てらさき雄介の日記
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| 2005年11月18日(金) |
記事「歴代首相を斬る」 |
プレジデント社の記事「歴代首相を斬る」は面白かったです。
過去何人かについては、私なりに論評できる気もしますが、宮沢前となると実感ない分難しくなります。
日本の政治力学は、総理ではなく、総理を輩出する政権与党内の構成に中心が置かれていました。
その分、誰が総理であったかのみを語ることは、結果を検証するために余り意味がないかもしれません。
ただ今後については、誰が総理かが、大きく国の動向を左右するようになります。
小泉純一郎が変えた総理のあり方を、これからも見つめてまいります。
| 2005年11月17日(木) |
新公認基準について、その2 |
過日も書きましたが、衆議院選挙についての民主党の新公認基準についてです。
前原執行部が言い切ったからには、毅然として貫くべきことは当然です。腰砕けになったらそれこそ終いです。
(新人) 一、60歳以上は公認しない 一、二度落選した候補者は公認しない
(前・元職) 一、65歳以上は公認しない 一、復活当選も含め、3度落選した議員は公認しない
かなり思い切った改革案です。
議員や候補者の身分に関わることは、元来ルールを文章で明記しないのが、この政治の世界の不文律だったからです。
早速反対する方々が「会」など結成し、党本部は紛糾状態にあるそうです。
今回の決定は至極当然の内容で、今後の民主党を良い方向に変えるものだと考えます。
しかし一方で問題もあります。
それは手続きです。
民主主義は結果と同じくらい、そこに至る経過を大切にしなければなりません。
このような過去日本の政党には少ない、重大な決め事をするからには、やはり党内や世論のなかで一定の議論を経るべきです。
選挙で小泉総理に負けたのは事実ですが、しかし同じようなスタイルにすれば良いというわけでもありません。
反対論が多そうだから、議論を経ずしてトップダウンにすることは、結果民主党がどうなるか以上に、「民主主義とはどうあるべきか」という基本を蔑ろにすることに繋がってしまいます。
少なくとも「民主」を党名にしている以上、あらゆる決め事については、深く民主的に議論した結果行なわれるべきです。
今後この基準をどこまで徹底できるかも、皆んなで決めたかどうかが重要な鍵になります。
ブッシュ大統領が来日し、京都に完成した新迎賓館の、初めての宿泊客になったとか。
筆下ろしはやはり、アメリカ大統領といったところですかね。
赤坂にある迎賓館は、確かに立派ですが、何で日本の迎賓館がフランス調(?)なのかとかねてから疑問を感じていました。
その意味で新迎賓感が和風というだけでなく、京都にもうひとつ必要だったことも理解できます。
今後の日本と世界にとって、有意義な会談となるよう期待いたします。
| 2005年11月15日(火) |
クムジャさんと三丁目の夕日 |
最近みた映画評です。
“親切なクムジャさん”は期待外れでした。配給会社も日本に持ってくるのなら、もう少し考えて欲しいと思います。
韓流ブームについては大歓迎ですが、それだけで客が集まる日本の国民性もどうかと思います。
唯一主演のイ・ヨンエは確かに綺麗ですね。汚れ役も出来る気迫は大したものです。
一方、“ALWAYS 三丁目の夕日”には感動しました。
「てらさき雄介のお薦め」に認定しました。是非映画館でご覧ください。
元々映画での涙腺は弱いので、ラスト30分くらいはウルウルでした。
原作漫画は既に老舗です。映画も単なる復古調ではなく、内容も良かったと思います。
しかし原作にはない‘ALWAYS’を着けたのは失敗でした。そもそも外国語は意味無く安易に使うものではありません。
せっかく世界に誇る日本映画をつくったのですから、日本名であった欲しかったです。
吉岡秀隆が白髪交じりなのは少し無理がありましたが、それも日本の俳優不足を現しています。
今でも凄い東京タワーの迫力ですから、当時では言うに及ばずだったのでしょう。
| 2005年11月14日(月) |
クリスマス会を開催します |
本日の後援会役員会で、恒例となったクリスマス会を開催する段取りとなりました。
詳細はこのHPトップにもリンクをはりましたが、以下の通りです。
12月19日(月)19:00〜 杜のホールはしもと(ミウイ上)多目的室 会費 2,000円(飲食実費分)
次期県政の挑戦まで、残り一年半をきりました。まさに臨戦態勢のなか、楽しいのみでなく、政治家としての考えを多くの方に伝えられるよう頑張ります。
後援会事務所にて事前チケットを販売致します。是非ご一報ください。
また支援者の皆様には郵送でもご案内をさせて頂きます。当日の飛び入り参加も大歓迎です。
お誘い合わせの上、ご参加をよろしくお願い申し上げます。
朝からJCの運動会でしたが、途中運動着のまま抜け出し、基地返還市民協議会が主催する臨時大会に参加しました。
会場の市民会館大ホールは満員で、急遽の開催にしては盛り上がっていたと思います。
開催の目的はもちろん、過日政府から「中間報告」が示された件について、自治体として反対の意思を明確にするためです。
・座間基地への米新軍団の配置 ・相模補給廠への自衛隊連隊の配置
この2項目については、主催者や来賓から異議を唱える発言が相次ぎました。
さて参加した感想ですが、以下箇条書きで述べてみます。
1、上で書いたとおり運動着での参加。余り目立たないかと思いきや、大勢の人に出くわしました。会うたびに「こんな格好ですいません。」1000人を越える動因の最大勢力は市職員のようです。もちろん悪いことではなく、休みの日にご苦労なことです。
1、挨拶のなかで良かったのは星野座間市長です。他の方は相変わらず原稿を読んでいました。大規模集会でかつ政治集会のときはノー原稿が基本です。無ければ話せないなら、暗記するくらいの決意が必要でしょう。現にノー原稿で自分の考えを明確に述べる星野市長の話は、場の雰囲気が一番しまって感じました。
1、主催者代表を市議会議長に任せるのはある意味酷です。能力ある素晴らしい議長ですが、議長とはあくまで議会の公平な運営を司る立場です。特定の政治的意思を代弁する権限はありません。今回の件は党派をこえてますが、議長に主催者代表挨拶をさせるのは酷です。病気療養のため致し方ありませんが、市長欠席ならば代理である助役が堂々と主張を述べるべきでした。
1、講演を専門家に依頼していましたが、(私は運動会に戻ったため聞いてません)必要性を感じません。
1、上で書いた原稿の件も関連しますが、壇上にある過激(?)な基地反対の垂れ幕の割りに、雰囲気は淡々とした会でした。
1、公明党の県議2名が欠席。大切なご予定があってのことでしょうが、欠席は目立ちますね。会に出る大切さを反面教師から感じました。
1、国会議員のうち与党が代理含め3名来てます。当地選出の新人はともかく、他2名は政権内でかなりの幹部。自称では小泉総理と直に話せる関係とか。ならこんなところに来てないで、政府のなかで地元の意思を発言してほしいです。基地返還運動の矛盾がここにも現れてます。
| 2005年11月12日(土) |
久々の市民委員会準備会 |
市パートナーシップ推進指針では、「市民委員会」を常設することを明記しています。
行政と市民とのパートナーシップがきちんと進んでいるか、それを点検し推奨する委員会です。
せっかく"市民"委員会なのだから、最初の準備段階から"市民"によって検討しようと、数ヶ月前に同準備会が結成されました。
一言ある皆様がメンバーなので、多くの意見が出て紛糾するときもあります。
予定が重なり欠席がちでしたが、本日久しぶりに参加しました。
すると次回は中間報告を予定しているとのこと。大分煮詰まってきたようです。
非常に地道な作業を積み重ねてきた中核メンバーと、市担当職員の努力に敬意を表します。
試行錯誤を繰り返すことに、民主主義の発展があると信じます。
| 2005年11月11日(金) |
読売論評の「驚く」に驚く |
読売新聞一面下の論評を見ました。
そこには日本人が忘れてしまったものがいくつか書いてあり、その中に"恩"とあります。
その"恩""に関連して、今年起きた少年による両親殺害事件の裁判について感想が書いてあります。
被告少年が陳述のなかで、「恩を仇で返してしまった」と述べたそうです。
この論評を書いた記者は、「16歳の少年がこんな文言を知っていたのかと驚いた」とあります。
論評を聞いたこちらが驚きます。大読売新聞の一面に記事を書く記者も、編集委員もこんなものかと思いました。
子どもが大人より知識がないという偏見は、子どもにとって情報源が限られていた時代にうまれたものです。
現在はネットを含め多くの手法で、子どもは情報を入手できます。
情報に対する関心や、記憶力も鑑みると、大人より子どもの方が情報量は多いかもしれません。
だからこそ色々な社会問題が発生しているのです。
子どもをバカにしてはいけません。
と書いた以上は、私も偏見を持たないよう、周辺の若者に「恩を仇で返すを知っているか?」と聞いてみます。
小川市長の療養のため、加山助役が職務代理に任命されています。
職務代理は、市長が欠けたときの制度かと思いきや、今回のように欠勤の場合でも任命できるとのこと。
先般、ある市役所発行の公文書を見ました。すると市長名・印のところが加山助役の名前になっています。
聞いてみると住民票など、ほとんど全ての文書が職務代理名とのこと。きちんとしていると言えばそうですが、やはり融通が利かない役所らしいとも思います。
そして市長名がないことの説明のために、役所内のテレビモニターなどに、「市長が病気療養云々」と書いてあります。
地方自治には色々な制度があることは承知しています。でもやはり今回のように事態に直面しないとわからないこともあるものです。
とにかくにも前回の市長選挙で圧勝し、市民の信託を得たからには、一日もはやく回復し公務に復帰されることを期待するのみです。
心からそう思います。
自衛官募集相談員会の研修会がありました。
昨今の募集状況が悪いことから、急遽相談員に対して現況説明が行なわれたのです。
説明をしたのは、自衛隊神奈川地方連絡部長・同募集課長・相模原募集事務所長で、数十人の相談員が参加しました。
自衛隊への応募者が減った最大の原因は、景気が回復基調(?)になり、民間の求人が増えているからとのこと。
少し意外でした。
自衛官になるということは、よほどの覚悟が要ります。景気で云々という通常の就職先のような話になるとは思わなかったのです。
さて世界平和を創ることを、政治家として最大の使命としている私が、自衛官募集相談員になっているのには理由があります。
それは募集に直接協力したいという気持ちよりも、現在の自衛官が被っている多くの差別を失くしたいと考えているのです。
街の中で、自衛隊の任務について広報する機会を設けるべく、色々な方に話をしてみますが、それが自衛隊であるだけで受け入れてもらえないことが多いです。
軍国主義=自衛隊であり、自衛隊の存在=政治的テーマ、になってしまっているのです。
アメリカ軍に対しては「格好いい」という人でも、自国の軍隊に対しては暗いイメージを持っています。
もちろん前提として、軍隊は必要「悪」です。
かつて吉田茂が防大卒業式で言った「君たちが日陰者の方が、世の中は平和なのだ」も、かつての軍事大国を経験した反省として的を得た意見です。
しかし警察官も消防士も、そして自衛官も、危険な仕事を公務として行なっていることに変わりはありません。
もし将来自衛隊が道を誤るとしたならば、それは自衛隊ではなく、政治の責任なのです。
自衛隊とは何であるのか、それを国のなかで位置づける責任を放棄してはいけません。
私は自衛隊の必要性を認めた上で、日米安保条約を含む安全保障政策の見直しを行い、そして将来に向けての軍縮を、国際社会と強調しながら行なうべきと考えます。
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