てらさき雄介の日記
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2005年11月13日(日) 基地臨時大会の感想

朝からJCの運動会でしたが、途中運動着のまま抜け出し、基地返還市民協議会が主催する臨時大会に参加しました。

会場の市民会館大ホールは満員で、急遽の開催にしては盛り上がっていたと思います。

開催の目的はもちろん、過日政府から「中間報告」が示された件について、自治体として反対の意思を明確にするためです。

・座間基地への米新軍団の配置
・相模補給廠への自衛隊連隊の配置

この2項目については、主催者や来賓から異議を唱える発言が相次ぎました。

さて参加した感想ですが、以下箇条書きで述べてみます。

1、上で書いたとおり運動着での参加。余り目立たないかと思いきや、大勢の人に出くわしました。会うたびに「こんな格好ですいません。」1000人を越える動因の最大勢力は市職員のようです。もちろん悪いことではなく、休みの日にご苦労なことです。

1、挨拶のなかで良かったのは星野座間市長です。他の方は相変わらず原稿を読んでいました。大規模集会でかつ政治集会のときはノー原稿が基本です。無ければ話せないなら、暗記するくらいの決意が必要でしょう。現にノー原稿で自分の考えを明確に述べる星野市長の話は、場の雰囲気が一番しまって感じました。

1、主催者代表を市議会議長に任せるのはある意味酷です。能力ある素晴らしい議長ですが、議長とはあくまで議会の公平な運営を司る立場です。特定の政治的意思を代弁する権限はありません。今回の件は党派をこえてますが、議長に主催者代表挨拶をさせるのは酷です。病気療養のため致し方ありませんが、市長欠席ならば代理である助役が堂々と主張を述べるべきでした。

1、講演を専門家に依頼していましたが、(私は運動会に戻ったため聞いてません)必要性を感じません。

1、上で書いた原稿の件も関連しますが、壇上にある過激(?)な基地反対の垂れ幕の割りに、雰囲気は淡々とした会でした。

1、公明党の県議2名が欠席。大切なご予定があってのことでしょうが、欠席は目立ちますね。会に出る大切さを反面教師から感じました。

1、国会議員のうち与党が代理含め3名来てます。当地選出の新人はともかく、他2名は政権内でかなりの幹部。自称では小泉総理と直に話せる関係とか。ならこんなところに来てないで、政府のなかで地元の意思を発言してほしいです。基地返還運動の矛盾がここにも現れてます。



2005年11月12日(土) 久々の市民委員会準備会

市パートナーシップ推進指針では、「市民委員会」を常設することを明記しています。

行政と市民とのパートナーシップがきちんと進んでいるか、それを点検し推奨する委員会です。

せっかく"市民"委員会なのだから、最初の準備段階から"市民"によって検討しようと、数ヶ月前に同準備会が結成されました。

一言ある皆様がメンバーなので、多くの意見が出て紛糾するときもあります。

予定が重なり欠席がちでしたが、本日久しぶりに参加しました。

すると次回は中間報告を予定しているとのこと。大分煮詰まってきたようです。

非常に地道な作業を積み重ねてきた中核メンバーと、市担当職員の努力に敬意を表します。

試行錯誤を繰り返すことに、民主主義の発展があると信じます。


2005年11月11日(金) 読売論評の「驚く」に驚く

読売新聞一面下の論評を見ました。

そこには日本人が忘れてしまったものがいくつか書いてあり、その中に"恩"とあります。

その"恩""に関連して、今年起きた少年による両親殺害事件の裁判について感想が書いてあります。

被告少年が陳述のなかで、「恩を仇で返してしまった」と述べたそうです。

この論評を書いた記者は、「16歳の少年がこんな文言を知っていたのかと驚いた」とあります。

論評を聞いたこちらが驚きます。大読売新聞の一面に記事を書く記者も、編集委員もこんなものかと思いました。

子どもが大人より知識がないという偏見は、子どもにとって情報源が限られていた時代にうまれたものです。

現在はネットを含め多くの手法で、子どもは情報を入手できます。

情報に対する関心や、記憶力も鑑みると、大人より子どもの方が情報量は多いかもしれません。

だからこそ色々な社会問題が発生しているのです。

子どもをバカにしてはいけません。

と書いた以上は、私も偏見を持たないよう、周辺の若者に「恩を仇で返すを知っているか?」と聞いてみます。


2005年11月10日(木) 住民票も代理の名前

小川市長の療養のため、加山助役が職務代理に任命されています。

職務代理は、市長が欠けたときの制度かと思いきや、今回のように欠勤の場合でも任命できるとのこと。

先般、ある市役所発行の公文書を見ました。すると市長名・印のところが加山助役の名前になっています。

聞いてみると住民票など、ほとんど全ての文書が職務代理名とのこと。きちんとしていると言えばそうですが、やはり融通が利かない役所らしいとも思います。

そして市長名がないことの説明のために、役所内のテレビモニターなどに、「市長が病気療養云々」と書いてあります。

地方自治には色々な制度があることは承知しています。でもやはり今回のように事態に直面しないとわからないこともあるものです。

とにかくにも前回の市長選挙で圧勝し、市民の信託を得たからには、一日もはやく回復し公務に復帰されることを期待するのみです。

心からそう思います。


2005年11月09日(水) 景気で自衛官が減る

自衛官募集相談員会の研修会がありました。

昨今の募集状況が悪いことから、急遽相談員に対して現況説明が行なわれたのです。

説明をしたのは、自衛隊神奈川地方連絡部長・同募集課長・相模原募集事務所長で、数十人の相談員が参加しました。

自衛隊への応募者が減った最大の原因は、景気が回復基調(?)になり、民間の求人が増えているからとのこと。

少し意外でした。

自衛官になるということは、よほどの覚悟が要ります。景気で云々という通常の就職先のような話になるとは思わなかったのです。

さて世界平和を創ることを、政治家として最大の使命としている私が、自衛官募集相談員になっているのには理由があります。

それは募集に直接協力したいという気持ちよりも、現在の自衛官が被っている多くの差別を失くしたいと考えているのです。

街の中で、自衛隊の任務について広報する機会を設けるべく、色々な方に話をしてみますが、それが自衛隊であるだけで受け入れてもらえないことが多いです。

軍国主義=自衛隊であり、自衛隊の存在=政治的テーマ、になってしまっているのです。

アメリカ軍に対しては「格好いい」という人でも、自国の軍隊に対しては暗いイメージを持っています。

もちろん前提として、軍隊は必要「悪」です。

かつて吉田茂が防大卒業式で言った「君たちが日陰者の方が、世の中は平和なのだ」も、かつての軍事大国を経験した反省として的を得た意見です。

しかし警察官も消防士も、そして自衛官も、危険な仕事を公務として行なっていることに変わりはありません。

もし将来自衛隊が道を誤るとしたならば、それは自衛隊ではなく、政治の責任なのです。

自衛隊とは何であるのか、それを国のなかで位置づける責任を放棄してはいけません。

私は自衛隊の必要性を認めた上で、日米安保条約を含む安全保障政策の見直しを行い、そして将来に向けての軍縮を、国際社会と強調しながら行なうべきと考えます。


2005年11月08日(火) 民主党の新公認基準について

党本部が衆議院選挙での公認基準を示しました。今までは明文化されたものがなく、公認決定に至るまでの経過が不透明でした。

あわせて強い候補者を擁立するために、過去落選した候補者を差し替えるため、その基準を明確化する必要もあったのでしょう。

3回落選したら公認しないのは当然にしても、比例復活当選を落選と認定することには、恐らく反発もあったでしょう。

前原代表以下執行部の英断だと思います。

今回のものは、あくまで国政選挙についてですが、地方選挙もこれに準じていく可能性があります。

私たち総支部では、昨年度政策調査委員会(長友克洋委員長:当時)が基準を定め、「同一選挙で2回敗戦したら原則公認しない」とだけあります。

しかし基準を定めても、いかにそれを守っていくかが大切です。

だいたい頭に“原則”と付いていて、諸般の事情で“例外”を連発し、基準が有名無実化されていく傾向も多くあります。

例えば現在の党本部のルールには、知事と政令市長について、「4選以上70歳以上は推薦しない」とはっきり書いてあります。

しかし前回の横浜市長選挙では大半が4選目の現職市長を応援しました。

松沢成文代議士はじめ一部の有志が現中田宏氏を支援し、私も街頭ビラ配り要員として参戦しました。

小泉総理の大勝は、彼の徹底した姿勢によります。非情とも言える覚悟で、今までの仲間を追い込んでいきましたが、そのことは反面信念の固さを主権者に訴えることに繋がりました。

さて私ごとですが、前回は党公認候補として落選致しました。今回藤井先生はじめ多くのご推薦で、再び党公認候補として県政に挑戦する機会を頂きました。

現在の基準に照らし合わせるまでもなく、今回敗れることは許されません。まさに背水の陣で来たる決戦に臨んでまいります。




2005年11月07日(月) 参院候補だった牧山さんと話す

定例の党支部常任幹事会がありました。参議院補欠選挙の総括が主な議題で、候補者だった牧山ひろえさんも御礼のため参加されました。

会議終了後は近くの店で、牧山さんを交え食事会をしました。

突然の呼びかけのため参加者は数人でしたが、私もせっかくの機会なので他用を中座してご一緒しました。

色々政治の話をいたしましたが、牧山さんの経歴が映画会社関連が多かったことについて話をしました。

お話を聞いてみると、なるほど色々な経験をされています。じっくり話せば、やはり人間としての面白さが出てきます。

補選の性格上党本部直轄だったこともあり、なかなか個性が出せなかった面もあったのでしょう。

話のなかで、期間中の演説について、自分の主張と党の兼ね合いを悩んだと言われてました。政党に入っていれば、誰しも一度は思い悩むことです。

アドバイスを出来る立場ではないので、自らを律する意味でで牧山さんに言ったのは、「一番大切なのは、自分が政治を志した動機だ」ということです。

経験上ですが、選挙戦も終盤になり、心身共に限界に達してくると、無意識の中で演説しているのは、この「最初に政治を志した思い」であることが多いです。

党とはひとつの指針ではありますが、有権者の投票が個人名であることからも、あくまで自分の主張を曲げてはいけません。

次期参議院選挙については、まだ正式に候補者になったわけではありませんが、今後は自分の後援会行事などにもお声がけしたいと思いました。


2005年11月06日(日) 唄は難しい

毎日この日記を見て頂いている皆様には、本当に感謝しています。ありがたいです。

パソコンが事務所のデスクトップ1台のみのため、事務所に寄らない日は更新が出来ない日もあります。その際はご理解ください。

さて今日は夕刻より、地元歌手のデビュー1周年の記念パーティーでした。

支援者の方からお呼ばれし伺いましたが、会の途中で急にマイクを向けられた時はびっくりしました。

こういう会の挨拶は、とても難しいものです。しかし「やあやあどうも」だけでは、私の否定する冠婚葬祭政治になってしまうので、多少でもメッセージを入れるように頑張りました。

今日の歌手の方は58歳だそうです。それでも夢を追い求め頑張っている姿はとても素晴らしく、3時間以上の会を最後まで楽しく過ごしました。

酔っぱらった参加者が、「寺崎唄え!」とおっしゃいました。しかしカラオケはかなり下手です。

自分の政治家としてのメッセージがダメとか、あるいは挨拶が何言っているわからなければ、それは資質の問題しててあきらめるしかありません。

しかしカラオケが下手で、ダメだしを食らっては本望ではないので、ご遠慮しました。

それでも友人同士では時として唄います。

代表的な持ち歌は以下の通りです。

上を向いて歩こう(仕事用)
ああ人生に涙あり(仕事用)
群青(仕事・プライベート両用)
ALONE(プラーべート用)
GOODBAYDAY(プライベート用)

上でも書きましたが、かなり下手です。感情を込めるのも苦手です。どこかで聞いて頂く際は、やさしく見守ってください。

今日聞いた歌手の唄は、まさに含蓄があったと思います。本業は俳優さんですので声がよく、思いを込めて唄っていられました。

楽しい会でした。


2005年11月05日(土) 相模原に生まれ育った縁

午前中は消防団の健康診断です。希望者のみ個人負担1000円で受けられます。

市議時代は議会互助会でやっていたのですが、現在はこういう機会が貴重です。バリウムまでしっかりやりました。

昼から大切な友人の結婚披露宴です。夕方の2次会まで参加しました。

相模原で生まれ育ち、結婚後も相模原に住み続けるそうです。仕事も市内なので、おそらくは私と同じく相模原に骨を埋めるのでしょう。

地域で生きていくことは、楽しいことも煩わしいこともあります。ひょっとしたら数でいけば、煩わしいことの方が多いかもしれません。

しかし同じ地域で住んでいる者同士が、時として共有する連帯感は、他では味わえない喜びも生んでくれます。

これから数十年、今日結婚した友人と私は同じ相模原で暮らします。その長い時間のなかには、時として、争いや仲違いをする時もあるかもしれません。

だからこそ今日という晴れの日に一緒だったことは、大切な財産として一生大事にしたいと思います。

おめでとう。


2005年11月04日(金) “マニュアル”返答が悲しい

ある物が要らなくなり、リサイクルショップに売ろうと考えました。

2軒行って断られ、あとは数軒電話しましたが、全て買い取り不可です。

希少品(でもない)と思いあきらめましたが、「何でも買います」は誇張でした。

うち1件には、買えない理由を聞いてみました。

リストにダメと書いてあるからではなく、リストにないからダメだそうです。

その返答に私の嫌いな“マニュアル君”の影が見えて嫌でした。

かつて質屋の中には、その物に対する売り主の思い入れなども含め、総合的に考慮しお金を貸したと言います。

また一見売れそうもないものを、頑張って売る気合いも欲しいですね。

まあこれは現在の日本の価値観では、無理な相談ですね。

しかし未来は・・・。

*ちなみに売ろうとしていた物は、私と同業者が必ずと言っていいほど持っているものです。新品だと5万円から10万円くらいします。さて何でしょうか。





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