てらさき雄介の日記
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相模原には、不思議な慣習がある。
議員や候補者が、新年から街宣車をまわすのである。
「○○○○です。新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。」とやるのだ。
いつ誰が始めたのか分からないが、多くの方が毎年実施している。
という訳で、チャレンジャーたる私も、今日は参戦した。
党神奈川県連の街宣車を借り、今日と明日そしてあさってと3日間市内を走る。
どちらにしろ、日頃お世話になっている方々には、新年の挨拶に伺う。
その途中に、道行く人にもマイクで挨拶と言った感じである。
もちろん大音量にはしない。かなり絞って話す。
自分の勝手な都合だが、声を出すとやはり気合が入る。
気合の入れ始めだ。
| 2006年01月01日(日) |
新年に改めて決意する |
「新年あけましてあめでとうございます。」
年明けの瞬間は、毎年消防団の詰所で迎える。歳末警戒中のためだ。
テレビを皆で見ていると、CMなどの際に、リモコンで他のチャンネルに回したりする。
自称公共放送では、除夜の鐘、行く年来る年だ。
民放1では、ジャニーズのカウントダウンコンサート。野ブタにプロデュースからマッチまで出ている。
民放2では、ナイナイ岡村が火の玉を受け止める。こういうばかばかしい企画は大好きだ。
脈絡もない多くの番組が、同じ時間に放送され、多くの人々が自分の趣味でそれを見ている。
同じような光景に出会うことがある。
小田急相模大野駅での夕立だ。
この駅は、夕方の演説場所としては適していない。色々な人が、それぞれ駅で自分の仕事をしているからだ。
居酒屋・風俗店のチラシやティッシュ配り。ペットを飼ってくれる人を探す市民団体。ギターを持ち、語り弾きをする人。
雑多だが、そういう中で“浮き”ながら演説するのも悪くない。
人間は自分の嫌いなものは許容しにくい。
個人でもそうだが、組織になるとより排他的になる。
大分以前どこかの国で、ある政治家が、他の政治家に言ったそうだ。
「私はあなたの提案に対しては、命をかけて反対する。しかし、あなたがそれを言う権利は、命をかけて守る。」
大げさに聞こえるかもしれないが、多くの点で発言が不自由になっている昨今だと思う。
人権保護法なるものにより、社会的に規制をかける動きもある。
憲法改正に向けた国民投票法案は、現在与野党で調整中だが、自民案にあったメディア規制の項目にはビックリした。
人類はそれほど長い期間、言論・表現の自由を保っているわけではない。
いや、初期段階とも言える。
だからこそ、この自由を守らなくてはと決意する。
| 2005年12月31日(土) |
一年間お世話になりました |
現在12月31日、午後6時30分。
午後8時からは、消防団歳末警戒の最終日だ。
現在作業服に着替えた上で、事務所でパソコンを打っている。
今年は色々あった。
いや今年‘も’と言うべきか。
嫌なこともたくさんあったが、良いことも同じ位あった気がする。
来年が多くの地球人にとって、良い年であることを望む。
近いうちに、相模原市内で政変が起ると、多くの方々が予想している。
一喜一憂することなく、政治家としての信念と仕事を全うしていきたい。
政治の最終目標は世界平和だ。
私の目的も然りである。
今年お世話になったお礼を申し上げて、今後に向けての決意としたい。
「一年間ありがとうございました。今後ともよろしくお願い申し上げます。」
小泉総理のことは、別に嫌いではない。
自民党の組織体系を「ぶっ壊した」のは事実だ。
また先の総選挙で、今まで投票に行かなかった人々の関心を集め、結果勝利したことは見事であった。
しかし小泉総理の政治は、多くの点で私とは違う。
ここでは外交について述べたい。
昨今の対中政策は、靖国参拝をはじめとして誤りが多い。
現在、日本最大の貿易相手国は、他ならぬ中国である。
この経済的関係は、時間とともに一層深まるだろう。
中国の政治体制が良いかどうか、南京で本当に数十万人も虐殺したのか、などなど議論すべきことはたくさんある。
私も天安門事件を忘れたわけではない。
しかし最早日本にとって、中国がなくてはならない国であるのは、客観的な事実だ。
かつての戦争で、真珠湾攻撃に至った直接的要因は、ABCD包囲網と呼ばれる経済封鎖である。
当時の日本は、原油の8割近くをアメリカから輸入していた。
その国から経済封鎖されることも問題だし、ましてや戦争するなどは論外である。
小泉総理の靖国参拝は“信念”だそうだ。
しかし現在中国で働いている多くの日本人と、日本で働いている多くの中国人の境遇にも、もっと想像をめぐらせてほしい。
戦後半世紀を経て、やっと友好的雰囲気がつくられつつあったのに、政治がその足を引っ張るとは残念極まりない。
これは日韓関係も同様だ。
回りを見渡すと、多くの物品が「メイドイン・チャイナ」になっている。
次の総理に対して自民党の支援団体である経済界からも、厳しい注文を付けるべきだ。
他ならぬ小泉総理が言っているように、中国の発展は日本にとってのチャンスでもあるからだ。
昨日2件目の忘年会が、愛川町春日台であった。
上溝駅からタクシーで向かったのだが、料金は約2,000円。橋本駅へ行くのと、そう変わらない。
距離が近い割りに、何となく縁遠く感じるのは、相模川を挟んでいるせいだけではないだろう。
「行政圏」というのがある。
私の造語かもしれない。
市町村の境目という意味ではなく、政治・行政に携わる人間が、暗黙のうちに意識している圏域のことだ。
愛川町は、残念ながら厚木圏域に入る。少なくとも、多くの市民・町民はそう思っている。
しかし昨今は違う流れも感じる。
帰りのタクシーで、運転手さんと話をした。
愛川発のタクシーの行き先は、相模原方面と厚木方面と半々で、年々相模原方面が増えているとのこと。
今後相模原市が政令指定都市を目指す過程で、周辺自治体の協力が必要になってくる。
津久井との合併では、多くの反省材料を得た。
同じことを繰り返さないためにも、お隣である愛川町のことを知っておくべきだろう。
さて神奈川県政の地域計画は、「地域政策圏」に依って行なわれている。
そこでは「県央地域」という枠に、相模原市も愛川町も入っている。何と津久井は、また別の地域だ。
そこに暮らす私たちの実感と、横浜関内の県庁との意識がずれているのだ。
広域行政を担うに相応しい、新たな圏域づくりについて、いずれ県議会本会議で知事に意見してみたい。
市内にポスターを貼っていると、よく顔の部分などにイタズラをされる。
子どもなどが通りががりに、いじってしまうのだろう。
仕事とは言え、大きなポスターをあちこちに貼り、景観を騒がせていることは自覚している。
あまりにポスターが集中している箇所などは、自分のが無くても、申し訳ないと責任を感じたりもしてしまう。
故にイタズラされても、特に腹は立たない。
連絡を受ければ、素直に張替えに行くだけである。
自分が幼少時代も似たようなことをした記憶もある。
ポスターだったかは覚えてないが、広告物の顔などにサインペンで色々書いてしまうのだ。
それは“顔に髭を書く”とか、“髪型をロン毛にしてしまう”といった、いわゆる他愛もないイタズラであった。
しかし最近気になることがある。
今日もある場所に貼ってあるポスターがイタズラされていると、友人が教えてくれたので、早速張り替えに行ってみた。
そのポスターは目の部分が、横一文字にナイフのような物で切られているのだ。
最近でも“顔が十文字に切られている”“目の部分のみ切り取られている”ポスターを張り替えた。
これと同じような現象は、他候補のポスターも含め、最近特に散見される。
子どもがイタズラ気分でやっていると想像できるだけに、逆におぞましくなって来る。
日本ではあまり馴染みがないが、カウンセラーという職業がある。
相模原市内の小中学校にも、人数が不十分ながら配置されている。
そういうプロの手を借りることを、決して躊躇う必要はない。
子どもは感性が鋭いだけに、社会の変化を真っ先に捉える。
ここに現れた兆候を見逃してはいけない。
| 2005年12月27日(火) |
津久井・相模湖での市議選 |
年末の挨拶まわりをしていたら、合併時に行われる「相模原市議会議員増員選挙」の話になった。
気にはしていたのだが、なるほどもうすぐだ。
来年3月20日に相模原市と合併した時点で、津久井町議会と相模湖町議会は解散となる。
現在の町議は全員失職し、あわせて相模原市議選が、このエリアに限定して行なわれる。
既存の相模原市との人口比較をした結果、旧津久井町エリアは定数2、旧相模湖町エリアは定数1となる。
現在は、津久井町議会議員が15名、相模湖町議会議員が14名いることを考えると、非常に厳しい選挙となるだろう。
情報は余り届いていないが、既に複数の方々が活動を始めているらしい。
相模原市議会では民主党議員と、協力頂いている無所属議員により、会派「民主クラブ」が結成されている。
この増員選挙で勝利した議員が、どの会派に入るかによって、今後の市政運営にも影響を与える。
ましてや苦境にある我が党としては、何としても仲間を増やしたいところだ。
基本的には現場の意向が重要だ。
立候補する方々の顔ぶれを見定めながら、「民主クラブ」の皆さんが推す候補者を頑張って支援していきたい。
さて多くの町議がいたのに、今回3名に縮小されてしまうことについて、津久井・相模湖で不安の声があがっている。
果たして旧津久井町・相模湖町からの意見を、新相模原市は聞いてくれるのかということだ。
確かに深刻な問題だろう。
この責任を、増員された3名のみに求めるのは、酷であるばかりでなく筋違いと言えよう。
何故なら、本当の責任を感じなければならないのは、編入する相模原市議会の側だからだ。
どこの居住か、どこのエリアの選出かに関わらず、編入される津久井・相模湖の不安を受け止めうる議論を、総員で行なっていくべきだ。
県政に参画したあかつきには、及ばすながら、その議論に参加していきたい。
| 2005年12月26日(月) |
消防市長巡視は必要か |
いよいよ歳末警戒。
消防団も大晦日まで、連日詰所待機となる。
今日は初日ということで、恒例の市長巡視がある。
第一分団団員は、19時15分に上溝小学校に集合し、そこで市長の到着をひたすら待つ。
当然寒い。自治会役員の皆さんも激励に来てくれている。
さてこの市長巡視だが、率直に言って評判が良くない。
かく言う私も、今年で8回目だが、その意義を理解出来ていない。
いつだったか、市の担当者と意見交換した際、「儀礼」と「慰問」の意義があるとの説明だった。
「儀礼」については、わからなくもない。ただ日常訓練において、ボランティアという概念を越える礼式を既に学んでおり、あえてこの寒い時期に行なう必要性は薄い
「慰問」については、そもそも消防団員の中にそれを望む声は少ない。団活動は自負心に依って支えられており、市長に評価してもらう必要性は薄い。
更には巡視の内容である。市長と市議会議長が到着すると、学校の校庭に赤じゅうたんが敷かれる(本当)。そしてその上で訓示を垂れるのである。
明らかに行き過ぎだ。
さて改善策だが、それぞれ分団には本部がある。第一分団の場合は上溝消防分署である。
そこに各部の部長のみ集め、そこに市長が来る形式でもいいのではないか。
その方が、各詰所待機という任務と並行できる点でも合理的だ。 (実際去年の市長巡視では、整列中に管轄内で火事が起きた)
そういえば今日は、外務大臣が米陸軍相模総合補給廠に来ている。
療養中の市長も同行している。
職務代理を立てながら、園遊会や大臣随行のみ出席している市長に、市議会の一部からも異論が出ている。
現役消防団員として言う。
今日の市長巡視は、市長がお越し頂けるものと期待している。
でなければ実施する意味がない。
| 2005年12月25日(日) |
若手市議ディスカッション |
くどいようだが、県議会議員は神奈川全域が仕事場である。
そんな意味もあり、相模原市以外でも行事があると、勉強も兼ねて出来るだけ参加するようにしている。
今日は隣の大和市生涯学習センターで、若手市議同士のディスカッションがあったので、聞きに行った。
参加者は 菅原直敏大和市議 長友克洋相模原市議 松尾崇鎌倉市議 吉田雄人横須賀市議 の4名である。
「議員とは、一体どんな仕事をしているのか?」という素朴なテーマだった。仕事柄それ自体は珍しくない話だが、都度垣間見れる若手市議たちの考え方は勉強になった。
主催者でもある菅原直敏大和市議は、先日のクリスマス会にも来てくれた。ここまで活動量の多い市議を、私は全国中で知らない。スーパー議員である。今日の多くの参加者も、ほとんどは菅原さんの支援者だろう。今後も要チェックだ。
共催者である長友克洋相模原市議は、今更言うまでもない。県との関わりについて「市政にとっては県は邪魔だ」は正論。そういう県を変えるべく頑張る所存だが、いつか相模原市内で県政と市政の関わりについてディスカッションをしてみたい。
鎌倉の松尾崇市議は、今年の選挙で2000票ボーダーのところ8000票を越える得票で再選した。神奈川県中の関係者が皆びっくりしたものだ。じっくり話を聞くのは初めてだが、なるほどと感じ入った。引き込まれるものがある。
横須賀の吉田雄人市議は、今回初めて拝見した。早稲田雄弁会出身と聞いたことはあった。そのせいか同じ匂いを感じる。横須賀市内の米軍基地を返還させることについて強い意思を感じた。「市民」「市域」「主権」の3原則のうち「市域」が侵されていることは、地方自治のまさに危機という理論は納得した。
こんなメンバーと一緒に、同じ議会で仕事がしてみたい。
こう思ったのは、私だけではないような気がする。
それだけ今の議会は・・・。
「メリークリスマス!」
嫌いな響きではない。子ども中心の各種行事内容も微笑ましく感じる。
しかし日本にクリスマス文化を輸入したアメリカの大統領は、今日の会見で「ハッピーホリデイ!」と言っていた。
キリスト教以外の国民に配慮したそうだ。当然キリスト教保守派からは異論も出ているとのこと。
さてあえて言わなかったが、最近不思議なものを目にした。
相模原市のHPにクリスマスツリーが映っているのだ。
何が不思議かというと、行政は他の宗教(例えば神道や仏教)との関係には非常に気を使う。
上溝夏まつりは、私の小さい頃は「おてんのうさま」という名称だった。当然今と同じ神輿まつりである。
かつて市が補助金を出すにあたり、如何に“政教分離”を実現するか悩んだ。
結果、神輿が神社に行って「神様」を入れる部分を、まつりとは関係ないという解釈にした。
そして「おてんのうさま」を「上溝夏まつり」に改称して、宗教色をなくしたのである。
こんなことは、一見下らないと思うかもしれない。
戦没者慰霊祭も無宗教だというが、霊の存在自体が宗教なのだから矛盾だ!という突っ込みもできる。
さて政教分離とはバランスの問題である。
相模原市HPのクリスマスツリーに文句を付けることは、その掲載理由から鑑みても適当ではないし、第一今のところクレームは一切ないそうだ。
しかしアメリカ大統領のような配慮も、民主主義の原則からは必要と考える。
何故ならば宗教的に傷つけられる人々は、往々にして少数派であることが多いからだ。
少数が少数のままで存在し続け、かつ意義付けられる社会こそ民主主義なのだ。
まあクリスマスの日に、こんなことを考えるのは職業病か。
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