てらさき雄介の日記
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2005年05月22日(日) 内政干渉という言葉は旧い

「内政干渉」という言葉があります。将来は死語になるであろう言葉です。

南アフリカがアパルトヘイトを廃止したのも、周辺国の“圧力”=「内政干渉」の成果でした。また北朝鮮や中国国内の人権問題も、ある意味内政ですが国連などが問題視しています。日本もどんどん取り上げるべきです。

一方で靖国問題について異議を唱える中国に対して、日本が「それは内政干渉だ」と反論することがあります。しかしその一言で中国が黙るはずもありません。

国同士であっても、それが内政に関わる問題であっても、価値観をぶつけあうべきなのです。

私は憲法改正論者ですが、一部にある‘自主’憲法という概念は理解できません。今の憲法も、帝国議会にて採択された立派な‘自主’憲法です。

成立の過程でアメリカの影響を多大に受けたのは事実ですが、現在つくっても多くの国々の影響は受けざるを得ません。要は内容なのです。

他国に理解の得られないことは、例え内政であっても存在しえないということを考えるべきです。


2005年05月21日(土) 消防団総会で帰宅午前2時

消防団第一分団第一部の総会に出席しました。本年度部長をつとめていることもあり、最後までおつきあいし帰ってきたのは先ほど午前2時過ぎです。

市内全域の消防団共通の課題である「新入団員の確保」には、行政がより役割を果たすしかありません。

多くの世帯が加入する自治会でさえも、そのネットワークは限られております。広報に載せるなどのありきたりの方法のみでなく、もっと積極的に勧誘する必要があります。

ボランティアなどの市民活動に参加している方が、年々増えています。消防団だけが人が集まらないはずはないのです。


2005年05月20日(金) 市長について一日数回聞かれます

「市長はどう?」と最近は一日数回聞かれます。私がやりたいかという質問ではなく、一時期体調不良であった現市長の調子がどうかという質問です。

最近も何度かお見かけしましたが、言われているほどではなくお元気でした。確かに少し痩せられてましたが、私と一緒でそもそも少し太めだったこともあります。(失礼!)

舘盛前市長の時代を知らない私は、市長といえば現小川市長です。様々な経緯もありましたが、政治家として発言はしても、根本的なところに愛着のようなものがないわけでもありません。

非常に気になることがあります。それは今年一月の市長選挙で、現市長と戦い敗れた陣営のなかで、市長の病状が悪いなどという噂を撒いている人がいるのです。

この前の市長選挙は完敗でした。そのことは対立候補の陣営に入り、最初から最後まで見ていた私が知っています。

敗れるには敗れるだけの理由があるのであって、選ばれるのはそれだけの理由があります。あれから半年しか経っていません。市長の体調不良にかこつけて云々という話は、政治家としても人間としても許される話ではありません。

敗れた側の私としては、残された任期中、選挙の際の公約実現にむけて頑張って頂くことを期待するだけです。

三年半後の市長選挙に現市長が出るのか、他の誰が出るのかなんてことは誰にもわかりません。その話は、そのときにすればいいのです。

しかし、いやな世界ですね・・・。プチ権力闘争に酔っている方が多いようです。


2005年05月19日(木) 第二回市民委員会準備会

相模原市パートナーシップ推進指針に基づき設置された、「市民委員会準備会」に公募で参加しています。

今日は第二回で、今後の準備会の進め方などについて議論いたしました。ほぼ全員が公募により参加しているため、多くの意見が出てよい雰囲気でした。

準備会の役割は「市民委員会」を立ち上げることです。

そして「市民委員会」の役割は、行政と市民などのパートナーシップを推進し、その基本ルールづくりを行うことです。

私が今日発言したのは、準備会の役割についてです。一刻もはやく「市民委員会」を立ち上げるべきで、準備会では大枠のみ議論して詳細は「市民委員会」自体のなかで決めるべきとの趣旨です。

内容とは別に今後興味深いことは、意見続出のメンバーのなかで、どのように議論の結果が集約されカタチになっていくのかです。

これは民主主義の実践とも言えますし、直接民主制の導入に向けた試行とも言えます。

今後は二〜三週間に一回程度、会議を開催することになりました。引き続き頑張ります。


2005年05月18日(水) 中国から帰ってきた友人

中国広州の近くで仕事をしている高校の同級生が、一時帰国し一緒に食事をしました。

色々中国の話を聞きましたが、年々拡大する貧富の格差はとどまるところを知らないそうです。

共産党の統治が何故崩れないかについては、やはり少しづつですが秩序の変化は起っているとのこと。

この友人の見方では、平均的な教育水準の低さから新たな政治勢力が出てきてないだけで、そのことは共産党自身が一番理解しているのとのことです。

地理的に近いだけでなく、経済的にもますます日本との関係が深まっています。中国脅威説を唱えている人もいますが、日本が中国の影響を受けずにいられるはずは、古来からの歴史を見てもありません。

どんどん中国に関心を持ち、政治ももっと中国に対して発言すべきです。


2005年05月17日(火) 革命家の条件

「革命家」という響きは悪くありません。世の中を根本的に変えるという意味であり、必ずしも左翼の専売特許の言葉ではありません。

相模原青年会議所の例会が本日行われ、元ヤクルトスワローズ選手の青島健太さんの講演を聞きました。

プロ野球選手として成功する要因は、毛沢東の言う「革命家」の条件と同じとのこと。

以前中国関係の書物で読んだことがありましたが、改めてその条件を胸に刻みました。

「革命家」の条件とは
“若くて、貧しくて、無名であること”です。


2005年05月16日(月) NPO法人の理事になります

NPO法人さがみはら市民会議の理事になりました。今月末の総会で正式に決まります。本日は新役員同士の打ち合わせでした。

理事は、団体の運営について責任を負うだけでなく、NPOが半公益法人であることから社会に対する責任も負います。

いくつかの委員会をつくるなかで、「政策調査委員会」の副委員長にもなりました。数日前にもこの日記に書いた地域紙のNPOコーナーの編集などが主な担当です。

今後は設立目的である、相模原市内の市民活動の活発化に向けて一層の取り組みをしていきます。


2005年05月15日(日) あるアメリカ高官の話

支援者の方に誘っていただいた会合で、他地区の自民党代議士と話しをする機会がありました。

その代議士はGW中に自民党幹部とともに訪米し、政府高官の数人と意見交換をしたそうです。日本を担当している高官とのやり取りが、非常に印象的だったので記します。

アメリカ高官「○○代議士は○○市が地元でしたよね」
その代議士「そうです」
アメリカ高官「今は都議選で大変でしょう」
その代議士「・・・」

アメリカの情報に対する貪欲さをあらわしています。日本外務省がここまで調べるかと言えば、少なくとも今回のように主賓でなく随行でいった人の分までは調べないとのこと。

非軍事による安全保障を進めるには、一方で情報こそ鍵になります。日本もしっかりしなくてはなりません。


2005年05月14日(土) 若手経済人の勉強会

市内で活動する若手経済人の勉強会に参加しました。藤井裕久代議士も懇親会に参加してくださり、とても盛会でした。

まじめに勉強する会が、とても増えているのを感じます。

以前は経済人の会とか異業種交流会と言っても、ただの飲み会という実態が多かったですが、厳しい社会環境のなかそれだけでは意味がなく、結果人が集まらないのでしょう。

今日の会でも、市内で活躍する多くの新しい方に出会うことができました。

かつて合併協議会の検討会のなかで、スケールメリットとは何かについて議論するなかで、「同じ街のなかで多くの人と出会えること」と発言したのを思い出しました。

もうすぐ63万人の人口になります。現状に満足することなく、どんどん色々な方に出会ってまいります。


2005年05月13日(金) 派閥のできる訳

政治の世界では、よく派閥ができます。少人数の仲良しクラブ的なものから、事務所まで持つ組織的なものまで様々です。

共通して言えるのは、議員や候補者にとって生死を左右する「選挙」をきっけに派閥は誕生し、「選挙」を利用して派閥は拡大もします。

自民党の派閥も、小選挙区制度の導入から意義を失い、最近は求心力が低下しているようです。以前の自民党は派閥が違うということは、政党が違うくらい垣根がありました。

さて民主党はどうでしょうか。今風というのか何と言うのか、言われているほど派閥的なものはありません。

派閥をつくろうとすれば派閥に入る見返りを最初に与えなければなりません。野党であるからというだけでなく、他に対して何かをしようという空気は、現在の民主党には少ない現状です。




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