てらさき雄介の日記
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2005年03月13日(日) 合併協議会が終わり、その感想です

今日は相模原市にとって歴史に残る日です。合併法定協議会が、ひとまず終了したのです。

来年3月20日をもって、新しい相模原市が誕生します。(社)相模原青年会議所の代表者などの意見によって、あくまで1市4町を目指すとの付帯決議がつけられましたが、いびつなカタチでの始まりには変わりがありません。

今日ある女性委員から、協議会で初めて発言する旨の自戒をこめての、貴重なご意見がありました。ここに至るまで一度も発言しない委員は、猛省すべきです。

合併について意見がないならば、委員の委嘱を受けるべきではありません。少しとはいえ、報酬も出ているわけですから。発言したくてもできない市民も多数いるのですから。

更には、一生懸命発言している委員を、白い目で見るかのごとき人がいるのも残念でした。「協議」会なのに、議論が委員と事務局の間で行われてしまい、委員同士の「協議」にならなかったことも、この誤った雰囲気によってです。

それと最後に至るまで、「異議なし」式の合意のとり方も疑問でした。全会一致とは、連帯して責任を負う手法ではなく、連帯して無責任になることです。

大切な採決だからこそ、挙手や起立などの手法をとるべきでした。個々の責任を明確にするためにも。

今回の誤りは誤りとして、その内容と責任を明確にしたいと思います。しかし一番大切なのは、今後如何に一体化したまちづくりを行うかです。

そのために今後も努力をし続けます。





2005年03月12日(土) 思い出の深大寺に皆んなで

“てらさき雄介レディース”の皆様でバス旅行を企画して頂きました。

出発には、わざわざ藤井裕久代議士も見送りに来てくださいました。一日の行程の中で、一番印象的だったのは深大寺です。

伊藤達也代議士(現金融相)の秘書時代に、調布市の一部を担当していました。その中に深大寺もありました。挨拶に伺ったお店もありますし、昼ごはんを食べた店もありました。

当時を思い出しながら、今日支援者の皆さんと訪れることができたことを、とても嬉しく思いました。

夜は相模原で複数の予定があったため、夕方に恵比寿から電車で帰ってまいりましたが、夜遅くまでお付き合い頂いた皆様に感謝で一杯です。ありがとうございました。








2005年03月11日(金) 再び学んでいる議員たち

大学関係の方と会食をしました。その中で、現役の議員が何人も大学で再び学んでいるとの話がありました。

私の友人でもとても優秀な議員が、大学院などに行っているのを複数知ってます。

この世界に入って10年になりますが、私たちが積んでいく政治「歴」とは、とかく選挙歴であることが多いものです。

そして悪いことに、その選挙歴すらも有権者の意思を如何に体得するかではなく、有権者に如何にアピールするかという自己中心的なものです。

「もう一度勉強したい」率直にそう思うことは、今まで何度もありました。そこから一歩踏み出した方々に敬意を表します。もちろん学んだことを、活かしていくという前提ですが。

今は学校などに行くことはできませんが、近い将来は不勉強をカバーしたいです。


2005年03月10日(木) 中西一善議員の辞職について

4月予定の衆議院補選が、中西議員の辞職によって三箇所になりました。

民主党もこれを機会に攻勢に転じるのでしょうが、私はこの主の問題をあげつらうことは好きではありません。

宮城の鎌田議員、福岡の古賀議員、そして今回の東京の中西議員。一体何をやってるのでしょうか。政治家が議席をかけても戦わなければならないことは、こんなことではないはずです。

まったくつまらない話です。

だからこそ、こういう低級な問題をあげつらってはいけません。有権者は今後の日本のあり方について、それぞれのビジョンを求めているのです。

互いの足を引っ張り合うような選挙はしてほしくありません。少なくとも民主党には。


2005年03月09日(水) 松沢知事の苦境を何とかしたい

松沢県知事がまたピンチです。知事を支援している県議会議員の皆さんは、一体何をしているのでしょうか。

抵抗勢力たる自民党他皆さんが、徹底的にかかってくるのはやむを得ないことですが、改革を進めなくてはならない側の主張が聞こえてきません。

地方議会に与党も野党もありませんし、行政に対しては厳しい姿勢で臨むのが議員のあるべき姿です。私も本会議場で、松沢知事と厳しい議論をするのが夢です。

でも県会のわけのわからない現状に、尊敬する松沢知事が足を引っ張られているのは、我慢を越えてさすがに頭にきました。

私が県議会に行ったあかつきには、あんな体たらくは許しません。ガンガンやることを改めて決意し、そのための県議選に望んでいきます。

言いすぎましたかね・・・?


2005年03月08日(火) 市議会を傍聴しました

今日ではなく、先週の金曜日です。「民主クラブ」の総括質疑を見に行ったはずが、予定より遅れたため、別の議員の質疑を傍聴しました。

実は市議会の傍聴は初めてです。私含め3名しか傍聴席にはいなかったですが、何人かの議員はちらほらとコチラを見ていました。

傍聴者が眠くなるほど、ある意味退屈な会議運営は、今に始まったことではありません。

前向きに、どうすれば面白く(表現は妥当か?)なるのでしょうか。ひとつは、原稿に重きを置かないこと。ふたつには再質問を回数無制限にすることです。

相模原市議会本会議は、再質問は二回までしか許されていません。従って、この回数に収まるように事前に考えをめぐらせ、結果そのことが臨場感を失わせています。

神奈川県議会は、より「伝統的」=「形式的」=「面白くない」運営がされています。何度か見に行ったときもそう感じましたし、仲間の県議に聞いてもそうです。

大切なのは議論の中身ではありますが、会議運営の方法によって、どこまで議論を深めることができるか変わってきます。

絶えず自己点検しながら、進化する議会であるべきです。


2005年03月07日(月) 旧○○党という意識

民主党は新しい政党ですが、旧○○党という感覚が残っています。

何十年と存在している党ならばともかく、結党数年でそんなことを言っているのは問題です。

周りがどういうかは別にして、私は自分の政治遍歴を「新生党→新進党→民主党」と思っています。党は変わっても、思いとしては「自民党に変わる新しい機軸政党をつくる」ことです。

皆んな、この基本的思いは同じはずです。旧○○党なる意識は、全ての民主党員が排除すべきです。

そもそも個人を「○○的」と総称すること自体が、その人間の個性を軽視し、全体主義に走る傾向を生んでいるとも言えます。

私も途中参加組ですが、過去を乗り越えてこその民主党です。



2005年03月06日(日) 携帯電話の性能

このHP上に、「フォトギャラリー」を開設していただきました。

この写真は携帯電話で撮影したものです。カメラ会社の作成した携帯で、映像も綺麗です。

メモリなども良い性能です。では、一体今までのデジカメの出番は?だんだんなくなっていくのでしょう。

先日友人にパソコンをいじってもらった際も、3年から4年経ったらパソコンも根本的に改造しなくてはだめとのこと。

これは新たな技術が年々出てくるのではなく、新商品を売り続ける経済構造の一環でしょう。

でも、なくては困る一消費者としては、買い続けるしかありません。


2005年03月05日(土) 自衛隊新入隊員激励会に参加しました

自衛隊新規入隊者の激励会に参加しました。

新規に自衛隊に入隊する方は、全て各地区の「募集事務所」が把握しております。そして毎年、地区毎に激励会などに参加しております。

二次会の懇談会は、ケーキなどのおやつを食べながらでした。私の前に座った新入隊員は、大学卒でPKO活動を見て志望したと言いました。

一方少し年をとった自衛隊員は、日陰者であった当時の話をよくいたします。

吉田茂は、防衛大学校の卒業式で「皆さんが日陰者であるときが平和だ」と言いました。

元来は軍縮論者である私も、この元総理の言い方には違和感を覚えます。ただ、戦争を経験した声として貴重ではありますが。

さて「くに」と書いているのは、私の大切な政治的主張であります。「くに」と「国家」は違う存在なのです。

「国家」のあり方が変化しても、「くに」を守る精神は貴重であります。


2005年03月04日(金) 雪が積もっても電車は動く

雪がたくさん降りました。でも電車は動いています。

中高生の時は雪が降ると、電車が遅れたり止まったりしたものです。最近そうならないのは、技術の進歩か、あるいは雪の量が減ったのか。

自然に関わりなく。生活ができるようになっていきます。もちろん本質的には、自然に打ち勝つことはできませんが。

しかし車は滑りますね。チェーン・スタットレスなどありますが、もっと簡易に滑り止めが常設できる、新しい車が販売されないものでしょうか。

相模原だけでなく雪国においても、その量は年々減少していきます。オゾン規制は国際ルールができましたが、より強行な指針を政府が示すべきです。



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