てらさき雄介の日記
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2005年12月23日(金) 天皇誕生日

今日は天皇誕生日。

一般参賀で皇居に多くの人が集まっている。

しかし天皇一家と集まった人々の間には、厳重な防弾ガラスが立ちはだかっている。

かつて実際にパチンコ事件などがあったためだろうが、諸外国の例を採って見ても少し異常だ。

私も秘書時代、国会開会式に臨席する天皇をひと目見ようと、入り口通路で待ち構えていた。

すると衛視がわんさかやって来て、天皇が視界に入る所から全員退けられてしまった。

過剰警備ではないか。

戦後人間宣言をした天皇は全国を廻り、国民と直に触れ合う機会を持った。

戦争責任云々ではなく、天皇と身近に触れ合うことによって、勇気付けられた人々が事実大勢いた。

現在の政府も、天皇に神秘性を持たせることは止めて、もっと国民に近づける努力をすべきである。

憲法の表記で、非常に的確なのが第一条である。GHQも急ぎでつくった割りにうまく言えている。

天皇が過去の歴史で、「日本国民統合の象徴」であったことは事実である。

しかしその所在は、あくまで「日本国民の総意」に基づくものでなくてはならない。

そして立憲制度の元、天皇は国の機関であることも忘れてはなるまい。

今の日本において、今更天皇機関説を述べることが、何か躊躇われるのは気のせいか。

天皇に「陛下」を付けないことが、躊躇われるのも気のせいか。

これから憲法改正の議論をしていくとき、天皇について語ることを避けては通れない。


2005年12月22日(木) 幻のGNP1%枠

「GNP1%枠」というものがあった。

防衛費のGNP対比のことである。

金額そのものと、国内の軍需依存を制限する意味で、毎年予算編成のときに使われていた。

中曽根内閣のある時、1%を初めて突破し、その後年月とともに話題にすらならなくなった。

今果たして何%なのかは、ネット検索では出てこない。後日自分で計算してみることとする。

映画「ロード・オブ・ウォー」は武器商人が主人公だ。演じているのはニコラス・ケイジである。

最後“些細なミス”で国際警察に捕まるが、他ならぬアメリカ合衆国の圧力で釈放される。

刑事に向かってニコラス・ケイジが言う。

「最大の武器商人は、アメリカ合衆国大統領だ。」

最後のエンディングでも、いまだに多額の武器輸出を続ける5大国(=国連安保理事国)を批判している。

アメリカという国の面白さは、この種の映画が流行るところだ。

バランス感覚なのか、あるいは映画産業が軍事産業を超えているのか。確かに映画としても見ごたえがあった。

戦争を失くすには、戦争によって利益を得る者を失くさなくてはならない。それはすなわち、アメリカなどの軍需に依存する産業構造を変えるしかない。

皮肉な言い回しだが、そのために同盟国日本が出ることは多くある。まあ現在の政府は、そんなことを考えてもいないだろうが。

GNP1%比の話に戻す。

日本政治の無原則は、ここにも現れている。もちろん1%云々は、政府が言っていたことではない。

しかし日本としての確固たる基準であったことも事実だ。1%を突破するならば、それなりの手続きと説明をするのが民主主義ではないか。

そして憲法に言う「不断の努力」は、国民にも欠けている。主権者が政府を監視することは、長期にわたる地道な作業であることを忘れてはならない。

小泉劇場によって、ある種の関心が政治に向いているのは歓迎すべきことだ。

しかしそれが流行り廃りであってはならない。


2005年12月21日(水) 息抜きの所在

息抜きは誰にも必要である。

仕事をより充実させるため、出来る人ほど、休むことを心得ているそうだ。

元来‘ストレス’を感じにくい。だが当然体は疲れるし、悩みもない訳ではない(本当)。

自由を制限されるときが最も辛いときだ。

しかし仕事柄、行動は自由なことが多く、恵まれていると思う。

さて発言の自由もまた重要だ。

これはケース・バイ・ケースで、何でも言いたい放題という訳には、社会人としていかないこともある。

ここで辛さを感じる。息抜きが必要となる。

余り趣味もないので、休むということは、仕事をすることよりも難しいと感じる。


2005年12月20日(火) で・ある調に変更

今までは「です・ます」調で日記を書いてきました。

明日からは「で・ある」調に変えることにします。

どんな書き方がいいのか、試行錯誤してきましたが、今回の変更もその一環です。

どうもうまく書けないとなれば、再び「です・ます」調に戻ることもあり得ます。

日々の活動を記していますが、“どこに行ってどうした”ということよりも、都度“何を考えたのか”が重要だと思っています。

そのためには「で・ある」の方が、ストレートに皆様に伝わると考えました。

演説は「です・ます」調ですが、心の中のつぶやきや、頭の中の思考は「で・ある」調です。

明日からの記載について、是非ご意見寄せてください。


2005年12月19日(月) クリスマス会御礼

後援会主催の「クリスマス会2005」を開催しました。

多くの参加者に恵まれました。一重に後援者皆様のお陰です。ありがとうございました。

私が初めて集会を開いたのは、市議在職中の1998年12月のことでした。

場所は横山の中華料理屋さんで、若手メンバー対象の会でした。今改めて名簿を確認したら、58名の方に参加頂いています。

それから何回集会をしたでしょうか。何度やっても参加人数は、当日その時まで不安です。

人数という意味では失敗したときもありますが、過去一度として集会を開催し後悔したことはありません。

今後も色々イベントを開催いたしますが、よろしくお願い申し上げます。

尚以下は、本日お越し頂いた来賓(議員)の皆様です。浪人中の私の会に出て特にプラスはないでしょうが、忙しいなか純粋に頑張れと応援に来て下さった方々です。感謝しています。

お名前のみ披露させて頂きます。私共々よろしくお願い申し上げます。

相模原市議会議員 由比昭男 様
相模原市議会議員 長友義樹 様
相模原市議会議員 長友克洋 様
相模原市議会議員 小池義和 様
大和市議会議員   菅原直敏 様
参議院議員     浅尾慶一郎 様 秘書の方
(リンクがないのはHPがない方です。他意はありません。)


2005年12月18日(日) 男たちの大和(良かったところ)

昨日に続きます。

いつぞやも書きましたが、最近の日本映画は制作費の関係で、上映2時間を超える作品が余りありません。

この映画は2時間を大きく超えていますし、内容が濃い分長くも感じませんでした。

またテレビ俳優と映画俳優では違いがありますが、配役が子役も含め本当にいいメンバーが揃っていました。

海のシーンは恐らくSFXでしょうが、違和感は感じず、またほぼ実物大らしき模型をつくったのも迫力がありました。

「戦争」をテーマにすることは、製作側にとっても困難が多いと思います。

しかし国と軍隊のあり方を改めて考えなくてはならない昨今、どういう解釈に基づいた映画でも意義深いと思います。

まあ、自分自身そうですが、他人の映画評ほど当てにならないこともありません。

是非皆様、ご自分で映画館に足をお運びください。

相模原市民の方は、市内唯一のシネコン「ムービックス橋本」をお願いします。





2005年12月17日(土) 男たちの大和(まず文句)

男たちの大和 YAMATO」を、早速見てきました。

本日から公開ですが、明日・あさってが日程上厳しかったので、無理して行きました。

忘年会に2件出た後なので、21:30からの最終回でした。場所はムービックス橋本です。

とても面白く、初盤からウルウルでした。

感動した点については、後日改めて書きます。

まずもって今日は、映画で残念だった点から書きます。

これだけ見入る映画の中でも、「アレッ」と思う訳ですから、違う言い方をすればかなりの問題点とも言えます。

最初にタイトルです。

「男たちの大和」の後についている、“YAMATO”が気に入りません。何のためについているのでしょうか。

元来意味のない、外国語やアルファベット使用には異議を唱えてきました。

悪例を挙げれば、電話帳の「タウンページ」や「ハローページ」は今でもどちらがどうか間違えます。「職業別」「アイウエオ順」の方が断然わかりやすいです。

公共施設の愛称もそうです。かつて市議として意見も言いました。相模原市立の「ウェルネス」や「ソレイユ」は、一体何の施設だかわかりません。

“YAMATO”については、意味がないだけでなく、戦艦大和を撃沈した国の言語を使うセンスもよくわかりません。

世界公開を考えているのでしょうか。ただ明らかにこの映画は日本人に対してのみ意識して造られています。

更には、反町隆史の髪の毛が長かった点です。他は皆当時そのままに五分刈りなのに、興醒めしてしまいます。

また少年兵の女友達が、原子爆弾により入院しているシーンも、非常に綺麗なまま死んでいくのが、かえって不自然でした。

また、戦艦大和は志願兵のみでなく、徴用兵も乗っていました。その人たちが全く描かれていなかったのも、「歴史」を表現していると言う割には残念でした。

色々言いましたが、大いに面白かったのは確かです。

「てらさき雄介のお薦め映画」入りです。

さて劇中に老いた中村獅童は、自分の子どもに戦艦大和を語りました。

仲代達也も最後に、いくつかの話をしました。

しかし私は、祖父母から戦争について、話を直接聞いたことはありません。

それぞれにとって辛い記憶なのか、あるいは他の意味なのか、ともに亡くなった今では聞きようもありません。

たった60年前の戦争が既に風化しようとしている昨今、あの戦争を体験した方々の話は大切にすべきです。またその機会をつくるべきです。

世界最新鋭の戦艦大和を特攻作戦に使用したこと自体が、あの戦争が狂気であったことを現しています。




2005年12月16日(金) 藤野町議会傍聴

朝相模湖駅頭で極寒の街頭活動をし、その足で藤野町議会を傍聴しました。

相模原市議会と同じく、朝9時半からの開会です。

会議の中身は行くまでわかりませんでしたが、折り良く(というか時節柄当然)相模原市との合併関連の審議です。

産廃事務・介護保険・消防事務について、既存の津久井での枠組みを相模原仕様に変える議案です。

その後一般質問も、相模原市との合併に関することと、座間キャンプでの米軍強化について通告がされてました。

さて議会運営について、いくつか先進的な事例がありました。

ひとつは、条例案の審議について委員会付託をせずに、本会議で質疑と討論を行なうこと。

ふたつは、質問者席が議員側にあり、理事者とは対面になっていること。

みっつには、綿密な事前打ち合わせが、恐らくはされていないこと。(この方が緊張感あるやり取りが出来る)

過去全国に視察に行った経験から、大規模な議会よりも、町村など小規模の方が、柔軟性という意味で地方自治の本旨にあった議会運営がされている傾向があります。

また町議会事務局の辺りには、「県議会開催ポスター」や「県議会史」などが並んでいました。

相模原市議会では、県議会の「県」の字も見ることがありませんでしたが、県との関係についても違いがあるようです。

藤野町長は今日の答弁のなかで、2月をめどに、合併について改めて町内各地域ごとに、細かく説明をしてまわる意向を示しました。

編入される側の不安や気持ちを、十二分に考えることができる懐の大きさが相模原市には求められます。


2005年12月15日(木) 来年2月、町田市議・市長選挙

来年2月は隣の町田市で、市議選と市長選挙が同日に行なわれます。

市議選には、友人であり、かつ相模原・町田若手勉強会を一緒にやっている皆さんが挑戦するので、それぞれに対して出来る限りの支援をするつもりです。

友井和彦氏(無所属・南つくし野在住)
新井克尚氏(民主党・玉川学園在住)
若林章喜氏(自民党・忠生在住)

また現職引退により乱戦模様の市長選挙には、真木茂都議会議員が立候補を表明しました。

前回私の県議選に応援に駆けつけてくれたこともあり、今後地元神奈川14区総支部の皆さんと情報交換をしながら支援したいと考えています。

以上4名については、ともに間違いのない人物ですので、お知り合いにお声がけ頂けると助かります。

よろしくお願い申し上げます。


2005年12月14日(水) 議会中継は良いことだ

神奈川県議会も相模原市議会も、インターネット中継をしています。

録画放送もあるので、夜など事務所で見るようにしています。

市議会では懐かしい声が聞けますし、県議会ではこれから向かう場所への闘志が沸いてきます。

まだまだご覧になっている方は少数でしょうが、それでも映像を流し続けることに情報公開の意味があります。

政治やマスコミに脚色されたニュースよりも、そのままの映像はより真実を伝えます。

今後はより多くの場所で、どなたでも気軽に見れるような工夫が求められます。

以下をクリックし、是非一度ご覧ください。

神奈川県議会インターネット中継(ちょうど相模原市選出の富田・舘盛両県議が映っています)

相模原市議会中継(過去映像も含め民主党議員の勇姿も映っています)





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