てらさき雄介の日記
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2006年01月07日(土) 横須賀での米兵による事件

横須賀市で米兵が日本人女性を殺害した。詳細は明らかになっていないが、米軍の取調べに対して自供しているとのこと。

この米兵が横須賀寄港のキティホーク乗員だったことから、昨日米第七艦隊司令長官が松沢県知事に対して謝罪に来た。横須賀市長の所にも行ったそうだ。

知事もその後マスコミに話していたが、米兵による神奈川県民に対する殺人事件が起ったのは初めてのことだ。

神奈川県は米軍との関係はとても深い。

マッカーサーが降り立ったのも厚木飛行場だし、ベトナム戦争の前線基地としても横須賀基地・相模総合補給廠は機能していた。また現在に至っても沖縄に次ぐ基地県だ。

そのため過去においても、米軍とのいざこざはかなり起きてきた。ただ戦後60年にわたり、少なくとも最悪の殺人事件がなかっただけに本当に残念だ。

今回のことに関連して米軍基地返還運動を述べることはしまい。問題の所在が違う。日米友好が損なわれないことを望むだけだ。

そのためには一日も身柄を引き渡し、事実を解明することだ。神奈川県警の責任は大きい。期待している。




2006年01月06日(金) 事務所を出すということ

昨年8月から事務所を出して頂いている。

浪人中としては過分のことと思う。改めて支援者に感謝だ。

とても便利だ。今までなしでやっていたのが嘘のようだ。もはや事務所なしでは活動が出来ない。

場所は相模原市中央で広さは6坪だ。きちんと片付けをしていれば、意外に広く使える。

さて国会議員は、当然のように事務所を持っている。国会議員会館と、地元選挙区事務所、更に国会近隣にもう一箇所という人もいる。

かつて知ったる市議会議員は、独立した事務所を構えている人は少ない。ゼロに近い。自宅兼がほとんどだ。

さて県議会議員は、事務所派6・自宅派4というところか。統計した訳ではないので正確ではないが、過去多くを散見した感覚だ。

事務所があれば活動がより充実するのは言うまでもない。一重に費用が出せるかどうかだ。

国会議員は比較的資金に恵まれている。「政党交付金」「文書交通費」「公設秘書」など。

県議会議員も事務所を出せるだけの「政務調査費」を支給される。

市議会議員になると公金のみではとても足りない。相模原市議の場合は報酬は生活ギリギリだし、「政務調査費」は月10万円。議会内経費を差し引けば、とても事務所を借りるのは無理だ。

今の時代に贅沢言ったらキリがないが、事務所費にあくせくしている政治の姿が正常とも思えない。

私は浪人中だから別枠だが、公選で職についた議員には、ある程度の保障をすべきだろう。

それがないと活動不十分に陥るか、資金捻出に無理をして‘元の木阿弥’になってしまう。

もちろん過剰に膨れ上がった議員定数を削減することも大切だし、議会内政策活動が出来る議員が多くなることも前提だろう。

政治活動費の入りと出を情報公開するのは良い試みだ。最近若手議員の傾向で多い。

県議になったあかつきには、可能な限り機関紙などに掲載していきたい。



2006年01月05日(木) 夢・松沢成文知事との議論

新聞で松沢成文知事の記事を読んだ。県庁の仕事始めでの挨拶をまとめたものだった。

松沢成文神奈川県知事とは、15年来の交遊を頂いている。

学生時代に先輩に連れられて、松沢県議(当時)主催の勉強会に参加したのが始めだ。

その後新生党から国会議員になられたこともあり、私と藤井先生の関係も相まってより付き合いが深くなった。

そして私が25歳で市議補選に出馬した時だ。

期間中ベタで秘書を手伝いに出して下さったのだ。その他相模原市内の名簿も頂いた。

この世界の中では破格のことだ。

民主党に参画した松沢さんは、その“過激な”行動から党内で異端児扱いだった。

そんな松沢さんが一層大好きになった。

民主党入党の紹介者を松沢さんに依頼したときも、わざわざ県連まで足を運んで色々調整してくれた。

当時の相模原支部では、私を歓迎しない雰囲気が大勢だったので、松沢さんには面倒をかけてしまった。

その後も節目ごとに、色々相談させて頂いた。

ある日同じ会に参加し、帰り車で最寄駅まで乗せて頂くことがあった。

その車中で「県知事選を考えている」と聞かされた。

既に県議選を目指すことを決めていたので、「大賛成です。一緒に頑張りましょう。」と応えた。

選挙前のいわゆる二連ポスターを、松沢さんと顔を並べて作ろうと考えた。

地元支部の猛反対を受け、頓挫したことを後悔している。(結果菅直人当時代表にした。これについても反対を受けたが、さすがに頭にきたので県連に直訴し事なきを得た。)

県議選最後の個人演説会を上溝公民館で開催した。確か投票を翌々日に控えた金曜日だったと思う。

松沢県知事候補も駆けつけて下さり、「県議会で寺崎君と厳しい議論をしたいので、ともにご支援をよろしく」と言って下さった。

知事になってからの言動が、かつての勢いがないと批判をされることもある。

しかしお会いし話をすると、松沢さんという人は全く変わっていない。

いつも真正面から物事を捉え、他者に対して策を用いない。

これは政治家にとっては、時として欠点ともなり得る。

しかし知事の権限は非常に大きい。

それを持ち変わらずにいられる人こそ、民主主義社会でのリーダーに相応しい。

次期県政を目指すなかで、県議会で仕事をしている自分をイメージする。

そこには常に松沢知事がいる。

政治家同士の親分子分関係は否定しているが、数少ない兄貴分といったところか。

でも提灯持ちはしない。

知事がかつて言って下さったように、厳しい議論を本会議場で展開したい。


2006年01月04日(水) 4日からやっている仕事

正月街宣の最終日だ。

まわっていると、昨日までと比べて通行量が格段に多い。

役所や金融関係のみでなく、今日が仕事始めの方も多いようだ。

私の父はサラリーマンだったので、三が日が明けてもしばらくは正月休みという感覚で育った。

しかしこの仕事をしてから、正月家にいると何かいけないことをしている気になる。

「正月休みがなくて大変だね。」と言って頂くことも多い。

とにかく健康で仕事が出来るのは、とても幸せなことだ。

ありがたいと思っている。







2006年01月03日(火) 子どもの安全確保

子どもの安全を守らなくてはならない!

冷静に考えれば、恐ろしい時代になったものだ。

貧しい国々の道路などで、金品目当ての強盗が出ることもあるが、当然子どもは狙わない。

最近の子どもに向けた犯罪は全く理由不明だ。

捕まった本人も言葉に出来ないのだから、周りがわかるはずがない。

警察力は安易に使うべきではないが、ここに至ってはやむを得ない。

総力を挙げて、子どもの安全を確保すべきだ。

まず通学路だ。

保護者や老人会の皆さんが学校まで着いて行くなど、地域と学校の協力体制が出来ているところもある。

そうでなく、意見交換すら出来ていない地域もある。

とにかくは、まず市が次に県(警察)が、積極的に関わっていくべきだ。

県政の立場から何が出来るか、真剣に考え取り組んでいきたい。


2006年01月02日(月) 正月街宣活動

相模原には、不思議な慣習がある。

議員や候補者が、新年から街宣車をまわすのである。

「○○○○です。新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。」とやるのだ。

いつ誰が始めたのか分からないが、多くの方が毎年実施している。

という訳で、チャレンジャーたる私も、今日は参戦した。

党神奈川県連の街宣車を借り、今日と明日そしてあさってと3日間市内を走る。

どちらにしろ、日頃お世話になっている方々には、新年の挨拶に伺う。

その途中に、道行く人にもマイクで挨拶と言った感じである。

もちろん大音量にはしない。かなり絞って話す。

自分の勝手な都合だが、声を出すとやはり気合が入る。

気合の入れ始めだ。





2006年01月01日(日) 新年に改めて決意する

「新年あけましてあめでとうございます。」

年明けの瞬間は、毎年消防団の詰所で迎える。歳末警戒中のためだ。

テレビを皆で見ていると、CMなどの際に、リモコンで他のチャンネルに回したりする。

自称公共放送では、除夜の鐘、行く年来る年だ。

民放1では、ジャニーズのカウントダウンコンサート。野ブタにプロデュースからマッチまで出ている。

民放2では、ナイナイ岡村が火の玉を受け止める。こういうばかばかしい企画は大好きだ。

脈絡もない多くの番組が、同じ時間に放送され、多くの人々が自分の趣味でそれを見ている。

同じような光景に出会うことがある。

小田急相模大野駅での夕立だ。

この駅は、夕方の演説場所としては適していない。色々な人が、それぞれ駅で自分の仕事をしているからだ。

居酒屋・風俗店のチラシやティッシュ配り。ペットを飼ってくれる人を探す市民団体。ギターを持ち、語り弾きをする人。

雑多だが、そういう中で“浮き”ながら演説するのも悪くない。

人間は自分の嫌いなものは許容しにくい。

個人でもそうだが、組織になるとより排他的になる。

大分以前どこかの国で、ある政治家が、他の政治家に言ったそうだ。

「私はあなたの提案に対しては、命をかけて反対する。しかし、あなたがそれを言う権利は、命をかけて守る。」

大げさに聞こえるかもしれないが、多くの点で発言が不自由になっている昨今だと思う。

人権保護法なるものにより、社会的に規制をかける動きもある。

憲法改正に向けた国民投票法案は、現在与野党で調整中だが、自民案にあったメディア規制の項目にはビックリした。

人類はそれほど長い期間、言論・表現の自由を保っているわけではない。

いや、初期段階とも言える。

だからこそ、この自由を守らなくてはと決意する。


2005年12月31日(土) 一年間お世話になりました

現在12月31日、午後6時30分。

午後8時からは、消防団歳末警戒の最終日だ。

現在作業服に着替えた上で、事務所でパソコンを打っている。

今年は色々あった。

いや今年‘も’と言うべきか。

嫌なこともたくさんあったが、良いことも同じ位あった気がする。

来年が多くの地球人にとって、良い年であることを望む。

近いうちに、相模原市内で政変が起ると、多くの方々が予想している。

一喜一憂することなく、政治家としての信念と仕事を全うしていきたい。

政治の最終目標は世界平和だ。

私の目的も然りである。

今年お世話になったお礼を申し上げて、今後に向けての決意としたい。

「一年間ありがとうございました。今後ともよろしくお願い申し上げます。」









2005年12月30日(金) 中国との友好は大切

小泉総理のことは、別に嫌いではない。

自民党の組織体系を「ぶっ壊した」のは事実だ。

また先の総選挙で、今まで投票に行かなかった人々の関心を集め、結果勝利したことは見事であった。

しかし小泉総理の政治は、多くの点で私とは違う。

ここでは外交について述べたい。

昨今の対中政策は、靖国参拝をはじめとして誤りが多い。

現在、日本最大の貿易相手国は、他ならぬ中国である。

この経済的関係は、時間とともに一層深まるだろう。

中国の政治体制が良いかどうか、南京で本当に数十万人も虐殺したのか、などなど議論すべきことはたくさんある。

私も天安門事件を忘れたわけではない。

しかし最早日本にとって、中国がなくてはならない国であるのは、客観的な事実だ。

かつての戦争で、真珠湾攻撃に至った直接的要因は、ABCD包囲網と呼ばれる経済封鎖である。

当時の日本は、原油の8割近くをアメリカから輸入していた。

その国から経済封鎖されることも問題だし、ましてや戦争するなどは論外である。

小泉総理の靖国参拝は“信念”だそうだ。

しかし現在中国で働いている多くの日本人と、日本で働いている多くの中国人の境遇にも、もっと想像をめぐらせてほしい。

戦後半世紀を経て、やっと友好的雰囲気がつくられつつあったのに、政治がその足を引っ張るとは残念極まりない。

これは日韓関係も同様だ。

回りを見渡すと、多くの物品が「メイドイン・チャイナ」になっている。

次の総理に対して自民党の支援団体である経済界からも、厳しい注文を付けるべきだ。

他ならぬ小泉総理が言っているように、中国の発展は日本にとってのチャンスでもあるからだ。







2005年12月29日(木) 愛川町は近い

昨日2件目の忘年会が、愛川町春日台であった。

上溝駅からタクシーで向かったのだが、料金は約2,000円。橋本駅へ行くのと、そう変わらない。

距離が近い割りに、何となく縁遠く感じるのは、相模川を挟んでいるせいだけではないだろう。

「行政圏」というのがある。

私の造語かもしれない。

市町村の境目という意味ではなく、政治・行政に携わる人間が、暗黙のうちに意識している圏域のことだ。

愛川町は、残念ながら厚木圏域に入る。少なくとも、多くの市民・町民はそう思っている。

しかし昨今は違う流れも感じる。

帰りのタクシーで、運転手さんと話をした。

愛川発のタクシーの行き先は、相模原方面と厚木方面と半々で、年々相模原方面が増えているとのこと。

今後相模原市が政令指定都市を目指す過程で、周辺自治体の協力が必要になってくる。

津久井との合併では、多くの反省材料を得た。

同じことを繰り返さないためにも、お隣である愛川町のことを知っておくべきだろう。

さて神奈川県政の地域計画は、「地域政策圏」に依って行なわれている。

そこでは「県央地域」という枠に、相模原市も愛川町も入っている。何と津久井は、また別の地域だ。

そこに暮らす私たちの実感と、横浜関内の県庁との意識がずれているのだ。

広域行政を担うに相応しい、新たな圏域づくりについて、いずれ県議会本会議で知事に意見してみたい。














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