てらさき雄介の日記
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2006年02月06日(月) 海外視察の報告の仕方

神奈川県議会は議会(議長)の許可を経ることを条件に、年間100万円までの海外視察が認められている。

財政難から数年前まで凍結していたものが近年解除されそれ以来多くの県議が実施しているそうだ。

視察自体は否定しないし、その対象が海外になる場合もあると思う。当たり前のことだが、大切なのはその中身だ。

視察対象が調査に値するものか、そしてより重要なのは視察したことが具体的に県政に活かされているかだ。

さて議長の許可についてだ。会派単位で申請が上がってきたものを、「これは必要ない」などと中立の議長が言えるはずもない。視察の評価については最終的に主権者の判断を求めるしかない。そのためには情報公開が必要だ。

その見本になるのが、「都議会民主党」の海外調査報告だ。元々しっかりしたHPだが、このコーナーは良いと思う。

数年前に同じこのページに、ラスベガスを視察した議員の報告が載っていた。石原都知事のカジノ構想云々とも書いてあった。全て情報公開していると逆にやましさも感じない。

また公費(税金)で行くのだから、納税者に直接報告する責任もあるし、それくらい堂々と出来る視察でないといけないとも思う。

政務調査費をはじめ議員が提出する報告書は、以外に簡略化されたものが多い。政治資金収支報告書も5万円以内の支出は、その使途すら書かなくて良いことになっている。

報告書を詳細にしていくことも一考だが、今の時代直接主権者に報告していく方が手っ取り早い。神奈川県議会も出来るならば、議会として視察報告をHPに載せるべきだ。

変なツッコミと入れようという人ばかりではない。純粋にどんな調査がされているか見てみたいと思う。





2006年02月05日(日) 単騎千里と天安門事件

単騎千里を走る」を見た。前評判通り良い映画だ。高倉健あっての映画だが、同時に多くの点で中国映画でもある。中国でも多くの人が見ているとのこと。嬉しいことだ。

映画からは、人間同士の共通の愛情が伝わってくる。中国との関係が微妙な時期だからこそ、出来るだけ多くの皆さんに見て頂きたい。

さて政府同士の摩擦が、相互の人々に及ぼす悪影響は深刻だ。中国で働いている友人などからも、仕事がしにくくなったと話を聞く。

最大の貿易相手国としての経済関係も無視できないが、この映画で見るような人間同士の友好関係が、これによって損なわれていくのが悲しい。

さて政府‘同士’と書いた。今日は中国政府に対する意見を書こう。中華人民共和国の政府は中国共産党の指揮下にある。地方政府でさえも、上層部は共産党員によって占められる。

統治能力においては他国共産党と比べれば郡を抜いているが、所詮は民主主義以外の価値観によってなる政党だ。その基本姿勢も指針も、彼らの言うところの人民の意思を集約して作られたものではない。

そして天安門事件だ。私が高校3年生の時だった。当時衝撃を受けただけでなく、現在に至るまで拭い難い中国共産党に対する不信感を植え付けた。

現在改革開放路線を歩んだとしても、それは国力増強を目指したもので、そこに暮らす人々に焦点をあてたものではない。

またチベットやウイグルなどを軍事力によって統治する帝国主義的やり方は、甚だ時代錯誤であり世界平和を阻害する要因となっている。そういう意味ではアメリカとよく似ている。

さてだから日本がどうするかだ。「内政干渉」という言葉は、中国やアメリカのような大国が小国に横槍を入れることを戒めるには有効だが、すべてにおいて自国内なら何をしてもいいとはならない。

現に南アフリカのアパルトヘイトは国際社会の圧力で廃止できた。また議論は分かてれるが、現在イランの核問題が国連安保理扱いになった件も同様かもしれない。

「単騎千里を走る」に出てくる刑務所長のような愛すべき人材もいるのだろうが、多くの人権侵害が中国内でおきている実態もある。これらについては日本もしっかりと発言していくべきだ。

さて今日は中国に対することだけを書いた。政府‘同士’のもう片方は、他ならぬ日本政府だ。これについては次回以降に譲ろう。

政治に携わっている一人として、日中友好に対する責任を改めて認識した。そして日本人の一人として、政府‘同士’がどうであれ、人間同士の友好関係をつくっていくべきと思った。




2006年02月04日(土) 若林町田市議決起大会

若林章喜町田市議の総決起大会に参加した。場所は町田市忠生の農協会館だ。来賓の有村文科政務官をはじめ、地域の皆様で会場は一杯だった。

相模原・町田若手議員勉強会を数年来行なってきた友人でもあり、前回の県議選でも街宣車に乗ってもらったりもした。そのお返しもあるので、期間中もまた支援に行きたい。

現職政務官が来ていたことでもわかる通り、若林議員は今回の市議選で自民党の推薦を受けている。しかしあくまで推薦なので無所属の扱いだ。

町田市は相模原市と違い、市議選も政党選挙の色合いが強い。どの党派色もない候補者は約50名のなか2名しかいない。無所属であっても民主か自民の推薦を受けている。

さてこのことは地方自治にとって良いことなのだろうか。市政が民主・自民を始めとする国政政党の枠組みで行なわれることが、市民の利益と直結するのだろうか。

これはあくまで‘バランス'が大切と考える。国会のように与野党の対立が過ぎれば、地域独自の論点が失われるし、逆に党派職が全くなければ市民から解りにくくなってしまう。

例えば民主党でも、現在は地域にあるのはその支部だ。しかしあるべき姿としては、個々が独立した地域政党であるべきだ。例えば「神奈川民主党」とか「相模原民主党」とか、それぞれの地域の実情と課題を捉えた組織が望ましい。

現に民主党の都議会議員を見てみると、「民主党東京」をはっきりと打ち出し、都議選の際にも独自のマニフェストを主権者に提示している。

議論の結果「相模原第一民主党」と「相模原第二民主党」が出来ても不思議ではない。大枠を二大政党に集約するからこそ、多様化した民意を地域レベルで取り入れることが大切だ。




2006年02月03日(金) 地域経済新聞の記事

地域新聞の一面に党支部関連の記事が載った。次期衆議院候補者に関連してのものだ。残念ながら党にとって良い書かれ方でない。

建設的に議論しているのだが、周辺から見ると揉めているように思われる。私たちの不徳もあるのだろうが、主権者にも冷静かつ長期的な目で見て頂く必要があると感じる。

もちろん地域紙と言えど言論機関なので、表現の自由は最大限担保されなければならない。記者が関係者から取材する努力もプロ根性として理解も出来る。

ただ記事の余りにも細かい内容の描写を見ると、一般的に情報が伝わったというよりかは、どなたかが内輪の話を暴露したと思われる。残念な話だ。

恐らく少人数からしか取材をしていないのだろう。記事の内容も大筋では外れてはいないが、明らかに事実とは違っている点もある。

さてどんなテーマでも、考え方が人によって違うのは当然だ。大切なのは政治家としてそれぞれが自分に恥じない行動をしているかだ。

私自身は、表現や行動に拙稚な点があったと反省もしているが、基本的に間違ったことはしていない。そう思えることが幸せだとも思う。一度崩れたら政治家は終わりだからだ。何人もそういう人を見てきた。




2006年02月02日(木) 党県連新春のつどい

横浜で‘党県連新春のつどい’があった。会場一杯の数百人の参加で盛会だった。支援者の方と一緒に車で向かった。

来賓では中田宏横浜市長がお出でになった。毎年思うのだがこの人の挨拶は凄い。内容は大して変わったことを言っているのではないが、騒がしい会場が静まり話を聞く雰囲気になる。

さて民主党県連は大勢いた国会議員が前回総選挙で落選し、衆議院議員は岩國氏と笠氏のみとなった。最後に国会議員及び役員が壇上に上がったが、やはり寂しくなったと実感する。

昨今協議している14区の次期衆議院候補者選びもあるので、内容を知っている方からはその件でも声をかけられた。断言するが決して揉めているわけではない。建設的に話し合いをしているのだ。

上の中田市長挨拶の中でも「議論のないところに良いアイデアはない」と横浜市政の改革について述べていた。身に染みる。明大雄弁部の精神“和而不同”を思い起こす。

今日は受付で胸につけるバッチをもらった【県議会候補予定者寺崎雄介】と書かれたものだ。昨年の公認決定を受けて、そのような扱いをしてもらった。ありがたいと思う。

民主党と自民党の違いは政策以外にもある。民主党は私のような3バン(地盤・看板・かばん)のない者にチャンスをくれた。自民党なら差し詰め2世か地域の名士優先になるところだ。

再挑戦の機会を与えてくれた党にも感謝し、今年一年大切な年を頑張りたいと思う。



2006年02月01日(水) 中学受験の告白

22年前の今日、東海大相模を受験した。今思えば小田急相模原の校舎でだ。しかし結果母校である明大中野八王子に進学した。

小学校時代進学塾には行ってなかったが、定期的に検定試験は受けた。日能研などだ。東海大相模は「もう少しで合格水準です」明八は「考え直しましょう」だった。子ども相手にキツイ表現だ。

従ってすっかり東海大相模に行くつもりだった。私も親もだ。明治の方が第一志望だったのは、明治大学という学校に好感を持っていたからだ。理由は名前とテレビ番組「ザ・ガマン」だ(すいません)。

元々私立中学に行こうとした理由自体が、運動(バスケ)を思いっきりやりたいこと。そしてそれでも大学に行きたいことだった。それで付属校志望になった。

かつて秘書時代に働いていた“狛江・調布・府中・稲城”は第二の故郷だと思っている。同じように東海大相模というと第二の母校という感覚だ。

2月26日投票の町田市議選で4期目の挑戦をする友井和彦氏は、この東海大相模の出身だ。今日の話のこじ付けではないが、友人なのでご支援をお願いしたい。






2006年01月31日(火) 相模補給廠一部返還に驚く

相模補給廠の一部が返還されることになった。在日米軍強化の代替策として、日米両政府が合意したとのこと。昨日のデモもそうだが、大騒ぎをしたことが功を奏したのだろう。

返還部分は‘野積み場’と呼ばれる基地西側部分で、かねてから相模原市と日本政府の間で話題にしていた場所だ。

かつて返還の見通しがないまま基地返還跡地計画を市が作製する際に、「いつ何時返ってきてもいいように」と理由付けをしていた。この考えを私も支持し市議会でも発言したことがある。

こんなに突然長年の懸案がかなうとは思わなかった。率直に言って驚いた。座間キャンプも一部返還になるので、自治体が意思表明をしていくことを政府も軽視できなくなっている。

さてここからが相模原市の腕の見せ所だ。返ってきた部分が有効利用できないようでは、今後の返還交渉にも影響してしまう。既存の跡地計画を参考にしながらも、改めて市民の意見聴衆をすべきだろう。

併せて自衛隊の駐屯もなくなったらしい。これについては別の見解もあるが、自治体の意向が安全保障に影響した点は共通だ。

そして今後より民主的なボトムアップの合意形成をしていくことが、ひいては政府に対する信頼感を増し、かつ国防に関する国民の理解を得ることにも繋がるだろう。


2006年01月30日(月) 自治連のデモ

相模原市自治会連合会が主催し、米軍基地に関連してデモを行なった。私は所用で参加できなかったが、主催者発表で1200名を超える人が集まったそうだ。

自治連というと、どうしても行政と仲が良い保守的なイメージがつきまとう。単位自治会を見ると決してそんなことはないが、上に行くほどそうなっていくのは世の常か。

そんな皆さんにとって、シュプレヒコールをしながらのデモは新鮮だったろう。この手法にどれくらいの成果があるかは分からない。ただ市民としては何らかの手段でアピールするしかない。

今日の神奈川新聞トップには、座間基地が一部返還になるとの報もある。自治体の発言が、安全保障に対しても大きく影響を持つようになっている。

ただし日米安保と米軍基地は表裏一体だ。双方を使い分ける地域エゴは、社会的にも倫理的にも通用しない。憲法改正議論に併せて、日本の安全保障についても再考すべきだ。





2006年01月29日(日) マンション管理組合理事会にて

住んでいるマンションの管理組合で理事長をしている。居住者で色々な役割を持ち回りしており、たまたま今年は理事長ということだ。

さて地元公民館の会議室で理事会を開催し、いくつかの議題について話合った。その中でプロパンガスの値上げについて、ガス営業所の所長さんがわざわざ説明に来た。

値上がり幅は1立方メートルあたり20円だ。ガスを使う量にもよるが、だいたい月に200円から300円くらい上がる計算だろうか。

この件では幾つか質問と意見が出て、最終的には少し時間をおいて取りまとめることになった。結果値上げを認めなければ、別の会社か都市ガスになるということだ。

さて値上げはこの会社の都合ではなく、世界的な原油の値上がりによるものだ。はっきり言えばいたし方ない。しかし昨今の経済状況から、皆さんから意見が否定的な出るのもまた当然だ。

行政は値上げを簡単にする。税金や公共料金だ。一割二割も一気に上がることも珍しくない。これは役人の責任ではない。お金に関わることは全て議会の議決が必要だ。政治の責任である。

政策に優先順位を付けたとき、もちろん中には値上げの対象になるものもある。しかし前提として納税者に理解してもらうように、誠心誠意説明をする必要がある。

今日やって来たガス営業所の所長さんのようにだ。




2006年01月28日(土) 初めて見る血統書

実家が犬を飼った。数ヶ月前のことだ。我が家系に似合わず、血統書付きの柴犬とのこと。

そして初めて血統書なるものを見た。両親、祖父母、曽祖父、さらにその両親まで書いてある。私も曽祖父までしか顔と名前は知らないから(それも写真で)お犬様も大したものだ。

生まれは郡山で犬号(?)は「白竜号」という。真っ白な毛並みから付けたのだろう。ちなみに我が実家では「レオ」という名前を付けているが、これも真っ白でライオン似だったからだ。名前に含蓄があろうがなかろうが、動物の命名とはこんなものだ。

さて血統書をつくっている団体だが、社団法人日本犬保存会という。所在地は母校明治のある神田駿河台だ。

品評会のような大会に出ると血統書云々が始まるらしいが、その他の分野で役に立つとは思えない。つまりは我が実家では血統書は不要だ。

人間であろうとなかろうと、ご先祖様からの脈々とした家系は尊重すべき伝統だ。しかし血統書という響きには、その優劣をつける意味も込められている。好きな言葉ではない。

まあ犬に責任のある話ではない。お座りなどをたどたどしくしている姿はかわいいものだ。実家に寄る楽しみが一つ出来た気がする。


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