあるはずだ!」


2007年01月31日(水) 父の仕事、支援

自動車総連神奈川地方協議会の賀詞交換会に参加した。今日の会議で正式にご推薦を頂き、懇親会のなかで挨拶する機会もいただいた。

思えばここに至る過程には、父の尽力があった。父は昭和18年生まれで、今も健在で上溝に住んでいる。勤めが高卒から定年まで、ずっと日産自動車だった。

仕事のことは、家でまったく話さなかった。それでも幼少の頃、職場のお祭りに何度か連れて行ってもらった。

市議時代は、企業や労組と全くお付き合いがなかった。前回県議選に出るときに、労組の集合体である『連合』に初めて推薦依頼をした。

しかし知り合いもいなかったので、なかなかうまくアプローチ出来なかった。その時、キッカケをつくってくれたのが父だった。もうすぐ定年を控えていたが、日産関係の方を紹介してくれた。

サラリーマンの父を持ったことを、誇りに思ってはいたが、具体的に選挙にプラスになるとは想像もしていなかった。だからこそ嬉しかった。父が長年築いた人間関係を使わせてもらうことが申し訳ないとも思った。

県議選に向けて、多くの労組からご推薦を頂いた。前回敗れたにも関わらず、再び支援を頂けることに感謝している。

そしてその端緒であった父に報いるためにも、必ずや勝利しなければならない。


2007年01月30日(火) 外からの候補者

夕方橋本駅に行ったら、他の方(市議候補らしい)が先に立っていた。早いもの勝ちが原則なので、反対口に移動し演説とビラ配布を行った。

次期統一地方選挙に出る方は、だいたい把握しているつもりだが、この方はよく知らない。噂では都内の方で活動されていたらしい。

どんな事情であれ、相模原市に住んで下さることは嬉しい。ましてや選挙に出ようと思って下さるのも大歓迎だ。つまらない新旧のくくりは好きではない。

私も、相模原市生まれ育っているにも関わらず、両親が外から来たことを以て‘よそ者'呼ばわりされることもある。だからこそ「3日住めば相模原人」の精神を、より大切にしていきたい。

しかし一考も必要だ。先般の宮崎でそのまんま東氏が当選した背景には、他の候補者が中央からの落下傘であったこともある。宮崎県民は地元出身の東に親近感を持ったのだろう。

国政は別だ。しかし地方選挙に出る以上は、その街に骨を埋める覚悟をして欲しい。何日住んでいるかの問題ではない。その後と覚悟が大切なのだ。「選挙がダメだったら、また他の街に移る。」では困るのだ。


2007年01月29日(月) 副総支部長に就任

民主党神奈川県第14区総支部の大会が行われた。藤井先生引退後は紆余曲折があったが、本日の再結成に漕ぎ着けた。

現在衆議院候補者が不在のため、総支部長に浅尾慶一郎参議院議員を迎えた。あくまで仮の総支部長だ。その体制のなかで、副総支部長をつとめることになった。政策調査委員会委員長も兼任する。

浪人中であり、かつ2ヶ月後に選挙を控えているため、事前に話しがあったときは辞退しようと思った。しかし総支部の厳しい現状と、選挙という意味では皆状況が同じであることを鑑み、結果引き受けることにした。

最初の仕事は、当然に私自らが選挙に勝つことである。それなくしてその後はないし、結果が党総支部に与える影響も一層大きくなった。頑張っていこう。

さて先般行われた党の全国大会で、多くの地方代表から色々な意見が出たようだ。地域事情を考慮せずに国政選挙の候補者決めたり、その後の運営をしてしまうことに不満が出たのだ。

政権党にふさわしくなるには、国会議員中心の政党から脱皮しなければならない。地方議員や党員、そして主権者の多くを巻き込ん政党に変えていきたい。


2007年01月28日(日) 安倍内閣の支持率

県議会議員選挙は地方選挙だ。政党に吹く‘風'の影響はそれほど大きくない。良い意味でも悪い意味でも。

また前回県議選のときは、民主党の支持率わずか7〜8%。それに比べれば現在の数字はかなり大きい。

従って安倍内閣の支持率も、自分の選挙という意味ではほとんど気にしていない。自民党の支持率も、民主党の支持率もだ。

しかしどうか。政権発足時は不思議な高支持率を出したのに、わずか3ヶ月でこの有様になっている。どういうことだろう。

小泉内閣の高支持率に根拠があったとは思えないが、それにしても格段の差だ。安倍氏のどこかいけないのだろう。

総理大臣は、当然に日本国の総理だ。私にとっても総理である。その中身さえ伴っていれば、支持率は低いより高い方がいいに決まっている。

スキャンダルや政策の結果など多くの問題はあるが、テレビを通じて受ける印象からすれば、リーダーシップ不足が一番の原因だ。

いやそれは総理にのみ責任があるわけではない。、一番の実力者でもない人を代表者(総理・自民党総裁という意味)にしたことが間違いなのだ。これはどんな組織も一緒だろう。

民主党も同じ意味で、過去いくつかの間違いをしてきた。小沢一郎代表は色々癖もあるが、党一番の実力者であることは明確な事実。だからまとまれるのだ。

今後についても、特に内閣支持率を意識はしないだろう。しかし間接的にしろ、主権者によって選ばれた内閣の支持率が低いことは、とても不幸なことだと思う。


2007年01月27日(土) 消防団新入団員

消防団に新入団員が来る。数年ぶりのことだ。今日団と後援会の新年会があった。他会合があったので遅れていくと、そんな話を皆んなでしていた。嬉しいことだ。

その方は自治会の役員をされていて、聞いたところでは私と同じ年。ありがたいことだ。途中直接話をすると、「入っても仕事がなかなか抜けられない」と言う。元々団員は働き盛りの年代、仕事優先は当然のことだ。

田名や新磯など、比較的新入団員が多かった地域でも、最近は少しずつ勧誘が難しくなっている。既存の自治会のみならず、市が直接広報する必要がある。また人がいないなか矛盾するようだが、15年くらいを限界にした‘定年'制も採用すべきだ。

改善するところは多数ある。消防団内に、そのあり方を検討する会議が設置されていて、各分団から代表者が行っている。今後に期待したい。


2007年01月26日(金) 10年前の今日

今日は1月26日だ。丁度10年前の今日、初めて相模原市議会に議席を頂いた。今でも一部では‘若手'と呼ばれているが、最早そうではあるまい。

その日、開票は夜だった。今の事務所と同じ建物。向かいの部屋だった。大方の予想では、何とか当選と言われていたが、それでも不安は大きかった。

しかし何もなくての挑戦だったので、ダメでも次の市議選にチェレンジする気は満々だった。むしろ同日の相模原市長選挙の結果が不安だった。

市議に出るキッカケを作って下さった、現市議の長友義樹さんが立候補していたのだ。苦戦が伝えられていたが、勝利を信じて開票を待っていた。

結果私は当選し、長友さんは残念な結果となった。以後ずっと今の市政に対して野党的になっていたのは、政治家としての考え方もあるが、この時の無念の思いが強くあった。

「私たちの思いが通じる市長をつくりたい。」現状非力なためそこには至っていないが、いつか必ずと意は決している。(私が立候補するという意味ではない。念のため。)

10年間活動を続けて来られたことに感謝している。本当に多くのご支援を頂いてきた。この節目を通過点として、過去の経験を活かした政治を実行していきたい。


2007年01月25日(木) 地域連合新年会に参加

相模原・津久井地域連合の新春のつどいにお招き頂いた。県議選にあたって、同じく民主党公認の本村・長友候補とともに‘支持’決定を頂いている。

それぞれの産別・単組は、ご支援頂いている組織も、頂いていない組織もあるが、食事をしながら皆様と有意義な意見交換が出来た。

連合神奈川からご来賓で来ていた役員さんが、今日17時から橋本駅頭でやっていた街頭演説を見て下さっていた。他の参加者からも、別日でやっていた街頭の話を聞く。嬉しいことだ。

また地元の消防団の先輩が、今会社の組合役員をやられていて、会場でお会いすることが出来た。私たちの世代が、色々な分野で大きな責任を負うようになっている。一層頑張らねば。

さて市内では色々な会合があるが、いわゆるサラリーマンの集いはそう多くはない。相模原の人口では、最も多い層なのに結果そうなっている。私もサラリーマンの家庭で生まれ育った。

今後も機会を大切にして、意見交換をしていきたい。そして議会活動を通じてこそご恩返し(政策実現)をするしかないのだから、選挙戦を精一杯頑張っていきたい。


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