てらさき雄介の日記
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2005年04月22日(金) また一人凄い市議に出会う

また一人、凄い政治家に会いました。菅原直敏大和市議会議員です。家に帰ってHPを見てみたら、これも凄い!

凄い人に会うのは刺激になるだけでなく、とても嬉しいものです。それが年下だと、特にです。

既成の政治に囚われることなく、しかも地域に根付いて活動している政治家を私は尊敬します。

ちなみに、いつものメンバーも一緒でした。
長友克洋相模原市議
新井克尚町田市議
若林章喜町田市議


2005年04月21日(木) 皆んなで、合同駅頭活動

同じ政党といえど、政治家は個々人として有権者に対して責任を負っています。

従って基本的には、自立した個人の集合体が政党であるべきです。「民主党はばらばらだ」とよく言われますが、こういうご意見は私はあまり気になりません。

むしろ皆んなが同じことを言っているほうが、某組織政党みたいで気持ち悪いです。

同志であり、友人であり、ライバルであるのが、民主党の仲間たちです。今日はそんなメンバーで、合同駅頭活動を行いました。

本村賢太郎県議長友克洋市議小池義和市議、角尾明皇前市議(HP見つかりませんでした)、渡辺良一市議候補予定者(同じく)と一緒に、朝6時半から8時まで交代で演説しながら、ビラ配りを行いました。

私が参加した限りは初の試みですが、結果非常に良かったです。何がと言えばまだ説明しにくいのですが、いずれ答えを見つけたいと思います。

ちなみに、明日と来週月曜日もやります。


2005年04月20日(水) 本を書く思い

友人の父上が本を出版されたので、そのパーティーに参加いたしました。

著者は過去にも数冊の本を出されていますが、今回の本は労働争議に関する内容なので、より関心を持っております。

今日の今日なので、帰りの電車で前書きを読んだ程度ですが、パーティーのなかでのご挨拶でも、本を書くに至った思いはひしひしと伝わってきました。

本とまでもいかなくても、いくばくかの文章は書いたことがあります。この日記も、ある意味そうかもしれません。

文章にすると平面であっても、書くに至った思いについては複雑かつ多面的であります。

政治家は、もっと文章を書かなくてはいけないと思います。私のように拙稚なものでも。



2005年04月19日(火) やはり在日米軍増強に反対します

民主党支部の政策調査委員会(小池義和委員長)が主催する、「アメリカ陸軍第一軍団司令部の座間移転」について、勉強会に参加しました。

講師は藤井裕久代議士で、参加者は二十名くらいでした。現在の米軍再編についてのみでなく、吉田茂が安保条約を締結した当時からの背景など、多面にわたるお話を聞くことができました。

藤井代議士の考えは、国連中心の安全保障を目指すのが基本であり、日米安保については限定的に考えるべきとのものです。このご意見に賛成です。

一部には、安保条約を改定してでも在日米軍を増強すべきとの意見が民主党内であるそうです。しかし藤井代議士も言われていましたが、これは極論であり、冷静に今後の世界情勢を考えれば採用できないと考えます。

国連の安保理事国入りについても触れられ、日本がなることに反対しているのは、中国ではなくアメリカだとのご意見も、なるほどと思わされました。

今週末、4月23日(土)11:00〜相模大野駅頭にて、移転反対の街頭活動を行います。これに加えて、今後も地元の「我儘」ではなく、「責任」として訴えを続けてまいります。

*今度市役所が行う反対集会の講師が西部邁氏であったのは驚きです。言いえて妙の選択ですが、少し違うのでは?と思います。


2005年04月18日(月) 中国での反日デモについて

この件について記載が遅くなったのは、推移をもっと見たいとの思いからです。この気持ちは変わらず、今しばらく変化するであろう事態を注意深く見つめてまいります。

自虐的と言われるかもしれませんが、中国政府高官に言われるまでもなく、日本の歴史認識は国際社会標準でも“甘い”と考えます。

かつて相模原市議会友好訪中団で、無錫市人民政府の面々と意見交換した際、日本から行ったある議員(しかも民主党!?)が「ここもかつて戦場になったのですか?」の一言。この言葉の重要性を理解した私たちは、一瞬ひいてしまい、懸命な我が団長はすかさず話題を変えました。

無錫は、上海と南京の中間に位置し、従って日中戦争の日本軍の進軍コースだったのです。目の前にいる人民政府の面々も、親族などの誰かが犠牲になったことは容易に想像できるわけです。事実関係を理解した上での「意見」ならともかく、お話になりません。相模原市を代表して行っているはずがこれですから、中国人が日本の歴史認識に疑念をいだくのも理解できます。

昨今朝鮮半島もそうですが、前向きで大変結構です。今後はかつての恨みをこえた私たちの世代が中心になって、一層の友好関係を築くべきです。しかし事実を事実として踏まえるのは、他人(他国)と接する際の礼儀です。

さて以上の流れだと、今回の件は日本が悪いとでもそうですがそれは違います。

私がアメリカの外交政策を常に批判をしているように、中国もまた帝国主義的な政策をとっています。また、私は天安門事件を忘れてはいません。あの政権の本質は変わっていないと思います。

上海などで領事館にペンキを投げたり、もっと許せないのは在中の日本人に具体的被害が及んでいるのは、今時発展途上国でも珍しい光景です。

個々の政治テーマについては冷静に対処すべきですが、在外邦人の安全についてはもっと毅然とした態度で取り組むべきです。退去勧告くらい出してもよい事態だと考えます。

外務大臣が訪中し、議論したことは正解でした。ただ、せっかくなので町村大臣の歴史認識を聞きたかったです。小泉総理も泡を食ったようなコメントではなく、中国から受けている誤解にしっかりと反論すべきです。もし誤解ではないのだったら、信念を述べるしかありません。

私は1971年9月29日に生まれました。日中国交回復ちょうど1周年の日です。田中角栄と周恩来は、同じく歴史認識のことで喧嘩をし、毛沢東の「喧嘩することが友人関係の近道」の一言でまるく収まったそうです。

政府の対応に期待いたします。


2005年04月17日(日) 鎌倉市議選出陣式に参加

今日から始まる鎌倉市議選に立候補している「久坂くにえ」さんの出陣式に参加しました。場所は大船駅そばです。

市議選の出陣式にしては、しっかりし過ぎていると思いましたが、それは決して悪いことではありません。

関連労組の支援を受けながら、トップ当選を狙う勢いだと思いました。候補者も街頭演説を重ねてきたせいか、しっかりしていて初出馬を思わせませんでした。

他にも民主党から立候補していますので、あわせてよろしくお願い申し上げます。

帰りに大船駅前で、他党の候補者の第一声をやってましたが、旧知の相模原市議が応援に来ていたようです。皆んな大変ですね。

今年は大河ドラマが「義経」ですので、色々な意味で選挙結果が注目されるのかもしれません。


2005年04月16日(土) 人の生に疑問を持つ自分

タイトルにするのは憚られましたが、何と「宮崎勤被告がまだ生きていたのです。」

十数年前に同種の事件で死刑判決を受けたはずです。何とテレビ朝日の記者と文通をし、今回の事件についての感想も述べていました。

あれは中学生のときだったでしょうか。当時八王子に通学していたので、宮崎被告が八王子警察に連行されてきたことが心象的で、かつ出身が兄弟校だったこともあり、意外によく記憶しています。

死刑制度については、まだ流動的な意見しか言えませんが、原則廃止をすべきです。ただ例外は設ける必要がります。

その例外のひとつが、子どもに対する殺人事件です。かつて尊属殺人というのが法律上ありましたが、その逆説的な意味において許しがたいです。

数年前におきた大阪の池田小学校事件の犯人は、既に死刑を執行されています。

拘置所内で死刑囚世話係をした人の著書「そして、死刑は執行された」にもありましたが、死刑の執行は恣意的かつ任意的なものです。判決が出ても当該拘置所と政治の判断で、執行の可否が決まるのです。これは問題です。

それとこの宮崎被告の手紙を特集にしたテレビ朝日ですが、内容をよーく見ましたが、この手紙を公開している意味がない!

「かつての犯罪者宮崎被告」の冠で、視聴者にアピールしているしか意味が見出せませんでした。

彼の肉筆の手紙など出れば、遺族の精神的被害は増します。それでも公開する社会的な意義を、どこまで真剣に検討したのか疑問です。反省を促したいです。




2005年04月15日(金) 同期生が衆議院候補に

明大雄弁部の同期である「平島こうじ」が、民主党公認の衆議院候補になりました。

地方議員やその候補者は友人も多数いますが、国政となるとそうでもありません。皆んなの夢を受け止めて頑張ってもらいたいです。

相手の自民党候補は元大臣の大物です。期待を受けての出馬です。

党本部HPの「候補者一覧」にのってます。選挙区は静岡3区です。是非ご覧ください。(コチラをクリックください。)


2005年04月14日(木) まちづくりシンポに参加

市役所都市計画課が主催の、「まちづくりシンポジウム」に参加しました。パネルディスカッションに知人が出ていることもあり、見に行ったわけですが、結果所用のため講演のみで退出しました。

このシンポは“(仮称)まちづくり条例”の策定に向けての試みで、既に公募委員を交えた検討委員会の‘案’は出ています。

きつい表現で言えば、所有権の制限にも結びつく条例ですが、行政主導ではなく、地域住民主導でまちづくり(この条例での定義は土地利用のこと)を行える制度でもあります。

土地所有者と住民の二分の一が同意すれば、市に契約を申し込める点もユニークですし、住民の年齢定義を16歳以上としたことも画期的です。

専職の議員がつくるよりも公募委員がつくった方が、良い内容の条例ができきてくることが最近よくありますが、決して議会制度の矛盾ではありません。

地方議会における意見集約のかたちが、間接制度から直接制度に変わっていく経過なのです。もちろん議員には「経営を行う」という別の役割が発生してきます。

あまりこの種の会に参加しない私も、この条例は重要だと思い参加しました。気になったのは、総勢5、60人の参加者でだいたいが関係者(特に市役所関係者)に見えたことです。内容がいささかマニア的ではありますが、生活に密着もしてくる問題です。

情報提供を通じ、より市民合意を深めていくことが大切です。


2005年04月13日(水) 4.13という日

4月13日は、二年前の県議選投票日でした。いい思い出ではありませんが、決して忘れることにない日です。

夜に敗戦の弁を述べたとき、事務所にいてくださった方のお名前は、しっかり覚えています。

私が帰宅するとき、得票は12000少しで、余り勝負になってない数字でした。翌日朝事務局長からの留守電に、結果15500票あまりで、次点で終わったとのこと。

以来二年間、過去の人生で最も長い月日を過ごしてみますが、先が見えてきました。同時に至らない点も噴出し、後二年やれるどうろうかという不安もあります。

15576という得票数ともに、4.13は忘れなれない数字です。

*次回県議選挙は、2007年4月15日が投票日の予定です。


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