てらさき雄介の日記
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2005年06月01日(水) 都知事の勤務状態は問題

副知事問題に関連して、石原都知事の勤務状態が話題になっています。

週に2〜3回しか都庁に出ていないのです。しかも終日いるわけではなく、所用をすませれば帰ってしまっています。

カラバコス諸島や沖ノ鳥島になどには、視察に長く行くのに、本来の都庁業務がこの有様は疑問です。

役所内にいることだけ首長の仕事ではありませんが、基本の勤務はあくまで知事室に置くべきです。

首長の一番の仕事は、「政策によって役所を統制すること」です。中でも都庁は最も職員数も多く、事業数も他の自治体とは比べものになりません。

そもそも今回の副知事問題も、都庁にいない知事に代わって副知事が権限を持ってしまったことによります。

休暇は休暇で大いにとって結構ですが、「自宅で執筆活動」は納得できません。

都民ではありませんが、東京都のあり方は他自治体にも多くの影響を及ぼします。

都知事の勤務状態について、都民は問題にすべきです。


2005年05月31日(火) 審議拒否はあくまで最後の手段

郵政民営化法案の審議で、民主党が審議拒否をしています。基本的には審議拒否には反対です。

議員は議会で発言してなんぼであります。審議そのものを拒否することは、有権者の期待に背くだけでなく、結果政府を利することにもなります。

ただ数が大きくものを言う政治の世界で、しかも権力機構の一部である国会では、“最後の”手段として審議拒否もあり得るとも考えます。

しかしそれは“最後の”手段であって、二度と議場には帰ってはいけません。つまり辞職と同じ重みを持つ場合にのみ、許容されると思います。

しかし今回の審議拒否にそこまでの覚悟は見られません。ならば即刻議場に帰り、審議を通じて政府と対峙すべきです。

幸い(?)欠陥の多い法案です。しかも小泉総理の発言を聞いていると、どうも詳細まで把握していないようです。

社会党の二の舞はごめんです。苦しくても、議会での議論によって有権者にメッセージを発信してほしいです。


2005年05月30日(月) 町田JCとの交流会、久々です

青年会議所などで数年間にわたり、相模原市と町田市との合併を研究したことがありました。

町田市民が消極的であったことと、相模原市と津久井郡の合併が先行したことにより、最近は陰を潜めています。

青年会議所では自治体同士の合併を別にして、かねてから町田JCと交流があります。毎年一度、町田JCと多摩JCと一緒に交流事業を行うのです。

今年は相模原JCの私が所属する委員会が担当で、7月に一泊キャンプを行います。

場所は津久井の青根キャンプ場です。津久井JCの皆さんも参加いただくために、この場所を設定しました。

車で行くとかなり遠くですが、合併すれば同じ相模原市です。アウトドア派ではないので、キャンプなどをする機会はほとんどありませんが、初めて行く場所でもあり楽しみです。

今日打ち合わせを行い、だいたいの内容が決まりました。大自然のなかでのキャンプについては、結果またご報告いたします。



2005年05月29日(日) 消防車新車お披露目

同じ上溝の消防団第四部(四谷地区)に新車の消防車が入り、そのお披露目に参加してきました。

数年前に私の所属する第一部でも新車が入り、同じ様に皆さんを呼んで式典と懇親会を行いました。

いまや“お披露目”という風習が残っていない地区もあるようですが、上溝では健在です。

消防団は以外と閉鎖的社会で、通常は他の部と交流する機会はありません。しかし部長をやっているお陰でこのような会にも出れますし、今後の消防団運営について参考になる意見も聞くことができます。

何はともあれ、おめでとうございました。消防車は使われないほうが、もちろん良いわけですが、点検作業などで活躍すると思います。



2005年05月28日(土) 第二回タウンミーティング開催

第二回のタウンミーティングを開催し、十数人の方にお集まり頂きました。場所は市民会館の会議室です。

タウンミーティングは、政策やまちづくりを純粋に考えるべく行っているものです。いわゆる選挙向けの話は慎むようにしています。

相模原市中央部について、神奈川県と相模原市が総合計画の中でどのように考えているのかを、私の考えも交えながら発表しました。

神奈川県の地域計画によると、橋本や相模大野などの大きな拠点がないせいか、中央部は計画自体が薄いというのが印象でした。

子どもたちの安全について、参加者の方からご意見を頂きました。警察力に頼るのは限界があります。子どもたちを取り巻く“地域ネットワーク”を確立することが必要です。

地域密着の課題について皆様のご意見を伺うべく、これからも色々な場所で開催していきます。



2005年05月27日(金) 上沼恵美子がなかなか見れない

お笑いで好きなのは、何といっても上沼恵美子です。といっても「おしゃべりクッキング」以外は、なかなか関東のテレビにはあわられません。

今日ゴールデンタイムにたまたまテレビをつけると、上沼恵美子が進行をしていました。最後のテロップを見たら、作成はやはり関西系でした。

数年前に大阪駅地下街で、たこ焼きをつまみに酒を飲んでいる方々を見て、生まれて初めてみる光景にびっくりしたものです。ダウンタウンがよく言う、お好み焼きが主食ではなくおかずになるのも、こちらでは習慣がありません。

そんなわけで上沼恵美子は、何故か関東のテレビには出ていません。さっき東京都在住34歳男性の友人と電話で話をしていたら、上沼恵美子自体を知りませんでした。関西の皆様、これは本当の話です。

さてオチですが、こういった文化の違いが国内にあることは大歓迎です。

法律や条令などは、あくまでその社会の常識を具現化するものです。地域主権自体が、地域に違いがあるという前提によって進められています。

でも近くにせっかく違った文化があるのだから、それと触れ合う機会はどんどん欲しいですね。


2005年05月26日(木) 靖国神社参拝についての意見

「皆んなで靖国神社を参拝する国会議員の会」というのがあります。いわゆる超党派の議員連盟です。

何故“皆んな”で参拝するのか、それはデモなどと同じく、多くですることによって政治的メッセージを発信しているのです。つまりは政治的に靖国神社を使っているといえます。

総理が本当に死者の霊を慰めるために“参拝”しているのなら、参拝の日付にこだわることはありませんし、家から靖国に向かって手をあわせることもできるはずです。

さて人の文句を言う前に、私の意見を言わなくてはいけません。

私はふたつの理由で靖国神社の“参拝”はいたしません。

ひとつには、靖国神社を“参拝”することを政治的に利用している政治が現実に存在することです。そしてこういった政治の中身は、先の大戦を肯定する(あるいは否定することを緩和する)動きと偶然ではなく、密接に関連しています。

私は政治家として、先の大戦は誤りだと考えますし、そこに至らしめた当時の政治指導者も誤った政治を行ったと考えます。

遺族が“参拝”する自然な心境は理解できても、政治家が自分の立場を明らかにしたり、その意志を内外に伝えるために“参拝”することは容認できません。

ふたつには、戦死者の霊が靖国神社にあるとはどうしても思えないことです。戦地で亡くなった方が帰っていくのは、故郷であり親の元であり子の元であるはずです。

このことについてはもはや宗教的レベルの話なので、議論しても致し方ないかもしれません。しかし靖国神社とは、そもそも霊を祀る宗教施設であることを忘れてはいけません。

過去に国のために亡くなった方に感謝し、その霊を慰めることは当然です。しかしその具体化が、靖国神社を参拝することと言われている現状に危惧を覚えます。

現に私は愛国者ですが、このテーマに触れると非国民みたいな言われ方をされることもあります。

昨日厚生政務次官がこの問題について発言をし、問題になっているようです。しかし発言すること自体は大変結構です。

むしろこの期に至って、黙っている(黙っていられる?)政治家の心境が理解できません。各政党はかん口令などひかずに、皆んながどう考えているのか発表してほしいものです。

少なくとも私は、靖国神社を参拝するかどうかを、他から問われて答えられない方を政治家とは呼びません。






2005年05月25日(水) 津久井JC例会行けずに残念

(社)津久井青年会議所例会のご案内を頂きました。

街同士が合併することもあり、出来るだけ津久井へ行く機会を増やすよう心がけています。もっと互いを知ることが、今後良い街をつくっていくことに繋がります。

飛び地合併という不正常なカタチになってしまった一因は、市民・町民間の日頃の交流の薄さによる誤解もありました。

あいにく後援会バーベキュー大会と同じ日のため、私は参加することができません。時間がずれていますので、私のバーベキューともどもよろしくお願い申し上げます。

詳細は以下のとおりです。

社団法人津久井青年会議所6月第一例会(どなたでも参加できます。)
 内容 慶応大学ラグビー部総監督・フジテレビスポーツ部長
    上田昭夫氏による講演会
    テーマ「王者の復活・強い組織の創り方」
    第二部としてパネルディスカッションもあります。
 日時 2005年6月12日(日)午後5時〜
 場所 津久井街文化福祉会館にて
入場は無料です


2005年05月24日(火) 地方議会の役割とは

長友克洋市議の勉強会に参加しました。テーマは「地方分権と議会」です。

前段の“地方分権”はさておいて、そもそも“議会”とは何故存在するのでしょうか。

学生時代から「健全なる議会制民主主義」の実現を目指し、今日まで活動し続けております。都度思い悩むこともあり、これからの“議会”のあるべき姿は、今日現在私のなかで結論は出ていません。

市民の意見を行政に伝えるのが仕事なのか、(代表株主)
市の経営を行うのが仕事なのか、(執行役員)
行政の監視を行うのが仕事なのか、(監査人)

現状ではこれが混在しており、本会議などでも個々の議員によって全く別の視点から発言がされます。

多くの意見のなかで態度が決められないとき、私の思考は‘自分はそもそもどんな考えなのか’と自分自身の中に結論を求る傾向があります。

その時上の三つの中では(経営者)の視点であることが多かったと思います。

例えば、多くの方が望む施設の建設よりも、それをつくった際の財政への影響を考えてしまう訳です。

いまだ試行錯誤ですので、引き続き考えてまいります。





2005年05月23日(月) 明大雄弁部同窓との会合

明治大学雄弁部の同窓と、その友人と会を持ちました。

幾人かの総理大臣が出た早稲田大学雄弁会は諸方面で有名ですが、「弁論部」「雄弁部」「雄弁会」などのサークルが存在する大学は多いです。

それでも年々総数は減ってきているようですが、明治大学では一時期(戦前のある時期)には、学内の半数が雄弁部の門戸を叩いたとも言われています。

さて雄弁部の具体的活動は、

聞こえのいいもの
 シンポジウムの開催、街頭演説会、ストやデモなど、弁論大会、
 ディベート大会、各種研究発表、
 *皆が同じ活動ををするのではなく、個人の関心によって違う

聞こえのよくないもの
 酒を飲む(但しビールと日本酒以外は禁止) 
 酒を飲む(終電車という感覚がそもそもない部員も多い)
 酒を飲む(飲む量に上下はあっても、議論に上下関係はない)
 *酒を飲むことについては、何故か左右一緒に皆で飲む

といったところです。私は現在でも悩むテーマがあると、当時を思い起こし結論を出すことがあります。

原点というのでしょうか。そういう意味で、当時の同窓に会うのは気合を入れるのに役立ちます。

若くして昔を懐かしむような関係にはなるまいと、皆んなでいつも言っています。




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