てらさき雄介の日記
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2005年12月13日(火) 年末まわり

来週にクリスマス会を控え、かつ年末のため、市内をご挨拶まわりしております。

事務所をお手伝い下さっている方が運転をしてくれるので、時間あたりかなり多くの軒数をまわれます。

元来運転が苦手なだけでなく、助手席ならば携帯電話もかけられるので、かなり効率がいいです。

相模原がとても広いと感じるのは、今まで通ったことのない新しい道を発見する時です。

今後同じ選挙区になるかもしれない津久井郡などは、地名のみしか知らない所もありますから興味は尽きません。


2005年12月12日(月) そういえば去年は

ふと去年のことを思い出しました。気温の寒さで当時の感覚が蘇りました。

昨年の師走は、相模原市長選挙事前準備の真っ只中であり、今頃は市内某所に支援する候補者が事務所を出した頃です。

選挙の前も後も、正直色々ありましたが、希少な経験だったと思います。

反省点は克服しながらも、変革の能動者として恥じない行動を今後もしてまいります。

同列にするのは恐縮ですが、年末何日だったか忘れましたが、仕事で都内に行きました。

帰りの高速はもったいないので、R246で帰ってくると、途中で大雪です。

ビクとも動かないくらい、たくさん降ってきました。夕方相模原で用事があったので、とても焦りましたが、自然現象では致し方ありません。

すっかりあきらめた時、不思議と降り止みました。

今年は雪が降るのでしょうか。

寒くない冬が最近多いので、多少は降ってほしいとも思います。

しかしこういう文章を書くと、詩的センスがないことを痛感します。

残念です。


2005年12月11日(日) 自民党との連立は100%ない

先の総選挙後に、大勝した小泉総理が、民主党に対して連立を働きかけていたことが明らかになりました。

前原代表もその事実を認め、「即座にお断りした」とのこと。至極当然のことです。

二大政党の確立と非自民を以って成立している民主党が、自民党と連立を組むことは自己矛盾であり、それを模索した段階で党は崩壊します。

公明党などは、かつての野党から与党になった経緯を、“政策実現のため”と言っていますが、それは小政党だから許されたことです。

もし“政策実現のため”に民主党が与党になったら、それこそ日本の民主主義そのものが死んでしまいます。

さて気になったのは、前原代表のこの件についてのコメントです。

「自民党との連立は99.9%ない」と発言しました。

政治家の言葉使いには色々ありますが、「99.9%」は‘意味’を持ってしまう言い回しです。

衆議院議員を5期経験している、前原代表が知らないはずはありません。

最初から「自民党との連立は100%ありません。」というべきです。

付け加えるならば、それを聞いた記者に対して、「そんなことがあるわけないでしょう!」と怒ってほしいです。

この前原代表の発言に関連して、小泉総理や自民党は政界再編(と言っても自民党による他勢力の吸収)云々すら言っています。

先般の脱労組宣言でも、多くの労働者の誤解を生んでしまいました。

また訪問しているアメリカや中国での発言にも、気になる点が多々あります。

私に言われたくないと思われるかもしれませんが、発言にはもう少し気を付けるべきです。




2005年12月10日(土) 青年会議所卒業式

青年会議所の総会に併せて、卒業式が行なわれました。

40歳定年制を採っているため、12月末日でその年齢に達した方が退会になるためです。

25歳から始めて、もうすぐ9年になるJC活動ですので、過去多くの皆さんが卒業されていきました。

今日は所用のため、総会を中途参加だったのですが、卒業式だけは何としても間に合わなくてはいけないと思い、ギリギリセーフでした。

仕事上もお世話になっている方は言うに及ばず、そうでない方にも色々思い出はあります。

浪人をしていることもあり、役員就任など積極的にJC活動が出来ていませんが、いずれ復活したいと考えています。


2005年12月09日(金) 相模原市長の長期療養について

地元自治会の忘年会がありました。

市長が病気療養のため、助役を職務代理にしていることについて、多くの方からご質問を頂きました。

浪人中のため、それほど情報が入るわけでもなく、何もお答えできませんでしたが、皆さん心配されていたようです。

市長のお体もそうですし、何より市の行政運営についてです。

これだけ市内で話になっている件ですので、私ももっと早い段階で意見を書くべきだったのでしょう。

しかし公務を欠席されるほどの病であることは周知の事実であり、人情として色々言うのは忍びないとの考えもありました。

また巷で噂されているように、万が一の市長辞職の後には、市長選挙があります。

その立候補者次第では、県政に関連する選挙も取り立たされていることから、当事者とも成り得る私が色々言うのは、適当でないと自粛していた点もあります。

しかし欠勤が長期に及んでいることから、相模原を愛する政治家のひとりとして、言うべきことは言わなくてはならないと決意を新たにしました。

さて先般市議会で、病気療養中にも関わらず市長が秋の園遊会に出席したことを問題視する意見が、ある市議から出されました。

問題視するのは当然です。噂を聞いたときはまさかと思いましたが、事実と知り愕然としました。

消防団をやっている立場から言えば、市長は最高司令官です。いざというときは、人命に関わることでも「命令」できる責任を負っている立場です。

総理や県知事が、これだけ長期欠勤したらどうでしょうか。それとも市長の職は、それらよりも責任が低いとでも言うのでしょうか。

批判を覚悟で言い切りますが、公職としての身の引き方があるはずです。

またご本人は療養中のため、多くの情報を得にくい立場であることも推察できます。

ならば身近な方々が、それを伝える義務があるのではないでしょうか。

もちろんお元気で、再び公務に復帰されることが何より大切ではあります。

いつかも書きましたが、前回市長選挙で他候補を支援し完敗したこともあり、この任期は全うして頂くのが筋とも考えております。

しかし昨日の会もそうだったように、市民の多くが心配していることもあり、せめて病状報告はするべきです。

税金から給与をもらっているプロフェッショナルとしての、最低限の責任です。


2005年12月08日(木) 広田弘毅元総理の言葉

昨日久しぶりに早く帰ると、早速床に着き、本を読み始めました。一気に最後まで読み続け、結局寝たのは真夜中です。

読んだのは、城山三郎「落日燃ゆ」です。

元総理・外相の広田弘毅氏を主人公として、昭和の始め外交官になった頃から、東京裁判で絞首刑になるまでを描いたものです。

学生時代に広田氏と同郷(福岡)の友人が、この本の話をしていていたのを覚えており、ずっと気になっていました。

先日、本屋で並んでいるのを見て、購入したところです。

広田弘毅氏は、東京裁判がいかに理不尽な裁判であったかを、その死によって知らしめた方です。

総理大臣と外務大臣を務めたこともあり、私のような政治に携わっている人間ならば、皆彼についての見解を持っているでしょう。

文中の著者城山氏の表現を借りれば、‘大日本帝国の落日'はどこから始まったのでしょうか。

私は、
一、満州事変
一、日独伊三国軍事同盟
一、対米開戦
の3つが、日本の敗戦を決定的にしたと考えております。

歴史は時系列で見るべきですが、個々の事件もそれぞれ時代の象徴であって、ひとつひとつを検証することもまた必要です。

広田弘毅氏は、この3つのいずれにも毅然として反対しました。そのことをもって、私は以前から評価していますし、この本にも詳しく経過が書かれていました。

巣鴨プリズンに面会に来た家族に「この中で文官の誰かが死なねばならぬなら、その任は私が担わなくてはならないだろう」と、広田弘毅氏自身が語ったように、氏を絞首刑にしたのは、GHQ(アメリカ)の政治的意思によるものです。

また広田氏の姿勢を物語るものとして注目すべきは、南京での虐殺について、事件が起った段階で数度にわたり、外務大臣として陸軍大臣に抗議をしている事実があることです。

しかし一方で総理とは政治の最高指導者ですから、結果軍部の暴走を止められなかったことは、日本国民に対して負っている責任は大きいものがあります。

広田氏は東京裁判で一言もしゃべりませんでした。

「生きて虜囚の辱めを受けず」と言っていた軍幹部が、他人に責任を擦り付けんが如き発言をしている中、黙々と死に向かう広田氏の姿勢は、同じ日本人として感じ入るものがあります。

そしてこの本で初めて知った広田弘毅氏の言葉は、とても印象的で感銘を受けました。

それは絞首刑が決まった後、面接に来た教戒師とのやり取りです。

教戒師「歌とか、詩とか、あるいは何か残すものはありませんか。」

広田氏「公の仕事をして以来、自分のしたことが残っていますから、今は何もありません。」

そして髪と爪のみ遺族に残し、他一切を語りませんでした。

先日、この日記で“生き様”に関連して、“辞世”云々言っていた自分を恥じ入るばかりです。

軽率でした。

政治家である以上遺書や辞世ではなく、世の中を残すことによって自己実現を図るべきです。

そのことを胸に刻んでくれた、広田氏と、著者城山氏に感謝します。

今現在まだ昼で、日記を書く時間ではありませんが、感動覚めやらぬうちにと思い、記しました。





2005年12月07日(水) 何故か国会議員だけ

数年前に企業・団体献金は禁止されました。

それから私の政治活動は、全て個人からの献金(寄付)によって賄われています。

厳しい懐事情ですが、政官財の癒着を断ち切ることは大切ですし、そのための企業・団体献金禁止は正しいことと理解しています。

しかし何故か「政党」に対してのみ、企業・団体献金は認められています。

何故?

どうして?

議員個人に対してはダメで、政党に対しては良いということに、いかなる正当な理由もありません。

政党支部を持っている国会議員が、自分たちだけは献金が受け取れるようにするために、中途半端な制度改正をしたのです。

献金が禁止される代わりにと導入された政党交付金も、ほとんど党本部と国会議員で山分けしてしまいます。

納税者にはあまり知られていませんが、地方議員は政党に上納金は払っても、政党交付金を受け取ることはありません。

腹立たしい限りです。

改めて訴えますが、政党(国会議員)に対しての企業・団体献金も禁止すべきです!

そうしてこそ初めて、カネをかけない政治のあり方について、皆んなで考えることができるのです。






2005年12月06日(火) 忘年会シーズン

忘年会がはじまりました。

先週の金曜日は不覚にも体調不良で、2件の忘年会を欠席してしまいました。

完全復活し、今日は3件呼んで頂いています。場所はJR相模原駅前と富士見警察署側、そして田名工業地帯です。

政治に対する主権者の関心が強くなっている昨今、宴席でも多くの方から厳しい意見や質問を受けることがあります。

皆様に対して「おっしゃる通りです。」で終わるのは、慇懃無礼ですので、自分の考え方も出来るだけ述べるようにしています。

企業や団体などは、忘年会を主催することが年々減ってきています。

最近は同好の士で開くような、“飲み会”が増えている印象があります。

どちらにしろ浪人中にも関わらず、呼んで頂いていることに感謝です。


2005年12月05日(月) 料金所は最低限に

昨日の続きです。

湯河原から帰ってくる道路は、とにかく料金所が多いです。確か5箇所あったと思います。

手動ドアの車に乗っているため、一々面倒くさいです。

また全体として経済的に見ても、無駄が多い気もします。

現在のETCは、いまだ一部の方の利用物ですが、JRのスイカのような簡易なシステムの開発が必要です。

また出来れば、料金所なしで料金が累算できるといいですね。

新道路公団に期待します。








2005年12月04日(日) 湯河原町も仕事場

てらさき雄介レディース(女性支援者の方々でつくって頂いている会)有志の皆さんと、同じ県内の湯河原町に1泊旅行に行ってまいりました。

神奈川県議会議員は県内全域が仕事場です。

その視点から、街並みなども注視してきました。

海があることは、神奈川の貴重な財産です。横浜のような港湾もそうですし、湘南海岸に代表される砂浜も当然です。

湯河原町は、また違った海岸線です。

島崎藤村ゆかりの宿が今もありますが、見ても楽しめる‘芸術風’とでも言うのでしょうか。

しかし昨今の観光収入の減少から、地域活性化が急務なことも間違いありません。

県政に参画したあかつきには、町役場をはじめ色々なところを訪れて、多くの話を聞いてみたいと夢が膨らみました。


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