てらさき雄介の日記
DiaryINDEX|past|will
| 2006年03月08日(水) |
地方自治を考える議員連盟 |
神奈川県議会で「道州制」や「地方分権」など、地方自治の根幹を考える超党派の議員連盟が出来るそうだ。非常に良いことと思う。
県政に参画した暁には当然に参加したい。基礎自治体(市町村)が力を増す中でも、国は地方自治の担い手は都道府県と認識している。
これは逆手に捉えてチャンスである。地方自治の議論を国会でしている矛盾を変えて、地方自治体自らがあるべき姿を考えるために、都道府県議会が出来ることが多いということだ。
この件での県議会議長のコメントでも、財政論からのみ出た国の地方分権議論に疑問を呈している。
昨今の基地問題や民主党本部の不祥事などなど、本当に国・国会議員には腹の立つことが多い。しかし怒っているだけでは評論家だ。
今回の県議会の動きを嬉しく思い、その議論の中身が国を左右するくらいになることを望む。
岩上容子相模原市議会議員が辞職した。所属は共産党で同党には珍しく20代の若い議員だ。
かつてラジオ番組に出ていた頃、“新人議員に聞く”のようなコーナーを偉そうにやった時、出演して頂いたことがある。
非常に気さくで共産党らしくない(深い意味はありません)雰囲気だった。市議会では若手として、ガンガンやってくれるものと期待をしていた。
その後市役所廊下ですれ違ったことがある。大分痩せられていて、「市議会は合わないですかね?」と冗談を言った記憶がある。
その頃から議会には出てこなくなり、2年余りが過ぎてついに辞職となった。想像の域を出ないが、私が言った冗談は的を得ていたと思う。政党か議会か、あるいは政治そのものが合わなかったのだろう。
出来るなら立候補する前に気付いて欲しかった。本人が無理ならば周りがである。共産党のようなしっかりした政党の割りには初歩的なミスだ。
2年間も欠勤していたのに急遽辞職したことについて、市長の病気療養とあわせて色々言う人もいる。その間の税金からの報酬支出は確かに無視出来ないことだ。
しかしそれでも岩上容子さんには、引き続き相模原で頑張って欲しいと思う。若手議員が一人いなくなったことが、党派を超えて悔やまれてしまう。
橋本日金工跡地に市立美術館を建設する案が急浮上した。市議会の皆さんも寝耳に水ということで、市行政の真意を図りかねている。
市立美術館と言えば京都だが、ここは日本有数の美術館で出展希望者が目白押し。市役所にはそれを断る係りもいるとのこと。
市役所が運営して上手くいかせるには、役所内に美術に堪能な職員がいることと、芸術に対するしっかりした見識を持ち合わせていなくてはならない。
さて相模原市にそれがあるか。現段階ではないと言わざるを得ない。かく言う私もこの分野には疎いし、過去市議会や行政の会議で芸術論を聞いたことがない。
この状態で建設すれば、それは最初から外部アドバイザーに頼らざるを得ず、公営でありながら公の考えが反映されないことになる。
そして公共施設は、しっかり市民に使われるかがポイントだ。その意味で評価に耐えうる施設はただでさえ少ないのに・・。本当に大丈夫かと思う。
聞くところによると、数千点の絵画が併せて市に寄贈される内約があり、その作品も良いものだそうだ。土地も日金工からの無償提供というのも悪くはない。
しかし原点に返って検証する必要がある。公営で美術館を建設する必要があるのか。市役所の運営でそれが上手くいくのか。
私はNo.だと思う。現在の相模原市内には中小の民間美術館も既に存在している。オーナーが個人で四苦八苦し、市内の芸術発展に寄与している。
過去それらに対して市行政が何かをしてきただろうか。手を差し伸べただろうか。新規施設を建設する前にすべきことがある。
| 2006年03月05日(日) |
レイテ島災害募金活動 |
レイテ島で大規模な地すべりがあった。その募金活動をJC(青年会議所)で行なった。仕事のため遅れて、約1時間のみ参加した。
相模大野駅デッキ上は、相変わらず多種多彩な皆さんがいるが、その中でも目立っていたと思う。中年の男性がこの種の活動をやっている姿はなかなかない。
募金や献血などの活動はやっていて気分がいい。明らかに誰かの役に立っているからだ。恐らくどんな仕事をしている方でも、それが社会に貢献しているのか悩まれるときがあると思う。
意外と思われるかもしれないが政治家もそうだ。政治家も公務員も世の中の役に立つのが前提の仕事だが、実際やっていると果たして?と自問自答することが多い。
今日の募金などは明らかに善意だという活動なので、気恥ずかしさも覚えることもあるが、その感覚は誤りでどんどん慣れていきたいと思う。
さてフィリピンでは先日まで非常事態宣言が出されていた。クーデターの恐れありと大統領は言っていたが、富裕層の代表である現政府に対する不満は地方部で特に根強いと聞く。
マルコスのフィリピンでの評価は知らない。しかし彼を打倒したのは民意とともにアメリカであった。現フィリピン政府も外国に踊らされることなく、自国の福祉向上にもっと頑張ってもらいたいと思う。
日本はご近所ということもあり経済関係が深い。日本でもフィリピンの人を見かけるし、フィリピンでも普通に日本人を見る。嬉しいことだ。
今後も両国が多くの分野で協力していくことを望む。
メール問題で辞任した野田国対委員長に代わって、ベテランの渡部恒三さんが後任になった。73歳というから民主党では最高齢の議員だろう。
この人は与野党ともに評価が高い。それは人柄だけでなく経験が物をいっている。かつて竹下7奉行と言われた面々も、ほとんどが鬼籍に入るか既に政界を引退している。
その中でかろうじて現役だったのは小沢・羽田・渡部のみで、全員偶然にもこちら側(非自民側)にいる。しかしこの皆さんも既に峠は越え、いわゆる顧問格の扱いであった。少なくとも昨日までは。
渡部氏を現役に引き戻し国会の最前線に戻したのは、党本部がそこまでの窮地だったということだろう。私は野田氏がダメなら他の若手を、それでもダメなら他の若手をと考えていたが、昨今の未熟な民主党に対する世論の批判も謙虚に受け止めなくてはなるまい。
このベテランに期待するしかない。しかしながら自民党の国対委員長を経験したことをもって、政府内からも歓迎されている趣があるが、当時と同じことをする必要はない。あくまで民主党らしい国会対策をすべきだ。
最後だが私は渡部恒三さんが大好きだ。よくも今までこちら側で踏ん張ってくれた。感謝している。前々回は無所属だったのに、前回はあえて党のために公認候補になってくれた。
秋の代表選挙には小沢一郎代議士の名前も取りざたされている。些か昔の名前で出ているきらいはあるが、その機会に最後のメッセージを後進に残してもらえるとありがたい。
昨今だから若手はダメだと言われているのが悔しい。前原氏も任期は残り僅かなのだから再選など意識しないで、思い切ってガンガンと行動してもらいたい。
現在ヒット中の「県庁の星」を橋本ムービックスで見た。夜半の会だったので客も少数だ。それでも3名の友人・知人に出会ったのは嬉しいことだ。
さてこの映画は、映画と小説と漫画とを一緒に宣伝する商方が採られた。漫画は見たことがあるが、基本的にコメディーでかなり笑える。しかし映画は感動系だった。
正直作品としてはそれほどではないが、今後神奈川県庁を相手に仕事をすることを志願している私としては、とても興味深い内容だった。
公務員の特徴をよく捉えていると思った。一方これほどエリート意識の高い人間が県庁にいるならば、そういう人と対峙することも楽しみと思った。
中には動機が出世欲か権力欲という場合もあるだろうが、それでも仕事に気合が入っていることは嬉しいことだ。過去に霞ヶ関の官僚達に会ったときに感じた、あの迫力を神奈川県庁でも見てみたい。
相模原市議会時代に悲しかったことは、市職員が慇懃無礼をすることだ。丁寧に出来ないということを表現する。私は議論がしたいわけだから、出来ないなら出来ないとはっきり言えばいい。
この映画のなかでも、見ていた私を含む大方の期待を裏切って「前向きに検討します」という知事の発言が最後に出てくる。
どの職場でも独特の雰囲気はあるものであって、役所だけが変わっているわけではない。また税金で食っている公務員としての自覚がある方にも、多く出会ったことがある。
主権者たる皆様には、厳しい指摘は常に頂きながらも、必死に行政改革に取り組んでいる職員たちへの暖かい眼差しも是非お願いしたい。
| 2006年03月02日(木) |
津久井町議会最後の日 |
津久井町議会が50年の歴史に幕を閉じた。5人の議員から質疑を受けたことに、町長は一括して涙ぐみながら1時間の演説をされた。思想や信条の違いを超えて、歴史とは心に感じ入る何を訴えてくるものだ。
津久井町は尊敬する尾崎行雄の出身地で、他ならぬ天野現町長もその親類だ。伝統を大切にする慣習と、新しく革新していく風潮とを併せ持っている津久井が私もとても大好きだ。その津久井と合併できることを相模原市民として誇りに思う。
そして繰り返して言っていることだが、吸収される側の気持ちを十二分に考える今後の相模原市政であって欲しい。お荷物扱いは論外として、新総合計画の策定にも最大限の敬意をもって取扱いをすべきだ。
神奈川県行政においても、県内唯一の合併であることから、支援体制が組まれている。現在言っているような「合併によってサービスが低下しないように」は当たり前の話として、それによって「サービスが向上する」ようにしっかりと監督する責任がある。
母校の卒業式で校友会(卒業生の会)会長として挨拶に立った。以下その内容である。
「在学中何をしていたかは多く記憶があるが、その時々に何を考えていたかは忘れてしまったことが多い。その中でも幾つか今でも印象に残っていることがある。
一つは通学だ。相模原市の上溝からスクールバスの出る西八王子まで4、50分。バスに乗ってから更に4、50分。地元の公立ならばもっと時間が有効に使えたのではと思っていた。
次はバスケット部に所属していたことだ。友人では上手なメンバーもいたが、自分自身はそれほど上達はしなかった。時々辞めようかとも思ったが、友人もいるし、ここまで頑張ったのだからと思い、最後まで活動をした。
更には試験勉強だ。試験前に夜中まで集中的に勉強する。もう少し早くからやっていればと情けない思いもした。
最後がこの卒業式のことだ。もうこの学校に来ないのかと思うと感慨もあったが、寂しさや悲しさはなかった。むしろここを出た後の世界について、期待に胸を膨らませ武者震いのようなものも覚えた。
ふと見渡すと卒業する皆さんよりも親御さんに年が近くなっている。私は第4期の卒業生、皆さんが第20期の卒業生だから、大学生活を入れると16年間社会のなかで生きてきた。たったこれだけで言うのも恐縮だが、率直な感想を言えば、社会で生きていくことはとても面白いし充実している。子どもの頃、高校生の頃想像をしていたよりも何倍も面白い。
何が面白いか。人生の主人公が自分自身であることは生まれながらに誰でもそうだ。しかしこれからは主役だけでなく、演出、脚本、監督、など全てを自分自身ですることができる。これほど楽しいことはない。
しかし逆に言うならば、これらは出来るのではなく、しなければならないのだ。主役を張り続ける意思と信念を失ったとき、そこから自分の人生ではなくなってしまう。残念ながらそういう人を多く見てきた。皆さんが自分の人生を歩んでいってくれることを期待している。
私は明治大学在学中に雄弁部で活動していた。その部訓というか基本方針のようなものがある。和而不同(わしてどうぜず)という漢語だ。人と仲良くすることは大切だし、そうしなければ社会は成り立っていかない。
しかしそれは人と同じくすることを意味するものではない。今も仕事場にこの文字が飾ってある。繰り返しだが卒業生の皆さんが自分自身の人生を歩んでいくことを期待している。」
| 2006年02月28日(火) |
城山の住民投票結果について |
合併すべしとの結果が出た。(結果詳細)予想を超えた大差だ。今後は早急に相模原市との具体的調整に入るのだろう。
気は早いが、1市4町の合併がこれでなった。1999年の決算議会総括質疑において、「城山町を含む近隣町村との合併を」と訴えたとき、他議員からは嘲笑が聞こえたことを考えると隔世の感がある。
途中段取りの悪さから1市4町それぞれに問題が噴出し、結果飛び地でのスタートとなったときには異論も唱えたが、総論で合併自体には賛成だった。今後は成果がしっかり現れるか注視していきたい。
合併の成果は2つに集約される。ひとつは経費節減だ。多くの役所を統合することによって無駄を省いていく。現段階で数値目標が立っていないのが残念だが、政治がリーダーシップを発揮していけば何とかなる。
そして合併協議会がつくった「将来のまちづくりビジョン」だ。1市4町の総合計画には当然反映されると信じている。公募委員として議論に参加したものとして、市長ならびに担当職員にはキツくお願いしておく。
昨日町田の選挙結果について記載をした。相模原市が政令市を目指す過程で、次に向かうべき方向は町田市だと考える。今こそ初心に立ち返り、連携策を模索していきたい。
国の動向を見る限り余り猶予はない。真の自立都市を目指しての努力が求められる。
| 2006年02月27日(月) |
町田市議選の結果について |
町田市議選挙の結果が出た。(選挙結果詳細)支援していた3人ともが当選を果たした。
新井氏は得票こそ減らしたものの、前回に続く堂々のトップ当選。友井氏、若林氏は全体の投票率が減ったにも関わらす、得票を伸ばしての再選である。
今後相模原・町田若手議員交流会を通じ、ともに頑張っていきたい。他にも20代、30代で当選した方がいるので、新メンバーの登場にも期待している。
残念だったのは市長だ。(選挙結果詳細)及ばなかった。過去革新市政が続いていたことに対する反動が出たのだろう。他にも多々要素は考えられるが、結果が出た今となっては何を言っても致し方ない。真木候補については非常に能力のある政治家だ。何らかのカタチでの再起に期待している。
今回の選挙では延べ3日半にわたり現地で支援活動をした。町田市との今後を考えての行動でもある。また候補予定者としても選挙について、何か学びたいという思いもあった。
3名の選挙戦はそれぞれ特徴的だったが、ともに勉強になる点が多々あった。自分自身の選挙で実践していきたい。
|